【Call of Midas】

    Call of Midas
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 ゴールデンウィーク。
 四月から五月にまたがるこの長期連休は、親元から離れて学園都市島で暮らす生徒が多いこの双葉学園においては学期末に次ぐ帰省の時期である。
 いくら教師や風紀委員が目を光らせようとも収まることを知らない学内の騒々しさも、この時期ばかりは随分と大人しい――それでも普通の学校の放課後レベルなのだが。そんな様にふと物足りなさを感じるようになる、そこで人は自分が心底からこの学園の住人なのだと気付かされるのだ…というのも広く知られている話。
 さて、生徒たちが休みを満喫している中、生徒のお守りから解放された教師たちも同様なのかというと、これがそうではない。
 日々の授業に追われてつい溜まりがちな事務仕事の処理。運動部系の部活の顧問なら活動の監督も必要だ。そして当然、自分の生徒が何か事件に巻き込まれるようなことがあれば動く必要がある。下手に生徒たちが自分の手の届く範囲から離れているだけに何もないことを願いながら待つというストレスも馬鹿にはできない。
 概して、虎の尾を踏む趣味が無いのなら、休日の教師に対して迂闊に「学校が休みだから暇でいいよね」等とは口にしないほうが良いと言えるだろう。
 更に、この双葉学園においてはここならではの事情も追加される。
 小学校から大学までが揃っている複合マンモス校としての姿とは別に、この学園にはもう一つ、ラルヴァという化物から人類を守るための戦闘集団兼養成施設という面がある。
 その主戦力となる異能者――様々な特殊能力を使う人間――は大人の異能者が少ないため学生の異能者に頼らざるを得ない状態だった。それは学内の治安維持も同様で、実質的に風紀委員会、つまりは学生たちだけで構成された集団が主軸となっているのだ。
 そのため、風紀委員の数が減ってしまえば――彼らも生徒であり一般生徒ほど自由にではないが連休を楽しむ権利がある――その分は大人たちが頑張らなければいけない。
 原理論で言えば少年少女にそんなことをさせること事態がおかしいのであり、大人として、教師として当然の責務と言えるのかもしれないが、それでも負担なのには変わりが無い。
 とまあ前置きが長くなってしまったが、ゴールデンウィークも半ばのこの日、双葉学園の教師である春奈(はるな)・C(クラウディア)・クラウディウスが連休にもかかわらず若干の疲労と共に朝の目覚めを迎えたのはそういう背景があってのことであった。
「おなかすいたな…」
 昨日の仕事がもたらした疲労もあいまって、空腹感は春奈の心を憂鬱の青に淡く染めていた。
 もっとも、好んでというわけではないが清貧な生活を送り続けている彼女にとってはそれは日常の範囲を踏み外すものではない。
 だから、彼女はいつもと同じように顔を洗うため洗面所へと向かった。
(でも、もうちょっとお金があればなあ…)
 まだ給料日からさほど日が過ぎていないため、現在懐にそれなりの金は残ってはいる。だが、これから今月の給料日までのやりくりを考えるとできうることの選択肢はどうにも乏しい。
 そんな我が身の世知辛さを噛みしめながら洗顔を終え、顔を上げる春奈。と、彼女の目に光が飛び込んできた。
 いつもならありえない方向からの光に目をやると、そこでは洗面台の蛇口が電灯の光を受け眩しく輝いている。
「?」
 まるで少し前にTVで見た豪邸のそれのように金色に輝く蛇口。当然、彼女にはそんな金ぴか趣味も、ましてやそんな散財をする資力もない。
 ごくごく普通の洗面台と金の蛇口との滑稽なまでの落差もあって、春奈は目の前の光景をどうにもリアルなものとして捉えることができなかった。あるいは、自分と金との間に関係線を結ぶことができなかったからかもしれない。
「いくらなんでもバランスが悪いですよねー」
 だから、彼女の最初のリアクションはそう言って苦笑しながら洗面台を撫でてみることだった。
 そんな彼女の目の前で、瞬時に洗面台が金色のもへと変容する。
「……………ええっ!?」
 二秒ほどの思考停止を経て、春奈の口から驚愕の声が飛び出した。
 恐る恐る、その場で唯一金に染まっていない鏡に触れる。途端、鏡は彼女の姿を映すのを止め金のプレートへと姿を変えた。
「ええーーーーーっ!!」


 春奈の報告は、全く疑われることも無くごく自然に受け入れられた。
 もっとも、それが幸運といえるかどうかははなはだ疑問であった。なにしろ、双葉区中で同様の事態が相次いでいたのだ。
 事態の全容は未だ掴めないではあったが、とにもかくにも非常事態ではあるということで即座に対策本部が立ち上げられた。
 対策本部のリーダーに選ばれたのは現在学園都市島内にいる職員の中の最上位職者、学生課長の都治倉喜久子(つじくら きくこ じゅうななさい)。
「現時点をもって双葉区の外への移動を全面的に禁止します。そう、封鎖です」
 それが着任した彼女の第一声だった。
 現在この学園都市島では錬金術師が臍を噛んで悔しがる程に錬成の奇跡が大安売りの状態である。流れるように生み出される金が一般の社会に流れてしまえば経済にどのような影響がもたらされるか計り知れない(ニュースを見る限りでは他の場所ではこんな事態は起きていないようであった)。そういう見地からの命令である。
 次いで現在双葉区内にいる全ての学園職員の召集を命じた彼女は、次々と集まってくる職員を封鎖作業の手伝いや情報収集のために次々と送り出していった。
 指揮所として接収された第二体育館に入っていく人の流れと出ていく人の流れ。この二つが渾然と混じりあった騒然はしばし続いたが、一時間ほどするとようやく一段落ついてきた。
「やっと職員も全員来てくれたみたいね。お疲れ様、って言ってあげたいけどこれからが大変だから気を抜かないで」
 指揮所で職員たちとの連絡や集まってきた情報の整理を行っている事務員たちにねぎらいの言葉をかける喜久子。と、一人の職員が彼女の方に向き直った。
「あの…今言おうと思ってたんですけど、一人だけ連絡が取れない教師の人がいます」
「誰かしら?」
 告げられた名前を聞いて、喜久子ははあ、と小さく溜息をついた。
「仕方がないですね。猫の手でも借りたい事態です、直接呼びに行きましょう」
 僅かに考えにふけっていた彼女は一つ頷くとそう口にする。
「ついでに近場の状態だけでも直接見ておきたいですしね。クラウディアス先生、大道寺先生、ついてきてくれませんか」
「あ、はい」
「分かりました」
 指揮所に残っていた春奈と彼女と同じく高等部一年の担任である大道寺功武(だいどうじ いさむ)が突然の要請に慌てて立ち上がった。


「もうこの辺りでいいんじゃないですか?」
 体育館から少し離れると喧騒が急に収まり、この学園らしくない静けさがその場の支配者となっていた。無闇に混乱を増幅させないように全ての生徒に帰宅命令が出されたためだ。
「先生一人連れてくるのと近場の視察だけの用でわざわざ対策本部のトップが出向く必要もないですよね。そうなると人目のない場所で私たちと何か話がしたい、そう考えるのが自然。…違いますか?」
「…その通りです」
 春奈が静かに語る推測を喜久子は肯定した。
「現時点で話を必要以上に大きくするのは好ましくないと思って口にはしませんでしたが、私は今回の事態が敵対組織の大規模な攻撃の一環である可能性もありうると思っています」
 黙って喜久子の話に聞き入る春奈と功武。百戦錬磨の女傑である彼女、その言葉には確かに無視できない重みがあったのだ。
「そこでクラウディアス先生には最悪の事態の際には私の側で手助けをしてもらいたいのです」
「分かりました。その時には全力で力になります」
 応じる春奈の表情はきつく引き締まっていた。「その時に備えて今から腹を据えろ」。彼女の言葉の裏に隠された意味を的確に読み取ったのだ。
「で、俺は何をすればいいんですか?」
 次いで口を開いた功武に喜久子は微笑を浮かべ向き直る。
「大道寺先生には効果付与(エンチャント)武器を揃えてもらいたいのです。普通に攻撃をされたならともかくこんな事態では普通に備蓄された武器の使用許可を得る手続きが大変ですので…」
 効果付与術者(エンチャンター)。それは物体に様々な能力を付加するという能力を持つ異能のジャンルの一つである。彼、大道寺功武もその一人、〈沈黙魔術〉と自ら名付けた能力を持つ異能者だった。
「目立たぬように、ですね」
 自分が呼ばれた理由を納得した功武がしっかりと頷く。
「ただ、これは俺の個人的な見解ですが…」
 まるで性質の悪い子供の悪戯の果てのように金のまだら模様に覆い尽くされた四囲の街を見やりながら功武は続けた。
「なんでしょう?」
「なんだかんだ言っても大変な事態だってことは承知してますし、最悪の事態に備えなきゃいけないってことも理解しています。でも、こんな遠回りで漫画みたいなやり方が敵対組織の攻撃だとはどうしても思えないんですよ、俺は」
「「ですよねえ…」」
 二人の女性の同意の言葉は見事なまでにハモっていた。


 退田裕穂(のきた ひろお)。目的である教師の家の表札にはそう書かれていた。
 その名前をもじって『怠惰先生』というあだ名を奉られているこの家の主は、そのあだ名の通りに熱意に富むとはとても言いかねる教師であった。
 それでも最低限の仕事はきちんと抑えているし、ぎりぎり三十路の内という年ながら異能者としても、また双葉学園の教師としても上位レベルのキャリアの長さを持つため意外なところで役に立ったりするということでそれなりに教師の間にも受け入れられていた。
「退田先生」
 何度も呼びかけてみるが、家の主からの返事は無い。
「時間が惜しいです。入りましょう」
 喜久子の鶴の一声に従い功武がドアノブを回す。
「鍵掛けてないんですか、無用心ですねえ」
 呆れたように言う春奈。一方功武は少しほっとしていた。大義名分があるとはいえ鍵を破ったり窓を破ったりするのはあまり気が進む話ではない。
 玄関を越え、居間へと繋がる襖の前に立つ三人。お互いに頷きあい、再び功武が前に立ち襖に手をかけた。
「!」
 襖を開くと同時に、眩い金光が三人の目に飛び込んできた。
 柱も金、壁も金、床も金、テーブルも座椅子も金。金の座椅子にこちらに背を向けて座っている裕穂…であろう男が金のヘッドホンを掛けながら愉快げに首をゆらゆらと振っていた。
「金っていいよねぇ~、これがあれば大抵の物事は解決するんだから。そ、もう日々の暮らしのため、将来のためにあくせくする必要なんてなーんもなぁい。働きたくないでござる!働きたくないでござる!」
 駄目だこの人…早く何とかしないと…。三人の脳裏をそんな思考がかすめた。
(正気に戻してやってください)
(了解です)
 す、と功武の懐からハリセンが――当然、〈沈黙魔術〉が付与された一品だ――取り出される。
 功武はハリセンを高々と振り上げる。呼吸を整え、振り下ろす――その時。
「…ってな風にできたら良かったんですけどねぇ」
 座椅子にもたれかかったまま首だけを後ろに傾け、裕穂はヘッドホンを外しどこか醒めた口調でそうこぼした。
「気付いていたんですか」
 それならそうともっと早く言ってもらえればいいものを。喜久子は呆れ顔で応じる。一方功武はハリセンを振り下ろす場所を失い所在無げに両手を浮かせていた。
「ええまぁ。やり取りが面倒ですから言わせて貰えば、お三方の姿を見て概ね状況は把握しました」
「本当ですか?」
 疑わしげな目を向ける春奈。
「異能は一人に一つ、原理は分かりませんが経験則としての厳然たる事実です。よってサイコメトリーの異能が残ってる僕が黄金錬成の異能を使えるはずも無い。つまりこれは何らかの他者からの干渉です。そして今日起きてからこの部屋から一歩も出てない僕を雁首揃えて呼びにきたということは、皆さんの顔色も合わせて考えれば僕一人に起こった以上じゃないということ。この位には理解してますよ」
「…それだけ理解してるんでしたら、どうして今の今まで何もしようとしなかったんですか?」
 にこやかな表情の喜久子。だが、その奥にあるものが表情とは正反対のものであることは、裕穂の異能の手を借りるまでも無く明らかであった。
「あ、いや、まぁそれはですね~、儚い夢だと分かってはいても浸っていたかったというかなんというか」
 流石の裕穂も慌てて弁解を始める。が。
「…大道寺先生」
 生徒課長都治倉喜久子といえども人の子、今日からの連休で旅行予定だったその出鼻をくじかれたことで苛立ちをその心に秘めていたとしても責めることのできる者はいないだろう。
「…はい」
 再び振り下ろす場所を得たハリセンが勢い良く振り下ろされる。
 すぱこぉん!


 情報収集のために各方面に派遣された職員たちが帰還し、今後の対応を図るべく会議が開かれた。
 集められた情報の集約の結果、この場で確認されたことは六つ。
 一つ。触れたものが金に変わる現象(マイダス現象と仮称された)が起こるのは非生物に対してのみ。
 一つ。また、マイダス現象が起こるのは異能者が触れたときのみ。
 一つ。マイダス現象とは異能者の魂源力(アツィルト)と金やそれに隣接する金銭などのようなイメージを抱いていることの二つの条件が揃った時に、その時触れたものをそれ以後全ての人間に金だと認識させる広域催眠のようなもの…という推論が下されている。
 一つ。現在あちこちで散発的に騒動が起こっているが、現状十分押さえ込むことができる範囲。
 一つ。対ラルヴァ感知システム『カンナギシステム』を司る神那岐観古都(かんなぎ みこと)は「力の元は震(東)の方角に」とコメントしている。
 一つ。その言葉に従って双葉区東部を重点的に捜索したが特に変わったところは見出せなかった。
 ――逆に言えば、それ以外は何も分かっていなかった。この現象の原因も、解決法も。
 そしてそれゆえに当然といえば当然であるが、会議はどうしようもなく迷走していた。
「封鎖に回っている班を一部振り分けて東部地域を重点的に捜索する!これしかないだろ!」
「それで封鎖が破られたらどうなると思っているんだね君は…」
「じゃあどうやって事態を打開するってんだよ!」
「だからアメリカの妨害工作だって、こっから東にあるこんな大掛かりなことできそうな国ってほかにないだろ」
「またあんたはそんな軽々しい発言を」
「というかこれだけ探して何も手掛りがないのでは今までの前提自体を疑ってみるべきじゃ?」
 「会議は踊る、されど進まず」とは堂々巡りの会議を皮肉った言葉だったが、今のこの場にはその言葉にある客観的に省みる視点、もしくは余裕すら存在しない。ただ殺伐とした空気だけが醸成されていた。
「退田先生、何か意見はありませんか?」
 そんな場の状況を観察しながら機を窺っていた喜久子が、そう裕穂に呼びかけた。
「え、僕ですか?う~ん、今や異能の世界の主役は若人たちです。ロートルの僕なんかがしゃしゃり出るのは失礼かと思ってたんですが」
 嘘だ。とその場の誰もがそう思った。
「というか先生会議始まってから一言も喋ってないじゃないですか。しかも少し寝てましたよね」
 ぼそりと呟く春奈の突っ込みにその場の多くが我が意を得たりとばかりに頷く。
「ま、そういうことでしたらささやかではありますが僕の言葉が皆さんのお力になれるよう頑張りましょうかねぇ」
 だが、年月に比例して面の皮を厚くしてきたらしいこの教師にはさほどの効果も無かったようで、裕穂はそういっていつもと同じように大儀そうに立ち上がった。
「と言っても僕から言えるのは二つだけですけどね~」
 裕穂はそう言って指を二本立てて見せた。
「まず第一に、信ずるに足る人間を信じられないようじゃぁ、勝てるもんも勝てやしませんってことです」
 その言葉に喧々諤々の議論を戦わせてきた教師の内の何人かがはっと顔を上げる。
 五里霧中の中で焦るばかりに色々なものを否定しすぎていた。これまで数限りなく彼らを助けてきたカンナギシステムを、そしてなにより隣にいる仲間たちを。
「そしてもう一つ。神那岐のお嬢ちゃんがそっちから力を感じるんなら確かにそっちに何かあるんでしょ。でもだからと言ってこんな狭い日本のどこかにこそこそ隠れてるとも思えないし、アメリカさんがこんな訳の分からないことするとも思えないしねぇ」
「そのくらい言われなくても分かっている。簡潔に結論だけ話してくれ」
「勿論そのつもりなんですけどね~。だったら答は一つなんですよ。日本にもその向こうのアメリカにもいないなら、犯人は更にその先にいるって事です」
 アメリカの更に先?ヨーロッパ?東の方を指し示す裕穂にほとんどの教師は首をひねったが、地理担当の教師である功武がはっと顔を上げた。
「そういうことです」
 裕穂は功武に頷きで返した。
「つまるところ素直に、地球の丸みを考えず真っ直ぐに延ばしたその先……犯人は宇宙にいると思うんですな、僕ぁ」
 「まさか」「ありえん」という否定の言葉がわっと沸きあがったが、それも
「なるほど」
 との喜久子の一言でぴたりと収まった。
「で、何か手はありませんか?」
「僕が言えるのは今の二つだけですんで」
 とだけ言って裕穂は着席した。つまりは彼自身も特に解決策は思いついていないらしい。
「現状のところこちらから打つ手は無し、ですか」
 椅子に大きく背をもたれかからせ、は嘆息する。なにぶん宇宙は遠すぎるのだ。裕穂の話を聞いてから今までの短い間に彼女の頭の中では対宇宙用のチームが幾つか組みあがっていたが、そのいずれもがメンバーの一部(もしくは全員)が現在学園を離れており即時の対策としては役に立たない。
(後はJAXAに支援を頼むくらい、ですかね)
 とはいえ宇宙に関してはプロフェッショナルである彼らもラルヴァや異能に関してはどこまでいってもアマチュア、そこまで有効とも思えないですけど、と喜久子は自分の思考を冷静に批評する。
「どうにも…ならないんですか…?」
 と、一人の女性教師が思いつめた顔で立ち上がった。高等部二年で担任をしている練井晶子(ねりい しょうこ)であった。
「残念ながら。いくら僕でもなんかいい手を持ってたらもう言ってますよ」
 彼女に切実な視線を向けられた裕穂だったが、いつもの調子であっさりと受け流す。
「そんな…こうしている間にも私の生徒たちがあぶく銭に惑わされて悪い遊びを覚えちゃうかも…。そしてそしてどんどん悪い世界に染まっていって、そうなったらみんな私の言うことなんて何も聞いてくれなくなって…う、うう…」
 自分の悪い想像のフィードバックの繰り返しの果て、晶子はついにぼろぼろと泣き出してしまう。
「分かりました!分かりましたから泣くのは止めてください!あなたを泣かせたなんて生徒たちに知られたら僕の平穏な生活が危険がピンチです!」
 いつもマイペースな彼らしくない慌て顔でなだめる裕穂。晶子はその放っておけないキャラから守ってあげたい年上の人ランキングトップスリー常連を誇っており(ふたがくプレスより)、結構隠れファンが多いということを裕穂は知っていたのだ。
「でも、でも…」
 その言葉に幾分落ち着いたものの、未だぐすぐすと涙をこぼし続ける晶子。彼女の不安の根源が何ら解決に向かっていないのだから無理の無い話だ。
 引きつった顔で思案を巡らせる裕穂だったが、突如はっと目を見開いた。
「今一つ手を思いつきました」
「ほ、本当ですか!」
 キラキラした表情で見やる晶子とは対極の辟易したような顔で答える裕穂。
「はい。ただし咄嗟の思いつきなんで成功の保障はしません。その時は僕じゃなくて他の誰かに頼ってください。いいですね、絶対ですよ!」


  ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
   ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
    ベントラー、ベントラー、スペースピープル……

 夜の帳が訪れはじめた頃、体育祭のメイン会場としても用いられる大運動場。
 当直などでどうしても離れられない者を除き、現在学園内にいる全ての職員がこの場に集められていた。
 そして今、その全員が裕穂の指示に従って一つの円を描くように手をつなぎ、声を合わせてなんだか良く分からない呪文のようなものを唱えている。

  ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
   ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
    ベントラー、ベントラー、スペースピープル……

「大体ベントラーってなんなんだ」
「ベンとトラ?」
「はいはい、文句言わない。これは由緒正しい宇宙人召還の儀式なんですからね」
「何が由緒正しいですか、こんな与太話…ゲフンゲフン」
 裕穂の言葉に突っ込もうとし、わざとらしい咳払いで断ち切る喜久子。御年じゅうななさいの彼女が前世紀のほんの一時期の流行りに詳しいはずが無い。
 断じて無いのだ。

  ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
   ベントラー、ベントラー、スペースピープル……
    ベントラー、ベントラー、スペースピープル……

 一心に唱え続ける職員たち。「異能」や「ラルヴァ」といった非日常の存在を日常とする彼らが日常の中では馬鹿馬鹿しいと一蹴されるであろうこんなことに対する敷居が低いのは仕方のないことなのかもしれない。
 だが、そんな彼らも不意に我に返ってしまう一時はあるわけで。
(こんなことしてて意味あるのかな…)
 そんな気分がじわじわと蔓延しつつあったその時。
 それは彼らの上空に現れた。


 例えるなら金で作られた城、それはそうとしか言いようのない物体だった。
 音もなく空中に佇むそれは、街に広がる金色と呼応するかのように電灯の光を受けて仄かに輝きを放っている。
 職員一同固唾を呑んで見守るが、その物体は光を受けて金色の輝きを返すのみ。
「何で何もしてこないんだ?」
「こっちと話す気はないってこととか」
「いや、何か言っているんだよ。私たちがそれを感知できないだけで」
 いい加減焦れてざわめきが広がり始める。すると、
<黄金の兄弟よ…>
 その言葉は、全員の脳内に直接飛び込んできた。
「うーん、これって…」
 裕穂が首をひねる。
「テレパシーってやつか」
「いや助かったよ。ファーストコンタクトもので互いの言語の習得から始まるのってすっげー面倒なんだよなあ」
 コンタクトを取ってきたら取ってきたでやいのやいのと喧しい職員たち。この程度の非日常であたふたしているようでは双葉学園の職員は務まらない。
「宇宙からのご客人、まずは貴方方の目的を教えていただきたい」
 そんな彼らはおいておき、対策本部長として交渉を試みる喜久子。
<それは黄金の兄として君たちを手助けしようと行ったことだ>
「もう少し理解できるように言っていただきたいのですが」
<ふむ、やはり思ったとおり儀式の意味は失伝していたようだな>
「?」
<君たちは今『一なる黄金』の名を冠し称える儀式を行っている最中なのだろう?君たちは本来の意味を見失っているようだが、それが君たちが『黄金の兄弟』だという何よりの証明だ>
「…それってひょっとしなくてもゴールデンウィークのことですか」
<君たちはそう呼んでいるようだな>
 おいおい、マジかよ。誰かが呆れた調子でそう呟いた。
<かつてこの宇宙には『一なる黄金』と呼ばれる素晴らしい種族が存在した>
<彼らは長い長い進化の果て、ついに最高の技術と文化を生み出した。その技術は後継者たるわれわれから見ても素晴らしいとしか評しようが無い至高のもの。そしてその文化はあらゆる面でこれ以上考えようが無いほどの究極に達し…>
「あの、その辺りの話はおいおいうかがうとして、まずは我々に対する干渉について説明を頂きたいのですが」
<仕方がないな…>
 興が削がれたような思念の後、再び説明が始まった。
<『一なる黄金』は星の海を渡って数多の星にそれらを伝え、…やがて突如として姿を消した>
<我らは『一なる黄金』の技術と文化を最も濃く引き継ぐもの、『黄金の後継者』>
<姿を消した『一なる黄金』を追い求めるため我らは星を離れ目的を果たすため宇宙を旅する存在、『探索者(シーカー)』となったのだ>
<旅の目的には『一なる黄金』の系譜に連なる『黄金の兄弟』を黄金の兄として導くことも含まれている>
<君たちの形骸化した儀式に再び命を取り戻すため、自在に黄金を生み出したという『一なる黄金』の御技を我々ができる限りの範囲で再現させてもらった>
「はっきり言わせていただきますが、貴方方の話から私たちの神話への有意な関連性は見出せません。貴方方の勘違いかと」
<君たちのような失伝した生物は往々にして小さな自尊心を守るためそういうことを言うものだ。差し出がましいと思うかもしれないが、これも君たちを善導するためだ、許してもらいたい>
「いやだから違います」
<遠慮することは無い。我々は善意で行っているのだから>
 話を聞かない姿勢と微妙に上から目線な態度にいい加減腹が立ってきた喜久子だったが、
(下手に手を出して宇宙戦争とかいう事態になったら…)
 と思うと滅多な態度も取りにくい。
 苦虫を噛み潰すような思いは顔には出さず、再び『黄金の後継者』とやらと向き直る喜久子。
「ですから――」
<まあそう焦らずにゆっくりと話し合おうではないか。『一なる黄金』を崇める神官たる君たちは我々と同じ高等遊民、いくらでも時間があるのだから>
 その言葉に職員たちの怒りがついに爆発した。
「ふざけんな!」
「こちとらお前らのためにせっかくの休日潰してんだぞ!」
「帰れ!」
「教師馬鹿にすんな!」
<ひっ!>
 怯えたような思念を残し、黄金の城は急上昇した。
 そのまま小さくなり、夜空の星と同じ大きさになり、…そしてふ、と消えた。
「街の金色が無くなってます!」
 一人の教師がそう報告する。それを受け異能者の教師が落ち葉に触れるが、何も起きない。
「どうやらとりあえず解決したようですね」
「でもこれでよかったんでしょうか?もし仕返しだって自分の星から仲間引き連れてまたやってきたら…」
「いやいや、それは大丈夫そうですよ~」
 話し合う春奈と功武にそう言ったのは、宇宙人とのやり取りの間ずっと端末を弄り続けていた裕穂だった。
「どういうことですか?」
 そこに喜久子も加わった三人に端末を差し出す裕穂。
「これってウィキペディアじゃないですか…ってこれ…」
「ま、そういうことです」
 そこにあったのはあるアニメのページ。そして、その内容はあの宇宙人の語った内容とまったく一致していた。
「なーんか聞き覚えがあったんですよねぇ。んでネットで調べてみたらドンピシャ。昔カルト的に人気があったアニメの敵役らしいです。僕も一度見たんですけど正直つまんなかったんで今の今まですっかり忘れてましたよ~」
「なるほど…そのアニメだかのファンの強い認識から生まれたラルヴァというわけですか」
 『態度はでかいが相手に強く出られるととても弱い』と書かれた記述を見やり、喜久子は大きく溜息をつくのだった。


――――策を弄した搦め手で地球を狙う悪の宇宙人。そしてそれに敢然と立ち向かうは日本を裏から守り続ける双葉学園の職員たち。一進一退の苦しい戦い。だが、最後に笑うのはやはり正義である。かくして悪の宇宙人の野望は打ち砕かれ、人類に平和が戻ったのだった。だがあの一族が最後の『探索者』とは限らない。もし…」
「そんな話じゃなかったですよね今回の事件」
 ジト目で突っ込みを入れる春奈にナレーションを続けようとしていた裕穂はにへら、と笑って言った。
「いいんですよ。なんかこう言っとくと実際以上に凄い働いたなーって気分になれるじゃないですか。んで、うまくいきゃ上の人もそんな気分に乗せられて臨時ボーナスという名の不労所得が」
「断じてありませんから」
 きっぱりと否定する喜久子。根本は断ち切ることができたものの、マイダス現象によって生まれた金が元の物質に戻ることでまたあちこちで一騒動起こることは想像に難くない。こんな与太話に関わっている時間などないのだ。
「仕方ないですねぇ。じゃあ僕は帰って不貞寝しますんで後はよろしくお願いします~」
 裕穂はその言葉を聞くとおざなりにひらひらと手を振って去っていこうとする。
「まだ仕事は終わってませんよ。…大道寺先生」
「分かってますよ」
 すぱこぉん!
 綺麗な軌道を描いて振り下ろされたハリセン。その一閃がこの奇妙な事件の終わりを告げるかのような爽やかな音を生み出した。




                    おわり




















「そういえば…」
 一人の教師が、隣を歩く教師に呼びかけた。
「何?」
「いや、ふと思ったことがあるんですけど…いや、やっぱりいいです」
「なんだよ、気になるじゃないか。そこまで言ったんなら最後まで言ってくれよ」
「それじゃ言いますけどね。ほら、ゴールデンウィークだけじゃなくて秋にあったじゃないですか…シルバーウィークって…」




                    おわり?



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最終更新:2010年05月30日 22:51
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