【鶏首の怪】


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 この世には夢も不思議も何もない。
 超人も、超能力も、魔術も、SFのような科学も、そんなものはありはしない。


 社内研修を終えたごく普通の新人サラリーマンである山田山 太助《やまだやま たすけ》は、通りがかりに立ち寄った本屋でライトノベルを購入するとカバンに入れて小脇に抱えながら約束した喫茶店へと小走りで急ぐ。
「はぁ、ラノベなんて選んでたら時間を食っちまったよ。急がないと何をいわれることやら。しかし親父と会うなんて久しぶりだな」
 太助の父親は非常に時間にうるさい。薄暗い歩道で小走りから駆け足となった太助は待ち合わせていた喫茶店を目前にすると、その喫茶店の入り口前にある横断歩道の信号の下でよく知った顔を見つける。
「親父?」
「よう」
「ようじゃねえよ。こんなところで何やってんだ?」
 信号の下で無造作に手を上げる親父の元に駆け寄る。
「喫茶店なぁ、混んでたもんでな」
 太助がチラッと喫茶店を窓ガラス越しにのぞき見るとたしかに客で混んでいた。が、一人二人座れないとも思えない。
「まあいいか。じゃあ、別の店を探すか……」
「お前に任せる」
 山田山親子がとりあえず並んで赤信号が変わるまで信号待ちをしていると、巨大な白いものが車道を走ってきた。
「は?」
 顔だけの巨大な鳥が走っている。と表現するしかない。白い羽毛でふさふさに覆われた顔に黄色い鶏《ニワトリ》のような嘴《くちばし》を持った鳥の首は、軽自動車並のおおきさはあろうか。顔だけの鳥が首から直接鳥の脚を生やして車道を走り、ドン! という鈍い音を立てると、山田山親子の目の前でクルマとぶつかった。
 そのままクルマも巨大な鶏の顔もおたがいに力を相殺しあったのか、きれいに衝突地点で止まると、巨大な鳥の顔をしたそれは「ズズズ……」と地面に倒れていきやがて重々しく横たわる。クルマが急にアクセルを吹かしてその場から立ち去った。
 あとには、赤い色をにじませながら車道に横たわる『白くて巨大な鳥の顔をしている首だけのもの』だけが残された。
「太助、何をしちょる!」
「い、いや、ケータイ――そう、ケータイで映像撮っとこうかと……!」
「阿呆、さっさとこのような場所は離れるぞ」
 低いが鋭い声音でそう言う父親に腕を引っ張られ、「お、おう」と答えながらその背中に続く太助は、ケータイの画面を確認した。非現実的な白い物体が街中の車道という日常的風景の中で紅く染まりながら倒れこんでいる――そんな不可思議な情景がケータイの小さなディスプレイの中に鮮明な映像として残されている。太助はぼんやり連想する。いま起こったことは、ファイナルファンタジーに出てくるチョコボの色の白いバージョンをリアルに作り込んだ着ぐるみが首をとって胴体を顔に変えて改造されていて、それが偶然ひき逃げされただけなんじゃないか――と今起きたことに適切な説明をひねり出そうと考えてみるが、やはりどうにも現実感が湧いてこない。それでも太助の眼にはしっかりとこのありえない記憶がまるで重い石のざらつきのように刻み付けられている。
 太助はまだ小走り前を歩く父親に声をかけた。
「親父、今のあれは、見たのか……」
「ああ」
「じゃあ確認したほうがいいだろ! あれは一体」
「妖怪には関わるもんじゃねえ」
 妖怪。
 父親の一言に太助は「そうか」と腑に落ちた思いがした。
「妖怪か。妖怪なら……しょうがないな」
 何がしょうがないかはわからないが、ひとまずあの巨大で白い顔を「妖怪」だと決めつけてしまえば、不思議なことに気持ちは随分と落ち着いた。無論、心の応急処置ではあるだろうが。
 あまりにも不条理な光景にいまだ太助の感情は麻痺しているようで、そんな彼の精神状態に「妖怪」という一言はひどく理不尽な説得力があるように思われた。
 不意に、太助の頭の中で異なる声が聴こえる。
(……スクープだ……)
 新人研修の光景が浮きあがる。
(そうだ。俺は新聞記者となるべく新人研修を受けて帰ってきたばかりではなかったか。俺が入社を決めたのはマスコミ――俺はジャーナリストだ)
「親父、やっぱり戻ろう」
「やめとけ」
「いや、新聞記者として『アレ』が何だったのか、もう一度しっかり確認してきたい」
「ああいうもんにはな、なるべく関わるもんでねえ。祟られるぞ」
 「祟りか……」太助はまた納得する。時代錯誤な古めかしい言葉は、あの妖怪のような鳥の首にはふさわしい表現だとも感じられる。しかし、このときは偶然にも太助の中に芽生えた『ジャーナリスト』として奮い立つ社会的義務感と使命感と浅慮な思い込みが未知の恐怖感よりもまさった。先程受けた社内研修による影響かもしれない。
「悪い。やっぱ俺、見に行くわ」
「この阿呆が」
 父親が引きとめようとする前に太助の足が止まる。
「よう思い直した。やめとけやめとけ」
「お、親父……あれ……」
 ガタガタと歯を鳴らしながら太助が歩道の前方を指差す。しかし、そこには単なる夜道の歩道があるだけだ。
「太助、どうした? なんぞおるか?」
「親父には見えねえのかよ……やつだよ……さっきの鶏のクビがいるじゃねえかよ……」
 太助に言われて父親は目を凝らして前方のを見据えるが、やはりそこにはまばらな人影と街並みの歩道しかなく、歩道と街路樹をはさんだ横の車道では時々ヘッドライトを点けた自動車が走り向けていく。そんなありふれた夜の街の光景。
「そんなもんおらんぞ。太助、しっかりしろい」
「親父……よく見ろよ、そこにいるだろ? ほら……血塗れのでっかい首が、鳥の顔がこっちに近づいてきて、あそこに――」
 しかし、父親の目にはそんな化け物は見えない。怪しいものを見つけられないまま「……頼むから見えるって言ってくれよ! 親父! 気が変になりそうだ!」と目を前方から逸らさずに騒いでいるわが息子の声ばかりが耳に入ってくる。
 先程の妖怪らしきものが彼の息子だけに見えているのか、それとも息子の気が触れたのか、父親には判断がつかない。
「離れろ、太助。とにかくこの場から遠くにだ」
「悪い、無理だよ親父……」
 振り向かずに太助は声を震わせる。
「さっきから、ずっと、逃げよう逃げようとしてんだが、足が……どんだけ逃げようとしてもいうことをきいてくれねえんだ……」
 太助の目に映るのは、いつものありふれた夜の歩道を歩いてこちらに迫る、血塗れの鶏の首。
 ひたり、ひたり。
 赤い血がべっとりと顔の白い羽毛を濡らして、白と赤のまだら模様となった巨大な首が一歩一歩鳥の脚で歩を進めてくる。
 鳥の首が前よりもこちらに近づいている。
 鳥特有の無機質な何処を見ているかわからない眼が太助たちを見ている。
 ひたり。
 ひたり。
 ひたり。
 ひたり、ひたり。
 ひたり、ひたり、ひたり。
 ひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたりひたり。


「逃げるぞい太助」
 そう言って父親が太助の腕を引っ張るが太助にはどこか遠い声に聴こえる。それは太助自身の声も同様で、声にならない悲鳴を上げている自分をどこか客観的に眺めながら、時間が異常にゆっくりと流れているのか、気ばかり焦るのに体が思うように動いてくれない。泥の中を重いように引きずる感覚は、悪夢で恐ろしいものに追いかけられているときに限って自分の体どうしようもなくが重くて追いかけてくるものから逃げ切れないときのあの絶望感そのままに太助の体に恐怖がのしかかり、まどろむ体が闇の底に飲み込まれようとするような無力感。
 太助は転びそうに鳴りながらどうにか父親についていく。
 巨大な首は歩調を速めている。まったく距離が広がらない。太助は鳥の首から逃げられる気がしない。いつの間にか太助は全力疾走して逆に父親を引っ張っていた。しかし、重い。体の芯が泥のように重い。全力で走っているのにちっとも体が前に進んでいる気がせず、太助が振り返るともう1メートルも首との距離がなくなっていた。太助の視界は鳥の羽毛の顔で埋められている。
 やっと気がついたが、この鳥の目には光がなく死んでる死体の眼だ。動く死体の首だった。
 太助の叫び声はもはや声として意味をなさず、父親は「来てる――」だとか「眼が――」といった断片を辛うじて聞き取るのみで、それでも息子の目にすぐそばに鳥首の妖怪が迫っているだろうことを察して、さらに足を速める。だが、父親の右肩に何か鋭いものを突き刺されたような灼熱感が走る。
「――ッ!!」
 太助の目には明瞭に映った。巨大な鳥の嘴《くちばし》が父の右肩に突き刺さる光景が。刺された肩から噴水のような血飛沫が上がる。周囲からも人々の悲鳴が上がった。鳥首は続いて二撃目を振り下ろしてきたので、太助は父親を突き飛ばした。反動で自分も反対方向に転がり、鳥の嘴を拭く一枚の差で回避する。
 倒れた太助に向き直る首。そのままスローモーションのように鳥の首が嘴を振り上げる光景が目の奥に飛び込んでくる。
 太助には首の化け物が見える。父親には見えない。しかし、鳥の首の化け物が道路で自動車と衝突して倒れたときの光景は二人ともに見えていた。さっきと今、何が違う?
 太助は、とっさにケータイ電話を取り出す。振り下ろされた鳥の嘴は、太助のかざしたケータイの画面に突き刺さっていた。その画面とは、太助が先程数秒だけ撮影した鶏の首が倒れた映像。
 鶏の顔の化け物は、自分の嘴で自分の姿が映る映像にその鋭い嘴の先を突き立てている。
 鳥を引き裂いた鳴き声が辺り一帯の大気を震わせる。
 長い、長い断末魔が尾を引いたように夜闇の中に溶ける。
 太助は、少しづつ徐々にまぶたを上げた。
 そこには自分を遠巻きに見守る街の人々と、闇色の夜空と、街を照らす街頭とネオンの光だけで、巨大な血塗れの鶏の首は何処にも見当たらない。
 太助は、乾いた笑い声を上げた。
 これは悪い夢だったのだ。
「すみません……どなたか、119番をお願いできませんか――」
 太助は、道路で大の字になりながら笑った。
 木霊する。
 壊れた笑いが。
 夜の闇の中で。



 この世には、超人も、超能力も、魔術も、SFのような科学も、そんなものはありはしない。
 しかし、どうやら得体の知れない化け物はいるらしい。







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