【時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn 第一話 前編 1】

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[[ラノで読む>http://rano.jp/1697]] ・ゲーム版をふたば大物倉庫の「ソフト・ゲーム」にあげておきました SOFT_0744.zip   時が止まればいいと思っていた。  別段、今が永遠に続けばいいとか、そういう荒唐無稽なことを願っていたわけじゃない。  ただ、止まってしまえば、間に合ったかもしれない――そんな後悔からの、逃げにしか過ぎない。  時間を戻して、それを無かったことにしたい、取り戻したい、とまで願うつもりも無い。  川の流れを下流から上流に流せないのと同じだ。  起きてしまった事は、無かったことに出来ないし、変える事だって出来ない。  だからせめて。  時が、止まればいいと思っていた。  学校に降り注ぐうららかな春の日差し。  新しい生活。妹と二人。  学園には新しい友人達。此処にはもう、自分たちを苛む誰も居ない。  あたたかく幸せな陽だまりが此処にある。  だからこそ、その安らぎが俺を苛む。  妹が微笑んでくれるたび。  友人たちと笑い会うたび。  過去の後悔が俺を抉る。  思い出すのはあの日の事。  俺が間に合っていれば、防げたかもしれない悲劇。  そんな事を考えること自体が、傲慢なのかもしれないけど。   そう、俺はヒーローじゃない。  その場に居たからって、何か出来たかなんて思えない。  でも、それでもせめて。  こんな後悔を抱く事は無かったのじゃないか、もしかしたら何かが。  ずっと、そう思っていた。  そんな、くだらない未練に、俺はずっと囚われて。  だから、次は。次こそは。 “貴方がそれを望むのなら”  時が、止まればいいのに―― 〝私が、メフィストフェレスがその望みを叶えましょう〟  時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn    第一話 〝愛すべからざる光の君〟前編 「――!」  シャッターを叩く金属音で、この俺、時坂祥吾は我に帰る。  気を失っていたのか。夢を見ていたのか。  体の節々に痛みを感じる。さんざん床に打ちつけたようだが、折れてはいないようだ。  痛い。とてつもなく痛い。  だがそれでも我慢して歯を食いしばる。痛む体を必死に起こして、シャッターの方を見る。  何度も叩かれ金属がひしゃげる。このままでは長く持たないだろう。ていうか、何だこれ、何が起きている……!?  朦朧とした頭を振り、俺は必死に考えをめぐらせる。  そう、思い出す。  学校の帰りの道中。遅くなったその道すがら――  あの怪物に……襲われた。  そして必死に走り、デパート地下の駐車場に逃げ込んだんだ。  無我夢中で基盤をでたらめに操作し、シャッターを降ろすことに成功したものの、シャッターを叩く衝撃で弾き飛ばされ床に叩きつけられた。 「何だよ、くそ、何なんだよ……!  なんだってラルヴァが……!」  ラルヴァ。それは人外の魔物、怪物の総称だ。  1999年より爆発的に観測されるようになった。人外の存在。  それが――目の前にいる!  怪物! 化物! 魔物!  ……対して俺はただの人間だ。  異能者教育機関である双葉学園に在籍しているとはいえ、その全てが異能者なんかじゃない。  親の仕事の都合で転校してきた、俺のような無能の一般人だって多いのだ。  中には、力がいつしか目覚める事を期待して授業や訓練を受けている生徒たちも多い。  だが、いきなり都合よく秘められた特殊能力が開花して、怪物と渡り合えるようになるとか―― 「ないよなあ、そんな都合のいい事……」   そんな事は万に一つも無い。俺は自嘲して笑い飛ばす。 「そんな都合のいいヒーローなんて……」  ましてや、この俺がなんて。  そんな都合のいい力があれば、あの時後悔なんかしていない。 「……っ、と」  歯を食いしばり、なんとか立ち上がる。  ならば、逃げないと。 「冗談じゃ、ねぇ」  こんな事で、死ぬなんてのはごめんだ。ましてや、妹を残して死ぬなんて、冗談じゃない。  両手を握り、手の感触を確かめる。  足を踏みしめる。  何とか、動く。いまだに体の節々は痛くて泣きそうになるが、なんとか動く。 「!?」  だがその時、轟音が響く。  シャッターがついに破壊された? 「げ――!」  折れは思わず声をあげる。  引きちぎられひしゃげた鉄の板が舞う中、そいつは姿を現す。  歯車と弾機と発条と螺子と鋼線。  そして金属板のフレーム、ボルト、ナット等で作られた怪物。  鋼のオブジェ。  首の長い四速歩行の獣らしきそれは、チクタクチクタクと時計のリズムを刻みながら、無機質な殺意を向けてくる。  ロボット、と言うにはあまりにも稚拙にして雑多で。  言うなれば、時計仕掛けの獣。  趣味の悪い玩具のようなそれは、背中に突き刺さる捻子をキリキリと回しながら、声帯の無い声で殺意を叫ぶ。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。 「う、だあああばあ――――!!」  気が動転して素っ頓狂な悲鳴になるが、かっこつけても居られない。とにかく、俺は背を向けて走る。  恐怖に突き動かされるように体の痛みを忘れて走った。  後ろは振り向かない。  ガシャガシャチクタクと……ある意味コミカルなその足音は、それゆえに恐ろしい。 「はっ、ひ、ぜっ――は、はあっ……!」  地下駐車場から外に出る。  外に出れば人が居る。あの手の化け物は、多くの人目につくのを嫌うのが定番だ。  だから、だから……外に出れば、なんとか助かるはずだ。 「……!?」  だが、地上に出た俺を迎えたのは、更なる異変だった。  そこは、静か過ぎた。  俺の記憶が確かなら、まだ午後七時程度の時間のはずだ。  だが不自然に静か過ぎる。  喧騒が無い。いや、そうじゃない。  人は確かに居る。だがそれでも静か過ぎる。  その理由は、明白で―― 「動いて……ない……?」  町を行き交う人も、そして車道を走る自動車も、街灯の周囲を飛ぶ蛾や蝙蝠すらも。  完全に、止まっていた。  そう、それは――  紛れもなく、昔日の俺が望んでいた現象そのもの―― 『――時が、止まればいいと思っていた』  何を馬鹿な。そんなこと、あるはずがないじゃないか。  俺は頭を振って否定する。  人は、叶わないと知りつつも望んでいたものが不意に目の前に現れると、逆に恐怖すると言う。  今の俺がまさにそれだ。  ずっと望んでいた。時が止まればいい、と。  そしてそれは叶った。だが…… 「はは、何だよ、何だよこれ……?」  もはや笑うしかない。これはさらなる絶望、悪夢でしかない。  止まっている。誰も動かない。誰も俺に気づかない。  つまり、笑えるほどに、絶望的なまでに俺は……一人だった。  そして…… 「――!!」  それに気づいたのは、勘でも何でもなくてただの偶然だった。眼前の光景を否定し、目をそらすために振り向いたに過ぎない。  時計仕掛けの獣の爪が迫っていた。  俺は弾かれるように走る。獣の爪は俺の背中を掠め、道路標識を真っ二つにする。 「っ、づぁああああっ!!」  背中が痛い。学生服を引き裂かれ、背中の皮膚も破れた。  骨まで至っていないのが不幸中の幸いだ。だが楽観視なんて全くできる状態じゃない。  本当に、悪い夢だ。  止まった世界に、捕食者と獲物の二人きり。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  リズミカルな音を立てて迫りくる時計仕掛けの獣。  それの口が開く。  鮫のように幾重にも並んだ乱杭歯。ただしそれは全てがキリキリとドリルのように回る螺子だった。  機械油が涎の様に地面に落ちる。  赤い光を灯す瞳が、俺を見ている。獲物を見ている。餌を見ている。  殺される。  俺は確信する。  確実に、完璧に、決定的に。  このままでは、殺される。 “貴方は”  心の中で何かが語りかけてくる錯覚。  少女の姿。浮かんでくるイメージ。  脳裏にフラッシュバックする光景。  そこは一言で言えば、「発条仕掛けの森」……とでも言うべきだろうか。  樹がある。草がある。花がある。虫がいて鳥がいて獣もいる。  その全てが、歯車と発条と螺子と……  機械で出来ていた。  チクタクチクタク、とリズミカルに響く音。  ガタゴトガタゴト、と重厚に響く音。  それは鳥や虫や獣たちの鳴き声。  ここは――この夢は、全てが歯車で動いていた。  そのセカイの中で、樹に腰掛ける少女が歌うように語り掛けてくる。  だがそれは当然、錯覚だ。恐怖が生み出した逃避イメージ。  そう、錯覚だ。今はそれどころじゃない。  そんなイメージに囚われていたら死ぬ。嫌だ。死にたくない。死ねない。そんなのは嫌だ。  ここでこんな訳のわからない死ねない死にたくない。  死んでしまったら。  妹が――  独りで――  遺されて―― “それを良しとするのですか” 「う」  俺の口から、漏れる。 「うわぁああああああああああああああああああ!!」  冗談じゃ――ない!  走る。  振り下ろされた爪を、体を丸めて回避する。  考えなんて何もない。ただ、このまま殺されるのだけは我慢ができない。  手を伸ばし、獣が切り倒した道路標識を両手で抱えあげる。  それを、槍のように構え、そして睨み付ける。 「がだあああああああああああああ!!」  絶叫し、突進。戦略も何もない、ただの自暴自棄の突進。  そのがむしゃらの特攻は――果たして、獣の隙を突いた。  時計仕掛けの獣の右目を貫く。  ――だが、それだけ。  何故ならそれは生物ではない、怪物だ。  その目すら、ただの発光するダイオードか何かに過ぎず、それが砕かれたとて痛みもなければ致命的でも何でもない。  獣の腕が動く。俺の腹を横薙ぎに殴りつける。 「ごっ――!」  内臓がかき回されるかのような激痛。ダンプカーに跳ね飛ばされでもしたかのような衝撃。  俺の体は枯れ木か何かのように弾き飛ばされ、転がる。 「ぐっ……!」  街路樹に叩きつけられてようやく止まる。  今度は確実に、あばら骨がいかれてしまった。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  ゆっくりと迫ってくる。  体が動かない。  これで終わりだ。何もかもが終わる。諦められない。諦めてたまるか、と思うものの、しかし体が動かない。 「終わりなのか、終わりなのかよ――こんな、こんな……!」  ふざけるな。  歯を食いしばる。だが、動かない。動けない。  諦めてもいないのに、どうしょうもない。  俺は、朦朧とする意識の中、 “いいえ、始まるのです”  そんな声を、聞いた。  そして――  俺を激しい衝撃が襲う。 「……夢」  ベッドから床に転げ落ち、俺はそうつぶやいた。  ……俺の部屋、である。  背中が痛い。まあ、思いっきり落ちたからそれは当然だろう。 「うおおお、あ痛ぁ……っ」  だがまあ背中ならいい。打ち付けた面積が広いという事はそれだけ痛みが分散されるという事だ。  脳天から落ちてたんこぶや、首を痛めたり、あるいは尻から落ちて尾てい骨を強打するよりはどれほどマシだろうか。  まあ、それでも痛いことには変わりがないんだけど。  もそもそと起き上がり、ため息をつく。 「……ふぅ」  Tシャツが寝汗でべっとりと肌に張り付いている。下着まで汗でぐっしょりだ。  俺は時計を見る。まだ登校までは時間がある。  軽くシャワーを浴びて汗を流しておいたほうがいいだろう。気分転換にもなる。  俺は着替えをタンスから取り出して、風呂場へと向かった。  洗面所のドアを開け、服を脱ぐ。  洗濯機の隣の籠に、脱いだシャツとパンツを入れる。  そして、俺は風呂場のドアを開けた。  さて、ここで記しておくべき大切な事がある。  この俺こと時坂祥吾は、特に時間にルーズという訳でもない。むしろ、どちらかというは時間にうるさい方である。  だが、いかんせん俺は――自分でも認めたくないのだが事実として仕方ないのでここはあえて言おう――間が悪い。  バスに乗ろうとすると、運転手が時刻より早くバスを出して乗り遅れたり。  電車に乗ろうとすると、ダイヤが乱れたり。  限定品の最後の一個を買おうとすると、別の人に取られたり。  もはや本人の関係ないところでそういうものが続くと、呪いか何かではないかと疑いたくなるものだ。  そして、今日も俺はその間の悪さを発揮してしまっていた。  はっきりという。わざとじゃない。  重ねて言う。わざとじゃない。 「……」  湯気が晴れる。  妹の裸身が余すことなく晒される。 「や、やあ一観。えーと」  妙に寝苦しくて汗をかいてしまったので、朝風呂でしゃっきりしようとした。  ただ、それだけ、  本当にただそれだけのことだったのだが…… 「……」 「……」  見えている。  妹のあられもない裸身が余すことなく俺の網膜に焼きつく。  ドアを開けたから湯気が晴れる、だからより見通しはよくて。  見事に、綺麗な可愛い裸身が見事に。  そして。 「きゃあああああああああ!!」  頬に一撃が炸裂する。  この俺、時坂祥吾は、間が悪かった。 「ごめんね、お兄ちゃん」  朝食を用意しながら、妹――時坂一観は俺に謝る。 「いや、まあ俺も悪いし」  確かに、結果的に俺が完璧に悪い。そこに悪意があろうとなかろうと、だ。 「でも本当、お兄ちゃんって間が悪いよねー。教室に忘れ物して取りに行ったらラブシーン見かけたり」  あの時は思わずごゆっくりと叫んで逃げ帰った。 「気をつけないといつかお兄ちゃん、取り返しのつかない失敗しそうで心配だよー」 「気をつけてどうなるものは気をつけるけどな……」  タイミング、というものは自分の意思でどうにかなるようなものではない。  運命だ、仕方ない、と諦めるしかないのかもしれない。 「はいはい、捨て鉢にならない。最初から諦めてちゃどうにかなるものもどうにもならないよ。  もう心配だなー、お兄ちゃん気ぃ抜けてるから」 「抜けてないよ」  頬に一発、気付けの一撃が入ったことだし、頭はシャッキリとした。  一観はそれをじと目で見て、言う。 「嘘。今日が何の日かも忘れてるんじゃない?」 「今日……? ゴミの日?」 「はあ」  ため息をつく。だめだこのヒトは、と言わんばかりの表情だ。  何が駄目なんだろうか。心当たりない事で責められても困る。 「なんだよ。物事はちゃんと言わないと伝わらないんだぞ」 「以心伝心、とか空気を読む、とかはこのひとには通じないのかなあ……」  そう言いながら、小さな箱を差し出す。 「はい」 「何コレ」 「本気で忘れてる? ……まあ自分のことには無頓着だしね。  ハッピーバースデイ、お兄ちゃん」 「……あ」  ……そういえば。 「思い出した?」 「ああ、今思い出した」 「……大丈夫かなあ、ボケちゃったんじゃない?」 「うるせー。ありがたくもらっとくよ。あけていいか?」 「うん」  俺はラッピングされた箱を開ける。  こういう、包みを開ける瞬間というものはいつになっても心躍るものだ。 「懐中時計……?」  箱の中から出てきたのは、金色に輝く懐中時計だった。 「質屋で買ったの」 「質屋かよっ」  思わずツッコミを入れる。 「ほら、こないだお兄ちゃんが見てた奴」 「あぁ、そういえば確かに……」  買い物に行ったとき、通りがかった質屋のショーウインドに飾られていたものだ。 「よく覚えてたな」 「そりゃもう、愛しいお兄様の為ですから」 「ありがたくいただきます」  時計をまじまじと見る。  綺麗な金色をしている。  裏には刻印されている文字は…… 〝VerweileDoch! DubistSoSchon〟 「べりうぇいれどっち……どぅびすとそーしゅーん……? 何て書いてんだこれ」 「フェアヴァイレ ドホ! ドゥ ビスト ゾー シェーン。  ドイツ語、有名だよ? 時よ止まれ、お前は美しい、って」 「何それ」 「ファウストって戯曲知らない? ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの話」 「ああ、それは聞いたことあるけど」  内容まで深くは覚えていないのだが。  むしろ漫画とかアニメに出てきた、その二世の方が有名な気がする。  再放送で小さい頃見てたし。 「あ、時間で思い出したけど、私もうでなきゃ」 「部活の朝練?」 「うん。じゃあまた学校でね!」 「ああ、またな」  一観は慌てながら用意を済ませ、元気に手を振って出て行く。  我が妹ながら慌しいものだ。 「俺も行くか……」  椅子から立ち、俺は時計を見る。  懐中時計の螺子を回そうとし、 「あれ……?」  動かないことに気づく。  竜頭をいくら回しても……いやそれどころか竜頭が回らない。 「……壊れてる? ……まあいいか。後で修理に出せば」  しばらく悪戦苦闘した後、そう結論を下す。  一観には黙っておこう、とつぶやき、懐中時計をポケットにいれ、俺は立ち上がる。  そして、俺はものの見事に遅刻した。 「また遅刻かよ、時坂」  友人たちが言ってくる。 「うるせぇ島田。道に迷ったんだよ」  正確には、道に迷ってたらそのタイミングで荷物を抱えたばあさんと遭遇。  コンボかよと思いつつも、見て見ぬ不利は非常に精神衛生上よろしくないので送って行った。  あとは泣いてる小学生とか、まいろいろと。  その結果の大遅刻であった。 「はあ? おいおい何それ」 「ほっとけ」  実にほっといてほしい。 「どうせ荷物抱えた婆さん送っていったり泣いてる小学生の面倒見る羽目になったらいろいろとしてたんだろ」 「悪かったな」 「うっわマジかよ! ありえねー」 「……ほっとけ」  自分だって好きでやってるわけじゃない。  というか、正直まっぴらごめんだ。  それにはちゃんと理由がある。下手にそういう善人ぶった親切をして、そして目をつけられたくない、という理由が。  今はまだいいのかもしれない。  だが小学生、中学生ぐらいだとそんな善意が「かっこつけている」と思われ、調子に乗っていてうざい、と取られる事がある。  現に、この自分がそうだった。  身から出た錆、出る杭は打たれる、とでもいうのか。  小学校の頃。  いじめられてた女の子をかばった、ただそれだけで……見事に華麗にそして盛大に、俺にいじめがシフトしたことがある。  誰でもよかったのだろう。  さらに笑えるのは、俺がかばった女の子も俺を苛めるのに参加したということだ。  別に見返りを求めていたわけじゃないが、あれは子供心につらかった。  まあ、俺がいじめられたのはそれのみが原因ではないのだろうけれども……と、閑話休題。  とにかく、だから俺はそういったことはせず、静かにのんびりと平穏な人生を過ごしていきたいのだが…… 「間が悪いんだよなぁ」  係わり合いになりたくないのに目の前に出てこないで欲しい。  そんなんだからついつい手を出さざるを得ないのだ。  幸い、この学校になってからは、まあ周囲の人間もある程度は大人なのだろうか、そういうのに目をつけて苛める、というのが流石に馬鹿らしいというか恥ずかしいのか、俺は今の所……そういったいじめにあってはいない。  平凡平穏である。今は。  友人だっている。  クラスでも特に浮いてるわけでもなく上手くやっていけてる。  だから――  このまま時が止まればいい、と。俺は――  うららかな日差しの中、そう、  うとうとと、  意識が――  そして俺は――  意識が闇に沈み――  視界が暗転し、空転し――――  夜の街にいた。 「ぐ……っ」  体中が痛い。動かない。脇腹をダンプカーのごとき質量と速度に殴られ、街路樹に叩きつけられて転がったかのように。  動かない。  そして眼前には――  巨大な、機械の獣が。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  ゆっくりと迫ってくる。  体が動かない。  これで終わりだ。何もかもが終わる。諦められない。諦めてたまるか、と思うものの、しかし体が動かない。 「終わりなのか、終わりなのかよ――こんな、こんな……!」  ふざけるな。  歯を食いしばる。だが、動かない。動けない。  諦めてもいないのに、どうしょうもない。  俺は、朦朧とする意識の中、 〝いいえ、始まるのです〟  そんな声を、聞いた。  そして―― 「いや、終わりではないよ。私が終わらせない」  凛とした声が、静止した世界に響いた。 「な――!?」  俺はその声の方向に振り向く。  そこには、さらに非現実な姿があった。  着物姿の少女だ。 「時が止まっている、だからと言って世界の終わりではないよ。これはただの現象、ただの怪異に過ぎない。  仕掛けたモノが滅びれば消え去る、陽炎のようなものだ」 「あんたは……」  俺と年は同じぐらいか、少し年上だろうか。  長い黒髪をポニーテールにまとめたその少女は、その手に日本刀と思しきものを携えている。 「少なくとも、周囲数百メートルぐらいかな。その範囲の時間は止まっている。  内に居る者も外に居る者も、その違和感に気づくことも無いがね。  そしてその時間停止から逃れ得るのは、私のような者か、あるいは――」  少女は、抜刀する。 「――奴らの“獲物”だ。君のような、な」  その刀は、不思議な刀だった。  刀身は間違いなく、美しい日本刀。  だがその唾から中腹の峰にかけて、歯車が埋まり、それは時計のリズムを刻んでいる。  そして鍔は、まるで……紅玉の輝きを持つ懐中時計。 「時計仕掛けの獣――人を襲い、人の時間を食らう、ラルヴァだ。そして奴は、君を狙っている」  少女は言う。 「だが安心したまえ。  私達異能者は、ラルヴァから君たちを守るために居る」  抜いた剣を、少女は正眼に構える。  時計仕掛けの獣は、その少女を敵と判断したのか、その鋼の巨躯を跳躍させる。  鋭い爪を、少女に向かって躍らせる。だが少女は静かに、瞳を閉じて唱え始めた。  ――天地は万物の逆旅にして、    光陰は百代の過客なり。  言葉とともに、紅玉の輝きを持つ懐中時計の、そして刀身の歯車の動きが忙しなく加速されていく。  赤い放電が巻き起こり、刀身に纏う。  少女はその刀を円の軌跡で振るう。その刃の輝きは、空中に紋様を描き出す。  それは魔法陣。  それに触れた獣は、その力に押し返され、弾き飛ばされる。  そして渦を巻く力はさらに加速され、そこに集まる大質量の力は、やがて織り上げられ――    而して浮生は、夢の若しなり――!  力が、爆現する。  魔法陣を透過するように、巨大な腕が現れる。  歯車、弾機、発条、螺子――空中に浮かび上がるそれらが編み合わされ、次々とその巨躯を構成していく。  全長3メートルの巨体。  チクタクチクタクと刻まれる真紅のクロームの巨躯。  流れるような流線型のデザインは、流麗にして苛烈。  各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。  まるで羽衣のような飾り布が、燃え上がる陽炎のように揺らめき、その美しさを際立たせる。  それは大地の力を秘めた赤き怒り。  時計仕掛けの――天使。 『GiIIIgOOOOEERrrrrrrRRRRR!!』  初めて、時計仕掛けの獣が声らしき声を上げる。それは錆び付いた金属があげる金切り声、不快な不協和音。  そして、突進。  時計仕掛けの天使は、跳躍してその牙を華麗に避ける。  空中で流れるように姿勢を変え、刀を構える。  刀を構える少女の姿をなぞるように。  そして、少女は静かに、流麗に、告げる。 「時よ――」  刀が煌く。 「疾れ――!」  瞬間、その時計仕掛けの天使の姿が掻き消えた。  それを俺は目で認識できなかった。だが何が起きたかだけは、理解できた。  早くなったのだ。早すぎた。  そう、時間を加速させたかのように。  その神速の斬撃は、いともたやすく――  時計仕掛けの獣を両断した。  その姿を、俺は眺め、そして――  そして―――― ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品投稿場所に戻る>作品投稿場所]]
[[ラノで読む>http://rano.jp/1697]] ・ゲーム版をふたば大物倉庫の「ソフト・ゲーム」にあげておきました SOFT_0746.zip 双葉学園  時が止まればいいと思っていた。  別段、今が永遠に続けばいいとか、そういう荒唐無稽なことを願っていたわけじゃない。  ただ、止まってしまえば、間に合ったかもしれない――そんな後悔からの、逃げにしか過ぎない。  時間を戻して、それを無かったことにしたい、取り戻したい、とまで願うつもりも無い。  川の流れを下流から上流に流せないのと同じだ。  起きてしまった事は、無かったことに出来ないし、変える事だって出来ない。  だからせめて。  時が、止まればいいと思っていた。  学校に降り注ぐうららかな春の日差し。  新しい生活。妹と二人。  学園には新しい友人達。此処にはもう、自分たちを苛む誰も居ない。  あたたかく幸せな陽だまりが此処にある。  だからこそ、その安らぎが俺を苛む。  妹が微笑んでくれるたび。  友人たちと笑い会うたび。  過去の後悔が俺を抉る。  思い出すのはあの日の事。  俺が間に合っていれば、防げたかもしれない悲劇。  そんな事を考えること自体が、傲慢なのかもしれないけど。   そう、俺はヒーローじゃない。  その場に居たからって、何か出来たかなんて思えない。  でも、それでもせめて。  こんな後悔を抱く事は無かったのじゃないか、もしかしたら何かが。  ずっと、そう思っていた。  そんな、くだらない未練に、俺はずっと囚われて。  だから、次は。次こそは。 “貴方がそれを望むのなら”  時が、止まればいいのに―― 〝私が、メフィストフェレスがその望みを叶えましょう〟  時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn    第一話 〝愛すべからざる光の君〟前編 「――!」  シャッターを叩く金属音で、この俺、時坂祥吾は我に帰る。  気を失っていたのか。夢を見ていたのか。  体の節々に痛みを感じる。さんざん床に打ちつけたようだが、折れてはいないようだ。  痛い。とてつもなく痛い。  だがそれでも我慢して歯を食いしばる。痛む体を必死に起こして、シャッターの方を見る。  何度も叩かれ金属がひしゃげる。このままでは長く持たないだろう。ていうか、何だこれ、何が起きている……!?  朦朧とした頭を振り、俺は必死に考えをめぐらせる。  そう、思い出す。  学校の帰りの道中。遅くなったその道すがら――  あの怪物に……襲われた。  そして必死に走り、デパート地下の駐車場に逃げ込んだんだ。  無我夢中で基盤をでたらめに操作し、シャッターを降ろすことに成功したものの、シャッターを叩く衝撃で弾き飛ばされ床に叩きつけられた。 「何だよ、くそ、何なんだよ……!  なんだってラルヴァが……!」  ラルヴァ。それは人外の魔物、怪物の総称だ。  1999年より爆発的に観測されるようになった。人外の存在。  それが――目の前にいる!  怪物! 化物! 魔物!  ……対して俺はただの人間だ。  異能者教育機関である双葉学園に在籍しているとはいえ、その全てが異能者なんかじゃない。  親の仕事の都合で転校してきた、俺のような無能の一般人だって多いのだ。  中には、力がいつしか目覚める事を期待して授業や訓練を受けている生徒たちも多い。  だが、いきなり都合よく秘められた特殊能力が開花して、怪物と渡り合えるようになるとか―― 「ないよなあ、そんな都合のいい事……」   そんな事は万に一つも無い。俺は自嘲して笑い飛ばす。 「そんな都合のいいヒーローなんて……」  ましてや、この俺がなんて。  そんな都合のいい力があれば、あの時後悔なんかしていない。 「……っ、と」  歯を食いしばり、なんとか立ち上がる。  ならば、逃げないと。 「冗談じゃ、ねぇ」  こんな事で、死ぬなんてのはごめんだ。ましてや、妹を残して死ぬなんて、冗談じゃない。  両手を握り、手の感触を確かめる。  足を踏みしめる。  何とか、動く。いまだに体の節々は痛くて泣きそうになるが、なんとか動く。 「!?」  だがその時、轟音が響く。  シャッターがついに破壊された? 「げ――!」  折れは思わず声をあげる。  引きちぎられひしゃげた鉄の板が舞う中、そいつは姿を現す。  歯車と弾機と発条と螺子と鋼線。  そして金属板のフレーム、ボルト、ナット等で作られた怪物。  鋼のオブジェ。  首の長い四速歩行の獣らしきそれは、チクタクチクタクと時計のリズムを刻みながら、無機質な殺意を向けてくる。  ロボット、と言うにはあまりにも稚拙にして雑多で。  言うなれば、時計仕掛けの獣。  趣味の悪い玩具のようなそれは、背中に突き刺さる捻子をキリキリと回しながら、声帯の無い声で殺意を叫ぶ。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。 「う、だあああばあ――――!!」  気が動転して素っ頓狂な悲鳴になるが、かっこつけても居られない。とにかく、俺は背を向けて走る。  恐怖に突き動かされるように体の痛みを忘れて走った。  後ろは振り向かない。  ガシャガシャチクタクと……ある意味コミカルなその足音は、それゆえに恐ろしい。 「はっ、ひ、ぜっ――は、はあっ……!」  地下駐車場から外に出る。  外に出れば人が居る。あの手の化け物は、多くの人目につくのを嫌うのが定番だ。  だから、だから……外に出れば、なんとか助かるはずだ。 「……!?」  だが、地上に出た俺を迎えたのは、更なる異変だった。  そこは、静か過ぎた。  俺の記憶が確かなら、まだ午後七時程度の時間のはずだ。  だが不自然に静か過ぎる。  喧騒が無い。いや、そうじゃない。  人は確かに居る。だがそれでも静か過ぎる。  その理由は、明白で―― 「動いて……ない……?」  町を行き交う人も、そして車道を走る自動車も、街灯の周囲を飛ぶ蛾や蝙蝠すらも。  完全に、止まっていた。  そう、それは――  紛れもなく、昔日の俺が望んでいた現象そのもの―― 『――時が、止まればいいと思っていた』  何を馬鹿な。そんなこと、あるはずがないじゃないか。  俺は頭を振って否定する。  人は、叶わないと知りつつも望んでいたものが不意に目の前に現れると、逆に恐怖すると言う。  今の俺がまさにそれだ。  ずっと望んでいた。時が止まればいい、と。  そしてそれは叶った。だが…… 「はは、何だよ、何だよこれ……?」  もはや笑うしかない。これはさらなる絶望、悪夢でしかない。  止まっている。誰も動かない。誰も俺に気づかない。  つまり、笑えるほどに、絶望的なまでに俺は……一人だった。  そして…… 「――!!」  それに気づいたのは、勘でも何でもなくてただの偶然だった。眼前の光景を否定し、目をそらすために振り向いたに過ぎない。  時計仕掛けの獣の爪が迫っていた。  俺は弾かれるように走る。獣の爪は俺の背中を掠め、道路標識を真っ二つにする。 「っ、づぁああああっ!!」  背中が痛い。学生服を引き裂かれ、背中の皮膚も破れた。  骨まで至っていないのが不幸中の幸いだ。だが楽観視なんて全くできる状態じゃない。  本当に、悪い夢だ。  止まった世界に、捕食者と獲物の二人きり。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  リズミカルな音を立てて迫りくる時計仕掛けの獣。  それの口が開く。  鮫のように幾重にも並んだ乱杭歯。ただしそれは全てがキリキリとドリルのように回る螺子だった。  機械油が涎の様に地面に落ちる。  赤い光を灯す瞳が、俺を見ている。獲物を見ている。餌を見ている。  殺される。  俺は確信する。  確実に、完璧に、決定的に。  このままでは、殺される。 “貴方は”  心の中で何かが語りかけてくる錯覚。  少女の姿。浮かんでくるイメージ。  脳裏にフラッシュバックする光景。  そこは一言で言えば、「発条仕掛けの森」……とでも言うべきだろうか。  樹がある。草がある。花がある。虫がいて鳥がいて獣もいる。  その全てが、歯車と発条と螺子と……  機械で出来ていた。  チクタクチクタク、とリズミカルに響く音。  ガタゴトガタゴト、と重厚に響く音。  それは鳥や虫や獣たちの鳴き声。  ここは――この夢は、全てが歯車で動いていた。  そのセカイの中で、樹に腰掛ける少女が歌うように語り掛けてくる。  だがそれは当然、錯覚だ。恐怖が生み出した逃避イメージ。  そう、錯覚だ。今はそれどころじゃない。  そんなイメージに囚われていたら死ぬ。嫌だ。死にたくない。死ねない。そんなのは嫌だ。  ここでこんな訳のわからない死ねない死にたくない。  死んでしまったら。  妹が――  独りで――  遺されて―― “それを良しとするのですか” 「う」  俺の口から、漏れる。 「うわぁああああああああああああああああああ!!」  冗談じゃ――ない!  走る。  振り下ろされた爪を、体を丸めて回避する。  考えなんて何もない。ただ、このまま殺されるのだけは我慢ができない。  手を伸ばし、獣が切り倒した道路標識を両手で抱えあげる。  それを、槍のように構え、そして睨み付ける。 「がだあああああああああああああ!!」  絶叫し、突進。戦略も何もない、ただの自暴自棄の突進。  そのがむしゃらの特攻は――果たして、獣の隙を突いた。  時計仕掛けの獣の右目を貫く。  ――だが、それだけ。  何故ならそれは生物ではない、怪物だ。  その目すら、ただの発光するダイオードか何かに過ぎず、それが砕かれたとて痛みもなければ致命的でも何でもない。  獣の腕が動く。俺の腹を横薙ぎに殴りつける。 「ごっ――!」  内臓がかき回されるかのような激痛。ダンプカーに跳ね飛ばされでもしたかのような衝撃。  俺の体は枯れ木か何かのように弾き飛ばされ、転がる。 「ぐっ……!」  街路樹に叩きつけられてようやく止まる。  今度は確実に、あばら骨がいかれてしまった。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  ゆっくりと迫ってくる。  体が動かない。  これで終わりだ。何もかもが終わる。諦められない。諦めてたまるか、と思うものの、しかし体が動かない。 「終わりなのか、終わりなのかよ――こんな、こんな……!」  ふざけるな。  歯を食いしばる。だが、動かない。動けない。  諦めてもいないのに、どうしょうもない。  俺は、朦朧とする意識の中、 “いいえ、始まるのです”  そんな声を、聞いた。  そして――  俺を激しい衝撃が襲う。 「……夢」  ベッドから床に転げ落ち、俺はそうつぶやいた。  ……俺の部屋、である。  背中が痛い。まあ、思いっきり落ちたからそれは当然だろう。 「うおおお、あ痛ぁ……っ」  だがまあ背中ならいい。打ち付けた面積が広いという事はそれだけ痛みが分散されるという事だ。  脳天から落ちてたんこぶや、首を痛めたり、あるいは尻から落ちて尾てい骨を強打するよりはどれほどマシだろうか。  まあ、それでも痛いことには変わりがないんだけど。  もそもそと起き上がり、ため息をつく。 「……ふぅ」  Tシャツが寝汗でべっとりと肌に張り付いている。下着まで汗でぐっしょりだ。  俺は時計を見る。まだ登校までは時間がある。  軽くシャワーを浴びて汗を流しておいたほうがいいだろう。気分転換にもなる。  俺は着替えをタンスから取り出して、風呂場へと向かった。  洗面所のドアを開け、服を脱ぐ。  洗濯機の隣の籠に、脱いだシャツとパンツを入れる。  そして、俺は風呂場のドアを開けた。  さて、ここで記しておくべき大切な事がある。  この俺こと時坂祥吾は、特に時間にルーズという訳でもない。むしろ、どちらかというは時間にうるさい方である。  だが、いかんせん俺は――自分でも認めたくないのだが事実として仕方ないのでここはあえて言おう――間が悪い。  バスに乗ろうとすると、運転手が時刻より早くバスを出して乗り遅れたり。  電車に乗ろうとすると、ダイヤが乱れたり。  限定品の最後の一個を買おうとすると、別の人に取られたり。  もはや本人の関係ないところでそういうものが続くと、呪いか何かではないかと疑いたくなるものだ。  そして、今日も俺はその間の悪さを発揮してしまっていた。  はっきりという。わざとじゃない。  重ねて言う。わざとじゃない。 「……」  湯気が晴れる。  妹の裸身が余すことなく晒される。 「や、やあ一観。えーと」  妙に寝苦しくて汗をかいてしまったので、朝風呂でしゃっきりしようとした。  ただ、それだけ、  本当にただそれだけのことだったのだが…… 「……」 「……」  見えている。  妹のあられもない裸身が余すことなく俺の網膜に焼きつく。  ドアを開けたから湯気が晴れる、だからより見通しはよくて。  見事に、綺麗な可愛い裸身が見事に。  そして。 「きゃあああああああああ!!」  頬に一撃が炸裂する。  この俺、時坂祥吾は、間が悪かった。 「ごめんね、お兄ちゃん」  朝食を用意しながら、妹――時坂一観は俺に謝る。 「いや、まあ俺も悪いし」  確かに、結果的に俺が完璧に悪い。そこに悪意があろうとなかろうと、だ。 「でも本当、お兄ちゃんって間が悪いよねー。教室に忘れ物して取りに行ったらラブシーン見かけたり」  あの時は思わずごゆっくりと叫んで逃げ帰った。 「気をつけないといつかお兄ちゃん、取り返しのつかない失敗しそうで心配だよー」 「気をつけてどうなるものは気をつけるけどな……」  タイミング、というものは自分の意思でどうにかなるようなものではない。  運命だ、仕方ない、と諦めるしかないのかもしれない。 「はいはい、捨て鉢にならない。最初から諦めてちゃどうにかなるものもどうにもならないよ。  もう心配だなー、お兄ちゃん気ぃ抜けてるから」 「抜けてないよ」  頬に一発、気付けの一撃が入ったことだし、頭はシャッキリとした。  一観はそれをじと目で見て、言う。 「嘘。今日が何の日かも忘れてるんじゃない?」 「今日……? ゴミの日?」 「はあ」  ため息をつく。だめだこのヒトは、と言わんばかりの表情だ。  何が駄目なんだろうか。心当たりない事で責められても困る。 「なんだよ。物事はちゃんと言わないと伝わらないんだぞ」 「以心伝心、とか空気を読む、とかはこのひとには通じないのかなあ……」  そう言いながら、小さな箱を差し出す。 「はい」 「何コレ」 「本気で忘れてる? ……まあ自分のことには無頓着だしね。  ハッピーバースデイ、お兄ちゃん」 「……あ」  ……そういえば。 「思い出した?」 「ああ、今思い出した」 「……大丈夫かなあ、ボケちゃったんじゃない?」 「うるせー。ありがたくもらっとくよ。あけていいか?」 「うん」  俺はラッピングされた箱を開ける。  こういう、包みを開ける瞬間というものはいつになっても心躍るものだ。 「懐中時計……?」  箱の中から出てきたのは、金色に輝く懐中時計だった。 「質屋で買ったの」 「質屋かよっ」  思わずツッコミを入れる。 「ほら、こないだお兄ちゃんが見てた奴」 「あぁ、そういえば確かに……」  買い物に行ったとき、通りがかった質屋のショーウインドに飾られていたものだ。 「よく覚えてたな」 「そりゃもう、愛しいお兄様の為ですから」 「ありがたくいただきます」  時計をまじまじと見る。  綺麗な金色をしている。  裏には刻印されている文字は…… 〝VerweileDoch! DubistSoSchon〟 「べりうぇいれどっち……どぅびすとそーしゅーん……? 何て書いてんだこれ」 「フェアヴァイレ ドホ! ドゥ ビスト ゾー シェーン。  ドイツ語、有名だよ? 時よ止まれ、お前は美しい、って」 「何それ」 「ファウストって戯曲知らない? ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの話」 「ああ、それは聞いたことあるけど」  内容まで深くは覚えていないのだが。  むしろ漫画とかアニメに出てきた、その二世の方が有名な気がする。  再放送で小さい頃見てたし。 「あ、時間で思い出したけど、私もうでなきゃ」 「部活の朝練?」 「うん。じゃあまた学校でね!」 「ああ、またな」  一観は慌てながら用意を済ませ、元気に手を振って出て行く。  我が妹ながら慌しいものだ。 「俺も行くか……」  椅子から立ち、俺は時計を見る。  懐中時計の螺子を回そうとし、 「あれ……?」  動かないことに気づく。  竜頭をいくら回しても……いやそれどころか竜頭が回らない。 「……壊れてる? ……まあいいか。後で修理に出せば」  しばらく悪戦苦闘した後、そう結論を下す。  一観には黙っておこう、とつぶやき、懐中時計をポケットにいれ、俺は立ち上がる。  そして、俺はものの見事に遅刻した。 「また遅刻かよ、時坂」  友人たちが言ってくる。 「うるせぇ島田。道に迷ったんだよ」  正確には、道に迷ってたらそのタイミングで荷物を抱えたばあさんと遭遇。  コンボかよと思いつつも、見て見ぬ不利は非常に精神衛生上よろしくないので送って行った。  あとは泣いてる小学生とか、まいろいろと。  その結果の大遅刻であった。 「はあ? おいおい何それ」 「ほっとけ」  実にほっといてほしい。 「どうせ荷物抱えた婆さん送っていったり泣いてる小学生の面倒見る羽目になったらいろいろとしてたんだろ」 「悪かったな」 「うっわマジかよ! ありえねー」 「……ほっとけ」  自分だって好きでやってるわけじゃない。  というか、正直まっぴらごめんだ。  それにはちゃんと理由がある。下手にそういう善人ぶった親切をして、そして目をつけられたくない、という理由が。  今はまだいいのかもしれない。  だが小学生、中学生ぐらいだとそんな善意が「かっこつけている」と思われ、調子に乗っていてうざい、と取られる事がある。  現に、この自分がそうだった。  身から出た錆、出る杭は打たれる、とでもいうのか。  小学校の頃。  いじめられてた女の子をかばった、ただそれだけで……見事に華麗にそして盛大に、俺にいじめがシフトしたことがある。  誰でもよかったのだろう。  さらに笑えるのは、俺がかばった女の子も俺を苛めるのに参加したということだ。  別に見返りを求めていたわけじゃないが、あれは子供心につらかった。  まあ、俺がいじめられたのはそれのみが原因ではないのだろうけれども……と、閑話休題。  とにかく、だから俺はそういったことはせず、静かにのんびりと平穏な人生を過ごしていきたいのだが…… 「間が悪いんだよなぁ」  係わり合いになりたくないのに目の前に出てこないで欲しい。  そんなんだからついつい手を出さざるを得ないのだ。  幸い、この学校になってからは、まあ周囲の人間もある程度は大人なのだろうか、そういうのに目をつけて苛める、というのが流石に馬鹿らしいというか恥ずかしいのか、俺は今の所……そういったいじめにあってはいない。  平凡平穏である。今は。  友人だっている。  クラスでも特に浮いてるわけでもなく上手くやっていけてる。  だから――  このまま時が止まればいい、と。俺は――  うららかな日差しの中、そう、  うとうとと、  意識が――  そして俺は――  意識が闇に沈み――  視界が暗転し、空転し――――  夜の街にいた。 「ぐ……っ」  体中が痛い。動かない。脇腹をダンプカーのごとき質量と速度に殴られ、街路樹に叩きつけられて転がったかのように。  動かない。  そして眼前には――  巨大な、機械の獣が。    キリキリ。                       ガシャガシャ。          チクタク。  カチコチ。         キリキリ。  ゆっくりと迫ってくる。  体が動かない。  これで終わりだ。何もかもが終わる。諦められない。諦めてたまるか、と思うものの、しかし体が動かない。 「終わりなのか、終わりなのかよ――こんな、こんな……!」  ふざけるな。  歯を食いしばる。だが、動かない。動けない。  諦めてもいないのに、どうしょうもない。  俺は、朦朧とする意識の中、 〝いいえ、始まるのです〟  そんな声を、聞いた。  そして―― 「いや、終わりではないよ。私が終わらせない」  凛とした声が、静止した世界に響いた。 「な――!?」  俺はその声の方向に振り向く。  そこには、さらに非現実な姿があった。  着物姿の少女だ。 「時が止まっている、だからと言って世界の終わりではないよ。これはただの現象、ただの怪異に過ぎない。  仕掛けたモノが滅びれば消え去る、陽炎のようなものだ」 「あんたは……」  俺と年は同じぐらいか、少し年上だろうか。  長い黒髪をポニーテールにまとめたその少女は、その手に日本刀と思しきものを携えている。 「少なくとも、周囲数百メートルぐらいかな。その範囲の時間は止まっている。  内に居る者も外に居る者も、その違和感に気づくことも無いがね。  そしてその時間停止から逃れ得るのは、私のような者か、あるいは――」  少女は、抜刀する。 「――奴らの“獲物”だ。君のような、な」  その刀は、不思議な刀だった。  刀身は間違いなく、美しい日本刀。  だがその唾から中腹の峰にかけて、歯車が埋まり、それは時計のリズムを刻んでいる。  そして鍔は、まるで……紅玉の輝きを持つ懐中時計。 「時計仕掛けの獣――人を襲い、人の時間を食らう、ラルヴァだ。そして奴は、君を狙っている」  少女は言う。 「だが安心したまえ。  私達異能者は、ラルヴァから君たちを守るために居る」  抜いた剣を、少女は正眼に構える。  時計仕掛けの獣は、その少女を敵と判断したのか、その鋼の巨躯を跳躍させる。  鋭い爪を、少女に向かって躍らせる。だが少女は静かに、瞳を閉じて唱え始めた。  ――天地は万物の逆旅にして、    光陰は百代の過客なり。  言葉とともに、紅玉の輝きを持つ懐中時計の、そして刀身の歯車の動きが忙しなく加速されていく。  赤い放電が巻き起こり、刀身に纏う。  少女はその刀を円の軌跡で振るう。その刃の輝きは、空中に紋様を描き出す。  それは魔法陣。  それに触れた獣は、その力に押し返され、弾き飛ばされる。  そして渦を巻く力はさらに加速され、そこに集まる大質量の力は、やがて織り上げられ――    而して浮生は、夢の若しなり――!  力が、爆現する。  魔法陣を透過するように、巨大な腕が現れる。  歯車、弾機、発条、螺子――空中に浮かび上がるそれらが編み合わされ、次々とその巨躯を構成していく。  全長3メートルの巨体。  チクタクチクタクと刻まれる真紅のクロームの巨躯。  流れるような流線型のデザインは、流麗にして苛烈。  各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。  まるで羽衣のような飾り布が、燃え上がる陽炎のように揺らめき、その美しさを際立たせる。  それは大地の力を秘めた赤き怒り。  時計仕掛けの――天使。 『GiIIIgOOOOEERrrrrrrRRRRR!!』  初めて、時計仕掛けの獣が声らしき声を上げる。それは錆び付いた金属があげる金切り声、不快な不協和音。  そして、突進。  時計仕掛けの天使は、跳躍してその牙を華麗に避ける。  空中で流れるように姿勢を変え、刀を構える。  刀を構える少女の姿をなぞるように。  そして、少女は静かに、流麗に、告げる。 「時よ――」  刀が煌く。 「疾れ――!」  瞬間、その時計仕掛けの天使の姿が掻き消えた。  それを俺は目で認識できなかった。だが何が起きたかだけは、理解できた。  早くなったのだ。早すぎた。  そう、時間を加速させたかのように。  その神速の斬撃は、いともたやすく――  時計仕掛けの獣を両断した。  その姿を、俺は眺め、そして――  そして―――― ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品投稿場所に戻る>作品投稿場所]]

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