【召屋正行の日常はこうして戻っていく そのに】後編


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「これはまた……うぷっ……随分と凄惨な……」
「悪魔が化物《ラルヴア》の死体見てゲロすんなよ」
 召屋は現場の処理をしながら、片隅で嘔吐している悪魔の姿に軽く頭痛を覚える。
「君も最初はそうだったじゃないか」
 そう言って豪快に笑う男性は、この現場に召屋を呼び出した張本人、寺安神父だった。分厚い胸板に女性のウエストほどもありそうな太い上腕など、まるでレスラーのような体形だ。僅かに白髪の混じる短く切り揃えられた髪に頬や顎に無秩序に生える無精ひげ。ハーフなのだろう彫りの深い顔付きは精悍だったが、その雰囲気とは不釣合いなほどに小さいオーバルフレームのメガネがどことなく、この男に愛嬌を与えていた。
「それで彼は何者かね、召屋くん。キミのお父さんという落ちはさすがの私も引くよ?」
「あんた、パンツ一丁で能力者を闇討ちしてたじゃないですか」
「それはそれ、これはこれだよ。大人は心の中に大きな棚を一つや二つ持っているものだ。で、彼は何者なんだ?」
 召屋は作業を続けながら、事の次第を神父に話すことにした。稲生に言われたことも含めて。神父はその話を一通り聞くと、何事かを思案するように上を見上げなら顎に生えた無精ひげを所在なげに弄ってた。
「なるほどね……。それなら、力になってくれそうな人を知っているよ」
「ホントですか?」
「ああ。さあ、さっさと仕事を終わらして、戻ろうじゃないか。晩御飯はご馳走するよ。話はそれからだ」
「それはパスタ?」
「もちろんだよ」
 その言葉を聞いて、今の自分の身に起きている問題も忘れ、俄然と仕事に励みはじめる残念な子、それが召屋だった。


 肉体的にも精神的にも疲労の重なる仕事を終えた召屋と神父は、そこそこに研究機関の関係者に“研究の足しになるであろう死体や遺物”を渡し終え、教会へと戻ることにする。
 様々な機材を積載したダッジRAMを召屋は愛車のヤマハSRで追いかけながら、先ほどの神父の言葉もあって、もしかすると今の状況が好転するのではないかと期待していた。
 ただ、自分のバイクの横をフワフワと浮かびながら追従する暑苦しいオッサンを横見るたびに、それは期待できないのかもしれないという諦め感も同時に湧き出てていた。


 ダッジRAMが冴えない教会の前で停止する。召屋にとっては見知った教会だった。被っていたヘルメットを外し、サイドミラーに掛けると、グローブは後ろポケットに突っ込み、教会へと歩き始める神父の後を追う。
「御主人、なんたる場所に入ろうとしているのですかっ!? いけません、いけませんぞっ!!」
 召屋の背後に佇む悪魔がこの世終わり目前にしたかのような悲鳴を上げていた。それはそうだ、悪魔なのだから、間違っても教会に入れるわけもない。
 そのことに気が付いた召屋は悪魔もかくやという冷たい微笑みをすると、暑苦しいオッサンのケツを蹴り上げると、教会の中へと叩き入れようとする。
「いいから、さっさと入れ」
「あ、ちょっと、いや、こんな聖的な場所に入ってしまったら、私の身体は冥界に送りかえっ……」
「何をしているんだい、召屋くん?」
「いや、ちょっとばかし実験を」
「駄目だよ、いくら悪魔だからって、暴力を働いちゃ」
「そ、そうですぞ。危うく浄化されるところではなかったですか?」
 真っ青な顔をして、息も絶え絶えに悪魔が、召屋のキック攻撃から逃れようと神父の後ろに隠れる。
 罰当たりなんだか、慈愛に満ち溢れているんだか良く分からない、カオスな光景を目の前にし、稲生の言葉はやっぱり本当なのかもしれないと思い始めていた。
 理由は簡単である。
 悪魔の立っている地面を指差しながら、召屋は一言。
「危うくも何も、そこ、もう教会の敷地だから」
「え…………」
「あ…………」
「うん…………」
 愛が芽生えそうなほどに無言で永く見つめ合う三人。
「い、いや、ほら、私は魔界の男爵であるから、この程度の聖域はなんともな……」
「ほほう? なら、どこまで耐えられるか試してみようじゃないか。おら、こっちこいやっ」
 召屋は、その貧弱な身体からはあり得ないほどの膂力を発揮し、悪魔の首根っこを掴み、礼拝堂への入り口である大きな木戸へと強引に引きずっていく。
「召屋君、学校で嫌なことでもあったのかな?」
 寺安は、悲痛な叫びを上げながら為すすべなく引きずられていく悪魔を、とりあえず暖かく見守ることにした。
(本物かどうかは分からないけど、悪魔を改宗させることができるなら、それはそれで面白いしな……)
「そんなことすると天罰が下りますぞ! お、鬼ー、悪魔ー、お前のかあちゃんでべそー!!」
 すっかり暗くなった住宅街に悪魔の野太い悲鳴が木霊していた。


「結局、大丈夫じゃねえか」
 礼拝堂にあるキリスト像の前でもなお平然として、その場に座り込んでいる悪魔を、召屋は少々がっかりした表情で見下していた。
「そ、それは私が魔界屈指の悪魔であるからでな……」
「嘘つけ」
「召屋くん。やっぱり、彼は痛い趣味を持ったお父さんじゃないのかい?」
「そんなわけねーだろ」
「ふっふっふっ、私がこうして教会の中にいるのも能力の高さの賜物で……」
「あーっ! もうウルサイッッッッ!!」
 その言葉と共に礼拝堂の横にある扉が豪快に開き、ジャージ姿の女性が現れる。
「まっったく!! トレーニングも出来ないじゃないの。寺安神父、一体何をしてるん……でって、なんで貴方がそこにいるの?」
「いや、もうね……逆に俺が聞きたいです」
 礼拝堂の横にある戸から、タオルで汗をぬぐいながら登場してきた笹島輝亥羽二年C組委員長をうんざりと見つめる召屋だった。


「で、なんで委員長がここに?」
 召屋は好物のパスタをほお張りながら、対面に座る笹島に質問する。
「はぁ、近所で“無料《ただ》”のトレーニング設備があるからに決まってるでしょ? もしかして馬鹿なの」
「いや、馬鹿とかそういう話じゃなくてね……」
 猿轡をされ、ロープでグルグル巻きにされた例の悪魔を横目に、ズルズルとパスタを啜っていた笹島がそれをやめて語り始める。
「いいこと? 私の部屋《ウチ》はこの近所なの。しかも“貴《・》方《・》のおかげで私はこの人と強制的にお知り合いになったわけよね?”それなのに、なんで貴方に文句を言われてるのかしら?」
「ははっ、そーでございますねー」
 召屋は納得できないまま、演技染みた仰々しい身振りで頭を下げることにした。
「……私の言いたいことはそうじゃなくて、なんで、今、ここに召屋くんがいるってこと。分かる? 何か、重要なことでもあるの? それとも、ただ、たまたまここにきたってだけなの?」
 その召屋の大げさな仕草に僅かに笹島はムッとする。
「まあまあ、食事中は穏やかに……」
 せっかくの食事を台無しにされまいと、二人の中をとりなそうと仲裁しようとする寺安神父。そして、その向かいに座る少年も引き摺られてか思わず呟く。
「どいつもこいつも五月蠅いんだよ……ホント、死ねばいいのに」
「これ、港男《みなお》。口が過ぎるぞ。こちらの方は大事なお客さんだ。本当に思ってることであろうと、口が避けても言うものではない」
 少年の毒舌に続いて、神父もなんのためらいも無く身も蓋も無いことをさらりと言ってのける。ただ、召屋、笹島両名も慣れたことなのだろう、それらには気にも留めない。
「それで、俺の力になってくれる人って?」
「ほら、以前も有葉さんと一緒に会ったことあるだろ?」
「ん!?」
 そう言って、パスタを頬張りながら、召屋はその記憶を呼び起こそうとする。彼の記憶力は他の生徒が驚くほどにずば抜けており、過去の出来事を瑣末な部分まで思い出すことが出来る。実は、これは彼の能力の副次的産物であり、彼の能力が召喚《サモン》ではなく創造《クリエイト》であるこのと証拠でもあった。
「あー、あのエロい人か」
 召屋は自分の頬に付いた血を指で拭き上げ、それを淫猥に舐めるその仕草を思い出し、鼻の下を伸ばしきっていた。
「顔が緩みっぱなしよ。いやらしい」
 冷めた目をしながら、残念そうに呟く笹島。
「だっせーな、その程度で嫉妬かよ。ねーちゃんは初潮も迎えてない純情小学生か?」
 港男の言葉に、笹島は思わず顔を真っ赤にしてしまう。
「はぁ? 私はクラスの委員長として、そういった不純な行為を許さないだけで……」
「けっ、色恋のやりかたも知らないケツの青いガキかよ」
 港男は、その少年らしい端正な顔立ちに不似合いな台詞を吐き捨て舌打ちをすると、笹島を蔑むような目つきで一瞥し、再び目の前にあるパスタに注意を向け始めることにた。
「この子はともかくとして、どういうことなんですか、神父?」
 笹島は悪鬼のような形相を港男に向けたあと、平静を装い、神父に質問する。一方、神父はというと、特に笹島のうろたえように気にする素振りもせずに平然と答える。
「まあ、以前、召屋くんが会ったことがある人が研究所の人でね。恐らく、彼の今ある問題の解決になってくれるんではないかと、そういうことだよ」
「わかりました。私も付いて行きます」
「結構です」
 召屋は間髪入れずお断りをする。
「あらそう。“結構”ってことは付いて行ってもいいってことね」
 だが、笹島は召屋の言葉尻を論い、無理やりにでも付いていこうとする。
 髪を掻き毟りながら、ここまで、強引かつ執拗に問題に首を突っ込もうとする彼女を召屋はいぶかしむ。
 そして、ひとつの答えに帰結するのだった。
(もしかして、委員長は俺のことが好きなのではないのか!?)
 まあ、それはそれとして、何故かというか強制的に、召屋は笹島と一緒に神父に紹介された研究所へと向かうことになっていた。
『彼女なら、この時間でもいるはずだから、こちらからも連絡しておくよ。じゃあ、お二人さん、仲良くね~』
 そんな適当かついい加減なアドバイスを神父から受けて、二人は召屋のバイクでその研究所とやらいう場所へと向かっていた。


 季節は初《・》夏《・》の夜ということもあり、肌に当たる風が心地よい。
 この季節こそ、単車で走るには最適な時期だと召屋は常々思っている。ただし、後ろに誰も乗っていないという前提だ。単純なデッドウェイトになるだけでなく、思う存分に走れない。コーナーはもちろん、交差点で停止したり、スタートする度に後ろを気遣わなければならず、どうにもストレスが溜まるのだ。
 特に後ろに乗っているのが口うるさい小姑のクラス委員長の笹島とくれば、その気遣いようは尋常ではない。
 案の定、召屋になりに気を使っても、やれ急発進が悪い、やれ信号はちゃんと守れ、やれ速度制限を超過している、その他追い越しが急だ等々、散々な小言を後頭部に浴びせられ、身も心もげっそりしてしまう。
 さすがの召屋もうんざりし、さりげなく話を変えることにした。
「なあ、なんで委員長はそんなに人の世話を焼きたがるんだ」
「はぁ? そんなの決まってるでしょ? 私がクラス委員長だからよ。クラスの平和とクラス全員の公序良俗は私が守らなければならないの。そのためには私はどんな努力も労力も惜しまないわ。だから、今もこうして、行きたくもない研究所とやらに行くのに付き合っているの! 分かる?」
「だからって、少々お節介が過ぎやしないか」
 彼女が今、後ろに乗っているのが好意ではなく厚意だったことに少しがっかりしつつ、その厚意の押し付けはなんとかならないのかとも同時に思う。
 そして、“お節介”という言葉に反応したのか、召屋のライダースジャケットを掴む笹島の手が一瞬強張る。
「私はね、みんなを守る義務があるの、責任があるの。そりゃ、私の能力《ちから》じゃ誰一人守れないかもしれないし、大きなお世話かもしれない。でもね、嫌われたって、疎まれたっていい。そうすることに意味があるの…私には……」
 事実、彼女がここまでに傲慢で尊大なのには彼女なりの理由があった。ただ、それはまた別の話であり、召屋には全く関係のないことである。
「さて、もうすぐか」
 召屋はこの話を続けることに居心地が悪くなり、スロットルを開け、車体を急加速させる。
「ちょ、召屋くん、危ないでしょ。ちゃんと制限速度は守りなさいよ。だからって急ブレーキとか……!?」
 ブレーキペダルの動きに反応して幾度か明滅しながら、テールランプがゆっくりと街灯やネオンサインで彩られる街並みに溶け込んでいく。神父に教えられた研究所はもうすぐだ。
「いやはや、青春ですなあ」
 緊縛状態でありながらも浮遊し、二人を追いかけるという器用な離れ業を行いながらも、むさくるしい悪魔はそうポツリと呟くのだった。


「ほんじゃまあ、ここに名前と人数書いてくれるかい?」
 研究所の入り口で初老の警備員に止められた二人と悪魔は、研究所へ入るための入館手続きを行っていた。
「ここが、代表者の名前で、こっちが人数ね……」
「ねえ、召屋くん、私たちって何人?」
「一応、三人じゃないか?」
「でも、こんなのと一緒に入ろうとしたら止められないかしら?」
「おー、おー、聞いとるよ。高校生二人と変質者が一人くるけど、問題ないってね」
「変質者とは失敬な」
「その通りでしょうがっ!!」
「あっ、そうやって、蹴るのはダメッ! 別な感情が湧き上がるからーっ」
 なんらかのストレスが溜まっているのか、笹島はどう見ても職質されそうな変態悪魔をボコボコに蹴っていた。
「委員長、いくぞ」
「あ、ゴメン」
 そう言うと召屋、笹島、悪魔の三人は研究所の入り口へと歩き始める。そこでは、館内を案内する警備員――というには胡散臭すぎる黒服の男――が待ち構えており、その男の案内でまるで迷路のような館内を進んでいく。
「ねえ……」
 だが、さほど館内を進まないうちに、笹島は何かに気が付いたのか、軽く肘打ちしながら召屋に呟いた。恐らく、同じ印象を持っていたのであろう、召屋もそれに同意する。
「嫌な空気だ」
 剣呑な空気が研究所内を歩く彼らの周りを纏っていた。僅かでも寄り道するなら、ささやかないたずら心で何かに興味を示したら、即座に何らかの意思が、彼らに叩き付けられるに違いない。そして、その執行者は前を歩く男かもしれないし、第三者かもしれない。なんにせよ、無駄な好奇心を発揮することは、即、手厳しい教訓になると召屋たちは感じ取っていた。
 実際問題、そんなことは当たり前だ。ここは島内にあるとはいえ、学園とは別の管轄下にある化物《ラルヴア》や能力の研究機関である。学園外となれば、学生たちにも明かせない部外秘なことも多いはずだ。企業の出先機関であれば、尚更に研究成果の秘匿はシビアなものとなる。
 当然、全くの門外漢の二人に、直接的、間接的に鋭い視線が浴びせられるのも当然のことである。
 同じところを何度も歩かされているかのような錯覚――実際はそうでないのかもしれないが――に陥りながらも、ようやく召屋たちはひとつの扉にたどり着いた。
「こちらです……」
 そう言いうと黒服の男は、軽く二度ほどノックをすると、静かに扉を開ける。
 その扉の奥には、ジタンをふかす、栗色のウェーブがかった髪の女性が多くの機材に囲まれながら座っていた。室内はタバコの煙でくぐもり、ジタン特有の癖のある臭いが充満している。
 タバコが嫌いな笹島はその強烈な臭いに入ることを思わず躊躇してしまう。
「さあ、そんなところに立ってないで、中へ入ったらどうだ? ああ、そういえば、紹介がまだだったな。私は尾原凛《おはらりん》。ここで研究主任をやらせて貰っている。まあ、どんな研究なのかは詳しくは言えないがね。まあ、立ち話もなんだし、座りたまえ」
 吸殻で山盛りになりった灰皿に無理やり吸っていたタバコを押し消すと、二人のために椅子を用意しようとする。
 しかし、来客用の椅子は資料のための書籍やデータをプリントアウトした用紙などが無造作に山積みになっていて、すぐに座れるという状態ではなかった。
 それを見た彼女は、それらを手で払いのける。バタバタと音を立てて本が床に落ちるが、それを気に留める様子も片付けようともしない。
「さあ、どうぞ」
「え、えっと……あの…」
「気にするな」
 尾原は、薄汚れたパンプスを履いた脚で、椅子を置くのに邪魔であろう、床に散乱した書籍を蹴りどける。おそらく、彼女には片付けるという概念がないらしい。事実、書籍や資料はもちろん、測定機器のセンサー類やDVDなどのメディアも部屋のそこかしこに無造作に置かれ、場合によっては床に散らかっていた。
 仕事をするための机も、赤ペンでなにかしらの問題点が書きなぐられているレポートが仕分け不可能なほどに散らばっており、しかも、吸殻で山積みになった灰皿とそこからこぼれた灰で汚れている。中央においてあるパソコンのモニターには無数の意味不明のポストイットが貼り付けられ、キーボードはタバコのヤニのためなのか、すっかり黄変していた。机の横にあるゴミ箱はというと、読み終わったデータ用紙はもちろん、食べ終わったコンビニの弁当の容器が無理やりに詰め込まれ、溢れており、かなりの長い期間、掃除がなされていないことが分かる。
 彼女自身も白衣は部分的にどす黒く汚れ、黒のストッキングも部分的に伝線していると環境だけでなく、衣服にも無頓着のようだった。
(やっぱり、人って出会う場所によって印象がかわるもんだな……)
 そんなことをしみじみと思う召屋だった。


 ことの次第を寺安神父から聞かされていたのか、召屋の簡単な説明で彼女はパソコンを弄り始め、何かのデータを探し出そうとしていた。だが、それが見つからないのか、今度は部屋中をウロウロと歩き始め、そこらじゅうにある資料をひっくり返し始める。
「たしか、この辺に……。いや」
 ブツブツと独り言を呟きながら、資料を巻き散らかし、研究室内部はさらに混沌の状態へと突き進んでいく。
「あの~、どんな資料ですか?」
 この惨状を見かねたのか、笹島が手伝おうとするが、部外秘だからそれはダメだと彼女は断る。そして、お目当ての資料が召屋の足元にあるのに気が付いたのは、家捜しから十分を経過した頃だった。
「さて」
 ホコリや足跡が付いた資料を特に気にすることもなく、その資料をめくり、該当するページを見つけると、満足そうに微笑み、椅子に座り直し、二人に向かって話を始める。
「えーと、召屋君といったかな? 君の今抱えている問題は、恐らくここに書いてある。というより、君は自分の仕事に関して考察したレポートに目を通したことはないのか? 確か、担任に送っているはずだし、当人ならば自由に閲覧できるはずだが……」
「へっ!?」
「だから、君たちが出会った化物《ラルヴア》に関するレポートだよ。えーと、ここにはキミの他に有葉千乃という人物も一緒だと書いてあるが?」
 尾原はそう言って、ヨレヨレになったレポートを手の甲でポンと叩く。
「ちょっと、召屋くん。どういうことかしら?」
「ひっ!!」
 睨み付ける笹島の形相に召屋の後ろにいた悪魔が声を上げる。それはそれは恐ろしかったのだろう。ブルブルと震え、召屋の後ろに隠れ、ブツブツと何事か呟いている。
 一方、その形相の矛先である召屋は慣れたもので、明後日の方向を見ながらヘラヘラと薄笑いを浮かべ何とか誤魔化そうとしていた。
「いやー、まあ、ほら、あれだ。うん、良くある手違いってやつか……な…? ダメ?」
「ダンッッッメッッッッッ!! だから、どうして貴方はいつもそうなの? 大体、召屋くんは……」
「あー、お二人さん、そろそろ本題に入ってもいいだろうか?」
 尾原は胸のポケットからくしゃくしゃになったソフトケースのジタンを取り出し、一本を口に咥え一服しようとする。
「あ、スイマセン。それでどういうことなんです」
「簡単に言うと、こういうことだ」
 そう言うと同時に尾原は召屋の顔に自分の顔を近づける。それは鼻どころか、唇と唇が近づくほどの距離。突然のことに顔を逸らそうとする召屋だったが、後頭部を尾原の手によって抑えられており、顔を動かすことができずにいた。
「え、えと、尾原、さん?」
 更に顔がというよりも唇が近づいていく。ジタンと女性特有の甘い臭いが召屋の鼻腔をくすぐる。その臭いはジタンの強烈さもあり、良い匂いとはいえなかったが、それでも何かを感じさせる香りだった。
 そして、召屋が『結構美人だし、これはこれで悪くないんじゃねえか』と思い始めていた時だ。首筋に針を刺されたかのような痛みが走る。
「痛っ!?」
 召屋はその痛みで強引に尾原の手から逃れる。
「あんた、一体何をしようとした、じゃなかった何をしたっ!?」
「別に。きみの問題を解決してやっただけじゃないか。ほら、これをごらん」
 そういって、尾原は召屋の眼前に自分の右手をゆっくりと突き出す。そこには、親指と人差し指によって抓まれた黒い糸のようなものが不規則に動いていた。ミミズの亜種のようも見えたが、長さや太さも動きにあわせて不定形に変化していることがその推測を否定する。生き物ではあっても、この世の生物ではないもの、化物《ラルヴア》に間違いないだろう。
 尾原はそれをいつのまにか取り出したのか、シャーレの中に手際よく放り入れる。その黒い糸は、シャーレの中でも何かを探すようにウネウネと這いずり回っていた。
「さて……」
 そう言うと、今度は笹島の方に近づいていく。当の笹島は、目の前で起きたラブシーン紛いの行為にあてられたのか、頭から湯気を出し、完全に思考を停止していた。
 尾原は召屋の時と同じように顔をギリギリまで近づけ、笹島の首筋をその細く長い指で優しくなぞる。指先に何かを感じたのか、動きを止め、摘み上げる。
「ひゃっ! い、一体何をするんですかっ?」
 思わず、笹島がのけぞり、悲鳴に近い声を上げる。
「キミに寄生している化物《ラルヴア》を取り除いただけだよ。安心するといい」
「え、は? あの、どいうことですか?」
 ずり落ちたメガネを直しながら、笹島が尾原に問いただす。目の前に突き出された異様な生物を見、一瞬驚くものの、何が自分に起きていたかをすぐに理解する。
「なんで、こんなものが私に寄生……」
「キミたちは筋肉馬鹿のあの神父と戦っただろ?」
 笹島首筋から取り出したそれを、先ほどのシャーレに器用に収めながら、笹島たちの方を向くこともせず、ただ、語り始めた。
「あれはね、いや、この生き物は人の欲望を糧にし、増幅させる寄生型の化物《ラルヴア》なんだよ。こいつらは、生物の神経に寄生し、その思考を読み取り、その欲望と能力を歪んだ方向に増幅させるのだよ。例えば、神父ならこの街を守りたいという意識を食い尽くした結果があれだ」
「おー! そー言えば、そんなレポート読んだっけ!」
 召屋はポンと手を叩く。
「さっさと気づきなさい」
 二人のやり取りを気にすることもなく、尾原は話を続ける。
「ただ、人によって症状はまちまちだ。神父のように実際に行動を起こす人間もいれば、君のように、ただ能力が爆発する者もいる。まあ、君の能力が、高い知能を持つ者まで物質化するとは私たちも予測はしてなかったがね」
「――!?」
 召屋の心に何かが引っかかる。
「えっと……、じゃあ、私にはどんな症状が出てたんですか?」
 その召屋の微妙な変化に気が付きもせず、笹島が、自分に何が起きたのかを詳しく知ろうと質問をする。
 だが……。
「さあ?」
 そう言うと、尾原は二人に背を向けると、パソコンのソフトを起動させ、なにやらレポートを書き始めていた。
「……多くは、特に軽度の場合は感情の昂ぶりや起伏、不安定さが見られるという実験結果も出ている。恐らく、君のもそちらの普通の症状だろう」
「なら、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。それと、有葉君にもこのことを伝えておいてくれないか? 彼女も感染している可能性が高いからね」
「分かりました。メールでもなんでもいいから、ちゃんと伝えなさいよ、召屋くん?」
「あ、ああ……」
「さて、問題も解決したことだし、そろそろ帰ってくれないだろうか? 私もそれなりに忙しいのだよ」
「す、スイマセン。こんな時間にお邪魔してしまって。さあ、召屋くん、帰るわよ」
 笹島はそう言うと、未だガタガタと恐怖に震えていた悪魔を引き摺りながら、召屋と共に尾原の研究室を後にする。


「なるほど、彼から聞いた以上に面白いじゃないか……」
 召屋たちが去った後、尾原は一人呟くと、火も点けずに咥えたままだったタバコに火を点けると、一気にその煙を肺へ吸い込む。ジタン特有の香りと味を舌で味わうと、ゆっくりと吐き出す。
 そして、キーボードを忙しそうに叩き始める。様々な考察とシミュレーションで、今日は徹夜になるだろうなと尾原は思う。それは、このところ研究が停滞気味だった彼女にとって最高の褒美だった。


 召屋は沈黙したまま、笹島を彼女が下宿するアパートに送ると、寄り道することもなく、自分の寮へと帰る。もちろん、自称悪魔もそれに付き従っていた。
 召屋は尾原の研究室から出て以降、一言も喋らなかった。笹島に、そして悪魔に声を掛けられても、何かを考えていたのか、だんまりを決め込んでいる。
 そして、そのままベッドに倒れ込み、ほどなく睡魔が彼の意識を奪う。
(きっと、明日になれば……全てが好転する)
 召屋の長く、憂鬱な一日がようやく終わった。


 翌日、召屋が目を覚ますと、部屋には誰も存在しなかった。彼一人だった。悪魔どころか、カストロビッチもいない。
 こんな静かな朝は久しぶりだった。
 ここ二日間のことを考えれば、声を上げて喜んでもよい状況だったが、何故か召屋は素直に喜べない。何かが引っかかる。なにより、身体中が鉛のように重く、指一本を動かすのでさえ苦痛だった。
 気が付けば、カーテンの隙間から部屋に差す日はかなり高くなっており、目覚まし時計の針もそろそろ急ぐべきだということを召屋に示している。
 だが、彼はそれらを無視することにし、有葉に前日の件に関するメールを送ると、もう一度布団に潜ることにした。
 結局、召屋が二年C組が教室に現れたのは、昼休みになってのことだった。席に座る早々に笹島が食って掛かる。
「召屋くん! なんでこんな時間になって登校してくるよのっ?」
「ゴメン、ちょっとな」
 召屋はだるそうに答える。
「というか、今日は変な人は引き連れてないみたいね。まあ、それでよしとするわ。それとね、字元先生が、放課後、指導室に来いって言ってたわよ。必ず行きなさいよ!」
「ああ……」
 めんどくさそうに召屋は応対すると、机につっぷし、そのまま鼾をかいて寝始める。
「召屋くん? 召屋くんっ!?」
 だが、笹島がどれほど揺り動かそうと、六谷が竹刀で殴ろうと、召屋は放課後まで目が覚めることはなかった。


「―――言った通りだ」
 放課後の指導室で、字元は召屋に向かって事務的に文章を読み上げる。だが、召屋はそれを聞き取れない、いや、理解できないでいた。
「もう一度言う。召屋、お前と有葉千乃のコンビは昨日をもって解消した」
 そして、召屋正行の日常はこうして戻っていく……。




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