【双葉学園怪異目録 第七ノ巻 一寸ババア】

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 授業の終わるチャイムが響き、教室を夕日が朱に染める。
 友人たちにカラオケに誘われたが、今日は新しく入れたバイトがあるので断らざるをえなかった。
 付き合いが悪い、と怒られたがまあ仕方ない。埋め合わせは別の機会にすることを約束した。というかさせられた。
 そんなわけで俺こと夕凪健司は、荷物を担いで教室を出て……
「あ、ケン兄」
 声がかかる。
「……親分に由梨ちゃん」
 その声の方向を見ると、二人がいた。高等部の校舎に珍しいな。
「どうしたんだ?」
「いや、姉ちゃんに用事があって。もう済んだけど。で、ゆりっぺは誰かさんに会いたくてここに痛てえっ!?」
 飛び上がる親分。どうやら由梨ちゃんが親分の足を踏みつけたようだ。
「うおお……」
 足を抱えて飛び跳ねる親分。そういえば成長期の頃は節々が成長するので爪とか打ちつけたらものすごく痛かったのを思い出す。痛いだろうなあ。
 しかし袖引きの子は今日は来ていないのか。親分が他の女の子と二人、ならついてきそうなものだけど。それとも異能者がウジャウジャいる双葉学園の校舎だから来たくても来れなかったのだろうか。
 そう思って俺が親分の方を改めて見て……
「……?」
 その時、俺がそれを見たのは偶然だった。
 夕焼けの逆光の中、窓のサッシに捕まる小さな影。
 それが持つ銀色の刃物が、夕日の色を照り返して血のような赤に染まる。躍り出る影。それは親分の背中に飛び掛り、その凶器を振るった。




 双葉学園怪異目録

 第七ノ巻 一寸ババア




 いい加減にしつこくてうんざりするかもしれないが、それでもあえて言おう。
 この手のものへの対処は、距離をとる、見てみぬ振り、臭いものには蓋、が常道であり鉄則だ。こないだの橋姫の時の一件からも判るように、こちらから縁を繋げばあちらからも繋がってしまう。
 見ないほうがいい、関わらないほうがいい、そういうものだ。俺が生まれる前の、1999年以前は人と怪異怪物はそうやって互いの領域を守ってきたのだ。それが正しい人の在り方だ。望んで怪異に関わるものではない。
 そう……だけど。
「ふんッ」
 俺は手を伸ばし、それを掴む。
 小さな影……15センチくらいのそれは、刃物を持った老婆だった。というか小さすぎるだろう。どう見ても人間じゃない。
「ギイッ!」
 その老婆は俺の腕にナイフを振り下ろす。急に目標を変えたからか、それとも捕まれたままで体勢が変だからか、その刃物は制服ごしに俺の腕をかすっただけですんだ。だがそれでも切り裂かれて血が滲む。
「……っ!」
 すぐに俺は窓を開け、痛みに耐えながらその老婆を全力でブン投げる。老婆は中庭の木に叩きつけられ、そのまま池に落ちて沈んだ。敬老精神は今回に限り無視することにする。
「お兄ちゃん、今の……」
 由梨ちゃんも気づいたようだ。俺が何を掴んでいたか。
 明らかな怪異、殺意を持った小さい老婆。それが明確に親分を狙っていた。関わらなきゃいいとかそういう話じゃない。あったから狙ってくるならそれは別の話だ。
 俺が見てみぬふりをすれば俺だけなら助かるだろう、だけどそんなこと出来るわけが無い。
「え、何……」
 親分がきょとんとして聞いてくる。だが、親分が狙われた以上、このまま無事にはすまないだろう。
「……!」
 由梨ちゃんが息を呑む。
 ……それは一匹ではなかった。天井に、壁に、ざっと見ただけで五匹。小さな老婆が皺くちゃの顔を醜悪に歪め、刃物を抱えて笑っている。
「走れ!」
 俺は叫ぶ。その俺の声に、固まっていた親分と由梨ちゃんが弾けるように走り出す。俺は、二人の速度に合わせながら後ろを見つつ走る。案の定、老婆たちは襲ってくる。実にすばしっこいが、体格の差を差し引くと移動速度は対して変わらない。逃げ切れるかどうかは微妙だが、少なくともすぐに追いつかれて殺されるということは無いだろう。
「なっ、なんっ、なんなんなんだよアレ!」
 親分が走りながら叫ぶ。
「きっ、聞いたことあるよ、確か……一寸ババアって……!」
「俺も聞いたことある。それなら」
 由梨ちゃんが言う。俺も知っているそれは、都市伝説、現代妖怪と呼ばれる類のラルヴァだ。学校によく出没するらしい。
 大きさは様々だが、だいたい3センチから30センチぐらいの背丈の、刃物を持つ老婆の怪異。それは人を襲い切り刻み血まみれにする。場合によっては命すら落とすらしい。
 しかしどうにも、なんで都市伝説系ラルヴァにはババアが多いのだろう。ターボババアとかジェットババアとか足売りババアとかロリババアとか。
 そんなくだらない現実逃避ギリギリなことを考えながら、俺たちは走る。
「ぐっ!」
 足に灼熱の痛み。一匹の一寸ババアが取り付き、カッターナイフで切りつけていた。
「こ……のっ!」
 振り払う。幸い、ふくらはぎの部分だった。ここがアキレス腱とかだったらやばかった。
 しかしどうする。このまま逃げ続けても埒が明かない。こんなときに、さや……は逆に彼女も危険だ。怪王……はいても駄目か。ババアたちにバラされるのがオチだ。ベルフェゴールがいてくれたらまだ……そうだ! いなければ、いる所にいけばいい。あいつは便所の悪魔だ。こないだだって便所を次々に移動していた。
 ならば……
「親分、由梨ちゃん、こっちだ!」
 俺は二人に声をかけ、角を曲がる。目指すはこないだの、ベルフェゴールと出会ったあのトイレだ。
 そこにいきさえすれば……なんとかなるはずだ。
 俺たちは殺気を背に受けながら、息を切らして走る。
 そして階段を駆け上がり、廊下を駆け抜け、トイレに転がり込む。
「やった……!」
 そして、その個室を開ける。
「……」
 親分が固まり、由梨ちゃんが息を呑む。

 忘れていた。

 そう、俺は、俺たちは、忘れていた。
 その光景を見るまで、忘れていた。それが何よりの失態だった。

 トイレの個室の蓋が開く。そこから這い出てくる、醜悪な顔の小さい老婆たち。
 便器から這い出る。隙間から這い出る。タンクから出てくる。排水溝から出てくる。
 老婆、老婆、老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆老婆。
 ニヤニヤと、ゲラゲラと、キイキイと、ゼイゼイと、不協和音がトイレに響く。
 そう、忘れていたのだ。
 一寸ババアもまた……トイレに出る怪異だったということを。

「あ……あ、なんだよ……これ」
 親分が青ざめた顔で歯を鳴らす。由梨ちゃんはもう声も出ていない、今にも失神寸前の蒼白な顔で震えている。
 かくいう俺も、恐怖で全身が凍り付いていた。なんだこれは。多すぎる、これじゃあ血まみれどころじゃない、バラバラにされて俺たちはただの肉片になって見つかるだろう。冗談じゃない!
 ……だが、まだ希望を捨てるには早すぎる。
「大丈夫だ」
 震える声を無理やりに張り上げ、俺は親分と由梨ちゃんに言う。
「ここはどこだ、双葉学園だ! だから、すぐに!」
 そう、すぐに異能者たちが異常を察知してやってくる。この学園には、かっこよく助けに来てくれるヒーローが何人も、何十人もいるんだ。だから、あきらめなければ、必ず助かる!
 俺は二人をしっかりと掴む。ぎゅっ、と二人は握り返してくる。
 そうだ、俺にはもう何も出来ない。話が通じる相手じゃない。見ることしか出来ない俺には、もうなすすべが無い。だけど、なすすべが無くても……それでも、この二人は絶対に守らないといけない。
「ゲキヘャァアアアアアア!!」
 一寸ババアが奇声を上げて飛び掛る。
「な、ケン兄……!?」
「お兄ちゃん……!」
 俺は、庇う。
 がばりと、二人を抱きかかえ、盾になる。一寸ババアに背を向け、二人を守る。
 背中を切られても、あのサイズのババアたちの攻撃じゃ一撃で死ぬことは無いはずだ。とにかく耐える、誰かが来るまで耐える。たとえどうなっても、この二人だけは……!
 ……。
 だが、どんなに待っても、俺の背中に痛みは走らない。
 もしかして、一撃で深々と首でも斬られて即死で痛みを感じない? いや、それはない。死んだのなら、抱えたこの二人の感触は何だ。ちゃんと生きてる、俺も、この二人も。
 じゃあ、何だ? 何が起きた?
 いぶかしがる俺に、声がかかる。

「言ったはずだぜ、てめぇの身も守れない青二才が怪異に首を突っ込むと火傷する、ってな」

 それは中年の声だった。小さいが、しかしよく通る渋い声。
 その人は、俺の背中に立っていた。
 そして、一寸ババアたちの刃物を、その両手と片足で受け止めていた。
 煙草の紫煙をくゆらせながら、笑う。
 その、身長15センチくらいのおじさんは、俺に向かって言った。

「だがてめぇの身を守れなくても……てめぇの身を張って女を守るぐらいには、成長したようだな、ビッグボーイ?」

 おじさんは、身体を回転させ、その三匹の一寸ババアを投げ飛ばす。
「え、な、なんだこのおっさん?」
 親分が言う。確かに驚くだろう。小さなおじさんだ。白いスーツとネクタイ、帽子に身を固め、つらに小さい煙草を加えたその姿は、渋くも滑稽である。
「おっさんじゃねぇ。おじさん、だ」
 ちっちっち、と指を振りながらおじさんは親分に言う。
 そう、「小さなおじさん」……都市伝説系ラルヴァ。芸能人たちに多く目撃されていると言われる、おじさんの姿をした妖精とも言われる、謎のおじさんだ。俺はかつて、このおじさんに助けられたことがある。
「しかしまあ、とおりがかってみればまた、モテモテだな」
 苦笑するおじさん。いや、俺もこんなのにモテたくはない。問答無用で切り殺しに来るなんてどんなヤンデレだよ。
「まあそりゃそうか、お前のようなのが一番タチが悪い」
 遠巻きに俺たちを見ている一寸ババアを前にして、おじさんは携帯灰皿で煙草の火を消す。
「視れる、触れる、だのに自分も守れない非力でひ弱な軟弱小僧の青二才。ああ、そりゃ格好の獲物さ」
 新しい煙草に火をつけ、おじさんは言う。そのすきだらけに見える姿に、しかし一寸ババアたちは動けない。
「なぜあいつらが人を襲い、殺すか判るか?」
 おじさんは俺に問いただしてくる。
「都市伝説、怪談、人の噂が実体化した怪異、人の恐怖の形で……」
「違うな」
 俺の答えを、おじさんは一蹴し否定した。
「それが連中に許されたコミニュケーションだからさ。不器用で哀れな連中。自分たちの存在を人に伝えるには、そうするしか出来ない……哀れで滑稽な、かわいそうな連中なのさ」
 それは、幽霊と同じ。夢枕や心霊写真などで、自分たちの存在を、未練を気づいてもらおうと必死に縋るあり方。そうおじさんは語る。……その理屈は、わかる。
「お前のその目は何を見てきた? その手は何を掬ってきた? ガキの小さい手じゃどうあっても零れ落ちるものは出てくるさ」
 おじさんは続ける。
「見えるって事は、見られるって事だ。怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。長く深淵を覗く者を、深淵もまた等しく見返す……フリードリヒ・ニーチェ。
 戦わなくても同じことだ。特に未練執着が形を成す怨霊ってのは、縋り付くものなんだよ。哀れな彼らは、ただ助けてほしい、知ってほしい一心で自分たちを視れる者に縋り付く。
 お前はそんな連中に何をしてやれるんだ、お前は正義のヒーローか? 助けを求める全ての誰かを助けられる正義の味方か? 違うだろう。お前はどれだけの力で何を救えるんだ?」
「……」
 言葉が無い。それは本当に事実でしかない。特に最近の俺は、次から次へと自分から関わりすぎた。
 もしかしたら……今回、親分が一寸ババアに襲われたのすら、俺のせいかもしれない。
「お前がやってることは、溺れてるやつらの前に小さなイカダでホイホイと進むようなものだ。そりゃ、すがるさ。そしてお前は引きずり込まれ、そこにはどっちも溺れ死ぬというバッドエンドが待っている。いずれそうなる。
 ……それが嫌なら、そんな目玉抉り取るか、あるいはすっかり忘れちまいな」
 そのおじさんの突き放した物言いに、
「そ、そんなこと……ないです!」
 由梨ちゃんが声を張り上げる。
「お兄ちゃん、私を助けてくれました!」
「由梨ちゃん……」
「私が、変な旧校舎に取り残されてて、すごく不安で……怖くて死にそうで……だけどその時、助けてくれて」
「そうだ!」
 親分も負けじと声を張り上げる。
「何も知らねぇで俺の子分を馬鹿にすんなよおっさん!」
「親分……」
 二人の言葉に目頭が熱くなる。
「なるほど、ただ無駄に歳月を重ねただけじやねぇようだな」
 ふっ、と笑い、帽子のつばを深く下げる。それを好機と見たのか、一寸ババアが襲ってくる。
 だが、飛び掛る一寸ババアを、回し蹴りで撃墜するおじさん。その一撃で一寸ババアは爆発四散し、その黒ずんだ肉片を煤のように空気に溶け込ませながら、消える。
「女に手を出す趣味はねぇが……外道は別だ。かかって来な、お嬢さんたち。俺が優しく地獄へエスコートしてやるぜ」

 そこから後は、一言で言えば小さいおじさん無双だった。
 何十匹もいたであろう一寸ババアを、次から次へと打ち倒していく。全ての一寸ババアが消えるのに、一分かかっただろうか。
 俺の見鬼の力で確かめても、もはや一寸ババアの気配は完璧に消えていた。
 そして気が付けば……おじさんもまた、いつの間にか消えていた。


「……お礼、言いそびれちゃった」
 由梨ちゃんが言う。
「つーか、怒鳴っちまって、謝れなかったな」
 親分も言う。
「……まあ、あのおじさん、神出鬼没だし」
 きっとまた会えるだろう。前だってそうだった。ぶらりと現れては、別れも告げずに去っていく風来坊だ。今頃、どこかの女性の下に転がり込んでバーボンでも飲んでいるんだろう。
 結局、なんと言うか、今回も俺はまた何も出来なかったな。前の、あの時と同じだ。おじさんに助けられるだけの無力な子供のまま。
 さやや怪王やベルフェゴヘールがいなければ、本当に何も出来ない。自分の無力さに情けなくて、正直ちょっと泣きたくなってくる。
「でも、ケン兄ぃもかっこよかったぜ」
「……え?」
 予想外の言葉が親分から来る。震えることしか出来なかった俺が、かっこいい?
「うん……庇ってくれて、その……とても安心できたよ」
 庇ったとはいうが、啖呵のひとつも切れずに、二人を抱えて丸まって震えることしか出来なかった。
 客観的に見て、無様なことこの上なかったと思うのだが……
「サンキュな、ケン兄」
 ……まあ、その言葉はありがたく受け取っておこう。
 かっこよかった、か。
 正直、よくわからない。かっこよさとは、ずっと無縁だと思ってたし、今でもやっぱりそう思う。
 ただ視れるだけの能力、頭も運動神経も特筆するものはない、普通の人間だ。だけどそれでも……出来ることを足掻くことで、この二人を助けられたのなら……少なくとも彼らがそう思ってくれているのなら、それは、誇っていい事なんだろう。
 ヒーローにはほど遠いけれど。戦うことなんてできないけれど。
「へへっ」
 親分が笑う。由梨ちゃんもはにかむ。俺は二人に笑顔を返す。
 ……結果よければ全てよし、か。世の中、そんなものなのかもしれない。境界がどうとか、湖岸と彼岸がどうのとか、案外と……くだらないことなのかもしれないと、ちょっとだけ思った。
 どう悩んだって、俺は変わることは出来ないだろう。なら、何を言われようと、今の自分でいればいい。
 ……おじさんだって、少しは褒めてくれたわけだし、うん。
「……そうだな」
 俺は頬を叩き、気合を入れる。
「……あ」
 そして、気づいた。
「?」
「どうしたの?」
「……バイトだったああああああああ!」
 やばい。完璧に忘れていた!
「じゃあ二人とも、また今度!」
 俺はそう言い残し全速力で駆け抜ける。超まずい、殺される!
「うなー」
 走る俺と猫がすれ違う。
 猫の鳴き声が暗くなった街角に響く。
 塀の上をとてとてと歩く猫の背中に、帽子を被り煙草をふかせる人影が乗っているような気がしたが、気のせいだろう。


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最終更新:2010年03月06日 16:32
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