【ある中華料理店店員の選択】 その1
双葉学園はかなり特殊な学園である。
異能力を持つ学生が通うというのは勿論であるが、その場所もかなり特殊な位置といえる。
双葉島といえる島の敷地の半分以上を「初、中、高、大、院、それと研究機関」という超大規模な双葉学園が占め、そこに済んでいる人も大半が学園関係者という学園都市。
この隔離された島の中で問題視されるのが犯罪行為である。
勿論双葉学園にも警察はある。普通の犯罪者や普通の事件であれば確かに警察も有効だ。
しかしここは「異能力を持つ学生」がいる土地で、普通とはかけ離れている。
学園を卒業した異能力者も幾人かは卒業後警察に入り、学園を守るために所属されているが如何せん人数が圧倒的に足りていない。
一度に複数の異能力に関した事件が起これば手が回らなくなることも多々ある上に学園内の巡回などは学園私有地の為に踏み込めないのだ。
そこで、その警察を補助する役を買って出たのが風紀委員。
いくつかの厳しい審査を抜けねば所属することが出来ないうえに、所属したら所属したで面倒事に駆り出されるという「お前らマゾですか?」と言いたくなるような集団だ。
基本的に堅物で融通利かないようなのが多く、取り締まりやら何かにつけて注意してまわる事が多い。
「まぁ、だからこそ風紀委員以外の生徒からは余り良い顔もされずにいるんだが。
……そう思うと、あいつはかなり変な部類に入ってたんだろうなぁ」
ある中華料理店店員の選択
1.風紀委員詰め所
双葉学園の敷地内にある校舎の中には幾つか風紀委員の詰め所が設置されている。
主に風紀委員が管轄している資料や備品置き場になっていることが多いが、その仕事上どうしても相手が生徒の場合が多く現場も学園内が多いため取調室のような場所もあった。
真面目に学生生活を送っているような人間には無縁なその場所で、窓の無い壁を背負うようにして一人の青年が事務椅子に腰を下ろしうな垂れている。
それと向かい合うように机を挟んで逃がさないとでも言うかのように男女の風紀委員が立っていた。
室内の空気は重苦しく、ピリピリと肌を刺すように張り詰めている。
「班長お願いします」
「さて、まずは暴れずに同行してくれたこと感謝する。あとは謝罪だな、君は容疑者ではない。聞き取りがしたかった」
先にその空気を断ち切ったのは班長と呼ばれた風紀委員の男。
「なんだよそれ、ってそんなことどうでも良い。あいつが失踪したっていうのは本当なのか!?」
「落ち着きたまえ」
「これが落ち着いていられるか馬鹿野郎! 詳しいこと聞きたきゃここに来いって言ったのはお前らだろうが!」
「落ち着けと言っている」
椅子に座っていたほうの少年が激昂して立ち上がろうとするのを片手で制される。
「再度確認する、2-Cの拍手敬《かしわでたかし》で間違いないな?」
かなりの大声だったにも関わらず眉すらピクリとも動かさずにこちらの目を見返してくる班長に拍手と呼ばれた青年が折れた。
「……ああ、そうだよ」
椅子に座りなおし乱暴に頭を掻くとぶっきらぼうに問いかけに答える。
「昨夜11時頃何処で何をしていた?」
「バイト先にいた、あいつも一緒だったよ」
「ふむ、こちらの情報と一致する。ではそれからどうしたのか分かる限り正確に喋ってもらおうか」
「俺の情報が先ってことかよ」
「どう取ってくれても構わんが君が喋り終わらない限りこちらが情報を教えることは無い」
ギリ、と拍手の奥歯が音を立てて軋む。
「……7時くらいに来たときに飯食う前に呼び出されたから飯作ってやった。
それから食い終るのを待って少し喋ってから別れた。確か丁度午前0時になってすぐだ。
俺は店の戸締りだけしてすぐに帰ったけど、先に店を出たあいつの事は知らないっ。
知ってるのはこれで全部だ、そっちの情報を早く寄越せっ!」
段々と喋るにつれて拍手のボルテージが上がり、最後のセリフと同時に部屋中が震えるほどの威力で机が叩かれた。
しかし肩を戦慄かせ息を荒くする拍手を前に、やはり男は微動だにしない。
「確認を」
「嘘ではないです」
班長の背に隠れるように控えていた女子が応える。
「ふむ、再度確認を。本日午前0時過ぎに別れて以降、神楽二礼《かぐらにれい》との接触は無いということだな?」
「そうだっつってんだろうが、そんであいつはどうなったんだよ! 生きてるよなっ!?」
「確認を」
「嘘ではないです」
目を瞑って集中していることから何かの能力者なのだろう。
読心術なのか嘘と本当を見抜くような能力なのかは分からないが、拍手の言葉を「嘘ではない」と完全に言い切った。
それを受けて班長の肩から初めて力が抜け、大きなため息を一つ吐き改めて姿勢を正すと拍手の方に向き直る。
「神楽二礼見習い風紀委員が失踪した、というのは本当だ」
「無事かどうかってことを聞いてんだよこっちは! 大丈夫だよなっ!?」
「落ち着け拍手敬。私は君よりも年長者だ、大声で喚かずにまずは敬意を示せ――と言いたい所だが気持ちは分からなくも無い。神楽二礼見習い隊員だが、我々にも『失踪した』としか分かっていない」
「なっ、なんだよそれ!」
騒ぐ拍手を無視して男は思い出すかのように目を閉じると少しずつ語り始めた。
「言葉通り『行方不明』なのだよ。事件の概要はこうだ。
神楽隊員から寮へと連絡があったのが昨夜11時過ぎ。寮の夕食はもう始末している旨を聞いた神楽隊員が外食をして帰ると言い残して一方的に電話を切った」
「それから俺の所に来たのか」
「黙って聞きたまえ、本来は部外秘な情報なのだぞ」
「喋れっつったり黙れっつったり……早く続き言えよ」
苛立ちも隠さずに拍手が次を促す。
「本日深夜2時まで起きていた寮監が帰ってこない神楽隊員を不審に思い風紀委員本部に連絡。
学生証のGPS追跡を行うも中華料理店『大車輪』付近の裏路地に落ちているのを発見、午前0時過ぎから移動してない事から何らかの事件に巻き込まれた物と判断した」
「午前0時過ぎって……俺と別れてすぐじゃねぇか」
「そう、だから我々は拍手敬、貴様を容疑者として事情聴取を行うことにしたのだ。だが貴様はシロだった」
「犯人の前にあいつは何処にいるんだよ、探してないのかっ!?」
拍手が幾度目かの大声をあげた。
「探してないのか、だと?」
「班長、抑えてください」
拍手はおそらく言ってはいけないことを言ってしまったのだろう。
制止の声を振り切って別人かと思うほどに表情を変えた班長が机に拳を落とした。
響く破裂音。
班長の振り下ろした一撃を受けた部分とその周囲が抉れた様に無くなっていた。
身体強化能力、それも粉砕するのではなく抉り取る程の威力を持つほどの強さ。
今朝の訪問から聴取中の拍手が言ったどんな言葉にも反応しなかった班長が余りの怒りに我を忘れている。
そのまま抜き手のような速度で椅子に座っている拍手の襟を掴むと強引に引き寄せた。
「分かったような口を聞くなよ、我々は常に出来うる最善を尽くしている!」
「班長!」
「だがな、見つからない、見つからないんだ! 痕跡すら無い! サイコメトリー能力者ですら何があったのか分かっていない!」
「つっ!」
突き放すように拍手を椅子に座りなおさせると、さっきとは真逆のように力なく机に握りこぶしを落とす班長。
「なんだよ、分からないってことは死んでないかもしれないってことじゃねぇか」
掴まれていた首元をさすりつつ拍手が返す。
指先が少し掠っていたのか白いカッターシャツが僅かに赤く染まっていた。
「……先ほどミズ・ダイアモンドに能力使用の許可が下りたそうだ」
「ミズダ……? 誰だよそれ」
「神楽隊員の所属している学級の担任教諭、春奈・C・クラウディウス女史だ」
「せんせーさん? 何で……あの人能力者だったのか?」
唐突に見知った人物の名を出されて拍手が戸惑う。
拍手の中では人よりも多く食うが細身で可愛らしい年上の女性教諭という認識しか持っていなかったのだ。
「それすら知らんか、彼女の能力は――」
「班長それは越権行為です、最重要機密の一つですよ!?」
ほぼ悲鳴に近いほどの声。
しかし、それをチラリとも見ずに班長が続ける。
「構わん、この馬鹿に理解させるには一番だ。
良いか良く聞け、春奈女史の能力は超広範囲の索敵。
この双葉島全体を覆うほどの強力なものだ。
上級ラルヴァクラスが意図的に隠蔽している場合を除いて生きている生物のほぼ全てを感知できる。
その能力を持ってしても神楽隊員は見つかっていない……この意味が分かるか?」
ゆっくりと幼子に言い聞かせるように区切り、班長が言う。
その言葉は余りにも残酷だった。
「そんな……そんな、それじゃあいつは」
昨日の晩にお互い笑って別れた。
次に会うときも馬鹿な掛け合いがあるんだろうと思っていた。
恋人とかそういう関係ではなかった、どっちかというと生意気な弟かあくまで気の置けない友人というような関係。
寮の部屋からこの風紀委員控え室に来るまでの、いや来て今の話を聞くまでは極力考えずにいようとしていた。
「恐らく神楽二礼は生きてはいないだろう」
その最悪の答えが突きつけられた。
力が抜けたかのように数歩後ずさり、足に当たりこける椅子に圧し掛かるようにして拍手が転ぶ。
腕がすぐに体を起こそうと動くが、地面に力なく触れるだけ。
立ち上がる気力が沸かなかった。
「だが今回の件はそれで終わる問題ではない」
座り込んだままの拍手を見下しながら班長が言う。
「人為的な事件でないという事は春奈女史の能力網にすら引っ掛からないラルヴァがこの学園内にいる可能性があるということだ。
夏に血塗れ子猫というラルヴァが7人の命を奪う事件があった、風紀委員のトップ及び醒徒会はそれを二度と起こさせるつもりは無い」
「……」
完全にうな垂れたまま、拍手は何も応えない。
静かな風紀委員の控え室の中に淡々と喋る班長の声と置かれた時計の音だけが響いた。
「夏に奪われた7人のうち1人は仇を討とうとして亡くなっている、風紀委員会はそれを踏まえて拍手敬」
名を呼ばれた拍手が乱れて垂れ下がった前髪越しに班長の顔を見る。
「貴様が犯人でなかった場合、冬季休校が終わるまでの期間学園外に退去し実家に帰れとの通達だ」
「なんでだよ、なんでそうなるんだよ!!」
こけた椅子を蹴飛ばし、机を乗り越えて今度は拍手が班長の襟を両手で掴みあげた。
先ほどとは全く逆の構図。
「お前は自分の強さを理解しているのか?」
「っ!」
首元を捕らえている拍手の両手首を班長の両手がそれぞれ掴み、絞り上げ、引き離していく。
「私の半分程度の力に抗うことすら出来ず」
そのままゆっくりと拍手の背後、壁の方へと押し歩き、
「ぐっ、くぅっ!」
「悲鳴を堪えるくらいしか出来ない癖に」
肉と壁がぶち当たり、鈍い音がした。
拍手の両手は自分の胸の前で交差するように押し付けられ、圧迫された肺からは空気が音となって零れる。
「かはっ」
「良いか、我々風紀委員はお前が死なぬ最善の手段を取ってやっているんだ」
空気を欲して喘ぐ拍手に、班長がねめつける様に言う。
「最早出来ることは学園の何処かに”ある”神楽二礼の末路を確認する事と潜んでいる脅威の調査、それだけだ。
この二点に於いて拍手敬、お前にうろうろとされては邪魔になる。いや、死なぬように監視する風紀委員が1人無駄になるのだ」
一際強く力がこめられ、拍手の体かそれとも背後のコンクリート壁のどちらかがミシリと音を立てた。
その音を聞いて、班長が拍手の両手首から手を放す。
圧迫の力を失った拍手が音を立ててリノリウム製の床に転がりこみ、咳き込みながら空気を貪る。
「人手不足だが逃げぬように1人見張りをつけてやる。本日正午までにこの双葉島より退去しろ」
班長はそう言いきると、後は背後の相方の目を見てから無言で部屋を後にした。
部屋の中には未だに床に転がったままの拍手とそれを見下ろす風紀委員の女。
「先ほどのやり取りで分かったと思いますが、私の能力は読心《テレパス》です。あなた1人を監視することは出来ますので逃げようなどと考えぬように。ああ、もっとも、今の班長の言葉で心が折れたようですね」
拍手は転がり息を荒げるだけで、何の返事もすることは無かった。
2.双葉島入島ゲート
双葉島と本州とを繋ぐ大きな橋。
名称はそのまま「双葉大橋」という。
双葉学園はその目的と情報隠蔽の為に特別自治区に近い存在であり、その為入島には飛行場の入国ゲートに近い手順を必要とされる。
簡単に言うなれば、学生たちが持つ学生証。
あれはパスポートでありビザのような物と言えよう。
無論、学生以外も生活しているので教員証や、学園外の商業施設を営む者にも機能が大幅に省かれるがそれに近い物が配られていた。
何が言いたいか。
ようするに、学生証がないと入島出来なくなるのだ。
但し、落とす物や盗まれたりすることもあるため管理局の事務所に申請すれば入れなくも無いのだが。
「では、学生証を預かります。後はこれが実家への交通チケットになりますので、良いお年を」
学生証を取り上げられ、荷物を持ち出すことすら許してもらえずにチケットだけを渡された状態で拍手はゲートの外で立ち尽くしていた。
ここまで付き添いという名の連行でついて来た風紀委員の女はもうゲートの向こう側だ。
手渡されたチケットはキッチリと実家に最寄のローカルバスの分まで含まれている。
ただし現金の類は一切支給されず、着の身着のままで出てきた拍手の現在の所持金はポケットに不精で放り込んでいた小銭が700円と少ししかない。
当然風紀委員に文句を言ったが、
「所持金があればこの付近に滞在して良からぬ事を考える可能性があります、大人しく実家に帰ることですね」
と取り付く島も無かった。
結論、拍手には神楽二礼の件に関わる関わらない以前の話であり、双葉島に入島することすら出来なくなったのだ。
出来る事は一つだけ。
手渡されたチケットを使い実家に帰り、冬期休暇の終わりに合わせて双葉島に帰ってくること。
その際には風紀委員から双葉学園を通して入島ゲート管理局に連絡が入り、再び入島出来るようになるだろう。
「不可能ではあると思いますが、無理矢理入島しようなどと考えないことです。その場合は風紀委員の忠告を破り、また双葉島への不法入島は退学の可能性もありますので」
年が明けて再び入島出来る頃には風紀委員の手によって原因は究明されている、血塗れ子猫の二の轍を踏むことは無い。風紀委員の女はそうも言っていた。
「神楽見習い隊員は私たちと同じ班でした。後輩で、見習いゆえ好き勝手に行動していたのを何故注意しなかったのか今でも心から悔やんでいます。あなたにも友人や家族が居るでしょう? こんな気持ちを感じる人は少ない方が良い」
だからこそ拍手敬を二度と神楽二礼の件に関わらせることは出来ない、とも。
ゆらり、と。
力の抜けた人形のように拍手は入島ゲート内に供え付けられていたベンチに座りこんだ。
光を嫌うかのように両手で顔を覆い隠す。
拍手の心の奥には先ほどの班長の言葉が楔のように突き刺さっていた。
自覚していた筈だった、弁えていた筈だった。
自分の力は未熟、武の方は自分の身を守るためだけのモノ。
能力に至っては素質ありと言われて入学してから後3ヶ月で丸2年になるというのに未だに確固たる力とならない。
夏の事件を思い出し、下級のラルヴァ相手に必死になって逃げ回っていたことを思い出す。
その後何度か事件に巻き込まれて中級程度と戦ったことはあったが、自分1人ではなく仲間が一緒にいたから勝てた。
その時も自分に出来たことはほぼ己が身を守り一回こっきりの技を使って足手まといになっただけだ。
それが潜んでいて何処から襲ってくるやもしれない上級ラルヴァを相手にする? 思い上がりも甚だしい。
両手で顔を抑える指の間から、一粒熱い水滴が零れ落ちた。
「帰ろう、俺には出来る事なんて何もない」
ハンカチなんて持っているわけも無く、上着の袖で顔を拭うと拍手は立ち上がり本州へと続く双葉鉄道の改札へと足を進めた。
ほんの100mにも満たぬ距離を足を引きずるようにして歩く拍手。
しばらく歩いてはゲートを振り返るのは未練を残しているせいか。
そのせいだろう、不注意からか前方からの通行人に気づかずに思いっきりぶつかった。
手に持っていたチケットが辺りに撒き散らされ、拍手も相手も尻餅をついた。
「あ、す、すいません。不注意だっ――あ」
「いや、こちらこそ――あれ」
お互いが謝りその顔を覗き込むと言葉がとまる。
見知った顔がそこにいた。
「星崎、なんでここに」
「そういう拍手くんこそ」
ぶつかった相手は拍手のクラスメイトの星崎真琴《ほしざきまこと》だった。
冬用の暖かそうなコートに身を包んでいるが、はだけた裾から覗くスカートとブーツの間に光る足が眩しい。
しかし、そんな姿に目もくれず四つんばいになって散らばったチケットを掻き集める拍手。
「あ、いや、俺はだな」
「何これチケット? ……随分遠いのね、里帰り?」
「ああ、ありがとう」
集め切れなかったチケットの一つを星崎が拾い、拍手に渡す。
「ほ、星崎はなんでこんな所にいるんだ?」
「毎年のことよ、姉さんと一緒に今週末に国際展示場で開かれるイベントに参加するの」
そう言って指差した先にはキャリーケースとそれに取り付けられたダンボール箱が転がっている。
他にも手提げの鞄がいくつか、到底目と鼻の先にあるお台場に持っていくような量では無い。
「へぇ、あーそういやなんで向こうから歩いてきたんだよ逆だろ?」
お台場に行くにも双葉鉄道に乗らなければいけない為、拍手と星崎の向かう先は同じはずだった。
それが正面からぶつかったことに拍手の口から疑問の言葉が零れる。
「姉さんが忘れ物しちゃったのよ、私が取りに行くって言ったのに『あんたにはまだ早い』って言って凄い速さで走って行ってね。
どうせ待つならベンチでお茶でも飲みながら、と思ったのよ」
「そういうことか、それじゃ俺はこれで――」
「ちょっと座ろうか、一人でお茶を飲むのも味気ない。付き合いなさいな」
拍手の顔が少しだけ強張った。
「いや、俺急いで――」
「そのチケット、予約席だけど発車までまだ1時間以上あるわよ」
つべこべ言わずに来る、とうろたえる拍手の腕を掴み強引に喫茶店へと進んでいく星崎。
「俺、現金ほとんど無いから遠慮をっ」
「お茶の一杯くらい出すわよ、それとも何? 普段あれだけおっぱい言ってる癖に攻められるのは嫌って言うの? 文句言わずに付き合いなさい」
「やっちょっおいー!」
腕を引っ張られ、つんのめる様に小走りになる拍手。
後ろを一切見ることなく、片手でキャリーケースと手提げ鞄数個を持ち、もう片手で拍手を引っ張りながら星崎が歩く。
細身の外見からは想像も出来ないほどの理力に拍手が抵抗する暇もなく、二人は喫茶店に入っていった。
二人掛けの席に着き、すぐに来たウェイトレスに「ダージリン二つ」と星崎が注文を入れる。
問答無用とばかりに座らされた拍手は不機嫌そうにテーブルの上に片肘をつき、その上に顔を載せて窓から双葉鉄道の方を眺めていた。
同じく両肘を乗せて手のひらを組みながら向かいに座る拍手を興味深そうに見る星崎。
「……」
「……」
「……」
「……」
お互いに何も喋らない。
拍手に至っては顔を会わせようともしない。
洒落た作りの窓の向こうでは急ぎ行きかう人々。
店内には静かにゆったりとしたクラシックだけが流れている。
星崎が周りを見渡すが、年末の忙しい時期に喫茶店に入ろうとする変わり者は少ないらしく拍手と星崎だけが唯一の客だった。
「……なぁ」
「何?」
窓の方を向いたまま沈黙に耐え切れなくなった拍手が口を開く。
「茶に付き合えって言ったのはそっちじゃなかったのか」
「そうよ?」
「何で黙ってるんだ」
「別に? 紅茶が来るのをのんびり待ってるだけよ」
「そうかい」
「……」
「……」
再び沈黙が流れた。
結局それからお互いに何も喋らないまま、ウェイトレスが紅茶を持ってきて再びキッチンに帰っていくのを待ってようやく星崎が動いた。
動いたとはいっても、喋らずにのんびりとソーサーを胸元に持っていき紅茶の香りを楽しむだけ。
「……」
「……」
陶器が擦れる音を少しだけ鳴らし、紅茶を飲む星崎。
拍手は窓の外を向いたまま、手のつけられていない紅茶がテーブルの上で湯気と香りを上らせている。
「なぁ、星崎」
「何か喋る気になった?」
「……自分に出来ないことが目の前にあったらどうするよ?」
体を動かさずに言う拍手を前に、テーブルの上に紅茶を置いて星崎が言う。
「その時々によるわよ」
「どうしても何も出来ないけど、どうにかしたいことがあったらどうするよ?」
拍手が尋ね、星崎が応える。
「その時々によるわね」
「自分が行っても何の役にも立たない、むしろ邪魔になるってのが分かってても……その時どうするよ?」
拍手が尋ね、星崎が応える。
「それもその時々ね」
「じゃあ、死なずに生きることはどう思うよ?」
「そういうセリフは一度でも死に掛かってから言うものよ」
私のように、という言葉を飲み込み星崎が続ける。
「何に悩んでいるのかは知らないけれど、らしくないわよ拍手敬。
普段の馬鹿やってるあんたなら死なずに生きて、死を生きるよりも今を生きて死ぬってタイプだと思ってた」
「臆病なんだよ、俺は」
泣きそうに、いや、笑いながら涙を流した拍手が星崎に向き直る。
それを見て苦笑を交えた星崎がテーブルの上にある紙ナプキンを渡す。
「何で俺が悩んでるって分かった?」
「そんなの簡単なこと、あんたが私にあって胸を見ないなんて今まで無かったからよ。
普段おっぱいおっぱい言ってる癖にそれに執着しないなんて何処か変に決まってる」
受け取ったナプキンで顔を拭いていた拍手の動きが止まる。
やがて目元を紙ナプキンで覆ったまま拍手が笑い出した。
「アハハハハアッハッゲッホゲホッ、あー、そうだな俺はそういうキャラだった」
ひとしきり声を出して笑うと、紙ナプキンをプラスチック製の灰皿に放り込み拍手が満面の笑みを浮かべた。
何処から取り出したのか鉄扇で口元を隠した星崎がそれを見ていた。多分、目元を見るにこちらも笑っているのだろう。
「というわけで、えい」
唐突に机越しに星崎の胸に手を延ばす拍手。
「甘い」
しかし、纏めた鉄扇でその手を打ち据えられてその痛みに飛び上がった。
静かだった店内に騒がしい声が混ざる。
何が起きたのかとキッチンから心配そうに顔を出したウェイトレスに片手で「何でもない」と引っ込めさせそれを確認すると星崎が拍手の手を掴んだ。
「いきなり人の胸に触ろうとするなんてお仕置きが必要かな」
「あっれー!? 星崎さん普段と様子違うくね?」
「少し、頭冷やそうか」
他者転移、と星崎が呟くと同時に拍手の姿が店内から姿を消した。
テレポートの能力で何処かへ飛ばされたのだ。
静かになった店内を眺めて一つ頷くと星崎は椅子に座りなおして温くなった紅茶を飲み始めた。
しばらく経ってウェイトレスがホールに顔を出すと、二人で来店していた筈の客席へと近寄っていく。
「あれ、お連れさまは?」
「帰ったわ、用事を思い出したんですって」
店内に出入りする際に絶対になる筈のドアにつけられたカウベルが鳴らなかったことに首を傾げながら、またキッチンへと戻っていくウェイトレス。
その背中がキッチンに消えるのを待ち、拍手が手をつけずに残っている冷めて湯気の出なくなった紅茶を眺めると星崎はクスリと一つ笑みをもらした。
3.双葉学園敷地内
流れる悲鳴、間の抜けた落下音、そして着水音。
誰もいない12月末の野外プールに色々な音が流れ、響き、交じり合う。
辺りに弾け飛んだ水が落ちる音が雨のように続くと、
「ぶあっはっ、つ、冷てぇ! 死ぬ!」
気泡を撒き散らしながら拍手が水温一桁の濁った水の中から顔を出した。
幸いにもこの水行もかくやという寒い中、水泳の練習をしようなどと思う奇特な生徒はいなかったようだ。
息も絶え絶えに体を震わせながらなんとかプールサイドに辿りつきよじ登る拍手。
風がなく、気温が低いとは言え太陽が顔を出しているのも運が良かった。
しかしやはり気温の低さは濡れた服を通して容赦なく体温を奪っていく。
「ほっほぉっ、ふおぉーっ!」
奇声を上げ、拍手がプールから飛び出す。
このまま何処かで着替えをと思ったが、学園内には冬季休校中だというのに結構な学生がいた。
何人かは先ほどプールに着水したのを聞き不思議に思ったのか拍手の方へ向かってくる。
人目につくのは構わないが、班長に言われたことを思い出して勝手に喉から出て行こうとする声を押し殺して建物の影に身を潜めた。
寒さからか奥歯がガチガチと音を立てる。
「こっれはっ、ままま、ずいなっ」
鍛えていようがさすがに濡れたままでは体力がどんどん削られていくし、このままでは風邪を引く。
11月の頭に二度ほど放り込まれた時の比ではなかった。
人がいなくなるのを見計らって移動しようとするも、なかなか人が減る気配をみせない。
確か時刻は昼を少し回ったくらいだったはず、何故こんなに人がいるんだ? 拍手の心に焦りが広がる。
特に何をすれば良いのかはまだ分からない、でも何もしないわけにはいかない。
こんな所で隠れていても何もならないのは分かっているが風紀委員に見つかったら間違いなく終わりだ。
焦燥感と背筋に這いよる寒気だけが増していく。
「いっ、ちか、ばちか、いくか?」
少しだけ人が引いた気がした。
意を決して通りへ飛び出そうとして、
「ぬぉっ!?」
頭から黒く重い布を被せられた。
いきなり闇に包まれたような錯覚を感じて反射的に両手を振り、暴れようとする拍手。
「シー、静かにして動くな」
「ふもっ!?」
聞きなれない男の声に一瞬戸惑う。
しかし近づいてくる規則正しい足音に、その声に大人しく従うことにした。
「おい、そこで何やっている?」
「そろそろ年末だから暗幕の埃を落とそうと思ってね、今日は天気も良いし叩《はた》いてたんだよ」
「そうか、今日からは通達が行ってると思うが早く帰れよ」
「はいはい、風紀の活動ご苦労さん」
足音の主は風紀委員だった。
それもこの声、間違いないあの班長だ。
一か八かで飛び出ていれば間違いなくそのまま身柄確保の展開だったろう。
足音が数歩離れていくのを聞いて立ち上がろうとする拍手を、暗幕の主が押さえつけた。
「そういえば、先ほどプールで何かあったそうだが何か聞かなかったか?」
「いんや、ここ占い部の部室はお客様の秘密を漏らさないために完全密室防音バッチリが売りでね。何なら寄ってくかい?」
おい、なんてこと言いやがる。拍手の背筋が凍る。
せっかく大丈夫だと思ったのに、と。
「風紀活動中でな、それにお前の噂は私でも聞いている。当たらない占いなど止めてしまえ」
「馬鹿言っちゃ行けないね。当たるも八卦当たらぬも八卦、それが占いってもんさ」
「ふん、何か不審な人物や物を見つけたら風紀に一報入れるようにな」
それと、そのマスクは似合わんぞ。と言い残し今度こそ足音は離れていった。
拍手は暗幕の中でただじっと縮こまっている自分に気付いた。
そして星崎に言われたことを思い出して、思いっきり頬を張る。
「何やってんだ、早く中に入りな」
暗幕の向こうから危ないところを救ってくれた男の声がした。
これで二度救ってもらった、疑ってもしょうがない。拍手は暗幕を被ったまま声の方に進んで、
「へぶぅっ!?」
大いにこけた。
当たり前だ、暗幕があるってことは窓があるってことだ。
それを忘れたまま声のほうに歩き出した拍手はまず暗幕の裾を踏み、つんのめった所でわき腹を窓枠で強打し、その部分を支点にしてくるりと一回転。
見事背中から入室を決めた。
おそらくは後頭部を強打したのだろうか、頭を抱えて丸まる拍手。
「いってぇー!」
暗幕はすっころんだ時に上手いこと剥がれたのか、拍手が痛みから復帰するよりも早くさっきの声の主が窓に設置していた。
そのせいもあって室内はかなり薄暗かった。
しかし暗幕を被って暗闇に目が慣れていた拍手には苦になるほどではない。
「ようこそ、犯罪者君」
「誰が犯罪者だ、誰が。救ってもらったことは感謝するけど、まだ犯罪者じゃないぞ」
目を凝らすと暗闇の向こうに仮面舞踏会に出るのかと思うような変わったマスクで顔の上半分を覆った男が立っていた。
腕を組み、見える顔の下半分にはにやにやとした笑みを浮かべている。
「ま、そりゃそうだわ。わり」
言い過ぎた、とあっさりと片手を上げて男が謝る。
「だけど、誰のおかげで”まだ”なのかをよーく考えるんだな」
「……おまえさては性格悪いな!」
「風紀委員さーん! ここに密入国者がいっまっすよーっ!」
「てめぇ、この野郎!」
「じょーだん、冗談。さっきも言ったろ? ここは完全防音なのさ」
ケラケラと仮面を抑えて笑う。
文句の一つも言おうとした拍手だが、自分があまり寒くは無くなっていることに気がついた。
「暗幕で大部分の水気は吸い取ってやったよ、感謝しろよ後でクリーニングに出さなきゃならん。
後ここは暖房も完備されてる、お前さんが寝転がってた所が丁度温風の直撃する所だったのさ」
「何もんだ、あんた」
「あー、ただの通りすがりの占い師――いや、やっぱ今の無しで通りすがってねぇしな。
本名は名乗る気ねぇし、そのまんま八卦でも良いんだが……そうだなぁ、4月くらいに噂になったあれでいいや。
ピエロじゃ格好悪いしな、うん。『ジョーカー』、今だけ俺はジョーカーだ。そう呼べ」
カッコいいだろう? とギャキィという効果音を立てながら男が名乗る。
いかん、痛いやつだ。そう拍手は思ったが一応は助けてもらった身、スルーして話を続けることにした。
「じゃあ、そのあんた。あんた何で俺を助けたよ?」
「ジョーカーだっつってんだろうが。理由なんてねーよ。強いて言うならあの風紀委員がキ《・》ラ《・》イ《・》だからだ」
「それだけ?」
「それだけ」
「……」
「……」
暗闇の中、熱い握手が交わされた。
「で、ここ何部だって?」
体の各所を叩いて乾いたかどうかを確認する拍手。
湿った部分を叩いたのか微妙な表情を浮かべた。
それを見ながら机の上に行儀悪く組んだ足を乗せて、椅子を傾ける仮面の男。
「占い部だよ、知らねーのか? 割と有名な部活なんだが」
「いや、俺普段寮とバイト先と学園、たまに屋台引いて回るくらいしかしてないからなぁ」
「そいつは珍しいヤツもいたもんだ」
おもむろに足を振り上げ、反動でちゃんと座りなおすとさっきまで足を乗せていた机の上で男が手を合わせた。
咳払いをしていかにもといった雰囲気で喋り始める。
「迷える少年よ、占って欲しいことがあるのではないか?」
「タダか?」
「んなわけねーだろ、一回500円ポッキリの良心価格だよ。丁度昨日一昨日と客が来なかったんだラッキーだぜ」
あっさりと雰囲気がぶち壊れる。
いや、ヒッヒッヒと何処ぞの占いババアみたいな真似をしているのでまだ続いているのかもしれない。
拍手がポケットを探ると入島センターで確認した通り700円と少しの小銭が出てきた。
その中から一番大きな硬貨を一枚、机の上に叩きつけるように置く。
「毎度、ああ金もらってからでアレだけどな。俺の占いの正答率20%だから」
「はぁ?」
手早くそれを胸元に回収してから酷いことを言う男に、拍手が素っ頓狂な声をあげた。
「そういう訳なんで質問の内容はよく吟味するように」
「ちょっと待て、詐欺じゃねぇのか!?」
「ちげーよ、仕様だよ仕様。バグも含めて仕様って言えば許されるんだよ。俺の場合はバグじゃなくてポリシーだけどな」
だから、と後に続けて男が微笑む。
「よーっく、考えろよ。今お前さんが何を知りたいかをな、切り札《ジョーカー》は上手く使え」
「俺の……知りたいこと」
考える。
拍手は考える。
心は決まった、固まった。
星崎が心をぶん殴ってくれたから。
俺に何が出来る? 何がしたい?
しばらく目を瞑り、やがて決まったのか拍手は目を開いた。
「あいつは今も何処かで生きているか?」
あいつが誰かとは言わない。
拍手の目の前でにやにやと笑い続ける男が問いかけてくる。
「生きているのかじゃなくて何処にいるのかを聞かなくて良いのか?」
「20%しか正解言わないんだイエスノーで答えられる質問じゃなきゃダメだろうが」
そう、イエスかノーで良い。
何処かで聞いても外れれば残りの80%が広すぎる。
「ふーん、つまんねーやつだな」
「自分では臆病者だって思ってるよ」
「まぁいいや、んで答え……ああいやいや、占いの結果だが」
もったいぶる様に腕を胸の前で組み、仮面の向こうで片目だけ開けた男が答える。
「ノー、だ」
男、いやマスクを外した名前は八土士人《はちつちしと》が拍手が出て行った扉を見る。
面白いやつだった。
ああいう手合いが来てくれればもっと楽しんで占い部を続けていけるんだが、と八土がひとりごちる。
別れ際に楽しませてもらった礼としてマスクを渡したが、別に金に貧窮しているわけではない。
小遣い稼ぎではあるが、元より金儲けよりも趣味でやっている占い屋だ。
三日間誰も来なければ部屋を受け渡さねばならぬ、という危機から救ってくれただけ良しとしよう。
正答率20%の占い、裏を返せば80%は外れるということだ。
ノーが20%であるならイエスは80%、絶望にうな垂れるのを見てやりたかったが妙に頭が回るやつだった。
実際は八土はどっちであるか知っていてわざと五回に一度しか正しいことを言わないのだが……
いや、多分どっちの答えであっても後の行動は決まっていたのかもしれない。
何にせよ、八土はその頭の中にある未来がどうか叶うようにと願うだけだ。
力のあるラルヴァはこちらの未来視を軽々と覆してくる。
もう一度あいつと占いをやってみたい、八土はそう思った。
最終更新:2010年01月29日 20:34