【ソフィア・グローリア -Sofia Grolia- 後編】


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     五

「わたしたち沙々貴」
 言いかけて、翠はかぶりを振ると、肩をすくめてため息をついた。
「……いや、これもいい機会だ、隠し立てする必要もないだろう。沙々貴という名は、ここにやって来たときに郷《さと》から戴《いただ》いたものなんだ。わたしたち両面《リョウメン》の一族は、見た目こそ人間と同じ姿だが、分類では正真正銘のラルヴァだよ」
「そうですか」
 津志雄がいやに強調していたから、大体の見当はついていた。翠はうかがうように由良の顔を見た。
「驚かないのかい?」
「それは驚きますけど。ですが、それくらいのことでいちいち驚いてたら、この学園島では身が持ちませんわ」
 呆れた様子で由良は言った。住めば都とはよく言うが、異常に対する感覚が鈍くなってきたのかもしれない。自分の生活圏に、本来の非日常が深く根付いてしまっている。翠はちょっと面食らった顔をしたが、頬を緩めて微笑を作った。
「両面族は古くから日本に存在していたけれど、わたしの世代以前は人との不干渉主義を貫いていたんだ。今でこそラルヴァという分類だが、昔は河童や天狗みたいな妖怪天魔のソレでね。遠い過去を遡《さかのぼ》れば、人間と血生臭い諍《いさか》いも起こっていたからね」
 そういう過去の経緯があってか、この島に初めて来て理事会との顔合わせで正体を話したとき、その場にいたほとんどは皆、険しい顔や複雑な眼差しを投げかけていたという。
「そこで一人の理事殿の提案で、名前を変えて暮らすことになった。もちろん素性もね。思えばこれが間違いだったのかもしれない」
 ここではないどこかを宙に見ながら、翠は続ける。
「我らは誇り高く孤高であるべきだ。人間の庇護を受けて、あまつさえ誉《ほま》れある名を踏みにじられるなどあってはならない。……おかしな話だが『両面』という呼び名は、人間が作ったものなんだ。人もラルヴァも、頭に血がのぼると得てして自分の矛盾に気づかないのは同じさ」
 由良は黙っていた。黙りこくったまま、両面族の女の横顔を見ていた。半分顔で、半分お面。
 外部との接触を避け、隔絶された場所で旧態依然と生きる両面族は、不干渉を続け、生物としての生存競争からも退いてしまった。
「郷を支える数が減れば、それだけ文化も伝統も早く衰退していく。もう変えられないことかもしれないけどね。それでもわたしは、時に身を任せたまま、郷が滅んでいくのをただ憂いているわけにはいかなかった」
 だから翠は一族の代表として、双葉学園に正式な助力を求めた。
「学園側は両面族《こちら》の存在を古くから知っていたけれど、さっき言った昔の争いのこともあって冷えきった関係だった。むしろ敵対していたといったほうが正しい認識だろう。だが、お互いに組織は一枚岩ではない。わたしが学園と友好を結ぼうとしたように、学園にもラルヴァとの和を尊《たっと》ぶ御仁もいた。条件は多々あったが、学園はわたしたちを受け入れてくれた」
 その反動が、これだ。
「わたしたちとは別に、郷の未来を憂慮した一部の者が、郷の宝とも呼べる勾玉《まがたま》を盗み出し、それをどこかへ隠してしまった。大方、学園にでも奪われると思い込んだのだろうね。そしてどういうわけか、わたしのいるこの学園島に勾玉があるという報告を受けた」
 はっとして由良がようやく声に出した。「それが先月の六人……」
「どうやら刀工職人の装飾材に使われたらしくてね。元が小指ほどの小さな勾玉で、多少の魂源力《アツイルト》を増幅させる効果があったから、六つすべてが異能力者の手に渡っていた。彼らには申し訳なかったが、事情が事情だから少しばかり強引な手を取らなくてはならなかったのさ。まあ、中には話しに納得して快く返してくれた子もいたけれど」
 噂の段階で事件が終息したのは、各人に学園から正式な説明がなされたかららしい。
「事情は大体わかりましたわ」
「と言っても、まだ全て信じてはいないという感じだね」
「当然。ひとまずはそれで納得するというだけです」
「手厳しいな」翠は大げさに肩をすくめてみせた。
「あとは一昨日の事ですわね」
 その返事に、意外なところから答えがあがった。
「スクナ様、申し訳ありません。その件に関しての非は自分にあります」
 ベンチに座ったままの二人の前に、津志雄がきっちりと正座している。二人、というよりは翠の真正面に跪《ひざまず》いているというのが正しいか。由良と対峙したときと違って、妙にかしこまったな喋り方をする。
「だいぶんにやられたようだね、まだ体は痛む?」
 と、津志雄の態度を当然のように翠はかまわず訊いた。
「毛ほどにございません」下げた頭のまま片目で由良を一瞥する。「しかしながら、かような小娘に不覚を取るとは我が両面族の名折れ、どうかこの不甲斐ない自分を」
「津志雄、今はそれは重要なことじゃない。キミが関わった一昨日の件というのを話してくれ。それと付け加えるが、人前ではわたしは翠だ」
 翠の思いがけず厳しい口調に由良が驚き、津志雄は砂を噛み締めるような歯切れの悪さで言う。
「一昨日の一件は自分の独断でやったことであり、スク――姉さんの手を煩わせるつもりはありませんでした」
「前置きはいい。それで、キミは学生に危害を加えたのか?」翠の語気には苛立ちが垣間見える。津志雄の不始末が、郷の再興に差しつかえることを懸念しているのだろうと由良は思った。
「は? いえ、あれは郷の勾玉を学園島に運んだ者を誘い出すための狂言強盗。いわば罠です」
「狂言? どういうことですの」
 ついて出た由良の疑問に、津志雄はふんと鼻で笑い飛ばすと得意げに話し始める。
「すでに六つの勾玉は姉さんが回収し終えていたが、とある情報からそれを奪おうと画策する輩《やから》がいると聞いてな。そこで俺自身が、まだ別に勾玉があると誤った情報を流すために囮になったってワケだ」
「となれば事の真相は」
「そうだ。だから誰も傷つけていなければ、誰にも迷惑はかけていない」
 顔を上げ、どうだと言わんばかりな威勢の津志雄だったが、遮るように翠が口を開いた。
「自作自演とは……風紀委員殿にとっては迷惑な話だろう」
 ビクゥ! と肩を震わせ、再び頭《こうべ》を垂れる津志雄。
「被害に遭った中等部って、あなたでしたの?」
 平均的な中学生の身長よりやや高い由良が女ということを差し引いても、同学年の異性で彼女の頭ふたつ分も背丈のある生徒などほとんどいない。由良は拳で軽く口元を隠して、津志雄の顔に向かってもう片方の手で指差した。
 そしてぼそりと呟く。「言われてみれば老け顔……」
「おい、指をさすな!!」
 違和感は不意にやってきた。
 由良たちの周りをあてこすりながら流れていた夜の冷気が、横から何かで仕切られたようにぷっつりと途切れた。自動ドアが閉まる寸前に駆け込んできたような風が、ふわりと三人のもとに運ばれる。
「空気が停まった」
 翠も気づいたらしく、ベンチから立ち上がると、暗闇に目を向けて言った。
「何か、妙ですわ」
 津志雄は相変わらず正座したまま、周囲を見渡している。警戒というより、翠がそうしているからそれに倣っているだけの意味が強い。
「キミ、あー名前はなんだっけ」
「那由多由良」
「じゃあ那由くん。携帯機能のある学生手帳を持っていたら、どこでもいいから電話をかけてもらえないか」
「那・由・多が苗字ですわ」
 由良がコートのポケットからモバイル手帳を取り出し、手首を軽くスナップさせてディスプレイを開いた。が、ぱちりとすぐにしまう。
「圏外ですわ」露骨に不信感を滲ませて訊いた。「どういうことですの、これ」
 答えず翠は手近な小石を拾うと、靴のつま先で芝生を叩いた。そして地面の感触を確かめてから、目線より少し斜め上に形のいいフォームで遠投した。放物線という緩やか軌道ではなく、小石は比例グラフのように直線的に飛んでいく。常人離れした力。それは津志雄と共通しているが、頭に狐面をつけている以外やはり姿かたちは由良と違わない。翠の投げた小石はあっという間に闇へ消える。同時に、かつんと硬い反響音が耳に届いた。
「空間が閉じている」
「姉さん! 何者かが結界を張ったんですどわァ!」
 ようやく事態を呑みこんだ津志雄が体を起こそうとしてひっくりかえった。足が痺れてしまったらしい。それを無視して翠は由良に向き直る。
「多由良くん、先に謝っておくよ。面倒に巻き込んですまない」
「わざとですよね? 人の名前が区切るとこ分かりづらいと知っててやってますわよね?」
 しばらくじーっと見つめあったあと、
「てへっ」翠は学院生にあるまじきウィンクと作り笑顔で応えた。
 手に掛けた国綱がギリギリと声にならない悲鳴をあげている。 
「『稀代《きだい》の宿儺《スクナ》』と謳われしそなたが、こうも易々と術中に嵌《はま》るとは拍子抜けぞ」
 そこに老齢な第三者の声が割って入った。由良たち三人は、糸で引かれたように一斉にその方向へ振り向いた。闇の帳《とばり》を潜り抜けたように、すっと人影が現れる。
「堂仙《どうせん》殿」
 その姿を認めた翠が名を呼んだ。
 老人は一人だった。全身を包み込む暗色のクロークを纏《まと》い。唯一露出している顔には、深く刻まれた額の皺《しわ》の下で力強い双眸《まなこ》が開いている。きりっと背筋を伸ばし長い白髪を後ろに絞ってまとめた姿には、若者と遜色ない気風が漲《みなぎ》っているのを感じられた。
「郷の重鎮の一人であるあなたが、なぜこのような場所に?」
「そこの馬鹿者はともかくとして、そなたがここに来て愚問を吐くとは思わなんだわ」
「なんだと!」
 そういうことには察しの良い津志雄が叫ぶのを、一歩前へ踏み出した翠が手で制した。
「このような状況であるからこそ、わたしはお尋ねしているのです」
 感情を押し殺した声で翠が言う。堂仙は響きのいい低音で答えた。
「郷の宝の回収と、それを持ち出した者の処罰」
 時代劇の大名の重臣会議で見る、ゆっくりと評定を述べる家老のような喋り方である。
「ふん、勾玉はもう姉さんが集め終えている。盗んだ者もすぐ捕まる。あんたの出る幕じゃない」
「馬鹿者が。まだ分からんのか」
「あなたたちに盗みの罪をおっ被せて、その勾玉を手に入れると言ってるのでしょう、この老人は」
 嘆息した由良は一人ベンチに座りこむ。身内の話は身内でやればいい、と最短の時間で結論を下した。
「じゃあ、俺が聞いた勾玉を狙ってる人物がいるってタレコミは」
「あの噂を流したのは儂《わし》だ馬鹿者」
「酷い道化《ピエロ》はですわね……」
 由良が呟き、翠は無言で夜空を仰ぐようにして、右手で顔を覆う。
「この場合は当然、すでに勾玉は堂仙殿の手にあるのでしょうね」
「これほど淀みなく事が運んだことに、そなたの罠ではないかと空恐ろしく感じたぞ」
 てるてる坊主のような堂仙のクロークからぬっと手が伸びた。指と指の間には色鮮やかな六つの勾玉が挟まれている。
「あっさり奪われてるんですか」
「郷から学園島へ移住した者は全員が住所を知られている。それは連絡を取りやすくするためであって、同郷から襲撃されるなど、欠片も想定していないからね」
 苦々しそうに翠が吐き捨てた瞬間、由良の目の前で彼女の体が膝からがくりと折れた。同時に後ろで立っていた津志雄も、受身もなしに顔から倒れた。
「何が――」
「爺ィ!!」
「忘れたか、この辺りには儂が界を結んでおる」
 大きな反応を見せず、堂仙は冷ややかな目で二人を見下ろしている。
「宿儺の名を冠した身でありながら、儂の動向に気を配らないその体たらく。『宿儺』とは、我ら両面族を体現する名であって、馬鹿者の称号ではないのだがな。落ちぶれたものだわ」
「信頼の裏返しだったと思っていただければ、嬉しいところですが」地面にべったりな津志雄と違い、翠は両手と膝をついてなんとか堂仙の術に抵抗する。涼しげな表情だが、額には玉のような汗が浮いている。「堂仙殿、あなたはこんな遠回りなやり方でなく、真っ向から挑む御仁であったはず」
「老いぼれがそなたらに正面からやり合えば結果は必定。元より儂の『般若の面』は術や奇策に長けた智恵の面。どこぞの馬鹿者でもあるまいし、仮にも宿儺のそなたを相手にそこまで頭は堅まっておらんよ」
 すでにそれが決定事項であるかのように、堂仙は厳かに告げる。
「郷は儂が立て直す。そなたから宿儺の名を奪った後でな」
「世迷い言を」翠が小声で吐き捨てた。
 そこでようやく堂仙は由良に視線を向けた。
「そこな小娘よ、儂の『鬼やらい』は人の子には効かん。両面族でなければ境界を出入りをするのに造作ない。早急に立ち去るがいい」
 威圧をこめた眼光で、静かに言い放った。
「邪魔立てするのなら、命はない」

     六

 薄いベールを重ね合わせた夜の闇は一層深くして、空に刳《く》り貫かれた穴からは星が瞬いている。周囲にこの夜空を遮るものは何もない。
「キミにわたしたちの、ラルヴァ同士の争いに関わる必要はない。堂仙殿が言ったとおり早くここを離れるんだ」
 由良のほうを振り返らずに翠が言った。首をめぐらすことですら、今の彼女には身を削る行為に等しい。堂仙の『鬼やらい』というものが目に見えて影響力を放っているわけではないので、由良は自分にそれを置き換えて想像することができない。
「ではあなたたちはどうしますの? この期に及んで話し合いだなんて春爛漫お花畑なことをおっしゃるなら、別に止めはしませんけど」
 いちばん得られない答えを真っ先に示しておいてから、適当な調子で問いかけた。
「自分でケジメは、つけるさ」
 練り固められた石膏を剥がすように、ぎちぎちと体を震わせながら起き上がろうとする。
「そう」言って、由良は翠の前に立つと国綱の柄に手をかけた。「ま、訊いてみただけですわ」
「バカが! お前、調子に乗るなよ!!」 
 津志雄が叫ぶのを構わず、太刀を抜きながらさらに前へ進み、対峙する。
 ほう、と堂仙が驚きとも呆れともとれるため息を漏らした。
「袖擦りあうのも多生の縁。ラルヴァか人間かだなんてこの際どうでもいいですわ。あなたもこの島の住人でしょう。理由なんて、それだけで十分」
 ゆるやかな動作で太刀を堂仙へ構える。
「弱きを助け、悪を挫《くじ》く……おあつらえむきの状況が転がり込んできたんですもの。逃げる道理はありませんわ」
立ち上がるほど強烈に圧《の》し掛かるかかる『鬼やらい』に耐えながら、翠が苦笑した。「大した子だ」
「弱き者とは」
 ヒュッと、口笛のように陽気な風音が吹いたかと思うと、
「がッ――!?」
 由良の体が浮き、数メートル後方へ飛んで転倒した。
 翠はそのとき身動きのままならない体で確かに見た。先端の尖った棒が由良の体の中心を貫くように飛び込み、鞘と太刀を交差させて防御の姿勢を作ったところで彼女が吹き飛ばされてたところを。
 残っていた衝撃がぴりぴりと両手を伝わり、利き手でない手で握っていた鞘が跳ね飛び、闇の向こうへ静かに落ちた。自分を狙って撃たれた矢のような物体を、とっさに|引き寄せる力《レコンキスタ》で鞘と刃を重ねた位置に吸い寄せて弾いたが、ぶつかった勢いだけは殺しきれず由良自身も大きく投げ出されてしまった。
 とすっと、身を起こした由良の目の前に、その物体が見事に芝の地面に突き刺さる。羽もなく、樫木に両刃の小刀を挿しただけのシンプルな形状の槍。外見は軽そうな棒きれだが、刃と柄を合わせた長さは二メートル近くあり、それが鈍重な一撃を放ったのだ。
「弱き者とは、そこな後ろの馬鹿者どものことか。嘆かわしい。戦の矢面《やおもて》に立つべき宿儺が、ましてや小娘に守られるとは」
 右手に新たな槍を手にした堂仙が言う。組み立て式の簡易槍でなければ、かの老人のクロークの下に隠せる大きさのものではない。人工物でなければ、これも堂仙の術なのか。
(あの槍が無限に作れるのなら厄介ですわね)
 そして堂仙には、目前の戦いに対して不必要な感情を排し、歳月を経なければ到達することのできないある種の老成した悟りが見て取れる。先の津志雄のように怒りや慢心からくる隙は望めない。
「勾玉だ」
 横合いから翠が耳打ちするようにささやく。
「本来『鬼やらい』は、両面族を含むすべての鬼族に通じる拘束の術だ。堂仙殿がその中で動いていられるのは、おそらく勾玉が影響しているんだろう」
「俺と姉さんですらこれだけの圧がかかってるんだ。なのに、あのクソ爺が動けるのはおかしいんだよ!」
 相変わらず地面とキスしている津志雄もヤケクソ気味に賛同する。
「勾玉をどうにかして堂仙殿から引き剥がせば、わたしたちと同じように術の影響下に入る。そうすれば当然、術を解かざるを得なくなる」
「小目標は勾玉、と。にしても魂源力の増幅――便利な物がありますわね」
「術への耐性は、体内の魂源力の循環を高める上での副次的効果さ。両面族に適した血行マッサージ石みたいなものだよ」
 最後の冗談のほうはよく聞き取れなかった。会話に割り込むように、今度は二本目の槍が風切り音を立てて投げられた。不意を狙うのではなく、真正面から堂々と放たれた槍は明らかに速度と威力が増している。
 堂仙は次の槍を持ち上げて構えていた。
 斥力の瞬発力を利用して避けると、由良が斜め前方へ飛び出す。一足飛びに移動して芝生を滑りながら、太刀を下段に移しつつ堂仙へ迫る。由良が地面を蹴ってタッチの差でその着地位置へ堂仙の槍が刺さる。
(このくらいの投擲《とうてき》間隔なら、捌《さば》ききれる)
 残る一歩を斥力で跳んだあと、引き寄せる力に切り替えて由良の視界に堂仙だけが映る距離まで一気に詰め寄る。予想外に接近を早めた由良に、槍を肩に引いて溜めていた堂仙が目だけでその動き追っていた。腕を肩より高く掲げてめくれ上がったクロークからは、首にかけられた小さな布袋を露にさせていた。
(おそらくあの中に!)
 由良は懐から直上にすくい上げるようにして斬りつけた。
 堂仙はおもむろに横向きにして押さえにくるが、バッドのグリップほどの太さしかない槍は真ん中から砕かれる。斥力を帯びた国綱が、刃風を巻いて堂仙の首元に狙いを定める。
 この時、由良は気がつくべきだった。堂仙の周囲の芝生が掘り起こされ、土を耕したようにあちこち盛り上がったり窪んでいたことに。
 由良と堂仙の間から、一本の槍が突き上がった。バネのような勢いで槍の切っ先が太刀に当てられ、太刀筋が僅かに乱れる。
「……なッ!」
 無駄のない太刀の流れは、それだけで必中の機会を逃してしまう。
 堂仙は土中から沸いた槍を掴むと、無言で由良の脇腹を目がけて横薙ぎに振り払った。
 ガンッ!! と硬い音とともに由良の体がごろごろと転がる。
「面妖な」
 ようやく一言を発して、そう評価した。
「それはこっちの台詞ですわ!」
 咳き込みながら、あえぐように呼吸して由良が怒鳴る。彼女の脇腹には骨折の支え木のように太刀がぴたりと貼り付いて、薙いだ槍の直撃だけは辛うじて防いでいた。
「魔術異能……? 違う、ラルヴァだから特性ですか。ああもう! ややこしい!!」
 土塊《つちくれ》から槍を生成する能力。これは堂仙の力の一端に過ぎず、恐らく土壌の物質を自在に変化できると見たほうがいいだろう。
 由良は思考を巡らすより先に前進する。
「神通力の類のようだが、やはり童《わらべ》よ」
 堂仙は目の前に筍《たけのこ》のように生えてきた槍を大雑把に束ねると、でたらめな方向へ投げ始める。五、六本ならば無視もできるが、それが十本二十本と増えると、もうまともに走れなくなる。能力をフル稼働させてそれらを捌き、なんとかして外角へ回り込もうとするが、横殴りの槍の雨は激しさを増していく。
 直線的に飛ばされる槍に混じって、由良の足を刈り取ろうとするように地面すれすれを回転した一本が投げられる。
 正面を見据えると、堂仙が全身を引き絞りながら槍を宙空へ狙いを定めていた。由良が避ける位置を先読みして、悠々と待ちうけている。
 そうだと頭で理解していても、地上を削りながら迫る回転刃を跳ぶ以外に回避する方法が思いつかない。
「くッ!!」
 口の端に余裕を浮かべている堂仙に対し、由良は思い切って跳躍する。
 空気を切り裂く一投が由良を貫かんと放たれた。それとほぼ同時に、身を捩《よじ》りながらスパイクを打つようなフォームで、太刀を堂仙に向かって投げつけた。
「だァあああッ!!」
 太刀と槍が交錯する。
 槍とすれ違う瞬間、由良の魂源力が練りこまれた太刀は、磁石の同極同士が反発しあうように槍の動きを変化させる。
 精細な一撃は、それだけで必中の機会を逃してしまう。
「太刀で儂の素槍の軌道を反らしたか」
 堂仙は動じない。太刀は避ける必要もなく、堂仙の遥か後方へ飛んでいった。
「これは私の手垢《アツイルト》にまみれた国綱《この子》だからこそ、実現可能な芸当ですわ」
 ごぼごぼと大地を変成させて槍の束が現れる。唯一の得物を失った由良に、堂仙が手心を加える理由はない。
 耳元を飛び去った槍の残響音を聞いて、斥力の行使を止めた由良の体がぐらりと揺れる。落下する由良はバランス感覚を失い、宙をもがくように手を広げ、
「戻れ」
 糸を繰る人形師のように右手を大きく引いた。
 堂仙の背後でカタカタと金属の震える音が鳴ったと思うと、振り返るよりも速く太刀が襲いかかる。
 槍束を抱えた体では、大きく動くことは簡単ではない。
 由良は一つの賭けをしていた。翠の言う『鬼やらい』が本当に確かなら、堂仙は彼らのように身動きができない。だが現実には、容赦なく攻撃が放たれ、堂仙は平然と立っている。 
 ならば前提を変えて考えればいい。初撃で由良が斬り上げたとき、堂仙が避けずにとっさに受け止めようとしたのは。二度目の攻勢で、由良が回り込んで間合いを詰めようとして猛烈な槍の雨で牽制したのも。それは堂仙が自分の立っている場所から|動くことができない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》という条件があったから。
「ぬぅ!!」
 初めて堂仙の声に焦りが生じていた。
 横に仰け反り、そのはずみで首に提げていた布の袋が大きく揺れる。
 点と点。ちょうど由良の右手と太刀を結ぶ直線上に、それが飛び出す形になる。
 太刀の切っ先が、布袋の紐を切り裂いた。宝石みたいに鮮やかに光る六つの勾玉があたりに散らばった。
「ぐぉ――ッ!!」
 苦悶に顔を歪め、唸《うな》ると同時に堂仙が片膝をつくと、手にしていた槍が砂に溶けてさらさらと指の間を零れてゆく。
 四つん這いに崩れ落ちた堂仙の頭の後ろ、背中合わせのように浮かぶ般若の面。虚空を見舞う鬼の面は、一片の感情しか持たぬはずなのに、苦痛や怒りや恨みといったものが夜光の加減で万別の表情を見せている。
 この老人も、人ではないのだ。
「小賢しい真似を! 小娘が!!」
 言葉を返さず、芝生に降り立った由良が堂仙へ突っ込む。
 右手には太刀、左手には闇から引き戻した鞘が握られていた。由良は唇を舐め、口を固く結んだ。その一挙動のうちに太刀を鞘に納める。
 堂仙が何か呪文めいた口上を呟くと、『鬼やらい』が解放される。澱《よど》んで靄《もや》がかかっていた夜空は澄み渡り、手の先に伝わる夜気の感触が意識を鮮明にさせる。
「馬鹿者が!!」
 堂仙が大喝し、ずしん、と大地が一息に微動したかと思うと、同時に大木のような土の柱が隆起し始める。
 由良はめくれあがる地面から突き出される柱を、風に踊る木の葉のようにふわりと躱《かわ》し、腰元に国綱を携えたまま走る。敵をひたと見据え、まばたきをすることも忘れた少女は無心に踏み込んだ。
「そう容易《たやす》く儂に近寄れると思うたか!!」
 二人の距離が残り三メートルくらいまで縮まって、分厚い土壁が由良を呑み込むように立ちはだかる。津波のように壁がドーム状に由良を覆い始め、舌打ちした由良が太刀の鯉口に手をかけて声が飛んだ。
「立ち止まるな」
 凄まじい衝突音と共に、堂仙の生んだ壁が真横から爆発する。ゴォッ!! と爆音に続いて熱波があたりに充満し、酸素を食い焦がす焔《ほむら》の塊が由良の眼前を突き抜けていく。
「そなたは、あくまで人に与《くみ》するか……」
 堂仙の呟きが聞こえ、視界の隅に女が映る。狐面を被り、稲穂色で黄金の長髪が九つの束に分けられた先に、蒼い炎が燈《とも》っていた。
 地を焼き、陽炎の揺らめく先に立つ、両面宿儺《リョウメンスクナ》の名を持つ女に老人は叫んだ。
「宿儺ァァァアアアア!!」
「――っ!!」
 堂仙の怒りが噴出する。由良は迷わずその胴に向かって、居合いに構えた太刀を振りぬいた。
 寒月に響く絶叫は、そこで途絶えた。

     七

 喫茶店〔ディマンシュ〕の外の通りが眺められる窓際席で、唐橋《からはし》悠斗《ゆうと》は狼狽えていた。テーブルを挟んだ向かい側の相手は、追加注文が運ばれるまでのあいだ、手持ちぶさたそうに爪の手入れをしている。毛先の柔らかそうな栗色の長髪を腰まで垂らし、豊満なスタイルをおくびもなく誇示し、椅子の座り方やカップに添える手の運び方、それらを上品に魅せる仕草が自然で女性らしい。のだが、
「あの……そろそろ帰ってもらえませんか」
 悠斗は心底うんざりした様子で静かに言った。
「つれないわね」
 目の前の女(厳密には悠斗と一つしか年齢の違わない少女だが)、弥坂舞は頬を膨らませて言い返した。
 学園島での生活も落ち着いて、自分に使う時間に余裕が出来始めた頃、渡りに船とばかりに、悠斗は学園の掲示板で手頃なアルバイトをみつけた。さほど華美でない店構えや仕事がそれなりに気に入ったまでは良かったが、まさか見知った人間が働いているとは露にも思わない。
「かれこれ二時間、コーヒーのおかわりだけでいくら粘るつもりなんだよ」
「あたしが飽きるまでかしらねー。お店もいい雰囲気だし、気に入っちゃったかも」
「少しは店の迷惑を考えて……」
「あら、そういうことはお店の人が決めることでしょ。ねぇマキナちゃん?」
 いつからそこにいたのか、盆にふたつのカップを載せたウェイトレスの森村マキナが隣に立っていた。突然呼びかけられたことに驚くことなく会釈を返し、丁寧な手つきでテーブルにコーヒーを置いてゆく。
「それだけくつろげる場所になっているのなら、わたしは歓迎ですよ」
 ほーらと、弥坂はカップに口をつけながら目配せしてくる。 それから窓の外へちらりと視線を巡らせると弥坂は言った。
「でもこの季節は昼も短いし、夜中まで女の子が働くのはお姉さん感心しないなぁ」
「自分の心配はしないんだな」
 悠斗は独り言のように呟いたが、弥坂は目ざとくそれを拾い上げる。
「あたしのこと気遣ってくれるの? でもいいのかしら、マキナちゃんがいるのに他の女にコナかけちゃっても」
「どうしてあんたはすぐそういう話にしたがるんだ!」
「ふふっ、わたしはマスターに帰りはいつも寮まで送ってもらっていますから、大丈夫ですよ」
 お盆を胸のまえで抱えて笑みを隠しながらマキナが言う。
「残念ねえ悠斗くん、送り狼の出番はないみたいよ」
 本気なのか冗談なのか分かりづらい軽口で答えて、メニュー立てに挟んであった伝票を掴むと立ち上がった。
「さて、と。お姉さんはそろそろお暇《いとま》しましょうかしらね。マキナちゃん、お会計よろしく」
 マキナに先を促して、弥坂はスカートより丈の長いコートを羽織りにストールを首に巻きはじめる。慌てて悠斗が財布を出すより先に、弥坂がそれを遮った。「奢るわよ。可愛い後輩君には先輩風吹かせておかないとね」
「マジか! そういうことなら遠慮なくありがとうございます!!」
 ドーモゴチソウサマデシタ! とやや大げさなリアクションで頭をさげて感謝する。
 本当のところ、今月はお財布の事情が厳しいのである。最近になって、友人の鵜島《うしま》に誘われたゲームセンターで思いがけず散財してしまい、気がつくと専用のプレイカードまで作ってしまった始末だ。〔ディマンシュ〕でくつろいだりするが、唐橋悠斗は根っこのほうでは苦学生なのだ。だが、金にがめついわけでもないし、ましてや守銭奴ではない。出費を抑えるところは抑え、そのぶん使うべきところでは惜しみなく投資する経済的思考だ、と常々自身に言い聞かせている。アルバイトもその一環だった。
「……なんかだか現金すぎる態度がムカっ腹だけど、まぁいいわ。明日のシフトは今日より少し早いこと忘れないでね」
 バーイと、弥坂はこちらも見ずに手を振って店を出て行った。清算を済ませたマキナが戻ってくる。
「お疲れ」
「唐橋さんこそ、お疲れ様です」
「うん? あー、どういたしまして?」
 気のない返事をする悠斗だが、マキナが言っているのは弥坂のことだろうと思った。
 弥坂と〔|ディマンシュ《ここ》〕にいた時間の大半は、幼馴染がうるさいとか店の常連の子に友達が少ないだの、彼女の身の回りの世間話ばかりだった。仕事でのアドバイスも的確で、世知にも長けて良い先輩なのだが、そういう女子高生全開なところは、悠斗としては苦手なタイプなのかもしれない。
 そして、大きな欠伸が悠斗の口から漏れた。まだ仕事気分が抜けていなかったのだ。弥坂が帰ってからようやく疲労感を覚え、それを自覚すると急ふわふわした眠気が瞼《まぶた》を押さえてくる。
「客はもう俺だけなのか」
 目をこすりながら眠気から逃れるように、思わずマキナに訊いた。子供っぽい仕草が面白かったのか、いつもこの店でピアノを弾く少女を見守るような穏やかな笑顔で応える。
「いいえ、唐橋さんの他にまだ奥の席に三名ほど」
 軽く首を振って、白い手で通路の先にある隅のテーブルを指す。
「気がつかなかった。よっぽど疲れてるのかな俺」喋っていてもまたうつらうつらとしてきたので、悠斗は気付《きつ》けがわりにコーヒーを一気に流し込む。
「ふふふ、よかったら祈ちゃんの毛布でも貸しましょうか? 悠斗くん」
「――おぶッ!?」
 出し抜けに名前で呼ばれて唐橋悠斗が咳き込んだ。何か言いたかったけれど、気管に熱いコーヒーが雪崩れこんできてそれどころではない。
「ご、ごめんなさいっ! 弥坂さんが呼んでいたのを真似したつもりだったんですけど!」
 驚いたマキナが背中をさすってくれていると、離れた席から騒がしい声が聞こえ、
「何いきなり言い出すんですかあなたはッ!!」
「いや、郷の繁栄と学園島との友好にはやはり縁《えにし》を結ぶのが手っ取りばや」
「姉さん!! どうして俺がこんな野蛮な女とけ、けけけ結婚を前提に付き合わなきゃならないんですか!?」
「私だってこんな父っちゃん坊やみたいな面《ツラ》は御免被りますわ!」
「や、拳と拳で始まるロマンスとか、ね?」
「「知るかー!!」」


 -了-


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