【ミッドナイト・パニック 前編】


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 奇妙な音が聞こえる。
 それは芝刈り機のような、何か金属が回転する音のように思えた。
「何の音だ?」
 夜中の国道を走るトラック、その運転手は眠っている助手席の相棒にそう尋ねた。相棒もその怪音で目が覚めたらしく重い瞼をこすりながらその音に聞き耳を立てる。
「……後ろから聞こえるみたいだな」
「おいおい、まさか“荷物”が動き出したのか? 勘弁してくれよ」
 運転手は冷や汗を垂らしながら後ろに意識を集中させる。確かにその音はトラックの後ろのほうから聞こえてくるが、荷台の中からではない。そう、それはその荷台の上から聞こえてきているようだった。
「どうするよ」
「どうするって、急がないといけないし……。だけどもし“荷物”に万が一のことがあったら俺たち殺されるな」
 ――殺される。そんな物騒なことを口にした運転手の顔は青く、冗談を言っている様子ではなかった。
「ちょっと停まって見てみようぜ。どうせこんな辺ぴなところ、しかも真夜中に他の車も通らないだろうし大丈夫だろう」
「……そうだな」
 相棒の提案にのり、運転手は道路の脇にトラックを停めた。外に出ると冬の冷たい空気が頬を切り、呼吸のたびに肺が傷つけられるように寒かった。
「寒いな。エンジン切るなよ、暖房はつけとけ」
「わかってるよ。早く見てこよう」
 二人は荷台の鍵を開け、実際に開けて中を覗いてみるが、中は暗くよくわからない。だがその“荷物”の息遣いは聞こえてきて、二人は“荷物”が無事であると判断し、ほっと胸をなでおろした。
 しかし、あの奇妙な金属音はまだ聞こえてくる。
「“荷物”に異常はないな。やっぱりこの上から聞こえてくるみたいだ」
 運転手はそう言い、二人はトラックから少し離れて荷台の上を確認しようと後ろに下がる。
 そして二人はようやく|それ《・・》に気付いた。
 トラックの荷台の上に人影があった。月明かりに照らされ、次第に輪郭がはっきりとしていくその人影は、実に奇妙なものだった。
「お、女の子……?」
 その人影は小柄で、“少女”と呼ぶのが相応しいであろう。
 その少女は実に奇抜な格好をしている。まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのように、この夜の国道、しかもトラックの上という状況に相応しくないものであった。
 その少女は真っ黒なセーラー服に身を包んでいた。短いスカートがひらひらと動き、角度によっては下着が見えてしまうだろう。彼女の長髪はバラの形をした髪留めで二つに結われて風に揺れている。
 そこまでならいい。そこまでならばただセーラー服を着た少女がトラックの上に乗っているという|だけ《・・》の話だ。
 二人が唖然としていたのはその少女ではない。いや、それも十分二人の言葉を失わせるには十分だっただろう。だがそれ以上に不可解な物がその少女の右腕から|生えて《・・・》いたのだ。
「な、なんだこいつ……」
 あの奇妙な金属の回転音はそこから発せられていたと二人は理解した。
 その少女の右腕から生えている巨大なチェーンソーの刃が高速で回転している音だと。そのチェーンソーは少女の肘のあたりから直接生え、エンジン音が轟いている。左手でそのチェーンソーの取っ手部分を握り、こちらを見下ろしていた。
「こんばんはなのぉ。お仕事お疲れ様ですぅ。わたしおじさまたちみたいな働く男の人って大好きなのぉ。お兄様に比べたら月とゴキブリくらいの差がありますけど♪」
 その少女は天使のような可愛らしい笑顔を二人に向けた。その声も甘く、本当にただの子供のようにしか見えない。
 だが運転手もその相棒もその少女がどういう存在なのかを一瞬で判断した。
 二人は裏の世界で生きる非合法な運び屋だった。それゆえに|そういう《・・・・》存在には敏感だった。
 少女のどす黒い濁った眼は彼らが何度も見たことがあるものだった。
 それは、人殺しの目だった。
 それもプロの殺し屋に違いないと二人は考えていた。この裏の世界は、見た目で判断してはならない。どれだけ愛くるしい見た目をしていても、殺し屋は、殺し屋だ。圧倒的な暴力で人を死に至らしめる。
「おい相棒……。あいつは……」
「ああ、もしかして――」
「畜生。だからやめとけって言ったんだ今回の仕事は。この“荷物”は俺たちには重すぎたんだ……」
 どれだけ愚痴を言ってももう引き返せない。
 運転手はポケットから拳銃を取り出した。相手が殺し屋である以上、自分たちの身は自分たちでは守らなければならないだろう。たとえ相手が少女であろうとも、隙を見せればこちらがやられる。
「いやぁ~。そんな物騒な物ださないでほしいなぁ。あたし拳銃って苦手なのぉ。怖いんですもの」
 少女はころころと表情を変えながら二人を嘲笑っている。相棒も拳銃を取り出し、少女に銃口を向けた。二人も運び屋とはいえ裏世界に生きるものたちで、たとえ相手が子供であろうと容赦も油断もしてはいなかった。
「わたしとやるんですの? 悲しいですぅ」
 少女はそう溜息をつくと、ふっと表情を消し、氷のような冷たい目を二人に向けてる。
「おじさんたちはかっこいいですけど、それでもわたしは“お兄様”のためにその荷物をもらっていかないといけないのぉ」
「やはりあれが目的か……。あれを引き渡すわけにはいかない!」
 運転手はしぼるように銃口を握り、その引き金を引いた。静かな夜の道路に銃声が響き、銃口からは煙が出ている。
 確かに銃弾は放たれ、少女のほうへと飛んでいったはずだった。
 だが弾丸は空を切り、夜の闇に吸い込まれていった。なぜならそこにはもう少女がいなかったからである。引き金を引くほんの一瞬で、その少女はトラックの荷台から姿を消していたのであった。
「あいつ、どこに消えた!?」
 運転手が横を振り向き、相棒に尋ねようとしたが、相棒は何も答えてはくれなかった。いや、語るべきを口が彼にはもうなかったのである。
 相棒の首はもう、そこには存在しなかったからである。
「え――?」
 彼は一瞬自分が何を見ているのか理解できなかった。だが確かに相棒の首は胴体の上に乗っておらず、切り離された首の断面から血が噴水のように溢れ出て、運転手の顔に飛び散ってくる。
 その惨状に混乱し、何が起きているのか理解する前に、運転手は自分の手首から先が無くなっていることに気付いた。拳銃を握っている自分の手が地面に落ち、血が洪水のように溢れる。
「あが――」
 叫び声を上げようとした瞬間、声が喉から抜けていく感覚を覚えた。それもそのはずである。運転手の首もまた、宙を舞っていたのだから。
 彼が最後に見た光景は、自分の胴体が何十分割もされて地面へと崩れ落ちていく姿であった。



MIDNIGHT★PANIC





 瀬賀《せが》或《ある》は医者である。
 いや、ヤブ医者である。
 いやいや、彼はそもそも医師免許を持っていない、モグリの医者である。
 いやいやいや、そもそも彼はもう医者と名乗ってすらいない。
 彼は、そう、言わば“保健室の先生”と呼ぶのが一番正しいだろう。
 だが彼は教員免許も持っておらず二年の保健の授業を担当しているが、正式な教師ではないようだ。双葉学園、その高等部の空き部屋を保健室としてお情けで借りているだけである。
「ファック! また大外れだドチクショウ!!」
 ヤニと薬品の臭いが充満するその保健室でそんな叫び声が響く。瀬賀はイヤホンを耳から外し、書類と雑誌で散らかっているデスクの上のラジオを蹴り飛ばした。ラジオは壊れたようにノイズを発し、地面にたたきつけられたころには完全に沈黙してしまう。
「ちっ、これで今月の当ては完全に消えたな。給料日までどうやって生きるかな……」
 瀬賀は椅子の背にもたれかかり煙草を一本取り出して、苛立ちながらライターの火をガシガシとつけた。
 煙草を口にくわえ、ふうっと煙を天井に向けて吐くと、ようやく落ち着いたようである。しかし煙草を吸っても目の前の現実は変わらず、競馬のレースの結果は彼の望むものではないままだ。ボサボサの髪をぼりぼりと掻き、どうしたものかと頭を抱えた。
(またしばらくパンの耳生活か。春奈《はるな》先生から苺ジャムでも分けて貰おうかな)
 瀬賀は肩を落としながら保健室の白いベッドへとダイブした。ここ以外にも治療設備の整っている保健棟が存在するため、不良保健医と評判の瀬賀の部屋には滅多に生徒はこない。このベッドもほとんど彼専用になりつつあった。
 瀬賀はまだ二十五歳と若く、大学どころか高校も出ておらず、十代の頃からずっとサンフランシスコで暮らしていた。そこで彼は自分の“能力”を利用して、裏の世界の住人を相手に闇医者をして生活していたのだが、とあることをきっかけにこの双葉学園で雇われることになった。
 だが特にラルヴァの戦闘や援護に駆り出されるわけでもなく、彼にとってここでの生活は退屈そのものであった。
(しっかしつまんねーな。サンフランシスコにいた頃は毎日頭の上を銃弾がかすめていったもんだけど……)
 瀬賀は煙草をくゆらせながらダメージの入ったジーンズのポケットに手を突っ込み、保健室を出ていこうとしていた。
 どうせ自分がここにいても客なんてくるわけもなし――そう思いながら瀬賀はどこか外をブラつこうと保健室の扉に手をかける。堕落した大人である瀬賀にとってここは娯楽の少ない言わば監獄に近いものである。仕方なくマンガ喫茶で暇をつぶすかと考えていた。
 だが、そんな瀬賀の思惑は突然の珍入者によって遮られることになる。
「ごらぁ出てこい瀬賀ぁ! ぶっ殺してやる!!」
 突然そんな叫び声と共に扉は豪快に開かれ、金属バットを振り回しているガラの悪い男子生徒が保健室に入り込んできた。
 それを見て瀬賀は慌てるというよりは呆れた様子で、やれやれと溜息を洩らす。
「なんだお前。何の用だ。保健室に来るってことはどっか悪いのか? いや、頭が悪いのはわかってるからいちいち報告しなくていいぞ。ほれ、回れ右して帰って寝ろ」
 瀬賀が小馬鹿にしたように大げさに煙草の煙を吐きながらそう言うと、その男子生徒は頭の血管を浮き立たせ、顔を赤くしていた。いわゆるプッツン状態である。
「ふざけんな瀬賀! お前が真由美《まゆみ》を誘惑したんだろ! 生徒に手を出しやがってこのクズ教師!」
「真由美ぃ?」
 瀬賀は首をかしげる。必死で記憶の海を検索し、なんとかその名前を思い出した。
「ああ、この間俺に告白してきた女か。なんだ、あいつお前の彼女だったのか?」
 真由美というのはここの二年生だ。数日前に瀬賀はその少女に告白されたのだが、いわゆる『ギャル』っぽい少女で、瀬賀の趣味とは正反対だったため、すぐに断ったはずだ。
「そうだ、お前が真由美をたぶらかしたんだろ!」
「答えはノーだ。向こうが勝手に告白してきたんだよ。お前が彼氏なら裏切ったあの子を責めろよ。俺の知ったこっちゃねーっての」
「うるさい! お前がいなければ――!」
 男子生徒は無茶苦茶なことを言って金属バットを振りおろしてきた。瀬賀はそれをさっと裂け、床にバットの頭が当たり、耳をつんざく金属音が部屋に響く。瀬賀はまいったとばかりに頭を掻く。
「ファックシット! すぐに暴力に訴えてくるなよ、猿かよてめーは」
「うるせえ! 覚悟しろ!」
 男子生徒は何度も瀬賀に向かって金属バットを振り回してくる。しかしサンフランシスコでヤンキー相手に毎日のようにストリートファイトしていた瀬賀にとって、彼の攻撃は子供の駄々と変わらない。
「ちっ、めんどくせーな」
 瀬賀は咥えていた煙草をぷっと吐き出し、その男子生徒の顔に当てた。火が額に当たった彼は、「あつっ!」と叫び、反射的に目をつぶる。それを見逃さなかった瀬賀は、彼の足を引っ掛け、バランスを崩して倒れこんできた瞬間に腕を締め上げ、そのまま回転するように彼の顔面をデスクの上に叩き伏せた。その拍子に金属バットは男子生徒の手を離れゴロゴロと床を転がっていく。
「ったくあぶねーな。金属バットは野球するものであって人を殴るもんじゃねーぞ」
「いでえ! いてててて! せ、生徒が教師に暴力振るっていいのかよ!」
 男子生徒はねじ伏せられながらも、必死で目を動かし瀬賀をねめつけている。
「ヘイヘイ、チェリーボーイ。俺は別に真っ当な教師でもねーよ。大体な、ここは保健室だ。保健室では俺が神だ。保健室で保健医に勝とうなんて一兆年早いっての。手首へし折るぞ」
 瀬賀は締め上げた男子生徒の手首を、さらにギリギリと痛めつける。
「いでででででででで!」
「いいかクソガキ。身体の治し方知ってるってことは、同時に身体の壊し方も知ってるんだよ」
 そんな冷たい声を耳元で囁かれ、男子生徒は完全に黙ってしまった。そうしてようやく瀬賀は男子生徒を解放し、蹴り飛ばして保健室から追い出した。
「ほれ、湿布やるからもう二度と来んなよ」
 ぺいっと湿布を男子生徒の背中にぶつけ、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。
(まったく。元気有り余ってるな若い連中は)
 これが瀬賀の日常だった。暴力的で横暴な性格の彼には敵が多い。なまじ端正な顔をしているものだからこうして女性関係の揉め事も多いようだ。もっとも、彼にとってここの生徒は興味の範囲外であろう。どうやら瀬賀は自分より歳が上の女性が好みのようだ。
 瀬賀が扉から離れようとすると突然、
「大変大変大変だよー! 瀬賀せんせーいるー!?」
 誰かがそう叫びながら扉を開き飛び込んできた。
(今度は誰だよ……ふぅ)
 校内暴力生徒が去って行ったかと思うと、入れ違いで今度は別の生徒がやってきたようだ。
 目の前に瀬賀がいるのに飛び込んできたせいでその生徒は瀬賀のお腹と正面衝突してしまう。だがその生徒は小柄で、体重も軽く、ぶつかった衝撃はほとんどない。瀬賀にぶつかったその生徒は「あれー目の前が真っ暗だよ~」と呻いている。瀬賀はその生徒に見覚えがあり、呆れながらその生徒の襟首を掴み上げて引き離した。
「何が変態変態変態だ。変態はお前だろ有葉《あるは》。いい加減そのある趣味の人間の欲情を誘う格好はやめろっての」
 その人物、有葉《あるは》千乃《ちの》は小学生と勘違いするほどに小柄で、ブレザーにスカートを穿いている。だが有葉は女の子ではなかった。れっきとした高校生男子である。もっとも、そう言われなければ絶対に気付くことはできないほどに愛らしい容姿をしているのだが。彼は二年H組の生徒で、そのクラスの保健の授業は瀬賀が担当しているのだった。
 しかしいつもニコニコとしている有葉だが、今は少し焦っているような表情をし、ばたばたと腕を動かして瀬賀に訴えていた。
「違いますよぉ、瀬賀せんせー! 変態じゃなくて大変なんですってばー」
 小柄な体を動かして必死になっている有葉を見て、瀬賀もその真剣さを理解し、表情を引き締めた。
「フムン。それでなんだって。何が大変なのか説明しろって」
「あ、あのね。あっちで女の子が血を出して倒れてるの!!」
 それを聞いて瀬賀はだるそうな顔から、保健医としての表情に切り替わった。
「ファック! そりゃ最高にまずいな。いいぜ行ってやるよ有葉。この天才ドクター瀬賀様の超診察を見せてやろう」
 瀬賀は壁にかけていたヤニで黄ばんでいる白衣を羽織り、救急箱を手に持って有葉と共に廊下を走っていく。






 とてとてと小さい足を必死に動かして走る有葉を瀬賀は後ろからついていき、たどり着いたのは高等部の中庭だった。瀬賀は青い芝生を踏みしめながら辺りを見回す。中庭は広く、植物が異様に生えており、視界を遮る植物の葉のせいで、全体を把握するのは至難だろう。
「それで有葉。怪我人はどこだよ」
「こっちですよー」
 有葉が指をさした方向に瀬賀は走っていく。するとそこには数人の生徒たちが集まっていた。なんだか不穏な様子だ。瀬賀は眉を寄せながら彼らに呼びかけた。
「おーい。お前らどうしたー?」
 すると、その生徒の輪の中から一人、妙齢の女性が瀬賀の方へ走り寄ってきた。その女性ははらはらと瞳に涙を浮かべ、瀬賀の腕にしがみついている。
「瀬賀先生! 大変なんです! まさかあんなところに女の子が倒れてるなんて……。すごい血だらけで、私も失神しかけてしまいました……。春部《はるべ》さんが病院に運ぼうって言ったんですけど、動かしたら余計に危ないかもって思って……。でももし私の判断ミスであの子が死んじゃったら責任追及されてこの学園から追放されてしまうかもしれません……。そうしたら実家に戻されてまたお見合いを――」
「あー、練井《ねりい》先生。そんな上目遣いで涙を流しながら腕を引っ張られると俺勘違いしちゃいますよ。ともかく落ちついてください。どういう状況なんですか」
 その女性は涙を拭い、ふうっと瀬賀の瞳を見つめた。彼女は練井|晶子《しょうこ》(二十八歳)。有葉たち2年H組の担任である。
「もう、そんな皮肉はやめてください瀬賀先生。どうせ私は魅力ないですから、私見たいなおばちゃんに瀬賀先生は興味ないんでしょう。ここに来る前は金髪美女を何人もはべらしていたって聞いてますよ。それに比べて私は地味でスタイルもよくないし春部さんのがよっぽど――」
「いやいやいや、練井先生は十分魅力的ですってば。それに俺とは三つしか年齢変わらないでしょう。ってだからそんな話をしてる場合じゃなくて! 怪我人はどこです。誰なんですか!?」
 瀬賀は練井の肩を揺さぶり、彼女ははっと我に返った。そして震える指で植物の茂みに隠れるように倒れている少女を指した。その脇には有葉の友人(彼女いわく|婚約者《フィアンセ》)の春部《はるべ》里衣《りい》が硬い表情をして立っている。野次馬で集まっている生徒たちを近寄らせないようにしているようだった。彼女はネコのようにしなやかな肢体に、アイドルが裸足で逃げ出すほどに魅力的なボディが特徴的だ。瀬賀に気付いた春部は、そのネコ目で彼を睨みつける。
「やっときたのね、このヤブ医者」
「ファック。黙ってろネコ娘。ここからは俺の出番だ。これ持ってろ」
 瀬賀は白衣の襟を正し、春部に救急箱を押し付け、瀬賀はその倒れている少女の前へ膝を下ろす。
 その少女の怪我は、一目見ただけで致命傷だとわかった。
 彼女の右腹部からは大量の血が流れている。辺りの植物の葉や、芝生に赤黒い血がこびりついている。腹部が刃物のようなものでズタズタに切り裂かれたような痕があるが、傷はそこまで深いようではないようだ。だがその傷口からは少しずつ今も血が流れている。飛び散った血の凝固具合を見るに、彼女が怪我をしてから数時間は経っているようである。自体は一刻を争うものだった。
 瀬賀はその少女の白い頬に触れる。血が流れているため酷く冷たい。
(何歳だこの子。小学生くらいに見えるが、有葉の例もあり見た目だけで年齢を判断することはできないな。何歳かはわからないがこの体躯じゃこれ以上血を流させるのはマズイ)
 その少女の格好を見るに、双葉学園の生徒ではないだろうと瀬賀は思った。ここの制服ではなく、どこかの国のお姫様のような黒いドレスを着こんでいる。しかしこの島では奇抜な格好な人間は多くいるので、一概に判断できないだろう。
(全裸やら着物やら、挙句の果ては女装やピエロの格好したやつまでいるからなここは。ほんと変態ばっかだぜ)
 だが、瀬賀が一番目驚いたのはその少女が日本人には見えないことだった。少女の髪は鮮やかなブロンドで、肌も白く、西洋系の顔立ちをしている美少女である。
(まあ、ここはラルヴァの生徒もいる双葉学園だ。外国人くらいで驚くこともねーか)
 瀬賀はぼりぼりと頭を掻き、ふっと春部のほうへ振り向いた。
「春部。救急車は呼んだのか?」
「呼んだわよ。でも救急車が来る前に死んじゃいそうよ、なんとかしなさいよこのヘボ医者!」
「ふぅ、俺は別に医者じゃないんだけどな……」
 口調はきついが、春部もまたその少女のことを心配しているのだろう。瀬賀は肩をすくめながらもにやりと笑った。
「オーケー。じゃあプロが来る前にチャッチャっと応急処置を済まそう。どっちにしろ今処置しないと間に合わないだろう」
「た、助かるの瀬賀せんせー? 大丈夫かなぁ……」
 有葉も恐る恐る心配そうに覗きこんできた。一体この少女がなぜこんな怪我をし、こんなところで倒れているのか見当もつかないが、今はただ目の前の患者を助けることに集中するべきだと瀬賀は判断した。
「さて、いっちょやるか」
 そう呟き、瀬賀は救急セットをその場に広げ、メスや包帯に糸をざっと取り出した。両手にゴム手袋をはめ。目を瞑り、精神を集中していく。まるで瞑想をするかのように微動だにしない。
「ちょっと。何寝ようとしてんのよ! 早くしなさいってば!! 少しは医者らしいことしなさいよ!」
「俺は医者じゃねえよキティちゃん。まったく、憎まれ口きかないと死んじゃう病かよ。その口縫い合わせちまうぜ――ファック、そんなことはどうでもいい。さて、術式開始だ」
 カッと目を見開き、瀬賀はその少女の体全体を凝視した。すると瀬賀の両眼は真紅に染まり、瞳孔が開いていく。
(“|医神の瞳《アスクレピオス》”発動――)
 その瀬賀の瞳には人体の総てが見える。
 神経の一本一本。血液の流れ。その肉体が持つ特徴や、弱っている部分。どこをどう繋ぎ合わせれば傷を治すことができるのかが彼の眼には映る。腹部の裂傷、出血、それらを総て塞ぐ手順が彼の脳内にイメージとして流れ込んでくるのだ。
(これは……。酷い傷だ。生きているのが奇跡なくらいだな。早く手を打たないと)
 人体構造を把握した彼の手は自然に動き、彼女の傷を見る見るうちに塞いでいく。その手さばきは素早く、はたから見れば千手観音のように彼の手が無数にあると錯覚するほどにその手つきは完璧だった。ガーゼを傷口に当て止血止血止血。入り込んでいる土の汚れなどを取り出し、糸でその傷口をひたすら縫合していく。それはほんの一瞬の出来事。わずか一分足らずで応急処置は終わってしまった。それを見ていた他の三人はぽかんとしている。
「よし、ばっちりパーフェクツ! これでオールオッケーだ」
「ほ、ほんとに大丈夫なの?」
「とりあえずは――な。でも危険な状態には変わりない。早く輸血しないと駄目だ。あとは救急車が間に合うのを待つしかねぇよ」
 どっと疲れが来たようで、滝のような汗を大量に流し、瀬賀はその場に倒れこんでしまった。
「せ、瀬賀先生!」
 倒れた瀬賀を心配して、練井は彼の元へ駆け寄った。意識はあるようで、ただ純粋に疲弊しただけのようである。
「だ、大丈夫ですよ練井先生。ちょいとばかし疲れただけです。俺のこの“修復《リカバー》”は結構体力使うんですよ。まったく、腕が痛いぜ。俺も普通の治癒能力《ヒーリング》だったら超能力でちょちょいと処置できるんだが」
 瀬賀の異能“|医神の瞳《アスクレピオス》”は修復《リカバー》と呼ばれる種類のものだった。怪我を直接治す治癒《ヒーリング》や、病気を治す治療《キュア》でもなく、修復《リカバー》はあくまで異能者の医療技術を底上げするものである。
 瀬賀の場合はその瞳で人体構造を把握し、怪我を治すためのプロセスが天啓のように頭に流れ込み、自分の体力を削って凄まじい早さで傷を塞いでいくものだ。
 修復《リカバー》は言うならば手術の“省略”。人体構造を把握し、どこをどうすれば治るのか、それが瀬賀には|視える《・・・》のだ。だがこれは瀬賀自身に負担になるものであった。能力を使った後はこのように立つのもやっとなほどに疲弊してしまう。
「これじゃ瀬賀先生も救急車に乗せてもらった方がいいですね」
 そう言いながら練井は瀬賀の身体を支えている。なんとなく気恥ずかしかったが、実際膝が笑っており、強がってもいられないな、と瀬賀は思った。
「ちょっと、ヘボ医者。練井先生に抱かれて鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」
「うるせー蹴るなっての。役得だろ。お前みたいな減らず口の小娘より練井先生のが断然魅力的だね」
 相変わらず春部の口は悪いが、その表情を見るに少女が一命を取り留めたことに胸をなでおろしているようだった。
「あっ、救急車の音が聞こえるよみんなー」
 有葉が耳を澄ませながらそう言う。彼の言うとおりに救急車サイレンが近づいてきている。
「おっと、ようやくおいでなすったか。それにしても一体この子はなんなんだろうな……」
 瀬賀は安堵しながらも、その少女を見つめて不可解そうに呟いた。

  ※ ※ ※

 学園都市部のビルの屋上にその人影はあった。
 その少女は黒いセーラー服姿で、この学園の生徒たちとは明らかに違う制服である。
 少女のスカートのポケットから軽快な音楽が聞こえてきた。それは携帯電話の着信音のようで、少女は慌てて電話取り出し、通話ボタンを押す。そこからは彼女の良く知る人物の声が聞こえてきた。
『やあ我が妹、フラニー。首尾はどうだい』
 そこから聞こえてきたのは若い男の声だった。フラニーと呼ばれたセーラー服の少女は、少し緊張した様子で通話を続ける。
「あ、あの“お兄様”……」
『どうしたんだい、元気がないようだね』
「ごめんなさいお兄様。“あれ”を逃がしてしまいましたですの」
 フラニーがそう謝ると、電話の向こうの声は黙まってしまう。
「あ、あのお兄様……」
『お前死にたいのか?』
 背筋が凍るような冷たい声が返ってきた。その声にフラニーは震え、歯をかちかちと鳴らしている。彼女にとってその電話の相手はよほど畏怖しているのだろう。
「ごめんなさいごめんなさいお兄様。ごめんなさいお兄様。どうかわたしを嫌わないでください。どうか見捨てないでください」
『…………』
 フラニーは必死にそう謝るが、電話の向こうの声は押し黙ってしまった。
「大丈夫ですのお兄様。わたしは“あれ”に傷を負わせましたんですの。きっと今頃死んでるに違いないですぅ」
『“あれ”の再生能力をお前も知っているだろう。すぐに傷は塞がってしまう』
「大丈夫ですわお兄様。わたしの右腕の刃は銀で出来ていますの。きっと傷口は塞がらず、血を流し続けてそのうち死んでしまうですぅ。あのオチビさんに自分で止血する技術があるとは思えないですの」
『それは素晴らしいねフラニー。でも血が出れば目立つ。もし誰かに保護されていたら厄介だぞ』
「そうしたら保護してる連中も含めて皆殺しにしてあげるですぅ」
 フラニーはそう強く言った。
『よく言ったね。それでこそぼくの妹。“|少女地獄《ステーシーズ》”の末妹だ。成功させれば今回の失態には目をつぶってあげよう。そうしたらシナモンティーでも一緒に飲もう』
「ありがとうございますお兄様。必ずやお兄様のご期待に答えますですぅ」
 そうして通話は切られた。
 フラニーはこの双葉島に逃げ込んだ“標的”を探すかのように、屋上から街を見下ろしていた。
「化物め……。わたしをコケにしやがって……ですぅ。絶対に見つけ出してバラバラにしてグチャグチャにして殺してやるですの!」
 フラニーはそう吐き捨て、怒りで可憐な顔を醜く歪ませていた。






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