【danger zoneバレンタイン特別編 Bitter Sweet NINJA】


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【danger zoneバレンタイン特別編 Bitter Sweet NINJA】

「マジかよ!」

 双葉学園風紀委員長、山口・デリンジャー・慧海は顔を上げた。

「そうですよいいんちょ~、日本のバレンタインデーは女のコから男の人にチョコを渡す日なんです」

 日米混血の慧海、日本で過ごした期間はアメリカでのそれより長いが、バレンタインに周囲がいやでも盛り上がる十代の多くを海兵隊の官舎で過ごした慧海は、日本の風習について知らないことも幾つかあった。
 慧海のPCの予測変換を覗いてみてもバレンタインに続く言葉は「バレンタイン監督」とか「バレンタインの惨劇」とか、ひどく偏っている。
 バレンタインデーとは無縁の日常を過ごしていた慧海の前には風紀委員会機動七班に所属する戸隠流忍者、慧海直属の班員である飯綱百が居た。

 二月半ば、平日の昼下がり。
 普通の学生にとっては放課後となる時間。
 慧海は双葉島南岸にあるヨットハーバーを見渡す場所に建てられた白い木造平家の専用寮で風紀委員会の仕事に従事していた。
 今日の午後に片付けなくてはいけない仕事は、海外の異能者機関から届いた書類の翻訳と分類。
 風紀執行の出動のみならず戦闘訓練や技術習得、また風紀委員棟にある売店の店番など風紀委員が行う業務は数多いが、慧海に課せられた風紀委員長としての仕事の多くはこういうデスクワークで占められていた。
 異能とラルヴァ、そして風紀に係わる重要な書類には守秘の関係で双葉学園に何人かいる二カ国語習得者《バイリンガル》には見せられない機密も多く、風紀委員会には翻訳ができる人材はなかなか回ってこない。
 生徒課長《オバサン》が言うには、近く風紀委員長の代行を務められる人材を風紀委員会にヘッドハンティングする計画があるらしいが、慧海と逢州、傾向も職分も異なる二人の委員長が担う仕事を一人で代行できる奴はこの地球上を見渡しても数えるほどしか居ないし、そんな奴を日本に呼んだりしたら、腕の立つ異能者が邪魔な各組織が乗ってくる飛行機ごと撃墜するだろう。

 慧海は相変わらず頭の悪いinfoseek辞書と自分の心もとない英語力に悪戦苦闘しながら、英文プリントアウトの束に赤い書き込みを入れてはデスクトップに文章を打ち込んでいた。
 最近は持ち帰りで出来る仕事は自宅で済ませていた、慧海の機密取扱資格《セキュリティ・クリアランス》は大概の学園職員を上回るトリプルAを取得しているので、持ち出し厳禁の書類のほとんどを持って帰れる。
 どうにも役に立たないネット辞書に見切りをつけ、デスクの引き出しから使い慣れた紙のコンサイス辞書を取り出した慧海がモニターに顔を上げたら、目の前に飯綱百が居た。
 慧海はモニターを見続けて少し充血した青緑の目をこすった後、もういちど視線を上げた。
 いつも通りノックもせず勝手に慧海の専用寮に入ってきた百がリビングにあるニトリのパソコンデスクに覆いかぶさりながら、仕事中の慧海に向かってまくしたてる。

「いいんちょー!助けてください!」

 双葉学園二年O組の飯綱百には双葉島の対岸にあるお台場の武専学校に籍を置く、幼馴染の彼氏が居る。
 忍術の最強を証明すべく空手家やボクサーを相手に日々技を磨いている彼と百は、月に一度、半日だけのデートを楽しんでいるらしい。
 百は物心つく前から同じ忍びとして共に修行をしていた彼と付き合うようになって以来、バレンタインデーには必ず手作りのチョコをプレゼントしているという。

「今年もたかちゃんにチョコレートを持っていこうとしたんですよ~、そしたらみんなが意地悪して…」

 百が言うには、全寮制の武専で学ぶ彼氏に、今年のバレンタインデーも手作りのチョコレートを届けに行こうと思ったらしい。
 ところが。
 まず"手作り”チョコレートの"入手"を目論んだ百は、のっけから躓いた。
 百が以前に在籍していた風紀委員会教導六班の班長、風紀委員食堂の板前を勤める宿禰《すくね》に「手作りチョコレート」を作ってもらおうとしたらしい。
 しかし年頃の女のコが多く居る風紀委員会、同じ考えの人間は多かったらしく、風紀委員棟食堂「宿禰屋」には既に大量の注文が入っていた。
 彼の前歴である学生力士も、現在従事している風紀委員会の仕事も収益性の高いビジネスと捉えている彼は稼ぎ時には目ざとい。
 宿禰屋は既に受注生産のチョコレートケーキを量産する体制に入ってて、百がバレンタインデー当日の昼前に頼もうとした時には既に受付を締め切られた後。
 戦場のような厨房で六班班員の椿三十《つばき みそ》と共にチョコレートをテンパリングしている宿禰に、元部下のコネで何とか横入りさせてもらおうとしたが、ビジネスマンとしての自負を持つ宿禰は班を違えた今も面倒見のいい先輩ながらインサイダー的な便宜が嫌いで「よそで買ったほうが早いっす」と釣れない返事。
 しょうがなしに百は中堅デパート程度の品揃えがある学園生協で材料を買い揃えて、何とか夜までに手作りチョコレートを作ろうと生協のある第一総合棟に向かった。
 手作りもネットでレシピを見ながらやれば何とかなるだろう、去年の蜂の子チョコも一昨年の信州蕎麦チョコも、その前の野沢菜チョコもうまく作れたし、たかちゃんも「よ…善き修行になる味である…」と褒めてくれた。

「それで夜になったら連絡橋の本土側ゲートまで行って、ゲート周辺警備の間にちょっとお台場まで行って届けてきちゃおうと思ってたんです~」

「規則違反の話を堂々とするなって」

 双葉区と本土の境目になる本土側ゲートの出入りには異能守秘の関係上厳しいチェックが行われているが、ゲートだけではなくゲート周辺の警備も受け持つ風紀委員は、住所的には東京都大田区となるゲート近隣区域に限定した島外活動許可書を必要に応じて交付されていた。

 百が同じく事前に余裕を持って用意するという選択が脳内に無く、当日になって慌ててる女子でごった返した生協の菓子材料コーナーに居た時、懐の電子生徒手帳が鳴った。
 緊急指令ではない通常の学園内定期スケジュール送信。
 電子生徒手帳を開いて液晶画面を見た百の顔が青ざめた。

 双葉島連絡橋の緊急メンテナンス。
 車両や鉄道が通る橋であると同時に、人工島のライフラインを内包する橋が今から約一時間後に閉鎖され、明日の朝まで通行が出来ないという。

 「七夕ん時みたいに泳いで渡ればいいじゃねーか、ひっきゃっきゃっきゃ!」

 「水めっちゃ冷たいです、死にますよ~」

 慧海も連絡橋の一時閉鎖については先刻知らされた、本土との連絡を一手に担う橋も竣工後二十年近くなり各部の老朽化が始まりつつあったが、ケチだったりドンブリだったり予算の不安定な双葉区、機密保持のため指定された業者の都合に合わせなくてはならず、別口の工事が中止になって急に資材と人員が余ったことで、緊急の設備メンテナンスが行われることとなった。
 慧海の知ってる限り今日明日の内に搬入しなくてはならない資材や行かなくてはならない先は無いし、一晩くらい橋が塞がっても害は無いと判断していたが、一本の橋に本土との接続を依存した人工島の断絶は思わぬ所で思わぬ形で人を困らせていたらしい。
 海路で本土に行くため風紀委員会が擁していた高速船は搭載されたランボルギーニのエンジンがまた不調を起こし、一昨日から川崎のドックに入っている。

「第一、橋のメンテナンスはモモのせいでもあるんだぞ、こないだ橋で犯人追っかけてて車ごと燃やしちゃったじゃねぇか、あれでファイバーケーブルが一本焼けたんだ、ネットがちょっと遅くなったぞ」

 百は先週、ラルヴァに対する殺害嗜好が嵩じて虚偽のラルヴァ被害を申告し、無抵抗の人魚《ウィッチーズ》ラルヴァをゲーム感覚で殺していた双葉学園生を摘発し、盗難車で橋を渡って逃げようとした彼らをバイクで追尾した後に橋上で処理していた。

「だって向こうが走行射撃《ドライブ・バイ》でパンパン撃ってきたから~、わたしの|GPZ900R《ナインアール》でブチ抜いて回り込んで、撒き菱でパンクさせたら車がクルっと回っちゃって」

 双葉学園との抱き合い心中を図り、本土のマスコミに全てブチまける腹積もりだった彼らを生かして捕らえることなど考えていなかった慧海は、本土側ゲートに汚れ仕事専門の風紀委員会第四班を待機させていたが、神の裁きを気取って人魚《ウィッチーズ》を殺していた連中は死斑の予想通り橋を渡りきることなく、彼らと同じくらい傲慢で独善的な裁きを受けることとなった。

「あの炭の塊を検死した医療班《メディック》の連中に聞いたけど、四人とも焼死じゃなくて刺殺だったぞ、どーせスピンさせた後でクナイ撃って片付けたんだろ」

 百は肩を竦めてバツが悪そうに笑った、そんな些細なことよりも今は早急に何とかしなくてはいけない百の一大事がある。

 当日になって慌てている百の気持ちもわからないでもない、機動七班の飯綱百は前日の二月十三日まで学園内に存在したラルヴァ殺害嗜好者集団に対する風紀執行にかかりきりになっていた。
 事件の主犯は双葉島に在住、就労している一体のデミヒューマン・ラルヴァ。
 ラルヴァを殺す連中の糸をラルヴァが引く、暴力団の抗争ではしばしば官憲をどう介入させるかで勝負の大勢が決まるが、結局のところラルヴァ集団同士の確執と足の引っ張り合いに心の弱い国家異能者達が踊らされたという凡庸な結末だった。
 昨日の昼に主犯のデミヒューマン・ラルヴァを身柄拘束し、シメ上げて吐かせるため風紀委員会に引き渡した後、その日のうちに報告書を書き上げた百はようやく私事に目を向けることができた。

「とにかく!あと一時間で"手作りチョコレート"を作って、お台場まで届けられないと、わたしもうおしまいです~~!」

 作業の片手間に話を聞いていた慧海がコーヒーを淹れようと立ち上がったところ、デスクを回り込んできた百がジョー・モンタナのタックル並みの勢いで慧海にすがりついてきた。
 慧海より二十五センチほど背の高い飯綱百、慧海の顔が八十九センチのおっぱいに押し付けられる。

「わ…わかったよ…あたしが何とかしてやるから…離れろって!」

 慧海は抱きついてくる百を一度両手で引き剥がした後で、忍び装束の端を指でつまみながら上目遣いで百の顔を見る、目は見られなかった。

「…なんとかしてやるから…その…もう一回ぎゅってして…くれ…」

 柔らかくていい匂いのする百のDカップにたっぷり甘えさせてもらい値千金の前渡報酬《バンス》を受け取った慧海は左腕につけたタイメックスの"ミリタリー風"腕時計を見た。
 連絡橋のメンテナンスが開始されるまでの時間を確認する、百も自分の初期Gショックをカウントダウンタイマーモードに切り替えた。

「さて、あと一時間…正確には六十四分か」

 慧海はパソコンデスクに広げていた外信書類をデスク横のダンボール箱にはたき落とすと、プリンター用紙を一枚取って紙に文字を書き始めた。

「モモ、表のローソンに行ってここに書いている物を買い揃えてこい、十五分で」

 百は慧海がいくつかの項目を走り書きした紙を一瞥すると黙って頷き、風紀委員としての勤務時間外なのになぜか着ていた濃灰色の忍び装束姿で駆け出した。
 慧海専用寮の前にある道を五分ほど歩くとローソンがある、車で十分ほどの場所にはイトーヨーカドーもあるが、そこまで行く時間は無かった。
 表には百が乗ってきたカワサキの骨董品バイクGPZ900Rが停まっていたが、距離的に自分の足で走ったほうが速い。

「…さて、手間のかかる子供を持っちゃった委員長さんが、ひと肌ぬぎますか」

 慧海は一人呟きながら専用寮である米軍将校住宅に付属したアメリカンスタイルのキッチンに立つと、いくつかの準備を始めた。
 あと六十二分。

 百は十分少々で戻ってきた、息が乱れてないのは忍びとしての鍛錬と、これからの作業がもっと大変になるという予感。

「いいんちょ~、行ってきました、書いてあったものはほとんど揃いました…でも、ほんとにこれでいいんですか?」

「見せてみろ」

 慧海は百の忍び装束に不似合いなローソンのコンビニ袋を受け取ると、システムキッチンの作業台に中身をぶちまけた。

 ヤマザキ スイスロール バニラ味 二本
 ヤマザキ まるごとバナナ     二本
 明治マカダミアナッツチョコレート 四箱
 バンホーデン ココアパウダー   一缶
 マイヤーズラム ポケットボトル  一本
 ローソンオリジナルブロックアイス 一袋

 落ち着き無く両手をすり合わせた百が不安の宿った目で慧海を見たが、慧海は人造大理石の作業台に広がったコンビニ食材を見て頷く。

「いいんちょーが書いてたハーシーズのココアがなかったんですけど」

「オーケイ、必要なものは全部揃ってる」

 どの品物も慧海が想定した必要量に対して多目だが、最悪一度失敗して作り直すことを見込んで数量を指定した。
 作戦行動に失敗しない万全の備えは当然のこと、行動に失敗した時にまだ任務を継続できるだけの余力を残すこと、任務に失敗した時に被害を最小限で留めることは、勝ち負けの決まる仕事じゃない風紀委員の最低条件。

 慧海は百が買ってきたマカダミアナッツチョコレートをつかみ上げた、紙の箱は冷たい。
 百にはメモでチョコレートとロールケーキ、まるごとバナナをアイスクリーム持ち帰り用のドライアイスと一緒に袋に入れて、キンキンに冷やしておくように指示していたが、ローソンにドライアイスは無かったらしく冷凍食品コーナーの水割り用ロックアイスが詰められていた。
 臨機応変は海兵隊の訓《おしえ》、事前の計画通りに進む仕事はない、現場での柔軟性の高い判断力は風紀委員会の第一線に立つ者の資質。

 慧海は広いキッチンの人造大理石で出来た作業台にチョコレートの箱を並べると、すぐ後ろで待つ百に指示した。

「砕け」

 慧海は百に蟹を食べる時に使っている小さな木槌を手渡した。

「中のナッツまでしっかり砕けよ、粒度は駅や校舎で犯人の頭をフっ飛ばした時に血とか脳味噌の後始末に使うオガクズくらいだ」

 百は怪訝な表情のままキッチンに立ち、氷で冷やされたマカダミアナッツチョコレートを箱から出して人造大理石の作業台に並べ始めた。
 木槌を振るいながらチョコレートを砕き始めた百の後ろ姿、家事をする女特有の色っぽさに少しみとれていた慧海は一度頭を振り、スイスロールの包装を剥き始めた。
 あと五十分

 慧海が大きなステンレス・ボウルを取り出し、包装フィルムを取ったスイスロールを放り込む頃には、百はチョコレートを砕く作業を終わらせていた。

「いいんちょー、これくらいでいいですか」

 冷やされて脂肪分が硬化したマカダミアナッツ・チョコレートが細かく均一に砕かれ、褐色の粗粉末は冷たい大理石の上に広がっていた。
 慧海は二月の寒空だというのにさっきから部屋の冷房を最強にしていて、人造大理石の作業台は氷盤のように冷えていた。
 打撃で発生する摩擦熱で溶けやすい粗粉末のチョコを、溶かすことなくサラサラの状態に維持しないと次の作業に差し支える。

「上々だ、じゃあこっちを手伝ってくれ、この"まるごとバナナ"の中のバナナを取ってくれ、バナナは食っちゃっていいけどスポンジケーキにクリームを出来るだけ残しとけ」

「は~い」

 百はまるごとバナナの包みに巻かれた銀線を引っ張ってフィルムを開け、取り出したまるごとバナナを巻いてあるスポンジケーキをこじ開けた。
 両手でスポンジケーキを広げて、中のバナナを口を使って取り去る。
 白いクリームまみれのバナナをくわえた百は、そのまま手を使わずバナナを口の奥まで入れた、唾の音と舌の音、そして色っぽい嚥下の音と喉の動き。
 百がバナナを食べる姿をチラチラと盗み見していた慧海は、百が砕いたマカダミアナッツチョコをスイスロールの入ったボウルにかき集める仕事の手がしばらくの間お留守になっていた。
 クリームだけ残ったスポンジケーキもボウルに入れた慧海は、ボウルを日本の住宅ではなかなか見られないガスオーブンに放り込んだ。
あと四十五分。

 扱いが気難しいが火力と温度上昇速度では電気オーブンを上回るガスオーブンは百が買い物に走った時から80度の低温で予熱していた。
 オーブンに入れたボウルを三分ほどで取り出した慧海は、百が買ってきたマイヤーズ・ラムをボウルにぶちまけた。
 菓子類のリキュールに忌避やアレルギーを示す人間も居るので、香りつけ程度の量に留める。
 熟成したカカオの芳香が余り残っていないコンビニのチョコレートに鼻や口腔への浸透性が高い香りをつけるにはラムが最適
 高めのアルコール分は生地の熱でかなり飛ぶだろう。
 ポケット瓶に七分目ほど残ったラムは近くにあったタンブラーに開け、バナナジュースを注いで箸でステアして手抜きのバナナ・ダイキリを作った。
 ダイキリを愛したヘミングウェイや「世界の料理ショー」のグラハム・カーを気取るわけではないが、さっきまでのデスクワークの疲労をチャラにするには一杯飲んだほうがいい。
 慧海は片手に持ったバナナ・ダイキリで唇を湿しながら次の作業を開始した。

「よし、こっから先はあたしがやるからモモは準備…つってもやることもないからそこで見てろ」

 百の"手作り"チョコレート、贈る相手に自分で作ったと言い張るには作る様を傍で見ているほうがいい。
 百は慧海が作ったバナナ・ダイキリを盗み飲みしながら黙って慧海の手元を見ている。
 風紀委員会での百は飲み込みが早いほうだ、慧海の接近戦の技も座学で教えるよりも実際に見せれば、いつのまにか盗んでしまう。
 それを百が実戦的にアレンジした技を見せてもらって、今度は慧海が学ぶ
 慧海が百に教えなくてはいけないことも教えてもらいたいことも多かった。

 砕かれ、溶けたマカダミアナッツチョコレートがボウルの中でラムの芳香を放ちながら、スイスロールとまるごとバナナのスポンジケーキにまみれている。
 慧海は水道で手を洗い、布巾代わりに下げてるバンダナでよく拭いた後、ボウルに素手をつっこみ、チョコレートとスポンジケーキを捏ね始めた。
 ハンバーグの要領でグチャ、グチャっとスポンジケーキを握りつぶし、砕け溶けたチョコレートをまぶす、練りすぎると適度な粗さが潰れて舌触りが悪くなるので握力を駆使して手早くやる。
 日々の鍛錬のおかげで慧海の握力は左右共に八十キロを越え、リンゴを握りつぶせるくらいの力は維持しているので、練り潰しの作業はさほど時間もかからず終わった。
 ボウルの中には全体が茶褐色となった生地。
 チョコレートとマカダミアナッツ、スポンジケーキとクリーム。
 茶色く染まり脂っこくなった手をよく洗った慧海は大理石の作業台を拭いた後、このお菓子作りのヤマ場となる作業にかかった。
 あと三十五分。

 ついさっき混ぜた生地を手で適量掴み一度強く握った後、両手の平で丸めて整形し冷たい大理石の上に並べる。
 バナナダイキリを舐めながら、時々両手が塞がった慧海に飲ませてあげながら作業を横で見ていた百が面白そうと手を伸ばしてくる。

「最初に強く握って圧力をしっかりかけろよ、それから丸く仕上げるんだ、大きさは一口大で出来るだけ真球状に」

「は~い、手毬寿司の要領ですね」

 花魁が口を大きく開けず食べるため作られたという、片手で握りこむように作る手毬寿司を慧海は知らなかったが、百が握って丸める手際が自分よりも手馴れていることには気づいた。
 慧海と百の手で次々と丸められ並べられるダンゴ状のチョコも、手が大きく指が長い百のほうが赤子のような手の慧海より速くて均一。
 生地はすぐに無くなり、全部で二十五個ほどの球状チョコが出来上がった。
 これにココアの粉をまぶして見栄えをよくすれば完成。
 百がホーローのバットを取り出し、天ぷらの粉をつける時のようにバンホーデンの金色の缶をバットに開けようとしたので、慧海は缶を取り上げた。

「こっちのほうが早い」

 慧海はキッチンの足元にある弾薬箱から出した新品のビニール袋に小缶のココアパウダーを半分ほど開けると、チョコのダンゴを全部放り込み、ビニール袋に空気を充分含ませた後、袋の口を握って何度か振る。
 所要時間は十秒足らず、ビニール袋から取り出したチョコレート球には万遍なくココアの粉がまぶされていた。
 バットで丁寧にやったほうが綺麗で材料の無駄もなかったが、時間優先の時にはこのほうがいいし見栄えもそんなに変わらない。
 ビニール袋に入れて振ることでチョコレート球の突起や偏心を気休め程度に均《なら》す効果もあるし、熱に弱いチョコレートを指でいじくる時間を短縮できる。
 ビニール袋から取り出したチョコレートが再び並べられた。
 梅干のように適度に球状で適度に歪んだチョコレートにココアの粉がまぶされ、見た目は売っているトリュフチョコと変わらない。
 材料はコンビニのチョコと菓子パン、作り方は冷やして温めて、ただ握っただけ。
 慧海は手製トリュフチョコレートをひとつ摘んで百の口まで持っていった。

「これで出来上がり、試食してみろ」

 百は今まで見たこと無いヘンテコな作り方をしたトリュフチョコに少し訝しげな顔をしたが、慧海は百の唇と舌が自分の指に触れる感触に夢中で気づかない。

「…!…おいしい!おいしいですいいんちょー!」

 慧海が以前聞いたネットラジオで喜多村英梨が話していた、誰でも作れて失敗知らずのお手軽手作りトリュフチョコ。
 試しに何度か作ってみたところ、えりりんの言うとおり作るのも簡単で食べると驚くほどうまいので、お菓子方面には疎い慧海のレシピに加えていた。
 ナッツチョコを冷やして砕き、コンビニのロールケーキと混ぜ合わせた後に手で丸める。
 そのまま食べると固いチョコの塊を舌触りよく柔らかいお菓子に仕上げるにはスポンジケーキを混ぜるのが手っ取り早く、コンビニの菓子パンやロールケーキに塗られたバタークリームにはチョコレートの脂肪を固める性質がある。
 一度暖めて捏ね合わせたチョコレートとスイスロールは、混ざり合った脂肪分が冷めれば丸い形を保つ程度に固まり、口中の体温で柔らかく溶ける。
 作業時間が限られた今回は短い冷却加熱時間の中で確実に固めるため、コンビニ菓子パンの中で一番クリームが大盛りのまるごとバナナを投入して成形性を補強した。
 最初にナッツチョコを冷やして砕いたのは溶けやすくするためと、砕いたナッツの脂肪分を生地に回して固まりやすさを強化するため。
 ナッツは口ざわりや風味でチョコレート自体の多少の粗を隠してくれる。
 通常ならスイスロール一本とナッツチョコ二箱くらいがちょうどいい、失敗の予備を含めて大目に買い込んだが、材料費は二千円もしない。

 慧海も一口試食してみることにした、両手はココアの粉で汚れてるので、二個目を試食してる百を肩でつつき、「あーん」と口を開ける。
 百が器用に慧海の口へ放り込んでくれた即席トリュフチョコを舌に乗せ、口の中で転がす。
 一瞬口に広がるココアの苦さと、トリュフが口の中で解けることで一拍遅れて追いかけてくるチョコレートとスポンジケーキの甘味。
 砕いたマカダミアナッツは舌触りも芳味も上々で、ラムの利かせ具合も申し分ない。
 甘みと旨みは十代の慧海や百には馴染みのないスイーツ名店の味ではなく、慣れ親しんだコンビニお菓子の味。
 慧海が二歳の頃から愛飲してるハーシーズのココアを切らしていたので、今回は百が買ってきたバンホーデンで代用したが、以前森永の加糖したココアで仕上げたところ、甘みが複雑になりすぎて味全体が呆けてしまい、舌触りもベタベタした失敗作になった。
 甘く濃厚な生地にほろ苦くさっぱりした粉という取り合わせのためにどうしても必要な、脱脂しただけのココアパウダーが入手できてよかった。

 トリュフチョコの味を確かめた慧海は手を洗い、ダイキリにもよく合うチョコを口に放り込んで三つ目の試食をしている百の肩を叩いた。

「よし、ラッピングして仕上げだ、もう時間がないぞ」

 慧海はキッチンの棚から横田の軍人生協《ピーエックス》でまとめ買いしたパラフィン紙を取り出した。
 このラップより汎用性があって、しかもエコでお洒落な食品包装の日用品が日本のスーパーではなかなか手に入らない、かといって画材屋に置いてある白無地パラフィン紙は味気なさすぎる。
 食後に証拠隠滅をしなくてはならない野外での隠密行動で、燃やせば消えるパラフィン紙に勝るものはないのに。
 銃と傭兵の専門誌ソルジャー・オヴ・フォーチューンの広告がプリントされた市松模様のパラフィン紙に見栄えを考えて十二~三個ほどのトリュフチョコを乗せ、ラッピングをしようとしたが、小売バイトの経験などない慧海はうまく包めない、途中で交代した百が雅楽器を袱紗で包むように上品にラッピングする。
 包装は手早く終り、トリュフチョコ製作は成功の内に終了した。
 あと二十分。

 ほんのちょっとインチキとズルが混じりながらも、本当の手作りチョコレートの包みを渡された百はその場に背を伸ばし直立して、慧海を見つめる。

「いいんちょー…山口・デリンジャー・慧海風紀委員長、また助けてもらいました…ほんとうに…ありがとうございました!」

 これからモモは彼氏に会いに行く。
 まだ数回のキスを交わしただけの恋人だけど、藜の忍び里で双子のように育った男に会いに行く。

 あたしのモモが しらないだれかにとられてしまう。

 慧海は突然沸き起こった感情がどうしようもなく、どうにも押さえられなくなり、目の前に立つ飯綱百の胸に飛び込んだ。
 双葉学園の風紀委員長、百より頭ひとつ分背の低い十五歳の女のコが、母から引き離されそうになり必死にしがみつく子供のように泣いた。

「…モモ…やだ…あいに…いかないで…」

 百は慧海を抱きしめたまま優しい顔で笑う、風紀委員会の部下ではない、人一倍寂しがりやの少女の傍にいつも居てくれる、ひとつ年上の友達としての笑顔。

「…いいんちょー…わたしのいいんちょーは誰よりも強くて綺麗で…わたしを悲しませるようなことはいわないひとです…」

 しばらく百の胸で声を上げて泣いていた慧海は唐突に百から飛び離れると、背を伸ばし薄い胸を張った。
 百は赤い目をこすり、鼻水をすすり上げながら立つ慧海の身長が自分より高くなったような錯覚をする。
 風紀委員長の山口・デリンジャー・慧海が共に死地へと赴く風紀委員への指令を下す時の、鋼の意思を宿した貌《かお》。

「双葉学園風紀委員会、機動七班飯綱百!」

 百は満面の笑みを浮かべ「ハイ!」と答える。

[我々風紀委員会はいかなる困難があろうとも必ず望む物を手に入れる、ラルヴァでも異能者でも…惚れた男でも…だ…、モモ、行ってこい!」

 百は風紀委員長の前で直立し敬礼した、そして、目の前の小さな慧海に腕を伸ばし、もういちど胸に抱いた。

「…行ってきます、わたしの大好きないいんちょー…」

 短い抱擁の後で互いに腕を解き、そっと百から離れた慧海は、そのまま腰砕けになってキッチンの床に座りこんだ。
 キッチンとガレージの繋がった勝手口から飛び出し、忍装束に草鞋履きのままカワサキのバイクに飛び乗って走り去る百の背中を見つめていた。

 連絡橋閉鎖まであと二十分。
 モモの腕と165馬力の|GPZ900R《ナインアール》なら十五分もあれば台場まで往復できる。
 時間ギリギリは失敗と同義語、作戦《ミッション》には絶対必要な五分の余地を確保してこそ終了《コンプリート》といえる。
 非常に困難だった今回の任務も、成功の結果を出せるだろう。

 慧海は脳ミソの表皮あたりでそんなことを考えながら、床にペタンと座り込みボーっとしていた。
 体中に残る百の感触、百の匂い。
 そして。
 慧海が百に向かってちょっと背を伸ばし、百が軽く腰を屈め、慧海が瞳を閉じた時…
 慧海の頬に優しく触れたとても柔らかいものは、幻なんかじゃない。

 慧海はちょっと赤くなった頬を撫でながら立ち上がると、一人暮らしを始めてから少し増えた独り言を呟いた。

「さて、片付けるか」

 作業内容がそれほど複雑ではなかったため余り散らかってなかったキッチンの作業台には、八個ほどのトリュフチョコが残っていた。
 慧海はボウルやタンブラーを食器洗浄機に放り込みスイッチを入れた後、トリュフを一粒つまみ上げた。
 もう一個食べようとした慧海は、思い直して一度唇をつけたトリュフチョコを大理石の上に並べる。

「バレンタイン・デーは女のコが、オトコにチョコレートを渡す日…か…」

 慧海はラッピング用のパラフィン紙を一枚取ると、八個のトリュフチョコを不器用な手つきで包み始めた。

【Goodbye my SweetHeartへと続く】





【another end】

二月十五日
午前一時三十五分

 山口・デリンジャー・慧海は双葉学園から遠く離れた、ある場所に居た。
 いつものウエスタンスタイルとは異なる赤いエプロンドレス姿、革のテンガロンハットではなく麦藁のウエスタン・ストローハット。
 ツインテールを解きストレートに梳かした髪といい、海兵隊の軍曹というより南部農場主のお嬢様か何かのように見える。
 首から下げたプラチナの銀鎖、その先にあるデリンジャーの二連発四十一口径拳銃さえ無ければの話だが、南部の素封家にはドレスアップしても拳銃を持ち歩く婦人や令嬢も多い。
 見た目や佇まいが変わろうと、決して変わることの無い慧海の内面を示す銀色の拳銃を鳴らしながら、慧海は十時間ほど前に踏み出した双葉島の自宅から目的地へ長い旅の最後の一歩を踏みしめた。

「…時差計算ミスったな…やっぱり間に合わなかったか、まぁいいよな、あんたとあたし、いまさらそんなこと気にするような浅い仲じゃないだろ…」

 慧海は北米南部標準時間に合わせたタイメックスの腕時計を見ながら、照れるように誤魔化すように語りかけた。
 片手には少々不恰好なパラフィン紙の包みと、桃色の花が咲く木の枝が携えられている。

「よう、久しぶり」

 慧海は贈り物を小脇に抱えたまま、目の前の相手に向かって話し始めた。

「知ってたか、日本《ジャパン》のバレンタインデーは女がチョコで想いを伝える日だってこと…知らねぇよな…アハハ…」

 返事は無い、慧海は構わず話し続ける、言葉の返事がなくとも伝わってくるものがある。

「伝えたいこと、渡したい相手、あたしがあんたを忘れるわけないだろ、真っ先にあんたの顔が目に浮かんだぜ」

 抱えていた包みと花を慧海は両手で持ち、誇らしげな笑顔で目の高さに掲げた。

「これ…いつも花束を持ってきてたっけな、今年はウメっていうジャパンの花を持ってきたぜ、…綺麗だろ?」

 慧海が敷神楽邸の門前で普段のジョギングで顔見知りの黒服に花屋の場所を聞いたところ、風流を解す用心棒は立春の頃に最も綺麗な花だと言って一枝手折った梅の花を分けてくれた。
 慧海は手作りのトリュフチョコの包みを目前の石敷きに置いたあと、来る途中で買ってきて水を満たした蒼いガラスの一輪挿しを横に添え、桃色の花が芳香を放つ梅の枝を生けた。
 花器をそこらの空き缶で済ませていい相手ではない。

 ジョン・デリンジャー

 FBIによって社会《パブリック・エネミー)の敵とされた、一九三〇年代のアメリカ中西部を中心に活動した伝説的強盗。
 当時、独占資本家によって支配されていた銀行から多額の金を盗みながらも一般人を傷つけることのなかった彼を義賊と称す人間は多く、今もインディアナポリス州にある彼の墓には花と贈り物が絶えない。
 墓前の物々は一定の間供えられた後、ジョン・デリンジャーの故郷にある孤児院に寄付されることとなっていて、慧海も墓参の前に承諾書にサインした。

「そろそろ行くぜ…じゃあな、あたしの恋人《ラヴァー》、今度会う時はあんたの命日か…あたしの命日だ…」

 墓石に背を向けた慧海は麦藁のウエスタンハットを抑えながら赤いドレスを翻し、背後に待たせてあった海兵隊のジェットヘリに向かって駆けていった。

【danger zoneバレンタイン特別編 Bitter Sweet NINJA】おわり
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