【ぼく、ペテン師:問題編その1】


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「赤い扉なんか見たくない。黒く塗り潰してしまいたい。ほかの色はもういらない。総て黒に変わればいい。明るい夏服をきた女たちが通り過ぎる。俺の中の暗闇が消えるまで、顔を背けなければならない」――――ローリング・ストーンズ〈Paint it , Black〉



    1


「ねえ中也《ちゅうや》くん、お昼ごはん食べにいこうよ。ねえ、ほら、はやくぅ~。あっ、ハンカチ持った? おてて洗った? もう、中也くんはいつまでたっても甘えんぼさんなんだから、中也くんはわたしがあ~んってしてあげないとぽろぽろこぼしちゃうんだよね。でもでも、そんなところも可愛いいの!」
 そんな砂糖と蜂蜜と生クリームを煮込んで作られたチョコレートみたいに甘ったるい声が昼休みの教室に響き、クラスメイトたちが好奇の目でぼくをニヤニヤと見つめている。      
 はあ、なんでいつもこうなんだ。
 ぼくがうんざりしながら教室の扉のほうにちらりと視線を移すと、頬を紅潮させ、とろけそうな笑顔をぼくに向けて手を振っている人物が見える。その顔は幸せそうで、お花畑が頭に広がっているようだ。周囲の目も気にせず大声でぼくの名前を呼び続けている。恥ずかしいから迎えに来ないでくれっていつも言ってるのに。 
「ほれ早く行ってやれよ夏目《なつめ》。お前の嫁さんが待ってるぞ。ああ畜生、俺もあんな可愛い人にあんな甘ったるい声で呼ばれたいな」
 クラスメイトがぼくをからかうように肘でつついてきた。それに便乗して周りの男子生徒たちもぼくの体をやいのやいのと小突いてくる。
「そんなんじゃないよ」
 そうぼくは彼らに向かって微笑む|ふり《・・》をした。
「いいよなー、あんな美人が毎日お昼に迎えに来てくれるんだろ?」
「っていうかあの先輩と毎日寝起きを共にしてんだろお前。羨ましい!」
「夏目のくせに生意気だ!」
「早く結婚しちまえよ~」
 などとみんなは人の気も知らないで勝手なことばかり言っている。
 ぼくは恥ずかしさに耐えられず、ゆっくりと席を立ち、教室のドアに向かっていく。ぼくが近づいていくと、その笑顔はさらに輝き、ぼくもひるんでしまうほどだ。だけどぼくはきちんと言ってやろうと「こほん」と咳払いをする。
「アキ姉|《ねえ》! ぼくはもう子供じゃないんだからわざわざ迎えに来なくていいよ」
 ぼくがそうきつく言うと、アキ姉はしゅんっとした表情で眉を曲げて涙目になっている。卑怯だ。女の子っていつもこうだから卑怯だ。
「だって、だってぇ~。せっかく中也くんと会えると思って走ってきたのにぃ。わたし、中也くんと会えない授業中は本当につらいのよ。もう胸がはじけちゃいそうなの」
 そう言ってアキ姉は目を伏せその自分の薄い胸に手を置いている。弾けるどころか膨らんでもいないじゃないか。
「わかったよアキ姉。ぼくが悪かったよ、だから早くここから離れて弁当を食べに行こう」
 後ろから聞こえるヤジに耐えかね、ぼくはさっさとクラスメイトの目の届かないところに行きたかった。アキ姉のことはもうクラスに知れ渡ってるからいまさらなんだけど。
 ぼくがそう言うと、アキ姉の顔はまた明るい笑顔に戻って手に持った弁当をぶんぶんと振り回している。いや、そんなことしたら中がぐちゃぐちゃに……。
「うん! 今日はね、卵料理にこだわったのよ。早く行きましょ、行きましょ」
 そしてアキ姉はぼくの手を掴んでぐいぐいと引っ張って行く。その細く白い手は冷たいが、とても柔らかい。アキ姉は子供のころからこうだ。ぼくの手をいつも勝手に引っ張っていく。過保護なのかどうかわからないが、ぼくももう高校二年生なのだからいい加減アキ姉にこうしていつもくっつかれると周りの目がきつい。恐らくクラスメイトたちにはどの過ぎたシスコンとブラコンの姉弟と思われてるんだろう。
「午後の授業までには帰ってこいよ新婚さ~ん」
「ああ夏目の野郎! 晶子《あきこ》さんの手を! 手を!」
「弟という立場というだけであの野郎……」
「俺も晶子先輩の手料理食べて~」
 教室を離れていくぼくに追い打ちをかけるようにまだ後ろから声が聞こえてくる。そんんなヤジには慣れているが思わずぼくはかあっと耳まで顔が熱くなってしまう。
夏目|晶子《あきこ》。それがアキ姉の名前だ。
 みんなアキ姉のことを美人だ清楚だと言うが、肉親のぼくにはあまりピンとこない。確かに眼鼻は整ってるし、綺麗な黒髪を長く伸ばしているから清楚な印象を受けるだろう。でも身体に凹凸はなく、木の枝のようにほっそりとしている。胸なんかぺたんこで可哀想なくらいまったく無い。本人もそのことを気にしているようで、ぼくが胸に対して何か言うと「中也くんはデリカシーがない!」とぷんすかと怒ってへそを曲げてしまう。
「ほら中也くん! 急いで、お昼休み終わっちゃうよ」
 ぼくの手をとりながらこっちを振り向いてアキ姉はまた眩しい笑顔を向けてくる。みんなが変なことを言うもんだからぼくも意識してどきりとしてしまう。アキ姉のころころとした声で名前を呼ばれると胸のあたりをくすぐられているような気持になる。
「だ、大丈夫だよアキ姉、昼休みは長いんだから。それに廊下を走ってると風紀委員の人に怒られちゃうよ」
「そうね、じゃあ見つからないようにもっと早く走りましょうよ!」
「ちょ、ちょっとアキ姉!」
 ぱたぱたと廊下を走り抜け、ぼくたちは第三調理実習室にたどりついた。鍵をかちゃりと開け、扉をがらりと開く。中はごく一般的なコンロや食器が置いてある普通の調理室だ。ここは料理部の部室にもなっており、料理部の部長でもあるアキ姉は鍵を自由に使えるのだ。それを利用してこうしてここを私物化している。
「ねえ中也くん。早く食べよ食べよ」
 調理室のテーブルにキャラクターの絵の入った弁当箱をちょこんと並べ、うきうきした調子でアキ姉は急かしてくる。
「はいはいわかったよアキ姉。ああ、やっぱりぐちゃぐちゃになってる」
「あらあら、なんでお弁当の中こんなにぐちゃぐちゃなんだろう?」
 不思議そうにアキ姉は首を傾けている。アキ姉が振り回したり走ったりするからだ。と突っ込みたかったが、また泣かれても困るので、ぼくは箸を取り出して手を合わせた。
「いただきます」
「いただきま~す♪」
 弾むような声でアキ姉もそう言い、ぼくたちは弁当のおかずに箸を伸ばしていく。弁当の中身がぐちゃぐちゃに混ざってしまっていても、結局食べれば一緒だ。いつものことだし、ぼくも慣れているから弁当の中の卵焼きに箸を刺す。抵抗なく突き刺さる柔らかな卵焼きをそのまま自分の口に運ぼうとすると「だめ!」とアキ姉が大きな声を出した。思わずびくりとしてアキ姉をみると、アキ姉も卵焼きを箸ではさんでいて、それをぼくの口元まで運んでいた。しかもその顔は凄まじいまでの笑顔だ。
「はい、中也くん。あ~~~~~~~んして」
 ぼくは思わずのけぞってしまう。いつものこととは言え、アキ姉はぼくをいくつだと思っているのだろうか。こんなところをクラスメイトに見られたら本当におしまいだよ。
「アキ姉。やめてくれよ、ごはんくらいぼくは一人で食べられるよ。ごはんをぽろぽろ溢す癖はもう小学生のころに直したじゃないか」
 ぼくがそう言って横を向き、自分で卵焼きを食べていると、またもやアキ姉の目には涙がじんわり浮かんでいて、口もあわあわと震えている。やばい。
「ふ、ふえ~~~~ん。中也くんが不良になっちゃった~。いつもはあんなに優しいのにぃ~。反抗期なの~~~?」
 アキ姉は涙腺を決壊させ、大粒の涙を流してえぐえぐとブレザーの袖で拭っている。ああ面倒なことになった。
「うう、お母さん、天国のお母さん。お母さんが死んじゃってからわたしがお母さんの代わりを務めようって決めてたのに、わたしの教育がゆき届かなくて中也くんがお姉ちゃんに反抗するようになっちゃいました。賢治《けんじ》お兄ちゃんはどこかへ行っちゃうし雪緒《ゆきお》お姉ちゃんはわたしを嫌ってるし龍《りゅう》くんはいつも女の子と一緒にいるの。中也くんだけがわたしのことちゃんと聞いてくれると思ってたのに、酷いよぉ~。お姉ちゃんにもっと甘えてよぉ~」
 わんわんと泣きだしたアキ姉にぼくはもう頭痛がしてきた。こうなるともう手がつけられない。
「わ、わかったよアキ姉。食べるから、ほら泣きやんでよ」
 ぼくがそう言うと、ぴたりと泣くのをやめたが、今度はぷいっとそっぽを向いてしまった。唇を突き出してつーんとしている。面倒くさい。
「中也くんはわたしのこと嫌いなんだ。もうお弁当作ってあげない! 一緒にお風呂入ってあげない! 一緒に寝てあげない!」
「誤解を招くような発言はやめろぉ! 誰かに聞かれたらぼくは破滅だよ! だいたい一緒にお風呂入ってたのも寝てたのも全部小学生の頃の話でしょ!」
「うそ。お風呂には中学生のころまで入ってたじゃない!」
「あれはアキ姉が勝手に入ってきてたんだろ!」
 ああ、思い出したくない過去の出来事が頭に蘇ってくる。アキ姉はぼくの身体を洗おうと隙あらば一緒のお風呂に入ろうとしてくるのだ。ぼくはアキ姉の裸を思い出してしまい、顔が熱くなってアキ姉の顔をまともに見れない。
「ああ~、中也くんなんかエッチなこと考えてるでしょ!」
「か、考えてないよ!」
「中也くんなんてもう知らない! わたしのことよりエッチな妄想のが優先なのね、不潔! 変態!」
 アキ姉はそう言って椅子を回転させ、ぼくに背を向けてしまった。こうなると本当にやっかいだ。仕方ない。ぼくは背を向けたアキ姉の肩に手を置き、耳元に口を近づけ言葉を紡ぐ。
「“アキ姉。大好きだよアキ姉。アキ姉の手料理は本当においしいし感謝してるよ、だからほら、機嫌を直して”」
 ぼくが棒読みでそう囁くと、アキ姉はぴくりと一瞬震え、ゆっくりとこちらを向いた。もうその顔には涙はなく、頬を紅潮させた満面の笑みでぼくを見つめている。それを見てぼくは安堵のため息を吐く。
「わたしも大好きだよ中也くん!」
 するとアキ姉は腰を上げぼくの身体に思い切り抱きついてきた。首の後ろに手を回し、吐息が耳にかかり、胸の鼓動が聞こえるほどに密着している。ぼくは心臓が飛び出そうになるのを必死で抑え、アキ姉が気の済むのを待った。
「ありがとう中也くん。中也くんだけだよ、そう言ってくれるの。嬉しい。たとえ“嘘”でも嬉しいな」
 アキ姉はとても落ち着いた優しい声でそう言った。
 “嘘”という言葉にぼくの胸はちくりと痛む。
「アキ姉も人が悪いな。ぼくが“異能《ちから》”を使ったことにすぐ気付くんだもん」
「そうよ、中也くんのことはわたしがなんでも知ってるんだから」
 アキ姉はぼくを抱きしめる手に力を入れ「あったかあい」と満足そうに呟いている。まいったな。アキ姉にはぼくの“嘘”は通用しないんだよな。でもアキ姉はぼくの“嘘”を受け入れ、とろけそうな柔らかい表情をしている。数分の間そうしていると、突然アキ姉はぱっと離れ、にこにこしながら、
「さあ、じゃあお姉ちゃんのこと好きならあ~~~んっしてね♪」
 再び卵焼きを箸で挟み、無理矢理ぼくの口までまた運んできた。今度はぼくも抵抗する気力も失せ、早く食事を終わらせてしまおうとぱくりと口に入れていく。口に入った卵焼きはふわりと溶け、甘い味がした全体に広がっていく。特別においしいというわけではないが、料理部の部長だけあって全体的なバランスがよくできている。弁当の他のおかずも、休みなくアキ姉がぼくの口へとひょいひょい口に運んでくる。苦しい。
「おいしい? ねえおいしい中也くん」
「うん、おいひいいほ」
「じゃあもっともっと食べてね」
 アキ姉はとても幸せそうな笑顔だ。ぼくはもう何も言えなかった。ようやくすべて食べ終わったと思ったら、アキ姉の弁当も半分くらい食べさせられ、ぼくのお腹はもうぱんぱんになってしまった。
「げぷ……。ごちそうさま……」
「ごちそうさま♪」
 口を押さえるぼくと対照的にアキ姉はご機嫌な様子だ。ぼくが弁当箱を片づけ、さっさと教室に戻ろうと支度をしていると、アキ姉はどこからか絵本を取り出してきていた。恐らく最初から部室であるここに置いてあったのだろう。それを見てぼくはただただげんなりするしかない。
「アキ姉……それは……?」
 立ちあがりかけていたぼくを、アキ姉は絵本で顔を半分隠し、上目遣いでぼくを見つめている。その瞳は期待に満ちたようにキラキラと輝いており、その目にぼくは弱いのだ。
「……読んで。だってだって、昔はいつもごはんの後は読んでくれたじゃない。たまにはいいでしょ?」
「はぁ……。わかったよ。これだけ読んだらぼくはもう教室戻るからね」
 ぼくは絵本をアキ姉から受け取り、椅子を移動させアキ姉と肩を並べる。アキ姉の小さな肩が触れ、細い髪の毛が頬をくすぐる。
 絵本のタイトルには『泣いた赤鬼』と書かれている。子供のころに何度も呼んだ奴だ。ぼくがじっと本の表紙を見ていると、アキ姉は「早く、早く」と子供のように急かしてくる。ぼくは呼吸を整え、最初の一文を読み上げる。
「山の中に一人の赤鬼が住んでいました――」
 この話はとても有名だ。その赤鬼は“鬼”という人と違う存在というだけで忌み嫌われ、恐れられていた。彼自身は優しく、人と仲良くしたいと思い努力しても無駄だった。唯一の青鬼の協力で赤鬼は村の人間たちに信頼され、仲良く暮らすことができたのだが、その代償に一番大事な友達を一人失くしてしまったという話だ。
 青鬼の友人を想う自己犠牲精神に感動する反面、それが両者にとって幸せなことだったのだろうかと読み直すたびに思う。青鬼を失ったことにより、赤鬼は今まで以上の孤独感を味わうことになるんじゃないだろうか。
 ぼくが音読しているのをアキ姉は黙って聞いていた。子供ころからアキ姉は絵本が好きで、よくぼくに読んでくれとせがんでくるのだ。高校三年生にもなって絵本だなんて少しアキ姉は変わっている。だけど、アキ姉がこんなに絵本が好きなのはぼくのせいなんだろうけど。いや、ぼくの“異能”のせいか。
 ぼくの言葉をうっとりとしてアキ姉は聞いている。終盤に近づくと、悲しそうな顔になり、最後の一文を読み終えた後、号泣していた。鼻水も垂れ流してえぐえぐと泣き散らし、ぼくの制服に涙と鼻水をこすりつけてくる。やめてくれアキ姉。ばっちい。
「うわ~ん。青鬼さん可哀想だよ~。どうして青鬼さんはどこかへ行っちゃうの? 赤鬼さんは青鬼さんだけじゃ満足できなかったの?」
 折角さっき泣き止んだと思ったのに、また泣きだしてしまった。こうなることはわかっていたのに、ついアキ姉にせがまれると読んでしまう。「中也くんってすごく読むの上手いよね」と笑顔で言われたら断る事なんできない。
 でもこれはぼくの実力とは違う。ぼくの異能によるものだ。
 ぼくのこの異能は学園の研究者たちからは“最弱の異能”だとか“何の役にも立たない”とか言われ散々だが、でも下手に戦闘能力がある能力より安全だし、ぼくとしてはそのほうがいい。
 ぼくが持つこの異能は簡単に言えば『言葉が持つ力』を操ることができる。たとえば何か悲しい話しをすればそれを聞いた人はどんな変な話しでも泣いてしまうし、どれだけくだらないジョークでも笑ってしまうだろう。
 絵本や小説を読めば『感動』をダイレクトに相手に伝えることが可能だ。アキ姉だってさすがに普通に絵本を読むだけではこんなに号泣したりしない。ぼくが読めばどんな話でも感情が突き動かされ、心に残る名作になる。もっとも、それを差し引いても『泣いた赤鬼』が名作なのは変わらないんだけど。
 そして何より、ぼくがどれだけ“嘘”をついても、それを相手は受け入れてしまうのだ。
 ぼくのこの異能を、意地悪な賢治兄さんは皮肉たっぷりに“ペテン”と名付けた。そしてそれを使うぼくのことをペテン師だと。


 中也。お前の言葉は総てペテンだ。自分は感情のない化物の癖に、人間のふりをしている。そして人の感情を弄ぶ。お前は偽物の言葉だけを紡ぎ続けるペテン師だよ――


 賢治兄さんのつめたいナイフのような言葉が今でもぼくの胸に突き刺さっている。ぼくたち夏目五兄弟の長男にして稀代の犯罪者。夏目賢治。そんな最低な人間に“ペテン師”と呼ばれ、反論したかったが、ぼくは何も言い返せなかった。
『ありがとう中也くん。中也くんだけだよ、そう言ってくれるの。嬉しい。たとえ“嘘”でも嬉しいな』
 “好きだよ”というぼくの言葉にアキ姉はそう返した。
 嘘。嘘つき。
 アキ姉の心にはぼくが言った『好き』という言葉が直接届いているのだろう。でもそれはただ言葉が力を持っているだけで、ぼくの本心とは違う。アキ姉はぼくの異能のことを知っているからそれを理解しているのだろう。
 ぼくは人を好きになれない。誰も好きならない。好きになる資格がない。
 どれだけ感情を言葉に乗せても、それはぼくの感情じゃない。
 全部偽物の言葉だ。
 全部偽物の感情だ。
 ぼくは人の気持ちがわからないし、自分の感情もよくわからない。楽しいだとか悲しいだとか、言葉でしか知らない。
 そんなぼくにこの能力はある意味相応しいのだろう。ペテンの力。偽物の力。
 昔からぼくはそうだった。感情が乏しいというのか、欠落しているのか自分でもわからないが、母さんが死んだときも『悲しい』とは思えなかったし、父さんがぼくたちのことを見捨てて失踪したときも『怒り』を感じなかった。
 そんな欠陥人間が人間らしく見えるのも、この異能のおかげなんだろう。この異能がある限りぼくは『感情があるように見える』のだろう。ぼくが感情のない化物だということに誰も気づかない。
 アキ姉――いや、兄弟全員以外は。
「どうしたの中也くん。どこか痛いの?」
 アキ姉が涙を溜めこんだ心配そうな顔でぼくを覗き込み、ぼくは、はっと我に帰る。ころころと子供のように表情を変え、感情が豊かなアキ姉がぼくは羨ましい。ぼくは必死に頬の筋肉を動かして笑顔を作った。
「なんでもないよアキ姉」
「そう、よかった」
 ぼくがそう言うとアキ姉はぱあっと太陽のような笑顔に戻り、愛おしそうに『泣いた赤鬼』の絵本を抱きしめている。
「ねえ中也くん。あのあと赤鬼はどんな気持ちで生きてたのかな。青鬼のことを忘れちゃったのかな。青鬼は別の場所で幸せになれたのかな」
「さあ、ぼくにはわからないよ」
 離れ離れになった鬼たちのことを想い、アキ姉は目をつぶっていた。それはまるで聖母の祈りのようにも見える。午後の日が窓から差し込み、それも相まってとても神聖なものに見えた。
「ああー晶子こんなところにいたのー」
 調理室の扉ががらりと開けられ、そんな女の子の声が聞こえてくる。
 扉の方を見ると二人の女の子がアキ姉を呼んでいた。
「あっ、牧田さんに近藤さん!」
 アキ姉は彼女たちの名前を呼び、わたわたと慌てていた。
「もう、晶子ってば昼休みはテスト勉強するって言ったでしょ。晶子のためにやるんだよ」
「ごめんね弟くん。晶子借りるよ~」
 そう言って二人はアキ姉の襟を掴んで引きずって行く「あうあう。中也くん助けて~。悪い人にお姉ちゃんが連れ去られちゃうよ~」と泣きながら言っているが無視。ぼくは手を振ってそれを見送った。確かにアキ姉は赤点の常習犯なのでぜひあの二人に勉強を教えてもらった方がいい。
 そうしてこの部屋にぼく一人だけが残された。
 すうっと張り付いていた笑顔が消える。今誰かがぼくの顔を見たらきっとびっくりするだろう。感情のないこの顔を、総てが欠落している化物の顔を。
 ぼくも教室に戻ろうかと考えていると、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。どうやら誰かからメールみたいだ。
 携帯電話を取り出し、送信者の名前を確認すると見知った名前だった。メールを開き内容を確認する。
『放課後、俺たちの部室に来てくれ』
 ただそれだけが書かれている。
 送信者は“龍之介《りゅうのすけ》”。
 ぼくの弟だった。






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