【召屋正行の日常はこうして戻っていく おわりの続き】


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 二人の緊張感を削ぐように、間抜けな音を立ててエレベーターの扉が開く。そこは先ほど吉村たちが待ち構えてたような構造のフロアになっており広い。だが、先に進むべき扉は一つしかなく、そこが、二人の目的地だった。春部はその扉の横に設置されている機器にカードを読み込ませ、暗証番号を打ち込む。
 ロックが解除され、目の前にある扉が圧搾空気を放出する音を立て自動的に開いていく。
 その中は、建築段階の配置図を見ていた召屋が驚くほどに広く、様々な機材や計器が並び、まさに“悪の研究室”という様相である。中央には黒く蠢くもので満たされた巨大な培養管があり、その横には案の定人影が二つ存在した。
 尾原凛《おはらりん》と有葉千乃《あるはちの》だった。
「千乃、帰りましょ? ね?」
 小さい人影の正体に気が付いた春部が有葉にいつものように声を掛ける。その声は優しくも切実で、第三者の召屋からしてもその切ない気持ちが分かるほどだ。
 だが、有葉は反応しない。瞳には輝きがなく、まるで心がないようだった。更に彼女は声を掛ける。いや叫び始める。
「千乃、ねえ、どうしたの? 千乃、ちのー?」
 彼女たちに近づこうとする春部を召屋が腕を掴み何とか止める。
「何すんのよっ?」
 春部はその腕を振り払おうとするが、いつにない召屋の真剣な表情に驚きそれを止める。
「おかしい、どうみたって異常だ」
「おや、どうした坊や?」
 慎重になり、春部を押さえている召屋を流石と思ったのか、尾原は召屋にクククと笑いなら問いかける。
「きみは相変わらずこちらの予想を覆してくれる。ふふふっ……。きみは字元が言うほど馬鹿ではないのかもしれないね……」
 吸いきったジタンを床に捨てて、言葉の間を繋ぐように新しい一本に火をつけ始める。煙が彼女の周りにまとわり付き、独特の匂いが立ち込める。
「それは褒めてもらってるってことかい? そいつは嬉しいね。ところで、尾原さん。そのあんたの横にいる有葉千乃って子をこちらに返してくれないか?」
「そーよ、さっさと返しなさい!!」
 召屋に腕を捕まられ自由に動けないながらも尾原にがなり立てていた。
「それは無理だ。彼《・》は私の大事な研究対象だからな。きみは彼の能力を知っているか? 条件さえそろえば、どんな人間、化物《ラルヴア》さえも意のままに操れるのだよ。実際には他にも色々とあるのだが……、まあそれは今回の計画には関係ない。何より、彼の能力を解析し、機器として昇華させれば、夢のような兵器ができるじゃないか? そして、それが量産できれば? これは人類とラルヴァのパワーバランスを崩す画期的出来事なのだよ!?」
 尾原はそう言って高笑いをしながら、熱病に魘されたように焦点の定まらない瞳の有葉を自分の傍に寄せる。
「何、私の千乃に抱きついているのよ、おばさん!! 千ぃ乃ーぉ? 私の声が聞こえるでしょ? そんなおばさんじゃなくて、私の方がいいわよね、ねっ、ね?」
 春部の懸命な言葉にも反応することはなく、有葉は尾原に優しく抱かれている。
(ありゃ暗示か薬の類か? それとも寄生されると最終的にああなるってことか……)
 色々な考えが召屋の頭の中を思い浮かぶ。だが、残念ながらどれも不正解だという答えが出ていた。
「お前の声なんて聞こえてねーぞ、ありゃ」
「あんた、何言ってんのよ? 千乃が私以外の女性や男性に興味を示すことなんてないのっ!! これはね、あのババァのせいよっ! 絶対ぶん殴ってやるっ」
 勇ましく、召屋の手を振り解いて彼女たちに歩き出そうとする春部。
 だが、現実は悲惨だ。
「素直に引き下がればいいものを。有葉君、さあ……」
 彼女はそう言ってタバコを捨てると、優しく有葉の顎を触れ、そのまま唇を導き自分の物と重ねる。
「――――――――っ!? な、ななんあななんなななないあおあおあおああああ、なんてことすんのよっ? ………よーし、今すぐ殺す、即座に殺す、ためらい無く殺す、間髪いれずに殺してやる。何より、私はあんたを問答無用で殺してやる~っ!! 私だって、中学入ってからは一度もしてないのにー!!」
「その前にはあったのかよ? つーか、迂闊に飛び出すなよ」
 目に涙を溜め、尾原に飛び掛ろうとする春部の襟首を捕まえ、それをなんとか押さえようとする。
「そんな力があるなら、あんた自身でやればいいだろうに……」
 馬鹿にするように召屋は呟く。
「あの時に君にキスできなかったのは残念だったよ。君もこの研究には役立つというのにね」
 そう言いながら、クスクスと尾原は笑う。
「ちょっと、どういうことよ?」
 春部は自分の首根っこを掴んでいる召屋を腕を強引に振りほどき、彼に向き直る。
「ありゃあ、魅了《チャーム》だ。危ねー。あん時キスされてたら俺もああなったのかよ?」
「さしずめ、魔女《リリス》の《・》接吻《キス》というところか?」
「上手いこと言ってんじゃないわよ! この男ったらしがっ!! そんな卑怯で破廉恥なことを千乃にしといて、絶対に許さないんだから!!」
「許さないとどうなるね?」
 尾原はそう言うと数歩下がり、機器の横にあるボタンを押す。
 培養管の一部が開き、中にある黒い物体、寄生線虫《パラサイトワーム》が有葉へと押し寄せていく。その物体はまるで単一の生き物のように動き、有葉の足元から這いより、そしてその全体を包んでいく。まるで、黒い物質に有葉が食われていくようだった。
「やめろおぉぉぉぉっ!!」
 春部は叫びながら有葉の元へと走りよっていく。猫耳のようなものが頭部に現れると同時に四肢が変形し、着ていた制服は破け、肌が露になっていく。その柔肌は動物のような剛毛で覆われ、最終的には半獣の猫のような姿になった。それは、春部が意識を保っていられる限界の獣化形態だった。完全な獣化は未熟な彼女自身ではコントロールできないため、この形態が彼女にとって最強のカタチ。だが、その一方でその姿は化物のようで醜悪であり、彼女自身は好きではなかった。
 しなやかな筋肉で尾原の目の前まで一瞬にして跳び付くと、指から伸びていた鋭い爪で尾原の喉元狙う。この間合いなら確実に殺せるだろう。
 だが、尾原は笑っていた。
「魅了《チャーム》の力を見くびらない方がいい」
 春部の爪が尾原の喉に届く前に彼女は床に叩きつけられていた。
「痛っっ!!」
 痛みを堪能することも許されず、春部は召屋の居る方へと更に放り投げられる。召屋がなんとかそれを受け止める。
「私に手を出そうとすればそうなる」
 尾原の横には、黒い大型の猿のような生き物が控えていた。その腕や脚は身体に似合わず太く、頭部には目や口らしきものはない。何より異形なのが、背中から生えた二本の巨大な触手。恐らく、春部の攻撃を妨害したのはこの触手なのだろう。
 ただ、まだ形が固定されていないのか、形状は不安定で全身が波打つように変形している。それだけに余計に不気味だった。
 真っ黒なおたまじゃくしのような頭部の一部が裂ける。その隙間から有葉の虚ろな顔が僅かに覗く。まるで彼女を飲み込んだことを喜び笑っているように見えた。
「どうするね? 坊や。大人しく帰るか? それとも実験を手伝ってくれるかい?」
「どっちもお断りだね……」
 召屋は周囲を見渡すと、何かを思いついたように春部に耳打ちする。
「な、なんでそんなことすんのよ!」
「やれ」
「嫌……」
「やってくれ。頼む……」
「分かったわよ」
 春部は鬼気迫る召屋の表情に驚き、嫌々ながらも承知をする。先ほどと同じように猫のような俊敏さで尾原に近づくと、その喉元を切り裂こうを爪を伸ばす。
 当然、寄生線虫《パラサイトワーム》がそれを見逃すはずもなく、背中から生えた触手を伸ばす。
 だが、今回はその攻撃を完全に予測していたのか、彼女の能力の一つである爪で切り裂き、攻撃を避けると、素早くその場から跳び退く。
 触手の一部が召屋の足元に転がっていく。分離後もまるで一つの生物のようにその場で蠢いていた。
 一方触手の一部を切り取られた寄生線虫《パラサイトワーム》は、切り取られた部分を補修するように線虫たちが寄り集まり、元の形を形成していく。おそらく、分離増殖を急速に行っているのであろう。
「春部、一先ず退避だ!」
 そういって、召屋は大きめの機材の後ろに急いで隠れる。
「はぁ!? 人にやらせといてそれはないでしょ?」
 だが、彼女自身、これ以上打つ手がないことは分かっており、渋々ながらも言われるままに召屋の隠れた場所へと春部も潜り込んでいく。
 そんな間抜けな二人の姿と寄生線虫《パラサイトワーム》が暴走することなく圧倒的な戦力として役立っていることに満足し、尾原の顔に余裕の笑みが浮かぶ。
「随分と杜撰な作戦じゃないか? これじゃ実験の足しにもならない。それなら、こちらから行くけど問題はないな?」
 彼女の言葉の意図を理解しているのか、寄生線虫《パラサイトワーム》が召屋たちに近づいていく。二足歩行になれない猿のような足つきで覚束ない。だが、ゆっくりとだが、召屋たちに近づいていく。
 それを察した春部が飛び出し、自分の方へと注意を惹き付けるようと、けん制しながら逆の方向へと逃げていく。動くものに反応したのか、寄生線虫《パラサイトワーム》は彼女の方に顔を向けると春部に触手が伸びる。
 その攻撃を猫のように何度も飛び退きながら回避する。時には研究機材の影に隠れたり、その一部を投げるなどして。彼女は完全に攻撃の意思はなく、回避に徹していた。
 理由は簡単だ。寄生線虫《パラサイトワーム》に有葉が取り込まれているのだから、彼女に攻撃できようが無い。だが、それは建前。触手のスピードと間合いの広さは、接近戦型の彼女にとっては厄介な代物で、本体を攻撃するどころか、近づくことさえ困難だった。
 しかし、完全な守勢に回ったことで、ラルヴァを纏った有葉もそのスピードとトリッキーな動きを思うように掴み切れず、有効的な攻撃をできずにいた。完全に一進一退の攻防。ただ、それでも攻撃範囲の広い寄生線虫《パラサイトワーム》の方が明らかに有利なのは間違いない。
 そんな消極的な春部の行動に何か感づいたのか、周りを見渡すと、ある一点を見つめる。そこに何があるわけでもないのに。そして、彼女はその場所に話しかける。
「そんな陳腐なかく乱が通用するわけないだろ」
 尾原は懐から何かを取り出すと、近くにある機材にそれを向け指を引く。銃声が鳴り響き、その影から召屋が慌ててケツを捲くって出てくる。
「い、いやー? バレちゃいました?」
 そう言いながら薄ら笑いを浮かべ立ち上がる召屋は、銃を自分に向け撃たれた恐怖のためか、顔色が悪かった。今にも倒れそうなほどに青白い。
「あは、あはははは……」
 グロック17の銃口が自分に向けられていることを知り、召屋は特殊警防を床に投げ捨て、両手を上げる。
「騙せると思ったんですけどねえ……」
 召屋がヘラヘラと微笑む。
「うふっ、ホント……」
 音も無く天井から、尾原の背後に人影が飛び降りる。春部だった。春部は喉元に爪を突きつけながら、もう一方の手から生えた爪で尾原の頬を撫でる。
「馬鹿な?」
 信じられないという表情で、目の前で広がっている寄生線虫《パラサイトワーム》と春部が戦っている光景を見やる。
「身近にあるほど、手品の種に気が付かないもんだよ。尾原さん」
 召屋がそういった瞬間、寄生線虫《パラサイトワーム》と春部の決着が付く。寄生線虫《パラサイトワーム》の右腕が触手のように変形し急に伸びる。それまで触手ばかりを相手にしていた春部にとって、それは完全な予測不可能の奇襲であり、避けることもままならない攻撃だった。
 錐のように尖った指先が春部の胸を刺し抜く。
「ち……の……」
 涙を流しながら、懸命に最愛の人に最後の言葉を投げかけ、有葉に手を伸ばそうとする。だが、それは適わない。
 伸ばした手が力なく下ろされ、彼女は息絶える。その瞬間、その身体は一滴の血を流すこともなく消滅する。
「自分が死ぬのを見るってのは夢見のいいもんじゃないわね。まあ、いいわ。さっさと千乃の魅了《チャーム》を解除しなさい!」
「君にはあんなものは召喚ができるわけが……。まさか?」
「ご名答。あんまり気持ちのいいものじゃないけどな」
 召屋はそう言って、いつの間にか再び手にした特殊警防を振り回しながら、首筋にまとわり付く黒い線虫を何匹か剥がし、床に投げ捨てる。有葉と戦っていたもう一人の春部は、彼が能力の暴走時に無意識で呼び出した悪魔と同じもの。召屋が知っている情報を元に構築し、具現化した春部のコピー。
(なるほど、これは神の御業だ……。おっかないねえ。でも、これで全てが終わる)
 召屋がそう思った瞬間だ。
 有葉千乃であるはずの物体から声にもならない雄たけびが響いてくる。
「なっ!?」
 驚くよりも早く、黒い影が召屋をこのラボの隅へと叩き飛ばし、更に春部は触手によって――――。
「ちょ、ちょっと? 何? 千乃……」
 彼女の腹部を黒い触手が貫通していた。
 僅かな油断が彼女に隙を生み、黒い影の予想以上の俊敏な動きが彼女に致命的なダメージを与えていた。そのまま春部は投げ出され、入り口近くに倒れこむ。彼女の周りに池のような血溜まりが出来始める。速やかに治療を受けなければ命はないかもしれない。
「素晴らしい! 素晴らしいじゃないか!? これだけの力があれば化物《ラルヴア》などものではない!!」
 自分の上に乗っかった機材・機器を押しのけながら、なんとか召屋は立ち上がる。警防の作動を確認するためボタンを押すが、気持ちばかりの電撃が線香花火のように瞬くだけ。膝が笑っており、立っているのがようやくといったところだ。全身くまなく痛み、動かすだけで激痛が走る。
 そして、召屋は目の前で狂気的に笑う女の違和感にようやく気づく。
「あんた、寄生されているの、か?」
「何を言っている? これは崇高な研究なんだ。多少の犠牲はつきものではないか。人が一人死んだところでなんの問題がある? それによって多くの命が助かれはいいんだ。そうすれば、彼女は尊い犠牲として、語られることになるだろう。それに君に何ができる、そんな身体で?」
 目の前の結果に高笑いを上げながら、尾原は召屋に勝利の宣言をする。恐らく、寄生のことを否定しないことから、完全に飲み込まれてしまっているのだろう。それを見て、召屋は目の前に居る女性のことを可哀想だと思う。自分が正しいと思って行っている行動がその考えが、化物《ラルヴア》によって歪まされ扇動されているということに。
「哀れだな……」
 召屋は思わずその気持ちを口にする。
「哀れ? 私が哀れだと? 笑わせる、哀れなのは君ではないか? 今のきみに何ができるというのだ? 力も無く、肉体も限界、能力もすでに出がらしで底をついているのだろ? 奇策も封じられた。これ以上きみに出来ることなぞなかろう? それともあれか、友人たちが助けに来てくれるとでも思っているのか?」
「うるせえ……ババア」
「チッ!」
 尾原は舌打ちすると、寄生線虫《パラサイトワーム》を見つめながら召屋の方へと指をかざす。
 寄生線虫《パラサイトワーム》は先ほど以上に不定形な状態にあり、人型を保つのが精一杯といったところだった。おそらく、有葉の精神が限界にきているのだろう。間接的にとはいえ、彼女自身の手によって、ダミーとはいえ春部を殺し、更に本物の春部に致命傷を与えているのだから、精神状態に異常をきたしても不思議はない。
 不安定なまま、怪物《ラルヴア》に寄生された有葉が、よたよたと召屋の方へと歩き出す。間合いに入ると同時に背中から生えた触手が彼を狙う。
 召屋は残った気力を振り絞り、特殊警防で強引に弾き飛ばす。だが、二撃目までは無理だった。大振りでがら空きになった右前腕に錐状になった触手が突き刺さり、あまりの激痛に警防を落としてしまう。
 黒い物体はなおも攻撃を休める気はなく、先ほど弾き飛ばされた触手が返す刀で召屋に巻きつくと、その華奢な身体を締め付けていく。そして、ゴミを捨てるように召屋を天井に叩き付ける。蛍光灯が割れ、召屋の身体が床に落ち、彼の上に蛍光灯の破片が降り注ぐ。
 召屋はうずくまったまま動かない。
 尾原は動かなくなった召屋を見ると、顔を歪ませ、侮蔑した言葉を吐く。
「武器もなく、力もなく、確固たる思想もなく、ただ子供が駄々をこねるように泣き喚くだけ。そんなことだから君は駄目なのだよ」
「もう一度言うぞ、うるせえ……ババア」
 そう言いながら、召屋は再び立ち上がる。だが、心ここにあらずで、何事か呪文のような言葉をうわ言のように呟き続ける。
「もう少し、もう少しだ……」
「まだやるのか? 今引き下がれば、そこの彼女も助かるというのに」
「もっと思い出せ。イメージを構築しろ……」
「やれ」
 尾原は幽鬼のように佇む召屋に飽きたのか、それとも恐怖を感じたのか、寄生線虫《パラサイトワーム》に彼を始末するように命令する。
 言うが早いか、触手が召屋を横殴りし壁へと吹き飛ばす。ぶつかると同時に鈍い音がする。
 だが、彼はなおも立ち上がる。ふらふらになりながら、意識が飛びかけながら。
「イメージは最強……。そう、そうだ……」
 蒼白の召屋の顔が笑う。
「ようやくイメージが完成したよ……」
「何を言っている?」
 彼女の言葉を無視し、召屋はまだ動かせる左手を虚空に伸ばし何も無い空間を掴むと、まるで何かを引っ張ってくるように自分の方へと拳を引き寄せる。
「なあ“クロ”」
 空間がひび割れ、そこから雷鳴のような雄たけびと共に真っ黒な獅子が現れる。
 凛々しい鬣と自愛と知性に溢れる瞳、強靭であらゆる攻撃をものともしない毛皮、全ての敵を切り裂く四肢とあらゆる物を噛み砕き飲み込む顎《あぎと》。この生き物は、幼年期に召屋がいつも呼び出し遊んでいた想像上《イマジナリー》の《・》友達《フレンド》、いや、彼をいつも守ってくれた守護者だった。
「何かと思えば……はははっ。レポートで読んだぞ。それは寄生体の子猫にさえ負ける化物《ラルヴア》じゃないか! そんなものが彼に通用するわけないだろ?」
「悪いね……あれとは違う。頼むよクロ……」
 召屋は真っ青な顔をしながら、隣に座る黒い生き物に語りかける。クロと呼ばれた生物はその言葉の意味を理解しているのか、寄生線虫《パラサイトワーム》へと飛び掛っていく。
 もちろん、それを寄生線虫《パラサイトワーム》が黙っているはずもなく、先制とばかりに触手で横殴りの攻撃をする。その攻撃は直撃し、壁へと叩き付けらそうになるが、猫科独特のしなやかな動きで俊敏に体勢を立て直し、叩きつけられるはずだった壁を足がかりとして、寄生線虫《パラサイトワーム》の目の前へとジャンプする。
 隙なくもう一方の触手がクロを狙う。が、それをクロは前足の爪で難なく斬り裂く。
 形勢が不利と判断したのか、寄生線虫《パラサイトワーム》はその場からジャンプすると、猿のように天井の配管にぶら下がりる。
 切り裂いた触手を貪りながら、クロは天井に張り付く寄生線虫《パラサイトワーム》を警戒する。
 隙が出来ないことに我慢できなかったのか、再び触手が伸びる。クロは今度はそれを避けることはせずにその顎で受け止め、咥えたまま頭を振り回し、天井から引きずり下ろそうとする。
 床に叩きつけられそうになる寄生線虫《パラサイトワーム》だったが、一瞬にして形状を変える。その足に群体の多くを移動させて、バネの役割をさせ着地の衝撃を和らげる。衝撃を吸収したことに生まれた反発力がエネルギーに変換され、球状に形状を変え猛スピードでクロに迫る。衝撃。クロの巨躯が吹き飛ばされる。
 寄生線虫《パラサイトワーム》はこの隙に元の人型の形態に戻ろうとするが出来ないでいた。まるでそれはエラーを起こしているようだ。
 球状の寄生線虫《パラサイトワーム》の一部が中の有葉が見えるほどに抉られていた。
 クロは美味そうに咥えていた獲物の一部を飲み込んでいく。そして、元の形状に戻れず動けないでいる寄生線虫《パラサイトワーム》に近づき、その強靭な前足で床に押さえつける。
 クロは勝利の雄たけびを上げ、その大きな口を開き寄生線虫《パラサイトワーム》を食おうとする。
「そ、そのまま…食っちまえ……クロ」
 意識を何とか保ちながら、召屋はクロに命令する。
 その巨大な顎でクロが寄生線虫《パラサイトワーム》に食いつく。
「ち……ち…の…!?」
 僅かに意識の残った春部が精一杯の気力を込めて叫ぶ。
「大丈夫……だ」
 クロが食らった場所には完全な空間ができていた。そして、そこには有葉千乃の可愛らしい顔が見える。
「安心しろ……クロは化物だけ食うように俺《・》が設《・》定《・》した……最高の友達だ。人間には、手を出すどころか……ダメージさえ与えられねえよ…」
 クロは黒い触手や寄生体の攻撃を無視し、有葉に纏わりつく黒い線虫を貪っていく。
「やめろぉ! これまでの研究がぁぁぁ」
 尾原は叫び、銃口をクロに向け数発放つ。だが、それさえもびくともしない。彼女は矛先を変え、ふらふらの召屋へと銃口を向ける。
「やめさせろ」
「や…める、わけねえだろ。全部食っちまえ……」
 その言葉に反応し、鼓膜が破れそうなほどの雄たけびを上げ、クロは寄生体を次々にその糧としていく。
 有葉に巣食う寄生体を全て食らうと召屋の元に駆け戻り、かれの首筋を甘噛みする。召屋に寄生した寄生線虫《パラサイトワーム》を剥ぎ取るためだろう。
「ごめんな……長いこと忘れててごめんな……」
 召屋はクロの喉元を優しく撫でる。それに応えるように嬉しそうにゴロゴロと喉をならし、召屋の頬を大きくざらざらとした舌で舐める。そして、消えていく……。
「きさまぁ! なんてことをしてくれたんだ? 何をしたのか分かっているのか? お前が安穏と暮らしている間にどれだけの生徒が怪我をしていると思う? お前が友人たちと無為な時間を過ごしている間にどれだけの生徒が戦いに出ている? お前がやる気もなく授業をサボっている間に幾人の子供たちが死んでいる? それを貴様は知っているのか? それよりも、せっかくの研究を台無しにしたことを理解しているのか?」
 召屋に向けたグロックのトリガーにかけた人差し指がわずかに白くなる。そして、なおも感情的に言葉を続ける。
「お前たちの今の平穏は、そういった犠牲の元に成り立っていることをちゃんと理解しているのか? それをきみは全て無駄に……」
「知るか、馬鹿……」
 消え去りそうな意識をなんとか繋ぎ止めながら、召屋は頭をかきむしりながら面倒そうにつぶやく。
「なるほど、アンタが言ってるのは正論だ。俺みたいなガキには理解できない実に正しい、正義感溢れる隙のない有難いお言葉だ。でもな、俺はあいつが酷い目に合っているのが許せない。それだけで十分だろ。俺の知らねえ人が怪我してる? 死んでる? 戦ってる?」
 ふらふらとした足つきながらも召屋は有葉を助けようと彼女に近づこうとする。
「知るかボケ」
 残った気力を精一杯に使い声を張り上げなら、彼女に向かって行く。
「あいにく、俺は正義のヒーローじゃないんでね。今、俺の問題はそいつを助けるってことなんだよ……」
 意識が朦朧としながらも、尾原の横に倒れている有葉になんとか近づこうとする。だが、そんな召屋の行動をけん制しようと、尾原がトリガーを引く。
 炸裂音と共に召屋の足元の床板が爆ぜる。それに恐怖したのか、召屋の足の動きが止まり、それまで張っていた気力が霧散してしまう。ゆっくりと膝をつく。ここまでが彼の限界だった。気力も体力も限界だった。
 精神力でなんとか保っていた意識が朦朧としていく……。
「なるほど、なるほど、二人とも致命的なまでに嘘が下手だな」
 召屋の後ろにある扉が開き、まるでショーの閉会を祝うような拍手をしながら一人の男性が入ってくる。字元数正だった。そして、字元は横たわる春部と今にも倒れそうな召屋を見つけると、わずかに顔を歪ませ尾原を睨み付ける。ことの原因となった女性に悪意を込めた視線を浴びせながら、更に言葉を続ける。
「おいおい、ウチの生徒にずいぶんなことをしてくれたじゃないか? これは契約違反だな。やはり君も食われてしまったのか? まあ、予測していたことだが随分と間抜けな話じゃないかね」
 その言葉には悪意ではなく、殺意が込められていた。尾原がそれを理解するほどに。だからこそ、尾原はそれまで召屋に向けていた銃口を躊躇いなく字元へと変える。
「うるさい! お前は私の研究の協力者じゃないか! 貴様も一蓮托生だ」
「そんなわけないだろ? 明らかに君の行っていた行為はこちらの依頼から逸脱している。まあ、だからこそ、私がこうしてここに来ているのだけどね」
 やれやれといった風に肩をすぼめ首を振る。
「この実験は停止だ……」
 そういい終わると、字元は尾原の方へと歩き始める。
 気が付けば、字元の後を追うように二年C組の面々が研究室内に進入してくる。その中一人の星崎が呼んだのであろう、彼女の姉、星崎美沙《ほしざきみさ》も一緒で、横たわる春部の元へと駆け寄り、彼女の治療に取り掛かろうとしている。
 字元が片膝を付いて今にも倒れそうな召屋の横を通り過ぎる。字元は彼の肩を軽く叩き、彼だけに聞こえる声を掛ける。
「良くやった」
 緊張の糸が切れたのか、限界だったのか、微かに残っていた召屋の意識が消えていき、その場に倒れ込む。
「チェックメイトなんだよ。既にね」
 一瞬だけ止めていた歩みを再開し、何のためらいもなく字元は尾原に近づこうとする。それに対して尾原は向けた銃口を外すことなく威嚇し続けていた。
「無駄だ」
 字元がつぶやく。その言葉をかき消すように銃声が鳴り響く。
「先生ーっ?」
 春部の治療を見守っていた笹島がその音に振り返り声をあげる。
「もう一度言う。無駄だと言っているだろ?」
 彼は無傷だった。血の一滴どころか、スーツに破れや穴が開いた様子さえない。それどころか、彼の立つ床の周りには弾痕のようなものもない。痕跡があるとすれば、おそらく、尾原の頭上で割れ、自分に片が降り注いでいる蛍光灯がそれだろう。
「―――っ?」
 尾原がもう一度トリガーを引く。だが、今度も全くの見当違いの方向に撃っていた。確かに彼女は彼を狙ったはずなのに……。
「無駄だと言っただろ?」
 顔色一つ変えず、そう言い放つ字元は、いつの間にか尾原の目の前にまで近づいていた。
「でもこれなら撃ち間違えまい?」
 そう言って、脂汗を流しながら尾原は字元の胸元にグロックの銃口を押し付け、トリガーを引く。口元が歪む。
 銃声ともに目の前の男は死ぬはずだった。だが、今度はその銃声すら鳴らなかった。
「無駄なんだよ」
 何事もなかったように字元は彼女の目の前に立っている。
 字元が立っているのも忘れ、彼女は自分の右手を確認する。確かに彼の胸に銃口が突きつけられている。自分はトリガーを引いたはずだと思い返す。
 ありえないことに混乱する。そして、一つの結論に至る。
「幻術を使うのか?」
「そんなワケないだろう。こう見えても私は数学教師だよ。そんなオカルトに手を染めるワケがない。全く、これだから力を使うのは疲れるのだよ。何より、私は矢面に立ちたくないのだ」
「ふざけるなあっ!!」
 まるで魔法にかかった子供のように尾原は胸倉を掴み字元に食い下がる。そして、銃口で字元のこめかみに突きつける。
「おいおい、君とキスするつもりはないよ。君は私の趣味じゃない」
「う、煩いっ!」
 奥の手さえもバレてしまっていたことに焦り、憤ると、字元を力いっぱいに突き放す。もちろん、銃口は彼の心臓を捕らえたままだ。目の前の男にそれが何の役にも立たないことは明白であったが。
 字元は、原因が分からず狼狽する彼女を見つめながら、人差し指で側頭部を小ばかにしたように軽く叩く。
「ただ、少しだけ君のシナプスの情報伝達をイジっただけさ。面白いものでね、脳というものは、その情報伝達をわずかにずらしたり、止めるだけで、体の動きも思考も混乱するものなのだよ」
「き、貴様ぁ……」
「遊びの時間は終わりだ」
 そう言って、瞬時に尾原に近づくと、字元は彼女の額を強く握る。瞬間、全身が麻痺したように尾原は動けなくなっていた。
 麻痺した彼女の首筋から黒い物体を引き抜く。彼女は苦痛と怨恨に顔を歪めるが、それも長くは続くことなく、意識が朦朧とし始め、静かに目を瞑るとそのまま眠ってしまった。おそらく、これも字元の能力の一つなのだろう。
 字元は意識のない彼女を怪我をしないように優しく床に横たわらせ、その近くの有葉をじっと見つめていた。
「先生、彼女は……」
 ことの次第を見守っていた笹島が、駆け寄より声を掛ける。
「大丈夫だ。春部と一緒に病院に運んでくれ。もうすぐ救急車も来るだろうし。それと、あそこに倒れている馬鹿も忘れるなよ」
 顎で召屋の方を指し示すと、片手間に尾原から抜き出した黒いミミズのような生き物をジッポーライターで燃やしていた。半分ほど焦げたそれを床に打ち捨て、それでもなおのたうち回る生命力溢れるそれを靴で踏み潰す。足裏でそれが生命活動を終えたことを確認すると、内ポケットからラッキーストライクのソフトケースを取り出し、タバコを咥え火をつけようとする。だが、突然の大声にそれは阻まれた。
「わ、私の、ち、千乃はーっ?」
 大声の主は春部だった。星崎美沙の能力によって治療を受けていた春部が意識を取り戻し、暴れていたのだ。
 彼女の元気な様子に、思わずタバコを吸うのも忘れ、頬を緩ませる。
「大丈夫よ。召屋くんがちゃんと助けてくれたわよ。まあ、彼は彼で今は気を失ってみるみたいだけど……全く情けないわねえ……」
 星崎が春部を安心させるために、冗談交じりに話しかける。
「そ、そう――痛っ……」
「だから、動いちゃ駄目だってば」
 星崎美沙が無理に動こうとする春部の身体を押さえながら、声を掛ける。
 字元は、尾原の横に倒れている有葉の様子を外傷がないかなど、もう一度確認する。特に問題がないことを理解すると、彼女をやさしく抱き上げ、ゆっくりと出口へと向かう。
「さて、拍手、カストロビッチ、お前たちはそこに転がっている人物をそれぞれ運び出せ。それと、要救護者をここから搬出したらこのラボは学園判断おいて閉鎖する。お前たち全員の健康診断も後日行うから覚えておけ!」
 教師らしい隙のない的確な指示がラボ内に鳴り響き、皆がそれぞれの役割のため動き出す。ただし、笹島と星崎に支えられながら立ち上がる春部の恨めしい視線だけは延々と字元を追いかけていた。


「……め…っしー……」
 自分の名前、いや、あだ名を呼ばれた気がして、少年は目を覚ました。そこは病院らしく、彼はその一室のベッドに横たわっている。傍らには幼い顔をした少女が彼を見つめて座っていた。彼女は、少年の意識が戻ったことが嬉しかったのか、両目から涙をポロポロと流していた。
「よう、ちびっ子、元気だったか?」
 少年は曖昧な意識を覚醒させようとしながら少女に声を掛け、その無駄に大きな手で彼女の頭を優しく撫でる。その瞳は焦点が定まらず、まだ意識が混濁しているようだった。
「ち、ちびっ子じゃないですよー、私の方が年上なんですからね」
 彼女は涙ながらに強気の口調で優しく彼に声を掛ける。
「そう…だったな…悪いな有葉さ《・》ん《・》。俺はあんたの弟を守れ……」
 少年はもう一度眠りにつく。彼女の頭に優しく手を置いたまま。
 そして、少女はその少年のゴツゴツとした大きな手を小さな両手で握り締めると、今はもういない兄のことを思い出していた。


「それで? これはどういうことだ?」
 召屋は、掲示板から剥がしてきた呼出書を目の前にある机に叩きつける。
「決まっている、お前たちの落第をなんとかしてやろうと言っているのだ」
 数学教科担当の字元数正は、実に偉そうな態度で、偉そうな机を前に偉そうな椅子に座っていた。
「この話は終わったはずだよな?」
 召屋はその書類を指差す。
「もちろんだ」
 メガネの奥の瞳が光る。どう考えても腹に一物もっている輝きだった。これは確実になにかある。そう召屋は思う。
「君たちは別にこの条件を飲んでもいいし、飲まなくてもいい」
「そーじゃねえだろ! 今後一切数学に関して補習も赤点もないって話だろっ?」
 字元はポケットからハンカチを取り出すとメガネを外し丁寧にレンズに付着した召屋の唾をふき取っていく。そして、顔も一通りふき取り、もう一度メガネをかけ直す。
「だから言っただろ、『補習の代わりにちょっとした仕事をしてもらいたい』と」
「だから、それは終わっただろ!」
 あまりの不条理さに召屋が食って掛かる。
「そうだ。終わった」
「そうだよ、終……。え?」
 字元のその肩透かしな言葉に思わずその場でコケそうになる。
「じゃあ、なんの問題もないじゃねーか?」
 そう言う召屋を見る字元の顔は、クイズが解けず、回答席に一人だけ残ったお馬鹿タレントを見ているような哀れみのものだった。
「終わったのだから、君たちの補習や赤点免除も解除されるに決まってるだろ?」
 当たり前のことを至極当然のように字元は語る。さながらそれは、あれこれ言い訳をする駐車違反のドライバーに違反切符へのサインを要求する警官のようだった。
「ちょっとまて、あんたの仕事を請け負っている間はテストなんてなかったぞっ!!」
 召屋は猛然と突っかかる。だが、それをしれっとして受け流し、字元は淡々と言葉をつなげる。
「それはそれ、これはこれだ。さて、どうするね? もう一度言うぞ。君は受けてもいいし、受けなくてもいい」
「てんめえっ……」
 ギリギリと歯が軋む音がする。そんな時だった。
『すぅぃませぇんっっ! 遅れてしまってゴメンなさい!! 実は、ここへくる途中に、白くてカワイイ物を操っている普通っぽい人に会って、それでそのあのいや、呼び出しを忘れてたわけじゃないんですよー。もちろん、この用件が重要というのもわかってますよ。でも、ただ、あまりにもアレがかわいくって、こう、ぎゅーっとしたくなる存在で、あのモフモフ~っとした感じはやっぱり素敵というか、グニュグニュ~っとした肉球が気持ちいいというか。まあ、ドラ吉とどっちがかわいい? って聞かれるとそれはそれで困るんですけど。……あ、あれーっ!? 誰もいないのはなんでー!?』
 召屋と字元の隣の教室から声がする。二人は同じくして発生した頭痛を軽減させるため、こめかみを押さえていた。
 いつものように、ごく当たり前に……。召屋正行と有葉千乃、二人の日常はこうして戻っていく。


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