【ソフィア・グローリア -Sofia Grolia- 前編】


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  ソフィア・グローリア  -Sofia Grolia-  
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     一

 その日の晩は、身体に擦りこむような毎夜の肌寒さはなかった。どこからか紛れてきた暖気が逗留《とうりゅう》を続ける寒気とぶつかった後の、凪いだような生温さが学園島全体を漂っていた。
「いらっしゃいませ」
 那由多《なゆた》由良《ゆら》は自動ドアの前に脚を踏み入れると、強烈な暖房の空気をいちどに浴びて、思わずぎゅっと目を閉じた。カウンターの中に立っていた女の店員から不思議そうに見つめられて、由良は気恥ずかしさを押しのけるようにして、ぶっきらぼうに訊いた。
「先週、こちらで手入れに預けた刀を取りに来たのですけど」
 手帳から抜き出した身分証代わりの学生証を店員に差し出す。
「はいはい、すぐに持って来るわ」
 学生証を確認することもなく、店員はひらひらと手を振って奥の部屋に引っこんでしまった。
 立派な青竹であしらった門松が縦に横に幅を利かせているおかげで、店内は少しだけ窮屈に感じられる。去年から片付けていないのか、刀剣の飾ってあるショーケースに吊るされたクリスマス用のカラフルな電飾が、刃物ばかりが並ぶ殺風景な周囲を唯一和ませてくれていた。電飾が点滅する度にその淡い光が背の高い門松の影を伸ばし、一層の閉塞感が由良の胸に落ちた。
 刀剣屋〔寿々璃《すずり》〕。学園島にいくつも存在する武器商店のうちの一つで、学園生徒の対ラルヴァ用武装となる刀剣の販売を主としている。学園から離れた商業区の片隅でひっそりと営業しているため、顧客が大挙して押しかけるような店構えではない。商品の受注を請け負うカウンターと少しのスペースがあるだけで、あとは刀工用の作業場が大部分を占めていた。
 本来、未成年がこれらの殺傷機能のある武器を所持することは国の法律で禁じられているが、ラルヴァへの対抗手段という名目上、学生証一つで容易に利用することが許される。然るべき場所で、振るうべき使命を過《あやま》たない限りは。
 黒塗りの鞘に収められた大太刀を抱えながら、店員が小走りに帰ってきた。同性の由良ですら一目を置く店員のつりあいの取れた体つきは、ブラウスの上にエプロンをかけて、胸の前で太刀を抱えるちょっとした気のない仕草だけでも魅惑的に映る。
「これでいいわよね」
「ええ」
 太刀に巻かれたタグを、店員はしなやかな指で器用に取り外す。それを確認に合わせて読み上げた。
「えっと『ご要望の通り、刀身の手入れと鞘の傷の補修は済ませた。それと柄頭《つかがしら》に小さな亀裂が見つかったんで、ついでに直しておいた』っと、柄頭のところはサービスみたいね」
 精巧なガラス細工に触れるように、由良は静かに大太刀「国綱《くにつな》」を手元に寄せた。手を滑らせ、冷ややかな鞘の感触を確かめる。その脆弱そうな長いだけの外装に反し、鯉口《こいくち》切って抜き身の部分を垣間見れば、重厚な刃紋がきらりと光って由良の顔を映した。
「店主に厚くお礼申し上げます。そう伝えてくださいませ」
「相変わらず由良ちゃんは固いわねー。もうちょっと愛想があれば可愛げがあるのに」
「弥坂先輩こそ、顧客を下の名前を呼ぶような慣れなれしさを抑えて、もっと店員然と振る舞うべきですわ」
 店員の弥坂《やさか》舞《まい》は、カウンターの上で両手を組むと微笑んだ。彼女の豊かな黒髪がふわりと揺れる。
「由良ちゃんは特別」
 特別、という言葉には魔力がある。何をするわけでもないのに、自分がひとつ上のステージに立たされた気分になる。目をかけられている、他とは違う、対等ではない。そういった甘い気分が一滴ずつ、水を加えられた砂糖のようにじわじわと脳を惚《ほう》けさせ溶け込んでいく――。しかし、由良は違う。それは己を律することができるからという精神論的な理由ではなく、話術に対して由良が特別という才能的問題でもない。
「弥坂さん、こっちのダンボールはどこに運んだらいいんですか」
 店の奥からがちゃがちゃと重そうな音が響く。それが聞こえるのと一緒に男の声がした。
「預かり物はみんな裏口のシャッターの前に固めておいて。検品前だから、種類分けはしなくていいわよ」
 弥坂は意地悪な笑みを浮かべ、甘い声音で言った。「それが終わったらもう上がっていいわよ、悠斗《ゆうと》くん」
 悠斗と呼ばれた店員は、由良が居ることに気づいていないのか会話が続いた。
「その呼び方、なんか距離が近すぎるっつーか、私的すぎますって。お客が聞いたら勘違いしますよ」
「あらん、悠斗くんだけ特別よ」
 ここからは顔も見えない彼が、うろたえた表情をしているのが容易に想像できた。だらしのない男。あきれたようにため息をついて、由良が口を挟んだ。
「先輩の言葉は軽すぎますわ。だから男ができませんのに」
 弥坂舞が他人にかける甘い囁きはヘリウムガスよりも軽い。リップサービスはおろか、彼女の艶かしい唇から紡がれる言葉には値がつけられないだろう。安売りのしすぎ、という意味で。
「やあね、そういうこと言っちゃう? おまけしたとこもやっぱり請求しちゃおっかな」
「そ、それとこれとは別でしょう!?」
「ふふ。領収書、どこにしまったかしらね」
 弥坂はカウンターの引き出しにある領収書を取り出すふりをして由良をからかう。ひとしきり遊び終わると、顔を戻して話題を変えた。
「ところで由良ちゃん、今日は一人?」
「見飽きた光景でございましょう? 知り合いに寿々璃《ここ》を利用する者はいませんし。私《わたくし》自身、他人とつるむのは嫌いですから」
「そっか、そうよねぇ。由良ちゃん友達少なそうだものね」
「一言余計ですわ」
 またからかわれるのかと由良は構えたが、今度は脇にそれることなく弥坂は話を続けた。
「由良ちゃん、通り魔の噂って聞いたことある?」
「どういう噂です?」
「うーん。あんまりおどろおどろしく話すのって苦手なんだけど。それでもいい?」
「普通にお願いします」
 真面目ね、と弥坂は目を細めて笑った。何か物足りなさそうな表情なのは、明るい話題ではないのだと由良は先に感じた。それでも、由良には大事なことだと思って教えてくれるのだろう。だからこそ、この先輩は嫌いになれない。
「最近ね、学園島で出没してるらしいの」
「らしい、って。どうにもはっきりしない話ですわね」
「だから噂なのよ。あたしが聞いた話だけでも、少なくとも先月から六人は被害に遭ってるみたい」
「それだけの被害件数なら、なおのこと騒ぎになっているはずでは?」
 しかしこの一ヶ月のあいだ、それらしい出来事が起こっていることを由良は欠片《かけら》も聞いたことがない。
「普通ならそうなんだけどね」
 これまで被害に遭った学生が、一人として事件を学園側に届け出ていないのだという。
「偶然かどうかは判ってないけど、通り魔に襲われた被害者六人はいずれもだんまり。別に喋れないくらい重傷な人は誰もいないのよ。それなのに何を見たのか、何をされたのかすら語ろうとしない」
「口を閉ざす事情……」由良は軽く握った手を口元にやって、ちょっとのあいだ考えた。「襲われたこと以外に何か、自分が公の場に出ることを躊躇《ためら》うような理由がある、といったところでしょうか」
「ご明察。由良ちゃんは手間が省けていいわ」弥坂は一瞬笑みを作った。「被害者たちに共通していたのは、西洋東洋を問わず刀剣を持っていたこと。そして全員が全員、武器を奪われている」
 相手の力の象徴を剥奪すること。昔の将兵が敵の首級を挙げる類の、自分を誇示する性格なのか。それとも単なる収集欲の強い偏執狂か。どちらにしても、人の道を外れているのは明らかだが。
 そこまで聞いて、由良には一つ疑問が浮かんだ。
「被害者がいて証言を拒むなら、感応能力者《トランサー》を使いませんでしたの?」
 尋問というのは語弊《ごへい》があるかもしれないが、非常時に際しては事情聴取に異能力を使うことが稀にある。
「事件として扱わない限り、相手の同意も無しに意識干渉するのは色々と問題があるのよ。『人道的配慮』ってやつ」
 自身が実際に試みたかのような、仕方のないという表情が弥坂から感じられた。
「だったらなぜ、今になってその話が広まりだしたんです?」
「一昨日に七人目の被害者が出たの」答える弥坂の声の調子が変わった。「といっても、これは未遂で済んだようだけど。その子は由良ちゃんと同じ中等部の男の子で、幸い見回りの風紀委員が駆けつけてくれてから大事にならなかったわ」
 弥坂は軽く頭を振って、肩にかかっていた髪を背中へ払った。
「彼が持っていたのは、授業で使っていた訓練用の竹刀。今までは、差はあっても刀剣の扱いに長けた使い手だけが狙われていたのに、今回に限って|訓練用の竹刀を持った素人。当然イレギュラーな彼はこれを学園に訴えて、ようやく噂から事件に格上げされたってわけ。ただ、それ以前の六人の件とは今のところ結び付けられていないけど、これも時間の問題でしょうね」

      二

 〔寿々璃《すずり》〕を出ると、雲の下筋に僅かに残っていた夕暮れの陽もすでに失せ、蒼黒い雲が夜の空をのた打ち回っていた。地上では等間隔に敷かれた街灯が、舗装されたアスファルトを冷たく照らしている。
 那由多《なゆた》由良《ゆら》は、幼いときから異能力者だった。はじめのうちは水たまりに波紋を描いたり、河原に生える露草を風もなくなびかせたりするだけのささやか能力だった。由良はこの不思議な力を一人で抱えてきた。だが由良が中学にあがり、異性との違いを意識しはじめると、力は急速に成長を早めた。
 一度だけ、異能力を発現させているところを父に見られたことがある。そのときの父は、黙って由良を書斎に連れてくると、鍵のかかった引き出しから一冊の本を手渡した。父の兄、由良の伯父の日記だった。表紙はすでに退色していて日記と呼ぶには憚《はばか》れるそれには、伯父が自分の身に起こった出来事について淡々と書き記されていた。
 伯父もどうやら、由良と似た超能力系の異能力者だったようだ。冒頭から数日分のページには、それを心霊現象と勘違いしていたかのような考察が散見していた。それも一ヶ月を過ぎたあたりでは、自分自身が原因であるとようやく結論できたようだった。
 伯父は由良が生まれるずっと以前に事故で亡くなったらしいが、今となっては異能力絡みで何かあったのかもしれない。当時はおよそ、異能力者の存在に肯定的な機関が表層に現れていなかったのだから。
 双葉学園から編入の話が舞い込んできたのは、それから間もなくのことだった。
 学園へやってきてから、数え切れない驚きがあった。その都度《つど》、由良の見ていた世界は漠然と、強引な軌道修正をしながら形を変えた。
 常識というものは、一度置き場所を決めてしまうと、簡単に他所へ移すことができなくなる。大きな本棚のようなものだ。新しい事実を手に入れるたび、それを精査し、すでに収められている知識と入れ替えて整理する。そうしているうちに一年が経ち、それらを由良が自分の力と併せて扱えるようになった頃には、さらに半年が過ぎた。
 由良の住む中等部の女子寮は〔寿々璃〕の近くにある。コンビニで無駄な道草を食わず、途中で立っているバス停に乗れば十分もかからないだろう。
 ダッフルコートのポケットを探って、モバイル機能の内蔵された学生証に目をやると、すでに〔寿々璃〕を出て一時間が経過している。新年の宴の余韻が未だに漂っている繁華街を通りすぎ、間に住宅地を挟み、由良は目的の広場に辿り着いた。あたりは葉の繁《しげ》る常緑樹や、禿げてすかすかに伸びた枝木があちこちに点在している。街灯代わりのキャンドルモニュメントの下にまでやってくると、真新しい感じのコピー紙が柱に貼られていた。
『不審者出没につき暴漢に注意』
 弥坂の言っていた、いちばん新しい被害者。七人目の君はここで襲われた。
 遠くのほうで葉擦れの音が聞こる。左手の方向から、雪崩れのようにざわめきが迫り、国綱《くにつな》を握る由良の手に力が入る。
 風が、由良を嘲笑《あざわら》って吹き抜けていく。
 肩を下ろし、緊張を吐き出した瞬間、吐息を吹きかけられるように囁かれた。
「キミは、こんなところで何をしているのかな」
 反射的にすばやく振り返ったが、声の主は由良の考えていた以上に間近に立っていた。由良の対人距離《パーソナルスペース》を優に越え、睫毛《まつげ》の一つ一つが数えられるくらい密着している。声をあげるのをこらえ、開きかけた口に無理やり蓋をした。
「失礼。いや、すまない。少々驚かせすぎた」
「誰ですかあなた」
 遠慮もなしに睨みつける由良を見て、体を引き半歩下がると笑った。背が高く、細い体に白衣がかけられた案山子《かかし》のような男だった。脇に由良が実験でしか見ないような望遠鏡とスポーツバッグを抱え、首には研究者らしい登録証がぶらさがっている。
「ここを通りかかったらキミの姿が見えてね。女の子の夜歩きは関心しないな」
 男は柔和に笑って、気遣わしそうに言った。だが由良は険のある目つきのまま、男を見据える表情は硬い。
「わたしは怪しいものじゃないよ。このあたりで天体観測をしているただの学生さ」
 ほら、と首にかけている登録証を由良の前に持って見せた。「沙々貴《ささき》翠《みどり》」、男には似合わない名前だ。学籍を見ると、学院生のようだ。
「冬の空は大気が澄んでて、観察にはもってこいの季節なんだ。特に木立が多くて、周囲の建物が低いこの広場はね」
「星を見て何を研究するんですの」
 沙々貴は照れくさそうに頭をかきながら言った。「ゲテモノ研究なんだけどね。『星間並列の不応期における力積《インパルス》の閾値《しきいち》調査』という論題で、星座の周期配列から観測データ読み取って、近年増加傾向にあるラルヴァや異能力者の出現を比較して、天文学的見地からその関連性を考察しようとしているんだ」
「たいそうな研究ですわね」
 興味を欠いた由良がその一言で一蹴すると、がさごそと大きなバッグの中を漁っていた沙々貴は残念そうに動きを止めた。得意なことに関して饒舌になるタイプなのだろう。
「身の潔白は終わったかな。それじゃあこっちも質問。改めて、キミは一体ここに何の用があるんだい。高等部でも門限はあるだろう?」
「うちの寮母は、夜歩き夜遊び犯罪以外はノータッチで奔放主義な素晴らしい方ですので問題ありませんわ。それとよく言われますけど、私は中等部」
「中等部ならなおさらだ。いくら寮監の人が良くても、風紀委員に見咎められれば言い訳できないだろう。キミは利発そうな子だ、早いところ帰ったほうがいい。近頃は物騒だから――」
 由良が首を持ち上げて上目遣いに沙々貴を見た。まともに目と目がぶつかった。
「物騒だから、これを持ち歩いて挑発しないほうがいい?」と、由良は訊いた。
 沙々貴の両目が大きく見開いた。目の前に出された太刀に瞳が寄り、目の端に浮き出た充血まで見えそうだった。だが瞬きした後には、めくれ上がっていた鋭い視線はもう残っていない。
「さっきから何度も見てましたわよね? これ」
 沙々貴は少しおちゃらけた様子で由良に笑いかけた。「素人目に見ても、いい刀だと思ってね。デスクワーカーには物珍しいんだよ」
「そう。でしたら手にとってご覧になります?」
 笑みに応えるように、相手を試すように由良はすらりと白刃を抜いた。刃を返して自分に向け、掴みやすいよう柄《つか》の端を握って差し出す。今度は沙々貴は動揺の素振りも見せず手に取った。根元から刃先へ目を動かし、角度をつけるたびに刃に光がはしる。手の中で柄を転がして刃の両方の面を確かめる様子はなかなか堂に入っている。
「思ったとおりだ。刀身の反りも見事だし、刃こぼれ一つ見当たらない」
 沙々貴は陶酔した感じで、太刀に目を奪われている。その無防備な横顔が由良の警戒心を僅かに緩ませた。
「きっと大事にされているんだね」
「ま、まあ、それは昨日の今日に修繕したばかりですから……」思い当たるところがあったのか、由良が俯《うつむ》き加減に目を伏せた。
「本当に」合間にほうとため息をついて、「人が持つに余る代物だ」
 突如、それが由良の顔面に容赦なく振るわれた。

     三

 暗夜を裂いて振り下ろされた太刀が、由良の肩口で止まっていた。弧を描くはずだった切っ先は、いま彼女の手の中に押し包まれている。長い混乱の時間を与えて、それからゆっくりと由良が顔を上げた。
「よくできているでしょう?」微笑していた由良の目元がスッと細くなり、
「でもそれ、ただ頑丈な模造刀ですので斬れませんの」
 沙々貴は構わず引き抜こうとするが、ひとつの石から作られた彫像のように太刀はびくともしない。|引力と斥力を操る力《レコンキスタ》によって、太刀が彼女の体の一部となって手を離れない。
 飛びずさる沙々貴を見送り、それから由良はラケットを回しするようにくるりと刃から柄へと握りかえる。
「気味の悪いヤツ」
 もそもそと男が呟く。小さい声ながらも、それが怨嗟《えんさ》を含んで吐きかけられた。
「網を張るまでもなく、まさか一発で当たりを引くとは思ってもみませんでしたわ。運がいいというか、厄に憑きまとわれているというか。省《かえり》みれば去年もいいことなしでしたわ」
 ひとつ、ふたつと呼吸をして気を変えて、四肢に意識をめぐらせる。静かに自分を奮い立たせ、邪気を祓うように太刀をしならせた。風なき夜の寒空に刃風が鳴った。
「剣術使いばかりを狙うのが趣味なのかは存じませんけど、私《わたくし》でもその相手は務まるはずです。覚悟なさい」
 沙々貴が地面に下ろしたスポーツバッグからグローブをとりだし、すばやく腰だめに拳を構えた。 
「そうやって、気取るな!」
 猛然と沙々貴が突き込んできた。頭が先にぶつかるのではないかというほど、勢いに迷いがない。なによりも不気味なのが、沙々貴は顔を下げて由良の姿を見てはいない。文字通り「頭から」向かってきた。
 刺し合いであれば素手で太刀にかなうことはない。だが小振りに軌道を変えられるぶん、インファイトであれば立場が大きく逆転される場合はある。
 突進を阻むように、由良が完璧なタイミングで袈裟掛けに斬り払う。ぴりぴりと地面を響かせて、寸前で沙々貴が大きく跳躍した。
「やはり身体強化ですの――」
 遅れて沙々貴の踏み込んだ場所に由良の一刀が轟《とどろ》く。斥力を帯びた打撃がわずかに砂塵を巻きあげた。柔らかい芝を生やす土質が悪かったのか、太刀は地面を切り飛ばし、刃先が土中に潜ってしまった。引き抜くより先に、上空を仰いで機を伺うより先に、飛燕のごとく滑空した沙々貴が落下する。
 由良は太刀を投げ出しできるだけ遠くへ転がって逃げた。視界が一回転するあいだ、コートにつく汚れのことが脳裏をかすめたが、再び夜空が見えると観念して流れに任せた。冷気ばかりの草の青い匂いが鼻をつく。
 重い音と威圧から放たれた風を体に感じて身を起こす。沙々貴の表情は読めなかったが、口元は猛獣のような笑みを浮かべ、剥き出しの敵意が由良を捉えた。
 片手を支えに由良は立ち上がる。徒手空拳に対する相手は身体強化とおぼしき異能力。太刀は沙々貴の背後にそのまま。引力の的を小さく絞れば手に戻すのは容易だったが、その射線上に沙々貴が立っている以上は下策でしかなかった。
 太刀に視線を投げかけた由良の焦りを読み取ったのか、沙々貴が卑屈に一息笑う。
「武器に頼るばかりだからそうなる。お前たち人間はいつもそうだ。威勢がいいのは最初だけ、拠《よ》りどころを失えば蜘蛛の子を散らして逃げ回る」
「人、人と、まるで己《おのれ》は違うといいたげですわね」
 コートの砂埃を払いながら、由良が調子を合わせた。
「そうだ。お前たちのように、永き平穏の上に胡坐《あぐら》をかき堕落することはなかった。鍛錬に鍛錬を重ね、この身一つで何者とも渡り合える力を得た我がリョウメンの一族は違う!」
「創造、工夫、技巧。非力であろうと、人間は武器を生み技術を培《つちか》って力を得てきた。それは歴史が証明しているでしょう。武器を持つから弱いなどと、あなた、側面的にしか物を考えれないのですか?」
 異能もそうだ。由良たちの生まれるずっと前から守り伝え続けてきた者や、ひとりひとりが悩んで、決心して学園島《ここ》にいる。
 異変《ラルヴア》に気づくことなく、理不尽に屠《ほふ》られていく人たちの連鎖を断ち切らなければならない。由良の伯父はそれに漏れ零れ落ちていった。だけどそれを由良が知っている。覚えているから、人知れず誰かの日常を奪われることがないように、より多くを守るために力は不可欠なのだ。
 そして、それには全てを見渡せるほどの高みへ上り詰めなければならない。だからこそ、由良は上に立つ者を求め、下で憚《はばか》る強者を打ち倒す。そう決めた。
「武闘派な一族か何かは存じませんが、なんにせよ、武器はNG拳はOKと言い張るあたり、お里が知れてますわ」
「ぬかせ!」
 動いたのは沙々貴が早かった。ワンテンポ遅れて由良が構えた。
 肉薄し繰り出された沙々貴の拳を、街中の雑踏をすり抜けるようにすいとすれ違う。
 ふっ、と由良は眼前に晒された腕を両手に大きく吸い寄せ、肩に担ぎ、斥力をはめ込み流れる動作で投げ飛ばした。
「素手の訓練など、剣を握る前から心得ていますわ」
 運悪く、由良が背負い投げたのはキャンドルモニュメントのある大きな鉄柱で、背中から逆さに衝突した沙々貴は、その一撃で肺の酸素を吐きつくして伸びてしまった。

     四

 芝から抜け落ちて草に埋もれていた国綱《くにつな》を拾い上げ、ハンカチで汚れを拭《ぬぐ》うと、すぐ傍らにもあった鞘に納めた。身体強化型の人間にどこまで通用するか判断できなかったが、由良《ゆら》は鞘に結んである下緒《さげお》を解いてそれで沙々貴《ささき》を後ろ手に縛った。下緒の紐自体に特殊警棒のような魂源力の恩恵は受けていない。しかし腐っても学園製というだけあって、牽引ロープ代わりになるくらい丈夫さは折紙つきだ。
 せっかく結び直してもらえたと思ったのに。明日にでも〔寿々璃《すずり》〕で弥坂に頼んでみよう。
 異能力に関しては技巧に長けている自負があったが、一般的な手先の器用さでは威張れるものではない。
「はぁ……」
 下緒のない裸の愛刀を眺めると、ノーネクタイのずぼらな会社員の首元が思い浮かんで、ため息がこぼれた。だからといって由良が紐を結ぶものなら、よっぱらいのハチマキみたいになってしまうのが悩みだった。
「それにしてもこれが通り魔とは、ずいぶんと拍子抜けでしたわね」 
 地面に臥《ふ》せったままの沙々貴の頭をみやり、据え付けのベンチに腰掛けた。
 沙々貴の持っていた天体望遠鏡は本物だった。一緒に置いてあったスポーツバッグも検分してみると、研究資料よりも携帯コンロやカップ麺、寝袋といった屋外用の備品ばかりだった。あとは女物のシックな下着とジャージが一組。本物の沙々貴《ささき》翠《みどり》の持ち物だろうか。そう思い荷物をバッグに詰め直していると、
「いやーここにあったか、わたしの鞄」
 向こうから女が軽い足どりでやってきた。忘れ物を受け取りに来たという感じで、由良の方へまっすぐ歩いてくる。
「沙々貴、翠?」
 ベンチから中腰になって、由良は呼び掛けた。
 深みがかった赤のタートルネックに、脚のラインがくっきり浮いたジーンズ。およそ外出するための服装とはいえず、自宅の郵便受けに新聞を取りに来たような軽装だった。つんとした目鼻立ちに縁《ふち》の目立つおしゃれな眼鏡を引っ掛け、髪の束を片側に結んで肩に流している。
「ああ、いかにも翠はわたしだ。妙だな、たしか名札はつけてなかったはずだが」
 思案げに首をめぐらせ、由良の後ろで拘束されて転がっていた男を見つけた。ぴくりと眉だけ動かして驚いてみせたが、すぐ真顔に戻った。
「家出にしては遅いとは思ったが。なるほど、津志雄《つしお》はキミにやられてしまったというわけか」
 にべもなく言い置いて由良をみた。
「今日のところは勘弁してやってくれないかな。はねっかえりだがこれでも弟分なのでね。女の子に縛り上げられているのを見るのは、姉として忍びない」
 言ってから返事も待たずに、気を失ったまま寝ている男――津志雄のいるほうへ歩いていく。
「待ちなさい! その男は通り魔ですわ。私《わたくし》と同じ刀剣を所持した学生が、先月までに六人、そして一昨日にも一人が襲われているのですのよ。そんな危険な男を、はいそうですかと解放するわけにはいきませんわ」
「え?」
 今度こそ翠はきょとんとした顔で固まって、一時の空白のあと、肩を震わせて笑いはじめた。
「つ、津志雄が、あはは――と、通り魔だなんて……ふふふ、露出狂か何か? ああ、彼は自己愛《ナルシスト》の気があるしトレーニング狂いと来ている。なきにしもあらず、だな。ぷくく」
 ブフー、とひとりで話を振ってひとりでツボにはまっている。なんだか酷くバカにされた気分になって、由良は翠を睨んだ。顔が赤いのは、頬が冬の夜気に晒されているからだけじゃない。
「ははは、さてもさても、おかしな話は続くものだ」ようやく笑いの波が収まって、落ち着いた感じの声のトーンに戻りつつ翠が言った。
「はじめの六人はわたしだが、一昨日の件といわれると覚えが無い」
 あっけらかんと告げた。
「もちろん、津志雄がわたしの行動を真似た模倣犯という線も考えれる。一昨日は……院生仲間と朝まで新年会だったな。酔いつぶれてしまったから、酩酊したわたしがしでかした可能性もなくはない。だからといって、類似したものをすぐに連続犯と決め付けるのはいただけないな。キミはちょっと短絡的すぎるね」
「今なんて」
「おっと言い方が悪かった。せっかちさんとうっかりさん、好きな呼び方を選ぶといい。こっちのほうが可愛らしい」
「その前ですわ」
 由良が声を荒げた。
「あぁ」翠は声もなく笑って、「キミが言う、先月の六人を襲った通り魔というのはわたしだろう」
 音もなく由良が太刀を抜き放った。
「気が短いね。やんちゃばかりしてた昔の自分を思い出すよ」
 動じず、眩しいものを見るように、翠は懐かしそうに目を細めた。そして、後ろに振り返って津志雄の前に屈こむと、紐を解き始めた。
「待ちなさい!」躊躇《ちゅうちょ》は一瞬。太刀の峰を返した由良の一刀が、翠の首筋にせまった。
 そこで由良は初めて翠の後姿を見た。狐のお面。それがちょうど彼女の後頭部のあたりに掛けてある。額が広く冷然とした白粉顔《おしろいがお》に、墨と紅色《べにいろ》の二色でシンプルな描き分けがなされた作りになっている。動物らしい凹凸《おうとつ》のあるフォルムに、無機物特有の冷たい表情が際立つ。翠は背を向けているのに、底暗い狐面《こめん》の眼《まなこ》が由良をじっと見つめている気がして不気味だった。
 それだけで、由良はそれ以上太刀を振り下ろすことができない。
「物騒なものはさげて欲しい。やはり説明は必要みたいだ」
 背を向けたまま翠が言う。まるで狐の面から喋っているかのように、こちらを振り返ろうともしない。
 由良は黙って太刀を鞘へと落とし込む。不機嫌な調子が一連の動作に表れ、鞘に納まったときの鍔《つば》鳴りが硬く響いた。
「良い子だ」翠がくすっと笑い、ちょうど津志雄の戒《いまし》めも解けた。
「納得のいく説明でなければ、あなたもその男共々出るところに出ていただきますわ」
「善処はしよう」
 翠は津志雄の体を支えの丈夫な茂みに立てかけてやると、由良をうながしてベンチに座った。渋々という感じで、由良も腰を下ろした。
「さて、どこから話そうか」
 翠は脚を組むと、それとない感じで話し始めた。




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