【ぼく、ペテン師:解決編その1】


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      5



 その後ぼくたちは商店街の喫茶店で落ち合った。
 ぼくと龍之介《りゅうのすけ》の前には、おどおどと辺りを気にしている野村《のむら》桃子《ももこ》さんがちょこんと居心地悪そうに座っている。朝顔《あさがお》くんは用事があるそうでどこかへ行ってしまった。彼がいると話が面倒なので、ちょうどいいのだが。
 犯人は浅木《あさぎ》昭雄《あきお》。龍之介は野村さんに電話でそう告げた。そのまますぐこの場所を指定し、わけも話さず切ってしまったようなので、野村さんはとても泣きそうな、動揺したような表情をしている。『不安』という感情のときはああいう顔をすればいいのだろうか。龍之介はぼくにも黙ったままなので、わけがわからないままだ。
「あ、あの龍之介くん。あっくんがストーカーってどういうこと?」
 運ばれたドリンクにも手をつけず、野村さんは身を乗り出すように龍之介に尋ねてくる。当然だろう、自分の恋人がストーカーだなんて、そんなことあるものなのだろうか。周りの客たちの視線を気にしながら野村さんは龍之介の言葉を待った。
 キッと龍之介を見据える野村さんと対照的に、龍之介は目の前にあるメロンソーダを一気に飲みほし、どんっと勢いよくテーブルにグラスを置いた。そしてにやりと笑い、その緩い口を開く。
「答えは簡単だ。桃子ちゃんを護ってくれる勇敢な騎士《ナイト》様の浅木昭雄は、同時に桃子ちゃんを恐怖に陥れるドラゴンだったのさ」
 龍之介のその言葉を聞き、野村さんは理解しがたいといった顔をしていた。ぼくもそれを聞いてもまったく意味がわからなかった。それはつまり――
「自作自演……ってことか?」
 その言葉をぼくが発すると、なぜか野村さんはびくっと肩を震わせた。
「そうだ。浅木昭雄の自作自演だよ。これは全部浅木昭雄が桃子ちゃんに好かれるためにやっていたことなんだよ」
「どういうことだ。なんでそんなことを……?」
「兄貴にはわかんねーだろうよ。人を好きになるってことはそういうことだ。相手に振り向いてもらうためにならなんだってできる。それが恋だ」
 恋――か。それは確かにぼくにはわからない。感情のないぼくは、人を好きなる『恋愛感情』すら持っていないのだから。肉親である、自分の身体の一部のような存在であるアキ姉となら平気だけど、他人と手を触れたり、ましてや唇や身体を重ねるなんて想像するだけで吐き気がする。心の読めない相手のことを信頼なんかできるわけもない。
「お前はわかるってのか龍之介」
「わかるよ。俺は好きな相手のためなら殺されてもいいし、それを邪魔するやつはたとえ神様だろうが殺してやる。生憎、そこまで惚れ込める女とは出会ったことねーけどな」
 龍之介は右耳の三連ピアスをいじりながら不敵に笑っている。いつも色んな女の子と一緒にいるけど、龍之介からすればそれは総てただの遊びなのだろう。性欲処理程度にしか思っていないのだろう。そんなこいつが誰かに殺されたいと思うほど愛せるのか甚だ疑問だが、今はそんなことどうでもいい。
「あ、あの。龍之介くん。全然わからないよ、キミが何言ってるのか……」
「恋人を疑いたくなる気持ちはよくわかる。だけど俺はストーカーを退治しろと桃子ちゃんに言われた。だから真実を暴いてやるさ。いいか、これは簡単な話なんだ。桃子ちゃんの部屋に盗聴器と盗撮カメラを仕込める人間なんて、それこそわずかしかいない」
「そ、それは……」
 野村さんは何も言えず、じっと黙ってしまった。落ち込んでいるのだろうか。それとも恋人に対しての疑いを抱き胸が痛いのだろうか。それとも怒っているのだろうか。よくわからない顔をしている。もう少しわかりやすく感情を顔にだしてくれないと、ぼくには野村さんがどんな感情を今抱いているのか、想像もできなかった。
 しかし盗聴器に盗撮カメラか。確かに十を超える数があの部屋には仕掛けられていた。あれを仕掛けることは容易じゃないだろう。あの部屋の死角を理解し、長時間あそこにいられる人物。ましてや女子寮に怪しまれずに入れる男といえば確かに限られる。
「そう、恋人の浅木なら桃子ちゃんと部屋にいる時、桃子ちゃんがトイレとか席を立った時にちょっとずつ仕掛けたりできるはずだ。盗聴器や盗撮カメラはいっぺんに仕掛けられたんじゃなくて、こうして機を見て徐々に仕掛けられたものだと俺は思う」
 龍之介は楽しそうにテーブルを指でこつこつと叩き、じっとりとした目つきで戸惑い震えている野村さんを見ていた。黙っている野村さんを気にせず、淡々と自分の推理を展開していく。
「浅木昭雄がなんでそんなことをしてたかって? それはね、桃子ちゃん。キミのことが好きだったからさ。桃子ちゃんにストーカーが付きまとうようになったのは浅木昭雄と付き合う前だったよね。無言電話がかかってきたり、誰かに後ろをつけられたりしてたらしいじゃないか」
「え? はい……」
「それも浅木昭雄の仕業だよ。浅木昭雄は桃子ちゃんがボクシングの試合を見に来た時から一目惚れしてたんだ。だけど女に無縁だった暑苦しいボクシング部のあいつらが真っ当に女の子と接することなんてできない。そこで浅木昭雄は無い頭で考えたんだ」
「それが、自作自演……か」
「そうだ。兄貴も知ってるだろ、『泣いた赤鬼』の話を。それと同じように、女に不良を絡ませて、そこを助けに入って好感度を上げるなんて大昔からあるベタな方法だよ。でも、浅木昭雄にとっての“青鬼”である奥瀬《おくせ》裕也《ゆうや》もまた、桃子ちゃんのことが好きだった」
 また野村さんはびくりと身体を震わせた。
 そう、野村さんの恋人である浅木先輩の親友で、ボクシング部の同輩である奥瀬先輩もまた、野村さんに一目惚れをしていたのだ。同じ女を好きになった親友同士、そこにどんな思いが生まれたのか、それはぼくにはわからないだろう。
「そ、そんなことまで調べたんですか?」
「まあね。最初は桃子ちゃんにふられた奥瀬がストーキングの犯人だと思ったけど彼には無理だね。ともかく浅木は奥瀬が桃子ちゃんに告白したと知って、桃子ちゃんを手に入れるために奥瀬に協力を仰ぐことができなくなってしまった。そこで浅木は、自らが“赤鬼”であり“青鬼”であろうとしたわけだ」
「なるほどな龍之介。つまり浅木は、桃子ちゃんの気を引くためにストーキングをして怖がらせ、そして自分はあたかも姫を守る騎士のように振る舞っていたってわけか」
 ぼくがそう言うと、龍之介はぱんっと手を打ち、「その通り」と笑った。
「ストーカーという恐怖で不安になってるときに、ボクシング部のエースなんて頼りがいのある男が傍にいてくれたら女の子としては心強いだろう。浅木もそう思ってたのさ。実際は最初から桃子ちゃんも浅木のことを好きだったわけだから、こんな小細工をしなければこんなややこしいことにはならなかったんだよ」
 龍之介は馬鹿馬鹿しいといったふうにそう吐いて捨てた。最初からお互いのことを解っていればこんなことにはならなかったのだろうか。ぼくのように人の気持ちがわからない人間でなくても、こうして人と人はすれ違う。皮肉なもんだな。
「そんな、そんなわけないわ! あっくんはストーカーなんかじゃない!!」
「でも浅木以外に犯人はいない。彼以外にキミの部屋に細工で来た奴はいないはずだ。全部浅木昭雄の自作自演だったんだよ」
 龍之介は大げさに手を上げ、ウェイトレスを呼びとめてメロンソーダのおかわりをしていた。そんな龍之介を、野村さんは酷く細い目で睨みつけていた。その瞳には涙が浮かび、唇をぎゅっと噛んでいる。ああ、あれはどういう表情なんだろう。怒りか、悲しみか、悔しさか、やるせなさか。それともその総てを露わした顔なのか。
 ずっと信じていた恋人のその優しさが嘘だと叩きつけられて、野村さんの頭はぐちゃぐちゃになっているのかもしれない。
 だがこれでストーカー騒ぎも収まるだろう。
 ……いや、ぼくたちは大事なことを忘れてないだろうか。
「おい龍之介。勝手に浅木先輩を犯人にこじつけているが、彼の顔に火傷の痕はあるのか?」
「は? そんなの確かめるまでもなく浅木が犯人だろう」
「お前があまりに自信満々だったから思わず飲まれかけたが、お前の推理は少し暴論じゃないか?」
「俺が間違ってるってのか兄貴。じゃあ確かめてみようぜ!」
 ぼくの言葉に少し苛立ったのか、龍之介はむっとしている。ああ、そうだ。こいつはバカだった。こんなやつが推理できるわけがない。ぼくはうんざりして溜息をついた。いつもそうだ、龍之介は気が早く、いつも結論を急いで失敗する。兄であるぼくがそれを止める必要があるだろう。
「火傷……何の話ですか?」
 野村さんが不安そうにぼくたちの話しに入ってきた。そうか、そういえば彼女はぼくたちが襲撃されたことを知らなかった。さっき会った時も、ぼくたちの顔を見て顔を青くしていた。
「ああ、言い忘れてたけど俺たちストーカーらしき人物に襲撃されたんだよ。それでこのざまだよ。でもなんとか反撃に成功した。スタンガンで顔を焦がしてやったんだよ。だから犯人は顔に小さな火傷を負っているはずだ」
 そう龍之介が投げやりに言うと、野村さんは少しだけ考え込み、そして再び顔を上げた。
「そ、そんなことがあったんですか……。昨日、あの後にあっくんが来てくれましたけど、どこにも怪我なんてしてませんでしたよ」
「え?」
 その言葉に、龍之介はぽかんとした表情になってしまった。
 龍之介は自分の推理を過信していたため、一番大事なことを忘れてしまっていたようだ。まったく、いつもこうだ。龍之介は何かを言い当てたことがない。
「そ、そんなわけない。浅木昭雄が犯人に決まってる!」
「で、でもでも。あっくんは本当に怪我してなかったんですよ」
「そ、そんなの――」
「やめろ龍之介。全部お前の早合点だ。お前の推理は穴だらけなんだよ。確かに浅木先輩が犯人ならすんなりと解決するが、それはそれだけの話だ。決定的じゃない」
 ぼくがたしなめると、龍之介はちっと舌打ちをしてそっぽを向いてしまった。悔しいのか知らないが短気すぎなんだよ。そうやって怒ったり拗ねたりできることが、羨ましいなんて別に思わないけど。
「野村さん。それでも一応確認のために浅木先輩と会わせてもらえないかな。一応挨拶もしておきたいし」
 ぼくたちはまだ一度も浅木先輩と顔を合わせたことがない。それなのにこうして犯人扱いするのは早計だろう。龍之介の推理も完全に間違いかどうかもまだ否定できない。少しでも疑いがあるのなら晴らすべきだろう。
「え、でもあっくん今日は前の試合の疲れで家で寝てるって……」
「“でも彼だってぼくたちみたいな連中と彼女がこうして会ってるなんてきっと良く思ってないよ。今後のことも相談したいし”」
「わかりました。あっくんの家に電話してみます。」
 ぼくが|嘘の言葉《ペテン》をかけると、野村さんは渋々携帯電話を取り出して番号をぴっと押していた。軽いものだ。
「あ、あのあっくん? 私だけど――え? 誰あなた……」
 電話先の人物に話しかける野村さんの顔がさっと青くなっていく。唇も震え、目を剥き、怯えた様子だった。明らかにまともじゃない。誰がその電話に出たんだ。不審に思いつつただ見ているだけのぼくとは違い、野村さんの異変に気付いた龍之介は身を乗り出していた。
「貸せ! なんの電話だ!」
 龍之介は野村さんから携帯電話を奪い取り、自分の耳に当てて怒鳴り散らす。
「お、お前は誰だ! 浅木昭雄なのか!?」
 ぼくは龍之介の顔に自分の顔を近づけ、一緒にその電話の声を聞き取ろうとした。
 すると、電話の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。

『浅木昭雄のようになりたくなければ、もう二度と野村桃子に近寄るな』

 ぞくぞくするような低い声が耳を伝い、龍之介は冷や汗を垂らしていた。その声はまさしくぼくたちを襲撃したあのレインコートの人物と同じものだ。そして、その携帯の向こう側から「助けてくれ……」という苦痛にまみれた声がかすかに響く。
 ぶつりと電話は切られ、ぼくたちはそこに立ちつくしかなかった。ぼくたちは顔を見合わせ、驚愕を共有する。
「兄貴……今のは……?」
「わからない。だけど浅木先輩に何かあったことは間違いないだろうな……」
 ぼくが携帯電話を野村さんに渡すと、やはりそれを受け取る手はとても震えていた。ガチガチと歯を鳴らし、涙はもう洪水のように溢れている。
「あ、あっくんが、あっくんが……!」
「落ちついて野村さん。浅木先輩のところに行こう。場所を教えてくれないか」
 泣いて震える野村さんを面倒だと思いつつそう尋ねると、彼女は目を吊り上げぼくに向かって水をぶっかけた。冷たい。
「あ、あなたなんでそんな冷静なの! あっくんが……あっくんが危ないかもしれないのよ!」
 ぼくのブレザーは水に濡れ、じんわりと染み込んでいく。これは、怒っているのか。怒りの意思表示なのか。なんでこの女はそこまで怒っているのだろうか。意味がわからない。
 ぼくが焦ったりあわてたりしても何の意味もないじゃないか。なぜ女という生き物はこれほどまでに感情的なんだろうか。理解できない。したくもない。気持ち悪い。
「おい兄貴、落ちつけ。そんなフォークを持ってどうするつもりだ」
 龍之介の刺すような静かな声でぼくは我に変えた。いつのまにかぼくの右手にはファミレスのフォークが握られている。なんだこれ。ぼくが握ったのか。なんで。フォークの切っ先は野村さんの目に向いていた。野村さんはとても怯えた目でぼくを見ている。やめろ、そんな目でぼくを見るな。
「……野村さん。早く浅木先輩のところへぼくたちを連れて行って下さい」
 ぼくはなんとか表情を取り繕い、頬の筋肉を動かして笑顔を作る。満面の笑みだ。きっととても優しい笑顔ができているはずだ。だが野村さんは身体が固まって動けないようだった。それを見かねた龍之介が、野村さんの手を引っ張る。
「桃子ちゃん。ほら、深呼吸して。さあ行こう」
 龍之介は無理矢理野村さんを外に連れていく。ぼくは仕方なくここの代金を払い、その後を追った。思わず握っていたフォークを財布と一緒にポケットに入れてしまったことに後で気づいた。



 意外にも浅木先輩が住んでいるところは寮でもアパートでもなかった。
 小さいがしっかりとした作りの一戸建てだ。両親と住んでいるのだろうか、と思ったが、どうやら借家らしい。だけど学生の一人暮らしで家一つ借りるなんて贅沢だな。聞いた話では浅木先輩は結構いいとこのぼっちゃんらしい。それでいて好男子で彼女がいてボクシング部のエースで、奥瀬先輩のような親友がいる。なんとまあ羨ましいことだな。まったく最高だね。火をつけたくなるね。
 野村さんは狂ったようにチャイムを何度も何度も押し、扉をどんどんと叩いて中にいるはずの浅木先輩を呼んでいた。
「あっくん! あっくん返事して!」
 喉が破れるのではないかと思うくらいにそう叫んでいたが、中からはなんの返事もない。もしかして家にはいないのだろうか。もうどこかへ連れ去られたのだろうか。しかしドアも綺麗な作りだな。庭もある。あっ、ツバメの巣があんなところに。
「兄貴、こっちだ!」
 龍之介の声が聞こえ、ぼくはちらりとそっちを向く。龍之介は庭に踏み込み、そこに置いてあった金属バットを手に取っていた。
「何してるんだ龍之介。今から野球でもするのか。ぼくはスポーツなんてやりたくないぞ。そういえば子供の頃よく賢治兄さんとキャッチボールをしたなぁ。なあ龍之介、覚えてるか?」
「今はそんな話してる場合じゃねえだろ兄貴! ガラス割って中に侵入するぞ!」
 なにを慌てているのか、龍之介はそう怒鳴りながら、大きな窓のガラス戸に向かって金属バットを振り下ろした。しかし強化ガラスのようで一度や二度では中々割れなかった。それでも龍之介が何度もバットを叩きつけるうちにひびが入り、そのひびに向かって龍之介は足を振り上げ、足の裏を全力で蹴りつけた。
すると激しい音を立ててガラスは割れ、破片があたりに飛び散った。その破片が龍之介の身体に刺さり、傷を増やしていくが龍之介は気にしていないようだった。
「痛そうだな」
「残念ながら痛くねーよ。おい兄貴、中に入るぞ」
 その言葉に従い、ぼくは青い芝から土足で浅木先輩の家に侵入していく。土足でもなければ砕けたガラスの破片を踏んでしまうかもしれないから仕方ないだろう。
「ああ、野村さん。キミはここで待っていたほうがいいかもしれないよ」
 立ちすくむ野村さんに、ぼくはそう言った。だけど彼女はふるふると首を振り、「私も行きます」と涙ながらにそう呟いた。
「そう、じゃあ気をつけてね。ぼくたちの後ろにちゃんとついてきなよ」
 ぼくはどんどん中へ進んでいく龍之介のあとをついていく。じゃりじゃりとガラス片を踏む感触が足を伝い、柔らかなカーペットの上を歩いて行く。窓から上がったそこはリビングで、大きなテレビと、大きなソファが置いてある。
家の中はしんっと静まり返っており、まるで何年も人が住んでいないのではないかと錯覚するほどに寂しい雰囲気だった。だけど確かにさっきまで人がいたようで、飲みかけのお茶が入ったコップや、脱いでそのまま放置されている衣服が転がっている。どうやら少なくともさっきまで誰かがここにいたのだろう。
しかしリビングだけでぼくのアパートよりも広いじゃないか。こんなところに一人で住んでいるのか。逆に息がつまりそうだな。
「兄貴、俺から離れるなよ。もしまだストーカーが中にいるなら、この間みたいに襲ってくるかもしれない」
 そう言って龍之介はポケットからスタンガンを取り出してぼくに投げてよこした。それを落とさずになんとか手に取ると、ずっしりとした感触が手に広がる。違法改造のスタンガン。まともな人間相手なら後遺症が残りかねないほどの電圧を流せるものだ。ぼくは暴力沙汰が苦手なので、できるだけ使わないようにしよう。暴力なんて野蛮な行為は論理的じゃない。そんなのは賢治兄さんや龍之介に任せておけばいい。
「どこだ、浅木昭雄でもストーカーでもいい、誰か返事しやがれ!」
 龍之介は大声で叫び、金属バットで壁を叩きながら部屋を見て回った。人が隠れていないかあっちこっちをひっかきまわし、蹴り飛ばし、家の中はぐちゃぐちゃになっていく。
「はぁ……はぁ……。ちっ、どうやら一階には誰もいないみたいだな。となると――」
 龍之介は階段を見つめる。二階、か。
「もしかしたら寝室で眠ってるかもしれません……」
 野村さんは恐る恐る龍之介にそう言った。恋人の家を荒らし放題にされてかなり衝撃を受けているようだ。
「ふうん寝室ね。桃子ちゃんと浅木先輩の蜜部屋に俺たちが入っていいのかねぇ」
 龍之介は何を想像しているのかニヤニヤと笑い、野村さんは少しだけ顔を赤らめうつむいている。
「いいから上に行こう龍之介」
「へいへいわかりましたよ」
 ぼくたちは団子状態になりながら一段一段階段を上って行く。二階の部屋はいくつもある。まったく、なんでこんなに部屋がいるんだろうか。理解に苦しむ。ぼくたちは野村さんが指さした浅木先輩の寝室の扉の前までやってきた。龍之介はもうノックすらせずにドアノブに手をかけ、開けようとした。だが、扉には鍵がかかっているようで、ガチャガチャとノブを回しても一向に扉は開かない。
「ちっ、兄貴、桃子ちゃん。下がってろ」
 龍之介はがっつりと扉を何度も蹴り、やがてその扉はめりめりと音を立てて無理矢理こじ開けられた。中はカーテンが締め切られているのか、薄暗く、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。まるで地獄の蓋が開かれたかのような冷気。そして中からは「うう」といううめき声がかすかに聞こえてくる。
「あっくん!」
 野村さんがそう叫び、ぼくたちを押しのけて部屋の中に入っていく。
 ぼくも龍之介も部屋の光景を見て声を失う。
 部屋の中には確かに浅木先輩がいた。
 だけど浅木先輩のその端正な顔は苦痛に歪み、滝のような汗を噴き出してうめいている。
 それもそのはずだ、恐るべきことに浅木先輩の両手両足はあり得ない方向にすべて折れ曲がっていたのだから。そして口にはティッシュを丸めたものが大量に突っ込まれ、顔じゅうに殴られた痕がある。激痛のあまり涙をだらだらと流していて、ぼくたちを見て驚いたような安堵のようなよくわからない表情をしている。
 彼の顔のまわりには小さな白い粒のようなものが転がり、赤い液体が床に零れている。あまりに非現実な光景なため、それが彼の折れた歯と、口から溢れ出た血であることに気付くまで少し時間がかかった。
「へへ、こりゃえげつねえ。四肢も、歯も全部折られてるのか。痛いだろうな。きっとすげえ痛いんだろうな」
 龍之介はそんな浅木先輩を見て羨ましそうにそう呟いていた。
「あっくん……酷い……だれがこんなことを……」
 恋人の無残な姿を見て、野村さんはどうしたらいいのかわからないようにただ涙を流し、狂ったように彼の口に突っ込まれたティッシュを吐き出させていた。そんな野村さんの白い指は彼の地で汚れ、その手で涙を拭おうとするから彼女の顔は血と涙で酷い事になっている。
「どう思う兄貴」
「ん、何がだ?」
 龍之介が考え込むような顔でぼくを見ていた。
「この部屋は鍵がかかってた。中から錠を下ろすだけのやつみたいだから外からはかえないよな?」
「ああ……」
「じゃあなんでこの部屋には鍵がかかってたんだ」
「浅木先輩がかけたんだろ。ストーカーに襲撃されたからこうしてここに籠ってたんじゃないのか?」
「腕も足も歯も折れてるのにか? 無理だろ」
 確かに。
 じゃあ誰がこの部屋に鍵をかけたんだ。
 いや、もしかしてまだこの部屋にストーカーがいるんじゃないのか。
 ぼくがそう考えていると、浅木先輩は必死に何かを訴えるように口を動かしていた。
「うへ……うへ……」
 歯が折れているせいなのか何を言っているのかよくわからない。間抜けな絵だ。
「どうしたのあっくん。もう大丈夫だよ。今救急車呼ぶから――」
 野村さんがそうなだめていると、浅木先輩は必死に目線を上へ向けていた。
「うへえ……うへ!」
 上――
 そう、浅木先輩は「上!」と叫んでいたのだ。
 それを理解したぼくたちは、ばっと天井を見上げた。
 そして、そこにはまるで、蜘蛛のように高い天井に張り付いている男がいたのだった。
 レインコートに身を包み、マスクをして、鷹のような鋭い眼だけが僕たちを見下ろしている。
「きゃあああああああああああ!!」
 恐怖と動揺のあまり野村さんは泣き叫び、ぼくも龍之介もそこから視線を外すことができなかった。だがレインコートの男は容赦なくぼくたちの眼下に飛び降りてくる。
 どしんとその男は着地し、ぼくたちをぎろりと睨む。男の後ろにいる野村さんはがたがたと震え、瀕死の浅木先輩に抱きついている。
「手を引け、と言ったはずだが」
 マスクの下からくぐもって聞こえる低い声でそう言い、背がぼくや龍之介よりも高いせいで、天井から降りてきた今でも見下ろされている形になっている。
 ぼくはこんな状況でも『恐怖』を覚えなかった。ただぼんやりと目の前の光景が自分とは無関係のもののような気がしていた。
 だが龍之介はそうではないようで、苦々しい顔をして負けずとその男を睨み、金属バットを強く握っている。
「手を引けだあ、このストーカー野郎……」
 龍之介は金属バットを両手で振り上げ、そのレインコートの男に向かって突貫を開始した。無茶だ。相手は恐らく異能者、非能力者が相手になるものか。
「死ねストーカーやろおおおおお!」
 雄たけびを上げて龍之介は男に向かって金属バットを振り下ろす。
 金属の反響音が部屋に響き、ぼくの耳を刺激する。しかし振り下ろされた金属バットを、その男は腕で防御し、金属バットは完全に折れ曲がってしまっていた。
「ちっ――化物め」
 腕で金属バットを防いだ男はまったく平気なようで、そのまま腕を薙ぎ、金属バットを弾き飛ばした。音を立てて金属バットは床を転がっていく。
「よせ龍之介!」
「うるせえ! こんなこけにされて下がれるかよ!」
 龍之介はポケットからサバイバルナイフを取り出した。こいつは一体いくつ凶器を持ってるんだ!
「ぶっ殺してやる!」
 龍之介はナイフを振り回すが、レインコートの男はそれを上半身の動きだけですべて紙一重で避けていく。あれは、ボクシングのフットワークに似ている。
 格闘の素人である龍之介では分が悪い。だがぼくはその二人の戦いに割って入る事はできない。
「避けるんじゃねえ!」
 男の動きをなんとか読んだ龍之介は、ナイフを男の心臓向けて突き出す。だが、男はあろうことかばっと手のひらでそれを受け止めたのだった。
「なっ――」
 ナイフの切っ先をぎゅっと握り、龍之介が必死で引っ張ってもぴくりとも動かない。圧倒的な力の差。異能者と非能力者。そこには絶望的な差がある。
「よせ龍之介、逃げるんだ!」
「うるっせえええええ!」
 龍之介は必死にナイフを引き離そうとするが、レインコートの男は龍之介の腕を逆に引っ張り、そのまま思い切り腕を押していく。そして――
「え……?」
 龍之介の腕はレインコートの男によって自分の腹に押しつけられていた。
 そして、自分の手に握られているナイフで、自分の腹を刺してしまうことになっていた。
 ざくりとナイフは龍之介の腹部に吸い込まれるように深く突き刺さっていく。後ろで見ていた野村さんが大声で叫び、ぼくもそれを茫然と見ているだけしかなかった。
「てめ」
 龍之介は何かを言いかけたが、レインコートの男はそのまま龍之介のシャツの襟をぐっと掴み上げ、そのまま全力で部屋の窓に向かって龍之介を放り投げた。人間一人を片手で投げ飛ばすなんて普通の人間ではありえない。ぼくは身体系能力者の圧倒的なまでの純粋な暴力に、ただ立ちつくすしかなかった。
 窓ガラスに叩きつけられた龍之介はそのままガラスを突き破り、二階の窓から落ちて行ってしまったようだ。どすんという激しい音が響く。ナイフで腹部を刺され、二階から落ちてしまっては龍之介もただでは済まないだろう。下手したら死んでるかもしれない。それでもぼくは恐怖も怒りも悲しみも湧いてはこない。ただぼんやりと、ああ、死んだのかなって考えるだけだった。
 でもどうすればいいのだろうか。
 このまま走って逃げるか。しかし間違いなくそれでも追い付かれるだろう。
 ぼくは手に持っていたスタンガンのスイッチを入れる。青い火花が音を立てて光る。やるしかない。
 ぼくは無言でレインコートの男に向かってスタンガンを叩きつけようと駆けるが、男は素早くぼくの身体に突進してきた。
「――っ!」
 ぼくの手からスタンガンは離れ、どこかへと飛んでいってしまう。だがそんなことを気にしている余裕がないほどの衝撃がぼくの身体に走る。めしめしと肋骨が折れ、内臓が傷ついていく。激しい痛みがほんの一瞬の間に頭に流れ込んでくるようだった。
 その突進をまともに受けたぼくは壁に激突し、その壁すらも激しく砕けるほどに吹き飛んでしまう。壁を突き抜け廊下に転がり落ちたぼくは、もう指一本も動かせないほどにめちゃくちゃに身体を壊されてしまっているようだった。
 なんでぼくがこんな目に会わなければならないんだろうか。
 ぼくはただ龍之介の手伝いをしていただけだ。
 ただのストーカー退治をするだけの話だったのに。
 なんでこんな痛い思いをしなければならない。
 理不尽じゃないか。
 理不尽だ。
「まだだ。まだ終わらない。来い」
 苦痛で気絶しかけたぼくを起こすように耳元で男は囁いた。
 ぼくの襟首を引っ張り、倒れているぼくを無理矢理引きずって行く。なんだ。どこへ連れていくつもりなんだ。
 いやだ。痛いのはもうごめんだ。もう眠らせてくれ。
 殺せ。
 生きてたって苦痛なだけだ。早くぼくを殺してくれ。
 気絶もできないぼくは、まるで現実逃避をするかのように頭の中がマヒし、夢をみているかのように奇妙な映像が頭に浮かんでくる。
 もしかしたらこれは走馬灯というものなのかもしれない。
 そうだとするならば、いよいよぼくは死ぬのだろう。
 目を閉じるぼくの瞼の裏に、母さんの姿が浮かんでくる。相変わらず母さんの顔は薄ぼけているが、その澄んだ小鳥のような声だけがレコードのように再生されていく。
 死にたい。そうぼくは母さんに言ったことがある。無表情でそう言うぼくを見て、母さんはとても悲しそうな顔をしていた。あの時のぼくは悲しみと言う概念すら理解していなかった。だから母さんがそんな顔をしていても悲しんでいたなんて思いもしなかった。
 でも母さんはぼくの髪をくしゃくしゃっと撫で、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡いでいった。

 あなたたち五人は、|私とお兄ちゃんの子供《・・・・・・・・・・》なんだから。絶対に死ぬなんて言っちゃ駄目よ。精一杯生きて。どんなに辛くても――

 だからぼくは生きようと決めた。母さんを泣かせないために。
 だけどその母さんも死んだ。だからもうぼくに生きる理由なんてないんだ。でも、ぼくが死んだらアキ姉はどうなるんだろうか。悪意を理解できないアキ姉を、誰が護るんだろうか。
 ただひたすらアキ姉の顔が頭に浮かんでくる。穢れを知らない天使のような笑顔でぼくをいつも抱きしめてくれるアキ姉。ぼくが死んだら悲しんでくれるかな。ああ、悲しいってどんな気持ちなんだろう。
 アキ姉のためにもぼくは生きなきゃいけないだろう。どれだけ呪われていても、狂っていても、壊れていても。
 ぼんやりと夢と現実を行き来するぼくをレインコートの男は容赦なくぼくを廊下に引きずりまわし、階段を降りていく。がんがんと階段の角がぼくの背中を打ちつけていく。痛い。痛い。
 廊下を降り終わったレインコートの男は、ぼくを引きずりながらキッチンへと向かっていった。何をするつもりなんだ。がちゃがちゃと食器棚をいじくりまわす音が聞こえる。そしてしゅらっという背筋を冷やすような金属の音が耳に届く。
 振り返った男の手には、包丁が握られている。
 男の目と同じようにギラギラと輝いているように見えた。
「な、なにを……?」
 ぼくがなんとか声を絞りだして尋ねるが、男は答えない。ぼくの襟首を掴んでいた手をぱっと離し、ぼくはフローリングの床に頭を打ち付けてしまう。
 そんなぼくを男は包丁を握りしめながらただ見下ろしている。ゆっくりと膝を下ろし、ぼくの身体の上に馬乗りになり、ぼくの右手を握りしめ、無理矢理手のひらを広げさせていた。何をする気なのか、なんとなく察しがついた。
 男はぼくの手のひらを床に押し付け、包丁をその人差し指に向かって振り下ろした。
「あああああああああああああ!!」
 信じられない痛みが指に走り、血が飛び、そして指が第二関節部分から飛んで行くのをぼくはスローモーション映像を見るかのように眺めていた。痛みのせいで喉が破けるほどの叫びを上げるが、レインコートの男はまったく動じず淡々と切り落とされた指を眺めていた。
 切られた指先からは洪水のように血が流れ、床は鮮血に染まっていく。どくんどくんと脈うち、指から火が出ているみたいに熱い。身体から離れた指は、まるでトカゲのしっぽのように見えた。
「痛いか。この痛みを記憶しろ。そしてもう俺たちに近づくな」
 低い声で脅しつけてくるレインコートの男。
 それでもぼくは恐怖を感じることができなかった。ただ痛みが脳を支配しているだけだ。
 ぼくが黙りこくっていると、今度は中指に包丁を当てていた。
 まずいな。このままじゃぼくの指は全部なくなってしまうんじゃないか。
 奴にボクのペテンはきかない。奴はぼくの話を聞く気がないからだ。
 いや、まてよ。ならこいつの興味の引く話しをすれば、あるいは――
「“ぼくは、お前が誰か知っている!”」
 なんとかそう叫ぶと、レインコートの男はぴたりと包丁を持つ手を止めた。もう少しで骨が切断されるところだった。
「…………」
「“あんたは、なぜこんなことをする。復讐か? こんなことをしても何の意味もないよ”」
「お前に何がわかる……」
 しめた。奴はぼくの言葉に耳を向けている。痛みで集中できないが、ぼくは必死で今回の一連の出来事を頭で整理していく。
 そうだ。
 恐らくこのレインコートの人物はあの人に間違いない。
 もしその通りならなぜこんなことをする。なぜだ。考えろ。考えるんだ。
 頭の中に昨日の出来事が浮かんでくる。そしてふっと頭の中でパズルがかちりとはめ込まれる音がした。
「そうか、そうなんだな……」
「何を呟いている」
 ぼくはレインコートの男を睨み、ゆっくりとその言葉を放つ。


「ストーカーの正体は――――だ」


 その名前を口にした途端、男の目にはっきりと動揺の色が映ったのをぼくは見逃さなかった。だが、その目はすぐに殺意に変わり、包丁を振り上げている。
「それを知られた以上、俺はお前を生かしてはおけなくなった……」
 だが、ぼくにはその一瞬の動揺で十分だった。
 ぼくはポケットに手を入れ、その中にあるものを握りしめる。ぼくは顔に向かって振り下ろされた包丁の切っ先を紙一重で避け、がつんと床に包丁が刺さる。直撃は免れたが耳は切り裂かれてしまい、鋭い痛みが走った。
 だけどそんなことを気にしている暇はない。ぼくはポケットに突っこんでいた右手と、握った|それ《・・》を取り出し、レインコートの男の眼球に向かって思い切り突き刺した。
「あががあああああああああああああああああああああああ!!」
 男は絶叫を上げ、手に持った包丁を落とし、両手で顔を押さえていた。彼の右目には、ぼくが突き刺した|フォーク《・・・・》が伸びている。
 そう、思わずファミレスから持ってきてしまったフォーク。これがなければどうなっていたかわからなかった。男は突然右目の視力を奪われたことと、その激しい痛みでパニックを起こしている。だがそのおかげでぼくから身体を離し、痛みから逃れるようにあたり構わず暴れている。
ここぞとばかりにぼくは重い身体を無理矢理起こし、切り落とされた指を持って走った。
 途中何度か転びそうになったが、なんとかふんばり、玄関に向かって走る。この家から出ればあとは誰かが駆けつけてくれるに違いない。廊下を走り、すぐに玄関が見えた。だが後ろからは、
「許さねえ! 絶対に殺してやる!!」
 という叫び声が聞こえ、どしどしと足音が聞こえる。まずい。すぐに追いつかれる。そうすれば確実に殺される。 
 ぼくは必死に手を伸ばし、玄関の扉に手をかける。だが扉は開かない。そうだ、鍵がかかっているのか。ぼくは錠を下ろすのをもどかしく思いながらもなんとか扉を開け放った。すぐ後ろにあの男の息が聞こえてくる。
 走れ。
 逃げろ。
 玄関から飛び出ると、真っ赤な夕日が目に差し込んできた。それは血のように本当に真っ赤だった。
そして、門の向こうからありえない物が迫ってくるのをぼくは見た!
 |それ《・・》は凄まじいスピードでぼくたちに向かって直進してきていた。危険を感じたぼくは咄嗟に横に飛びのいて庭の芝生に倒れこむ。
 そこには二階の窓から落ちていった龍之介の姿はない!
 ぼくがばっと後ろを振り返ると、|それ《・・》は轟音を上げて驚愕し立ちつくしていたレインコートの男と激突する。
 |それ《・・》は車だった。
 そう、自動車がこの家に飛び込んできてレインコートの男をアクセル全開で轢いたのだ!
 自動車はその男に激突したまま家の玄関にまでぶつかり玄関は完全に崩壊し崩れ去っていく。自動車もクラッシュしたせいで煙を上げて壊れてしまっている。その瓦礫と自動車に挟まれ、レインコートの男はぴくりとも動かなくなってしまっていた。
 ぼくは唖然としながらもその自動車に近づいていく。
 その運転席にはフロントガラスに頭をぶつけ、大量の血を流しながらも、にやりと笑っている龍之介の姿があった。
「お、お前何してんだよ……」
 龍之介は腹にナイフが刺さったままで、激突の衝撃で左腕が折れたらしく、ぷらんぷらんと揺れていた。
「へへ、あの後すぐに起き上がって、自動車盗んできたんだよ。最高だろ兄貴」
「ああ、お前は最高な弟だったよ。もう少しでぼくも轢かれるところだったけどな」
 ぼくは呆れながらも、死にかけの弟に感謝をしていた。痛みを感じない龍之介は、二階から落とされようが腹を刺されようが自動車をクラッシュさせようが気絶しないのだろう。おかげでぼくたちは助かった。
 一連の騒ぎを聞きつけ、辺りには野次馬が集まってきていた。誰かが通報したらしくパトカーや救急車の音が聞こえてくる。
 これで事件は解決だ。
「兄貴。俺もう限界かも。さすがに血を流しすぎて目の前が暗くなってきた……。犯人の正体教えてくれよ。気になって熟睡できねーぜ」
 龍之介の言葉を聞いて、ぼくはゆっくりと自動車と瓦礫に挟まれているレインコートの男のところへと向かう。
 さすが異能者だけあって、かすかに呼吸をしていて気絶はしているものの死んではいないようだった。
 ぼくはその男のマスクとフードを思い切り引きはがす。
 その素顔を見て龍之介も驚いていた。
「レインコートの男の正体は、奥瀬裕也だ」




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