【二月のチョコの日】


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「じゃあねー耶麻葉《やまは》ぁ! まっすぐ家に帰るのよー」
 モペッドに乗って喫茶店を去る私に手を振りながら、二年C組の委員長の笹島輝亥羽《ささじまきいは》さんは私に叫んでいた。
 それ以前に委員長の堅物さをなんとかした方がいいと思いますよ。そう思いながら、私は、気分転換に訪れるいつもの公園へいつものようにモペッドを向けていた。


 二月のある日の夕方。モペッドとはいえ、この時期にバイクで双葉島の外縁部を囲うように配置された外周道を走るにはやはり厳しかったかもしれない。
 もちろん、防寒ということで色々と厚着をしているし、冬用のグローブも付けているけど、風が服の間を通り抜けて、私の肌の温度を奪っていく。グローブをした指先も感覚が分からないほどに痺れ、冷え切っている。ブレーキレバーを握るのが辛いほどに……。
 寒さに耐え切れなくなくなるギリギリのタイミングで、私はある公園までたどり着く。そこは、外周に配置された公園でも小さく、ひときわ地味で、人気の無い場所だった。
 私は路肩に愛車のヴォーグを停車させると、キーも抜かずに公園の片隅にある自販機へと走っていく。その投入口に硬貨を投げ入れ、迷うことなくいつもの缶コーヒーのボタンを押し、取り出し口から出てきたそれを冷えた両手で暖めるようにしっかりと握り込む。缶の暖かさが掌へと伝わっていく。
 その暖かさを掌で十分に堪能した私はかじかんだ指でプルトップを不器用に引っ張り開け、中に詰まった液体を口へと流し込み暖を取る。
「ふーっ」
 その暖かさに思わず、声が出る。
 身体中に染み広がる暖かさと甘くてほろ苦い味。それが、私の思考をはっきりとさせてくれた。
 先ほどまで茜色に染まっていた空も海も、いまやゆっくりと暗く沈んだ色になっていっていた。それと同時に島の向こうにある湾岸の様々なネオンがチラチラと目立ち始め、その向こうへと太陽が沈んでいく。
 もちろん、双葉島では立地的に海に沈む夕日なんてものは見れない。だが、心地よいほどにささやかに耳に入っていくるさざなみと艶やかな夜景の中に沈み込んでいく太陽を見つめていると、何故か心が落ち着いてくる。
「はぁ……。今日も疲れた……」
 私は、何故、こうも気苦労が多いのだろうとしみじみと思う。
 クラスメイトもクラス委員長も決して悪い人たちではない。……訂正、悪い人じゃないけど変な人たちだ。議論をすれば毎回明後日の方向へと脱線し、なにかと委員長は他人のことに首を突っ込みたがる。
 散々、周りに『厄介ごとを引き起こさないで!』と言っている彼女自身が、毎度毎度、空回りして一番の厄介ごとを引き起こすことに気が付いてくれないのだろうか?
 まあ、私自身、そんな自己中心的ではあるものの、全力全開で空回りするお節介なところが好きなのだが、誰も分かってはくれないだろう。――いや、それでも多少は自重していただきたいものだけれども。
 今日も今日とてホームルームで『義理チョコなんて悪しき風習はこのクラスには持ち込みません!』なんて宣言して、どこの小姑ですか? どんなお局OLですか? それとも、何か嫌な出来事でもあったんですか? 私には全く理解できないです。とりあえず、言いくるめて事なきを得ましたけど、どうにもあの人は色恋沙汰に堅物過ぎますね。
 それにしても……。
「はぁ、バレンタインかぁ。どーしよー……」
 周りに誰も居ないことをいいことに、大きな声で独り言。これはこれで結構気持ちの良いものだ。でも、思わず恥ずかしくて周囲を何度も見渡し、誰も居ないことを確認してしまう。
 良かった、誰もいない。それはそうだ。この公園は言わば穴場で、カップル向けの夜景がキレイで雰囲気のある公園は外周道路をさらに北東に進んだところにある。こんなところにくる奇特な人間は私くらい。
 そこまで思いを巡らしていたら、急に寂しくなってきてしまった。なんで私はこんな誰も居ない公園で一人、缶コーヒーを飲んでいるのだろう? ちょっと先の公園では多くのカップルがバレンタインデー前夜をいいことにイチャついているだろうに。
 すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと、体温で十分に温まったグローブをポケットから取り出し手に嵌めながら、ヴォーグの方へといそいそと歩いていく。
 家に帰れば、ネットで注文したあれが届いてるはずなのだ。きっと、あれを渡せば私の気持ちが彼に伝わるに違いない。
 それと晩御飯の材料も買ってこないと。そろそろスーパーのご奉仕品が出始める頃合いだ。


 家の前まで到着すると、大学生らしき二人組みがちょうど店から叩き出されている時だった。
 またおじいちゃんが……。
「二度とくるんじゃねーぞ!? この糞ガキどもがっ!!」
 酒とタバコで焼けたしわがれた声で叫びながら、二人の青年に塩を叩きつけている。どーしてお爺ちゃんはいつもそうなんだろう……。というより、私の周りの人はこんな人ばっかりだ。
 私は、店の前にヴォーグをとめると、足早に去っていく二人組みのお兄さんに頭を下げる。彼らは口々に『信じられねえ』『二度とくるかよ』などと口汚い言葉を吐き捨てて、街灯で僅かに照らされた薄暗い街中へととから消えていった。
 いや、本当、本っ当にゴメンなさい。
「おじいちゃん! またお客さんを怒らせたのっ!?」
 たてつけの悪い引き戸を強引にこじ開けながら、鼻歌交じりに作業をしている祖父に声を掛ける。
「あぁ!? ウチんとこに隼が欲しいだハーレーが欲しいだなんだ抜かすから叩き出しただけだ」
 そう言いながら、おじいちゃんは悪びれることもなく床に置いてあるガストーチで咥えたショートホープに火をつけ、美味しそうにタバコの煙を堪能し、整備台に乗っかったTR6のヘッドを手際よく分解し始める。完全に相手が悪いと思っているようだった。
「まったく、最近のガキはろくな奴がいねえな……」
 私の方に一切振り向こうともせず、ヘッドを外しながらぶつぶつと呟いている。先ほどの二人組みに相当腹が立ったのだろう。
「だから、いい加減、現行車両も扱いましょうよ。それでなくても“鈴木オート”って名前でスズキ系のショップと勘違いされてるんだから」
「うるせえっ、それでも店に並んでいる単コロみりゃ分かるってもんだろっ?」
 まあ、確かに……どれもこれも古いバイクばかり。その中でも一番新しいのがSRって……。いや、まあ、分からない方がおかしいけど、分からない人は普通に分からないってば。というより、本当にこのお店は大丈夫なの?
「でもさ……」
 そう思い、私が何かを言おうとするけれど、おじいちゃんがそれ聞いてくれるはずもなく頭ごなしに否定する。昔気質の頑固者なのだ。
「うるせぇ! キャブも使ってねえバイクなんてバイクじゃねえっ!」
「嘘だぁ……ホントはインジェクションのことが分からないだけの時代遅れのくせに……」
 私は、ちょっとだけ腹が立ったので、おじいちゃんのプライドを刺すようなことを言うことにした。実際にそれは真実で、ただ、本人は認めたくない事実。
「あぁん!? なんか言ったか?」
 急にトーンの低い剣呑な口調になり、咥えていたタバコを灰皿に押し消す。あきらきに機嫌が悪くなっている。まあ、そうさせたのは私だし。私はそのことをしらばっくれる事にした。
「なんにも?」
「じゃあ、さっさと晩飯の用意でもしやがれ。それと、お前宛の荷物が届いてたぞ。また、お前のバイクのパーツか?」
「違うよー。でも内緒!」
「なんだそりゃ?」
 私の気の抜けた応対におじいちゃんは手元にある工具を滑り落としそうになりながら、それでもなお、作業を黙々と続けていた。その集中ぶりから、おそらく今日中に仕上げないといけない仕事なのだろう。それも島外の人のバイクに違いない。でも、わざわざこの島まで輸送して愛車を持ち込んで修理を依頼してくれる人たちには頭が下がる。逆にそれだけおじいちゃんの技術が信頼されているということなのだろう。そう思うと私はちょっとだけ、いや、凄くおじいちゃんのことを自慢したくなる。いつかは私もおじいちゃんのレベルに近づきたいと思う……。
 私はゴチャゴチャとバイクが並んだ店を通り過ぎ、居間へと入っていく。コートやグローブ、ヘルメットをその場に放りだし、それらの代わりに壁に掛かったエプロンを身につけ、台所へと入っていく。 手首に取り付けた輪ゴムで髪の毛をまとめると、手を洗い、スーパーの袋から材料を取り出す。豆腐、ネギ、じゃがいもに牛肉、ヒジキにニンジンなどなど、色々買い込んだ食材で、山椒とたっぷりのピリ辛麻婆豆腐とおじいちゃんの大好きな肉じゃが、ひじきの煮つけを作る予定だ。


 私が小学生の時、あることがきっかけで能力が発現し、その噂からこの学園の関係者に誘われた時、私は島にある初等クラス向けの寮での一人暮らしを覚悟していた。父や母の仕事の都合上、双葉島内へと家族そろって引越しすることはできないし、それが当たり前だと思っていたからだ。
 だが、おじいちゃんだけは違った。『自分の孫をそんなわけの分からない場所で一人にさせることはできない、だから自分は付いていく』と言ってきかなかったのだ。おじいちゃんからしてみれば、一年ほど前に長く連れ添った祖母が事故で亡くなっており、これ以上何かを失うのが怖かったのかもしれない。
 そして……、今思えば、私の両親の淡白な反応は、私の力が得体が知れず、父母の既知外にあり、潜在的に気味が悪かったかもしれないと思う。でもそれらを拒否することは常識的な見地からすれば大きく逸脱した力なのだから、仕方ないことだろう。それは決して非難されることでもないし、私自身も今では気にしてはない。
 結局、おじいちゃんは、それまで世田谷にあったお店を畳み、強引に学園関係者を説き伏せると、双葉島という小さいコミューンではどうにも採算の取れそうもないレストアショップを細々を営みながら、男手一つで今まで私を育ててくれた。
 そのことに私は感謝の言葉もない。今の私があるのはおじいちゃんのおかげなのだ。
 私はお風呂上りの汗をタオルで拭き取りながら、届いたダンボールをカッターで開く。中には真っ赤な包装紙に包まれ、金色のリボンで装飾された小さな箱が二つ入っていた。
 その二つのうち、一つを渡す人は決まっていた。でも、それは明日の朝の出来事。今日はゆっくり眠ろう。悩んでいても仕方ない。
 マウスを操りながら、注文したホームページを見る。そこには工具やボルトなどのカタチをしたチョコの写真が映っている。色さえ除けば、本物と間違ってしまいそうなほどに精緻に作られたチョコレートだった。
 しかも「機械好きの彼のハートもこれならGET!!」そう臆面も無くデカデカと描かれている。
「うん!」
 私は小さく頷くと、PCの電源を落とし、いつもよりも早めに目覚ましをセットすると、静かにベッドへと滑り込む。きっと、おじいちゃんはこの贈り物を喜んでくれるだろう。
 問題は……。そう、残りのもう一つを本当に彼に渡せるのだろうか? それだけが心配だった。でも心配したところで物事が好転するわけではない。そう自分に言い聞かせて、私は寝ようと心がける。明日は早いのだ。


「なんでえ、こりゃなんだ?」
 おじいちゃんは私が渡した箱を見ながら、興味がなさそうに嫌そうな顔をしてブツブツと文句を言う。
「チョコだよ」
 私はおじいちゃんがこちらに突き出した空っぽになったご飯茶碗にご飯をよそいながら、さも普通そうにそう応える。
「――――って言ったって、お前ぇはいつもチロルチョコだったじゃねえかよ?」
 おじいちゃん、そういう駄目な思い出は今言っちゃ駄目なのよ。ここは盛り上がりが大事だから、おじいちゃんもそれに乗ってくれないと困るの。
 そんな気持ちを込めつつ、ご飯茶碗を手渡しながらおじいちゃんの瞳をじっと見つめる。
「お……、おう。有難うよ。これは今、あけ、開けてもいいのか?」
「私が学校に行ってからね! じゃあ、私学校へ行くね?」
「今日は随分と早えなあ。あれか? 彼にチョコでも渡すのか? おーおー、図星じゃねえか? 顔が真っ赤……」
 私はマッハの勢いで好色そうな笑いを浮かべるおじいちゃんの顔面を思いっきり殴りつけると、卓袱台の上のお茶を一口飲み込み、茶の間から、冷え切った店へと出て行く。
 触るのが憚れるほどに冷たいシャッターをゆっくりと持ち上げる。日が差し込み、暗かった店内を足元から徐々に照らしていく。心が引き締まるほどに凍えた空気が肺に入っていく。
 そして、店に無造作に並んだ内の一台、一際小さく、一際シンプルな通学用のヴォーグを引っ張り出し、表へと押し歩いていく。振り返り、おじいちゃんに行ってきますと声を掛けてシャッターを閉めると、ヴォーグのシートに腰掛け、ゆっくりとペダルを漕ぎだす。
 この時間ならクラスに誰もいないだろう。こっそりと彼の机にチョコを入れておこう。
 肌を突き刺すような寒さとこれからのイベントのことを思い、わずかにため息が漏れる。その息は白く、目の前に丸く広がっていく。きっと今日の結果を表しているに違いないのだ。
 うん、そうに違いない。黒星はもう沢山なんです……。


 早めの登校を思い立ったのも、いつもよりも早く教室に行き、彼の机にチョコを忍ばせようと思ったからだ。
 恐らく、私と同じ考えの子は多いらしく、早朝にも関わらず、生徒がちらほらと見受けられた。もちろん、直接渡せば良いのだろう。別に競争率が高いイケメンでもないし。
 でも、例えそれが義理チョコだろうと、恥ずかしくて私にはできない。だから、私はこの時間にここに居るのだ。下駄箱にレッドウイングのブーツを放り込み、誰も居ない教室へと向かう。私は、人気のない静謐な空気が漂う教室というのは嫌いではないのだ。
 別に誰かに見られているわけではないのだけれど、静かに音を立てないようにゆっくりと教室引き戸を開けていく。誰も居ない教室のくう……。
 その、ええ好きなんですけどね……早朝の教室。でも、これは違うわ。
 何で委員長が教卓の前で仁王立ちしてるんですか? いつからそこにいたんです? 気持ち、制服も皺が寄ってますよ。
 まだ、暖房も作動しておらず、息が白い教室で、扉を開けた私を気にすることも無く微動だにしない彼女を見つめながら、私はチョコを彼の机の中に忍ばせることが絶対できないことに絶望する。能力を使えば可能だろうが、それは何か負けた気がするのでしたくはなかった。
 というよりも、この彼女《バカ》をなんとかしないと、かなり面倒なことになりそうだ。私はとりあえず、悪鬼のごとく誰も居ない教室中をまじろぎもせずに睨み付ける彼女に恐る恐る声を掛けることにした。
「あ、あのー、何やっているんですか?」
 私の言葉に間髪居れず、彼女が応える。
「決まってるでしょ、貴方に昨日言いくるめられたけど、やっぱり、義理チョコなどという悪しき風習は許せないわ。だから、このクラスからその風習を排除するため、私が目を光らせているに決まっているんじゃない」
 何でそんなに偉そうなんですか? 第一、それはもう昨日散々話したじゃないですか……。というか、目の下には凄いクマができてるんですけど。
「委員長? もしかして、徹夜ですか?」
「徹夜じゃないけど、四時くらいから教室にいるわっ!」
 とりえず、私は、このままここにおいて置くと色々と問題を起すであろうこの目の前にいるどうにも勘違いなことを凛として語る委員長《バカ》を屋上へ引きずっていくことにした。
 いや、本当はいい人なんですよ。本当は……。いや、本当にいい人なのかな? 分からなくなってきた……。


「何するのよ?」
 屋上まで引っ張られたことが痛く気に触ったらしく、委員長は酷くご機嫌斜めで私の方を睨み付けています。でも、私はそんなのを気にすることなく、厳しく彼女に言うことにしました。
「何するのじゃないですよ? いいですか? バレンタインデーっていうのは女の子の一大イベントなんですよ。それを義理チョコは許さないとか、そんな堅苦しいこと言ってちゃ興を削ぐってもんじゃないですか? 第一、義理と本命をどうやって区別するっていうんです?」
「そ、それは私の判断で……」
「笹島さんにそれだけの恋愛経験があると? 人の機微な恋心が分かるんですか? それはそれは立派な恋愛マスターですね」
「だ……だって、耶麻葉《やまは》ぁ、義理チョコは女の子の負担になっているってテレビでねぇ……」
 急にションボリとし始める。こちらの目を見ていないところからも、自分の行為に正当性がないことを理解しているのだろう。どんだけ影響されやすいんですか?
 まあ、そこが私にとっては可愛いところなんですけど。なんにせよ、このまま教室に戻したのではクラスの空気が悪くなりかねません。
 そこで一計を案じます。
「委員長? 義理チョコだって、楽しんで渡している女の子だっているんです。それを頭ごなしに否定しちゃ駄目ですよ。例えば……」
 私はそう言ってカバンから例の赤い包み紙の箱を取り出し、彼の机にこっそりと入れておく予定だったチョコを彼女に渡す。
「はい、どうぞ」
 二人の間の空気が固まる。そしてゆっくり弛緩する。
「え? はっ!? ○×csdmfぎあsぢうぇちぇりおーっ!? わ、わたしたちはおなのこどうしだし、そそそそいそそそそそいうかかかんけいとかかか……」
 完全に冷静を失ったのか、委員長は顔を真っ赤にし、目の前に出された箱をどう受け取っていいのか慌てふためいている。言葉もまともに出てこないらしい。
 私はそんな可愛い委員長を落ち着かせるように、優しく語りかけることにした。
「だ・か・ら、義理チョコですよ、これが。いつもクラスのことを色々考えてくれてありがとうございます。副委員長からの、いいえ、クラス全員からの気持ちです!」
 委員長は未だに理解できないのか、頭から煙を上げてその場にぺたりと座り込んでいた。本当にこの人はこっち方面は駄目な人だな。おもわず、私は彼女の姿を見ながらクスリと笑ってしまった。


 それなりに落ち着いた委員長と一緒にクラスに戻ると、かなりのクラスメイトが登校していた。やはり男子生徒は期待に胸を膨らしているのか幾分緊張しているようで落ち着きがない。一方の女子陣もどうやって渡そうかと隙を探しているようで、恐ろしく緊張感がある。
 だが、そんな緊張感全てをぶち壊すような声が聞こえてくる。
「おはよー、めっしー! かっしー!」
 私たちの背後で無駄に元気のよい声がする。その声の主は、まるで小学生のような少女で、ちょうど扉を開けた私の後ろで両手を上げて、元気に佇んでいます。その両手にはチョコが一つずつ。
 そう、有葉千乃《あるはちの》さんです。男子のくせに女装が下手な女性よりも可愛いという、可笑しな人で、しかも、ある意味性別を超越した存在。
 彼女の元気な声に反応したのは無駄に大柄な男性とその横で下らないおっぱい談義をしていた黙っていればそこそこいい男の二人。召屋《めしや》くんと拍手《かしわで》くんです。
 彼女、いや彼は二人にパタパタと小動物のように可愛らしく駆けよって行き、それぞれにチョコを渡します。
 こりゃあ、おかしい性癖になる人もでるわな……。
 そんな私のワケの分からない気持ちは別にして、彼の応対に慣れたものなのか、いつものように適当に受け流す召屋くん。あの、それはそれでいいんですけど、今日がバレンタインデーって分かってます?
「おー、なんだちみっ子!」
 だから、そんな普通に対応しなくても。少しは躊躇った方がドギマギした方がいいですよ。
「ちびっ子じゃないですよー。せっかく二人のためにチョコを持ってきたのにー!!」
 く、くそう、その一生懸命否定するのが可愛いじゃないですか。さすが春部さん曰く“性別を超えた存在”侮れません。
「まあ、男からチョコ貰っても嬉しくないけどな。で、ホワイトデーのお返しは何がいい?」
 召屋くんは、チョコを渡そうとする有葉さんの頭をくしゃくしゃと撫でながら、仲良さそうにじゃれ合っています。本当に二人は仲がいいですね……本当に……。
「こっちはかっしーだよー!」
 そう言って渡された拍手くんは相当悩んでますね。
「なあ、召屋。このチョコは男として、更に人として、俺のポリシーとして、最終的には自分の命の大事さとして、色々な意味で喜んでいいのか悪いのか、俺にはわからないのだが……」
 拍手くんが有葉さんのチョコを受け取りながら、神妙な顔をしています。それはそうでしょう、特殊な性癖を持つ方々からの刺すような視線に加え、私の後ろにいつの間にか立っている女性の殺気までも一身に浴びているんですから。でも、どうせ、乳デカ後輩からどーのこーのでチョコ貰えるんでしょ? 別にいいじゃん。贅沢な悩みってもんですよ。このおっぱい魔人が! ちちマニアがっ!! それなりにしかない人たちの呪いを全身に浴びるがいいわっ!!
「そこの二人ぃ……。私の千乃からチョコをもらうなんて、タダじゃおかないわよ……」
 しまった、胸の恨みを散々念じていたら、そのおっぱい魔人の総本陣が登場ですよ。まあ、この人はちょっとというか、かなりおかしいから、私にとっては問題ない人ですけど。それでもクラスに厄介ごとを持ち込む人には違いない。ど変態のカストロビッチさんがこないだけでもしめたもんです。
「ちょ、ちょっと、春部さん! また騒ぎを起すのはやめてくれる?」
 私に引きずられた委員長がようやく我に戻り、色々と問題を引き起こしそうな春部さんをなんとか嗜めようとします。まあ、普通は煽るというか、相手の神経逆撫でするだけに終始するんですけど。今回もそうでしょうね。
 美作さん、自分用のチョコばっかり食べてないで、今日の教室の修繕もよろしくお願いします。それと、適当なところで春部さんを“飛ばして”下さいね星崎《ほしざき》さん。だから、そういって我関せずって態度はやめてください。六谷《ろくたに》さんはくれぐれもなにもしないで下さい。あなたが動くと一番面倒ですから。
 結局、このクラスはバレンタインデーといっても甘くてビターな話にはならないようですね……。
 そして、私も結局、彼には渡せずじまいでした。まあ、それもいいでしょう。そういう運命の星の元に生まれたのです。なにより、委員長に義理チョコとして渡してしまい手元には何もないのですから。


 バレンタインデーというのに、今日もいつものようゴタゴタが起きて、あいも変わらず煩いクラス。そんな学園生活のストレスをかき消すように私はいつものように外周道路をぐるりと一周することにします。日課ですから。誰がなんと言おうとこれが好きなのです。
 そして、すっかり暗くなった夕過ぎ、ヴォーグでのんびりツーリングにも飽き、まったりと帰路に着くと、お店にはお客が来ているらしく、なにやら賑わっています。――というより、随分と荒れているようでした。
「手前ぇっ! 俺の大事なチョコを食いやがって!!」
「いいじゃないですか? 一個食べただけでしょ、良三《りょうぞう》さん?」
「うるせえっ!! それは万死に値するんだよ。俺の耶麻葉のチョコを食っていいのは俺だけだ!」
「だったらあんなに自慢げに見せることはないでしょっ?」
「うるせっー!! 孫のことを自慢したいのが年寄りなんだよ!」
 店の外にまで工具やパーツが飛び回ってます。中を覗くと、おじいちゃんと彼が言い争っています。どうやら、おじいちゃんに上げたチョコを彼がつまみ食いしたのが原因のようです。そうですか……。朴念仁はどこまでいっても朴念仁。相手の気持ちなんて気が付きもしないのでしょう。
 結局、私は今年も告白は出来ませんでしたが、それでも彼の口に私のチョコは届いたようです。これは喜ぶべきことなのでしょうか? なんとも微妙な話ではありますね。


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