[[ラノで読む>http://rano.jp/943]]
召屋正行のささやかな日常はやっぱり壊れていくある日の昼休み、むっすりとした顔で、召屋正行《めしやまさゆき》と有葉千乃《あるはちの》は、くだんの第七生徒指導室で、怜悧な笑みを浮かべる数学教師、字元数正《あざもとかずまさ》の前に不満げな面持ちで立っていた。 「君たちをわざわざ呼び出したのは他でもない……」「他もクソもねー。ちゃんと、アンタの仕事は解決しただろ」「そうだよー、もう赤点ないんでしょ?」頬をパンパンに膨らませ、有葉までもが文句を言う。まるで、その姿は駄々をこねる小学生のようだった。もちろん、そう見えるのもしかたない。高等部二年生でありながらも、その姿は児童そのもの。制服さえ着てなければ確実にバスは幼児料金で乗れるレベルだ。いや、高等部の制服でも、大人料金は請求されまい。それほどまでに、“彼”は完璧だった。“彼”と強調するのは、彼が何故か女子向けの制服を着ているからである。もちろん、違和感などは皆無である。 二人の抗議を全く無視して、字元は話を続ける。「誰が、あの件を片付けたら終わりって言ったかね? 君たちとの契約は、卒業するまで続くんだよ。第一、あんなしょっぱい仕事で、赤点免除なんて有り得ると思ってたのか。御気楽も甚だしいなあ……くくくっ」 字元は彼らの反応が面白かったのだろう、言いたいことを言うと、腹筋が痛いとばかりに腹を押さえながら、笑う。なんとも嫌な感触だ、そう召屋は思う。「じゃあ、俺《・》は永遠にアンタの奴隷ってことか?」「もう、メッシー! アタシもだよーっ!!」自分を無視されたのがご立腹らしく、有葉は、本来、味方であるはずの召屋に食ってかかる。「そう受け取ってもらっても構わないよ。君たちには、依頼を断るという選択肢もあるわけだからね。どうするのかね?」絞殺か毒殺か、どちらか好きな方を選べと死刑囚に語りかける、執行人のような面持ちで、字元は二人にもう一度やさしく声を掛ける。「さて、どうする?」歯噛みしながら、召屋は渋々従うことにした。「それで? どんな仕事なんです」字元は右の口角上げて、ニヤリと笑う。「まあ、今回も簡単な仕事だよ。この双葉区、そのB地区のごく限られた地域で、連続して能力者が襲われるという事件が発生してね。それを調査、解決してもらいたい」 「前回も《・》簡単な仕事じゃなかったんだが?」はて? という表情で字元は惚ける。「それはそれ、これはこれ、だ。今回は《・》簡単な仕事だよ召屋。詳しいことはここに行って話しを聞くのがいいだろう」召屋に渡そうとした封筒を、案の定、有葉が素早い動きで掻っ攫う。そして、封筒の中を探りながら、資料を不器用に引っ張り出し読み始めた。「えーと……。教会にいくんですか?」有葉は、資料を見つめたまま、字元に質問する。「そう、教会だ。そこで神父に話を聞くがいい。分かったら、さっさと教室に戻れ。こっちも忙しいんだ……。それと有葉、君の作っているブログが一部で問題になっているのだが、もう少し自重してくれないだろうか?」 「はーいっ!」全く持って自重する様子もなく、気持ちの良いまでに無邪気に答える有葉。「へいへい……」召屋はというと、放課後のことを考えて、ウンザリしながら指導室を出る。その別れ際、無駄に元気良く、有葉が声をかける。「じゃあ、放課後、校門で集合だよ、メッシー!」「おう」その言葉には覇気はなかった。これからのことを考えると胃が痛くなるな、などと思いながら、教室に戻った召屋は、自分の机の上に、完全に伸びきったカップラーメンが置いていたことを思い出す。 (そういや、今日の昼飯、カップ麺にしたんだよなあ……)すっかり水分を吸ってもぞもぞになった、生温いカップ麺を頬張りながら、自分の今後の人生についてちょっとだけ深刻に考える召屋だった。「ちょっと召屋くん!?」午後の授業も間近ということで、強引に伸びた麺をかっ込む召屋に、やや棘のある感じの女性が声をかける。その声の主は、このクラスの委員長である笹島輝亥羽《ささじまきいは》だった。セルフレームの眼鏡に黒髪はひっつめ、制服こそきっちり着こなしてはいるが、それも生徒手帳に書かれていることに寸分の狂いもないだけで、自由さなどは感じられない。それどころか、周囲にむやみやたらに堅苦しいオーラを放っている。化粧っ気も、限られた中でお洒落を楽しもうなんて気持ちも無縁の女性。適当に人生を過ごしたいと思う召屋にとっては、天敵の一人だった。 「最近、あなた絡みの問題が多いのよ。やっぱり、そういうのは、委員長としては見逃せないの。わかる? 暴力的な女性が毎度毎度、扉を壊して進入したり、初等部の子が度々遊びにきたり……。それと、あなたのお友達の、なんでしたっけ? ス、スカトロビッチ…さん? あの人の破廉恥な格好とかは――」 召屋が間髪入れず突っ込む。「カストロビッチだ」自分が何を言ってしまったかを即座に理解し、顔を真っ赤にする笹島。「と、とにかく、とりあえず、確実、絶対に、24時間以内に解決してちょうだい!! わかったわね?」ちょっとだけズレ落ちたセルフレームの眼鏡を直しながら、そそくさと自分の席へ去っていく。どれもこれも俺のせいじゃねえ、などど愚痴るも、そんなことを誰も聞く人はいない。とりあえず、召屋は、授業が始まる前に、カップに残った麺と汁を一気に流し込むことにした。そして放課後。「やっほー! メッシー!! こっち、こっち」ブンブンと短い手を振って、召屋に自分の存在をアピールする有葉が校門の中央に立っていた。「恥ずかしいからやめろ」そういって、有葉に一気に近づくと、そのまま有葉の首根っこを掴み、校門の裏手まで一気に引っ張りこみ、有葉の視線に合わせてしゃがみ込む。「いいか、俺は“目立たず、騒がず、波風立てず”がモットーなんだ。お前と出会ってからの俺は……もうね」しゃがんでいる召屋の肩をポンと叩く有葉。「おにーちゃんがいつも言ってたよ。男なら、人生、一度くらいは華を咲かせろって」「そーだな、お前は別の方向に華が咲いてよかったな」「……? むーっ、これはこれいいんだよっ!」召屋の嫌味をわずかなタイムラグがあったものの理解し、反論する。「まあいいや」立ち上がり、ポンポンと有葉の頭を軽く叩く。「さて、その教会ってのはどこだ?」「うーん、結構遠いねえ」資料を見つめる有葉。「そうか」そういうと召屋は自分の寮の方へと勝手に足を進める。「メッシー、そっちは違うよ。バスターミナルはこっちだよー!」召屋が本来向かう方向とは逆を指差し、明後日の方向に歩き始めていた召屋に声を掛ける。「いや、こっちでいいんだ。お前もついてこい」召屋は、自分の寮へ戻ると、部屋からヘルメットを二組み持ち出し、寮の裏手へと有葉を誘う。そこには自転車やバイクが並ぶ駐輪場があった。その1台の前で止まり、有葉に向き直る。自信満々な顔だ。 「ふふん、どうだよ?」傲岸不遜な態度の召屋だったが、有葉はそれを意に介さず、興味なさげな感想だけを言うのだった。「古いバイクだねー? 中古!?」有葉の放ったそれは、ビンテージバイク乗りに一番言ってはいけない言葉だった。しかも、手塩に掛けてコツコツとレストアした召屋にとっては、それは許しがたい一言。 「ちゅ、中古じゃねえっ!! ビンテージだ、クラシックだ、芸術品だっ!! いいか、このSRはなあ、今から四十年以上も前に生産された初期モデルだぞ! そこら辺のしょっぱい中古バイクと一緒にするんじゃねえっ!! しかも、クランクは500、カムにメガサイクルのステージ2――おっと、ヨシムラじゃないんだんぜ、メガサイクルだぜ、ここが渋いだろ――ピストンだってワイセコを入れて534㏄までスープアップしてる。キャブレターはTMR-MJNだ。いいか分かるか? FCRじゃなくてTMR-MJNなんだよ。カムはメガだけど、キャブはMJNってのが良いだろ? しかも、しかもだ、前後サスはWP。あとな、ブレーキローターやサポートに到ってはワンオフだぜ、ワンオフ!! まあ、あのジジイにコーヒー缶1本で作らせたんだけどさ。それでな………」 何か変なスイッチが入ったのか、急に饒舌になる。そんな子供が自分のオモチャを前にして嬉々として自慢するような召屋に対し、有葉は至極冷静だった。「うん、凄いねー。でも私にはよくわかんないや」有葉の言葉は、極端な否定でもない、肯定でもない、おそろしくニュートラルなものだった。だが、熱の入った召屋を現実に引き戻すには十分だった。「あ、ああ……うん、すまん。これで教会に行った方が早いだろうと思ってな……」何か憑物が落ちたような面持ちで語る召屋。「うん、別にいいんだよ」あっけらかんした有葉。「と、とにかくだ、お前はこれを被れ」そう言って有葉にヘルメットを渡す。ところが……。「ブカブカだよー」「………(一応、それSサイズなんだけどな)」そう思いながら、目の前のワタワタしている、一見すると幼女、実態はただの女装癖のある高校生を見つめ、真剣に悩む。(うーん、こいつはまいった。あ、そういえば!?)あることを思い出すと同時に、自分の部屋へと走り出す召屋。一方、有葉は目の前は見えず、その場を右往左往していた。「見えないよーっ……いたっ、メッシーどこ……うわっ」自室のクローゼットのガラクタの中からあるものを探し出し、一気に駐輪場へと駆け下りる。そして、不相応なヘルメットでフラフラしている有葉のヘルメットを外し、クローゼットから持って来たヘルメットをポンと被せる。 ピ○チューのヘルメットだった。大きな傷もほとんどないそれは、召屋が、妹が夏休みにこちらに遊びに来るということで、急遽購入したものだった。残念ながら、1回しか使うことはなかった。妹が、一度、後ろに乗って、その辺を走っただけで、それ以降、召屋のバイクの後ろに乗ることを断固拒否したからだ。そのため、長いこと、箪笥の肥やしならぬ、クローゼットの肥やしになっていた。 「これならどうだ?」ブカブカのヘルメットを外し、ピ○チューのヘルメットを有葉にかぶせる。実にぴったりサイズだった。「よし」満足げな召屋。「このバイクで行くんでしょ? ねえねえ、早く行こうよ!!」無理やりバイクに乗ろうとする有葉を手で押さえて、召屋は、キーシリンダーにキーを差し込む。チョークレバーをひき、その後にキックペダルをゆっくりと下ろす。ぐぐっとペダルが重くなる。足裏の感覚でピストンが圧縮上死点手前に達したのを理解すると、踏み込むのをやめ、ペダルを戻す。そして、一気にキックペダルを踏み込む。 ドンッ! 一発でエンジンが始動する。それと同時に、召屋はアクセルを軽く開け、ストールしないようにする。ドドドドッと単気筒特有の規則的でありながらも不規則な鼓動感が周りにこだまする。「メッシー!」「メッシーっ メッシー!!」排気音にまぎれたのか、それとも、その排気音に陶酔していたのか、召屋は何度か有葉に声を掛けられた後に、ようやく気づく。「ん!? なんだ?」「ねえ、早く、行こうよ!」「ああ、そうだな、後ろに乗れ」そう言って、ヒョイと有葉を持ち上げ、ロングシートの後ろ側に座らせる。「じゃあ、いくとしよう」召屋はクラッチとアクセルを操り、バイクをゆっくりとスタートさせる。「わーい、動いたっ!」「一応、ちゃんと捕まってろよ」そう、召屋が言うと、トトトッと小気味良いエキゾーストノートを放ちながら、加速していく。肌に感じる空気が後ろに流れていくことを感じる。「うわー、楽しいっ!!」その反応にちょっとむっとする召屋。次に、こいつをちょっと驚かしてやろうというイタズラ心がムクムクと盛り上がってきた。「ちょっと飛ばすぞ」そう言うとアクセルを一気に全開にし、その巨躯を精一杯伏せる。加速と回転数にあわせ、左手と左足がせわしなく動く。レッドゾーンぎりぎりの回転を維持した変速で、見る間に加速していく。先ほどまで身体に当たっていた柔らかな風は、こちらを押さえ込むような強烈な抵抗となる。周囲の風景がゆっくりと溶け、視野が狭まる。単気筒エンジン特有の鼓動感もこの回転域になると、ひとつひとつ突き上げるようなものではなく、ビリビリとしたものが身体に伝わってくる。この振動と疾走感は、バイクならではのものだ。 目の前に渋滞が見えたが、車速を減じることもなく、そこに躊躇なく突っ込んでいく。警句のクラクションが周りのクルマから鳴るが、それを無視し、クルマの間を次々とすり抜ける。 これならと、後ろの様子を伺う。直接には見えないが、有葉は振り落とされないようにと、しっかりと召屋の腰にしがみついていたことが分かった。(よしよし)ほくそえむ召屋。だが、その目の前に交差点が迫まっていた。しかも信号は黄色になりかけだった。(そういや、ここを右だったな)そう思った召屋は、逡巡することなくブレーキを掛け、一気に車速を落とす。フロントフォークが急速に沈み込み、召屋も有葉も身体が慣性で前に持っていかれるのをなんとか我慢する。 フロントフォークがフルボトムする直前ギリギリ、召屋は一気にギアを2速落とすと、アクセルをあおりながら回転数を合わせ、準備万端とばかりに交差点へと向かった。 車体がバタつく。だが、それを力技で無理やりバンクさせ、交差点を通過する。その一瞬、白線にのった後輪が軽く滑るが、それさえも気にしない。コーナーを抜けたあとは、アクセルを全開にし、エンジンと、自分のパワーで無理やりに車体を安定にし、引き起こす。なんともはや、強引な走りだった。 (こんなことすりゃ流石にあのちびっ子でもなあ……)過去に、絶対に後ろに乗らないと言われた記憶を召屋は思い出す(それは同じピ○チューのヘルメットを被っていた少女だった)。だが、そんな考えとは裏腹に、後ろに乗る有葉はというと……。 「わっはー! たっのしーっ!! これってジェットコースターみたいっ!」召屋は、何もかも諦めることにした。自分の目の前を、かくも不謹慎な速度で駆け抜けるバイクを見て、蛇蝎兇次郎は思っていた。(全くもって、公道での暴走行為など、ろくでもない奴だな。……だが、アイツを裏醒徒会に引き入れれば使えるかもしれ…ん……な。ん!? ああ、あれは、今後もろくな目に合いそうにない。これはやめておくべきだろう) そう思い、無愛想な顔つきで、裏醒生徒会の活動資金のためのバイトのティッシュ配りを再開するのだった。目的地の教会には無駄にデカイ90年代の無駄にでかいダッジRAMが停まっていた。その横にバイクを停めると、ヘルメットを脱ぎ、サイドミラーにそれを掛ける。それに倣ってか、有葉も、逆のミラーにヘルメットを掛けた。 「さて」深呼吸をすると、巨大な教会の戸をノックする。“コンコン”無反応……もう一度ノックする。やっぱり無反応………さらにノックする。無反応、もうこの際、絶え間なくノックするっ!「メッシー、いないんじゃないの?」「あぁ? いないんだったら、こうするまでだっ!」一気に戸をけり倒す。「痛っ!!……」残念、それは運動不足の召屋の足にダメージを与えただけだった。その扉は全くもって微動だにせず、しかも何の反応も示さない。「もしもーし、誰かいませんかー?」通る声で有葉が呼びかける。 暫くすると、中でがさごそと音がし、ようやく扉が開く。「いやいや、申し訳ござません、ちょっとトレーニング中でしてね……。おや、見たことのない方ですな、一体どんな御用でしょうか?」「あ、えと……」召屋と有葉の目の前には、短髪で、少し白髪が混じった無精ひげをたずさえた、大柄な男性が立っていた。もちろん、無駄にデカイ召屋と比べれば、普通なのだろが……。 ちょっと汗ばみ、顔色も紅葉している。その大きな顔にチョコンと乗るイチヤマリムのオーバルタイプの眼鏡は、なんとも不釣合いだった。召屋に向ける顔は、まるで、全ての罪を拭い去ったかのようなさわやかな笑顔だった。その清清しさに、自分のダメな部分が耐え切れなくなった召屋が、足元を見る。そこには、足にしっかりとしがみ付く子供がそこにいた。おそらく、7~8歳程度だろう。 「ああ!? もしかして、字元先生の教え子さんかな? 例の件だね、まあ、中へ入るといい」そういうと、神父は二人を中へと招きよせる。そして、私室のある奥へと誘う。「まあ、落ち着いて、そこに座って」お世辞にも豪華とはいえないテーブルと椅子。二人はそこに座る。「港男《みなお》、お客様のために紅茶を用意してくれないか……おっと、紹介が遅れてしまったね。私はこの教会を預かる寺安《じあん》レノという者だ。見ての通り、フランス人とのハーフだ」 「へえ……」「寺安さん、いったいここで何が起きてるの?」真剣な面持ちで有葉が質問する。「ああ、多分聞いてる通りのことだよ。この界隈で、連続して能力者だけが襲われ、再起不能の状態になっている……。なんとも酷い話だ。ここ1週間だけで六件。つまり、ほぼ毎日ということだ」 その時、先ほど、神父にしがみ付いていた少年は、危なっかしげにコーヒー三杯分をトレーに乗せて運んできた。「おお、港男、さあ、お二人にコーヒーを出してあげなさい。豆はちゃんと、ハイチを使っただろうね? お客様には飲みやすいあれが一番だ。エメラルドマウンテンやブルマンは出すんじゃないぞ、高いからな」 うん、実に裏表のない人だなと召屋は即座に理解する。ぎこちない動きで、三人にコーヒーを差し出す港男。「えらいねー!」笑顔で答える有葉。一方、召屋が目を合わせると恥ずかしそうに目を逸らす。(うーん……)召屋は椅子から立ち上がり、そして、少年の目の前でしゃがみ、目線を合わせる。そして、彼の頭を軽くなで、こう言う。「有り難うな」「だ………っ…………」「ん!?」声があまりにも小さく、聞き取れなかった召屋は思わず港男にぐっと近づく。「だ…るなっ………。だから、気安く触るなって言ってるだろ。この性的倒錯者の幼児性愛者が…」「っ!?」小さな手で、自分の頭に乗せられた手を払うと神父の方へ走り出し、その足にしがみ付く。「これは申し訳ない。港男は、両親と弟をラルヴァに殺されましてな。それで私が引き取っているんですよ。ここは孤児院も兼ねてましてね。今は彼しかいませんがね。――でもどうです? この可愛らしさ!? 目に入れても痛くないとはまさにこのこと。全くもって、可愛すぎるでしょ。そりゃ、め《・》し《・》た《・》君が、惚れるのも分からないではないけどねえ」 「いや、俺は“めしや”なんですけど。ところで、なんで豪快に足蹴にされてるんです?」「触るんじゃねえ、この変態神父がぁっ!! お前はいつまで経っても学習しねえなあ?あぁっ??」頬擦りをしようとした神父に右ストレートを食らわし、脛に左のロー。しゃがみ込んだところに、これでもかとばかりに蹴りを入れまくる。「嗚呼、港男、そうやって、素直に愛情表現が出来ないのが可愛らしいよ」「いい加減、死ねやごらぁっ!!」蹴り続ける港男。されるがままの神父。「メッシー、あれどんな新しい愛の形?」「知るか……」「だって、あれはどう見ても変だよー」「お前が言うな」また、厄介な人間関係に巻き込まれた、そう思う召屋だった。寺安の港男に対する愛情の深さと、それに応える傍若無人な暴力が十分に執行された後、寺安は満足そうな表情で、現在、この周辺で起きていることについて、詳しく語りだす。 それは、能力者だけ、中でも超人系のみが狙われること、その時間は不定なこと、目撃者の証言は共通して“おかしな格好をしていたこと”、その事件現場が、非常に限定された範囲だけということ。細かな情報を提供する寺安だったが、残念ながら、彼本人がその現場を押さえたことはなく、結局、召屋たちは、ここで犯人(もしくはラルヴァ)に繋がる重要な手がかりが得られることはなかった。 その後、時間も時間ということで、神父たっての希望で、夕食を招待されることになる二人。「ところで、そのおかしな格好ってのはどんなのです?」神父の母親直伝というマスカルポーネを頬張りながら、召屋は質問する。「いや、そんな破廉恥なことは、私の口からはちょっと……」「言ってもらわないと分からないよー」「まあ、実際に遭遇すれば分かりますよ、絶対に……」その時、誰かの携帯が鳴る。懐から取り出す神父。「はい、はい、ええ、分かりました。……ですね。じゃあ、今すぐそちらに。」携帯を閉じ、懐にしまうと、神父は立ち上がり、二人に向かって笑顔で語りかける。「ちょっとわりのいいバイトがあるんだけど。やってみる気はないかね?」「ええ、俺はいいですけど」「私もおっけーだよ!」それではと倉庫へ向かうと、二組のスコップと、合羽のようなものをふたりに手渡す神父。「これは一体なんです?」「これから出かけるところで必要なんだよ。何、大した仕事じゃない。ささ、行くとしようか。じゃあ、港男、留守は頼むよ」「………」無言で頷く港男。「嗚呼っ、なんてカワイイんだ港男っ! 一人にすることを許しておくれっ!!」「いいから、早くいけよ、変態神父」縋り付こうとうする神父を港男は容赦なく蹴りつける。存分に蹴られ、満足したのであろう神父は、自分の分の道具を持つと、ふたりを誘いながら、外にあるダッジRAMへと歩いていった。それから十五分後、召屋正行は、交通規制が行われている片隅で、豪快にリバースしていた。「まったく、根性がないね君は?」「そうだよ、このくらいの仕事で根を上げるなんてとんだもやしっ子だよ」残念そうに神父と有葉が見下す。「な、わけあるかーっ!! この現状を見ろっ! こんな状況で、晩飯吐かない方がおかしいわっっ!!」切り刻まれた四肢と、飛び散ったどす黒い血、腹部の切れ目からは、内臓がはみで、四方に散っている。周囲には血と汚物と生臭さが入り混じった異臭が漂っている。それらの物体《・・》は、元の形が獣ののものもあれば、人型のものもある。それが何より召屋にとってはショックだった。「これって、うちの生徒……」想像した瞬間、吐き気が再び召屋を襲う。もう残ってない吐瀉物を搾り出そうと胃が悲鳴を上げる。「安心したまえ、全て化物《ラルヴア》だよ。今日は、生徒にも住民にも一人も被害は出ていない。相変わらず、醒徒会の人たちはいい仕事をするよ」だが、慣れない人間にとってみれば、この光景と臭いは、胃の底から不快さがこみ上げてることもに間違いない。「さあ、ふたりとも、さっさと死体を処分するんだ。そのためのスコップと合羽だからね。私は現場の責任者に用があるから、ちょっとそちらへいってくるよ。ちゃんと仕事しないと、バイト代は出さないよ」 ウインクすると、白衣姿で、周りに指示している人物の元へと歩いていく。「ほらー、ちゃんと働こうよ」そういながら、ラルヴァの死体をバケツに次々と入れる有葉。小柄だが、意外なほどに体力はあるようだ。「分かったよ、やれば……いい…んだろ…」吐き気を抑えながら、なんとか仕事をこなす召屋。ふたりが大方の死体を処理し終わったころに神父もふたりの元に戻ってきていた。そして、特殊な薬剤とモップを用いて、周囲に飛び散った血を拭き取り始める。「悪いが、君たちはそれを向こうに持っていってもらえるかな?」「これ、ですか?」ラルヴァの死体が満載のポリバケツを嫌そうに指差す。「そうだ、これでも貴重な研究材料だそうだからね。全部、渡してくるんだよ」面倒くさそうに召屋はポリバケツの一つを持ち上げ、研究者の方へと向かっていった。「ここでいいですか?」クソ重いポリバケツを乱雑に置き、担当者らしき人物に声を掛ける。咥えていたタバコの灰の部分がチリチリと増える。そして、召屋に向かって、不健康な煙を吐き掛ける。 「ああ、そこでいい。そこにまとめておいて、あとはこちらでするわ。でも、あなたも若いのに大変ね。きっと、今日一日、ラルヴァの血の臭いが取れないわよ。きっと、彼女に嫌われるわね、うふふ……」 そういって、召屋の頬をなぞると、いつのまにか付着していた血を指でそっと拭き取る。その指を、自らの口へといざない、しゃぶる。目が細まり、頬がかすかに染まる。 「じゃあ、俺は戻ります……」「他のバケツも持ってきてね。大事な研究材料だから、ね」気恥ずかしさと薄ら寒さで、早歩きで皆の元に戻る召屋だった。「いやー、ちょっと刺激的すぎたかな?」異臭漂う車の中で、あっけらかんとした表情で、神父は笑いながら二人に問いかける。「ちょっと、どころじゃないですよ。あんな仕事にど……」「おもしろかったー!」「楽しんでくれて嬉しいよ。神父なんて格好はしているが、実のところは、この街の掃除屋が、私の本業なのだよ」「掃除、や!?」不思議そうに首を傾げる有葉。「まあ、非合法な死体処理屋ってところだね。もちろん、非合法とはいっても、学園や醒徒会、各種研究機関との繋がりはあるから、合法とも言えなくはない。なにより、こちらの方がワリがいい」 「そんなにいいんですか?」「まあね。第一、こんな仕事、誰だってやりたくないだろ? 化物といっても生物だ。それに何より……少年少女の死体を片付けたりするのは誰だって嫌だろ……」顔が曇る。だが、それも一瞬。「まあ、バイト代は教会についてから払うよ。それで、今日は、君たちはどうするんだね?」「一応、事件のあった周囲を見回ってみようと思います」「おもいまーす!」「とにかく、一日も早く犯人が捕まることを期待しているよ」だが、その努力もむなしく、その晩、犯人らしき人物は、現れることはなかった。ふたりは諦め、帰路に着く。召屋は有葉を彼女が住んでいるというマンションへ送り――どうみても、一人暮らしするようなところではなかったが――寮へと舞い戻り、着替えをすることなく、ベッドへと倒れこんでしまった。翌日、早朝。「ごっっらぁぁっ、召屋ぁぁっ!!」豪快に戸が吹っ飛ぶ。さすがに、もうこれに驚く生徒はいなかった。全員が『ああ、まただ』と思うだけ。人間、慣れというのは恐ろしいものだ。有葉の(自称)フィアンセである春部が現れたのだ。 「ちょっと、あんた。今度は千乃に何をしたの?」「おーけぃ、ボス…。俺は何もしてないぜ。怒鳴り込むならここじゃなくて字元の方だ」グイと召屋の胸倉を掴む春部。「どっちでもいいのよ。というか、あんたが気に食わないの。やっぱり、ここで殺しておくべきね……」春部の左の爪がその能力で鋭く伸び、召屋のこめかみに突きつけられる。「ちょっといいかしら」春部の後ろから声がする。それは委員長の笹島だった。「毎回、毎回、扉を蹴破るのは止めてもらえないかしら? こちらも迷惑しているのよ」トーンを抑えて話す笹島。「あら? これは申し訳なかったわね。そんなことより、私はこいつに用があるの、邪魔しないでくれる。この貧乳《・・》!」委員長の眼鏡が光る。何かいけないものに触れてしまったようだった。「いい? 貴方に用がなくても、私があるの。そこの召屋くんはともかく、これ以上、私《・》のクラスでの非道は許さない。はっきり言うわ、実力で貴方を排除するわよ?」 (俺はどうでもいいのね……)地味にガッカリする召屋だった。一方、血の気の多い春部が、この言葉に乗らないわけがない。「へえ、つまり、この私と勝負しようっての? いいわ、受けて立ちましょう。でも……ここでやりあうのはちょっとあれね。日時はそちらに任せるわ。決まったら、いつでも言ってちょうだい。そうそう、そこの変態さん、今日のところは見逃してあげる。……ただ、次はないと思いなさい。それと、あんた臭いわよ」大また開きで豪快に去っていく春部と委員長を見比べながら、クラスメイトである拍手《かしわで》は思っていた。「うん、やっぱり、オッパイって大事だよな」笹島は、春部の後ろ姿を見送ると、振り返り、召屋に問いただす。「ちょっと、召屋くん、24時間以内に解決しなさいっていったでしょ? どういうこと?」「いや、それ普通に無理だろ」「無理でもやるのが男ってものでしょ。根性ないわね」そんなの根性の問題じゃねーと思う召屋。「ところでさ……」話の矛先を逸らそうと、話題を変えようとする。「委員長って、B地区に住んでるんだよな?」「え? ええ、そうだけど」突然の質問にぎくっとする笹島。「あの辺で、連続して能力者が襲撃されているって噂があるんだけど、何か知ってないか?」「ああ、あの事件ね。近所でも有名よ。でも、珍しく、昨日は起きなかったらしいじゃない。私も治安を守るためにも、そんな不届き者は成敗したいところだけどね」「おいおい、無茶するなよ。それにさっきのだってそうだ。あいつに喧嘩売ったってろくなことないぞ」眼鏡を右手でくいっと上げると、凛々しく、雄雄しく断言する。「いいえ、違うわ。ああいった手合いは一度、完膚なきまでに叩き潰さないとダメなの。地べたに這いつくばらせて、泥を舐めさせるくらいの恥辱を味あわせないと懲りないの。分かる?」 もしかすると、この人も結構アレな性格なんじゃないだろうか? と思う召屋だった。放課後、待ち合わせをした召屋と有葉は、前回と同じく、単車で教会に向かい、そこから、その周辺の調査を行うことにした。「変な人いないねー」「いないな……」召屋の頭にドラ吉――召屋が召喚し、有葉が従属させたモンスター――を乗せ、のらりくらりと事件の地域を歩き回っていた。その時間も4時間以上、周りはすっかり暗く、心の緊張感は解け、足はすっかり棒になり、事件なんて結構どうでも良くなっていたふたりだった。その時、前方からジャージ姿の人物がこちらへと歩いてきていた。手にコンビニの袋を提げているところから、買い物の帰りなのだろう。そのまま通り過ぎようとする。だが……。 「無視するとはいい度胸ね」「ん……誰? って委員長?」元々制服姿でも地味なのに、その容姿を地味方向に更にレベルアップさせ、存在を掻き消すごとく地味オーラを放っていたため、召屋は声をかけられるまで全く気が付かなかったのだ。 「あら、横にいるのは例の初等部の子?」その言葉に顔をまん丸にして反論する。「初等部じゃないよ、高校生だよっ!!」「あら、それは失礼したわね。謝るわ」深々と頭を下げる。「ううん、いいんだよ。分かってくれれば」頭を上げると、鋭い視線を召屋へと向ける。「それで、貴方達はどうしてここにいるの?」「今日の朝にも訊いたろ? あの事件を追ってるんだよ。一応、担任からの依頼でね」笹島は、腕組みしながら、召屋の言葉をゆっくりと反芻する。 「字元先生が、貴方達にお仕事を依頼したのね。そう、それは何かありそうね。一体、何を考えているのかしら……。まあ、いいわ、怪我しない程度に頑張りなさい。それと、えーと、貴方、名前はなんて……」 「有葉だよ」「そう、有葉さん。さっきは小学生なんて言ってごめんなさい。私の名前は笹島輝亥羽。よろしくね。それと、あまり、召屋くんを困らせないで。彼も彼なりに色々大変だから」 「うん」「ところで、その頭の上にあるものはなに?」興味深げに召屋の頭の上にあるものを観察する。「ドラ吉だよー!」元気良く答える有葉。「ドラ吉? これって、さ、触っても噛まない?」「噛まないよ。ドラ吉はとってもいい子なんだよ」「そ、そう……」恐る恐るドラ吉に手を伸ばす笹島。頭をやさしく撫で、喉を軽く触る。気持ちよさそうな声を上げるドラ吉。至福そうな笑顔の笹島。「か、カワイイわねぇー」「でしょ? ドラ吉は、可愛くて、強いんだよー」「そう、私も、ちょっと欲しくなるわね。それじゃあ、召屋くん、有葉さん。また明日」そういうと、笹島はその場からゆっくりと去っていった。「メッシー」彼女の後ろ姿を見ながら、召屋に声をかける。「あんなかわいい子に迷惑かけちゃダメだよー」「はあ? なんで、俺が? 第一、委員長のどこが―――」「まったく、メッシーは女の子を見る目がないなー。だからもてないんだよ」(こいつに言われると色々とむかつくのは何故だろう……)色々と納得いかない気持ちが湧き上がってくる召屋。「まあ、いい。ほれ、調査続行だ」ふたりは笹島が向かった方向とは真逆へと進んでいくのだった。(全く、こんなゆるい格好でクラスメイトに遭ってしまうなんてっ!)そんな思いで、笹島は顔を真っ赤にしていた。これまでの隙のないキャラクターとしての立場が、委員長としての威厳が全て崩れ落ちてしまうではないかと、心が落ち着かない。 それならば、声をかけなければ良いのだろうが、それはそれで、彼女の中では許せなかったのだ。(それにしたって、なんで、こんなところにクラスメイトがいるの? この地区に住んでいるクラスメイトは一人もいないはず。学生が少ないこの区域に、わざわざ住んだというのに)真剣に後悔していた。 「さっさと部屋に戻らないと、アイスが溶けるわね」彼女は、そのために、わざわざ遠いコンビニまで出向いていたのだ。しまかげのビバオール。仙台生まれの彼女の大好物だった。「暫し、ちょっと待たれいっ」どこからか声がする。声の主を探し、周囲を見渡すと、一本の電柱に突き当たった。ゆっくりと視線を上に移動させる。その電柱の頂上には、月をバックに、男性らしき人物が腕を組んで一人立っていた。『いっやあぁぁぁぁッ!!』絹を切り裂く悲鳴とはまさにこのこと。召屋と有葉、ふたりの遠く後方から、女性の甲高い声が聞こえてくる。「メッシー!」いち早く有葉が反応する。「向こうだな」ふたりは、笹島が歩いていった方へと走り出した。「何を驚くことがあるかね? さあ、私と勝負したまえっ!!」電柱の頂上に立った男は笹島に問いかける。色々と衝撃的なものを見てしまい、パニックを起こしていた笹島もようやく落ち着き、相手をまともに見据えることができるようになる。いや、見据えたくもないのだけれど。 「大丈夫かっ!?」急ぎ駆けつけた召屋は、腰が抜けてペタリとすわりこんだ委員長を見つける。「うっ、うるさい、大丈夫に決まってるでしょ。それより、貴方達の探しているのは、あ、あれかしら?」ふたりが現れたことで、ようやく落ち着きを取り戻した彼女が指差した先には、黒いパンツ以外で身に着けているものは漆黒のマスクと、風にたなびく黄金色のマントだけという、どうにもアレな格好をした変質者風の男が腕組みをして立っていた。見事な大胸筋の上の胸毛が風にわずかにそよいでいるのがこれまた、気持ち悪い。 『へっ、変質者だーっ!!』有葉、召屋は同時に思うのだった。「変質者とは失礼な。私の名前は“グラン・マスク”。この町内の平和を守るものだっ!!」「あんたが、平和を脅かしてるんだろうがっ」「そうです、そんな、破廉恥な姿を人前に晒すのは間違ってますっ」「そういう格好は、人として、ちょっとどうかと思うよ」「あぎゃ」人間どころか、召喚生物にまで、あらゆる方向でののしられる謎のマスクマン。「問答無用っ!」そういって、アクロバティックな動きをしながら着地する謎のマスクマン。「さあ、私の相手をするのは誰かな?」有葉がグイグイと召屋の背中を押し出す。「嫌だよー、あんなのと戦ったら、私もドラ吉も穢れちゃう!」でも、俺は穢れてもいいんだ、とか思いながらも、彼女の力に精一杯抵抗する。「なるほど、君が私の相手か……」「ええ、まあ、成り行きですけど」謎の男グラン・マスクが、相手として召屋に目をあわせた時、横から凛とした声が響く。「いいえ……、貴方の相手は私です!」いつの間にか立ち上がっていた笹島が、堂々と宣告する。「おい、おい、委員長。それはちょっと無理があるんじゃ?」「いいえ、あの変質者は私が退治します」「超人系の猛者を何人も倒しているんだぞ?」「問題ありません。私のプライドの問題です」笹島はそう言ってから、髪を留めていたゴムを外す。美しい黒髪が扇のように広がっていく。「さあ、掛かってきなさい!」大地に根付いたような、腰溜めに正拳づきのポーズが様になっていた。「どうやら、決まったようだね」謎の変質者は、ふたりの会話をじっと待ってくれていたようで、彼女をターゲットにするとゆっくりと、マントを外し、その方向へと歩いていく。召屋も改良型の特殊警棒を後ろポケットから引っ張りだし、笹島をフォローしようと、戦闘態勢に入る。一方、完全に蚊帳の外なった有葉とドラ吉はというと、そこら辺に転がっていた笹島がコンビにから買ってきたアイスをおいしそうに食べていた。「どっちが勝つと思う?」「あぎゃ」ひとりと一匹は、完全にこのバトルの観客になっていた。変質者と笹島が一メートルほどの距離を開けて対峙する。どちらも動こうとしない。「さあ、どうしたの? 掛かってきなさい!」「レディファーストということで、まずは、そちらからどうぞ」恭しく頭を下げる変質者。「いいから、掛かってきなさい!!」「そうですか……」笹島の目の前で、その姿が消え、次の瞬間には地面へと叩きつけられていた。一瞬での後方回転からのティヘラ。それが、笹島が喰らった技だった。笹島はその衝撃で、肺の中の酸素を全て吐き出す結果になり、息ができない。さらに追い討ちをかけるように、エルボーが腹部に落下する。「……っ」召屋が援護しようと駆け出すが、それを立ち上がりながら、笹島は制する。「大丈夫、ここからが私の真骨頂よ」そう言ったと同時に、彼女の右の拳が僅かに輝き出す。おそらく、それは魂源力《アツイルト》の発現。「さあ、私の華麗なる一発に酔いしれなさい!!」一気に距離を詰め、変質者の腹部に強烈な正拳をお見舞いする。その細い身体からは考えられないほどの衝撃が周囲を振動させ、変質者の身体は、近隣のビルの壁にまで吹き飛ばされていた。 『おおーっ!!』いつの間にか増えいている野次馬と一緒に、感嘆の声を上げる有葉。笹島は、終わったとばかりに、たった今、使った右手をだるそうに軽く振る。「これで終わりよ。普通なら一週間は立てないはず」「委員長、お前、一体何をやったんだ?」「これが私の能力。肉体が受けたのダメージを相手に何倍にも返すの。名づけて、“復讐《レイジング》の《・》弾丸《ブレツト》”。どう、カッコイイでしょ?」「えーっと、そ、そうだね……」笹島の口上に、どう反応したら良いか迷っていた時、有葉の声がする。「まだだよ!!」振り向くと、そこには何事もなかったように、立つ変質者がいた。「嘘でしょ!?」「おいおい」唖然とするふたり。「まだまだ、これからですよ、お嬢さん」笹島のダメージが大きいと見て取ったのだろう、召屋は即座に反応し、出来る限りの速さで変質者に近づくと、その勢いと合わせて、強引に警棒を叩き込む。確実に当たる。召屋も確信していた。 だが、それは適わなかった。打撃の瞬間、まっ黒なマスクの口の部分が歪に大きく開き、その警棒をくわえ込んでいたのだ。「こいつ、人間じゃない!? 化物か?」強引に引き離そうとするものの、その力は強く、召屋ごときの力ではどうにもなりそうになかった。それどころか、逆に召屋は変質者に両腕でしっかりと抱きつかれてしまう。 その太い腕による締め付けが、ジワジワと強まってくる。召屋が意識を失いかける直前、変質者の死角にいつのまにか移動していた笹島の上段回し蹴りが後頭部にヒットする。巨体がぐらりと揺れる。召屋への縛めが解かれ、警棒も地面へと転がり落ちる。 あわててその場から逃げる。傍に落ちた警棒も忘れない。「みっともないよメッシー!」「う、うるせー、外野は黙ってろ」笹島は? と気になり目を向けると、辛うじて変質者の攻撃を受け止めているという感じだった。明らかに防戦一方で、打つ手がない様子だ。その体力も限界に近い。「有葉、いいか」変質者と対峙している笹島の方へ向かいながら、傍観者である有葉に声をかける。「いいか、あれは黒い部分が本体だ。多分な。俺の合図で、そいつを使って引っぺがせ!」「えーっ? そんなのやだよう。ドラ吉が穢れる!」「やだ、じゃねえ、やるんだ。頼むぞ」「ちょっ…と……、遅い……わ…よ召屋…くん」彼女の息は上がり、体中にもアザや擦り傷ができている。見た目からもかなり無理していることは明らかたっだ。「すまない、委員長、色々とこっちも作戦を練っていたんでね。ところで、ちょっとだけそいつを抑えておいてくれない?」「無茶言わないでよ! 飛んだり、跳ねたり、動きがトリッキー過ぎて無理っ!」そう言ってる瞬間にも、回転しながらの踵落としを笹島に浴びせる。両腕を交差させ、ダメージを最小限に抑えるが、変質者は、その反動を使い、空中で姿勢を変えると、先ほど笹島に食らわしたティヘラを召屋に喰らわせようとする。 「嘘っ」特殊警棒で辛うじてガードする。警棒から、雷撃が放たれるも、全くダメージを受けているようには見えない。パワー重視の超人系の能力者ならともかく、単純にダメージを返すだけの能力しか持たない笹島にとって、こんな化物の動きを抑えるなど、無茶な相談だった。「頼む、委員長」「……分かったわ」断固たる決意を持って対峙する。クラス委員長としての矜持が――他人から見ればちっぽけなものだが――その勇気を絞り出すことに成功させた。「さあ、これが最後よ」相手に手の甲を見せ、指だけを自分の方へ向けて軽く動かす。それに挑発されたのか、僅かな疲労の気配さえ感じさせない動きで、笹島に回し蹴りを打ち込む。それを左腕でガードする。身体ごと吹っ飛びそうになるほどの衝撃を堪えながら、僅かな隙を見逃さず、右手を相手の喉元めがけ伸ばし、喉輪の要領で、全体重を乗せて、一気に地面に叩きつけようとする。 「今までの分、全部返してあげるわっっ!!」巨体が轟音とともに大地にめり込む。「よしっ!」動きが止まったのを見て、間髪入れず特殊警棒を首元に当てる。そして、出来うる限りの魂源力《アツイルト》を警棒に注ぎ込む。その力は魔道の技によって電撃へと変換され、爆発的な輝きを放ちながら発動した。半裸の巨躯が、ビクビクと痙攣する。神経に電流を流されたことで、瞬間的な麻痺状態になっているのだろう。「有葉、今だ」いつのまにか傍に近づいていたドラゴンが、その四肢、顎で黒いマスクを掴み、引き離そうとする。「なに、これ……」気味の悪い光景に、飛び退きながら思わず笹島が呟く。マスクだったはずのそれは、まるで、生き物のようにのたうち、不定形なものとなっていた。巨漢の男の顔に張り付きながらも、周囲に触手を伸ばすその異形なものは、現世の生物であるはずがない。蠢く触手は、コントロールができなくなった、その身体の次の犠牲者を探そうとしているようだった。 突然、諦めたかのように男の顔に張り付くのをあきらめると、不定形なそれは、自分を宿主から引き離そうとしていた小型のドラゴンに襲い掛かる。まるで、蛸が獲物を狙うように触手を伸ばし、丸呑みする。全身を黒い物体に覆われる召喚獣。 「ドラ吉ーっ!!」有葉が悲痛な叫びを上げる。「こりゃマズイな……」髪の毛をかきむしりながら、これをどうするか? いや、どうなるのかを考えようとする召屋。「ちょっと、これ大丈夫なの?」笹島も本当にこれで終わりなのか、先ほど、自分に懐いてくれた小動物が大丈夫なのか、心配のようだった。「ん!?」黒ダルマになったドラ吉の一部から、小さな炎が現れる。それを起点として、炎が全身に燃え広がっていく。炭化した黒い物体は、鱗が落ちるようにポロポロと剥がれ落ちていく。 「ドラ吉~っ!!」有葉が半泣きで駆け寄り、強く抱きしめる。これに笹島も思わず貰い泣き。さらに無駄に増えていたギャラリーからも感動の嵐と拍手が沸き起こっていた。(大団円……ってとこだな。でもあれ? 何か忘れてるような)「う、うーん、私は一体……」その声に変質者の方を振り返る召屋。「あ、あんた??」むくりと起き上がったパンツ一丁の男は、他でもない、寺安神父だった。「これってどういうことだよ?」「わ、私は……な、なんて破廉恥な格好をしてるんだっ!!」「ようやく、正気に戻ったの? この変質者は!?」吐き捨てるように笹島が呟く。「全くだ、この格好で“リングシューズを履いていないなんて”破廉恥にもほどがあるっ!!」「いや、それでも十分ダメだろ……」事件のあらましはこうだった。一週間ほど前、神父が例の仕事をしていた時、うかつにも寄生系のラルヴァに取り付かれてしまったのだ。そのラルヴァはゆっくりとだが、神父の行動をコントロールし、理由は不明だが、周辺にいる能力者を排除していた。乗り移られた記憶や、能力者への暴行の記憶は、ラルヴァが意図的に消去してため、本人がそれに気づくことは全くなかった。召屋は、報告書にそう書くと、字元のアドレスにその報告書を添付して送信する。だが、何か引っ掛かる。真実に靄がかかっている。自分の周囲で不穏な動きがある。そう思えてならなかった。何故なら、今回と前回の事件のラルヴァがあまりにも酷似していたからだ。 (同じ奴なら、あの神社で出会ったラルヴァは何に寄生していたのか? それとも寄生していない状態があれなのか? いや、それ以前に、ドラ吉は何故寄生されなかった? 同じラルヴァと連続して出会うというのもオカシイ。偶然? それとも字元の意図するものなのか? いや、同じラルヴァとは断定できない……) 次々と疑問が浮かんでは消える。答えも導き出せない。自問自答することに諦めた召屋は、二日ぶりの風呂に入るため、大浴場へ向かうことにした。鼻歌を唄いながら。午後の授業をバッくれて、召屋は屋上で昼寝と洒落込んでいた。「うん、今日も見事な日本晴れだ!」満足そうな顔で、読みかけのザップガンに目を移す。はずだった……。「見つけたわよ、召屋くんっ!」凛としたその声は、笹島委員長以外に有り得なかった。(くそぉ、教室に連れ戻されるのかよ?)そう思った時……。「教室に戻ればいいんだろ? 委員長」「……実は貴方に言いたいことがあってきたの」なにやら様子がおかしい。いつもの委員長ではない。そう召屋は即座に感じ取った。(こ、これは、もしかして……)「いや、委員長の気持ちは分かるけどさ、俺はどっちかというと巨乳派で……」召屋の顔面に右ストレートが炸裂する。「何を言っているのかしら? 私が言いたいのはね……」急に声が小さくなる。「ど、ドラ吉くんを……召喚して欲しいの……」まるで、初めて男性に告白する女の子のように頬を赤らめる委員長。「はあ……」鼻血を壮大に出しながら、なんと回答していいのやら悩む。ドンガラガッシャーンッ!!「てっめー、こんな所にいやがったのかっ?」屋上の戸を蹴破る効果音と共に、これまた召屋には嫌というほど聞き覚えのある声がする。「やっほーメッシー!」その横には、何故か有葉もいたのであった。「もう、どうでもいいよ……」「あんた、自分で約束しておいて、逃げるってどういうことかしら?」鋭い視線を向ける。「貴方みたいな、ガサツな女性とお話するより、重要な案件がありまして」『ブチッ』と堪忍袋の緒が切れる音が召屋に聞こえる。「私を無視するとはいい度胸ね! さあ、今すぐ、即座に、問答無用で、私と勝負よっっ!!」「望むところよ、掛かってきなさい!」委員長は、挑発するように右手を動かす。「どっちが勝つんだろうねー?」「俺が、知るかっ!!」召屋正行は、自分の立場が、以前よりも、更にややこしくなったことに、辟易するのだった。
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