【MOON CHILD 1】


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 その部屋は、機械音と水泡音に包まれた異質な空間だった。
 天井、床、壁を無尽に埋め尽くすコードとパイプ。
 脈打つすれはまるで生物の血管のよう。そして突き立ついくつもの巨大な培養槽は内臓か。
 その中は溶液と水泡で満たされ、中に何があるのかは一目では判らない。
 そんな密閉された中に、二人の人物がいた。
 一人は、少年か。
 白衣に眼鏡の長身の男。
 そして机を挟んで彼に相対しているのは、少女。
 後ろ髪を短く刈った、小柄な少女。彼女の視線は眼前の男ではなく、机の上に置かれた一冊の本に釘付けになっている。
 革表紙に金の飾り文字の、古い本だ。
 一般的にはあまり見られない、一筆書きの六芒星と不思議な象形文字が表紙に飾られている。
 それは見る者が見れば、何を示しているかは判るだろう。
 即ち、獣の六芒星と薔薇十字団の魔術文字である。
 アレイスター・クロウリーの記したと言われるその星の下に刻まれている文字を英語に直すなら……こう読めるだろう。

【MOON CHILD】

 月の子――そう、確かに記されている。
「この本で……」
 少女は震える声で言う。そこに含まれている響きは、畏れか、憧憬か。あるいはその両方だろうか。
「そう、その通りです」
 対して、男は誇るように言う。
「それで君の願いが叶う……判りますね?
 君は生まれてきたことが罪、生まれてこなければよかったと言いましたが……それは違う。
 罪を犯さなければ、償うことすら出来はしないのだから。
 そして君は今此処に、償いの術を得た。あとは君の意思ひとつ……判りますね?」
「なら私は……」
 本を手に取る。そして、ぎゅっ……と力を込めて胸に抱き寄せた。
「……私は!」
 その声に、男は笑う。亀裂のような、あるいは三日月のような笑みを浮かべて。
「宜しい。
 では聖誕祭の準備と行きましょう。君の手にした書と私の錬金術があればそれは叶う。
 いざ始めよう、偉大なる――月の子の誕生を」
 ごぼり、と。
 培養槽の中で巨大な水泡が、その言葉に答えるかのように弾けた。




 MOON CHILD




「え? なんだって、俺一人で仕事しろ? 何言ってんだくされ教師が! それでもてめぇ先生かよ!」
 木々の緑がさわやかな風に揺れる中、携帯電話に向かって怒鳴る少年がいた。その大声に小鳥たちがあわてて飛び立つが少年はそれどころではなく続ける。
「俺はサポートのはずだろうが! 先輩たちは!? は? 急に他の仕事で……海だぁ!? つーかなんで電話の向こうで楽しげな声聞こえてんだ! バカンスとかじゃねぇだろうなおい! ……黙るな! もしかして最初からそのつもりかよあんたっ!?」
 叫ぶ少年に、周囲を行きかう人々も奇異の目を向けるが、やはり彼はそれに気づいていないのか、それとも気にしていないのか声を上げ続ける。
「もしもし? もしもーーし! ……切りやがった、しかも着信拒否かよ!」
 携帯電話を握り砕く勢いで少年は叫ぶ。
「……っ」
 乱暴にポケットに携帯電話を入れ、そしてため息をひとつつく。
「……はあ。しゃーない、やるしかねぇか……」
 そう言って、少年は坂道を登り始めた。その道が続く先には、ミッション系スクールの大きな校舎が見えていた。


 少年の名は久崎竜朱(くが・りゅうじゅ)。
 双葉学園に通う生徒である。だが、ここは双葉ではない。北陸地方の内陸部である。何故彼がそんなところにいるのか。
「……くそ、こんなことならバックレればよかった、補習」
 そう、補習である。試験をさぼり赤点をとってしまい、教師に呼び出された。そして補習とばかりにラルヴァ退治のチームに組み込まれる事になったのだが……
「押し付けかよ、聞いてねえぞ……」
 木々を掻き分けながら竜朱は愚痴る。
 いつもそうだった。あの教師は事有るごとに何もかもを押し付ける。自分が楽をするためならば手段を選ばない人間だった。
 その裏でどれだけ自分が貧乏くじを引かされてきたかは思い出すだけで腹が立つ。
「とっとと終わらせて帰るか……」
 そうつぶやきながら足を進める。
「まあ、ついた早々にラルヴァとかちあうなんてことは……」
 そう言った瞬間。
「ひぃやぁあああああっ!」
 女の子の悲鳴が竜朱の耳に届いたのだった。
「お約束だなオイ!」



 木々を掻き分けて走る。開けたその場は、森に囲まれた閑静な広場だった。
 そして修道服姿の女の子が倒れている。意識はあるようだが、腰が抜けたのか、上半身を起こして怯えながらそれらを見ている。そしてそのさらに後方には眼鏡をかけた男子生徒が倒れていた。
(ラルヴァか?)
 竜朱が見たのは、二匹の獣だった。
 くすんだ灰色の体毛をした、半透明の大型の獣。それが常軌を逸した赤い目を輝かせ、今にも獲物に襲い掛かろうとしていた。
「ちっ!」
 すかさず竜朱は躍り出、女の子の前に立つ。
「GRUREAAA!」
 獣が吼え、竜朱に襲い掛かる。だが竜朱はその繰り出される爪を最小の動きで避わす。
 頬の皮が裂け、血の飛沫が飛ぶ。だがそれだけ。そして竜朱はその両手で二体の獣の顔面を掴んでいた。
(人狼……いや違うな、狼型人工精霊(エレメンタリィ)か)
 竜朱はその正体を看破する。
 魂源力によって組み上げられた擬似霊魂体。古くはこの国では式神や式鬼と呼ばれた、魔術・呪術によって作られる人造のラルヴァだ。
(命令を受け行動している……訳ではないな、暴走している。なら仕方ない)
 そして竜朱は、その腕に力を込める。
 思う。ただ思う。その意思はコマンドとなり、人工精霊たちに強制的に命令を下す。すなわち――
「砕けろ!」
 魂源力を送り込む。意思によって組み上げられた擬似霊魂体を、より破壊的で傲慢なひとつの意思が塗り替える。
 ただ一言の暴圧的な意思を送り込まれた狼たちは、悲鳴を上げながらのた打ち回り、そして紫電を上げながら――崩壊した。
「今見たことは忘れろ。とるにたらない、どこにでもある心霊現象だ」
 竜朱は少女を見下ろしながら言う。
「どうせ他人に話しても馬鹿にされるだけで……」
 しかし竜朱の言葉は最後まで続かない。
「かっこ、い――――――――――――っ!!」
 そう少女は叫び、飛びつく。その体当たりに竜朱は思わずたたらを踏む。
「お、お前腰抜けてたんじゃなかったのか?!」
「やだもう、腰がどうのなんて破廉恥えっちーぃ!」
「破廉恥なのはお前の思考だ!」
「ていうか今の何ですか、こう掴んで光ったらずばーんっ、て!」
「人の話を聞け!」
「私ですか私は西宮浅葱(さいぐうあさぎ)っていいます!」
「聞いてねえ!」
 二重の意味で聞いていなかった。


 数分後。
 竜朱は浅葱と名乗る少女を落ち着けさせ、倒れていた男子生徒も起こしていた。
 本当はとっとと去りたかったのだが、浅葱がそうさせてくれそうになかったから仕方なく、である。
「つーかナベっち、ひ弱っ」
 浅葱は男子生徒に向かって言う。
「ナベっちではなく田辺ですって。というかですね、あ、あんな化け物をやつつけられるほうがおかしいんです!
 ……あなた、何者ですか」
 田辺は眼鏡を指で持ち上げながら、猜疑心を丸出しにして問いただしてくる。
 ……これだからとっとと去りたかったのだが、と竜朱は思うが後の祭りだ。これが、双葉学園の外の一般的な普通の人間の対応である。それは仕方ないしそれに対していちいち傷つくような繊細な心は持ち合わせていない。ただ、後々面倒になりかねんと煩わしいだけだ。
「さあな。どこにでもいる魔法使い、って所だ」
 だからあえて適当にはぐらかす。
「ふん、怪しいですね。そもそも魔法使いなんていうものは、現実と妄想の区別が付かない愚か者か、あるいは子供を騙す詐欺師かのどちらかで……」
「じゃあ私騙されたいでーすっ! むしろ騙してっ!!」
 そして浅葱が、その一触即発の空気をぶち壊す。
「……」
「……」
 竜朱と田辺はそろってため息をついた。
「……まあいい。ところで校長室はどっちか、教えてくれないか?」
 頭をぼりぼりと掻きながら、竜朱はそう言った。





 校長室は、普通の校長室だった。ミッション系スクールといっても、どこからどこまでも教会チック、というのではないようである。精々が十字架や聖母像を飾っている程度だ。
 だがその聖母像に竜朱は気づく。
「……黒い聖母。この学園は隠れて女神信仰を教義にしてるのか?」
 黒い聖母。そう書くと不吉な響きを持つが、何の事は無い異教の女神、イシスやアテネなどをマリア像としてカモフラージュしたものだ。古い秘教信仰は、そうやって現在も生き続けている。
 その竜朱の言葉に、校長は笑う。
「いや、あくまで私や、数名の私の同胞だけだよ。そうだろう、兄弟(フラター)」
「……」
 その言葉に竜朱は頭を掻く。
「くそ、先生の同類かよ」
「同胞、と言い換えて欲しいね。彼女は元気かね」
「元気も元気だよ。今頃は仕事を俺に押し付けて海でバカンスのまっ最中だとよ」
「それはなにより」
「皮肉だよ! ああくそそーいうの通じないところまで同類か!」
 竜朱は深呼吸をひとつし、気を切り替える。
「……やってきていきなりあれかよ。大丈夫なのか」
 竜朱は人工精霊の件について話す。
「なに、閉鎖された教会やミッション系スクールではよくある集団ヒステリーだ。」
 校長は笑顔で言った。
 古くより、閉鎖された教会などではよく修道士や修道女が「悪魔」を視、騒霊現象が多発するという。それは集団ヒステリーによる共有幻想である、と心理学などで説明されている。
 抑圧された心理による共有された妄想、その影響下ではどのような幻覚を見たとしても不思議ではない……そういう理屈だ。
 そう、表向きは。たとえそこにどのような異能やラルヴァがかかわっていようと、表の世界ではそういう「もっともらしい理屈」で説明づけられるのだ。
「……それで済めばいいんだがな。で? 俺たちが呼ばれたのはあれの退治のため……じゃないんだろ?」
「ああ」
「だよな。あれは魔術で編まれたものだ。暴走か何か知らないが、あの程度ならあんたらでもどうとでも出来るはずだろう」
「いや無理だ」
「無理なのかよ!?」
 あっさりと言う校長だった。
「私たちは荒事に向かないのだよ」
「威張るな威張るな……」
「まあ話を戻そうか。今回、我らが双葉学園に依頼をしたのは、だ。我々の学園で起きたとある事件……といってもそこまで表ざたになってはいないのだが、その事件にラルヴァが関わっている疑いがあるのでね」
「疑い、かよ……」
「君子危うきに近寄らずだよ。正直、私たちは一般人に毛の生えた程度の力も無いからね。視て、感じて、学べる程度だ」
「嘘吐け」
 竜朱はあっさりとその言葉を否定する。
「……まあいい。それでその事件というのは、だね。魔術書の紛し……盗難事件だ」
「今紛失とか言わなかったか?」
「気のせいだ。君の聞き違いだ。図書室に秘蔵してあった魔術書のひとつが何者かによって奪われたのでね。この学園から持ち去られていない事はわかるのだが……」
「だったら生徒が間違えて迷い込んで普通に持って帰っただけじゃないのか? それなら問題ないだろ、魔術書なんて暗号化されてて普通の人間にはあやしげな本以上のものじゃない。寓意化や比喩、そしてカバラ暗号術の文字置換法(テムラー)、数秘法(ゲマトリア)、省略法(ノタリコン)によって隠された秘術を学生程度に解き明かせるとは……」
「そうだな。だがそもそもその図書館自体に幾重もの結界が張ってあった。間違えて迷う込むことは無い、意図して進入しない限りは。つまり……」
「なるほど。資格は十分、悪用するつもり満々、ってことか」
「配置しておいた人工精霊も見事に破壊されていた。あるいは君が始末してくれたように、暴走させられた。そうなるともう、私らは荒事に向いていないのでね」
「……わかった。そういうことなら引き受けるしかないな、俺にしか出来ないことだ」
 そうため息ひとつ、校長室から出て行く竜朱。
 それを見届けた後、校長は電話をかける。しばらくして、相手が電話を取る。
「――ああ、私だ。
 君の言ったとおりだよ。嗅ぎ付けて動いたようだ、迅速に済ませねばならんね。
 彼をどうするか……か。それは私の権限ではないよ。君に一任する。最初からその手はずだろう?
 勘違いしてはいけない、私には権限などない。ただお願いするだけだ。ああ、よろしく頼む。
 計画は……」


 そして同時刻。
 浅葱と別れた田辺もまた、携帯電話を手にしていた。
「ええ、計画は前倒しに。
 邪魔される訳にはいきませんからね、これは我々の悲願ですから。
 月の子の誕生は――目前です」
 そう言って、田辺は笑った。





「さて……どうするか」
 竜朱は校舎内を散策する。
 今日は休日だ。一応、校長からここの制服を借りたので自由には動けるが、しかしなるべくなら早く済ませたい。
 そのとき、見覚えのある人影を見かける。修道服姿ではないが……
「お、えーと、浅葱だっけ」
 竜朱は声をかける。だが振り向いたその少女は、何かが違っていた。雰囲気というか、何かが。
「あ、いえ違います。妹の浅葱です。ええと……竜朱さんでしたよね? お姉ちゃんから聞いてます」
「……妹さんなのか。さっき道案内してもらったからついでにまた頼みたいと思ったんだが……」
「じゃあ私が代わりに……私でよければ、ですが」
「頼む。ここの図書室がでかいと聞いたから」
「はい」


 数分後。
 図書室に案内された竜朱は、萌葱に霊を言うと奥へと踏み入った。
(この匂い……香を微かに炊いている。それに響く音楽、そしてこの色彩の使い方……なるほど、認識をずらすカモフラージュか)
 竜朱は異変に気づく。これは魔術的に偽装されたものだ。校長が言っていた結界の一部だろう。
 それを踏み越え、竜朱は目的の場所へと着く。
 古臭い本が並べられている部屋。
 その本棚を慎重にチェックする。
「奪われた書は……ここか。GD系の……クロウリー著作の魔術書……また癖のつよい所を……」
 竜朱はため息をつく。アレイスター・クロウリー。熱狂的信者と同時に仇敵を多く作ったその魔術師の残した魔術は、今も人を惹き付ける。特に黒魔術的な危ういモノを好むものたちに。
 そう言いながら本をチェックしていると、並ぶ本の上に置かれていた本が手に当たり、落ちる。
「……と、落としちまった」
 竜朱はそれを拾う。題名には、人工精霊トゥルパ創生の書、と書かれていた。それを本棚に戻し、そして探し始める。
「あった、この位置だ。ここにあった本は……」
 本棚に記されているラベルを竜朱は読み上げる。

「……ムーンチャイルド」




 夜。竜朱は校長に割り当てられた部屋に泊まっていた。
 机の上にメモや書類をぶちまけて熟考する。
「昼間調べたことをまとめてみようと思ったが――よくわからん。
 ムーンチャイルド……20世紀最大にして最悪の魔術師と呼ばれたアレイスター・クロウリーの考案した魔術。あれがここで行われている? バカな。ここは学園だ……
 妊婦の胎児に魂が宿る前に陣を敷き、惑星霊や天使を降ろして超人を作るというホムンクルス創造の大儀式に、未成年ばかりが集まる学校ほど似合わない場所も無い。双葉学園のような学園都市なら別だが……ここは小さく狭すぎる。
 いや発想を変えるか?
 だからこそ、子供の火遊びの始末をした後の胎児を調達するために……いやそれもどうだ。よくある低俗な黒魔術と違い、母体ごと新鮮で元気な子供が必要だ、下ろした胎児の死体じゃ意味が無い」
 竜朱は昼間のうちに聞き込みなどで調べた資料を机に並べて睨む。
「そもそもここはミッション系だ、そういう噂は調べた限りでは無い。抑圧されているからこそ水面下で、というパターンもあるだろうが……逆にそういう堕胎の手段があるならば水面下でこそ噂になって、容易に調べがつくはずだ」
 人の口に戸は立てられぬと言う。後ろめたさと、そしてそれを都合よく救ってくれる希望、それが都市伝説や噂話を作り上げる。だが、そういうものは竜朱の調べた限りは無かった。
(噂……か。噂といえばもうひとつ――)
 竜朱は思い出す。あの姉妹の噂も耳に入った。
(浅葱、萌葱の姉妹。仲が悪いのではないか、二人一緒にいる所を見たことが無い――という話を聞いた)
 朝、自分を校長室に案内してくれた少女、そして図書室へと案内してくれた少女。双子の姉妹。
(取るに足らない他人の家庭の事情、それだけのはずが何か引っかかる……確かに俺も二人一緒に見てはいないが。
 だが妹のほうの言動からは仲の悪さは感じられなかった。一緒にいる姿を見ないほどに仲の悪い姉妹が、案内しただけの男の事を話題にするか? ……考えにくい。
 だがそれならば何故、二人一緒にいない。いれない理由でもあるのか?)
 そこまで考えて、竜朱は頭を振る。
「くそ、考えが横にそれる。今はムーンチャイルドの事だ」 
 頭をがしがしと掻き、背を伸ばす。
「……情報が足りないな。一日じゃ無理だ。休日の今日に片付けておきたかったが……となると明日か。明日は月曜、生徒も増える。そこで改めて……か。
 仕方ないな。寝る前に散歩しておくか」



 竜朱は月光の下、静謐な夜の空気を胸いっぱいに吸う。
 男子寮の中庭は静かだった。 
「……流石はミッション系、ってところか」
 周囲は森林に囲まれ隔絶されている。ここは一種の異界だ。校長が魔術師でありどこぞの結社に絡んでいる以上は納得も出来るが、それにしても静かで、空気も澄み、まるで妖精郷を思い起こさせる。もっとも、陽光の下で花畑の中に妖精が舞う世界ではなく、むしろ森の闇の中の、恐怖と安寧が背中合わせの静寂の世界だ。
「……?」
 ふと。
 竜朱の目に何かが留まった。
「魂源力の残滓……?」
 周囲を見回す。そう、ここは今朝、竜朱が人工精霊を破壊した場所だった。
「残骸か……いや、違う」
 目を凝らす。
 そこに。微かな、糸のようなモノが視えた。
「完全に潰したと思って考えにも入れてなかったが……そうか、犯人によって操られていたと言うのなら、繋がってる糸が……そこをたどれば」
 完全に灯台下暗しだった。だが後悔も悔恨も竜朱の主義ではない。
 竜朱は注意深くそれを辿っていく。森へと入り、木々を掻き分けていくと、開けた場所に出る。そこには小さな洋館があった。
「……怪しいな」
 そう言って、竜朱は無造作に扉を開ける。錆びた蝶番が軋んだ音を立てる。
「……地下秘密基地、か。おあつらえむけの、いかにも……だな」
 そして竜朱は、地下への階段を下りていった。

 黴のすえた臭いと鉄錆、そして腐臭が混ざった空気が竜朱の鼻を刺激する。
「……嫌な空気だな。それに……魂源力の気配が濃密でこれ以上は」
 糸を追う事は出来そうにない。だがここまでくればこの先に何かあるのはもはや決まりだ。
 あとはその前に……
「おい」
 竜朱は声をかける。背後に。
「尾行ならもっと上手にやれ。足音を消せていない息も殺せていない、見つけてくれといってるようなものだ」
 その竜朱の声に、
「すっごーい、やっばりこうなんというか、野生の勘ってやつですか!?」
「静かにしろバカ!」
 西宮浅葱が大声で感嘆した。竜朱はあわてて手で浅葱の口をふさぐ。
「……口を塞ぐなら、男の人らしく唇で塞ぐのもアリと思うんですけど」
「このまま息の根止めるぞコラ」
 半分本気で竜朱は言った。
「……というか何でお前はここに」
「いや、寝付けないので散歩してたら、おにーさんがなんか神妙なツラしてるからついつい気になって……これって恋?」
「変だ」
「ひどっ!? 漢字にすると似てるけど口に出すと一言も合ってねぇ!?」
 大げさに嘆く浅葱を軽くスルーしておく。
「しかしなんかこんな所あるなんてすげーですよね!」
「そうだな」
「これはすげーですよー……地下になにがあるのか! はっ、もしかしておにーさんはそれを調べるためにやって来た秘密のシークレットなスパイとか!」
「違う。あと秘密とシークレットで重複してるぞ」
 竜朱は苦笑し、言う。
「まったく、お前は本当に騒がしいな、萌葱(・・)」
「はえ? やだなー、私は萌葱ちゃんじゃなくて……」
「いや、合ってるよ。西宮萌葱」
 その静かな言葉に、少女は止まる。
 ただ無言。その沈黙が何より雄弁に語っていた。竜朱の言葉は正しい、と。そして竜朱は続ける。
「ああ。普通の学生である西宮萌葱、そして教会のシスターである西宮浅葱……同一人物だったとはな。
 なるほどその設定なら……二人一緒に姿を見ない事への理由はつけられる。
 そんな手の込んだことをしている理由は知らないが、演技は実に上手かった。いや、違うな。上手すぎたんだ」
「?」
「そう、お前は上手すぎたんだよ。まるで本当に、もう一人の人格として「西宮浅葱」を作っているかのように。俺が感じた妙な違和感、気にかかった理由はそれだ」
「……そう言ってくれると嬉しいです。私の中におねえちゃんが生きている、ってことですね、それ」
 口調を先ほどまでの明るく喧しい「浅葱」から「萌葱」へと戻し、萌葱は言う。
「……その言い方。姉は……」
「はい。私には、生まれることが出来なかった双子の姉が……いたんです」
「それで一人二役……か」
「はい」
 萌葱は話し始める。自分の過去を。
「そのせいで、母は心を病んで――いもしない姉に、「浅葱」に話しかける。だから私はそれを本当にするために、嘘を付き続けるしかなかった。姉は、西宮浅葱はここにいる、って。
 だから私はずっと思ってたんです。私は生まれないほうがよかったんじゃないか、生まれてきたのが私みたいな暗くて駄目な子じゃなくて――母が求め、私が演じてきた、明るい西宮浅葱なら……って。
 そしてそんな時に、あの本の話を聞いて……私は。
 これなら、再び姉を生まれ直させることが出来るんじゃないか……って」
「待て、萌葱。お前は勘違いしている」
 竜朱はあわてて言う。
「誰から何をどう聞いたかは知らないが……あれはそういうものじゃない。
 あれは胎児に魂が宿る前に結界を敷き、封じ……そして天使や惑星霊などを召還し降ろし受肉させて人為的に超人を作るという、狂った発想の魔術儀式だ。思い通りの人間を造るようなものでもなく、なによりも成功例は報告されていない」
 だが、萌葱は言う。
「ええ、知っています。知っているんです」
「……お前」
 その静か過ぎる雰囲気に、口調に、竜朱は不吉なものを感じる。
「その方法では、確かに姉は戻りません。私が望むのは天使でも惑星霊でもない。だけど……でも」
 萌葱は足を進め、そして扉を開く。
「私の細胞から作り出したクローン人間に……その「月の子」の発想を使い、アレンジして……死んだ姉の魂を召還して受肉させたなら?」
 その部屋は、機械音と水泡音に包まれた異質な空間だった。
 天井、床、壁を無尽に埋め尽くすコードとパイプ。
 脈打つすれはまるで生物の血管のよう。そして突き立ついくつもの巨大な培養槽は内臓か。
 その中は溶液と水泡で満たされ、中に何があるのかは一目では判らない。
 その中の巨大なひとつに――
「浅……葱?」
 培養液の中にたゆたう、少女の姿があった。
「そうだよね、お姉ちゃん。いままでずっと待ってたけど、ついに……この時が来たよ」
「お前……何を。何をたくらんでいる!?」
 竜朱が叫ぶ。だが次の瞬間、周囲の機械から気体が噴出される。
「……! これ、は……ガス……!?」
 気づいたときには遅かった。視界がぶれる、膝に力が入らなくなる。
「見事に……餌に食いつきましたか」
 部屋の奥からの足音と声。田辺の嘲笑を聞きながら、竜朱は倒れ伏した。

「よくやりました、西宮くん」
「……はい」
「これで邪魔者は大人しくなる。ですが彼のようなものが来たということは、感づかれている。儀式を早く完成させましょう」
「でも……」
「大丈夫です。彼女の成長は予想以上に進んでいる。毎日毎晩、君が彼女に熱心に話しかけたのが幸いしているのでしょうね。
 そう、準備は整った……いよいよです」----

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