【人外戦線/『花宴の件姫』中編】


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 三



「大人しくここで寝ていろ化物め」
 両腕を切り落とされた晃は、数人の男たちに抱えられて地下の座敷牢へと連れて来られた。男たちもまた花宴に雇われた彼の私兵のようである。いかつい体つきをしており、小柄な晃の身体を軽々と放り投げる。
 晃は冷たい畳の上に転がっていく。両腕は肘の先から完璧に無くなってしまっており、未だに断面が赤黒くぬめっている。失血死しないように腕を切り落とした李玲本人が晃の腕に糸を巻き、止血をしていたため、もう血は完全に止まっている。だが普通の人間ならばショック死してもおかしくないほどの大怪我である。晃もあれから一言も声を発さず、何一つ抵抗せずにここまで運ばれてきたのだ。
 鉄格子を閉じられ、鍵をかけられる。
 その中にいる紫の着物を羽織っているリーダー格の男は、鉄格子越しに晃の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせ、瀕死状態の晃を睨みつけている。
「まったく当主の趣味は理解できないな。こんな化物、生かしておかずすぐに殺してしまえばいいものを」
 汚物を見るような目で晃を睨み、神を掴む手に力が入る。
「だいたいこの不気味な仮面はなんなんだ。気持ち悪い、取っちまうか……」
 そうして男は晃の後頭部にある仮面に手をかける。すると、晃が何やら小さな声で呟いているのが聞こえた。
「…………るな」
「ああん? 何か言ったか?」
 男は晃の言葉が気になり、耳を晃の口元へと近づけた。
「仮面に触るなって言ってんだよ糞野郎!」
 そう晃は叫び、目を見開いて顔を近づかせてきた男の耳に噛みつき、そのまま力づくで引きちぎってしまった。それを見た仲間の男たちが晃を掴みかかろうとするが、晃はさっと後ろに下がり、男たちの手は鉄格子によって阻まれる。
「ぎゃあああああああ!」
 男は大きな叫び声を上げ、晃の頭から手を離して激痛のためのたうちまわっていた。晃の口の中には血の味が広がり、耳のぐにぐにとした触感が支配している。晃はぶっと口の中の耳を吐きだす。びちゃりという音とともに血と唾液に塗れた男の耳が畳の上に跳ねた。
「耳を噛み千切られたくらいで大の男が喚き立てるなよ。こちとら両腕切り落とされてんだぜ」
 晃は泣きながら耳を押さえる男を可笑しそうに笑いをこらえて見下ろしていた。腕を切り落とされ、敵の牢に閉じ込められるという圧倒的不利の立場でも、晃は決して屈することはない。それが戦鬼である両面族としての誇りであった。
「このクソガキが!」
 周りにいた他の男たちは着物の袖から拳銃を取り出して晃へと銃口を向けた。
 だがその殺気立った男たちを止めたのは後ろで一部始終を見ていた李玲であった。
「よせお前ら。主のコレクションに勝手に傷をつけたらお前たちもただでは済まないぞ」
 男たちは李玲を睨みつけ、憎々しく舌打ちをする。彼らはどうやら李玲に対していい印象を持っていないようである。
「俺らに意見するとはな。あんま調子のんなよ殺し屋風情が」
「ふん。あたしはお前たちのために言ってるんだ。いいからもう下がれ」
「うるせえ。大体お前は――」
「下がれ!」
 李玲は殺意の籠った瞳で男たちを睨みつけ、有無を言わせぬ口調で男たちを一喝した。びりびりという殺気に当てられ、男たちは大人しくなり、拳銃をしまっていく。
「ああそうだ。とっとと下がれよ。それにそいつの耳、早く医者のとこ持ってかないとくっつかなくなっちまうぜ」
 李玲に気おされている男たちを晃はへらへらと笑いながら見ている。それはどこか楽しそうで、狂気に染みた目の光が宿っている。男たちはまだ何かを言いたそうだったが、耳を噛み千切られ、のたうちまわっている男を抱えて座敷牢から出て行ってしまった。そこに残ったのは晃と李玲だけである。
 李玲は腹立たしそうに二人の間を遮っている鉄格子をがしんと蹴った。びりびりと振動が部屋中に伝わる。
「お前は生かされているということを忘れるなよ、両面族の小僧。主が許可すればあたしだってお前をすぐにでも殺してやるんだけどね」
「粋がるなよ飛頭蛮のメスガキ。パンツが見えてるぜ」
「その減らず口がいつまでもつか見ものだな」
 李玲は鼻を鳴らし、踵を返して地上への階段を上り、座敷牢から姿を消した。
 残された晃はどうしたものかと頭を掻こうと思ったが、自分の手はもう失われているのだと気付き、溜息をつく。
(ったく。面倒なことになったな……飼殺すくらいならその場で首を切れってんだよ)
 晃は苛立ちながら鉄格子をがあんと叩く。失ったのは両腕だけで、命が救われたことは奇跡なのだが、晃にとってそれは屈辱でしかない。
 腐っていても仕方がないので、晃はぐるりと座敷牢の中を見渡した。案外中は広く、窓がないことと冷たい鉄格子がなければごく普通の和室と変わらないであろう。“件”を閉じ込めるためにこしらえたものなのだろう、晃のような敵対者を閉じ込めておくためには少々勿体ない作りである。
 晃が後ろを振り向き、座敷牢の奥に視線を向けると、その柱の影に何やら蠢く人影が見える。
 一連の騒ぎを見て怯えているのか、中々姿を見せようとはしない。痺れを切らした晃はそこにいる人物に話しかける。
「おい。そこにいるんだろ“件”」
 晃がそう呼びかけると、柱の影から顔だけを出した。その人物は晃をおどおどとしながら見つめている。
 そう、それは一見して少女のように見えた。
 歳は十四か十五くらいであろう、目が隠れるほどに長い前髪を均一に揃え、後ろ髪は肩にかかるくらいの長さである。
 整った顔立ちに宝石のような丸い瞳、その髪型も相まって真っ赤な着物を着込むその姿はまるで市松人形のようにも思えた。
 晃はその姿に驚きを禁じえない。
 この座敷牢に閉じ込められているのは“件”だと聞いていたからだ。件とは頭が人間、体が牛、あるいはその逆という半人半牛の妖物である。てっきりここに閉じ込められているのはそのような人間からかけ離れた容姿をしている怪物だと思っていたからだ。
 だが考えてみれば当然かもしれない。怪物を閉じ込めるのに座敷牢は使わないであろう。このような場所を使うのは人間だけだ。
 晃は拍子抜けしたように深い溜息をつく。
「お前……本当に“件”なのか?」
 晃にそう問われ、着物の少女はびくりと身体を震わせる。そのまままた柱に身体を隠してしまった。仕方ないであろう両腕からは断面が見え、しかも先ほど男の耳に食らいついたこのガラの悪い少年に話しかけられ、不審に思わないほうがおかしい。
「安心しろよ。別にとって食やしねーっての。俺はお前の味方だ。お前を助けに来たんだよ。……っても捕まっちまったけどな」
 晃はさっと立ちあがり、少女のもとへと歩いていく。すると少女は部屋の隅に逃げ、壁に寄りそうように晃に背を向ける。目だけは晃に向けられているが、その瞳からは恐怖の色が見え、怯えているため身体が震えている。
「あ、あの……あ、あ」
 少女は喉を鳴らしながら必死に声を絞り出していた。なんだかそれはとても戸惑った様子で、恐怖から喋れないという感じではない。もしかして長い間言葉を話すことがなかったのではないか。会話をする人間がいなかったのではないかと晃は思った。
 晃は身を屈め、座り込んでいる少女と目線を合わせる。慣れない笑顔を作り、安心させるように笑いかけた。
「落ちつけよ。ちょっとずつ声が出るように慣らしておけ。長い間誰とも喋ってないと急に声は出なくなるからな」
 子守りなんて晃には向いてはいないが、まずは会話しなければどうしようもない。安心させようと無理矢理笑顔を作ってみるが、ぎこちなくなり余計に怖い顔になってしまう。
 晃はどうしたものかと眉を曲げ、口をへの字にして無い腕を組んでいる。そんな困っている晃の様子を見て、少女は少しだけ落ちついたように晃に向き直り、真面目な顔でこう言った。
「あ、あの……あなた誰……なんですか……?」
 その声はか細いが、とても澄んでおり、穢れの一切ない水晶のように清らかな声であった。まだその声に怯えは残っているが、どうやら晃と会話するつもりにはなっているようである。
「俺は小録晃だ。さっきも言ったようにお前を助けに来たんだよ。まあこの体たらくだけどな」
 晃は自虐するように肩をすくめる。
「お前の名前はなんだ。名前がわかんねーと不便だろ。教えてくれよ」
「……澪《みお》」
「よし、澪。よく聞け」
 晃は双葉学園のこと、自分の素状、そこで件が保護対象にされていることを簡単に教えた。澪はそれを黙って聞き、時たまこくこくと頷いて話を理解していることを示している。久しぶりに面と向かって人と会話することに緊張しているのか、着物の裾を白い指で握りしめている。だが、目をそらすことなくじっと晃の眼をみつめていた。
「それでお前は本当に“件”なのか? そんな風にはまったく見えねーけど……」
 晃はじっと澪の顔を見つめ返す。美しい顔立ちをしていて、伝承にある“件”の造形とはかけ離れている。晃は鼻をすませて見るが、獣の臭いは感じられない。
 すると澪は自分の前髪をかき上げ、おでこを晃に見せつける。
「これは……」
 晃は彼女のおでこから|生えている《・・・・・》ものを凝視する。そこには二本の突起物、まるで角のようなものが突き出していた。それは小さく、髪を下ろせば目立たないものであるが、確かに牛の角のようなものであった。
 晃はそれを見てとある仮説に至る。
 両面族も元々は後頭部に本当の顔があったのだが、時代と共に両面族としての特殊性が薄れ、ほとんど普通の人間と変わらない容姿になっていった。ゆえに今の両面族はもう一つの顔の代わりとして仮面で代用しているのだ。
 ならば件もまた、両面族のように時代を経て人間と変わらない姿として現代に現れるようになったのではないかと晃は考える。
 特に件は両面族や飛頭蛮のような“血族”ではなく、突然変異で生まれるものだ。
 それは牛から生まれたり人間の女から生まれたりと様々だが、いつどうやって何が原因で件が生まれるのかはわかっていない。一説では何か世界の大異変が起きる時に生まれるという話もある。時代に応じてその姿が変わっていっても不思議ではないのだろう。それでも学園側が手にしている件の資料はやはり半人半牛のものばかりである。人間と変わらない容姿で、件の力を持つ種はとんでもない希少種であろう。
「ぼく……自分が“件”かどうかなんてわからないです……でもぼくの頭の中で浮かんだ映像は絶対に当たるの。ぼくをここに閉じ込めたおじいさんは“予言”だって言ってたの……」
 澪は辛い事を思い出しているようにそう言った。
 だが、その言葉に晃は違和感を覚える。
「――ぼく? 女の子なのに自分のことを“ぼく”と言うなんて変わってるなお前」
 晃は彼女の一人称に首をかしげる。いかにも大和撫子といった容姿をしているのに、まさか自分のことを“ぼく”と呼ぶなんて驚きである。
 だが、続けられた澪の言葉により晃はさらに驚くことになった。
「…………ぼく女の子じゃないよ」
 そう言う彼女――いや、彼と呼ぶべきか―――の声は相変わらず可愛らしい声で、とても男の子のものとは思えない。着物を着ているためか体つきはわからないが、その顔を見る限り少女にしか見えないであろう。
 晃は驚きのあまり口をパクパクとさせて二の口をきけないでいる。
「お、男……?」
「ううん、男の子でもないの……ぼくには性別というものがないから」
「性別が、無い?」
「正確にはどっちの性別でもある、って言った方がいいのかな」
 晃はその言葉を聞き、ようやく澪の言っていることを理解する。
 件には雄と雌が存在する。雄の件の予言は必ず当たり、雌の件は予言を回避する方法を教えてくれるという説がある。
 だが一世代限りの突然変異の存在である件に、種を残すための性別が必要あるとは思えない。先ほどの説が本当でも、これでは雄と雌、片方だけではまるで役に立たない。雌雄がそろってこそ意味があるものだ。ならば雄と雌は同時に存在しなければならないであろう。
 つまり件とは、雄でもあり雌でもある。男であり女である存在なのだろう。一部では神に等しい存在として語られることもある件。神の中には両性具有の者は数多く存在する。件もまた、その一つなのかもしれない。
 件の資料は未だに少ない。突然変異で生まれるためそれまでの資料もほとんど参考にはならない未知のラルヴァである。現に以前学園は“七色件《なないろくだん》”と称される変わり種と接触したこともある。件はどう生まれ、どういう存在になるのか、まったくの未知数なのである。
「なるほどね。色々難しい事情があるわけだな」
 男でも女でもない澪とどう接したらいいか晃はわからなくなってしまった。だが、たとえ性別がなんであろうと澪は保護しなければならない対象だ。むしろ女嫌いの晃にとって、男でもあることは逆に気が楽になったかもしれない。
 だがちらりと澪に視線を向ければ、知り合いの中のどの女性よりも女の子らしいその容姿に、思わず顔を赤らめてしまう。
「ねえ、お兄ちゃん……」
「お、おおおおお兄ちゃん!?」
 澪に突然そう呼ばれ、思わず晃はずっこけそうになる。まさか自分がそんな風に呼ばれることがあるとは思ってもみなかった。だが、そう呼ばれると言うことは少なくとも信頼されているのだろうと思い、悪い気はしない。
「ぼくをここから連れ出してくれるって言ったけど……それは無理だよ……」
「無理だって? 何最初から諦めてんだ。この俺を誰だと思ってやがる。俺は両面族の――」
「無理なの。だってもうぼくには|視える《・・・》んだもん。お兄ちゃんが死んじゃう光景が視えちゃったの! 死なないで、ぼくとずっと一緒に居てよ!」
 それは悲痛な訴えであった。半ば懇願であろう。未来が視えるということはこういうことだ。
 本人の意思に関係なく知ってしまう。
 ゆえに最初から諦めてしまう。自分を助けに来た人間を、久しぶりに言葉を交わした人間が死んでしまうことなんて耐えられない。澪のこの言葉を責めることができる人間なんていないだろう。
「バーカ。俺が死ぬかよ」
 晃は涙ぐむ澪の頭を撫でてやろうと手を出すが、自分の両腕は切り落とされているのはだと思いだし、すぐに手を引っ込める。
「だって……お兄ちゃんが斧で斬られる姿が視えたの……。あの怖い女の人にやられちゃうのが……」
「斧……飛頭蛮か」
 晃は少しだけ押し黙ったが、すぐににやりと口を曲げ、楽しげに声をあげて笑い始めた。
「俺は負けねーよ。誰にも負けない。あの飛頭蛮の女は俺が倒す」
「で、でも……」
 それでも心配そうにする澪を、晃は手のない腕で抱き寄せる。澪の髪のいい匂いが晃の鼻をくすぐる。突然抱きしめられ、澪は顔を赤くし目をぐるぐるとさせていた。二人の鼓動が重なり合い、まるで一つに溶けてしまうかのようであった。
「な、なにお兄ちゃん……?」
「大丈夫だ。俺に任せろ。俺が絶対にお前を助けだしてやる」
 晃のその言葉に、不思議と澪は心を落ち着かせていく。彼の言葉に偽りがないことを悟ったのだろう。澪は自身の瞳を濡らしている涙を拭い去る。
「でも。この牢からどうやって出るの……?」
 そう言われ、晃は少しだけ澪から身体を離す。
「澪、俺のズボンの中に手を突っ込んでくれ」
「ほえ?」
 晃に突然そんなことを言われ、澪は顔をさらに真っ赤にさせて俯いてしまった。
「な、なんでそんなこと……変だよそんなの……男の子同士でそんな……」
「何言ってんだお前。いいからズボンの中のものを掴めって」
 晃の言葉は有無を言わせぬもので、澪は恐る恐る晃のズボンの中へと手を伸ばす。そして澪は晃のズボンの中にある硬いものを握り――
「ってあれ? これは……鍵……!?」
 澪が晃のズボンの中で掴んだものは鍵であった。澪はそのまま晃のズボンから引っ張り出す。
「さっきあの男の耳を噛み千切った時にちょろまかしてやったんだよ。みんなあの騒ぎの中誰も気づいちゃいなかったぜ」
 どうやら晃は鍵を手に入れるためにわざと男たちの注意を逸らすためにあのような凶行に走ったようである。そのままばれないようにズボンの中へと入れてしまっていたのであろう。晃の体温で鍵がぬくぬくとしている。
「多分それはここの鍵だ。さあここから抜け出そうぜ」
 晃はすくっと立ち上がり、悪戯小僧のような純粋で邪悪な笑みを浮かべていた。


   ◆


 晃の切り落とされた両腕を、花宴は楽しそうに見つめている。
 自室の机の上に置き、まるで骨董品でも観賞するかのようににやにやと笑いながら見つめている。
(あの両面族の腕か……。これはいいコレクションだ。両面族は自尊心が高いと聞くから李玲のように私兵にできぬのが残念だが……)
 花宴はその両腕を大事そうに豪勢な箱にでも詰めようと手に取ってみるが、そこでふとその腕に違和感を覚える。
(むう、おかしいのう。傷が無い……?)
 その晃の左腕には傷がなかった。手のひらを拳銃で撃ち抜かれたはずなのにその傷が綺麗さっぱりと消えてしまっている。
 おそらく銃で撃たれたと思ったのは気のせいだったのだろう。そう思うことにして花宴はそのままその両腕を自室の棚へと仕舞いこんだ。



 四



 例の鍵で座敷牢の鉄格子を開いた晃と澪は、地上への階段を上っていく。
 薄暗く、じめじめとしている壁に手をかけながら転ばないように気をつけ、澪は晃の後ろをついていく。
「ぼくね、この村の生まれじゃないの。N県の山奥の村で生まれたの。ここと同じくらいの大きさの集落でね。ぼくのお母さんは普通の人間だったし、お父さんの顔は見たことないけど、きっと普通の人間だと思う。なのにぼくはこんな風に角が生えて、男でもおんなでもなくて、未来や遠くの出来ごとが見えるようになっていって、自分がまともな人間じゃなって知ったの」
 何年ぶりかに牢を出て、脱出を図ろうとしているということに、澪は不安を感じ、黙っていると押しつぶされそうな気分になっていた。そうして少しでも気を紛れさせようと自分の生い立ちを語り始める。
「ぼくの噂は山を越えて人里にまで響いていったんだ。その噂を聞いた花宴の人間がぼくを売ってほしいって母さんに言ったの……」
 澪は涙を浮かべながら淡々と言葉を紡いでいく。晃はそれを特に相槌も打たず、ただ黙って聞いている。
 澪の母親は自分が産み落とした化物の息子(娘)を忌み嫌い、すぐにでも手放したがっていたようである。大金を得て化物の子供を厄介払いできるならばと、澪の母親は彼女を花宴に売り渡したようである。
 そうして十年近くの間、この座敷牢に閉じ込められ、外に出されることもなく、人と話すことも許されずに長い時間を過ごしたのだと言う。
 晃はそれを無表情で聞いていたが、その瞳には怒りの火が宿っていた。
(人間共め。いつも自分たちの都合で俺たちを迫害し、利用する……)
 もし今彼に拳があったのならば、間違いなく湧きあがる怒りのまま壁を殴っていたであろう。
 そうして階段を登っていくとようやく出口の扉が見えた。
「よし、開けるぞ」
 と、晃が器用に肘でノブを掴み扉を開こうとする。しかし澪が晃のジャージの裾を引っ張ってそれを制止した。
「待ってお兄ちゃん。今ね、“視えた”の」
「何をだ?」
「扉の外に男の人が一人、見張りがいるみたい」
 澪はその件の力使い、先を予知したようである。額に指を置き、彼女にしかわからぬ映像を見ているようである。
 晃にとってそれは好都合であった。予知能力者の澪がいれば案外脱出は簡単にできるのではないだろうか。
「着物の男の人が一人。この先でこの扉にもたれかかってるの。懐刀を持ってるみたいだよ……」
「そうか。だが出口はここしかない。奇襲をかける。少し下がってろ」
「うん」
 晃は呼吸を整えた後ばんと素早く扉を開く。引き戸だったため、扉にもたれかかっていた見張りの男はそのままこっちに倒れ込み、いきなりのことに対応できないでいた。男が階段を転がる瞬間、その顔面に蹴りを入れ、男は気を失ったまま声も上げることなく階段を転がり落ちていってしまった。階段の下は暗く、男がどうなったかはわからないが、一先ず起き上がる事は無いであろう。
「よし、行くぞ澪」
 晃は扉から顔を覗かせ、左右を確認する。ここは屋敷の廊下のようである。近くに人の気配はない。
 屋敷の中は入り組んでおり、まるで迷路のようになっている。似たような景色が広がっていて、どこもかしこも障子には派手な絵が描かれている。目が回りそうになってしまう。
「まるでダイダロスの迷宮だな」
 晃はなんとなくそう呟いた。ギリシャの半人半牛の怪物、ミノタウロスを閉じ込めるために作られたダイダロスの迷宮。それにならって同じ半人半牛の存在である件を閉じ込めるために花宴はこの屋敷のような迷宮を用意したのかもしれない。
「おい澪。どこをどう進めばいいかわかるか?」
「ちょ、ちょっと待ってて……」
 澪は自分の二つの角に触れ、顔の前で手を重ね、目をつぶる。
 すると何かが“視えた”ようで、カッと目を見開く。
「このまま右へ行って奥へ進むと広間に出るよ。そこから抜ければすぐに出口みたい……でも、それと一緒に変なのも視えたの」
「変なの?」
「うん。多分あのおじいちゃんの部屋だと思うんだけど、そこに腕が置いてあって……」
「はっ、それは俺の腕だ。見ろ、こいつはさっき切り落とされたばかりなんだよ」
 晃は澪に腕の断面図を見せつける。いまだにそこ綺麗な赤色がてらてらと光っている。澪はそれを直視できずに思わず目をそらしてしまう。
「ここから脱出するにはまず俺の腕をとり返さなきゃならねーな」
 晃はじっと自分の存在しない腕を見つめる。
「花宴の自室がどこにあるか予知してくれ。どっちにしろここを突破するには腕が無いとちょっと辛いからな」
「え?」
 今さら失われた腕を取りに戻りどうするというのだろうか。くっつけられるわけでもないのに。そう思い澪は不安そうに晃を見上げる。
 だが、その晃の顔は自身に満ち溢れており、適当なことを言っているわけではないのだと澪は感じた。






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