【時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn 第一話 前編 2】

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[[ラノで読む>http://rano.jp/1697]]  激しい衝撃と痛みとともに、覚醒した。 「ぐおっ!?」  ものすごく、痛い。  たまらず、がばり、と起き上がる。 「おはよう」 「え」  そこで我に返る。 「そんなに俺の授業がつまらなかったか、時坂祥吾?」  笑顔で答えるのは、俺のクラスの担任教師である、吾妻修三先生だった。  そう、時間は午前十一時二十一分。場所は教室。  そして空気が重い。視線が集まる。  押し殺した笑い声も聞こえる。 「……あ」  我に返る俺。   うわぁい、見事に寝ていたようだ。  まあ、授業中の居眠りなどはよくある風景である。  だが、いかんせん間が悪かった。  そして、その羞恥に追い討ちをかけるように。  脳天に吾妻先生必殺の、二度目の鉄拳制裁が打ち下ろされた。 「つか、お前バカだべ? 吾妻センセの授業で寝るなんて」  授業がつつがなく終わった後、頭を抑えている俺に向かって島田が言う。 「うるせー。寝たくて寝たわけじゃないって」 「まあ、吾妻の怖さ知ってりゃ居眠りはねーよな」 「だよなあ」  頭を抑える俺だった。正直かなり痛い。いまだに響く。 「つーかいまどき体罰はねーだろ。暴力教師。でも生徒から嫌われてねーのは人格っつーか人徳なのかねぇ」 「……だな」  そう、問答無用に殴られたのに不思議と悪い気はしない。すごく痛いけど。  吾妻修三は、言ってみれば古いタイプの教師であった。  一昔前のドラマに出てくるような、厳しい熱血教師、とでも言うべきか。  どちらかというと静かなタイプだが、生徒の悩みに真摯に向き合い、怒るべき時は怒るが決して理不尽ではなく、そして単純な善悪のみで物事を見ず、だが筋は曲げない。  そんな人柄が、生徒たちには人気であった。  俺も嫌いじゃない。尊敬できる大人だと思う。 「で、なんかうなされてたっぽいけどどんな夢見たんよ」  島田が笑いながら問いかけてくる。 「いや、なんというか……」  真面目に答えたくない夢だった。  化物に襲われ、女の子に助けられる夢なんて。  しかも、今朝もその夢を見た。まったく同じ内容だった。  やはりあれか。そういう願望でもあるのだろうか、俺。  ……進歩してねぇな、我ながらというかなんというか。 「犬に追いかけられる夢」  適当に茶を濁して答えておく。  アレを犬というのも無理があるかもしれないが、夢の世界ではああいうのを犬というのかもしれない。  うん、嘘は言ってない。 「ふーん……ん?」 「?」 「おい、なんか落としたぞ」 「ん?」  ポケットから零れ落ちたのは、時計だった。 「なにそれ。珍しくね」  島田が興味深そうに見る。 「ああ、これは――」  妹からの誕生日プレゼントの時計だ。  俺は島田にその事を話す。 「……と言うわけ」 「ノロケかよ、糞ァ!  あーあー、俺もかわいい妹欲しいよなー。姉貴なんかかわいさどころか女らしさのカケラすらねーしよ。なんだあのゴリラ」 「そうか?」 「そうだよ! 今朝だって俺の朝メシ食いやがったんだぞ!」 「いいだろそのくらい……」 「よかねぇよ! 昨日の晩メシの残りのトンカツ! 楽しみにしてたんだっつーの! 返せよ!!」 「俺に言われても……」  そもそも晩飯の残りのトンカツなんて、衣のべちゃべちゃ感があまりよろしくないのではあるまいかと俺は思うわけだ。  うちの妹なら晩飯に余分に揚げたりせず、朝に改めて揚げてくれるだろうが…… 「なんだよそのうちの妹なら晩飯に余分に揚げたりせず、朝に改めて揚げてくれるだろうが……ってツラぁ」 「鋭いな」 「否定しろよこのシスコンっ!? ノロケかノロケだなノロケなんですねノロケなんだなこのチクショウがぁっ!!」 「あ、次の授業」 「スルーかよっ!? だーやってらんねぇその勝者の余裕ッ!」  こいつが何を言っているのかわからんが、とりあえず次の授業である。今度は居眠りしないように注意しよう。  またあんな夢を見て殴られるのも御免だし。  …………。  ……。  …。  授業はつつがなく終わり、そして昼休み。  今日は一観が部活で早く出たので、弁当は無しだ。  両親もここ一週間は仕事場に泊まりでろくに帰ってないし。  というか二人ともちゃんとメシ食ってるんだろうか?  まあ、両親の心配をしててもしょうがない。あの二人は要領いいしタフだし、うまいことやってけてるだろう。 「時坂ー、メシどうすんだ?」 「敗残兵として出陣」 「なるほど」  遅参兵、とも言う。授業終了即ダッシュの機を逃した今、慌てて購買目指して走ってもロクなのにありつけないどころか、大量の人の波に潰されてしまうだろう。  ならばある程度ゆっくりと行くのもまたコツだ。  どんなのが残ってるかわからないし、最悪何も残ってない可能性も大いにあり得るのだが……その時は外のコンビニに行く事でなんとか対処すればいい。 (……行くか) 「お、時坂」 「……吾妻先生」  ぱったりと廊下で会う。とたんに頭が疼いた気がした。 「今からメシか?」 「はい。購買に」 「あー……」 「?」  先生の目が泳ぐ。 「……遅かったな」 「……」  その一言で察した。 「早くないっすか? この時間……」 「今日は購買組が多いらしくてなぁ、そういう日なんだろう」  ……。  間が悪いなあ、まったく……  仕方ない、コンビニでも行くか。  だがコンビニは学校から少し遠いのがつらい。それに同じく買いそびれた連中がいるのなら、果たして間に合うかどうか…… 「時坂。半分食うか?」 「え? でも先生は……」  買えたのか。 「腹減りすぎてて買いすぎてな。よく考えたら全部食えそうにないんだ、これが」  よく考えたら俺は小食だからな、と付け加える先生。  ……。  本当にそうだろうか。  食い盛り育ち盛りの俺たちに比べると確かに食欲は劣る、と言われれば頷けるかもしれないが……先生は体育教師でもないのに体がしっかりとして筋肉質だ。体育教師が休んでる時に臨時を頼まれるぐらいだし。  鍛えてるだろうその体を維持するには、しっかりメシを食わないと難しいだろうぐらいは俺にも判る。小食の人間の体つきじゃないだろう、これは。 「ありがとうございます」  でも、俺がそんな変な気配りした所で意味ないし、先生には筒抜けだろう。  俺は黙って、先生の好意に甘えることにした。  貰ったのは、パックに入った鶏おにぎりとから揚げ三個だ。 「沢山食え、とは言わないがちゃんと食えよ。メシは抜かさずに三食きっちり食うことが学生の本分だ」 「……学生の本分は勉強じゃないんですか?」 「それは優等生に任せておけ。人には向き不向きがある。勉強が向いてない奴は、自分の向いている事をきっちりとやればいい」 「……それ、俺がメシ食うしか能のない人間って聞こえます」  否定は出来ないんだけど。 「失言だったな、許せ」 「じゃあこのメシ代をチャラにするって事で」 「調子にのるな。それはそれ、これはこれ、だ」 「はい、先生」 「じゃあ俺はこれで。午後の授業、寝るなよ」  そして吾妻先生は去っていった。  ……。  やっぱり、いい人だよな、あの先生。  俺は屋上へと来ていた。  流石に人は多いな……。  みんな考えることは同じか。というかなんで学生は屋上が好きなんだろうな。  さて、開いてる所はあるだろうか……。  俺が周囲を見回していると、見知った顔がひとつ。 「あ、お兄ちゃんー!」  一観だ。一観が女の子たちの輪から顔を出している。  邪魔しちゃ悪い、か。  俺は手を軽く振って挨拶を返すと、屋上から出ようとする。  扉に行きかかったとき―― 「何処いくの?」 「うわっ!?」  一観がすぐそばまで来ていた。 「ひ、一観……びっくりした」 「もー、なにそのお化け屋敷でものすごいモノみたような反応」 「いや、悪い。驚くつもりはなかったんだが」  というか驚くつもり、って何だ俺。なんだその矛盾した心得。 「まあいいけど。で、ご飯食べに来たの?」 「ああ」  さすが鋭いな。まあビニル袋持って屋上に来てれば目的はひとつしかないだろうが。 「じゃあ、一緒に食べよ?」 「……は?」  いきなりそんなことを一観は言ってくる。 「……友達は?」  さっきまで一緒にいただろ?  どうするんだよそれ。 「事情話して抜けてきちゃった」 「……」  事情、て。  お兄ちゃんとご飯食べたいから抜けるね、とでも言ったのか。  それは……なんというか。  さぞや周囲の女友達も面食らったことだろう。  というか友達づきあいは大事だぞ、優先しろよ。  友達が少ない俺が言っても説得力無いから黙っておくが。 「昼休みにお兄ちゃんとご飯たべるの、久しぶりだもん」  一観はそう言って、腕を組んでくる。いや、組んでくるというよりはひっついてくるというか、むしろ木によじ登ってくるコアラみたいというか……。  まあ、悪い気はしないのだが。 「朝とか夕食とか、いつも一緒だろ」 「それは別腹なのです」 「甘いものだろ、それは」 「甘いよ?」 「……」  駄目だ。ふだん聞き分けがいい我が妹は、しかし一度わがままモードに入ると頑として言うことを聞かないのだ。  中学の時なんかそれで布団に入ってこられて死ぬほど困った事もあった。しっかりと覚えてる、あの晩は寝られなかった。  こうなると勝ち目が無い。畜生、ずるいよなあ。  素直に敗北を認め、諦めるしかない。  あと、そろそろ周囲の目が痛い。  だってなあ、女の子に抱きつかれてる形だもんなあ。  知らない奴らが見たら間違いなく誤解するだろう、これは。 「早く行こうか、一観」 「うん、何処に?」 「そうだな……」  考えて、俺は行き先を告げる。  屋上の次に好きな場所だ。 「ここ?」  そこは小さな図書室みたいな所だった。 「図書準備室だよ」 「鍵は……?」 「閉まってる。だけどこっちの後ろの扉は開いてるんだよな。  たてつけ悪いし、ほとんど使われないってんでこっちは放置」  おかげで忍び込むにはとても便利なのだ。 「よっ、と」  よし、開いてる。  俺たちはドアを開け、中に入った。 「……普通だね」 「ああ」 「お兄ちゃんのことだから、なんかすごい秘密基地っぽい所かと思っちゃったよ。  いろんな標本や剥製とかガラクタみたいなのがぎっしりあるの」 「そういうの憧れるけどな」  流石に理科準備室とかその手の部屋は危険物もあるので施錠も厳しい。ここは余った本、ダブった本、読めなくなった本とかが置かれている部屋だから頻繁に使われることもないし、管理もそんなに厳しくないのだ。 「……否定しないんだ」  男の浪漫だからな、秘密基地は。 「さて、食うか」  時間は有限だ。なんだかんだいって昼休みも半分近く過ぎているし、あまりのんびりと喋っていても進まない。 「うん」  俺と一観は椅子に座る。  埃をタオルで拭いて、机の上におにぎりとから揚げを乗せる。  一観はパンだ。 「そういや、購買はあっさり品切れになったと聞いてたが……」  一観は運動部所属だ。だが、そんなに運動が得意という方ではなかったはずだ。 「らしいね。でもちゃんと買えたよ」  買えてたのか。  確かに一観のいる校舎のほうが購買に近いが…… 「女の子のネットワークは色々と便利なんだよ?  みんなでローテーション組んで買出し部隊決めてるの。なんかね、購買のおしくらまんじゅうも、ちょっと声出せば人の波が引いていくとか、買出し部隊の子が言ってたけど」  ……。  怖っ。どんな声上げてるんだそれ。  そして恐るべし、女子の団結力。  これ以上考えるのはよそう。俺は机の上に眼をやる。  一観のパンは、クリームパン二個とあんぱんだった。  クリームパンの一個はたべかけだ。途中で切り上げてきたのだからまあとうぜんか。 「クリームパン、好きなんだな相変わらず」 「うん」  昔から甘いものが好きだからな、こいつは。  特にクリーム系。  昼飯に甘いもの系ばかりというのもどうかと思うが、男とは違うのだろうしそこは口を出すところではないだろう。  しかし、甘いものは別腹というわりに甘いものしか食わない場合は、本来の胃袋には何が入るのだろうか?  女体の神秘、って奴か。 「あ、お兄ちゃん、から揚げ一個貰っていい?」 「ん? ああ」  せがんでくる一観。まあ断る理由は無い。理由は無いが…… 「交換な。先生に分けてもらった奴だから、少ないんだよ」  おにぎりはふたつ、から揚げは三個だ。  健康的な男子生徒の昼食にしては少なすぎる。贅沢言うつもりは全く無いが、いくら妹の頼みとは言えただでくれてやったら俺の胃袋に優しくない。  そこはきっちりしないといけないのだ。 「わかった。じゃあこれ」  差し出してきたのはクリームパンだ。  さっきの半分状態からさらに半分……四分の一になっている。  ……まあ、量としては問題ないのだろうけどさ。 「おう」  俺はクリームパンの残骸を受け取り、クリームパンが乗っていた袋の上にから揚げを置いた。ちなみに一番でかい奴だ。 「ありがと」 「おう」  そして俺はクリームパンを食べる。甘い。 「……間接キスだね」 「ぶほっ!」  むせた。  いきなり何言うかなこいつは!  あやうく口の中のクリームパンを噴き出してしまう所だった。 「冗談だよ」 「変な事言うな、ったく……兄妹だろが」  今更の話だ。そんなことをいちいち気にする方がおかしい。  おかしいのだが……実際に面と向かってそう言われると意識しないのもまたおかしいという二律背反というか矛盾というか。  そもそも、俺は……一観をそういう風に見ていない。  あの時、そう決めたんだから。 「そうだよね、兄妹だもんね」 「ああ」 「だからお風呂とか覗いちゃうんだ?」 「ばゃひゅっ!」  変な音が出てまたむせた。  というかむせた時の擬音じゃねぇ! 「ふっ、不可抗力だっ、あれはっ」 「うん、わかってるって」  確信犯か。このやろう。しばらくそのネタで弄るつもりか。  いつか見てろ。ぎゃふんと言わせてやる。  俺はそう固く誓い、残りのおにぎりを頬張った。  そして午後の授業が始まる。  この時間は敵だ。すごく眠くなる。  だが寝てはいけない。  寝てはいけないのだ。  そして俺のまぶたは―― (……)  あっさりと、俺を裏切った。  巨大な鋼の獣が、バターのように綺麗に真っ二つになる。  そして自重に耐えかねるかのように、その巨躯を構成していた歯車、発条、螺子、鋼線、滑車……それらの結合が解け、崩れ落ちていく。  粉々に、バラバラに。  彼女の――彼女の呼び出した巨大な機械仕掛けの天使の、たった一撃の斬撃によって。 「……」  それを俺は、全身の痛みも忘れ去り、ただ呆然と見ていた。  見ているしか、なかった。  残骸が崩れる。そしてそれは…… 「!?」  俺は自分の目を疑う。  消えていく――?  その歯車たちは、存在そのものが崩れていくように……  錆付き、砕け、ほつれ、虚空に消えていく。  それはなんとも幻想的な光景だった。  気がつけば。  あの時計仕掛けの獣は、存在そのものが最初から無かったかのように――消滅していた。  歯車の一枚も残すこと無く。  鉄錆の一粒も残すこと無く。 「――」  その人はため息をひとつ付き、刀を収める。  そして、俺の方を振り向く。 「……」  なんというか、綺麗な人だった。  凛とした、という表現がこの上なく似合っている。 「無事……のようだな」  そういって安堵のため息をつき、俺に近づく。  その白い指が俺に触れる。 「ふむ。致命的な怪我は負っていないようだな、打撲や裂傷程度か……うむ、これなら問題ない」 「あ、えと……はい。じゃなくて、あんたは一体……これは」  俺の質問に、 「夢だ」  彼女はそう答える。 「ゆ……め?」 「ああ、夢だ。君は、見たことを忘れればいい。全ては夢だ、夢なんだ」  そして彼女は、俺の顔の前に手をかざす。  不思議な匂いがする。  香水? わからない。嗅いだ事の無い匂いだ。  ……意識が、遠のく。なんだ、これ…… 「目を閉じて。そして目を開けたとき、君は全てを忘れていて、普段の日常へと戻るだろう。  そして家へと帰路に着き、そのまま自分の生活へと戻るんだ。いいね?」  ……よくはない。  そんなふうに、簡単に済ませられるような体験じゃないし。  そりゃあ、夢だといったほうがしっくりくる。  それくらいに荒唐無稽で無茶苦茶な展開だから……  ああ、やっぱり夢なのか、ってそうも思えて…………いや…………  ……………………。  ……………。  ……。  …。 「……」  俺は目を覚ます。  どうやら教師に見つかっての鉄拳はなかったようだ。  あるいは見つかっても放置されたか。 「よし、今日はここまで。ここ、テストに出るぞー」  ちょうど授業が終わる頃だったようだ。 (……しかし)  今日一日で三度目だ。  夢の続きを見る……それ自体は珍しいことだけど、それでもあり得ないことではないと聞く。  だけど一日に三度。  これはかなり異常なんじゃないだろうか?   不安がよぎる。  なにか、とてつもなくよくないことの前触れのような……。  そんな言いようの無い不安、喉に棘が刺さったような。そんな気持ちのまま放課後になる。  忘れよう、気にするな。そう頭で言い聞かせても無理な話だ。  だが、下駄箱で靴を履き、中庭に出たとたんに―― 「……」  その嫌な気分も不安も棘も何もかもが、吹き飛んだ。 「……!?」  俺は、自分の目を疑う。  その人は、夢の中で会った、あの女の子だ。  俺を怪物から助けてくれた、女剣士。  それが、この現実に、いる。 (どういう……ことだ!?)  夢だ。あれは夢だ、夢のはずだ。そうじゃなきゃおかしい。  現に……彼女自身が、俺に夢だと告げたはずじゃないか?  いやまてそれはおかしい。夢の中の出来事を信じる方がおかしいだろう。  ならなんだ、これは何だ。 (……確かめないと)  俺は走る。  走って、彼女を追いかける。  校舎裏へと彼女は歩く。  俺は走り、追いついて―― 「……?」  いない。  確かに、こっちに…… 「ストーカーとは感心しないな、君」 「うわっ!?」  背後から。急に声がかかった。  後ろに回りこまれていた? ……いつのまに。  「……っ、ち、違う。俺はストーカーじゃ……」 「そうか、違うのか。なら君は何だ?  ストーカーでもないのに他人の、それも女子の後を付回すとはあまり感心する趣味ではないが」 「いや、そういう趣味を持つのがストーカーってんじゃ……」 「む。そうか、それは失敬した」 「あ、はい」  わかってもらえたようだ。 「つまり君はそんな趣味を日常的に行うストーカーなのだな?」 「まったくもってわかってない!? そういう趣味もなければストーカーでもないよ俺!」 「そうか、すまない。では君は何だ? 初対面のはずだが」 「……」  その表情や口調からは、あの出来事を伺わせるものはない。  本当に、俺のただの夢でしかない?  だがそれにしては酷似しすぎている。いや、そのものだ。声も喋り方も何もかもが、同じなのだ。 「……」  黙っていても仕方ない。 「そ、その……変な事言うかもしれないけど」  俺は、話すことにする。  今更愛想笑い貼り付けて逃げ出したところで何も意味はないし逆効果にも過ぎるだろう。  そして全てを話した後、彼女は…… 「知らないな。そもそも私は異能者ではないよ。ラルヴァと戦うなんて出来ない。  君は夢でもみていたのではないのかい?」  そう一笑に付した。 「いや、そんなはず……!」  俺は食い下がる。  自分で話していて、逆に実感と確信を持ったのだ。  リアルすぎるし、目の前の人と夢の中の人はあまりにも合致し過ぎる。あれは夢なんかじゃない。 「私を夢に出すのは君の勝手だが、現実にそれを求めないでくれたまえ。  まあ、夢とはままならないものであるから、致し方ないだろうから追求はしないが」  そう言って、その人は踵を返す。  その後姿は、どんな言葉よりも雄弁に拒絶を表していて―― 「……」  俺は、それ以上何も言えなかった。  そのまま俺は学校を出る。 「……」  なぜか、すぐに家に帰る気にはなれなかった。  まあ、このまま直帰した所で、親も妹もいない、ひとり寂しいわけだから仕方ないかもしれないが。  とりあえず、適当に散歩して、時間を潰すか……。 「……」  顔を上げると、そこには古い時計屋があった。 〝時計の修理いたします〟と張り紙がしてある。  ……そうだ、俺は一観に時計を貰ったんだ。  修理を頼むことにしよう。  俺は店の中に入る。  そこは、まさしく時計屋だった。  所狭しと時計が並んである。  柱時計、置時計、腕時計、懐中時計……。   「やあ、いらっしゃい」  声がかかる。  店長だろうか。いや、店長の娘か、それともアルバイト?  声をかけてきた人は、黒ずくめの少女だった。 「何かお探しかな? 仕事に使う腕時計、それとも君の帰りを待つ柱時計、様々なお望みの時計を用意しましょう。  それとも……人生と云う名の時の迷宮の迷い児かな? ならば君の失った時間について共に探す旅にでようか?  人間はみな、時をさすらう旅人なのだから」 「あ、いや……」  何だろう。  芝居がかった、もったいぶった喋り方をする女の子だ。 「ええと、時計の修理って、壁紙があったので」 「ほう」  少女は目を細める。 「珍しいね。いや、時計の修理を頼みに来る客は多い。  だがその手の客はみな年配の老紳士だ。君のような若者が時計の修理に訪れるとは、面白い」  興味深そうに笑い、俺を覗き込んでくる。 「は、はあ」 「それで? 君の時計はそれほどに大切なものなのかな?」 「あ、うん。妹に貰った誕生日プレゼントで……」 「ほう! それはいいね、実にいい。誕生日に時計を贈る意味を君は知っているかい?」 「いや……特に」 「そうか。無知はいいね、知る喜びに溢れている。無知とはけして愚かという意味ではないのだよ。  さて、時計を贈るというのはだね、〝あなたと同じ時を歩みたい〟という意味や、〝新しい人生を生きて欲しい〟などの思いが込められている事が多い」 「同じ時、って……」  プロポーズみたいだな、それ……。 「ふ。まあ妹君からなら、そんな意味深さはないだろうね。  だがそれでも時計を贈るというのは最上級の親しみが込められていると考えて差し支えない。時計とは特別なものなのさ」 「……」 「話がそれてしまった。では見せてくれないか」 「あ、はい」  俺はその時計を見せる。 「……ほう」  その時、彼女の表情が変わったように見えたのは、俺の錯覚だろうか。彼女はまじまじとその時計を見る。 「ふむ……」 「あの、どう……?」 「無理だ」 「は?」  俺は思わず声をあげる。 「この時計の針を進めることは、私にはできない。それは君にしか出来ない事だよ」 「すまん、よく意味が」 「いずれわかる」  そう言いながら時計を俺に返してくる。 「……?」 「時間というものは不思議と思わないかね。常に同じように流れる、万物万人等しく残酷なまでに。だがそれでも時間は等価ではない。君も覚えがあるだろう、子供の頃の一日は大人の三倍だ」 「……まあ、確かに」  特にいじめられっ子の一日は最悪だ。  昼間は今日が早く終わればいいと耐え、夜は明日がこなければいいと長く拷問のような時間を過ごす。  いや、そうでなくても……子供の時間は長い。  大人と、他人と同じ一日24時間のはずなのに。 「外的時間と内的時間。他にも時間の概念を表す様々な言葉がある。おかしいな、時間は常に絶対のはずなのに? なんとも不思議で実に神秘的だ、興味深い」 「そう考えると、まあ確かに」 「そう、古来から人は時間に魅了され時間に挑んできた」  彼女は店内を見回す。 「そう、永劫に挑んできたんだ。  おお、時よ止まれ。汝はかくも美しい――!  いい言葉だと私は思うよ。実に詩的じゃないか」 「止まって動かない時計。だが言っておくと、それは壊れている訳ではない。そう、それがかくあるべき姿なんだ」 「……?」  それはつまり。  最初から動かない、時計の形をした置物……って事なのか?  ……何の意味があるんだ、それ。  いやまあ、だけど……  意味なら、ある、か。一観が買ってくれたものだ。  それだけで、俺にとっては何よりも重い、宝物だ。 「いい顔だ」 「っ!?」  びっくりした。何を言い出すのか。 「ああ、やはり君とそれの邂逅は運命的だと私は思う。その時計の止まった針を君が動かせたとき――そこにこそ、君の永劫は存在するだろう。君が見出し君が動かし君が契る、そこにこそ」  感極まった風に言う。 「――意味が、生まれるんだ」 「……」 「おっと、話し込んでしまったね。そろそろ閉店だ。悪いけど」 「あ、ああ」  いつのまにそんなに時間が経ってしまったのか。  俺は促されるままに時計をしまう。そして店から出る。  その店から出る直前に――俺は店員の少女の声を聞いた。 「――君の行く道に、時の神々、クロノスとカイロスの祝福があらん事を」    そんなに長い間過ごしていたつもりはなかったが、すっかり遅くなってしまっていた。  今日は色々なことがありすぎた。 「夢、かなあ……」  あの少女のこともそうだし、それに……時計屋の事すら、狐につままれたとか、狸に化かされたとか、そんなかんじのあやふやになってきている。  夢か現か判断が付かない。  ……この歳でボケてしまうのは流石に嫌だなあ。  そう思いながら俺は家へと帰り着く。  さて、頭を冷やすというか、頭を切り替えるというか……とにかく、シャワーでも浴びるか。  洗面所のドアを開け、服を脱ぐ。  洗濯機の隣の籠に、脱いだシャツとパンツを入れる。  そして、俺は風呂場のドアを開けた。 「……」  湯気に満ちている。  一観が先に入っていたのか、風呂桶には湯が張られていた。  手を入れてみる。まだしっかりと熱い。  ちょうどいい、ということか。俺もどちらかというとシャワーより湯船派だし。日本人だもの。  まず、かけ湯をする。背中がしみる。 「っつ~、傷に染み……え?」  ……傷?  傷って何だ。俺は怪我なんて…… 「!」  あわてて鏡を見る。  その背中には、傷があった。  血は止まっているし肉が盛り上がっている。治りかけの、ほぼ塞がっているが――  巨大な爪に切り裂かれたかのような、傷が背中にはあった。 「……」  夕食も味がわからず、一観が何を言ってたてのかもまるで頭に入らなかった。  あれは夢だった。夢のはずだ。あんなことあるわけがない。  だが、あの彼女は確かに夢に出てきたのと同一人物。  そして、この背中の傷……。 (何なんだ、これ)  まったくわけがわからない。  理解の範疇を超えすぎている。  俺はおかしくなってしまったのか?  それとも――  前々からおかしくなっていたのをやっと自覚したのか?  わからない。  色々と考えても、答えは出ない。  出ないまま、俺は――  意識を闇の中へ―― 「!?」  いつのまにか、ベッドの上ではなく、別の場所に俺はいた。  そこは……一言で言えば、「発条仕掛けの森」とでも言うべきだろうか。  樹がある。草がある。花がある。虫がいて鳥がいて獣もいる。  その全てが、歯車と発条と螺子と……  機械で出来ていた。  チクタクチクタク、とリズミカルに響く音。  ガタゴトガタゴト、と重厚に響く音。  それは鳥や虫や獣たちの鳴き声。  ここは――この夢は、全てが歯車で動いていた。 「ゆ……め、だよな?」 『そう。これは夢です。私の、そしてあなたの』 「だ、誰だ?」 『私ですか? 私は……』  俺のその声に応えるかのように、地面に落ちていた歯車が組み合わさる。  そしてそれは……人間の少女の姿をとった。  漆黒の長い髪に抜ける様な白磁の肌。  丹精に整った、人形のような、あるいは芸術品のような顔。  紫水晶の瞳は、美しく澄みながらも、諦観したかのような不思議な翳りを見せていた。 『メフィスト。メフィストフェレス《愛すべからざる光の君》』 「メフィ……スト?」  俺は思い出す。朝、確か一観がそんなことを言っていた。  メフィストフェレス。ファウスト博士を誘惑し付き従った、悪魔の名前。 「それが何で俺の夢に?」 『操奏者《コンシェルター》』 「コン……何?」 『あなたは私の新しい操奏者《コンシェルター》なのです。  あなたが望むなら、私は伴侶のように、召使のように、あるいは奴隷のように仕えましょう』 「何……言ってるんだ?」 『あなたには、私と契約する理由があるはずです』 「わけわかんねぇ。何言ってんだよ!?」 『……』  それには答えず、メフィストはただ指を指す。  その指の方向に視線を向けると…… 「な……一観っ!?」  歯車で出来た十字架に磔にされ、時計の秒針に胸を突き刺され息絶えている妹の姿があった。 「一観っ! 一観ぃいいいっ!」  俺は駆け出し、一観に触れる。  指が触れた瞬間――妹の体は鉄錆と歯車になって砕け落ちた。 「……っ!」  掌に歯車が落ちる。それは錆びて崩れ溶け、まるで血の様な痕を俺の掌に残す。 「なんだよこれ、夢だからって……趣味悪いだろ!」 『そうですね。確かにこれは夢――』  メフィストは静かに言う。 『ですがこれは――ただの夢ではありません。  いずれ起きる現実。  あなたの妹さんに――残された時間は、少ない』 「はあ!?」  何を……言っているんだこいつは! 「何を言ってるんだお前! いきなりこんな、はいそうですかって信じられるか! 夢なんだろこれ、夢ならとっとと覚めろ!」 『……』  叫ぶ俺に、メフィストはただ静かに目を閉じる。 『いずれ来る未来。だけどそれは箱の中の猫のように、確定されたものではありません。  救う方法はあるんです。未来を覆す方法が。  私と――メフィストフェレスと契約し、誰かの時間を奪い、与えれば……  彼女に残された時間は増え、その命は永らえるでしょう』 「奪い――与え、る……?」  なんだ、それは?  誰かの時間を奪う? それってつまり―― 『はい、奪うのです。その人の、残された命の時間を』 「……っ!」  つまり。  殺せと……言うのか! 妹のために人を殺せと! 『そうしなければ――』 「うるさいっ!」  俺を激しい衝撃が襲う。 「……夢」  ベッドから床に転げ落ち、俺はそうつぶやいた。  ……俺の部屋、である。  背中が痛い。まあ、思いっきり落ちたからそれは当然だろう。 「うおおお、あ痛ぁ……っ」  だがまあ背中ならいい。打ち付けた面積が広いという事はそれだけ痛みが分散されるという事だ。  脳天から落ちてたんこぶや、首を痛めたり、あるいは尻から落ちて尾てい骨を強打するよりはどれほどマシだろうか。  まあ、それでも痛いことには変わりがないんだけど。  もそもそと起き上がり、ため息をつく。 (ていうか、ものすげーデジャヴだ)  昨日もこんな事があった気がする。  一字一句まるごと同じで。  だが……確実に違うことがひとつだけある。  夢の内容。  あの夢じゃなく、別の夢で。  それは。 (……ばかげてる)  妹が、一観が死ぬ?  だから助けるために人を殺せ、だと?  そんな事は出来ない。出来るわけがない。  それに―― 「夢だ、ただの夢。完璧にただの夢だ。その証拠に――」  その証拠に。  ……証拠、に……。 「……」  そんなものはない。自分で言ってそもそも馬鹿げている。  そんなのは悪魔の証明と同じだ。 「……朝メシ、食うか」  俺は気持ちを切り替える。  こんなことにいちいち気を割いてはいられない。  普段どおり、いつもどおりに、だ。  俺は朝食を食べるためにリビングへと行く。  気持ちを、切り替えて。日常を繰り返すために。  だから、俺は気づかなかった。  あの時計の針が、少しだけ動いていたことに。  それは――始まりだった。  終わりの、始まりを刻む――  前奏曲。 ---- [[トップに戻る>トップページ]] [[作品投稿場所に戻る>作品投稿場所]]

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