【幸福ドロップ:後】

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ラノで読んだ方が読みやすいと思います [[前後合わせてラノで読む>http://rano.jp/1461]]  私が次に接触したのは高等部の女の子二人でした。  その片方ライオンのかぶりものをしたとても長身の女の人で、もう十月も終わりだというのにノースリーブのシャツにホットパンツという、見ているほうが寒くなりそうな格好をした女の人でした。スタイルがとてもよいのですがどこか“男前”という表現がしっくりくるような人でした。  その隣にいるのはもこもことしたトイプードルの着ぐるみを着ているふんわりとしたショートボブの女の人です。落ち着いた顔立ちで、ライオンさんのほうとは少し対照的な感じがします。  二人は何か言い争っているようでした。いえ、ライオンさんのほうは困惑した表情でプードルさんが怒っているのを落ち着かせていました。  ですがプードルさんは怒ったままライオンさんから離れていきました。ライオンさんはどうしたらいいのだろうか、といった風に呆然と立ち尽くしています。  私は去っていったプードルさんを追いかけていきます。  イベントホールの出入り口の階段に、ちょこんと座っていて、その背中からは哀愁が漂っていました。これはやはり私の出番でしょう。 『さあやろう、みーちゃん』  マーくんもそう言ってくれています。 「うん。あ、あの……どうしたんですか?」 「え……?」  プードルさんも書記さんやさっきの女の子のようにきょとんとした表情で私を見ています。それはそうでしょう。こんな怪しげなカボチャに話しかけられたら驚くのも無理はありません。それでも私は普段の人見知りがなくなったかのように彼女に話しかけることができました。これもきっとこの力のおかげなのでしょうか。 「ああ、びっくりした。そうよね、仮装よね。あなた初等部の子? 私もこんな小さい子に心配されるようじゃ駄目ね」  プードルの着ぐるみでふうっと溜息を漏らしながら頬杖をついている様はとってもシュールでした。本人にはなんだか影を感じ大人びている雰囲気があるため、余計に妙です。 「あ、あの。何か悩みごとがあるなら聞きますけど……」 「ありがと……。でも他の人に話してなんとかなるもんじゃないしね」 「でも、喧嘩したんですよね。あの人と仲悪いんですか?」 「ああ、いや。そんなわけないわよ」  プードルさんはすくっと立ち上がって私を見ています。その顔はどこか優しさに満ちていました。愛する者のことを語るときになる、凛々しい顔。 「あなたももっと大きくなればわかると思うけど、本当に仲がよかったり、好きだったりする相手ほど喧嘩をしちゃうものなのよ。わかるかしら」  私には、わかりません。そんなにまで深い関係になったことがある人は、天国に行ってしまったお兄ちゃんだけでした。私はお兄ちゃんと喧嘩もしたことありませんでした。いえ、私が喧嘩を出来る年齢になる前に、お兄ちゃんは死んでしまったのです。突然の交通事故。お兄ちゃんがいなくなったあの日、世界は不幸と悲しみと理不尽で出来ているものだと私は認識しました。  だからこそ、私はこの世界の統べての悲しみを消し去りたいと思います。 「一番大事な人だから、その人のことを心配して、傷ついていくのを見ていられなくなったりする時や、譲れないことがあれば反発しちゃうことがあるのよ。わかっていてもやっぱりここが少し痛くなっちゃうけど」  プードルさんは愛おしそうな顔で自分の胸を指差しました。  そこには小さいけれど桃色に輝いている飴玉があります。なんだかとても切ない光りを放っています。 「トリック・オア・トリート」  私は彼女をその切なさから救うために彼女の胸に手を伸ばします。 「え?」  あっけにとられているプードルさんは私の行動を見ているだけで、私は難なく彼女の飴玉を取ることに成功します。私はぱっとそのまま飴玉を口に放り込みます。  すると、今までのものとは違った味がしました。  それはとても甘酸っぱく、ですかどこか苺ミルクのような濃厚な味です。胸がきゅんと締め付けられるような感じがします。しかし今まで食べてきた中で一番おいしい味かもしれません。 「あれ……。私こんなところで何してるんだろ。そうだ、戻らなきゃ……」  プードルさんは憑き物が落ちたようなすっきりとした表情になっていました。そのままふらふらとさっきのライオンさんのところへ戻っていくようでした。 『やったねみーちゃん! また悲しみを救ったよ!』 「うん。これできっと仲直りしてくれるよね!」  気分が乗ってきた私はどんどんと誰彼構わず飴玉を取りに行きました。  色んな人の中で、変った飴玉を持っている人はたくさんいました。  巫女服の仮装をしている羨ましいほどに胸の大きな女の人と一緒にいる、なぜかエプロン姿の男の人からも飴玉を取りました。ピンク色に鈍く輝いていて、舐めるとなんだかエッチな気分になってきました。『それは悲しみとは違う種類のものだよ。吐き出したほうがいいよみーちゃん』とマーくんも言っています。  口直しに次はおいしいものを食べようかと思いましたが、珍妙な格好をしている人を発見しました。なぜかびりびりに破れているマントに無駄にゴテゴテしたベルト、両手には派手な装飾の拳銃。まるでアニメの世界から飛び出してきたような格好です。なんというか“ハロウィンの仮装”よりも“コスプレ”といった表現が似合う男の人でした。 「うーん。あいつどこに行ったんだ……。俺のこのイカした姿見た瞬間に消えやがった」  そう肩を落とす彼の胸には真っ黒な飴玉がありました。興味を持った私はさっと手に取り口に含みました。 「う……」  それはとてつもなく苦い味で、なんというか頭痛が痛くなってきそうな味でした。そしてなぜか襲ってくる羞恥心。これはこの世のものとは思えない真っ黒な悲しさでした。そう、まさに闇で黒いといった表現がよく似合います。 『さっきからろくな悲しみを持った人がいないね』 「うん、そろそろもっと、もっと悲しい人を救いたいな」  人の悲しみを救うことに悦びを感じてきている私は、もっと大きな悲しみを求めて辺りを見回します。  ふと会場を歩いていると、どこかで見た顔がありました。  可愛らしい猫耳をぴんと尖らせ、小柄な身体を揺らしてお煎餅を食べながら歩いている女の子がいます。  それは私の同級生でした。  彼女の耳は仮装ではなく本物の猫耳なのでしょう。時折ぴくぴくと動いているのがとても可愛らしいです。  彼女の胸には大きな飴玉が輝いています。マーくんが言うには悲しみに比例して飴玉は大きく、そして輝くのだそうで、つまり彼女はとても大きな悲しみを持っているのです。私はその同級生が心配になり、後をつけました。  彼女が向かった先には、もう一人猫耳の女の子がいました。みょんっと跳ねている髪がおっとりした感じを表現しており、何だか見ているだけでこちらが和んでしまいそうな女の子でした。  彼女はほんわかした表情で彼女と話をしています。その二人はとても楽しそうに、幸せそうです。そういえば彼女にはお姉ちゃんがいると聞いたことがあります。もしかしたら彼女がそうなのかもしれません。  ですが、そのお姉ちゃんの胸には、ひときわ大きく、光り輝いている飴玉がありました。キャッツアイのような緑色で、時折黒く変ったりして不安定な光りを放っています。それはとても辛く、大きな悲しみを背負っている証拠でした。  幸せそうに見えるのに、なぜあんな悲しみを抱いているのでしょうか。  私は猫耳の二人の女の子の悲しみを消し去るために、彼女たちに近づいていきます。 「トリック・オア・トリート」  私はそう呟き、彼女達の前に立ちます。 「え?」  二人もやはり他の皆みたいにきょとんとしています。ですが、私は彼女達の戸惑いも気にせず、飴玉に手を伸ばします。これでこの二人の悲しみも消せます。これで二人は本当の幸せを手にすることができます。私が救うのです。 「もう、やめるんだ」  そんな透き通るような声が私の手を止めました。  この喧騒の中、やけにはっきりと聞こえたその声は一体誰なんでしょうか。私はばっと後ろを振り返ります。しかし、そこにいたのはこの仮装パーティーの中でも埋もれないほどに奇抜な格好の人でした。  その人は一言で表すならば、そう、ピエロでした。  二又のついたフード状のピエロ帽を目深く被り、全身を真っ黒なマントで包み込んでいました。  顔には赤鼻のついた道化の仮面をつけており表情はわかりません。ですが、その仮面の下から覗いている瞳からはとても不気味な雰囲気が漂っていました。  そして、驚くことに、彼の胸には何もありませんでした。飴玉は輝いてはいませんでした。まるで虚無のように黒いマントだけがなびいています。ここにいる全ての人たちに大なり小なり飴玉は存在しているのに、なぜ彼にはそれがないのでしょうか。  一体彼は何なんでしょうか。なぜ私の救済行動を止めるのでしょうか。 『みーちゃん……逃げよう……』 「え?」  マーくんが心配そうな声で私にそう言いました。 『あれは駄目だ。あいつは駄目だ。あれは、最悪で災厄な存在だよ』 「マーくんあの人のこと知ってるの?」 『ううん。でもわかるよ。あれはこの世界に悲しみをばら撒く存在だよ。みんなに不幸を与えにくる疫病神さ。だからみーちゃん、逃げて! あいつは人を救うみーちゃんを狙っている!』  私はマーくんに言われるままに逃げました。  彼女とそのお姉ちゃんの悲しみを取り除くことはひとまず諦めます。まずはあのピエロから逃げなくてはなりません。まるで悪魔か幽霊のような雰囲気のそのピエロは、とても恐ろしい存在なのだと私にも理解できました。  ふと、今学園で流行しているとある噂を思い出しました。  ピエロの格好をした“怪人”の噂を。  四月の集団自殺事件や、その後の人喰い事件、そのほかにも色んな事件にその怪人が関わっているという話を聞いたことがあります。怪人のいる場所に死が溢れる。世界に悲劇と惨劇をもたらす存在なのだと、怪人の噂を信じているクラスのみんなも怯えていました。  私は恐怖にかられ、ひたすれ逃げます。イベントホールを出てとにかく見つからない場所へと向かいます。  私はイベントホールの裏側の、海の間際の倉庫へと向かっていきます。海の波の音が私の心を安らがせるために響いています。ここには街灯もなく、せいぜい倉庫の扉に少しだけ電灯が点っているくらいです。  この暗闇ならば私の姿を見つけられることはないでしょう。倉庫の壁にもたれかかり、とりあえず私はここでやり過ごすことに決めました。しかし―― 「無駄だ。ボクから逃げることはできない」  頭上からまたも彼の声が聞こえてきました。  倉庫の屋上を見上げると、そこには影法師のように立っているピエロの怪人がいました。マントを夜風になびかせながら私たちを見下ろしています。どうやら先回りをされていたようです。 「ま、マーくん……」  私はぎゅうっと柔らかなマーくんの身体を抱きしめます。いつだって怖いことがあった日はこうしてマーくんを抱きしめます。そうして眠れば嫌なことから逃げることが出来ました。そう、お兄ちゃんがいなくなったあの日も。ですが、目の前の怪人はまだそこにいました。 『大丈夫。みーちゃんはぼくが護るから』  マーくんのその言葉に、私は嬉しくて涙が出そうになっちゃいました。そうです、マーくんがいれば百人力です。どんな相手にも負けません。 「あ、あの怪人さん。あなたの目的はなんなんですか。一体私に何の用があるんですか!?」  私がそう叫ぶと、怪人はひらりと倉庫の上から飛び降りて、私の目の前に着地しました。私は思わず数歩後ろに下がってしまいます。 「ボクは、ボクの“敵”を倒しに来た」 「敵……? それが私なの?」 「そうだ。キミたちはこの世界を滅ぼす存在だ。ボクは世界の破壊者を倒すためにここにいる」  怪人はまるで死刑宣告をするかのような目で私を見ています。それはとても恐ろしく、私の身体は意思と関係なく震えていきます。 「な、なんで。嘘よ。私は人を救う存在なの。だって人から悲しみを取り除くことができるのは私だけだもの!」 「キミの力は人の可能性を閉ざす。悲しみは人間が生きるうえで必ず背負わなければならないものだ。そこに例外はない」 「だ、誰だって悲しい思いなんてしたくないはずだよ。悲しみがなければみんな幸せになれるの」 「違う。悲しみがあるからこそ、それを乗り越えた先に幸せがあるんだ。強制的に悲しみを消された人間は心のバランスが崩れてしまう。感情の一部が欠けてしまった人間は、崩壊へ向かっていくだけだ。キミがしていることはただの自己満足でしかない」 「そんな……」 「悲しみと折り合いをつけて生きていくのは本人たちの仕事だ。それは神ですら踏み込んではならない領域だ。誰もが悲しみを失って何も感じずに生きていく、それは恐らく世界の終わりと言っていいだろう」  怪人はゆっくりと私のほうへと足を進めます。   「それでもキミが人の心を弄ぶというのなら、ボクはキミと戦わなければならない」  一体私はどうしたらいいのでしょうか。私は間違ったことをしているのでしょうか。  違う。私は、私は。 『みーちゃんに手を出すな、この怪人め』  マーくんは目の前の怪人に向かってそう言いました。 「――このぬいぐるみ会話が出来るのか。いや、ボクの心に直接語りかけているのか」  怪人もマーくんを見て驚いているようです。ですが、私も驚いています。今までマー君の言葉が聞こえていた人はいませんでした。ですが、この怪人はマーくんの言葉がわかるようでした。 『お前にみーちゃんの何がわかる! ぼくたちの何がわかる!』  そう叫んだマーくんは私の手から離れ、自分の意思で地面に立っていました。そんな、いくら会話が出来ていたとはいえ、こうしてマーくんが自立して動いているのは初めて見ました。 『みーちゃんにはこの力が必要なんだ。他人の悲しみを身体に取り込むことで、みーちゃんの心は満たされていく。誰だってそうだ。他人の不幸を知った人間は、自分はまだ幸せだと感じる。これはみーちゃんを幸福にするための飴玉だ』  マーくんは怪人と対峙してそう言いました。  マーくんは一体何を言っているんでしょうか。どういうことなのでしょうか。 『ぼくは自分が死んだあの日からみーちゃんを幸せにするのだと心に決めてきた。だからそれを邪魔するやつは許さない』  それには怪人も驚いた様子で、その歩を止めています。 「キミは――そうか、キミはボクと同じ存在か。ボクと同じ“|魂の残滓《ゴースト》”なのか。世界というシステムのアウトサイダー……」 『どうやらそのようだね。だけど、ぼくはお前に仲間意識なんて感じない。邪魔する奴は許さない。ぼくとみーちゃんの幸せを邪魔する奴は絶対に排除する』 「マーくん……?」  私はいつもと違う、怖い声をしているマーくんに驚きを隠せません。一体どういうことなんでしょうか。 「どうやら、世界の破壊者は彼女ではなくキミのようだね、ぬいぐるみくん。キミの力が人々の悲しみをその少女に取り除かせているわけか……」 「そんな」  私はマーくんを見下ろします。怪人の言うことが本当なら、私の人を救う力は、マーくんに与えられたということなのでしょうか。 「ならば容赦はしない。ボクは全力でキミを倒す」  怪人は、マントから手を出し、その手にはぎらりと闇夜に光るナイフが握られています。私は小さく「ひっ」と声を出してしまいます。情けないことですが。 『それはぼくも同じだ。ぼくはお前倒してこの世界を幸福で満たすんだ。みーちゃんも、誰も彼もみんな幸せになる世界をつくる。不条理なんて存在しない世界を!』  その言葉をきっかけに、マーくんは怪人に向かって飛んでいきました。まるでジェット機のような激しい速度で怪人へと突進していきます。怪人は予測していたようにひらりと紙一重でそれを避けます。マントがばさりと翻り、まるでそれは闘牛を見ているようでした。 「やめてマーくん!」  私がそう叫んでも無駄のようで、バックステップで距離をとる怪人を追いかけようと、マーくんはその小さな身体を跳ねさせて飛んでいきます。  追いかけてくるマーくんと距離をとろうとしているのか、怪人は高く跳躍して倉庫の屋根に上っていきます。マーくんはロケットのように高く飛び、それについていきます。二人は何度も衝突しては離れてを繰り返していきます。二人の攻防はとても激しく素早いもので、私の目では追いきれないほどです。  ですがマーくんの身体はぼろぼろになり、綿がはみ出したり片目がとれてしまっていたりします。同じく怪人のほうも額から血を流し、怪我をしたのか腕を押さえて息が切れてきています。命の削りあい。そんな言葉が似合う光景でした。 「もう、やめてよ二人とも……」  私はカボチャの仮面の下で泣きながら膝を崩して地面にへたりこんでしまいます。なんでこんなことをしているのか理解に苦しみます。だって今日は楽しみにしていたハロウィンなんです。目いっぱい楽しんで、幸せになろうとしているだけなのに、どうしてこんなことに……。 「ぬいぐるみくん。キミは、その少女のなんなんだ。なぜ彼女を護ろうとする」 『なぜだと。妹を護るのに、理由なんてあるものか!』  妹。  今、マーくんはそう言いました。 「お兄……ちゃん?」  そんな、嘘ですよね。マーくんがお兄ちゃんだなんて。 『ごめんよみーちゃん。騙すつもりはなかった。でも、ぼくが今日、このぬいぐるみの身体で蘇ったのは、みーちゃんを護るためにきっと神様がチャンスをくれたんだよ。ぼくはクマのマーくんとしてみーちゃんを永遠に護っていきたいんだ』  マーくんは片目の潰れたカフス製の目で私を見ています。そこには、あの優しいお兄ちゃんの面影を感じることができました。 「妹を護る――か。その気持ちはとてもよくわかる。ボクも兄妹を護るため、兄妹が生きるこの世界を護るためにこうしてキミと対峙している。これはボクも譲れない」 『そうか。ならもう語ることはないね』 「ああ」  怪人とマーくん――お兄ちゃんは、互いに全力で真っ直ぐにぶつかり合っていきました。激しい轟音と共に一瞬だけ光が夜の闇を照らします。そして―― 「お兄ちゃん!」  怪人に吹き飛ばされたお兄ちゃんは、倉庫の上から落ちてきました。地面に激突する前に私は急いでお兄ちゃんを抱きかかえます。ぼろぼろになっているそのぬいぐるみの身体の中心には、深々とナイフが突き刺さっていました。 「ひどい……なんでこんな……」 『いいんだみーちゃん。ぼくは、負けたんだ』  その声はかすれていて、今にも消え入りそうでした。お兄ちゃんがどうしてマーくんの身体の中に入っていたのか、私にはわかりません。ですが、お兄ちゃんは私を必死に護ろうとしてくれていたのでしょう。この悲しいことだらけの世界から。 『ごめんよみーちゃん。二度も、悲しい思いをさせることになっちゃって……』 「ううん、お兄ちゃん。ありがとう。私嬉しい」  私はふわふわとしたお兄ちゃんの身体を抱きしめます。私にはわかりました。これが最後なのだと、これでお兄ちゃんは本当に消えてしまうのだと。 『みーちゃん。最後に、顔を見せてくれよ。そのカボチャの面をとって……』 「うん」  私はずっと被っていたカボチャを取り外します。数時間ぶりに外の空気を直接吸うことになります。夜の潮風が頬を撫で、とても心地いい風が私たちを祝福しています。 『ああ、やっぱりみーちゃんは、世界一可愛いよ……』 「バカ、でも、ありがとうお兄ちゃん」 『幸せになってくれよ。ぼくがいなくても、強く、生きてくれ――』  その言葉を最後に、お兄ちゃんが言葉を発することは無くなりました。私は目から大量に涙が流れ、鼻水で顔がぐちゃぐちゃになりながらお兄ちゃんの抜け殻を抱きしめます。 「お兄ちゃん……」  すると、私の胸が突然輝き始めました。 「え?」  その光りはやがて球体になっていきます。それは飴玉でした。私が色んな人から取り出していった無数の飴玉が、今解き放たれていきます。  飴玉は私の身体から離れていき、イベントホールへと飛んでいきます。これで、あの悲しみの塊は、みんなの心に戻ってしまうのでしょう。  みんな幸せな気持ちから元に戻ってしまいます。 「キミは、失った兄のことを忘れたいと思うかい?」  私がぬいぐるみを抱きしめてへたりこんでいると、怪人が傍に立ち、そう質問してきました。私は考えます。そして、答えはすぐに出ました。 「私は、お兄ちゃんのことを忘れたくない……。悲しいけど、この悲しい気持ちも、お兄ちゃんへの想いだから――」  そうです。悲しみを失うということはそういうことなのです。お兄ちゃんのことを忘れて、偽物の幸せを欲することはできません。 「そうだ。キミが接触してきた人たちだってそうだ。悲しみという“想い”を忘れるなんてことを望んではいない。彼らは悲しみに押しつぶされるほど弱い人たちじゃない。みんなとても強く、悲しみさえ力に変えていけるんだ」  怪人はゆっくりと自分の顔に手をあて、その道化の仮面を外しました。  その仮面の下には、とても素晴らしい笑顔をした、綺麗な顔がありました。私もつられて笑顔になってしまいます。ピエロは人を笑顔にする存在なのでしょう。私の心に何か温かいものが込み上げてきます。 「だから、キミも強く生きるんだ。お兄さんの分までね」 「はい……」  私はぼろぼろになったクマのぬいぐるみを掲げ、明日はこのマーくんを直してあげようと心に決めました。 「なあキミ。メキシコではハロウィンはなんて呼ばれているか知っているかい?」 「え?」 「“死者の日”というそうだ。本来のハロウィンと違い、日本のお盆のように死者が還ってくるとされている日らしい。もしかしたら、キミのお兄さんも、それで帰ってきたのかもしれないね。ハロウィンという特別な日が起した奇跡かもしれない」  私はぬいぐるみの顔をじっと見つめます。 「そうかもしれませんね」  私はそう呟きながらぬいぐるみの口に軽くキスをしました。  ばいばい、お兄ちゃん。                おしまい [[前編に戻る>【幸福ドロップ:前】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]
ラノで読んだ方が読みやすいと思います [[前後合わせてラノで読む>http://rano.jp/1461]]  私が次に接触したのは高等部の女の子二人でした。  その片方ライオンのかぶりものをしたとても長身の女の人で、もう十月も終わりだというのにノースリーブのシャツにホットパンツという、見ているほうが寒くなりそうな格好をした女の人でした。スタイルがとてもよいのですがどこか“男前”という表現がしっくりくるような人でした。  その隣にいるのはもこもことしたトイプードルの着ぐるみを着ているふんわりとしたショートボブの女の人です。落ち着いた顔立ちで、ライオンさんのほうとは少し対照的な感じがします。  二人は何か言い争っているようでした。いえ、ライオンさんのほうは困惑した表情でプードルさんが怒っているのを落ち着かせていました。  ですがプードルさんは怒ったままライオンさんから離れていきました。ライオンさんはどうしたらいいのだろうか、といった風に呆然と立ち尽くしています。  私は去っていったプードルさんを追いかけていきます。  イベントホールの出入り口の階段に、ちょこんと座っていて、その背中からは哀愁が漂っていました。これはやはり私の出番でしょう。 『さあやろう、みーちゃん』  マーくんもそう言ってくれています。 「うん。あ、あの……どうしたんですか?」 「え……?」  プードルさんも書記さんやさっきの女の子のようにきょとんとした表情で私を見ています。それはそうでしょう。こんな怪しげなカボチャに話しかけられたら驚くのも無理はありません。それでも私は普段の人見知りがなくなったかのように彼女に話しかけることができました。これもきっとこの力のおかげなのでしょうか。 「ああ、びっくりした。そうよね、仮装よね。あなた初等部の子? 私もこんな小さい子に心配されるようじゃ駄目ね」  プードルの着ぐるみでふうっと溜息を漏らしながら頬杖をついている様はとってもシュールでした。本人にはなんだか影を感じ大人びている雰囲気があるため、余計に妙です。 「あ、あの。何か悩みごとがあるなら聞きますけど……」 「ありがと……。でも他の人に話してなんとかなるもんじゃないしね」 「でも、喧嘩したんですよね。あの人と仲悪いんですか?」 「ああ、いや。そんなわけないわよ」  プードルさんはすくっと立ち上がって私を見ています。その顔はどこか優しさに満ちていました。愛する者のことを語るときになる、凛々しい顔。 「あなたももっと大きくなればわかると思うけど、本当に仲がよかったり、好きだったりする相手ほど喧嘩をしちゃうものなのよ。わかるかしら」  私には、わかりません。そんなにまで深い関係になったことがある人は、天国に行ってしまったお兄ちゃんだけでした。私はお兄ちゃんと喧嘩もしたことありませんでした。いえ、私が喧嘩を出来る年齢になる前に、お兄ちゃんは死んでしまったのです。突然の交通事故。お兄ちゃんがいなくなったあの日、世界は不幸と悲しみと理不尽で出来ているものだと私は認識しました。  だからこそ、私はこの世界の統べての悲しみを消し去りたいと思います。 「一番大事な人だから、その人のことを心配して、傷ついていくのを見ていられなくなったりする時や、譲れないことがあれば反発しちゃうことがあるのよ。わかっていてもやっぱりここが少し痛くなっちゃうけど」  プードルさんは愛おしそうな顔で自分の胸を指差しました。  そこには小さいけれど桃色に輝いている飴玉があります。なんだかとても切ない光りを放っています。 「トリック・オア・トリート」  私は彼女をその切なさから救うために彼女の胸に手を伸ばします。 「え?」  あっけにとられているプードルさんは私の行動を見ているだけで、私は難なく彼女の飴玉を取ることに成功します。私はぱっとそのまま飴玉を口に放り込みます。  すると、今までのものとは違った味がしました。  それはとても甘酸っぱく、ですかどこか苺ミルクのような濃厚な味です。胸がきゅんと締め付けられるような感じがします。しかし今まで食べてきた中で一番おいしい味かもしれません。 「あれ……。私こんなところで何してるんだろ。そうだ、戻らなきゃ……」  プードルさんは憑き物が落ちたようなすっきりとした表情になっていました。そのままふらふらとさっきのライオンさんのところへ戻っていくようでした。 『やったねみーちゃん! また悲しみを救ったよ!』 「うん。これできっと仲直りしてくれるよね!」  気分が乗ってきた私はどんどんと誰彼構わず飴玉を取りに行きました。  色んな人の中で、変った飴玉を持っている人はたくさんいました。  巫女服の仮装をしている羨ましいほどに胸の大きな女の人と一緒にいる、なぜかエプロン姿の男の人からも飴玉を取りました。ピンク色に鈍く輝いていて、舐めるとなんだかエッチな気分になってきました。『それは悲しみとは違う種類のものだよ。吐き出したほうがいいよみーちゃん』とマーくんも言っています。  口直しに次はおいしいものを食べようかと思いましたが、珍妙な格好をしている人を発見しました。なぜかびりびりに破れているマントに無駄にゴテゴテしたベルト、両手には派手な装飾の拳銃。まるでアニメの世界から飛び出してきたような格好です。なんというか“ハロウィンの仮装”よりも“コスプレ”といった表現が似合う男の人でした。 「うーん。あいつどこに行ったんだ……。俺のこのイカした姿見た瞬間に消えやがった」  そう肩を落とす彼の胸には真っ黒な飴玉がありました。興味を持った私はさっと手に取り口に含みました。 「う……」  それはとてつもなく苦い味で、なんというか頭痛が痛くなってきそうな味でした。そしてなぜか襲ってくる羞恥心。これはこの世のものとは思えない真っ黒な悲しさでした。そう、まさに闇で黒いといった表現がよく似合います。 『さっきからろくな悲しみを持った人がいないね』 「うん、そろそろもっと、もっと悲しい人を救いたいな」  人の悲しみを救うことに悦びを感じてきている私は、もっと大きな悲しみを求めて辺りを見回します。  ふと会場を歩いていると、どこかで見た顔がありました。  可愛らしい猫耳をぴんと尖らせ、小柄な身体を揺らしてお煎餅を食べながら歩いている女の子がいます。  それは私の同級生でした。  彼女の耳は仮装ではなく本物の猫耳なのでしょう。時折ぴくぴくと動いているのがとても可愛らしいです。  彼女の胸には大きな飴玉が輝いています。マーくんが言うには悲しみに比例して飴玉は大きく、そして輝くのだそうで、つまり彼女はとても大きな悲しみを持っているのです。私はその同級生が心配になり、後をつけました。  彼女が向かった先には、もう一人猫耳の女の子がいました。みょんっと跳ねている髪がおっとりした感じを表現しており、何だか見ているだけでこちらが和んでしまいそうな女の子でした。  彼女はほんわかした表情で彼女と話をしています。その二人はとても楽しそうに、幸せそうです。そういえば彼女にはお姉ちゃんがいると聞いたことがあります。もしかしたら彼女がそうなのかもしれません。  ですが、そのお姉ちゃんの胸には、ひときわ大きく、光り輝いている飴玉がありました。キャッツアイのような緑色で、時折黒く変ったりして不安定な光りを放っています。それはとても辛く、大きな悲しみを背負っている証拠でした。  幸せそうに見えるのに、なぜあんな悲しみを抱いているのでしょうか。  私は猫耳の二人の女の子の悲しみを消し去るために、彼女たちに近づいていきます。 「トリック・オア・トリート」  私はそう呟き、彼女達の前に立ちます。 「え?」  二人もやはり他の皆みたいにきょとんとしています。ですが、私は彼女達の戸惑いも気にせず、飴玉に手を伸ばします。これでこの二人の悲しみも消せます。これで二人は本当の幸せを手にすることができます。私が救うのです。 「もう、やめるんだ」  そんな透き通るような声が私の手を止めました。  この喧騒の中、やけにはっきりと聞こえたその声は一体誰なんでしょうか。私はばっと後ろを振り返ります。しかし、そこにいたのはこの仮装パーティーの中でも埋もれないほどに奇抜な格好の人でした。  その人は一言で表すならば、そう、ピエロでした。  二又のついたフード状のピエロ帽を目深く被り、全身を真っ黒なマントで包み込んでいました。  顔には赤鼻のついた道化の仮面をつけており表情はわかりません。ですが、その仮面の下から覗いている瞳からはとても不気味な雰囲気が漂っていました。  そして、驚くことに、彼の胸には何もありませんでした。飴玉は輝いてはいませんでした。まるで虚無のように黒いマントだけがなびいています。ここにいる全ての人たちに大なり小なり飴玉は存在しているのに、なぜ彼にはそれがないのでしょうか。  一体彼は何なんでしょうか。なぜ私の救済行動を止めるのでしょうか。 『みーちゃん……逃げよう……』 「え?」  マーくんが心配そうな声で私にそう言いました。 『あれは駄目だ。あいつは駄目だ。あれは、最悪で災厄な存在だよ』 「マーくんあの人のこと知ってるの?」 『ううん。でもわかるよ。あれはこの世界に悲しみをばら撒く存在だよ。みんなに不幸を与えにくる疫病神さ。だからみーちゃん、逃げて! あいつは人を救うみーちゃんを狙っている!』  私はマーくんに言われるままに逃げました。  彼女とそのお姉ちゃんの悲しみを取り除くことはひとまず諦めます。まずはあのピエロから逃げなくてはなりません。まるで悪魔か幽霊のような雰囲気のそのピエロは、とても恐ろしい存在なのだと私にも理解できました。  ふと、今学園で流行しているとある噂を思い出しました。  ピエロの格好をした“怪人”の噂を。  四月の集団自殺事件や、その後の人喰い事件、そのほかにも色んな事件にその怪人が関わっているという話を聞いたことがあります。怪人のいる場所に死が溢れる。世界に悲劇と惨劇をもたらす存在なのだと、怪人の噂を信じているクラスのみんなも怯えていました。  私は恐怖にかられ、ひたすれ逃げます。イベントホールを出てとにかく見つからない場所へと向かいます。  私はイベントホールの裏側の、海の間際の倉庫へと向かっていきます。海の波の音が私の心を安らがせるために響いています。ここには街灯もなく、せいぜい倉庫の扉に少しだけ電灯が点っているくらいです。  この暗闇ならば私の姿を見つけられることはないでしょう。倉庫の壁にもたれかかり、とりあえず私はここでやり過ごすことに決めました。しかし―― 「無駄だ。ボクから逃げることはできない」  頭上からまたも彼の声が聞こえてきました。  倉庫の屋上を見上げると、そこには影法師のように立っているピエロの怪人がいました。マントを夜風になびかせながら私たちを見下ろしています。どうやら先回りをされていたようです。 「ま、マーくん……」  私はぎゅうっと柔らかなマーくんの身体を抱きしめます。いつだって怖いことがあった日はこうしてマーくんを抱きしめます。そうして眠れば嫌なことから逃げることが出来ました。そう、お兄ちゃんがいなくなったあの日も。ですが、目の前の怪人はまだそこにいました。 『大丈夫。みーちゃんはぼくが護るから』  マーくんのその言葉に、私は嬉しくて涙が出そうになっちゃいました。そうです、マーくんがいれば百人力です。どんな相手にも負けません。 「あ、あの怪人さん。あなたの目的はなんなんですか。一体私に何の用があるんですか!?」  私がそう叫ぶと、怪人はひらりと倉庫の上から飛び降りて、私の目の前に着地しました。私は思わず数歩後ろに下がってしまいます。 「ボクは、ボクの“敵”を倒しに来た」 「敵……? それが私なの?」 「そうだ。キミたちはこの世界を滅ぼす存在だ。ボクは世界の破壊者を倒すためにここにいる」  怪人はまるで死刑宣告をするかのような目で私を見ています。それはとても恐ろしく、私の身体は意思と関係なく震えていきます。 「な、なんで。嘘よ。私は人を救う存在なの。だって人から悲しみを取り除くことができるのは私だけだもの!」 「キミの力は人の可能性を閉ざす。悲しみは人間が生きるうえで必ず背負わなければならないものだ。そこに例外はない」 「だ、誰だって悲しい思いなんてしたくないはずだよ。悲しみがなければみんな幸せになれるの」 「違う。悲しみがあるからこそ、それを乗り越えた先に幸せがあるんだ。強制的に悲しみを消された人間は心のバランスが崩れてしまう。感情の一部が欠けてしまった人間は、崩壊へ向かっていくだけだ。キミがしていることはただの自己満足でしかない」 「そんな……」 「悲しみと折り合いをつけて生きていくのは本人たちの仕事だ。それは神ですら踏み込んではならない領域だ。誰もが悲しみを失って何も感じずに生きていく、それは恐らく世界の終わりと言っていいだろう」  怪人はゆっくりと私のほうへと足を進めます。   「それでもキミが人の心を弄ぶというのなら、ボクはキミと戦わなければならない」  一体私はどうしたらいいのでしょうか。私は間違ったことをしているのでしょうか。  違う。私は、私は。 『みーちゃんに手を出すな、この怪人め』  マーくんは目の前の怪人に向かってそう言いました。 「――このぬいぐるみ会話が出来るのか。いや、ボクの心に直接語りかけているのか」  怪人もマーくんを見て驚いているようです。ですが、私も驚いています。今までマー君の言葉が聞こえていた人はいませんでした。ですが、この怪人はマーくんの言葉がわかるようでした。 『お前にみーちゃんの何がわかる! ぼくたちの何がわかる!』  そう叫んだマーくんは私の手から離れ、自分の意思で地面に立っていました。そんな、いくら会話が出来ていたとはいえ、こうしてマーくんが自立して動いているのは初めて見ました。 『みーちゃんにはこの力が必要なんだ。他人の悲しみを身体に取り込むことで、みーちゃんの心は満たされていく。誰だってそうだ。他人の不幸を知った人間は、自分はまだ幸せだと感じる。これはみーちゃんを幸福にするための飴玉だ』  マーくんは怪人と対峙してそう言いました。  マーくんは一体何を言っているんでしょうか。どういうことなのでしょうか。 『ぼくは自分が死んだあの日からみーちゃんを幸せにするのだと心に決めてきた。だからそれを邪魔するやつは許さない』  それには怪人も驚いた様子で、その歩を止めています。 「キミは――そうか、キミはボクと同じ存在か。ボクと同じ“|魂の残滓《ゴースト》”なのか。世界というシステムのアウトサイダー……」 『どうやらそのようだね。だけど、ぼくはお前に仲間意識なんて感じない。邪魔する奴は許さない。ぼくとみーちゃんの幸せを邪魔する奴は絶対に排除する』 「マーくん……?」  私はいつもと違う、怖い声をしているマーくんに驚きを隠せません。一体どういうことなんでしょうか。 「どうやら、世界の破壊者は彼女ではなくキミのようだね、ぬいぐるみくん。キミの力が人々の悲しみをその少女に取り除かせているわけか……」 「そんな」  私はマーくんを見下ろします。怪人の言うことが本当なら、私の人を救う力は、マーくんに与えられたということなのでしょうか。 「ならば容赦はしない。ボクは全力でキミを倒す」  怪人は、マントから手を出し、その手にはぎらりと闇夜に光るナイフが握られています。私は小さく「ひっ」と声を出してしまいます。情けないことですが。 『それはぼくも同じだ。ぼくはお前倒してこの世界を幸福で満たすんだ。みーちゃんも、誰も彼もみんな幸せになる世界をつくる。不条理なんて存在しない世界を!』  その言葉をきっかけに、マーくんは怪人に向かって飛んでいきました。まるでジェット機のような激しい速度で怪人へと突進していきます。怪人は予測していたようにひらりと紙一重でそれを避けます。マントがばさりと翻り、まるでそれは闘牛を見ているようでした。 「やめてマーくん!」  私がそう叫んでも無駄のようで、バックステップで距離をとる怪人を追いかけようと、マーくんはその小さな身体を跳ねさせて飛んでいきます。  追いかけてくるマーくんと距離をとろうとしているのか、怪人は高く跳躍して倉庫の屋根に上っていきます。マーくんはロケットのように高く飛び、それについていきます。二人は何度も衝突しては離れてを繰り返していきます。二人の攻防はとても激しく素早いもので、私の目では追いきれないほどです。  ですがマーくんの身体はぼろぼろになり、綿がはみ出したり片目がとれてしまっていたりします。同じく怪人のほうも額から血を流し、怪我をしたのか腕を押さえて息が切れてきています。命の削りあい。そんな言葉が似合う光景でした。 「もう、やめてよ二人とも……」  私はカボチャの仮面の下で泣きながら膝を崩して地面にへたりこんでしまいます。なんでこんなことをしているのか理解に苦しみます。だって今日は楽しみにしていたハロウィンなんです。目いっぱい楽しんで、幸せになろうとしているだけなのに、どうしてこんなことに……。 「ぬいぐるみくん。キミは、その少女のなんなんだ。なぜ彼女を護ろうとする」 『なぜだと。妹を護るのに、理由なんてあるものか!』  妹。  今、マーくんはそう言いました。 「お兄……ちゃん?」  そんな、嘘ですよね。マーくんがお兄ちゃんだなんて。 『ごめんよみーちゃん。騙すつもりはなかった。でも、ぼくが今日、このぬいぐるみの身体で蘇ったのは、みーちゃんを護るためにきっと神様がチャンスをくれたんだよ。ぼくはクマのマーくんとしてみーちゃんを永遠に護っていきたいんだ』  マーくんは片目の潰れたカフス製の目で私を見ています。そこには、あの優しいお兄ちゃんの面影を感じることができました。 「妹を護る――か。その気持ちはとてもよくわかる。ボクも兄妹を護るため、兄妹が生きるこの世界を護るためにこうしてキミと対峙している。これはボクも譲れない」 『そうか。ならもう語ることはないね』 「ああ」  怪人とマーくん――お兄ちゃんは、互いに全力で真っ直ぐにぶつかり合っていきました。激しい轟音と共に一瞬だけ光が夜の闇を照らします。そして―― 「お兄ちゃん!」  怪人に吹き飛ばされたお兄ちゃんは、倉庫の上から落ちてきました。地面に激突する前に私は急いでお兄ちゃんを抱きかかえます。ぼろぼろになっているそのぬいぐるみの身体の中心には、深々とナイフが突き刺さっていました。 「ひどい……なんでこんな……」 『いいんだみーちゃん。ぼくは、負けたんだ』  その声はかすれていて、今にも消え入りそうでした。お兄ちゃんがどうしてマーくんの身体の中に入っていたのか、私にはわかりません。ですが、お兄ちゃんは私を必死に護ろうとしてくれていたのでしょう。この悲しいことだらけの世界から。 『ごめんよみーちゃん。二度も、悲しい思いをさせることになっちゃって……』 「ううん、お兄ちゃん。ありがとう。私嬉しい」  私はふわふわとしたお兄ちゃんの身体を抱きしめます。私にはわかりました。これが最後なのだと、これでお兄ちゃんは本当に消えてしまうのだと。 『みーちゃん。最後に、顔を見せてくれよ。そのカボチャの面をとって……』 「うん」  私はずっと被っていたカボチャを取り外します。数時間ぶりに外の空気を直接吸うことになります。夜の潮風が頬を撫で、とても心地いい風が私たちを祝福しています。 『ああ、やっぱりみーちゃんは、世界一可愛いよ……』 「バカ、でも、ありがとうお兄ちゃん」 『幸せになってくれよ。ぼくがいなくても、強く、生きてくれ――』  その言葉を最後に、お兄ちゃんが言葉を発することは無くなりました。私は目から大量に涙が流れ、鼻水で顔がぐちゃぐちゃになりながらお兄ちゃんの抜け殻を抱きしめます。 「お兄ちゃん……」  すると、私の胸が突然輝き始めました。 「え?」  その光りはやがて球体になっていきます。それは飴玉でした。私が色んな人から取り出していった無数の飴玉が、今解き放たれていきます。  飴玉は私の身体から離れていき、イベントホールへと飛んでいきます。これで、あの悲しみの塊は、みんなの心に戻ってしまうのでしょう。  みんな幸せな気持ちから元に戻ってしまいます。 「キミは、失った兄のことを忘れたいと思うかい?」  私がぬいぐるみを抱きしめてへたりこんでいると、怪人が傍に立ち、そう質問してきました。私は考えます。そして、答えはすぐに出ました。 「私は、お兄ちゃんのことを忘れたくない……。悲しいけど、この悲しい気持ちも、お兄ちゃんへの想いだから――」  そうです。悲しみを失うということはそういうことなのです。お兄ちゃんのことを忘れて、偽物の幸せを欲することはできません。 「そうだ。キミが接触してきた人たちだってそうだ。悲しみという“想い”を忘れるなんてことを望んではいない。彼らは悲しみに押しつぶされるほど弱い人たちじゃない。みんなとても強く、悲しみさえ力に変えていけるんだ」  怪人はゆっくりと自分の顔に手をあて、その道化の仮面を外しました。  その仮面の下には、とても素晴らしい笑顔をした、綺麗な顔がありました。私もつられて笑顔になってしまいます。ピエロは人を笑顔にする存在なのでしょう。私の心に何か温かいものが込み上げてきます。 「だから、キミも強く生きるんだ。お兄さんの分までね」 「はい……」  私はぼろぼろになったクマのぬいぐるみを掲げ、明日はこのマーくんを直してあげようと心に決めました。 「なあキミ。メキシコではハロウィンはなんて呼ばれているか知っているかい?」 「え?」 「“死者の日”というそうだ。本来のハロウィンと違い、日本のお盆のように死者が還ってくるとされている日らしい。もしかしたら、キミのお兄さんも、それで帰ってきたのかもしれないね。ハロウィンという特別な日が起した奇跡かもしれない」  私はぬいぐるみの顔をじっと見つめます。 「そうかもしれませんね」  私はそう呟きながらぬいぐるみの口に軽くキスをしました。  ばいばい、お兄ちゃん。                おしまい [[前編に戻る>【幸福ドロップ:前】]] ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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