【星と王子様-Aパート】


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 シーン0.闇の中




 青年は、『何か』に追われていた。
 周囲には一片の光も無く、何も見えない。自分の足元すら見えないそこは、『暗い』という単語ですら不十分なほどだ。もし俯瞰で診ることができるとしたら、果てない闇の中を、青年がウォーキングマシンで走っているようにも見えるだろう。比較対象が無い闇の中では、動いているかどうかすら曖昧だ。
 青年は、自分の足に自信を持っている。ただの体力だけではない。彼に宿っている特殊な力が脚力を大きく増大させ、そこから生み出すスピードとパワーは、常人のものとは比べものにならない。それに追いつけるものは、彼の知る限りではほとんど居ない。
 しかし、その全力を使って走っていても『何か』は構わず迫ってくる。何も見えない、何も聞こえない、しかし『迫ってくる気配』だけは冷や汗が出るほど感じる。いくら速度を上げても、振り切るように走る向きを変えても、まるで自身の影に溶けて紛れているかのように、ピッタリと後をつけてくる。
 青年は、見えなくても理解していた。『何か』は、その掌で自分の心臓を握りつぶそうとしていること。そしてその掌は、例え三十ミリの鉄板を立てかけていてもすり抜けて、ずっと追いかけてくるだとうことを。
 必死に走る青年は、闇のずっと向こうで仄かに光る何かを見つけた。これまで一面の暗闇に包まれていた彼は、まるで息を吹き返したかのようにそこへ駆け出す。
 そこからは、手が伸びていた。白く、小さく、子どもか、もしくは少女のような掌。青年を引き上げようとするかのように。その手は少し、緊張しているようだった。
 彼は、迷わずその手を掴む。溺れるものは藁をも掴む、という言葉通りの、溺れかけた人間のような必死さで。
 ……それは、彼が遭遇する災難の始まりだった。手を握ったことを、彼は少しだけ、後悔する事になる。




 星と王子様 そのいち




 シーン1.保健室での目覚め




 彼が目覚めた際、初めに目にしたのは、無精髭を生やした男の顔だった。
「おう、目覚めたか。想定より早いな……まだ麻酔は抜け切って無いだろう。動くな」
「……こりゃまた、目覚めに見るにはヤな光景だな」
 そう毒づくも、彼は指一本動かせない。意識だけ先に覚醒してしまったが、身体の方はまだ眠らされているのだろう。頭のほうも、目覚めたばかりであり、思考の焦点がまったく定まらない。
 無精髭の男は、彼を覗き込んだかと思うと、その枕元から去っていってしまった。近くに置いてある椅子に座り、何か書き物を始めている。首を何とか動かしてその様子を見ていた青年は、ようやく気づいた。
「……ああ、保健室か……って事は、あれ……?」
 霞がかった頭で、事態の整理を始めた。身体はまだ動かせないので、周りの様子はよく分からない。

(まず俺の名前。俺の名前は有馬雨流《ありま うりゅう》、今年で十七歳の高校二年。ここは見た感じ、俺が通ってる双葉学園の……多分、保健室だ。どこか見覚えがある。で、あいつは保険医……あんなナリだが、いちおう白衣着てるし、多分そうだろう。そして、何でこんなところで寝てるのかというと……)
 そこまで考えたところで、雨流の思考が止まった。自らの立ち位置に、違和感を覚えた。
「……おい、そこのヒゲ」
「どうした? こっちは忙しいんだが」
「なんでベッドの端に追いやられてるんだ?」
 彼が寝かされているのは、パイプ式のシングルベッド。普通なら真ん中に一人で寝かされているはずが、彼は不自然なまでに右側に寄っていた。麻酔がかかっているのに自分から動けるはずが無い。これは間違いなく故意だ。
「もう片方の端を見れば一発で分かる。騒ぐなよ」
 白衣の髭男はそう言って彼に振り向きもしない。髭男の言葉に、彼は考える……そして、未だ朦朧としている彼の意識でも、答えはすぐに出た。
(誰か、他に寝てる奴でも居るのか? けどベッドが足りてないって訳じゃねーぞ。実際向こうのベッドは空いてるし……)
 そう思案しながらベッドの逆側を向いた彼の頭は、そこで再びフリーズする。

 そこには、美少女が眠っていた。

 小さな顔が、青年の方を向いている。完全に眠りの中に居るようで、その瞳は閉じ、意識しなければ聞こえないほど小さな寝息を立てていた。緩くウェーブのかかった髪が顔にかかり、少しむずがっている。彼女が身じろぎする感覚が、直接伝わってくる。
 そう、直接伝わってくるのだ。彼の左手を通じて。
 少しずつ身体の感覚が戻ってきたなかで、最初に気づいたのが左手の感触だ。それは何か暖かく、柔らかいものを握っている。少し考えれば分かることだ。それは目の前の少女の掌で、それを自分の手が握っている。しかも、その手が何かで縛られているようで、動かそうとしても離れない。
 そして、彼には目の前の少女に見覚えがあった。
「……なんで鞠備が寝てんだ。つーかこの手は何だ!!」
 鞠備沙希《きくび さき》。雨流が所属する双葉学園の二年R組、同じクラスの女子である。ただし、言ってみればそこまでの関係で、これまで会話したりといったことは無い。
「保健室で騒ぐんじゃない、まず何でここで寝てるのかを思い出せ」
 保険医の言葉に少しだけ冷静さを取り戻した雨流は、少しずつ『何があったのか』、特に自身が目覚める前までのことを思い出そうとする。
(えーと……あれは、今日、でいいのか? 日付も分からないんじゃ、想像もしにくいが……とにかく、今日の朝だ。少しずつ思い出してきた)




 シーン2.ことの始まり




 双葉学園は、東京都双葉区……東京湾に浮かぶ人工島を、まるまる一つ占める自治体である……の、中心に存在する、小、中、高、大学、さらには大学院まで併設されている超巨大学園である。この『中心』とは、単なる立地上の話だけではない。学園が先にあり、自治体はその後付けといってもいい程、双葉区において学園の存在は大きい。言ってみれば、愛知県に居を構える世界最大級の自動車メーカーが近いかもしれない。
 その学園は、特殊な才能を持った人間……一九九九年から世界中で爆発的に増加した、異能と呼ばれる物を持つ人間を集め、教育している。その目的は、『人々を守るため』。異能を持つ者と一緒に増加し始めた『ラルヴァ』……かつては妖怪だとか幽霊だとか悪魔だとか呼ばれていたものを一まとめにした総称である……に対抗する力を身につけるためだ。集められた者たちは、普通の教育機関で学ぶ内容の他に、そういったモノ達との戦い方も、同時に教えられる事となる。そして、実際にその力を振るうことも少なくない。専業で怪物退治を行えるものは、まだ多くないのだ。

 そんな者達が集まる学園の、二年R組教室。有馬雨流は、教室の中でも微妙に浮いていた。いじめられている、というのとは違う。相手にするのを恐れられている、といったところが正しいだろう。原因はおおよそ三つ。

 まず一つ目、目つきが悪い。ただ視線を向けただけで睨まれると勘違いされることが多々あり、眼光だけで上級生に土下座させたという噂話が残っている程だ。そして面倒だからという理由で、彼はそれを訂正しない。よって、勘違いされたまま今に至る。顔立ちは整っているのだが、目の印象だけで全てが台無しになる、という分かりやすい例だ。
 二つ目、口調が荒い。既に滅びた前世紀のチンピラみたいな言葉遣いである。態度自体に問題は無く、成績も悪くない(むしろ学年上位)ので不良生徒扱いはされてないが、怖いのであまり積極的に話しかける人は居ない。
 そして三つ目、戦闘能力が高いうえ、それをフルに使っている。自身の運動センスと異能の性能が噛みあっているお陰か、既に実戦で何度も戦果をあげている。同学年の戦闘狂《バトルマニア》、『ワールウインド』等のトップクラスと比べれば見劣りするものの、チームのトップをはれる戦闘能力なのは確かであり、さらには自分から積極的にラルヴァ討伐に志願している。それもクラス内で恐れられている理由の一つだ。

 そんな事もあり、授業が始まる前の自由時間でも、特に誰から話しかけられる、という事もない。こんな状態は慣れっこであるため、雨流も特に何もいわず、周囲を見回したりしながら暇を潰している。
 ……その時、だいぶ離れた席の女子生徒と目が合う。
 気まずい睨みあいが続いた後、向こうの方からぷい、と視線を外し、そっぽを向かれた。
(……鞠備も、似たような感じか)
 睨みあいの相手、鞠備沙希。彼女も、雨流と同様にクラスでは浮いた存在である。ただし、こちらは『近寄りがたいお嬢様』的な評価である。
 涼やかな目元に、常にツンと済ましているような表情には、他の誰をも相手にしないような気配が漂う。可愛らしい顔立ちをしているが、その表情のせいで少し冷たい印象を覚えるのは彼だけではあるまい。
 雨流は、彼女が他の奴と話しているのを見たことは無い。かと言っていじめられている様子も無く(女子のいじめは陰湿というから、彼が見えない所でやられている可能性は否定できない)、結局のところ、自分と同じようなものだと考えている。近寄りがたい何かの要因があり、本人もそれを甘んじて受けている。そういう事だろう。
 僅かに親近感を抱くこともあるが、それ以上何かあったりはしない。話しかけたりすることも無い。
 そのまま何事もなく時が過ぎれば、そのままで終わっていただろう。


「貴様、死相が出ているぞ」
 雨流がそんな不吉な言葉を聞いたのは、その日の放課後、これからある『用事』の準備を始めた時だった。
 その男の声は恐ろしく尊大な口調で、まるで天から自分を見下ろしているように聞こえたのを、彼は覚えている。
「……何スか、あんた」
 そんな言葉に、雨流が辛うじて声を抑えて返事ができたのは、その声と、声の主に覚えがあったからだ。
 蛇蝎凶次郎《だかつ きょうじろう》。学生が所属する最高機関である醒徒会会長……の選挙に落選した三年生である。今は野鳥研究会とか何かの部長をやっていると聞いた事がある。
「そこの女を引き取りに来た。今日は一段と良く眠っているのだろう」
 そう言って蛇蝎は奥の席を指差す。そこには、クラスメイトである竹中綾里《たけなか あやさと》の姿があった。雨流が見る限り、授業中でも八割がた寝ている奴である。そして今も寝ている。彼女が部活をやっている事に、雨流は軽い驚きを覚えた。
「いや、そっちはともかく……」
「死相の件か? 我輩は貴様の情報を詳しく掴んでいる訳ではないからな、詳しくは分からぬ。だが、断片的な情報でも推測は可能だ」
 蛇蝎の言っていることを、雨流にはさっぱり理解できない。それを無視して蛇蝎は、もう一言だけ付け加えた。
「せいぜい、己の行いを省みることだ。たとえ貴様が狼でも、群れを作り、率いる者が居ない限りはそこらの犬コロと大差ない」
 それだけ言い残すと、蛇蝎はとっとと立ち去ってしまった。何時の間に呼んだのか、竹中が眠ったままフラフラと付いていくのが見える……眠ったまま、というのに雨流は突っ込みを入れない。
「……なんだってんだ、一体」
『有馬ー、まだか?』
「今行く、少し待ってろ」


 『用事』とは、任務……通常の常識や科学が通用しない事件の調査、及び解決である。世間に知られていないだけで、そのような事件は日本はおろか、世界中で多発している。そして、それを解決するための人材はまだ十分に揃っていない。それが、彼らのような学生を実戦の場に出さざるを得ない理由の一つである。
 この日の任務は、関東のとある山岳が舞台だった。遭難者が異常なほど多発し、生存者も極度の興奮のせいか、奇妙な発言を繰り返す……という、この手の怪異ではいたってありがちなケースである。少し奇妙な点として、生存者の救出にあたった者、看病にあたった者が決まって異常なほど衰弱するという問題が存在している。
『有馬、あんまり突出するなよ』
「無茶はしねーよ、それに斥候は必要だろ」
 この日、雨流は普段のメンバーとは別の組で行動していた。普段のチームメイトがこぞって事情により参加不可能だったため、自身のクラスメイトである、宮城慧護《みやしろ けいご》が所属する討伐チームにピンチヒッターとして参加する事となったのだ。積極的に討伐任務に出るという事で、他のクラスメイトほど疎遠ではない。
 雨流の異能は、身体能力……主に脚部を中心として、運動能力を強化するものだ。それにより彼は、実際の筋力をはるかに上回る運動量をたたき出すことができる。脚以外の筋力も、下半身の運動に追随できるようある程度強化されるため、その応用範囲は広い。単純に走る、ジャンプする等だけではなく、蹴りでの強力な攻撃や、強化されたバランス感覚により、木から木に飛び移ったりといった芸当も可能となっている。今も、高い木から前方を見通して異変が無いかを探している。
 そして、彼の問題はその異能に間接的な原因があった。
 ありていに言えば、「任務の際に独断専行が過ぎる」という事だ。彼のスピードについていける異能者が少ない上、教室でもあったように、孤立しやすい性質の持ち主である。幸い、指示があればちゃんと従うし、先に自身が言ったような『斥候役』もしっかりこなす。今まではそれほど大きな問題となっていなかったのだが……
「このあたりの状況は相変わらずだ。俺はもう少し先を見てくる」
 ……問題が大きくなる頃には、既に手遅れという場面が、世間には多々存在する。

(少し、妙だな……)
 雨流は、山の情景に何かしらの違和感を覚えていた。主な違和感は、そこに住み着く動植物についてである。
 普通、何か異常なものが住み着いている場合はそこの生物に少なからぬ影響を与えるものだ。『何者か』を恐れて逃げ出すにしろ、それに対して忠誠を誓うにしろ。ここには、そういった気配がまったく感じられないのだ。
 草木は九月の爽やかな風に揺られているし、時たま野生の動物が顔を出すこともある。それらはごく普通の自然体だった。しかし、そこに踏み入った人間はことごとく酷い目に遭う。
「……守り神様、とかだったらヤベーな……!?」
 独り言をつぶやいた雨流は、直後、異様な気配を感じて木の陰に隠れた。目の端に、何か異様な巨体を見た気がしたのだ。
 改めてそちらを見てみると、その気配は見事に的中していた。
 『それ』は、遠くから見ると鹿の姿をしていた。その巨体を除けば。
 三メートルはあるだろう全長に、雄大な身体。頭に生える角は複雑に枝分かれし、それが長い時間を生きているだろう事が連想された。この距離では、その瞳が何を映しているのかは見えない。体毛はただ黒、としか言いようのない姿だ。
「ドンピシャかよ……こちらスカウト、明らかに異常と思える生物を発見。見かけは鹿みてーだが、全長三メートル以上、こっちに気づいてる様子は……!! 今気づいた、こっちに駆けて、ってええええ!?」

 巨大鹿は、何に反応したか分からないが雨流に気づく。その直後から、その鹿は彼に迫ってきた。地面を滑りながら。
 脚をまったく動かさず、まるでスケート選手のよう……否、それよりも少ない動きで、ただ身体だけが猛スピードで雨流に迫ってくる。傍から見ればシュール極まった光景だが、追われる本人にしてみたらホラー以外の何者でもない。
「例の奴はとんでもないスピードでこっちに迫ってる! とても振り切れない、つーかこのままだと追いつかれる!! よってここから撤退から交戦に移る。位置情報は今転送した、オーヴァー!!」
 無線機から聞こえる誰かの声をスルーして、全力で駆ける。全力を出している筈なのに、その差はまったく広がらず、逆に狭くなる有様だ。意を決した雨流は、後ろに逃げるのをやめ、大きく『横へ』跳んだ。
 彼が跳んだ先には一本の木があり、それを空中で蹴り飛ばし、自身の進行方向を強制的に変える。いわゆる三角跳びという技である。
「んにゃろぉ!!」
 木を蹴り飛ばした時にきっちりを向きを確認した。速度と体重の乗った、渾身のとび蹴り。巨大鹿の首を狙ったこの一撃を喰らって、耐えられるモノはそうそういない筈だが……

 すかっ

 という音が聞こえるように、その攻撃は空を切った。
 雨流の狙いは完璧だった。その脚は吸い込まれるように鹿の首元へ向かい、そしてすり抜けた。攻撃を前提に飛び込んだだけにその勢いは鋭く、彼は地面を削りながら辛うじて着地したが、次に動けるようになるまで少し時間がかかる。
「エレメント……!?」
 事態を把握した雨流は奥歯をかみ締め、迂闊さを呪う。

 研究者は、ラルヴァを三種類のカテゴリーに分類している。
 一つ、カテゴリー・ビースト。だいたいが獣など、何かしらの生物らしき形をとっている。後述の二つに当てはまらない分類のラルヴァを無理やり押し込むこともあり、種類は多い。
 一つ、カテゴリー・デミヒューマン。言葉どおり『ヒトに似ている』ラルヴァであり、人間そのままの姿だったり、獣らしい耳や尻尾のオプションがついていたりする。人間に敵意を持たないラルヴァが、人間社会に溶け込んでいるという例もあるという。
 一つ、カテゴリー・エレメント。いわゆる『お化け』などが当てはまる。実体を持たず、物理攻撃をまったく受け付けない場合もある。その反面、意外なものであっさり退治出来たりもする。

 雨流は、目の前に居る巨大鹿のカテゴリーをビーストと判断して攻撃に移った。だが実際はエレメントか、もしくはビーストでもかなり特殊な種族だったのだろう。そういった相手に対して、単純な身体能力強化である彼の異能はまったく役に立たない。
 体勢を整える事すらできない彼が最後に見たのは、自分の心臓に角を突き立てようと、相変わらず脚を動かさずに突っ込んでくる巨大鹿の姿だった。




 シーン3.現状を把握




 意識を失う直前の場面を思い出した雨流は、軽くため息をつく。ふと窓の外を見ると、もう陽は落ちていた。時計は目に入る範囲に無いので、正確な時間は分からない。
「……おいおい、よく生きてたな、俺」
 雨流は、自分の心臓部分あたりを開いた右手で撫でる。既に麻酔は切れたのだろうが、痛みがあったりはしない。
「撫でても包帯なんて巻いてないぞ。外傷は無かったんだからな」
「はい? けど確かに貫かれて……」
 顔をしかめて疑問を口にした雨流に、保険医らしき白衣の男は面倒くさそうに解説を始めた。口の端には電子式煙草……実際には煙草ではなく、水蒸気を先端から出す充電式のアレだ……を咥えている。
「お前が対峙したのはエレメントラルヴァだろう。助けた奴から聞いたぞ、通常の剣戟が効かなかったと。そいつの攻撃はお前の肉体にはダメージを与えなかった。だが、それと同じぐらい深刻な影響を残している。呪いと言った方がいいな」
 保険医は咥えた電子式煙草を、いかにも本物らしく灰皿に置いて、言葉を続けた。
「お前の身体からは、魂源力《アツィルト》が垂れ流しになってる上、それと一緒に体力みたいなものまで流れて出ている。今のお前を放置したら、短けりゃ三十分で死ねる状態だ」

 魂源力……異能を使う元になるエネルギーとされ、異能を扱う人間には大抵備わっているという。いわゆる『生命力』とか、魔法使いが使う『魔力』等と同じモノなのか、というところまで研究は進んでいないのが現状だ。

「……はい?」
「言葉どおりだ。その上、直接触ってるヤツから魂源力を吸い取るオマケ付きだ。もっとも、吸い取ったヤツを片っ端から垂れ流してるからお前がパワーアップしたりはしない」
 保険医の言葉は耳に入っているが、内容を理解するまでには至っていない。時間をかけてゆっくり消化し……雨流の頭に二つほど、心配な事が浮かんだ。
「……俺を助けたヤローは無事か?」
「ああ、確かお前と同じクラスの宮……何だっけ?」
「宮城だ、そいつは大丈夫なのか?」
「それは心配しなくていい。軽い栄養失調ぐらいで済んだ。もう時間も時間だし、寮に戻ってるだろう」
 その言葉に、雨流は胸を撫で下ろす。だが、もう一つ重大な心配事が残っている
「……で、俺は死ぬ訳か? これから」
 やや震えた声で、雨流が問いかけた。『自分が死ぬ』という事実は万人にとって重いものだろうが、まだ十七年しか生きていない彼にとって、それは他の人よりやや重さが強烈だった。
「いや、今のままなら大丈夫だ。対処療法には違いないが、すぐ死ぬことはない……そのまま、ならな」
「イヤに引っかかる言い方するな……けど、コレは何なんだ? 動きにくくて仕方ねーぞ」
 直前までとは一転、安心した表情の雨流が、右手を保険医に見せた。黄色いバンダナのようなもので、彼の左手と鞠備沙希の右手がしっかり結ばれている。解こうと思えば可能だろうが、一応これの正体を聞かないと落ち着かない。
「それが『対処療法』だ。そうしておかないと、最短で三十分後、お前は死ぬ」


「……いや、んな事ありえないだろ」
「ありえるからこの世は恐ろしい。事情は話してやるから事実は事実で受け止めろ……というかお前、意外とコロコロ表情変えるんだな」
 唖然としている雨流を差し置いて、保険医は悠々と解説を始めた。まるで事態を楽しんでいるかのように雨流には見える。
「お前生かすには、二つの方法がある。根本処置か、対処療法か。一つは、魂源力の流出を止める……それさえやれば、元通りだ。原因の除去だな。だが、その方法が分からなかった。麻酔にかけて色々と調べてみたがサッパリだ。そこで、二つ目……魂源力が流れ出るなら、その分だけ補給してやればいい、って考えだ。対処療法だが、これなら分かりやすい。常に誰かが触れてればいい訳だ」
 男の説明は先ほどにも増して分かりやすいが、今度も理解したくない内容が入り込んでいる。保険医が話を続けている間、雨流はそのまま動けず、沙希は目を瞑ったままだ。
「そこで、そいつ……鞠備沙希に白羽の矢が立った。そいつの異能訓練、見た事あるか?」
 雨流は、無言で首を横に振る。確か、いつも見学していた筈だ。
「だろうな。そいつが異能に目覚めたのは小学生になる前で、その頃から異常なほどの魂源力を持ってた……が、いかんせん制御がダメダメだ。狙った効果を発揮出来ないばかりか、暴発することもしばしば。そのせいで最近は訓練もサボりがちで――」
「……ちょっと」

 保険医がそこまで話したところで、横合いが入った。仔猫が鳴くような、高く、可愛らしい声だが、その中には少なからぬ怒気が含まれている。
「……鞠備、お前起きてたのかよ」
 ベッドから、鞠備沙希が身を起こしていた。その肩はワナワナと震え、心なしか、背中にかかるほどの長い髪が浮き上がっているようにも見える。全体の印象からして、爆発しそうな火山のように思えた。
 そして、その火山はあっさり噴火する。矛先は、先ほどまで喋っていた保険医だ。
「アンタね! 人の秘密を勝手にベラベラしゃべんないでよ!! 今の話でワタシがどれだけ恥ずかしい思いしてるか分かんないの!? だいたい何よ、コイツの手を握ったら急に眠くなっちゃうし、起きたらコレよ!? いったい何考えてるのよアンタ!!」
「ツバ飛んでるぞ、落ち着け」
 頬をベッドのシーツで拭いながら抗議の声を挙げる雨流は、見事に無視された。沙希は可愛らしい顔を怒気に歪ませて、保険医に当り散らしている。
「説明に必要だったから諦めろ。それにどうせ、これから一緒に住まなきゃいけないんだ、そのうちバレるんだから、いつ話しても同じだろう」
「「はいぃ!?」」
「有馬、お前は今バリバリ魂源力を消耗している。そこで、鞠備と直接触れさせて、そこから補給している訳だ。本当は粘膜同士を触れさせた方が補給効率がいいんだが……」
「おい」
「バカな事言わないでよ!」

 保険医の説明が始まってから、雨流と沙希は妙なコンビネーションを発揮している。それにニヤニヤしながら説明は続く。
「お前等を結んでるバンダナには、特殊なコーティングがしてある。それによって、魂源力が二人の手の間から漏れないようになっている。予備もあるから適当に洗って使え」
「待てよ、もしかして……」
「四六時中一緒、とかないでしょうね?」
「でなきゃ有馬が死ぬぞ? まあ、風呂とかトイレぐらいなら外しても大丈夫だろう。あんまり長く外してると駄目だから、覚えておけ」
「「やっぱり……」」
 こまごまとした注意事項を伝える保険医に対して、もはや二人は、揃って頭を抱えるしか、出来る事は無かった。




 シーン4.新しい『初日』




 結局次の日は、二人とも保健室から直行で教室に向かう事となった。二人が目覚めた時刻はもう夜明けに近く、各々が住む寮に戻る時間が無かったのだ。雨流は任務が長引いたとき用に着替えを持ってきており、沙希も呼び出された際に念のため用意していたものが活きた。二人とも、学園のあちこちに存在するシャワールームを使う事ができた(勿論二人別々で)為、ヒートアップしていた頭を少しは冷やす事ができたようである。
 先ほどまで二人が寝ていた保健室は、学園中央部の、研究棟に近い場所にある設備が整った場所であった。その為、高等部の校舎へは少し、いや大分歩く。その道のりを、二人は手をつないで校舎へ向かっている。手はつないでいるが、あまり仲が良さそうには見えない。

「鞠備。お前、分かっててやった……訳、無いよな」
 微妙な空気に耐えかねた雨流が、先に話し出す。
「当たり前でしょ? あいつ……あ、いちおう、初等部からワタシの異能について研究してるヤツなんだけど……まるで『献血してくれないか』みたいな軽さで頼んできたのよ? こんな事と知ってれば……」
「やる訳ねーよな、そりゃ」
「……どうだろ」
 納得したような雨流の言葉に、沙希が言葉を濁した。疑問符を浮かべた頭で、隣に居る青年のほうを向く。
「あのままだったら、アンタ確実に死んでたんでしょ? それ言われてたら……どうだろ。わかんない」
「……悪かったよ、鞠備。こんな事に巻き込んじまって」
「ぁ……サキでいいわよ。その苗字、好きじゃないの。ワタシもアンタの事、ウリューって呼ぶから……!?」

 つい出してしまった言葉に沙希が赤面し、少しの間、またもや気まずい空気が流れる。雨流は顔をしかめ、沙希は自らの発言を後悔するように顔を伏せていた。
 その沈黙を破ったのは、その沙希だった。しかも唐突に。
「そうよ、元はといえばアンタがラルヴァに負けるからいけないんでしょ!」
「なぁ、いきなりそこの話に跳ぶか!?」
「どーせバカみたいに突っ込んで返り討ちに遭ったとかそんなんでしょ!? アンタが変な事に巻き込まれなきゃ、そもそもこんな事になんなかったのよ!」
「他は否定しねーけど、バカみたいって何だ!」
「好き好んで戦いたがるなんてバカのやる事でしょ!? 自業自得よ!!」
「人の考えも知らねーでバカバカ言うんじゃねえ! バカバカ言う奴がバカって名台詞を知らねーかテメエ!」
「何よ!?」
「何だと!?」
「……おー……」


 互いの罵り合いに白熱していた二人は気づかなかった。
 既に二人は高等部棟近く、他の学生も通る道に出ていたこと。
 そして二人の会話は全て聞かれており、その中に同じクラスの人間が居たこと。


「……おはよー。いやー、予想外のカップルっているものだねー……」
 二人の口論(?)を聞いていたうちの一人、加藤絵梨《かとう えり》、二年R組。彼らのクラスメイトであり、新聞部所属の元気娘である。
「……なぁ、加藤!?」
「ちょっと待って! アンタ絶対誤解してるでしょ!?」
「ん? あたしは何も言って無いよ? それじゃあ先に行ってるねー」
 そそくさと加藤が立ち去った後に残ったのは、唖然とした雨流と沙希の二人。教室に行くのが少し恐ろしくなり……
「テメーが」
「アンタが」
「「いきなり大声出すから!!」」
 ひとしきりぶつかった後、再びシンクロして大きなため息をつくのだった。


 教室での騒ぎは、なかなか大きなものだった。あちらでざわ……こちらでざわ……と、声の聞こえないときが無いほどだ。しかし、直接二人に問いかけてくる人間は現れない。二人が手を繋ぎながらも凄い目つきで互いをにらみ合っているため、迂闊に手を出しての飛び火が恐ろしいのだ。
「あの目をしてる時の有馬はこえーぞ、何するか分かんねー」
「有馬の目つきに怯まない鞠備もすげーよなぁ」
「あの子、あんなに度胸あったっけ?」
「けど、なんで手をあんな風に繋いでるんだろう……」
 そんな気まずい空気を破る者が現れた。やや遅れて、一緒に転校してきた少女と共に登校した宮城慧護である。周りと当人達の目を気にすることなく、雨流に声をかけた。
「よう、もう大丈夫なんだな」
「「おおぉー!!」」
 周りから何か歓声があがり、宮城が一瞬ビックリしたように周りを見回した。雨流は周りの反応をスルーする。
「おう、昨日は迷惑かけたな……お前、大丈夫か?」
「あれぐらいなら、な。気にすんな。けどお前、どうしたんだ? その手……」
「……お願いだから、聞かないで」
 宮城の質問は、ドスのきいた沙希のセリフで中断された。何か(間違ってるかもしれないが)察したらしい連れの少女に引きずられていく宮城を尻目に、雨流は授業の準備を始めている。
「そーいや、席どうするんだ?」
 雨流の疑問は早々に解消された。直後に来た担任教師による席替えの指示で、彼と沙希はあっさりと隣同士に変更となったのだ。
「えらく準備がいいわね、なんか気に食わないわ……」
 授業の間中、沙希はそんなボヤキを口にしていた。机はくっつくほど近くに寄せ、結んだ手をその上に置きながら。初め、結んでいる手は机の下にぶら下げていたが、それだと腕が痛くなるのだ。机に載せるにあたって、手の握りかたも換えてみた。なお、雨流がもう一つ気にしていた『鞠備はペン持つ時どうするんだ?』という疑問は、
「ワタシ、左利きだから」
 の一言で解決した。世の中は結構都合よく出来ているものだ。


 この日は、それ以外に大きな波乱も無く学園での一日を終える事ができた。一悶着あった箇所と言えば、昼休みに手を繋いでいるせいで学食にも購買の目玉メニューにも間に合わず、安物の菓子パンしか食べられなかった事(それも沙希の方が一方的に嫌がっただけ)ぐらいだろう。
 二人は、帰りのHRが終わった後に担任から書類を受け取った。話と書類によれば、新しく二人用の寮を用意したという。労災のようなものがおりたらしく、費用は学園持ちと書いてあった。
「アンタ、元の部屋から持ってくる物、ある?」
「せいぜい着替えぐらいか。お前は……どうせ、大量にあるんだろ?」
「手伝いなさいよ」
「この状態で無茶言うんじゃねえ! 引越し業者に頼め、最低限の物は持ってやるから」
 上記のようなやり取りを通じて、互いにバッグ一つほどの荷物を持ち、部屋にたどり着いた。とは言ってもそのマンションは学園から本当に近く、その立地だけで結構な値段がつきそうな場所であった。
「いい部屋じゃない……こんな状態じゃなかったら、嬉しいんだけど」
「同感だ」
 そこは明らかに学生寮ではない、二人暮しかファミリー用か、といったマンションであった。リビングに二人分の個室……二つあっても無駄なので、片方は確実に物置になるんだろうが……、システムキッチンも完備しており、いくつかの大きな電化製品は既に備え付けられていた。バス、トイレも別、まともに金を払うなら、かなりの家賃になりそうな部屋である。
「……ご丁寧に、ダブルベッドがもう一つの部屋に運び込まれてるぞ」
「ここまでされると、逆に恐ろしいわ……荷物は置いたわね、買い物に行くわよ」
「何か足りないのでもあったか?」
「お弁当とかご飯の材料。どーせこんなんじゃ、学食も購買も出遅れるでしょ? それに、そういうトコあんまり好きじゃないのよ」

 学園から出るとすぐ先にアーケードがあり、そこの店舗を回れば食料品や日用品なら大抵揃う。少し進んだところに存在する百貨店との競争は厳しいが、ここはそれなりに健闘している方だ。
「荷物の中に包丁だの何だのがあったのは、それが狙いか」
「当たり前じゃない、もうマトモなお昼食べられないのはイヤよ」
 学園近くの中華料理屋で早めの夕食を食べた二人は、沙希の案内で食料品店周りをしていた。勝手知ったるといった具合で、安いものを選んで店を回り、そして雨流が持つ荷物は増えていく。
「次はあっちね。アンタ牛乳は飲める?」
「沢山は飲まねーぞ……つーかお前、良く知ってるな。自炊とかしてんのか?」
「まあ、節約しなきゃいけないから。ホントはおゆはんも作りたかったけど……流石に時間が、ね」
「寮のメシに頼ってた俺とは大違いだな……お前のところは、そういうの無かったのか?」
「仕送り少ないから、入れないのよ。そーいうゼータクな所には」

 女子寮は男子寮に比べて無駄にランクが高い、というのはある一面だけ見たときの答えである。ある学園事務員の試算によれば、親が自分の下を離れている女子学生の暮らしにかけている費用は、男子学生のそれとは数倍の差があるという。男子の一人暮らしよりも、女子の一人暮らしの方が心配だ、という親心理の表れであろう。かけている費用の違いが、そのまま寮のランクに繋がっているのだ。

「……そりゃまた、珍しいな」
 雨流の問いに、沙希が心底から寂しそうに呟く。その声に含まれていた響きを、彼はしばらく忘れられなかった
「嫌われてるみたいだし。いや、怖がられてる、のかな」

 親の愛は、大抵のものには打ち勝てる。ただ、それを全ての親が持っているか、そして何が相手でも勝てるのか、というと、恐らく答えは否だ。彼女の親の場合、相対した相手は『幼年期の終わり』への恐怖だったのだろう。『突破《ブレイクスルー》』を達成してしまい、自分達と違う生き物になってしまった子どもに恐怖を覚えた親は、決して少なくない筈だ。

「……わりぃ」
 その言葉の意味をすぐに理解し、罪悪感にとらわれて出た彼の一言は、意外にも彼女を元に戻す効果が得られる。
「……!! そ、そうよ! 何聞いてるのよ!? そっちも何か恥ずかしい事言いなさいよ、笑ってあげるから!」
「テメーが勝手に言っただけじゃねーか! 俺は話さねーぞ!!」
「何かあるのね!? 絶対聞いてやるから覚悟しなさいよ!」

 夕暮れの商店街は、もうしばらく喧騒に包まれているようだった。








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