【Mission XXX Mission-05 後編】

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    七日目 「朝にメールしたと思うけど、一応ルールの確認をするね」  休日の午後、決闘宣言からほぼ一日になろうとしていたこの時間、場所は同じ五月ヶ丘公園に直と宮子と何人かのギャラリーが集まっていた。  ギャラリーといっても、見世物じゃないということで無関係の人には頭を下げて帰ってもらい、今居るのは関係者であるN組関係の人間ばかりだ。 「勝敗は簡単、このリボンが取られたら負け」 「本気で戦って大怪我されても困るしね」  と付け加える修。当然、直としてもその考えに異論はない。  宮子がスカイブルーのリボンを直に投げ渡す。宮子が自分のリボンを左手首に結ぶのを見て、直も合わせて左手首にリボンを結ぶ。 「ああ、そうそう」  文字に見えなくもない何かが刺繍されているのを見とめた直に宮子が声をかける。 「それ、呪いの文章縫いこんでるの、タミル語で」  一転して禍々しく見えてきたリボンに場の視線が集中する。 「…冗談よ」 (あの〈ワールウィンド〉の制御役と聞いたからもっとマトモな人間だと思ってたけど)  ギャラリーの間に囁きが広がるが、当の当事者たちは全く気にする様子もない。  というより直にとってはそれよりも気になることがあったのだ。 「…ねえ、やっぱりそれは」 「ハンデよ、ハンデ!ナオの得意な分野で戦うんだからこのくらいいいでしょ!実際に戦うのは私一人なんだし」 「いや私は別に構わないのだけど、そういう意味ではなくて」  息高く正当性を主張し取り付く島もない宮子に困り果てたのか、直は修の方にちらりと目をやった。 (僕に話を振られてもなあ)  昨日決闘宣言の場に居合わせた流れで、修はこの決闘の立会人兼審判になっていた。  それはまあ構わない。これが事態の解決につながるかはいまいち不透明だが、代わりとなる手も思いつかない以上この状況の中で最善を尽くすしかないのだ。だからそれはいい。だが。 (こういうのは手に余るんだよなあ、正直)  大体、ここでさっと説き伏せられる話術があるのならこの騒動はこんな決闘まで至る前に解決しているはずだ。  修は何かコメントはないのかと問いかけを視線に乗せての紫穏の顔を軽く見上げた。 「まぁいいんじゃない?」  けらけらと笑いながらの答えは予想通りで、修はため息と共に視線を下げ、 「双方共に承認が得られたと判断します」  と審判らしく厳かに告げた。  諦め顔の直がまずそれに頷く。  次いで宮子が満足げに頷き、宮子の背におぶさった紫穏がそれとほぼ同時に「おっけー」と言った。 「始め!」  開始の合図と共にまず飛び出したのは直の方だった。 「おいおい、一方的じゃんか」  防戦一方でずるずると後退する宮子を見てギャラリーの一人がそうぼやいた。 「いや、そうでもなさそうだよ」 「マジ?」  修の言葉に視線が一気に集中する。だが、修はそれには目もくれず戦いの様を凝視したまま淡々と言葉を続けた。 「あれは攻撃の勢いに耐えかねてるという動きじゃない。おそらく攻撃を受け流しながら有利な場所に陣取ろうとしているんだ」 「でもあの先は壁に囲まれた隅っこだよ」  二人が向かう先を指さす女生徒。 「うん、そこが結城さんにとって有利な場所だ。どのみち人一人背負った状態じゃフットワークでは絶対勝てない。それなら両方とも大きな動きができない制限された地形の方が比較的有利だと僕は思う」 「で、それで勝てるの?」  N組の生徒にとってはそこが一番重要なポイントであった。 「…結城さんの身体能力が増幅されてるとはいえ、その程度の仕掛け一つで勝てる程度の力なら〈ワールウィンド〉の名は今ほど広がってはいないはずだよ」  そのぐらいは結城さんも分かってるはずだけど、と「希望的観測ではないか」との疑念を心の片隅に抱きつつ修は考える。  彼もまたN組の生徒であり、当然宮子の勝利と二人の和解が今一番の関心事なのだ。  大振りのハイキックに意識を集中させ、実際はその流れのまま裏拳の動きで延ばされた腕が本命。  直の動きを読み切った宮子は左腕をつかみ取ろうと延ばされた腕を容易く払い落とす。  表情にこそ表れないが、直はかなり戸惑っている。宮子にはその辺りの機微が手に取るように分かっていた。 (ここまでは予想通りね)  憧れを原動力に、その戦いをずっと見続けてきた。その時間の長さでは誰にも負けはしない。いや、 (『観』る密度と時間を掛け合わせた合計ならナオよりも上だ)  それは、宮子が心に秘めた誇りだった。  自分自身にも突然の決闘だったが、だから、自分の身体が予測について行けたなら十分に渡りあえるというそれなりの自信はあった。  当然、それだけで勝てるとは思っていない。  だから、その後のことも一日かけて練り続けてきた。  しかし、ほんの僅かに躊躇いがある。正直、この先に進むのが、 (怖い) 「…本当に大丈夫?」  決闘に巻き込むことになる紫穏にだけは、あらかじめ考えてある作戦の全てを曝け出していた。それゆえの的確な労りの声。  だが、それが決断の最後の一押しとなった。 「……はい…!」 (なるほど)  動きが読まれているのだ、とようやく得心がいった思いだった。むしろ直にとってはミヤなら当然か、という思いですらある。  とはいえ必ずしもそれだけが勝負の決定的な要因ではない。なんだかんだいっても現に今主導権を握ってるのは直の方だ。  問題となるのは向こうの切り札、〈ペインブースト〉を紫穏の異能により増幅した一撃ぐらいだと直は考える。まともに食らえば即気絶してもおかしくない、醒徒会の力を借りているだけに紛れもない必殺技だ。だが発動のためには掌でしっかりと対象に触れる必要があるという特徴を直はしっかりと把握している。 (今の速さでも警戒していれば十分に凌ぎきれる)  特に戦法を変える必要はないと直は判断した。 「やっ!?」  鋭い前蹴りをサイドステップでかわした宮子の身体が壁にぶつかって小さくはねた。  ここで経験値の低さが出たか、そう思うと同時に直の身体は動き始めている。  一瞬無防備になった宮子までの距離は大きく手を伸ばしても届くかどうか微妙なものだった。だが、こんな戦いを長々と続ける気は毛頭ない直にとってこの好機を逃すという選択肢はなかった。  ぎりぎりまで伸ばされた右腕が宮子の左腕を掴む。宮子はそれに逆らうように軽く腕を引いた。  伸び切った腕は本来の力を発揮することができず、結果として直の腕をロープとする綱引きのような一瞬の均衡が生まれる。  振り払おうとしない不自然さに直が違和感を感じる間もあらばこそ、体を入れ替え直の方に向き直った宮子は既に攻撃態勢に入っていた。  決着を急いでいたことも、届くかどうか微妙なら突っ込んでみるという傾向も、増幅〈ペインブースト〉が切り札と判断していたことも、 (全部読み切った上での罠か)  そして、きつく握り締められ高々と掲げられた宮子の拳が振り下ろされた。 「!!」  瞬間、突き飛ばされるように修は二人に向け走りだしていた。 「ドクターストップ!ドクターストップ!」  両腕を振り回しながら今まで聞いたことのない大声で叫び続ける彼の姿にクラスメートたちは面食らっていたが、すぐにその表情が凍りつく。  お互いに飛びずさり距離が離れたことで彼らの前に露になった直の右腕は、肘の少し先であらぬ方向へ曲がっていたのだ。 (分かっていたとはいえ)  さすがにきつい光景だねー、と痛みに唇を噛む直を見下ろしながら紫穏は思う。  ラルヴァとの遭遇率が日本で一番高いこの双葉区では、応急手当のセットを持ち歩いている人は意外と多い。  特に修はもしもの時に備えて個人レベルで持ち出せる品をありったけ持ち込んでいたので、応急手当は順調に進んでいた。  添え木を当て、慎重に右腕を固定する。 「これでひとまずは。でも応急手当だとこれ以上は無理だね。結城さん…」 「どういうことなのかな、それ?」  直が苦笑と共に修の言葉を遮る。 「戦闘中に相手に助けを求めるなんて、間が抜けすぎている」 「これはあくまで戦闘じゃなくて決闘だし、それに偶発的な事故なんだから仕方がないよ」 「違う」  吐息と共にぽつりとこぼす直。 「これでも、偶然腕を折られるような柔なつくりはしていないよ」  それだけ告げると、直は顔をしかめながら修に背を向けるように立ち上がる。  その背は無言に拒絶の意を示していた。 (異能者の戦いってこういうものなのか…?)  異能を持たぬ修には想像の届かない領域だった。続けるべきか止めさせるべきか、そこが不確定要素となり判断の機を逸してしまう。  再び対峙する二人。と、先程の一撃からずっと沈黙を貫いていた宮子が口を開いた。 「ここまでやっても一言もなし、かぁ…」 「?」 「あの時もそう。ナオにとって私はもう怒るほどの価値もない人間なのね」 「違う!」  その言葉は、自分の腕を折った一撃よりも強く直を打ちのめした。 「ナオは優しすぎるよ!自分の本音を塗りこめて私に合わせてくれる。でもね、あの時『親友以上の親友になろう』って言ってくれたじゃない!それなのにこんなのおかしいよ…」  勢いよく叫びだした宮子の声は見る見るうちに萎んでいく。 「ナオって優しすぎて、だから残酷…」  しゃくりあげるような声をあげ、悲しみに歪む宮子の顔が両腕に覆われる。 (こんなはずじゃなかったのに)  そう直は思う。出会った時から今まで、この少女を悲しませようと思ったことなど一度も無い。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう? 「ねえ、話を聞いてくれないかな…」 「もう嫌!聞きたくない!同情なんかいらない!」  「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」。「嫌い」ならまだという希望があったが、それを通り越して「無関心」だったと思い知らされた宮子からは心の平衡をギリギリのところで保っていた箍が消えうせてしまっていた。  直はまだ話しかけ続けているが、宮子は無意識のうちに情報のオーヴァーフローを防ごうと両手で耳をふさいでしまう。  小さな世界に引きこもろうとした宮子だったが、その扉が強引にこじ開けられる。 「やだ!やめて!」  紫穏に無理やり手を耳から引き剥がされた宮子は全力で暴れるが、紫穏の腕は鋼のようにびくともしない。 「結城さん、人にこうして欲しかったってなじるのなら、まずは自分が相手のして欲しいことに応えてあげないと」  なぜか、その声は千々に乱れる宮子の心にするりと入り込んだ。 「して欲しいこと…?」 「そ。話くらいは聞いてあげようよ」 「ねえ。昨日ミヤに私がやめるなんて認めないって言われた時、本当はとても嬉しかったんだ」  宮子が少し落ち着いたのを見、直は静かに語りだした。 「じゃあ何で決闘受けるって言ったのよ」 「私がミヤのことを考えていたつもりで、実は勝手な像を押し付けていただけだったって気付いた…いや、気付かせてもらったから。だから自分の手でどうにかしたかった。勝ってからちゃんと謝るつもりだったんだ」 「なによそれ、訳分かんない」  ぷい、と顔をそらす宮子。直は耳はこちらに向けてくれているんだと思い、話を続ける。 「そうだね。いつもそうだ。私は他の人が何を考えているのか、そういう普通なら分かることが時々分からなくなる。ミヤは私のことを強いって言うけど、全然そんなことなんてない。なにしろ、ミヤがそんなに苦しんでいたのに気づいてあげることもできなかった」  静かにうなだれる直の姿を横目でちらりと見る宮子。一瞥だけのつもりだったのに、何故か吸い寄せられるように目が離せない。 (そうだ、あれは…)  私だ。格好は全く違うのに、そこには悩んでいる自分の姿にそっくりな空気があったのだ。  彼女もまた、自分の思う像と違う姿を望まれて悩んでいた。それをしたのは誰? 「最低だ、私…」  ナオが自分のことを自分が望むような姿で見てくれないと怒りを振りかざしてたのに、その実同じことをナオにしていた。  しかも自分では「対等な存在になりたい」って嘯いておいて。 「ごめんなさい、ナオ。私、あなたのそばにいる資格なんてない」  宮子は一瞬の隙をついて紫穏の腕を振りほどき、背を向けて逃げ出した。 「行かないで…行くな!」  必死の叫びが宮子を貫き、そのまま地面に縫いとめる。 「ナオ…」 「お互い間違ってたのなら、これで対等だよ。だから、これからまた一緒にやっていけるんじゃないかな。随分と遅れてしまったけど、今からまた『親友以上の親友』を目指してみようよ?」 「でも…私、もう自分のことが…」 「もし私のことをどう思っていても、もし自分のことが嫌いでも、私にとって最高のパートナーは君だけだよ。…いや、パートナーというのも関係ない、ただ一緒に帰りながら買い食いしたり、一緒に商店街をぶらついて時間を潰したり、それに…うん、ただ、君にそばにいて欲しいんだ」  口ごもりながら、戸惑いながら切々と喋る直。その姿に、宮子の心の混乱が少しづつ解きほぐされていく。 (確かにナオは太陽なんかじゃなかった)  ずぼらで寝坊も多いただの背の高い少女。だが、あの時感じた光は決して気のせいなんかじゃない。  等身大の、光持つ少女。だからこそ、宮子はその言葉を受け入れることができた気がした。  宮子はゆっくりとした足取りで直のほうに戻っていく。  正直、心残りが無いわけではない。 (でも、これ以上迷惑かけるわけには…) 「なーに言ってるんだか」  言葉と同時に背にかかる重み。紫穏が再び背におぶさってきたのだ。 「アタシのことなんて気にしなくていいからどーんとやっちゃいなよ、どーんと」  その言葉に背を押され、宮子は決意と共に再び直の前に立った。 「ナオの本音、とても嬉しかった。でもやっぱり私は弱い人間だから…」  拳を強く握り締め、潤んだ瞳で直を見上げながら一呼吸置き、宮子は決然と告げた。 「…だから、信じさせて」  何でもするよ、と小さく頷く直。宮子も同じように頷きかえす。 「もうこんな機会なんて二度とないから…だから今だけ、本当の本気で私と戦ってほしいの」  直は「危険だ」と制止しようとする言葉を慌てて飲み込んだ。そうやって先回りした言動で考えを尊重しなかったことがどれだけ彼女を傷つけてきたのか、 (思い知らされたばかりだというのにね)  身についた習い性が腹立たしい。だが、今すべきことは、と直は意識を目の前の大事な友人に戻す。 「今回だけだよ。私だってミヤを殴るのはとても…とても辛いから」 「うん、わかってる」  直は目を閉じ、二三度深呼吸をした。深呼吸が終わった直は軽く力を抜き、再び目を開く。  例えるなら暖房の効いた部屋から急に冬空に放り出されたような、そんな寒気が宮子を襲った。 「今ならごめんなさいしたらきっと許してくれるよ?」  本気になった直の放つ気迫をものともしない紫穏のそんな軽い口調は、むしろ宮子を奮い立たせる効果を示した。 「いえ…やります…!」  瞬間、直の姿が宮子の視界からかき消える。  更にスピードを上げたのだ、と宮子が認識した時には既に直は間合いに踏み込んでいる。  宮子に背を見せた姿勢から放たれる、まるで砲弾のような後ろ回し蹴り。  宮子はそれを両腕でかろうじて受け流した。だが、攻撃はそれで終わりではない。  直は〈ワールウィンド〉の力で空中を駆け上がりつつ、中段の蹴り、膝、手刀と途切れなく攻撃を叩き込む。  だがそのことごとくが宮子により的確に凌がれた。直はその受けの動きを利用し宮子の頭より上の高さまで達する。  見上げる宮子が見据える中、手品のような鮮やかな動きで直の体の向きが入れ替わった。  その体勢のままに、鉄槌のような踵落しが降ってくる。  一瞬反応が遅れた宮子だったが、何とか両手を交差させて受け止める。そのまま直の足をつかもうとするがするりと抜け出され、直は宙返りして少し距離をとって着地した。 「……」 「やば、ちょっと見蕩れてた」 「…あの、勝手にアフレコしないでください」  すぐ目の前で殴り合いが展開されているのに余裕綽々で口調を真似てからかってくる紫穏に、宮子はただただ呆れるばかりだった。 (まあ、本当に余裕だからなんだろうけど)  いざとなったら二人まとめて制圧することも容易いのだろう。醒徒会というのはそういうものだ。  まあ、だからこそこっちも遠慮なしにやり合えるんだけど。宮子はそうポジティブにとらえることにした。 (それにしても)  まさか読心能力も持ってるなんて言わないわよね。ほぼ正鵠を得ていたさっきのアフレコと彼女の言動を思い返し、宮子はそう心中でぼやいた。 「なるほど、そうきたか」  修は思わずそう感嘆の声を上げていた。  左右がふさがれているのなら開いている上に動きの活路を求めればいい。言葉にすれば簡単だが普通の人間には思いつかない思考である。 (これが異能者の思考なのか) 「これ、一体どうなるんだ…」  純然とした決闘から殺し合いに近い方向に針が動いた目の前の戦い。その様にほとんどの生徒は気圧されていた。 「加賀杜さんもいるし大丈夫さ」  そうだ、醒徒会がいるんだったとやや落ち着く生徒たち。 「それにしてもよくあの動きについていけるなあ」 「やっぱり片腕が使えないのは大きいね。どうしても攻撃パターンも限られてくるし攻撃の速度も落ちる。それに加賀杜さんの異能で底上げされてるとはいえ、結城さんもなかなかに思い切りがいい」 (確かに。ここまで強いとは思いもしなかった)  風の流れが運んできた修の言葉に心の中で頷く直。一番の親友だと言い聞かせてもなお、とことんまでやりあいたいという欲望がふつふつと湧きあがる。 (我ながら業の深い…)  だが、直は同時にもう少しだけならその欲望に付き合ってもいいとも思っていた。  自分のことを誰よりも深く知っており、なおかつ今は自分についてくるだけの身体能力も持っている。めったにいない強敵だ。しかも最強たる醒徒会の一角がいざという時のフォローに入ってくれるのだから(自分から首を突っ込んだのだ、このくらいは働くべきだろう)、こちらとしても遠慮の必要はない。 (本当に業の深いものだね) 「…じゃあ結城さんが勝てるってこと?」 「いや、それはどうだろう?」  修は慎重に否定した。 「皆槻君は今リーチを生かした戦法をとっている。結城さんの間合いの外から決して深入りしないように攻撃を繰り返しているんだ。有効打を与えるのは難しいけど、やられる方からしたら自分の戦いをさせてもらえないからたまったもんじゃないよ」  話を聞いた生徒たちは百九十cm近い身長の修と自分がもし戦ったらと想像し、 (確かにたまったもんじゃない)  と深く頷いた。 (まったく、えげつないわね)  直の間合いで戦わされている現状に、宮子は内心強い焦りを抱いていた。  人一人背負っている分、長期戦となるとどうしてもこちらが息切れしてしまう。  派手さには欠けるが、最善の確実さを持つ戦法。それは直が本気で勝利を希求しているからだ。  完璧に防ぎきってなお、ガードの上からダメージと痛みが蓄積していく状況ではあったが、直のその姿に宮子は確かに幸せを感じていた。 「あ…!」 「どうしたの?」  心配げに問いかける紫穏に宮子は慌てて弁解する。 「あ、いや、なんでもないです」  宮子は気付いてしまった。こんな痛い目にあいながらなぜ必要もない決闘の継続を望んだのか。 (私、ナオに本気でぶつかってもらえる敵が羨ましかったんだ…)  あまりといえばあんまりな理由に、宮子の頬が軽く朱に染まる。  恥ずかしすぎて誰にも言えやしない。これは胸に秘めて墓場まで持っていく必要があるだろう。  だが、それが分かったことでむしろ開き直れる気がした。 「加賀杜さん、今の私って頑丈さも強化されてます?」  小声で尋ねる宮子。それだけでその意味を察した紫穏はにやりと笑って一言、 「いぐざくとりー」  と後押しする。  「よし」と覚悟を決め、宮子はじりじりと直との間合いをつめる。  鋭い蹴りを体を沈めて潜り抜け、その動きのままで宮子はしゃがみこむように直の懐にもぐりこんだ。  ここを狙われればよけることも受け流すことも出来ない捨て身の動きだったが、それゆえに意表をつくことが出来た。  直に反応する間を与えず、宮子はそのまま立ち上がる動きを力に乗せ拳を放つ。  鈍い衝撃。宮子のショートアッパーは狙い通り直の顎を捉えていた。体に伝わる反作用の衝撃。それと同じだけの衝撃が宮子の心を揺らした。  親友を本気で殴ったのが辛いという気持ちと、引け目を乗り越え親友に届くところまで来たことが嬉しいという気持ち。二つが混ざり合ったなんとも言いがたい感情が宮子をかき乱す。 (…あれ?)  そうして一瞬よりもなお僅かな時間が過ぎ、一撃で吹っ飛ぶ直の姿に宮子はどこか違和感を感じた。  いくら増幅されているとはいえこうも綺麗に吹き飛ぶはずが無い。違和感の正体に気づいた時には既に遅く、宮子のアッパーの勢いに逆に乗り、〈ワールウィンド〉の力でそれを更に加速することで力を得たカウンターの蹴りが宮子のがら空きの脇腹に直撃した。  痛みが視界を白く染め上げる。 (攻撃を貰うのは想定内…)  宮子は呪文のようにそう繰り返し、歯を食いしばってこらえる。  やがて視界がゆっくりとクリアになっていく。そこでは直が首を振りながらゆっくりと立ち上がろうとしていた。 (体力が増幅されてたからこれくらいで済んだ。それに) 「重しが無かったら吹き飛ばされてたわね」 「重し言うな」  紫穏の突っ込みが宮子の意識を更にクリアにする。 「まったく」  と宮子は苦笑いを浮かべ直に語りかけた。 「漫画とかじゃ殴り合ったら仲良くなれるっていうのがお約束だけど、実際やってみたら疲れるわ痛いわでたまったもんじゃないわ。こんなの、もう二度と、真っ平ごめん!」 「当たり前だよ。というか続けろといったのはミヤの方じゃないか」 「あー、そうだったわね。でも、まあやってみなけりゃ無駄って分からなかったし、そういう意味では無駄じゃなかったのかな」 「…まだ、続ける?」  わだかまりなど、既に消えてなくなっていた。一撃を与えたことで面倒なこだわりも満たすことができた。 (本当に、もう、真っ平ごめんよ…) 「ううん。ナオが本気で向き合ってくれたから。私、もうナオのこと疑わない」  小さく首を振ると、澄んだ表情で宮子は自分のリボンをほどいた。  ほっとした空気に包まれる修とギャラリー。と、宮子の背から降りた紫穏が宮子の手からリボンを奪い取る。 「ちょ、ま、加賀杜さん!」 「もうこの際だから後に残さないよう洗いざらい言った方がいいと思うよー」 「わかった、わかりました。私から言いますから」  宮子は慌てて紫穏からリボンを奪い返すと直のほうに向けて広げた。 「え?」  そのリボンには「ハズレ」と刺繍されていた。 「でも、最初はこんなもの無かったはず…だよね」 「ナオに渡した後に一瞬私から注意が外れた時があったでしょ。そのときにすり替えておいたの」  ポケットから本物のリボンを出しながらそう説明する宮子。ああ、と一同が大きく頷いた。 「腕を折ったのもそう、たとえ嫌われてたとしてもナオを私の元に縛り付けておきたかった。しっかり話し合って仲直りするべきだったのに…。私が弱いからナオにも、周りの人にも迷惑をかけちゃった。ごめんなさい。ごめんなさい…」  涙を滲ませながら謝り続ける宮子に直はかぶりを振って声をかける。 「いや、悪いのは私のほうだよ。ミヤのことをちゃんと見てあげることができなくて、ずっと傷つけ続けてきた。それにむしろ酷いことを言った私をそれでも見捨てなかったその気持ちが嬉しかったんだよ。だからお願い、頭を上げて」 「ううん、それでもまだ私のほうが悪いよ。だから私は罰を受けないと…」 「それっておかしくない?」  紫穏の声は今までとうって変わって冷静な口調だった。 「結城さんが言ってるのは自分で自分が許せないから許されるための免罪符が欲しいだけにしか聞こえないな」 「う…」 「紫穏」  静かに食って掛かる直を穏やかな一瞥で黙らせ、紫穏は話を続けた。 「あえて今回の関係者代表として言わせてもらえば、罰というならその後悔をずっと抱えて二度とこんなことを繰り返さないようにするってのがいいと思うけど、誰か異論ある人いる?」  無論、誰からも異論の声は上がらなかった。 「辛いかもしれないけど、これも責任の取り方の一つよ」 「…はい、分かりました」  うなだれる宮子に柔らかな声が降りそそぐ。 「ねえ、ミヤ。紫穏はああ言ったけど私としては元に戻れれば別にそれでいいんだ」  そう言って直は宮子に折れた腕を差し出した。 「いつもどおり君の異能で治して。仲直りもできて腕も治ってみんな元通り。それでいいじゃない」 「ナオ…」  熱い思いが噴火のように湧き出してくる。 「やっぱりナオは優しくて残酷…。その上いつもは単純明快なキャラなのにこんな時だけずるいし…」  そう言うと、宮子は崩れ落ちるように直に抱きついた。 「でも、それでも、ナオのこと嫌いになんかなれない、なれないよぅ…!」  直に取りすがって泣きじゃくる宮子。その髪を、直は愛しげに撫で続けた。 「うん、私もそうだよ…。ミヤのこと、嫌いになんてなれない…」  それからしばらくの時が過ぎ、ようやく落ち着いた宮子は自分が人前でどんなことを言ったのかようやく思い出し、真っ赤になって直の背中に隠れるようにしゃがみこんでいた。  直の方は別にそういうことは気にならないようで、穏やかな目でそんな宮子の姿を見続けている。 「そ、そういや、言ってくれたらよかったのに」 「?何が?」  黙り続けているのにも耐えられなくなったのか、宮子はぎこちない口調で直に話しかけた。 「ほら、ナオが私と遠野先輩がデートしてるって誤解したって話。あの時直接私に問いただしてればこんな大事になってみんなに迷惑かけること無かったのにね。…でも、ずっと半泣きの私の姿見て何でデートしてるって思うかなあ、ナオは」 「え?でも紫穏はそんなこと一言も」 「ちょ、ま、にゃー!」 「「「にゃー?」」」  一同の疑問の声がハモる。直は大きくため息をつき紫穏に文句を言った。 「だからそのあだ名はやめてって何度も言ってるじゃないか」 「あだ名?というか知り合いだったの?」 「知り合いっていっても向こうは醒徒会で忙しいからたまに会う程度だけどね」 「そそ、にゃーは可愛げが足りないからねー。なお→にゃお→にゃーって感じであだ名付けてみました」 「気持ちは嬉しいけど私には合わないって、絶対」  N組勢一同、いつものきつい目つきの直が猫耳をつけて招き手で「にゃー」といっている姿を幻視した。 (似合わねー!) (…いや、意外とありかも) 「やっぱ猫より犬よねー」  微妙にずれた理論で笑いながら直の言葉を肯定する宮子。紫穏も「絶対似合うと思うけどなー」と大笑いする。  直も苦笑を浮かべ、それにつられて修やギャラリーも笑い出す。  公園全体が穏やかな空気に包まれようとしていた。 「で」  だが、宮子がただの一言でその空気を瞬時に消し去ってしまう。 「どういうことか説明してもらえませんか、加賀杜さん?」  微笑みながら問いかける宮子。だが、その表情と本心が一致していると考える人間は誰一人いなかった。 「あ、ははは」  視線を彷徨わせ続ける紫穏。だが、やがて意を決したのか宮子の方に向き直った。 「ちょっとしたジョークのつもりがこんなことになってしまった。今では反省している」  きりっとした表情でそう告げると、紫穏は脱兎のごとく走り去っていく。 「あ、待て!追いかけるわよ、ナオ」  と走り出そうとした宮子だったが、直にその袖を引きとめられる。 「駄目だよ」 「え?」 「紫穏は悪くない。一番悪いのが私で、次がミヤ。…あ、よくよく考えてみたら紫穏もちょっと悪いと思う。でも、私たちに私たちのために頑張ってくれた紫穏のことを責める資格はないよ」  そう言って直は宮子をじっと見つめる。数秒ほどそうやって見つめ続けていたが、やがて根負けした宮子が肩を落とした。 「わかった。直の言う通りね。でも、一番悪いのは私よ」 「だから私だって」 「私」 「いや、私」 「…本当にナオは頑固ね」 「ミヤには言われたくないよ」 「「…むぅ」」  今度は睨み合いを始める二人。 「おーい、委員長。またおっぱじめやがったぜ…ってあれ?」  風向きが変わったのを見て取った生徒が修が居た方を向くが、そこには誰もいない。 「あ、あそこ」  女生徒が指差した先では修がゆっくりと立ち去りつつあった。 「委員長ー!」  生徒たちが大声で呼びかけると修はゆっくりと振り向き、 「…もういいだろう?」  と心底からの疲れを滲ませる口調で答え、そのままとぼとぼと去っていく。 「…それもそうか」 「一生やってろ」  と生徒たちも口々に呟きつつ足早に帰っていく。 「こうなったら徹底的に話し合った方がいいようね」 「望むところだよ」  そして、一週間ぶりの台風一過という感の晴れやかな笑顔で口喧嘩を続ける二人だけがこの場に残されたのだった。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品保管庫に戻る>投稿作品のまとめ]]

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