「【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第最終回「天国編」5】」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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「ほう?」
零次は声を上げる。
全員が、形をまだ保っていた。
「些か驚いたな。あのタイミングで相殺したか――」
無傷である皆槻直が、攻撃に使うはずだった全力の空気噴射を迎撃・防御に転化。
孝和が、敬が、練り上げた気を盾に。
そして皆、全ての力を回避と防御に費やし――何とか、耐えることが出来た。
だが、耐えられただけだ。否、死ななかっただけだ。
全員が全員、倒れている。息はあるものの、動けない。
だが――
「……まだ立つか」
立ち上がる。
時坂祥吾は、立ち上がる。
「ずっと……時がとまればいいと思っていた」
熱に浮されたに、祥吾は言う。
泣き言ではない。それは泣き言でも、現実逃避の言葉でもない。
ボロボロの身体で、それでも前を見て。
「時間は戻らない。失ったものも、亡くした人も、出来なかった事も……覆すことなんて出来ないんだ。
でも、だったらせめて。
二度と取りこぼすことの無いように、時が止まればいいと思っていた――」
「だが今のお前に、メフィストフェレスは存在しない。 ただの贋作に頼るしかないお前には――何も出来ぬよ」
「ああ、そうかもしれないな。永劫機は無く、ここにあるのは人の造った悪魔の更なる模造品……だけど!
それでもここにある……そうだ、あいつが本当に死んでしまったのなら……俺は、そもそも生きていない」
それは矛盾。
そう、かつて時坂祥吾は自身の時間を、「時間が尽き果てる運命」にあった妹に譲り渡した。
本来はその時点で死んでいるはずだったが――メフィストフェレスにより、死の一歩手前、死に至る直前でその生命の時間は停止させられている。
そう、無限の永劫回帰の中で、時間と魂源力を喰らい続けた零次と違い――祥吾には時間はないはずなのだ。
メフィストフェレスが本当に滅び去ってしまったならば――祥吾はあの時に、メフィストフェレスが倒れたときに死んでいる。
なのに生きている、この矛盾。
それが指し示す答えは――簡単な、そう、とても簡単なたったひとつだ。
「体を失っても、あいつの心は、存在は俺とともに在る。
それは本当に当たり前のことだ。今まで、共に生きてきた。
それに……本当に単純な事を、俺もお前も、みんなも忘れてる。
人造とはいえ……あいつは、悪魔だ。
悪魔が、ただ肉体を失っただけで……死ぬと思うか?」
その程度で。
一度死んだ、たったその程度で――あの悪魔が。
いなくなるはずが、ないんだ。
悪魔とは、地獄にいる怪物だ。人の悪性だ。欲望の具現だ。
人間が死に絶えでもしない限り、滅びることがあるはずがない。
祥吾が死んでしまわない限り――あのメフィストフェレスが滅びることがあるはずがない!
彼女はかつて言った。
“貴方が望むなら、伴侶のように、召使のように、奴隷のように仕えましょう――”
ならば望もう。再び此処に。
死んだ程度でそれを反故にされてたまるか。
一度約束したのなら、最後まで一緒にいろってんだ!
死が二人を別とうとも――そんなこと、知ったことじゃない!
「だから今こそ呼び戻す。この誓約の言葉と共に」
――我が地上の日々の痕跡は――
最初の出会いは偶然だった。
拒絶し、理不尽に怒りもした。
――永遠に滅びはしない――
彼女の孤独を知った。
磨耗したその人ならぬ心を知った。
――その幸せの予感のうちに――
その笑顔を見た。
この世界で生きて欲しいと、いつしか願うようになった。
ただの従順な自動人形のはずが、気づけば煩わしいほどに人間臭くなっていた。
――今味わおうぞ、この至高の瞬間を――
口うるさく自分達の生活に口を出し、財布の紐まで握り、世話女房気取り。
勝手に昔のノートを発掘し、指差して大爆笑するほどまでになっていた。
ものすごく腹立たしく、恨めしい。
そしてそんな日々が、とても輝かしく思う。
だから。
だから今こそ――この言葉を言おう。
――時よ止まれ――お前は――かくも美しい!
力ある言葉が此処に紡がれる。
絶対時間の矛盾すら押し通して。
顕現する。
流れるような、夜闇を思わせる漆黒の髪。
透き通るような白い肌。
ウロボロスファントムを喰らい、自らの存在へと変換し、その少女は此処に再び現れる。
愛すべからざる光の君。ファウストの悪魔。
――メフィストフェレス。
「祥吾さん」
「メフィ」
交わす言葉は少ない。
互いの名前だけ。
今はそれで充分だ。充分すぎる。
やるべき事など理解している。
だから。
「顕現せよ――!」
黄金懐中時計は手の中に。
輝きを再び取り戻し、否――永劫に輝き続け、もはやその光を失うことはないと確信できる。
それを、力強く握り締める。
解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。
それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――
その輝きを、眼に、魂に焼き付ける。
「永劫機……」
力が、爆現する。
全長3メートルの巨体。
チクタクチクタクと刻まれる黒きクロームの巨躯。
黒く染まる闇色の中、黄金のラインが赤く脈打つ。
各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。
背中からは巨大な尻尾。
頭部にせり出す二本の角、全体の鋭角的なシルエットからはまさしく竜を連想させる。
それはモデルとなった悪魔――地獄の大公の姿ゆえか。
強く、烈しく、美しい。
心からそう思える。確信する。我が相棒、我が伴侶、我が力の形。
これこそが、永劫を求めて創り出された、叡知の結晶。
時計仕掛かけの悪魔――
「――メフィストフェレス! 」
「馬鹿、な――」
その光景を、零次はただ見ていた。
見ていることしかできなかった。
ありえない。ありえない!
死んだはずだ。彼女は確かに散って逝った!
あの時と同じように!
私を守って逝った、あの時と同じく――なのに何故このような奇跡が起きる!
「時逆零次」
祥吾は、いつかの自分の姿を呼ぶ。
「時坂祥吾……!」
零次は、かつての自分の姿を見据える。
「確かにお前は強い。最強だよ、永劫とも言える回帰を繰り返し、魂源力を高めてきた。
俺では絶対に、お前に勝てないだろうな」
「その通りだ、認めたな、勝てないと!」
「ああ、俺じゃ勝てない。だけど――だからと言って、それが! 勝てない程度の、たったそれっぽっちが! それがどうした!!
不思議と負ける気がまったくしねえよ。なぜなら、お前はどうしょうもなく独りだ!」
どれだけ力を得たって。
どれだけ玩具の兵隊を指揮したって。
どうしょうもなく孤独な……ただそれだけだ。
ただ一人我を張って戦う、ああそりゃ確かにものすごいさ。そう言ってしまえば成る程ものすごくかっこよくて、まるで英雄だ。
だけどそれは――拒絶して強がってるだけだ。
誰かと触れ合う事を怖れ。
触れ合った誰かを失うことを怖れて。
よく判る。すごくわかる。だって、確かにかつての自分もそうだったから。
独りは楽だよな。失うものがなにもない。
独りは楽だよな。自分の時間が好きなように使える。
独りは楽だよな。何も考えずに生きていられる。
それは――ある意味確かに、本当に強い。孤高の強さ、何も失うものが無い強さだ。
だけど、もう……それには、戻れない。
祥吾にはもう、そのような一本の通った強さは得られない。
知ってしまったから。
他人のぬくもりを。触れ合う事の、手を取り合うことの意味を。あたたかさを。
そして、弱くなってしまった。
だが――それを後悔などしない。できない。するつもりもない。
誇っているから。その脆弱さを。
「お前が忘れた力がある。お前が捨てた力がある!」
「何処にある!」
「此処だ……!」
零次の問いに、祥吾は自らの胸を指差す。
「此処にある。
俺は、俺達は、決して独りじゃない!
ひとたび結んだ絆は、捨ててしまわない限り、永遠だ!」
仲間達が立ち上がる。
そうだ、誰一人――諦めてなんか、いない。
心が折れたら、互いに繋げばいい。
身体が折れたら、支えあえばいい。
そうやって――戦って来たんだ。
今までも、そしてこれからも。
戦いの中で知り合った仲間。手を取り合った友。
そして、まだ見ぬ見知らぬ誰かとも。
全ては繋がっている。
それが答えだ。
辿り着いた真実だ!
「そうだ……」
「お前のやってることはただの現実逃避だ……!」
「ゲームで負けたからって電源引っこ抜いてリセットするのと、変わらない」
「何その……子供の駄々は」
「負けるかよ」
「俺達が……!」
「私達が……!」
「みんなが……!」
「お前みたいな奴に……! 負けて、たまるか!」
「俺たちは、独りじゃない――! 俺たちは、ひとつなんだ!」
響きあう。
反響する。
心が。意思が。想いが。意志が。魂が!
高めあう。力を、魂源力を高めあう。
共振し共感し共鳴し、巨大な力を紡ぎ出していく。
『祥吾さん。力が……!』
永劫機メフィストフェレスから、弾き出されるようにメフィストが実体化する。
「……!?」
強制的に戻された?
いや、違う。
この現象は、そうではない。そんなものではない。
もっと違うものだ。
その先にあるものは――
その奇跡は――
「くだらぬ! 何をしようとしているかは知らぬが――死ね!」
放たれる攻撃。魂源力の光弾が唸りをあげて放出される。
「――!?」
だが、それは祥吾たちに直撃する前に消失する。
虚空に喰われ、消滅したかのように。
「神……無……!?」
そこには、神無の姿があった。
肉体は無い。既に零時に喰われ取り込まれ、クロノスギアの一部と化している。
だが――その心は、魂は、此処にあった。
祥吾たちの所に。仲間の場所に。
『私だけでは――ありません』
神無が振り向いて微笑む。
『ごめんなさい、遅くなりまして……』
いつものように、コーラルが謝罪の言葉を口にする。
『間に合いましたね、ご主人様』
アールマティが、鶴祁に微笑む。
『あの子達の為に……戦います』
葬式に参列するかのようなブラックフォーマルの洋装の少女が立つ。
『よくわからないけど義によって助太刀いたす! って奴です!』
右腕が機械の、眼帯の少女が勢いよく叫ぶ。
集う、幻想的な少女達の姿。
それらは全て――永劫機の意思だ。そこに宿る魂だ。
人に造られし、美しき天使/悪魔たち。
永劫機ツァラトゥストラ。
永劫機メタトロン。
永劫機コーラルアーク。
永劫機アールマティ。
永劫機ロスヴァイセ。
永劫機ウォフ・マナフ。
永劫機アルヴィース。
永劫機エセルドレーダ。
永劫機ベルフェゴール。
永劫機アバドンロード。
永劫機プロセルピナ。
永劫機メフィストフェレス。
十二体の永劫機の力が――否、その意志が、魂が終結する。
力はない。体もない。
だが、その魂は確かに此処にある。
この世界で、主たちと紡いできた想いがある。
この世界で、たったおよそ十年足らず。それでも生きてきた軌跡がる。
それだけは――どんな矛盾と断罪されようとも、消すことなど出来ない。
出来はしないのだ。たとえ神といえども。
故に、再生する。
故に、蘇生する。
故に、復元する。
故に――此処に集結する。
螺旋を描く。
それはまるで遺伝子配列のように。生命の力の象徴であるかのように。
渦を描く。
それはまるで銀河の流れのように。宇宙の力の具現であるかのように。
そしてそれは――今此処に、その形を成す。
カイロスという神がある。
時間の神。時を告げる神。
それを模した、機械仕掛けの神が、ここに今、生誕の刻を迎える。
十二体の永劫機の意思を持つ無敵の神。時刻神カイロス。
それはカイロス時間の具現。速度が変わり繰り返し逆流し止まるを繰り返す、人間の内的な時間。
ギリシア語で「機会(チャンス)」を意味する言葉だ。それの意味する事は一つ。
人の心を反映し、未来を切り開くための、運命を覆す可能性を持つ、無限時刻。
運命に抗い、切り開くための、時を刻む神なる剣。
永劫神剣――カイロスソード。
荘厳にして華麗。豪華にして絢爛。
天衣にして無縫。不朽にして不滅。
一振りの剣が、そこには在った。
その剣を、祥吾は執る。
瞬間、その背後に――巨大な剣が組みあがる。
幾つもの弾機、発条、歯車、螺子が渦を巻き、組みあがっていく。
永劫機の顕現の瞬間と同じように。
いや、それよりも遙かに力強く。
巨大な神剣が顕現する。
祥吾が、手にした剣を振る。
それに合わせて、その動きを模倣し、巨剣もまた唸る。
「だありゃあああっ!」
クロノスギアから放たれた幾つもの腕、鎖、それらを一撃で砕き斬る。
「な――」
一撃、そう一撃だ。
ただ一振りで、クロノスギアの攻撃が弾かれ、腕が吹き飛ばされた。
「馬鹿な、知らぬ……こんな展開など、こんな未来は、私は知らぬ」
呆然とする零次。
こんなことなど、今まで一度たりとも無かった。
そして、予定にも無い。ありはしないのだ、クロノスギア以外の――それを越える永劫機神など!
「お前に……お前などに! そんな力が! あるべくもない!」
「当たり前だ。俺にそんな力はない――だけど!」
そうだ、時坂祥吾は無力。何も出来ない。出来はしない。
今までがそうだったように。
だが――それでも、何かをしようと、死に物狂いで足掻く事は出来る。
今までがそうだったように。
だからこそ、ここにこの結果がある。
この力が、ある。
……今までが、そうだったように!
「俺の力じゃない。俺たちの力だ、明日を望む生命の力だ!」
祥吾の力ではない。
皆の力だ。
とても重くて、一人では持つことすら出来ぬ剣。だが、ここにいる全ての者の力があるから――操れる。
理不尽で残酷な世界に生きながら、それでも決して絶望に染まらず、歩いてきた人々の力。
つらい過去があった。
苦しい現在がある。
だが――いや、だからこそ、未来に希望を託す。
明日を、望むのだ。
「決着をつけるぞ、みんな! 俺たちの力で!」
「おう!」
そして――蛇蝎たちの精神が崩壊する。
その、一歩手前。
刹那の極みにて――
根が、デミウルゴスを貫く。
『な、に――?』
木々が茂る。魂源力を喰らう森が床を踏み砕いて現れる。
木々は、生い茂る葉は、音を吸収すると言われている。
故に、防ぐ。故に、留める。
そして、それは確かに一瞬の薄い壁にすぎぬけれど、確かにそれは効果はあった。
少なくとも、白銀の煌きが、その“声”を殺すための時間を稼ぐ程度には。
飛来するナイフが、クロックワークデミウルゴスの喉を貫く。
偽神は未練の人類総体だ。故に、一撃で確実にその力を殺すことは出来ない。
だが、その力のひとつの局面を一時的にでも押し殺す事ならば、可能。
そして、空間の断裂が、デミウルゴスの機腕を寸断し、次元の彼方へと吹き飛ばす。
『な――』
すぐに再生するだろう。すぐに復元するだろう。
だが、それでも。
その一瞬の時間があれば――
そして、蛇蝎兇次郎は知っていた。予測していた。
耐え切れば、必ず逆転の機が来ることを!
「機は此処だ! 全力全開、一斉攻撃をブチ込めぇええっ!!」
『な――!!』
慌てて迎撃の態勢をとるが、遅い。
化学変化が。モルフォ蝶の燐粉が。腐食性ウィルスが。陰陽術が。
そして、荷電粒子砲が。
一斉に、クロックワーク・デミウルゴスを貫く。
砕く。侵す。破壊する。
その巨体に、今度こそ――絶対の破壊をもたらす。
『莫迦な――コの私ga――神でアRUこノ私が――ありEなゐ……』
ノイズの混ざった声で驚愕と絶望を叫ぶ、クロックワーク・デミウルゴス。
願いは折れ、その機械の体は崩壊へと向かう。
『人の……望みを奪UのKa……! 歴史ヲ靴が絵死体Toいう……弱きふmiに自らレた人々の重いヲO……!』
「やかましいわ、たわけが」
蛇蝎は傲慢に、不遜に。神に向かって言い放つ。
前髪をかきあげ、冷徹に冷酷に、哀れみさえ浮かべて見下ろしながら。
「そんな事は誰も頼んでおらぬ。貴様の惰弱さを、勝手に他人に押し付けるな」
『Aaa――――GA……』
「貴様は神ですらない。ただの這い擦り回る混沌にすぎんわ。
それだから貴様は、負け犬なのだ」
「希望を捨てぬか、勇敢なことよ――! だが!」
クロノスギアが巨大な時計の針を、剣を振るう。
それをカイロスソードは受け止める。
鶴祁の持つ、剣術の技巧で。
直の持つ、豪胆さで。
誠司の持つ、勘と経験則で。
孝和の持つ、気の力で。
その永劫神の圧倒的な剣撃を、受け止め、いなし、払い続ける。
「知らぬのだ!その希望とやらがどれだけ絶望を呼ぶか!」
零次は叫ぶ。
強圧無比な神力の波動で押し潰そうと、その怒りを放つ。
だが。
「んなの知ったこっちゃねぇっすよ!」
敬のサポートのもと、二礼の神殿が完成する。
神を卸すその力。幾多の仲間に守られている今、戦いの只中であろうとも、その儀を完遂するのは容易い。
その力で――神威で、神力の波動を押し返す。
クロノスギアごと弾き飛ばされ、壁へと叩きつけられる。
だがそれでも零次は怯まない。立ち上がる。
「言うつもりか!? どんなにつらく長い夜だろうと、必ず朝が来ると――陳腐な見せ掛けの希望で惑わすか!?
ああ、確かに夜はあけるであろう、朝は来る!」
無数の時計の針が出現する。
その全てが、祥吾たち全員を狙っている。剣山のように串刺しにしようと飛来する。
「だがそうして昇った太陽は再び沈み、そして再び夜の闇が世界を閉ざす!
希望とは! 絶望をより色濃く浮かび上がらせるためのスパイスでしかないと、貴様らはまだ知らぬのだ!」
迫り来る針たち。この数を剣で全て打ち落とすことなど不可能。そして神域の防御も、再び発動するには時間が足りない。
だが。
「っぜぇ……っ! 知るかよンなこたぁっ!!」
真琴が叫ぶ。
その針の全てが――かき消え、そして反転して出現する。
瞬間移動能力。カイロスソードの力で増加されたその力で撃ち帰す。
「うぉ、ここにきて姉さんモードだ」
孝和が喜んだ。
「ぐ……っ!」
針が叩きつけられ、次々と爆発していく。クロノスギアの全身を震わせ、後ろに退かせる。
その機を、祥吾は前進し、カイロスソードを叩きつける。
「ていうか、理屈がちがうだろ。覚えてないのか? もっと昔、俺はいじめられていたよな!
ずっと思ってた。朝なんてこなくていい、ずっと夜の闇に隠れていたい――
それでも、朝は来る、きてしまう!
たとえ望まなくても、朝は来てしまうんだ!」
「それがどうした!」
「どうもしねえ、ただそれだけの――どこにでもあることだ!
そんなくだんねぇことに、いちいち希望だの絶望だの言い訳つけて浸ってんじゃねぇ!」
「くだらぬだと――?」
「ああ、くだんねぇよ! 理屈をつけて、言い訳して、理由を探して、誤魔化して!
そうやって自分を正当化して正義ヅラしてぇだけだろうが!」
目の前の男は言った。
正義の行いだと。世界を滅びから救うと。
ああ、確かに立派だよ。英雄の所業だ。
だけど、だからといってそれが――今を踏み躙っていいのか!
今を生きるみんなを、踏み躙ってそれで英雄気取りか、ふざけるな!
「俺に判るぐらいだ、お前だって判ってんだろうが! それをぐだぐだと――」
「黙れ!」
「何度だろうと言ってやるわよ、こんの分からず屋!」
綾乃の発する炎がカイロスソードに纏われる。
直の放つ風が、その炎を激しく燃やす。
まるで、火炎の竜巻。天上を焦がす劫火だ。
「えらそうにほざいてんじゃねぇ、英雄気取りのクソ野郎! 俺はそういうガラじゃねぇだろうが!!
そんなだからお前は――」
上段からの唐竹割り。鶴祁の持つ剣速が上乗せされ、アールマティの時間加速がそれをさらに激しく躍らせる。
「てめぇの世界ひとつ、救えねえんだ!!」
振り下ろされる炎がクロノスギアを袈裟懸けに切り裂き、そして焼く。
莫大な炎の奔流。魂を焼き尽くす煉獄の炎のように、それは零次の心身を苛む。
「黙れぇえええええええええええええっ!!」
認めぬ。
認められぬ。
認めてしまえば――今までの時間全てが無為に帰してしまうのだ。
世界を救うために。
世界を守るために。
その私が道化だと――英雄狂だと!
消えろ。
消えてしまえ、今度こそ!
我が前から消えるがよい、過去の幻影よ! 我が忌むべき黒歴史!!
「時空爆縮回帰呪法・終焉世界!!」
クロノスギアが奥義を放つ。
絶対の時間を統べるクロノスギアにとって、時空爆縮回帰呪法をこの短期間で再び放つことなど、造作も無いことだ。
それほどまでの、絶対的な力。
炎をかき消し、その破壊の光はカイロスソードへと迸る。
それを、祥吾たちは、
「んなろぉぉぉあああああああああああああああああっ!!」
剣を振りかぶり、正面から受け止める。
「――――――――――――ッ、ガァァァァァ……っ!!」
激しい。烈しい。
崩壊と破壊が皆を襲う。先ほどとは比べ物にならぬほどの圧倒的暴力。
市原の再生力を持ってしても、この破壊の力を正面から受け続けるのは無謀である。
宮子の治癒力を持ってしても、この破壊の力を正面から受け続けるのは無謀である。
ならばどうする。
こちらもまたクロノスレグレシオンを放ち、相殺し打ち勝つしかない。
だが、このエンブリオの時間を支配しているのは、時逆零次。
メフィストフェレスの時間堰止能力は機能しない。
故に撃てない。
故に勝てない。
――本当に、そうだろうか?
思い出せ、時坂祥吾。クロノスレグレシオンの真実を。
あの日。
祥吾の時間を、命の時間を死の直前で止めた日から――どれだけたっている?
そうだ。
クロノスレグレシオンは――時を止めたその反動をぶつける技だ。
ならば。
止まっている時間は――――ここにあるではないか!
「な……に!?」
零次が瞠目する。
何をしようとしているのか、それを理解して。
「貴様……真逆! 自らを時間爆弾として、クロノスレグレシオンを放つ心算か!」
是である。
刹那の綱渡り。
死の直前で時間が止まっている、その時間を動かす。そして再び止める。直前のさらなる寸前。一歩手前から半歩手前へ。刹と那の間を見極める。
そのほんの僅かな極小の時間を開放し――クロノスレグレシオンの起爆剤とする。
自らを、武器へと変えて。
否である。
そのような事は不可能だと理性は訴える。
だが、今――祥吾が手にしている剣は何だ?
重ねて言おう。
カイロス時間とは、速度が変わり繰り返し逆流し止まるを繰り返す、人間の内的な時間である。
その力の具現化たる剣。内的時間、心が全てを決める。
そう、それは例えるなら――死する直前に人が見るという走馬燈(ファンタズマゴリア)。
外的にはほんの一瞬のその瞬間に、今までの人生を振り返る時間の矛盾。
それを引き起こす。意志の力で。
時間を引き延ばす。刹那を無限に。
心の時間。魂の時間。今まで生きてきたその全て。これから起こる未来の全て。
祥吾だけではなく。
祥吾と共に生きてきた者達。これから共に生きるべき人達。
今――此処にいる仲間達の、全ての心の時間を。
思いを。
想いを。
力に変える。
死ぬつもりなど毛頭無い。刹那を見極めるその極限の綱渡りも、失敗する恐怖など無い。
確信する。確信している。
何故なら――時坂祥吾は、独りではないから。
そっと、祥吾の手に触れてくるものがある。
剣を執る手に重なる、白く細い指。
美しい悪魔の指だ。
目と目が合う。頷きあう。それだけで充分。言葉は要らない。
わかる。彼女だけではない。多くの想いが此処にある。傍らに、背中に、まだ見ぬ何処かに、それは確かに在る。
だから、力に変える。全てを。
「うおおおおお――――――!!」
咆哮する。
力がぶつかり合う。
「何故、だ――」
拮抗する。
否。
ゆっくりと、絶対時間が圧されていく。
零次は叫ぶ。声なき声で叫ぶ。
何が足りぬ。
何が足りぬのだ!
あれにあって我にないものとは何だ!
ありえない。
手に入れたのだ、力を。
世界を救うために、無限とも思える永劫回帰を繰り返し。
世界を救うために、あの世界を見捨ててまで!
「――」
見捨てた。
そう、見捨ててしまった。
いや、違う――そうではない! 仕方が無かったのだ!
そうでもしなければ、世界を救えはしない!
矛盾だと、そうだ。それを見過ごさなければどうしようもないのだ。
何かを犠牲にしなければ何も救えはしない。
何かを救うための力を得るには、犠牲が、代償が必要なのだ!
そう、言っていたではないか――――
誰が?
“時計仕掛けの天使をもて、私は更なる力を得る。
その為に、彼女らには尊き犠牲になってもらった……ただそれだけ”
……ああ、それは。
“最初のクソ甘い理想だとか、そんなもんはドブに捨ててきた!!
捨てなきゃ生きることも出来なかった!!
理由? 目的? そんなものはもうない!
あるのはただひとつ、世界を守る――ただそれだけだ!!”
……自分がかつて、命を奪ったひとの言葉だった。
彼は正しかった。正しかったのだ。
だから、自分もその道を選んだ。正しい道なのだ、選ばざるをえない。
だが――
あの時、自分は、その教師の言葉に対し、何を言ったのだろうか?
あの人は――何を思ったのだろうか?
本当に今のこの道が正しいと言うのなら、何故――ここまで邪魔が入る。
何故、ここで躓くのだ。
本当に自分は正しかったのか。
わからない。
わかりようがない。
遠すぎて、もはやわからない。
追憶の彼方の幻は、ただ遠く、ただ眩しすぎて――
時逆零次は、今はもう思い出せない。
時坂祥吾は、今でも覚えている。
初めて時計を手にしたあの日。
無我夢中で、ただ許せなくて。
叫んだあの言葉だけは、忘れない。
「どれだけ現実が重くても。
時の流れに擦り切れて、かつての理想を忘れる日が来たとしても……」
今なら理解できる。
吾妻先生の苦悩、苦痛が。
何度も戦い、辛くも勝利してきたが、けっして楽な道ではなかった。
肉体的にも、精神的にも、つらいことがたくさんあり、きっとあの人は、その何倍も、何十倍も――そんな思いを懐いてきたのだろう。
思えば、なんという子供の夢想をさも偉そうに吐いた事か。
それが難しいことなど、眼前の自分を見れば……笑えるほどに明白だ。
思いは忘れられる。
心は擦り切れ、魂は磨耗し、願いは朽ち果て、祈りは消え去る。
だが。
だけど。
「それが……!」
それでも。
この言葉だけは忘れない。
この言葉だけは曲げない。
今の自分は――まだそれを忘れても、擦り切れてもいないのだ。
だから、屈しない。貫き通す。
たとえ、自分がいつしか擦り切れ朽ち果てる日が来るとしても――その瞬間まで足掻き続ける。
それが、責任だ。それが、義務だ。
あの日あの時、自分で選んだ道だ。
自分がどれほど未熟であろうとも。
だからこそ、貫き通す……!
「何かを諦める理由には、ならない……っ!!」
だから叫ぶ。
裂帛の気合と共に。
そしてそれを、力に換える。
「諦めちゃ、いけないんだぁぁああああああっっっっ!!」
過去から現在までの軌跡を、紡いできた時を力に換え――
未来を望む――――全ての人の想いを、此処に。
クロノスレグレシオン・ファンタズマゴリア
「――時空爆縮回帰呪法・幻燈昇華」
閃光が、エンブリオをゆっくりと砕いていく。
想いは無限。
それが生み出す時間もまた無限。
その刹那にして無限の時が力となり、緩慢にエンブリオを砕き、消滅させていく。
再生はしない。復元もしない。増殖もしない。極限まで引き伸ばされた時間は、それを許さない。
ただゆっくりと、崩壊に向かう。
光の粒となり消えていくその光景はとても幻想的であった。
その中で――零次が笑う。
砕け、消えていく己の身体を自嘲しながら。
「私が――負けるか」
不思議と。
後悔は無かった。絶望も無かった。
何故だろうか?
ああ――それは、きっと。
「また、繰り返すのか」
時坂祥吾は問う。
時逆零次は答える。
「否。それは有り得んよ。我がクロノスギアが敗れた――それは即ち、我が永劫機ツァラトゥストラが破壊されたということだ。
永劫回帰の呪いはツァラトゥストラのシステム。
故に――私はもはや、過去に戻る事など無い。永劫回帰は破却された。
これで、終焉という訳だ」
「……」
「そんな顔をするな。お前は人を殺した訳ではない。
ただ、私という亡霊を還しただけと知るが良い。そう、所詮私は未来の亡霊よ。
幾千幾億と繰り返した、ただの妄執に過ぎぬ――」
零次は目を閉じ、考える。
「嗚呼。世界を救いたかった。この運命を覆したかった。
それこそが、過ちか――長い、長い遠回りだった」
世界を滅ぼしてしまったから、世界を救おうと思った。
それが――過ちだったのか。
世界を滅ぼしたのが過ちではなくて、ただ、救おうと大それたことを考えてしまった、その事が。
自らの罪を消そうとしたことが、過ちだったのか。
起きてしまった事は、覆せない。
無かったことになど、出来ない。
ならば。
ただ、償おうと。背負おうとすればよかっただけだと、気づくのに。
どれだけの遠回りをしてきたのか。
どれだけの時を費やしてしまったのか。
「考えすぎなんだよ。俺たちは、そんなガラじゃねぇだろ」
「確かにそうだ。永らく独りでいるとな、ついつい余計な知恵をつけてしまうものだ。
そして思考の迷宮に惑い――賢しいが故に、最も愚かな道を選び取る。まさに滑稽な英雄狂よ」
「だけど俺には――皆がいる。だから――」
そうはならない、と。
祥吾は静かな確信のもとに、言う。
その迷いの無い顔に、零次はただ苦笑する。
なんとも愚かで、そして眩しいことか。
「なら戦えばよかろう、お前の望むままにな。
しかし、たとえ……この滅びを回避したとしても、世界には嘆きと絶望しか無いぞ?」
エンブリオと永劫機(メフィストフェレス)による時間崩壊。
それは、幾つも存在する滅びの可能性の、たった一局面に過ぎない。
世界崩壊の可能性は無限にあり、今この瞬間にも――何処かの誰かの悪意か、あるいはただの偶然かによって生まれているかもしれない。
「それは、お前がそれしか見なかっただけだ」
「ほう?」
「嘆きと絶望に溢れていても――それで、それ以外の全てが無くなる事なんて無い。俺は知ってる」
自分が絶望した時。
全てを諦めようとした時――
それでも世界はそこにあって、自分を抱きとめてくれた。
みんな、そこにいてくれたんだ。
「世界は――それでも、やさしくて、美しいんだ」
だから。
この幸せを、感じよう。
みんなと過ごしてきたこの時間を。
よきことだけではなかった。
つらいことも苦しいこともあり、寂しくもあれば悲しくもあった。
だがそれとて、思い返せば、笑い飛ばせるものになる。
なぜか? 決まっている。
ひとりじゃない。
祥吾は見回す。
敷神楽鶴祁がいる。米良綾乃がいる。
菅誠司がいる。市原和美がいる。星崎真琴がいる。三浦孝和がいる。
拍手敬がいる。神楽二礼がいる。皆槻直がいる。結城宮子がいる。
このエンブリオの何処かで、他にも戦っている人たちがいる。
蛇蝎兇次郎達や、ヘンシェル達。
地上にも、醒徒会のメンバー、風紀委員達、そして多くの仲間がいる。
友達がいる。家族がいる。
そして――メフィストフェレスがいる。
ひとりじゃないからだ。すくなくとも今は。そしてこれからも。
そう、だから。
愛するものと紡いできた、その瞬間を。
その一瞬を、永遠へと語り継ぐために。
「成る程。つまりそういう事か」
零次は笑う。
「時よ、止まれ――」
お前(せかい)は。
かくも、美しい――――
そして。
全ては、光に包まれた。
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「ほう?」
零次は声を上げる。
全員が、形をまだ保っていた。
「些か驚いたな。あのタイミングで相殺したか――」
無傷である皆槻直が、攻撃に使うはずだった全力の空気噴射を迎撃・防御に転化。
孝和が、敬が、練り上げた気を盾に。
そして皆、全ての力を回避と防御に費やし――何とか、耐えることが出来た。
だが、耐えられただけだ。否、死ななかっただけだ。
全員が全員、倒れている。息はあるものの、動けない。
だが――
「……まだ立つか」
立ち上がる。
時坂祥吾は、立ち上がる。
「ずっと……時がとまればいいと思っていた」
熱に浮されたに、祥吾は言う。
泣き言ではない。それは泣き言でも、現実逃避の言葉でもない。
ボロボロの身体で、それでも前を見て。
「時間は戻らない。失ったものも、亡くした人も、出来なかった事も……覆すことなんて出来ないんだ。
でも、だったらせめて。
二度と取りこぼすことの無いように、時が止まればいいと思っていた――」
「だが今のお前に、メフィストフェレスは存在しない。 ただの贋作に頼るしかないお前には――何も出来ぬよ」
「ああ、そうかもしれないな。永劫機は無く、ここにあるのは人の造った悪魔の更なる模造品……だけど!
それでもここにある……そうだ、あいつが本当に死んでしまったのなら……俺は、そもそも生きていない」
それは矛盾。
そう、かつて時坂祥吾は自身の時間を、「時間が尽き果てる運命」にあった妹に譲り渡した。
本来はその時点で死んでいるはずだったが――メフィストフェレスにより、死の一歩手前、死に至る直前でその生命の時間は停止させられている。
そう、無限の永劫回帰の中で、時間と魂源力を喰らい続けた零次と違い――祥吾には時間はないはずなのだ。
メフィストフェレスが本当に滅び去ってしまったならば――祥吾はあの時に、メフィストフェレスが倒れたときに死んでいる。
なのに生きている、この矛盾。
それが指し示す答えは――簡単な、そう、とても簡単なたったひとつだ。
「体を失っても、あいつの心は、存在は俺とともに在る。
それは本当に当たり前のことだ。今まで、共に生きてきた。
それに……本当に単純な事を、俺もお前も、みんなも忘れてる。
人造とはいえ……あいつは、悪魔だ。
悪魔が、ただ肉体を失っただけで……死ぬと思うか?」
その程度で。
一度死んだ、たったその程度で――あの悪魔が。
いなくなるはずが、ないんだ。
悪魔とは、地獄にいる怪物だ。人の悪性だ。欲望の具現だ。
人間が死に絶えでもしない限り、滅びることがあるはずがない。
祥吾が死んでしまわない限り――あのメフィストフェレスが滅びることがあるはずがない!
彼女はかつて言った。
“貴方が望むなら、伴侶のように、召使のように、奴隷のように仕えましょう――”
ならば望もう。再び此処に。
死んだ程度でそれを反故にされてたまるか。
一度約束したのなら、最後まで一緒にいろってんだ!
死が二人を別とうとも――そんなこと、知ったことじゃない!
「だから今こそ呼び戻す。この誓約の言葉と共に」
――我が地上の日々の痕跡は――
最初の出会いは偶然だった。
拒絶し、理不尽に怒りもした。
――永遠に滅びはしない――
彼女の孤独を知った。
磨耗したその人ならぬ心を知った。
――その幸せの予感のうちに――
その笑顔を見た。
この世界で生きて欲しいと、いつしか願うようになった。
ただの従順な自動人形のはずが、気づけば煩わしいほどに人間臭くなっていた。
――今味わおうぞ、この至高の瞬間を――
口うるさく自分達の生活に口を出し、財布の紐まで握り、世話女房気取り。
勝手に昔のノートを発掘し、指差して大爆笑するほどまでになっていた。
ものすごく腹立たしく、恨めしい。
そしてそんな日々が、とても輝かしく思う。
だから。
だから今こそ――この言葉を言おう。
――時よ止まれ――お前は――かくも美しい!
力ある言葉が此処に紡がれる。
絶対時間の矛盾すら押し通して。
顕現する。
流れるような、夜闇を思わせる漆黒の髪。
透き通るような白い肌。
ウロボロスファントムを喰らい、自らの存在へと変換し、その少女は此処に再び現れる。
愛すべからざる光の君。ファウストの悪魔。
――メフィストフェレス。
「祥吾さん」
「メフィ」
交わす言葉は少ない。
互いの名前だけ。
今はそれで充分だ。充分すぎる。
やるべき事など理解している。
だから。
「顕現せよ――!」
黄金懐中時計は手の中に。
輝きを再び取り戻し、否――永劫に輝き続け、もはやその光を失うことはないと確信できる。
それを、力強く握り締める。
解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。
それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――
その輝きを、眼に、魂に焼き付ける。
「永劫機……」
力が、爆現する。
全長3メートルの巨体。
チクタクチクタクと刻まれる黒きクロームの巨躯。
黒く染まる闇色の中、黄金のラインが赤く脈打つ。
各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。
背中からは巨大な尻尾。
頭部にせり出す二本の角、全体の鋭角的なシルエットからはまさしく竜を連想させる。
それはモデルとなった悪魔――地獄の大公の姿ゆえか。
強く、烈しく、美しい。
心からそう思える。確信する。我が相棒、我が伴侶、我が力の形。
これこそが、永劫を求めて創り出された、叡知の結晶。
時計仕掛かけの悪魔――
「――メフィストフェレス! 」
「馬鹿、な――」
その光景を、零次はただ見ていた。
見ていることしかできなかった。
ありえない。ありえない!
死んだはずだ。彼女は確かに散って逝った!
あの時と同じように!
私を守って逝った、あの時と同じく――なのに何故このような奇跡が起きる!
「時逆零次」
祥吾は、いつかの自分の姿を呼ぶ。
「時坂祥吾……!」
零次は、かつての自分の姿を見据える。
「確かにお前は強い。最強だよ、永劫とも言える回帰を繰り返し、魂源力を高めてきた。
俺では絶対に、お前に勝てないだろうな」
「その通りだ、認めたな、勝てないと!」
「ああ、俺じゃ勝てない。だけど――だからと言って、それが! 勝てない程度の、たったそれっぽっちが! それがどうした!!
不思議と負ける気がまったくしねえよ。なぜなら、お前はどうしょうもなく独りだ!」
どれだけ力を得たって。
どれだけ玩具の兵隊を指揮したって。
どうしょうもなく孤独な……ただそれだけだ。
ただ一人我を張って戦う、ああそりゃ確かにものすごいさ。そう言ってしまえば成る程ものすごくかっこよくて、まるで英雄だ。
だけどそれは――拒絶して強がってるだけだ。
誰かと触れ合う事を怖れ。
触れ合った誰かを失うことを怖れて。
よく判る。すごくわかる。だって、確かにかつての自分もそうだったから。
独りは楽だよな。失うものがなにもない。
独りは楽だよな。自分の時間が好きなように使える。
独りは楽だよな。何も考えずに生きていられる。
それは――ある意味確かに、本当に強い。孤高の強さ、何も失うものが無い強さだ。
だけど、もう……それには、戻れない。
祥吾にはもう、そのような一本の通った強さは得られない。
知ってしまったから。
他人のぬくもりを。触れ合う事の、手を取り合うことの意味を。あたたかさを。
そして、弱くなってしまった。
だが――それを後悔などしない。できない。するつもりもない。
誇っているから。その脆弱さを。
「お前が忘れた力がある。お前が捨てた力がある!」
「何処にある!」
「此処だ……!」
零次の問いに、祥吾は自らの胸を指差す。
「此処にある。
俺は、俺達は、決して独りじゃない!
ひとたび結んだ絆は、捨ててしまわない限り、永遠だ!」
仲間達が立ち上がる。
そうだ、誰一人――諦めてなんか、いない。
心が折れたら、互いに繋げばいい。
身体が折れたら、支えあえばいい。
そうやって――戦って来たんだ。
今までも、そしてこれからも。
戦いの中で知り合った仲間。手を取り合った友。
そして、まだ見ぬ見知らぬ誰かとも。
全ては繋がっている。
それが答えだ。
辿り着いた真実だ!
「そうだ……」
「お前のやってることはただの現実逃避だ……!」
「ゲームで負けたからって電源引っこ抜いてリセットするのと、変わらない」
「何その……子供の駄々は」
「負けるかよ」
「俺達が……!」
「私達が……!」
「みんなが……!」
「お前みたいな奴に……! 負けて、たまるか!」
「俺たちは、独りじゃない――! 俺たちは、ひとつなんだ!」
響きあう。
反響する。
心が。意思が。想いが。意志が。魂が!
高めあう。力を、魂源力を高めあう。
共振し共感し共鳴し、巨大な力を紡ぎ出していく。
『祥吾さん。力が……!』
永劫機メフィストフェレスから、弾き出されるようにメフィストが実体化する。
「……!?」
強制的に戻された?
いや、違う。
この現象は、そうではない。そんなものではない。
もっと違うものだ。
その先にあるものは――
その奇跡は――
「くだらぬ! 何をしようとしているかは知らぬが――死ね!」
放たれる攻撃。魂源力の光弾が唸りをあげて放出される。
「――!?」
だが、それは祥吾たちに直撃する前に消失する。
虚空に喰われ、消滅したかのように。
「神……無……!?」
そこには、神無の姿があった。
肉体は無い。既に零時に喰われ取り込まれ、クロノスギアの一部と化している。
だが――その心は、魂は、此処にあった。
祥吾たちの所に。仲間の場所に。
『私だけでは――ありません』
神無が振り向いて微笑む。
『ごめんなさい、遅くなりまして……』
いつものように、コーラルが謝罪の言葉を口にする。
『間に合いましたね、ご主人様』
アールマティが、鶴祁に微笑む。
『あの子達の為に……戦います』
葬式に参列するかのようなブラックフォーマルの洋装の少女が立つ。
『よくわからないけど義によって助太刀いたす! って奴です!』
右腕が機械の、眼帯の少女が勢いよく叫ぶ。
集う、幻想的な少女達の姿。
それらは全て――永劫機の意思だ。そこに宿る魂だ。
人に造られし、美しき天使/悪魔たち。
永劫機ツァラトゥストラ。
永劫機メタトロン。
永劫機コーラルアーク。
永劫機アールマティ。
永劫機ロスヴァイセ。
永劫機ウォフ・マナフ。
永劫機アルヴィース。
永劫機エセルドレーダ。
永劫機ベルフェゴール。
永劫機アバドンロード。
永劫機プロセルピナ。
永劫機メフィストフェレス。
十二体の永劫機の力が――否、その意志が、魂が終結する。
力はない。体もない。
だが、その魂は確かに此処にある。
この世界で、主たちと紡いできた想いがある。
この世界で、たったおよそ十年足らず。それでも生きてきた軌跡がる。
それだけは――どんな矛盾と断罪されようとも、消すことなど出来ない。
出来はしないのだ。たとえ神といえども。
故に、再生する。
故に、蘇生する。
故に、復元する。
故に――此処に集結する。
螺旋を描く。
それはまるで遺伝子配列のように。生命の力の象徴であるかのように。
渦を描く。
それはまるで銀河の流れのように。宇宙の力の具現であるかのように。
そしてそれは――今此処に、その形を成す。
カイロスという神がある。
時間の神。時を告げる神。
それを模した、機械仕掛けの神が、ここに今、生誕の刻を迎える。
十二体の永劫機の意思を持つ無敵の神。時刻神カイロス。
それはカイロス時間の具現。速度が変わり繰り返し逆流し止まるを繰り返す、人間の内的な時間。
ギリシア語で「機会(チャンス)」を意味する言葉だ。それの意味する事は一つ。
人の心を反映し、未来を切り開くための、運命を覆す可能性を持つ、無限時刻。
運命に抗い、切り開くための、時を刻む神なる剣。
永劫神剣――カイロスソード。
荘厳にして華麗。豪華にして絢爛。
天衣にして無縫。不朽にして不滅。
一振りの剣が、そこには在った。
その剣を、祥吾は執る。
瞬間、その背後に――巨大な剣が組みあがる。
幾つもの弾機、発条、歯車、螺子が渦を巻き、組みあがっていく。
永劫機の顕現の瞬間と同じように。
いや、それよりも遙かに力強く。
巨大な神剣が顕現する。
祥吾が、手にした剣を振る。
それに合わせて、その動きを模倣し、巨剣もまた唸る。
「だありゃあああっ!」
クロノスギアから放たれた幾つもの腕、鎖、それらを一撃で砕き斬る。
「な――」
一撃、そう一撃だ。
ただ一振りで、クロノスギアの攻撃が弾かれ、腕が吹き飛ばされた。
「馬鹿な、知らぬ……こんな展開など、こんな未来は、私は知らぬ」
呆然とする零次。
こんなことなど、今まで一度たりとも無かった。
そして、予定にも無い。ありはしないのだ、クロノスギア以外の――それを越える永劫機神など!
「お前に……お前などに! そんな力が! あるべくもない!」
「当たり前だ。俺にそんな力はない――だけど!」
そうだ、時坂祥吾は無力。何も出来ない。出来はしない。
今までがそうだったように。
だが――それでも、何かをしようと、死に物狂いで足掻く事は出来る。
今までがそうだったように。
だからこそ、ここにこの結果がある。
この力が、ある。
……今までが、そうだったように!
「俺の力じゃない。俺たちの力だ、明日を望む生命の力だ!」
祥吾の力ではない。
皆の力だ。
とても重くて、一人では持つことすら出来ぬ剣。だが、ここにいる全ての者の力があるから――操れる。
理不尽で残酷な世界に生きながら、それでも決して絶望に染まらず、歩いてきた人々の力。
つらい過去があった。
苦しい現在がある。
だが――いや、だからこそ、未来に希望を託す。
明日を、望むのだ。
「決着をつけるぞ、みんな! 俺たちの力で!」
「おう!」
そして――蛇蝎たちの精神が崩壊する。
その、一歩手前。
刹那の極みにて――
根が、デミウルゴスを貫く。
『な、に――?』
木々が茂る。魂源力を喰らう森が床を踏み砕いて現れる。
木々は、生い茂る葉は、音を吸収すると言われている。
故に、防ぐ。故に、留める。
そして、それは確かに一瞬の薄い壁にすぎぬけれど、確かにそれは効果はあった。
少なくとも、白銀の煌きが、その“声”を殺すための時間を稼ぐ程度には。
飛来するナイフが、クロックワークデミウルゴスの喉を貫く。
偽神は未練の人類総体だ。故に、一撃で確実にその力を殺すことは出来ない。
だが、その力のひとつの局面を一時的にでも押し殺す事ならば、可能。
そして、空間の断裂が、デミウルゴスの機腕を寸断し、次元の彼方へと吹き飛ばす。
『な――』
すぐに再生するだろう。すぐに復元するだろう。
だが、それでも。
その一瞬の時間があれば――
そして、蛇蝎兇次郎は知っていた。予測していた。
耐え切れば、必ず逆転の機が来ることを!
「機は此処だ! 全力全開、一斉攻撃をブチ込めぇええっ!!」
『な――!!』
慌てて迎撃の態勢をとるが、遅い。
化学変化が。モルフォ蝶の燐粉が。腐食性ウィルスが。陰陽術が。
そして、荷電粒子砲が。
一斉に、クロックワーク・デミウルゴスを貫く。
砕く。侵す。破壊する。
その巨体に、今度こそ――絶対の破壊をもたらす。
『莫迦な――コの私ga――神でアRUこノ私が――ありEなゐ……』
ノイズの混ざった声で驚愕と絶望を叫ぶ、クロックワーク・デミウルゴス。
願いは折れ、その機械の体は崩壊へと向かう。
『人の……望みを奪UのKa……! 歴史ヲ靴が絵死体Toいう……弱きふmiに自らレた人々の重いヲO……!』
「やかましいわ、たわけが」
蛇蝎は傲慢に、不遜に。神に向かって言い放つ。
前髪をかきあげ、冷徹に冷酷に、哀れみさえ浮かべて見下ろしながら。
「そんな事は誰も頼んでおらぬ。貴様の惰弱さを、勝手に他人に押し付けるな」
『Aaa――――GA……』
「貴様は神ですらない。ただの這い擦り回る混沌にすぎんわ。
それだから貴様は、負け犬なのだ」
「希望を捨てぬか、勇敢なことよ――! だが!」
クロノスギアが巨大な時計の針を、剣を振るう。
それをカイロスソードは受け止める。
鶴祁の持つ、剣術の技巧で。
直の持つ、豪胆さで。
誠司の持つ、勘と経験則で。
孝和の持つ、気の力で。
その永劫神の圧倒的な剣撃を、受け止め、いなし、払い続ける。
「知らぬのだ!その希望とやらがどれだけ絶望を呼ぶか!」
零次は叫ぶ。
強圧無比な神力の波動で押し潰そうと、その怒りを放つ。
だが。
「んなの知ったこっちゃねぇっすよ!」
敬のサポートのもと、二礼の神殿が完成する。
神を卸すその力。幾多の仲間に守られている今、戦いの只中であろうとも、その儀を完遂するのは容易い。
その力で――神威で、神力の波動を押し返す。
クロノスギアごと弾き飛ばされ、壁へと叩きつけられる。
だがそれでも零次は怯まない。立ち上がる。
「言うつもりか!? どんなにつらく長い夜だろうと、必ず朝が来ると――陳腐な見せ掛けの希望で惑わすか!?
ああ、確かに夜はあけるであろう、朝は来る!」
無数の時計の針が出現する。
その全てが、祥吾たち全員を狙っている。剣山のように串刺しにしようと飛来する。
「だがそうして昇った太陽は再び沈み、そして再び夜の闇が世界を閉ざす!
希望とは! 絶望をより色濃く浮かび上がらせるためのスパイスでしかないと、貴様らはまだ知らぬのだ!」
迫り来る針たち。この数を剣で全て打ち落とすことなど不可能。そして神域の防御も、再び発動するには時間が足りない。
だが。
「っぜぇ……っ! 知るかよンなこたぁっ!!」
真琴が叫ぶ。
その針の全てが――かき消え、そして反転して出現する。
瞬間移動能力。カイロスソードの力で増加されたその力で撃ち帰す。
「うぉ、ここにきて姉さんモードだ」
孝和が喜んだ。
「ぐ……っ!」
針が叩きつけられ、次々と爆発していく。クロノスギアの全身を震わせ、後ろに退かせる。
その機を、祥吾は前進し、カイロスソードを叩きつける。
「ていうか、理屈がちがうだろ。覚えてないのか? もっと昔、俺はいじめられていたよな!
ずっと思ってた。朝なんてこなくていい、ずっと夜の闇に隠れていたい――
それでも、朝は来る、きてしまう!
たとえ望まなくても、朝は来てしまうんだ!」
「それがどうした!」
「どうもしねえ、ただそれだけの――どこにでもあることだ!
そんなくだんねぇことに、いちいち希望だの絶望だの言い訳つけて浸ってんじゃねぇ!」
「くだらぬだと――?」
「ああ、くだんねぇよ! 理屈をつけて、言い訳して、理由を探して、誤魔化して!
そうやって自分を正当化して正義ヅラしてぇだけだろうが!」
目の前の男は言った。
正義の行いだと。世界を滅びから救うと。
ああ、確かに立派だよ。英雄の所業だ。
だけど、だからといってそれが――今を踏み躙っていいのか!
今を生きるみんなを、踏み躙ってそれで英雄気取りか、ふざけるな!
「俺に判るぐらいだ、お前だって判ってんだろうが! それをぐだぐだと――」
「黙れ!」
「何度だろうと言ってやるわよ、こんの分からず屋!」
綾乃の発する炎がカイロスソードに纏われる。
直の放つ風が、その炎を激しく燃やす。
まるで、火炎の竜巻。天上を焦がす劫火だ。
「えらそうにほざいてんじゃねぇ、英雄気取りのクソ野郎! 俺はそういうガラじゃねぇだろうが!!
そんなだからお前は――」
上段からの唐竹割り。鶴祁の持つ剣速が上乗せされ、アールマティの時間加速がそれをさらに激しく躍らせる。
「てめぇの世界ひとつ、救えねえんだ!!」
振り下ろされる炎がクロノスギアを袈裟懸けに切り裂き、そして焼く。
莫大な炎の奔流。魂を焼き尽くす煉獄の炎のように、それは零次の心身を苛む。
「黙れぇえええええええええええええっ!!」
認めぬ。
認められぬ。
認めてしまえば――今までの時間全てが無為に帰してしまうのだ。
世界を救うために。
世界を守るために。
その私が道化だと――英雄狂だと!
消えろ。
消えてしまえ、今度こそ!
我が前から消えるがよい、過去の幻影よ! 我が忌むべき黒歴史!!
「時空爆縮回帰呪法・終焉世界!!」
クロノスギアが奥義を放つ。
絶対の時間を統べるクロノスギアにとって、時空爆縮回帰呪法をこの短期間で再び放つことなど、造作も無いことだ。
それほどまでの、絶対的な力。
炎をかき消し、その破壊の光はカイロスソードへと迸る。
それを、祥吾たちは、
「んなろぉぉぉあああああああああああああああああっ!!」
剣を振りかぶり、正面から受け止める。
「――――――――――――ッ、ガァァァァァ……っ!!」
激しい。烈しい。
崩壊と破壊が皆を襲う。先ほどとは比べ物にならぬほどの圧倒的暴力。
市原の再生力を持ってしても、この破壊の力を正面から受け続けるのは無謀である。
宮子の治癒力を持ってしても、この破壊の力を正面から受け続けるのは無謀である。
ならばどうする。
こちらもまたクロノスレグレシオンを放ち、相殺し打ち勝つしかない。
だが、このエンブリオの時間を支配しているのは、時逆零次。
メフィストフェレスの時間堰止能力は機能しない。
故に撃てない。
故に勝てない。
――本当に、そうだろうか?
思い出せ、時坂祥吾。クロノスレグレシオンの真実を。
あの日。
祥吾の時間を、命の時間を死の直前で止めた日から――どれだけたっている?
そうだ。
クロノスレグレシオンは――時を止めたその反動をぶつける技だ。
ならば。
止まっている時間は――――ここにあるではないか!
「な……に!?」
零次が瞠目する。
何をしようとしているのか、それを理解して。
「貴様……真逆! 自らを時間爆弾として、クロノスレグレシオンを放つ心算か!」
是である。
刹那の綱渡り。
死の直前で時間が止まっている、その時間を動かす。そして再び止める。直前のさらなる寸前。一歩手前から半歩手前へ。刹と那の間を見極める。
そのほんの僅かな極小の時間を開放し――クロノスレグレシオンの起爆剤とする。
自らを、武器へと変えて。
否である。
そのような事は不可能だと理性は訴える。
だが、今――祥吾が手にしている剣は何だ?
重ねて言おう。
カイロス時間とは、速度が変わり繰り返し逆流し止まるを繰り返す、人間の内的な時間である。
その力の具現化たる剣。内的時間、心が全てを決める。
そう、それは例えるなら――死する直前に人が見るという走馬燈(ファンタズマゴリア)。
外的にはほんの一瞬のその瞬間に、今までの人生を振り返る時間の矛盾。
それを引き起こす。意志の力で。
時間を引き延ばす。刹那を無限に。
心の時間。魂の時間。今まで生きてきたその全て。これから起こる未来の全て。
祥吾だけではなく。
祥吾と共に生きてきた者達。これから共に生きるべき人達。
今――此処にいる仲間達の、全ての心の時間を。
思いを。
想いを。
力に変える。
死ぬつもりなど毛頭無い。刹那を見極めるその極限の綱渡りも、失敗する恐怖など無い。
確信する。確信している。
何故なら――時坂祥吾は、独りではないから。
そっと、祥吾の手に触れてくるものがある。
剣を執る手に重なる、白く細い指。
美しい悪魔の指だ。
目と目が合う。頷きあう。それだけで充分。言葉は要らない。
わかる。彼女だけではない。多くの想いが此処にある。傍らに、背中に、まだ見ぬ何処かに、それは確かに在る。
だから、力に変える。全てを。
「うおおおおお――――――!!」
咆哮する。
力がぶつかり合う。
「何故、だ――」
拮抗する。
否。
ゆっくりと、絶対時間が圧されていく。
零次は叫ぶ。声なき声で叫ぶ。
何が足りぬ。
何が足りぬのだ!
あれにあって我にないものとは何だ!
ありえない。
手に入れたのだ、力を。
世界を救うために、無限とも思える永劫回帰を繰り返し。
世界を救うために、あの世界を見捨ててまで!
「――」
見捨てた。
そう、見捨ててしまった。
いや、違う――そうではない! 仕方が無かったのだ!
そうでもしなければ、世界を救えはしない!
矛盾だと、そうだ。それを見過ごさなければどうしようもないのだ。
何かを犠牲にしなければ何も救えはしない。
何かを救うための力を得るには、犠牲が、代償が必要なのだ!
そう、言っていたではないか――――
誰が?
“時計仕掛けの天使をもて、私は更なる力を得る。
その為に、彼女らには尊き犠牲になってもらった……ただそれだけ”
……ああ、それは。
“最初のクソ甘い理想だとか、そんなもんはドブに捨ててきた!!
捨てなきゃ生きることも出来なかった!!
理由? 目的? そんなものはもうない!
あるのはただひとつ、世界を守る――ただそれだけだ!!”
……自分がかつて、命を奪ったひとの言葉だった。
彼は正しかった。正しかったのだ。
だから、自分もその道を選んだ。正しい道なのだ、選ばざるをえない。
だが――
あの時、自分は、その教師の言葉に対し、何を言ったのだろうか?
あの人は――何を思ったのだろうか?
本当に今のこの道が正しいと言うのなら、何故――ここまで邪魔が入る。
何故、ここで躓くのだ。
本当に自分は正しかったのか。
わからない。
わかりようがない。
遠すぎて、もはやわからない。
追憶の彼方の幻は、ただ遠く、ただ眩しすぎて――
時逆零次は、今はもう思い出せない。
時坂祥吾は、今でも覚えている。
初めて時計を手にしたあの日。
無我夢中で、ただ許せなくて。
叫んだあの言葉だけは、忘れない。
「どれだけ現実が重くても。
時の流れに擦り切れて、かつての理想を忘れる日が来たとしても……」
今なら理解できる。
吾妻先生の苦悩、苦痛が。
何度も戦い、辛くも勝利してきたが、けっして楽な道ではなかった。
肉体的にも、精神的にも、つらいことがたくさんあり、きっとあの人は、その何倍も、何十倍も――そんな思いを懐いてきたのだろう。
思えば、なんという子供の夢想をさも偉そうに吐いた事か。
それが難しいことなど、眼前の自分を見れば……笑えるほどに明白だ。
思いは忘れられる。
心は擦り切れ、魂は磨耗し、願いは朽ち果て、祈りは消え去る。
だが。
だけど。
「それが……!」
それでも。
この言葉だけは忘れない。
この言葉だけは曲げない。
今の自分は――まだそれを忘れても、擦り切れてもいないのだ。
だから、屈しない。貫き通す。
たとえ、自分がいつしか擦り切れ朽ち果てる日が来るとしても――その瞬間まで足掻き続ける。
それが、責任だ。それが、義務だ。
あの日あの時、自分で選んだ道だ。
自分がどれほど未熟であろうとも。
だからこそ、貫き通す……!
「何かを諦める理由には、ならない……っ!!」
だから叫ぶ。
裂帛の気合と共に。
そしてそれを、力に換える。
「諦めちゃ、いけないんだぁぁああああああっっっっ!!」
過去から現在までの軌跡を、紡いできた時を力に換え――
未来を望む――――全ての人の想いを、此処に。
クロノスレグレシオン・ファンタズマゴリア
「――時空爆縮回帰呪法・幻燈昇華」
閃光が、エンブリオをゆっくりと砕いていく。
想いは無限。
それが生み出す時間もまた無限。
その刹那にして無限の時が力となり、緩慢にエンブリオを砕き、消滅させていく。
再生はしない。復元もしない。増殖もしない。極限まで引き伸ばされた時間は、それを許さない。
ただゆっくりと、崩壊に向かう。
光の粒となり消えていくその光景はとても幻想的であった。
その中で――零次が笑う。
砕け、消えていく己の身体を自嘲しながら。
「私が――負けるか」
不思議と。
後悔は無かった。絶望も無かった。
何故だろうか?
ああ――それは、きっと。
「また、繰り返すのか」
時坂祥吾は問う。
時逆零次は答える。
「否。それは有り得んよ。我がクロノスギアが敗れた――それは即ち、我が永劫機ツァラトゥストラが破壊されたということだ。
永劫回帰の呪いはツァラトゥストラのシステム。
故に――私はもはや、過去に戻る事など無い。永劫回帰は破却された。
これで、終焉という訳だ」
「……」
「そんな顔をするな。お前は人を殺した訳ではない。
ただ、私という亡霊を還しただけと知るが良い。そう、所詮私は未来の亡霊よ。
幾千幾億と繰り返した、ただの妄執に過ぎぬ――」
零次は目を閉じ、考える。
「嗚呼。世界を救いたかった。この運命を覆したかった。
それこそが、過ちか――長い、長い遠回りだった」
世界を滅ぼしてしまったから、世界を救おうと思った。
それが――過ちだったのか。
世界を滅ぼしたのが過ちではなくて、ただ、救おうと大それたことを考えてしまった、その事が。
自らの罪を消そうとしたことが、過ちだったのか。
起きてしまった事は、覆せない。
無かったことになど、出来ない。
ならば。
ただ、償おうと。背負おうとすればよかっただけだと、気づくのに。
どれだけの遠回りをしてきたのか。
どれだけの時を費やしてしまったのか。
「考えすぎなんだよ。俺たちは、そんなガラじゃねぇだろ」
「確かにそうだ。永らく独りでいるとな、ついつい余計な知恵をつけてしまうものだ。
そして思考の迷宮に惑い――賢しいが故に、最も愚かな道を選び取る。まさに滑稽な英雄狂よ」
「だけど俺には――皆がいる。だから――」
そうはならない、と。
祥吾は静かな確信のもとに、言う。
その迷いの無い顔に、零次はただ苦笑する。
なんとも愚かで、そして眩しいことか。
「なら戦えばよかろう、お前の望むままにな。
しかし、たとえ……この滅びを回避したとしても、世界には嘆きと絶望しか無いぞ?」
エンブリオと永劫機(メフィストフェレス)による時間崩壊。
それは、幾つも存在する滅びの可能性の、たった一局面に過ぎない。
世界崩壊の可能性は無限にあり、今この瞬間にも――何処かの誰かの悪意か、あるいはただの偶然かによって生まれているかもしれない。
「それは、お前がそれしか見なかっただけだ」
「ほう?」
「嘆きと絶望に溢れていても――それで、それ以外の全てが無くなる事なんて無い。俺は知ってる」
自分が絶望した時。
全てを諦めようとした時――
それでも世界はそこにあって、自分を抱きとめてくれた。
みんな、そこにいてくれたんだ。
「世界は――それでも、やさしくて、美しいんだ」
だから。
この幸せを、感じよう。
みんなと過ごしてきたこの時間を。
よきことだけではなかった。
つらいことも苦しいこともあり、寂しくもあれば悲しくもあった。
だがそれとて、思い返せば、笑い飛ばせるものになる。
なぜか? 決まっている。
ひとりじゃない。
祥吾は見回す。
敷神楽鶴祁がいる。米良綾乃がいる。
菅誠司がいる。市原和美がいる。星崎真琴がいる。三浦孝和がいる。
拍手敬がいる。神楽二礼がいる。皆槻直がいる。結城宮子がいる。
このエンブリオの何処かで、他にも戦っている人たちがいる。
蛇蝎兇次郎達や、ヘンシェル達。
地上にも、醒徒会のメンバー、風紀委員達、そして多くの仲間がいる。
友達がいる。家族がいる。
そして――メフィストフェレスがいる。
ひとりじゃないからだ。すくなくとも今は。そしてこれからも。
そう、だから。
愛するものと紡いできた、その瞬間を。
その一瞬を、永遠へと語り継ぐために。
「成る程。つまりそういう事か」
零次は笑う。
「時よ、止まれ――」
お前(せかい)は。
かくも、美しい――――
そして。
全ては、光に包まれた。
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