【ぼく、ペテン師:問題編その3】


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     3



 久しぶりに母さんの夢を見た。
 ぼくたちが子供のころに死んでしまった母さん。
 顔はあまり覚えてない。写真も父さんが全部捨ててしまったからだ。だから夢の中の母さんはモザイクがかかってるみたいに顔がぼやけている。
 大きくはないけど、それでも温かかった夏目の実家で、母さんはぼくたち五兄弟に優しくしてくれた。感情を持たない不気味なぼくの頬を優しく撫でてくれた母さん。いや、ぼくだけじゃない、賢治兄さんもユキ姉もアキ姉も龍之介も、みんな何かが欠落している。欠陥人間の兄弟だった。それなのに母さんはみんな平等に愛してくれた。
 春の暖かい木漏れ日の中、ぼくたち全員に母さんは優しく微笑みながらよく言っていた。「あなたたち一人一人は不完全な人間だけど、一人が欠けているものを四人が補えばきっとそれだけですべてうまくいくわ。だから助け合って生きなさい。強く生きなさい」
 その言葉だけが、ぼくと母さんの思い出だった。




「中也くん!」
 眠りから覚めると、アキ姉の顔が目の前にあった。
「アキ姉……」
 アキ姉は顔をくしゃくしゃにして泣いている。涙も鼻水もぼくの顔に落ちてくる。でもそれを汚いなんてぼくは思えない。とても綺麗だ。
目だけを横に向けると、見慣れた景色が広がっている。狭い畳の部屋。壁のシミに顔みたいな木目がある天井。ここはぼくとアキ姉が住んでいる島のアパートだ。安い家賃で借りているオンボロアパート。それでもアキ姉と二人で住むには十分だった。
「もう中也くん大丈夫? 本当に心配したんだからね!」
 アキ姉は泣き叫びながら、身体を起こしたぼくに抱きついてきた。アキ姉のぺったんこの胸がぼくの胸と重なり鼓動が聞こえてくる。温かい。
「ばかばかばか! いつもお姉ちゃんに心配かけて!」
 アキ姉はぎゅっとぼくを抱きしめ、ただただ泣いて、怒っている。
 そうか、ぼくはあのレインコートの人物に暴行を受けて、龍之介に助けられたんだ。
「――っ」
 意識が覚醒し始め、体中の痛みが一気に襲ってくる。特に蹴られた顔が熱を帯びてジンジンする。自分の手で顔に触れるとガーゼや包帯でぐるぐる巻きになっていて、どうやらアキ姉がやったみたいだ。不器用なのに慣れないことをするから包帯の巻き方がめちゃくちゃだ。でも、アキ姉はきっと必死にやったのだろう。それだけは伝わってきた。
「ごめんアキ姉。心配かけて。大丈夫だから……」
 しゃっくりしながら泣いているアキ姉を抱き返し、ぼくは頭をぽんぽんと叩く。するとようやくアキ姉はぼくから顔を離し、涙を拭っていた。
「もう、お姉ちゃんをこんなに泣かせるなんてひどい弟ね。罰としてしばらくオヤツ抜きにするわ!」
 泣きやんだアキ姉は、今度はぷいっと顔を背けてしまった。まったく、本当に感情の起伏が激しいなアキ姉は。羨ましい。
「“そんなアキ姉。ぼくはアキ姉の作るオヤツを至福だと思ってるのに。オヤツを抜きにされたら死んじゃうよ”」
 ぼくがペテンを使ってアキ姉にそう言うと、ぱあっと表情がたんぽぽのように明るくなり、自慢げに微笑んでいた。
「でしょでしょ、だからもう絶対こんな怪我しないって約束してね」
「わかってるよ。わかってるさアキ姉」
 アキ姉はぼくの手を握ってぶんぶんと振り、笑ってる。さっきまでいた暗く、痛みが支配する暴力の世界にいたのが嘘のように思える。
「やっと起きたのか兄貴」
 ぼくとアキ姉がそうしていると、台所から龍之介がやってきた。龍之介はぼくたちとはまた別の寮に住んでいるのだが、ここにいるということは、龍之介がここまでぼくを運んできてくれたのだろう。龍之介は勝手に冷蔵庫からジュースを取り出しがぶ飲みしていて、顔には酷い青あざができている。
「まったく兄貴をここまで運ぶのには骨が折れたぜ。俺はどれだけ痛めつけられても気絶できないからいつも兄貴の世話をしなきゃならねーし」
 龍之介は頭をがしがしと掻きながら座布団を持ってきて、ぼくたちの前に胡坐をかいて座っていた。
「あのなあ。ぼくはお前の頼みを聞いてこんな目に合ったんだぞ。もっといたわってくれよ」
「いいじゃねーか。助けるの間に合ったんだし。腕も無事だったろ」
 そう言われぼくは自分の肩に手を置く。まだ腕が軋むが、しばらくすれば痛みもおさまるだろう。ぼくの腕を容赦なく折ろうとしたレインコートの男は誰なんだ。
「龍くん顔大丈夫? すごく顔腫れてるけど……病院行く?」
 アキ姉は龍之介の腫れあがった顔を見て心配そうに撫でている。異能の力で殴られた龍之介の方が実際の怪我の度合いが酷い。龍之介は小さいビニール袋に氷水を入れて、それを顔に当てて冷やしていた。
「大丈夫だってばアキ姉。俺は痛みを感じないわけじゃない、理解できないだけだ。だから自分の身体の調子はわかるって。こうやって冷やしておけば平気だって」
 へへへと龍之介は笑ってるが、まだ子供の頃は痛みが理解できないせいでそうとう無茶をしてきた。知らないうちに骨が折れていたり、病気に気付かずに死にかけていたことも一度や二度じゃない。今はもう痛いということが自分にとってどういう感覚なのか研究し、誰よりも自分の身体に対して敏感になっていた。こうして怪我の治療をよく自分でやっている。
 それでもアキ姉は心配そうにその腫れあがった顔を見つめていた。
「でもでも、顔がアンパンマンみたいになってるよ」
「ひでえ! まあ確かにこんな顔じゃせっかくのハンサム顔が台無しだな。また明日もデートだってのに」
「もう、龍くんったら何人の女の子とつきあってるの? 毎日違う人とデートしてるじゃない!」
「いいじゃん。こうやって色んな女の子と楽しく過ごせるのは学生のうちだけだし。それに告白してくるのは向こうのほうからだぜ」
 いつも女の子を泣かしている龍之介にアキ姉はぷんすかと怒っていた。たしかに龍之介は女関係にだらしなく、過保護なアキ姉にとっては心配の種なんだろう。同じ兄弟だというのにぼくのほうはまったくそういったこととは無縁なんだけど。
「もう龍くんなんて知らない。龍くんがこんなちっちゃいときは『お姉たんと結婚するんだ』って言って、幼稚園の女の子たちを追い払ってたのにぃ。お姉ちゃん悲しい……」
 アキ姉はさめざめと泣きながらぼくの背中に隠れてしまった。
「よくそんな子供の頃のこと覚えてるな。なんか恥ずかしいや。いいじゃん、アキ姉には兄貴がいるしよ」 
「そうよ、中也くんはわたしとずっと一緒にいてくれるもんね。龍くんみたいな女たらしでもないし、賢治お兄ちゃんみたいにどこかへ行ったりしないよね」
 アキ姉はうっとりとした表情でぼくの腕に絡まってきた。こんな顔をされたらぼくはもう何も言えなくなってしまう。実の姉とはいえ、顔が熱くなり、また傷が痛みだしてきてしまった。
「そ、そんなことより龍之介。ぼくたちを襲ったレインコートの男は誰だったんだろう。『野村桃子から手を引け』って脅していたけど……」
 ぼくはアキ姉の甘い吐息から気を紛らわせるように龍之介に話題を振った。実際今重要なのはそのことだろう。龍之介も真剣な表情になり、少しだけ考え間を置き、口を開いた。
「俺たちを襲ったあいつはまず間違いなく桃子ちゃんのストーカーだろうな」
「やっぱり……そうだよな……」
 野村さんに関してぼくたちが襲われる理由はそれしかない。ならあのレインコートの人物がそのストーカーだったのだろう。あのときこそがストーカーを捕まえるチャンスだったのだけど、やはりぼくたちのような無力な人間では異能者を直接相手にするのは無理がある。
「だけどなんでぼくたちのことを知られてたのかな。それにまるで待ち伏せしてるみたいだった」
「さあね。でも俺たちの情報がストーカーに筒抜けなのは確かみたいだ」
「まいったね。野村さん大丈夫かな。あんなのがストーキングしてるなんて、今夜も危ないんじゃ……。いや、確か野村さんのところに彼氏が来るって言ってたな。なら今日のところは大丈夫かなあ」
「ああそうだ兄貴。その彼氏のことは俺も聞き込みをしてて聞いたんだよ。三年の浅木《あさぎ》昭雄《あきお》。クラスでも評判のいい好男子だと。俺は実際に見てないけど、桃子ちゃんとはいつもいちゃいちゃしてるって話だ。羨ましいね!」
「ねえ、何の話をしてるの?」
 ぼくと龍之介が“部活”の話をしていると、アキ姉が不思議そうな顔で尋ねてきた。
「ストーカーってなんのドラマの話? それとも映画? 小説?」
 無邪気な瞳でぼくたちを見つめ微笑んでいる。
 ぼくと龍之介はそんなアキ姉を見て少しだけ顔が暗くなる。
 アキ姉はストーカーという存在をフィクションの中にしか存在しないと思っている。いや、アキ姉はこの世界には悪人なんていない、悪い事は全部テレビの中、本の中の出来事だと思っているのだ。
 ぼくが感情を理解できないように。
 龍之介が痛みを理解できないように。
 アキ姉は人の『悪意』を理解できない。
 戦争や悲惨な事件があってそれをニュースで見ても、ドラマかなにかだとしか思っておらず恐らくぼくたちが怪我したことも『転んだ』程度にしか考えていない。どうみても暴力を受けた痕なのに、加害者の存在を考えない。人が人を傷つけることが理解できないのだ。
 それは子供のころからずっとそうだった。
 そんなアキ姉は当然周りの空気を読むことができず、学園に来る前の小学生の頃はよく他の生徒たちからの嫌がらせを受けていた。靴に画びょうを入れられたり、教科書を隠されるなんて日常茶飯事だった。だけどアキ姉はその生徒たちの『悪意』に気付かない。『教科書はきっと妖精さんが持って行っちゃったのね』なんて楽しそうに笑っていた。
 イジメに気付いた賢治兄ちゃんと龍之介は、アキ姉のクラスメイト全員に対して報復を果たしていた。一人一人追い詰め、不登校になった子供や、家が半焼した子供もいたらしい。『怒り』がわからないぼくはその報復には参加しなかったのだけれど、それでもイジメを受けてもそれに気付けないアキ姉を見ると胸が痛んだ。
 兄弟の残りの四人が、一人の欠けた部分を補え。そう母さんは言っていた。
 だからぼくたちはアキ姉に降りかかる悪意の総てを遮断するのだ。そして、ぼくが怒ったり泣いたりできない代わりに、アキ姉は表情豊かに怒ったり泣いたりしてくれる。
 ぼくたちは五人で一人の人間なのだから。誰か一人が欠ければ、ぼくたちはバランスが保てなくなって壊れてしまう。
「“なんでもないよアキ姉。ぼくお腹が空いたよ、何か作ってくれない?”」
 ぼくが優しくそうペテンをかけると、アキ姉は「仕方ないなぁ中也くんは。甘えんぼさんなんだから。それじゃあおいしい夜食を作ってあげるね」と言って台所へ向かった。アキ姉がいなくなったので、ぼくは龍之介との話を進める。
「それで龍之介。ほかに何か収穫はあったのか?」
「ああ、そのストーカーなんだけど。桃子ちゃんの周囲を洗っていて怪しい奴を見つけたんだよ」
「怪しい奴?」
 龍之介はこくりと頷き、顔に氷水を当てたまま話を進めた。
「二週間前くらいに桃子ちゃんに告白したやつがいるんだよ。そいつは見事にふられて、その後桃子ちゃんは先輩の浅木と付き合い始めたんだ」
「じゃあそのふられた奴ってのが――?」
「そいつがストーカーって線が一番でかい。でもな兄貴。そのふられたやつってのは奥瀬《おくせ》裕也《ゆうや》っていうんだが、その奥瀬と桃子ちゃんの彼氏の浅木は大親友だったらしい」
「なんだって?」
 それを聞いて、そのストーカーがなぜあんなにも陰湿に、異常なまでにストーキングしているのかわかった気がする。
 親友が自分の好きだった相手と付き合い始めた。その奥瀬という男は、親友と想い人を同時に失くしてしまったのだろう。そんな彼が深い闇を抱えることになっても、なんの不思議もない。
「だから明日、俺はその奥瀬ってやつに会いに行ってみるよ。もしそいつが犯人なら、俺が与えたスタンガンの火傷の痕が顔に残ってるはずだ。それで全部わかる。それにその奥瀬ってやつは身体強化の異能者らしいし、まず間違いなだろうね」
 ぼくはさっきの光景を思い出す。あの高圧のスタンガンを受けたのだ、顔に焦げ跡が残っててるはずだ。もし奥瀬が犯人ならそれが決め手になるだろう。
 そこからあとは龍之介の真骨頂だ。
 相手に圧倒的で絶望的な恐怖と痛みを刻みつけ、心を二度と立ち直れないほどに折ってしまう。『痛み』がわからないから、限界を超えたことを龍之介にはできるのだ。龍之介の拷問を受ければストーカーも大人しくなるだろう。
「はあい中也くん、龍くん。お待たせ。お姉ちゃん特製のもやしたっぷり味噌ラーメンだよ!」
 ぼくがぼんやりと考えていると、アキ姉が台所からラーメンを二杯持ってきていた。食欲を刺激する臭いがぼくたちの鼻先をくすぐる。夜食といえばやっぱりラーメンだな。
「うおお、美味そう! ちょうど腹減ってたんだ。サンキュ、アキ姉!」
 テーブルに置かれたラーメンに龍之介が手を伸ばそうとすると、アキ姉がそのラーメンをすすり始めた。
「ええ!」
「駄目よ龍くん。これはわたしと中也くんの分なんだからね。龍くんは女の子たちに作ってもらいなさい」
 そう言いながらラーメンをずるずると食べていた。ぼくも耐えきれずラーメンに手を伸ばす。龍之介のうらめしそうな目が痛いが無視しよう。
「アキ姉、こんな夜にラーメンなんか食べると太るよ」
「え?」
 龍之介の鋭い言葉にぎくりとアキ姉は箸を止めた。そして葛藤するようにラーメンと睨めっこをしている。
「ほら、アキ姉が太らないように俺がそのラーメン食べてやるって。兄貴だって太ったアキ姉を見たくないだろ?」
 突然ぼくに話をふってきたので、ぼくは噴き出してしまう。
「い、いや別に。とうかアキ姉は痩せすぎだし少しくらい太ったほうが――」
「だよな兄貴。太った女はいやだよな。わかるぜー」
 ぼくの言葉をさえぎり勝手なことを龍之介は言いだした。するとアキ姉は自分のお腹をじっと見つめ、
「じゃあ半分! 半分だけあげるわ!」
 半泣きで龍之介にどんぶりを明け渡した。
「やりぃ。じゃあ俺あとで残り汁にごはんぶっこも」
「やめてよ龍くん。行儀悪いよ」
「ばーか。知らないのかアキ姉。ラーメン雑炊はめっちゃ美味いぞ」
 そんなことを言いながら、ぼくたちはラーメンを食べ終え、満腹になったアキ姉は眠ってしまった。寝息を立てて幸せそうに眠るアキ姉を起こさないようにきをつけながら布団に転がす。もうぼくも寝た方がいいだろうな。また明日も疲れるだろう。
「お前はどうする龍之介。もう遅いしここに泊ってくか?」
「いや、いいよ。俺は自分の寮に戻るさ。明日用の教科書も用意しなきゃならねーしな。じゃあな兄貴。寝てるアキ姉に変なことするなよ」
「バカ。しないよ。それより帰り道気をつけろよ、もしかしてまたストーカーが襲ってくるかもしれない」
「大丈夫だろ。あの電圧食らったんだ、今頃あいつも家でひーひー言ってるだろうよ。ほんじゃおやすみ」
「おやすみ」
 ばたりと玄関のドアが閉じられ、アパートの階段をカンカンと降りる音が聞こえる。ぼくは戸締りをして電気を消し、アキ姉が寝ている隣の布団へ潜り込んだ。
 身体を休めようとすると、猛烈に疲労感と痛みがじんわりと襲ってきた。はあ、今日は色々なことがあったな。
 ストーカーに野村さん。
 さっきまで気絶して寝てたはずなのに、ぼんやりとそのことを考えているうちにぼくは深い眠りに落ちていく。
 その日見た夢は母さんじゃなく、なぜか昼に読んだ『泣いた赤鬼』の夢だった。
 友を想い、一人寂しく去っていく青鬼。
 本当に大切なものを失って、ただ後悔するしかない赤鬼。
 彼らが望んだ幸せとはなんだったのだろうか。


     4


 翌日の放課後、ぼくと龍之介は奥瀬裕也に会いに行った。
 直接奥瀬裕也の教室へと向かったのだが、彼の席には誰も座っていない。クラスメイトの話を聞いたところ、今日は風邪で休んだという。
「どう思う龍之介」
「どうもこうも。ズル休みだろ。顔怪我してるわけだし、出て来れないんだろうね。見てみろ兄貴、俺たちの顔見てみんなドン引きだよ」
 確かに今日自分のクラスに登校したときも、クラスメイトたちは大騒ぎしていた。適当にペテンを使って誤魔化したけど、顔が腫れてるぼくら二人が並んでいるのはかなり奇妙だろう。
「奥瀬裕也の寮に行こう。直接会いに行くんだ」
「そうだな兄貴。それが一番手っとり早い」
 ぼくたちは学園を出て奥瀬裕也のいる寮へと向かう。途中朝顔くんに電話をし、野村さんの様子を見ておいてくれと頼んだ。ストーカーの正体は奥瀬裕也に間違いないだろうが、念のためだ。
『おっけーわかりました中也さん。こっちは任せてください。といっても、今、野村さんは女友達とカフェでお茶してますよ。大丈夫でしょう。ボクは遠くからそれを眺めてるだけです』
 連絡を入れるまでもなく、朝顔くんは野村さんの傍にいるようだ。優秀だ。実に優秀だ。うんうん。そういうことにしておこう。
「じゃあ頼んだよ」
『あっ、二人とも気を付けてくださいね。昨日みたいなことにならないように慎重にやってください。追い詰められた獣は何するかわかりませんからね。奥瀬は浅木と一緒のボクシング部に所属していたようですから』
 ボクシング部。ぼくはあのレインコートの人物の構えを思い出す。やっぱり奥瀬が犯人である可能性が高いのだろう。
 電話が終わるころ、ちょうどぼくたちは奥瀬裕也の寮へとついた。男子寮で、ぼくたちのボロアパートよりマシとはいえ、野村さんたちの寮と比べるといくつかグレードが低い。いかにも体育会系の男子寮といった感じだ。
「“すいません。ぼくたち奥瀬先輩のお見舞いに来たんですけど。入らせてもらっていいですか?”」
 ぼくは寮の玄関にいたジャージ姿の中年の管理人にそう尋ねた。ヤクザみたいな怖い顔だが、ぼくがペテンを使ったため、にこりと笑い、「奥瀬のやつは二階の一番右奥の部屋だよ。まあ風邪引いてるらしいから、あんまり長居しないように」と言い、すぐに箒をもって掃除を始めてしまった。
「行こうぜ兄貴」
 ぼくたちはそのまま木造の玄関をくぐり、ギシギシと軋む木造の階段を上って行く。すれ違う寮の生徒たちもぼくたちの顔を見てぎょっとしている。まったく、早く治さないとおちおち街も歩けない。
 管理人さんに言われたとおりに、ぼくたちは奥瀬裕也の部屋の前に辿りついた。ドアにはきちんと『奥瀬』と書かれたボードが張られているので間違いないだろう。
 ぼくは深呼吸してから数回ノックをした。
「あのぉ、奥瀬先輩。いますか? 探偵部の夏目ですけど少しお話したいことがあるのですが」
 そう言って返事を待つが、向こうからの応答はない。痺れを切らした短気な龍之介は、どんどんと思い切り扉を叩き始めた。
「おい、いるんだろストーカー野郎! 野村桃子について話があるんだ、開けろ!!」
 ついには蹴破ろうと助走をつける始末だった。落ちつけって。
 すると、がちゃりと、扉が開かれていった。
「ほ、ほかの寮の生徒に聞こえるからやめてくれよ……」
 そんな細い声が聞こえて、扉の顔から覗かせている顔は、どこにも怪我をしていなかった。とろんとした目つきで、顔が赤くマスクをしている。本当に風を引いているみたいだった。
「あ、あなたが奥瀬裕也さん? 本当に?」
「嘘をついてどうするんだよ。俺熱あるんだから騒がないでよ。頭痛いんだから……」
 ごほごほと咳をしている彼を見て、これは演技じゃないなとぼくも龍之介も思った。これはどういうことだ。彼があのレインコートの男じゃないのか。
「あ、あの。ぼくたち野村さんのストーカー被害について調べてるんですけど。奥瀬先輩、あなた何か知りませんか?」
 ぼくがそう言うと、少しだけ戸惑った様子を見せたあと、「入りなよ。風が映るかもしれないからマスクつけな」と言ってぼくたちを部屋に通してくれた。
 中はカーテンが締め切られ薄暗く、雑誌やゴミが散らかっている。座るところを探すのに苦労した。
「まあ適当に座ってくれよ。ジュース飲む? ああ駄目だ。賞味期限一年前のだった……」
 ぼくたちは視線を奥瀬先輩の顔に向ける。やはりそこには火傷の痕はない。ぼくは肘で龍之介をつつき、ぼそぼそと小声で話しかける。
「どういうことだ。本当にスタンガンは当たったのか?」
「手ごたえはあったさ。火花がかすっただけでも火傷くらいするはずだ。なのにどこにもない。汚い髭が生えてるだけだな」
 奥瀬先輩はぼくたちにお茶を出し、自分はベッドの上へと腰掛けた。そのお茶はなんか変な色なので飲むのはよしておこう。
「それで、きみたち探偵部の人だって? 桃子のストーカーの話しだとか……」
「はい。奥瀬先輩。あなたは野村さんがストーキングされていたことは知ってたんですか?」
「ああ……。知ってるよ……。そうは言っても無言電話とかくらいだって言ってたし、浅木のやつと付き合い始めてもう被害はないだろ?」
「いえ、ぼくたちは彼女の部屋に盗聴器と盗撮カメラを発見しました。それにまるで脅すような写真や手紙が部屋に残されていました」
 それを聞いて奥瀬先輩は見を見開き、信じられないといった風に手を震わせている。なんだこの反応は。
「そ、それは本当なのか……」
「はい。ぼくはあなたが野村さんに告白してふられたということを聞きました。それで――」
「それで俺を疑って尋ねてきたわけか。まあ無理もないな」
 奥瀬先輩は悲しそうな目で、俯きながらそう言った。物憂げなその瞳からはストーカーのようなあの狂気じみた印象を受けない。どういうことなんだ。奥瀬先輩は迷ったように目を泳がせたが、ゆっくりとその重い口を開き始めた。
「桃子にストーカーがいたのは、俺が桃子に告白する前からだよ。でもその時は無言電話や、たまに後をつけてくる人影を見たというくらいだった。まさかそこまでエスカレートしてるなんて……。俺はてっきり、浅木のやつと付き合い始めてもうストーキング被害はないだろうと思ってたんだが……」
 ぶつぶつと、まるで自分に話しかけるように奥瀬先輩は呟いている。龍之介は何か考え込むように顎に手を置き、顔を険しくしていた。
「なあ奥瀬先輩。あんた昨日の夜どこにいた? 俺たちのこの顔を見てくれ、これは昨日そのストーカーっぽい男に襲撃されたんだ。あんたと体格も似てる。本当にあんたはストーカーじゃないのか」
 龍之介が怖い顔でそう尋ねると、奥瀬先輩はびくりとしながらも、龍之介の目を睨みながら答える。
「昨日は熱っぽかったから早退して、あとはずっとここで寝込んでたよ。寮の人たちにお粥も作ってもらったりしたし、証人ならいくらでもいる。断じて俺はストーカーじゃない」
 奥瀬先輩はガラガラ声でそう断言した。ぼくと龍之介は顔を見合わせ、どうしようかと悩んだ。すると龍之介はすっと立ち上がり、ぴしっと手を腿にそろえ、折れ曲がりそうなまでにぺこりと頭を下げた。
「すいませんでした奥瀬先輩。疑ってすいません。ご協力ありがとうございました」
 恐ろしい目をしていた龍之介が、突然頭を下げたので、奥瀬先輩もぎょっとしていた。ぼくも慌てて立ち上がり頭を下げる。
「“すいませんでした。風邪を引いて辛いところを突然訪れて申し訳ありません”」
 すると面喰った奥瀬先輩は慌てて「あ、頭下げてくれよ。別にいいよ」と言ってくれて、困ったような顔になっている。きっとこの人は本当にいい人なんだろうとぼくは思えた。
「キミたちが俺を疑うのは無理もない。キミたちだって桃子のことを思ってのことなんだろう」
「俺たちはストーカーから桃子ちゃんを護らないといけない。そのために奥瀬先輩の話が聞きたいんだ」
 龍之介は丁寧語を崩し、失礼なタメ口に戻るが、芯の通った力強い声でそう言い、奥瀬先輩も龍之介の真摯な態度に少しだけ気を緩めたようだった。
「……何が聞きたいんだ?」
「浅木先輩のことで。浅木先輩は奥瀬先輩と親友だったんだろう。なぜ桃子ちゃんのことを二人は好きになったんだ?」
 それを聞かれ、奥瀬先輩は苦い顔をしながらも、昔のことを思い返しながら言葉を紡いでいった。
「桃子とは、ボクシング部の試合のときに出会ったんだ。試合を見に来てたみたいでね。そこ俺はすぐに惚れちまったよ。可愛かっただろ? でも後で気づいたんだ、なんで桃子が観戦に来たのかを……」
「桃子ちゃんが見に来たのは、浅木先輩の試合だったってことか……?」
 龍之介に言い当てられ、奥瀬先輩は心が痛んでいるかのように顔を歪ませている。野村さんのことを本当に好きだったのだろう。でもぼくには失恋の『悲しさ』はわからない。慰めの“言葉《ペテン》”をかけることはできるけど……。
「そうさ。俺の恋は最初から破れてたのさ。桃子は最初から浅木目当てで試合を見に来てたんだ。俺はそれに気付かず、ずっと桃子に想いを寄せていた。彼女と親しくする機会があってよく遊びに出掛けていた俺は、きっと脈があるだろうと思いこんでた。でも告白した俺はあっさりとふられ、その後に告白した浅木と桃子は当然付き合った」
「え? 告白したのは野村さんじゃなくて浅木先輩のほうなんですか?」
 思わずぼくは驚き口をはさむ。浅木先輩に惚れている野村さんが告白したのかと思っていた。
「そうだよ。ストーカー被害の相談を受けたのは俺だけじゃない、そこには浅木もいた。それで浅木はストーカーから桃子を護ろうとよく一緒にいることが増えた。そこからだろうな、浅木が桃子に魅かれていったのは。それで相思相愛になった二人に、俺が付け入る隙なんか微塵もないよ」
それを聞き、龍之介は目を瞑り、深く考え込んでいるようだった。
「なるほど、ね」
 そしてそう呟くと、奥瀬先輩に頭を下げた。
「ご協力感謝します。おかげでわかったよ。ストーカーの正体が」
 ぎらりと目を光らせ、龍之介はそう言った。ぼくも奥瀬先輩も驚き、龍之介の顔を食い入るように見る。
「だ、誰なんだそれは?」
 奥瀬先輩は恐る恐る尋ねるが、龍之介は不敵に笑い、
「奥瀬先輩。この真実を、あんたは知らない方がいい。あんたはいい人だ。こんな汚い真実で心を汚す必要なんかない。壊れてるのは、俺たちだけで十分だ」
 そう言ってもう一度頭を下げ、部屋から出て行った。ぼくも慌ててその後を追い、龍之介の腕を掴む。
「ま、待てよ。犯人がわかったって誰なんだ?」
「慌てるなよ兄貴。ここからが面白いとこさ」
 そう言って龍之介は携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけたようだった。
『はーいこちら朝顔です。どうしました龍之介くん。ボクにラブコール送るなんて珍しいじゃないか。愛されるなぁ。』
「うるせえ殺すぞ。そこにまだ桃子ちゃんはいるのか?」
『ああいるよ。今はデパートで買い物してる。ああ野村さん、あんな大胆なパ、パンツを選んでどうするんだ!!』
「うるせえ殺すぞ。いいから桃子ちゃんに話しかけて電話変わってもらえ」
『人使いが荒いなぁ。ドSだなぁ。まあいいや、ちょっと待っててね』
 そして少しだけ間を置き、野村さんの細い声が聞こえてきた。
『あ、あの。お電話代わりました野村です。びっくりしました、ずっと朝顔さんが見てたんですね』
「ああ、ボディガード役にね。そいつのことは空気とでも思っててくれ。それより桃子ちゃん。話があるんだ。電話じゃなんだから場所を指定するから朝顔と一緒に来てくれ」
『え? なんの話ですか?』
「犯人がね、わかったんだよ。ストーカーのね」
 それを聞き、野村さんは戸惑ったように声を震わせていた。
『だ、誰なんですか……?』
 龍之介はまるで悪魔のような微笑みで、とても楽しそうにその言葉を放った。
「犯人は、ストーカーは浅木昭雄。キミの愛しい恋人だ」








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