【澱んだ水底のための練習曲 前】


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澱んだ水底のための練習曲


下校時間が迫り、燃えるように真っ赤な夏の西日が教室内に横殴りに差し込む。
外では、部活動を終えた学生たちが、部室や教室へと戻り始めていた。
図書館での調べ物から戻ってきた俺は、2-Qの教室に入り、帰り支度をする。黒板には根本宗太郎(ねもとそうたろう)、俺の名前ともう一人の苗字が書かれている。
要するに俺は明日の日直だ。
そのとき、校内に放送が入った。放送の内容を要約すると、「下校時間、帰れ!」ということだ。ここでは特別な異能者でもない限り、安全のため下校時間は厳守なのだ。
一応、俺も入学時の検査によれば異能者ということになっているのだが、未だ、その潜在能力は顕在化したことがなかった。
要するに、いつまで経っても開花の兆候が現れない、所詮は三流異能者、現時点では戦力外なのだ。
俺は手早く教科書やノートを鞄へと放り込むと、無人の教室から出ようとした。

「ねもおおおおおおおっ!」
「ひでぶっ!?」

何者かが高速で背後から接近し、俺の後頭部にラリアットをかます。

「ぶへぇっ! 手加減しろ! このなんちゃって不良!」
「一緒に帰ろーぜ!?」

相手は腐れ縁という名の幼馴染、牧野徹(まきのとおる)、同じ2-Qのクラスメイトであり、ボクシング部に所属している。チャームポイントはボリュームたっぷりのリーゼントで、髪の毛をどれだけ伸ばして、どれだけ前方に集中配備したらこうなるのか、まるで破城槌を頭に乗せているかのようだった。
実際のところ、ポマードでガチガチに固められたそれでどつかれると、結構痛い。

「悪いが、俺はこれから本屋に行きたいんだ。先に寮に帰っててくれ」
「何買うの? エロ本?」
「ちげーし、SF、SF小説」
「まあ、俺も一緒に行くよ。漫画の新刊出てるかもしんねーし。たまにはいいじゃん?」
「オーケー、じゃあ行こうぜ」

俺たちはちゃきちゃきと本屋で目当てのものを購入すると、コンビニで炭酸飲料とお菓子を買い、寂れた公園で二人だべることにした。そこは、幼い頃、牧野たちと良く遊び、喧嘩した思い出の場所だった。

「そこでひたすらガードに徹して俺はチャンスを待ったのよ、マジきつかったぜぇ……」

牧野はもう三回目となる高校1年のインターハイの準々決勝の劇的逆転勝利の話をしていた。

「一瞬の隙、勝負は一瞬だったんだ、ずっと我慢していた俺の渾身の右ストレートがこう、ガーンって! いや、すっきりしたぜ!」

なお、牧野は決して準々決勝より先の話はしない。本人曰く体調が万全じゃなかったらしいのだが、準々決勝の劇的勝利とはうって変わって、準決勝ではあっさりと負けてしまったからだ。

「お前、すげえな~、確かに昔っから喧嘩ばかりしてたけど、そこまで強くなるとは思わなかったわ」
「だろう? まあ、ねもはさすが、俺の価値分かってんじゃん!」

牧野は得意気に親指を立てる。繰り返される同じ話題に愛想良く付き合ってやってんだ、曇りのない眼で親指立てるんじゃねえよ。

「あ゛ー、数学の宿題だりー! ねも、代わりにやってくれよ!」

牧野は時折話題がコロコロと変わる。話したいことや思いついたことを何の迷いもなく口に出しているのだろう。

「ふざけんな、俺も数学苦手なの知ってるだろう? この間の小テスト、48点だぞ?」
「馬鹿じゃね?」
「お前は47点だっただろう?」
「いや、でも、ほら、俺強いし」
「馬鹿じゃね?」

最後の残光が地平線に消え、逢魔が時がやって来る。だが、俺たちはまだ話し込んでいた。クラスの女子、嫌いな同級生の陰口、中間テスト……話題は絶えない。

「そういや、来月のクラスマッチ、牧野はどうすんだ?」

双葉学園中等部と高等部には、学期ごとにクラスマッチが催される。今度のクラスマッチの種目は、ソフトボール、サッカー、バスケットボール、バレーボールの4種目であり、どれか1種目には必ず出なければならなかった。

「ああ~サッカーかな? ねももサッカーしようぜ、俺攻めるから、ねも守れよ。お前のスライディング危ねーし」
「サッカー苦手だからスライディングしかできねーんだよ」
「いいじゃん、かっけーよお前のスライディング、一緒にやろーぜ!」
「……まあ、考えとくわ……」

こいつは他の友人と一緒にいるときもこんな感じなのだろうか? 外見はともかく(リーゼントは中等部の頃は未発達だった)、言ってることが昔と変わらなくて笑い出しそうになる。
要するに、他はどうあれ、俺にとってはいい友達なのだ。

「あ゛ー、だりー、地理の宿題だりー。ねもやって」

なんだか少し前にしたのと同じような話をしながら、牧野はスナック菓子の袋をばりっと破く。
辺りに澱んだ水底のような生臭く、重い臭いが漂う。

「ん? なんだか臭くね? このお菓子ダメになってんのか?」

俺は牧野からスナック菓子の袋を取り上げ、鼻を近づけて臭いを嗅いでみた。普通のカレー味のスナックの臭いだった。
牧野も生臭い臭いに気がついたのか、鼻をふんふんとやっている。

「なんだ? くっせ! どこかで生ゴミでも腐ってんのか?」

思わず、牧野と二人で辺りを見回す。俺が「やつ」と目が合ったのはその時だった。

公園の草むらからひょっこりと突き出た丸い頭、そしてアーモンド型の巨大な目。
俺の背筋を冷たいものが走り、恐怖が脳に張り付いた。それはまるで、氷の塊を脳に差し込まれたかのような感覚だった。
背丈は初等部高学年の子供くらいだろうか? それはオカルト雑誌で見たことのある、エイリアン、グレイのような容姿をした化け物だった。
その目はあまりに無機質で、ぬめぬめとした質感の皮膚に覆われた「やつ」はあまりに不気味だった。

「うわあああああああああああああああああっ!」

俺はやっとの思いで、「やつ」から目を逸らし、恐怖に駆られて逃げようとした。
だが、「やつ」は「やつ」ではなかった。
「やつら」だったのだ。
俺が逃げようとした方向にも、その反対側にも、公園の街灯をぎらぎらと反射する巨大な目が二つずつあった。

「ひあああああああああああああああああっ!」

俺がどうすればいいか分からず、牧野の方を見たとき、俺の右側にいた「やつ」、名付けるならグレイもどきが形容しがたい甲高い鳴き声と共に飛び掛ってきた。

「ねもっ!」

牧野の頭部が一瞬にして凄まじい光を放つ。牧野の異能が発動した瞬間だった。辺りの大気が一瞬熱を帯び、轟々と燃え上がる炎のような音と共に、俺に飛びかかろうとした「やつ」が弾け飛ぶ。
通称、リーゼント・キャノン。20~30代の教師からはメガ粒子砲と呼ばれることもある。牧野はその自慢のリーゼントを砲身とし、魂源力を撃ち出すことで、対象物を攻撃することができるのだ。
顔面から胸部にかけてをリーゼント・キャノンで焼かれ、アスファルトの上でもがき苦しんでいた。その体表はじりじりと焦げ、胸が悪くなるような臭いが漂って来ている。その小さな口(このときまで、このグレイもどきに口があるとは分からなかった)は解けた結び目のように円形に開き、中から何やら細い器官のようなものがダラリと顔をのぞかせていた。

「上等だぁっ! ねも! 大丈夫かっ!? お前後ろ下がってろ!」

叫ぶが早いか、牧野は俺を庇う様な位置に陣取り、ファイティングポーズを取った。残った2体のグレイもどきに対して、ボクシングで牽制しながら、リーゼントキャノンを撃ち込むつもりなのだろう。そのリーゼントは金色の輝きを次第に強くしていく。いつでも発射できるよう魂源力がチャージされているのだ。こんな切羽詰った状況でなければ、思わず噴いたかもしれない光景であった。
残った2体のグレイもどきは、その様子に臆するわけでもなく、仲間がやられたことに怒りを露にするわけでもなく、ただその巨大な目に不気味な光りを宿してこちらを見つめていた。

「!」

2体のグレイもどきは申し合わせていたかのように、急に甲高い声を響かせた。それはまるで、何種類もの超音波を組み合わせたサイレンのように、俺の耳を攻撃する。
俺たちが怯んだその好機を、「やつら」は見逃さなかった。一体が牧野に、もう一体が俺に飛び掛ってくる。その口からは、あのよく分からない器官が飛び出していた。

舌!?

その一瞬で俺は直感的に悟った。こいつは、あれを、あの口から伸びている器官を、俺に刺し込もうとしているのだと。

「ひあぁっ!?」

俺は声にならない叫び声を上げた。俺の異能が初めて形を成したのはそのときだった。頭部をかばおうとした手、あるいは胸の辺りから何かが飛び出し、グレイもどきは何かに弾かれたかのように後方へと飛び退った。
何かが、俺の首から腹にかけてしがみついていた。そして、俺の周りを8個の光点が飛び回っていた。
俺は心を落ち着かせ、なんとかそれらの、俺にしがみついているものの、8個の光点の正体を見ようとした。そして、見た。
俺の体にしがみついているもの、それは人間の赤ん坊くらいの大きさの女王蜂だった。そして、周りを飛ぶ8個の光点、それは8匹の蜂だった。よく見ると、8匹の蜂には何種類か形状の違いがあるようだが、この時点ではそれがなんなのか分からなかった。

「!?」

グレイもどきは再び、人間には表現できない鳴き声を上げ、跳ねるようにして、草むらから公園の奥の方へと逃亡していった。
もう1体のグレイもどきは、牧野のリーゼント・キャノンに全身を焼かれ、動かなくなっていた。

「ねも! お前、いの……異能がっ!?」

俺は、この蜂を呼び出したのは、生まれて初めてのことだった。だが、自分がどう振る舞えばいいか知っていた。
そして、敵意をあの逃げたグレイもどきへと向けた。
心の中で蜂に命じた。逃がすな、追え、必ず仕留めろ、と。

8匹の蜂のうち、4匹が飛び立ち、グレイもどきを追撃した。グレイもどきは既にかなりの距離を逃亡していたが、少しして、どこからともなく、グレイもどきに針を刺しこむ感覚が伝わってきた。
蜂が仕留めたのだ。

「お前! 異能使えたのかよ!」
「分からん! 今だ……今、開花したみたいだ……」

俺の手は、声は、嬉しさと興奮で震えていた。

それが、俺が初めて自分の異能を知った瞬間だった。
そして、最後の機会だった。
あの後、何度か蜂を呼び出そうとしたものの、その試みが成就することはなかった。
とある先生は、現時点では不安定な能力のようだから、ゆっくり焦らずものにするようにと助言してくれた。
そして、俺は自分の能力をものにできないまま、季節は春から初夏へと移ろっていった。



下校時刻

それは賑やかだった学園が、まるで異世界に迷い込んだかのように、静寂へと変化していく時間帯である。
この学校では、放課後、いつも音楽が流れている場所は3箇所ある。
一つは音楽教室、これは主に吹奏楽部の練習によるものだ。一つは視聴覚棟、こちらは吹奏楽部以外の音楽系部活が交代で練習に使用している。
そしてもう一つはここ、生物教官室である。
前二者は部活動に関連して音楽が奏でられているため、放課後は静まり返るが、ここは校門が閉じられるときまでずっと音楽が流れている。
この生物教官室の放課後の主とでも言うべき教諭、佐久間盛寛(さくまもりひろ)は、他の教員が帰ったあと、一人この教官室でお気に入りのクラシック音楽のCDを流しながら仕事をするのを日課としていた。
今日、私物のオーディオプレイヤーにかかっているCDは、リヒャルト・ワーグナー作曲、歌劇「ローエングリン」である。第三幕、華々しい前奏曲が終わり、有名な「婚礼の合唱」の純白の旋律が流れていく。

「ふぅ……」

試験の採点が一段落つき、佐久間はこぽこぽと自慢の茶器に紅茶を注ぐ。
佐久間はこの学園に10年近く勤務しているベテランであり、この学園内の抜け道から、学食の裏メニューまで、たいていのことは把握していた。
一つ一つの教室やぼろぼろになったかつての名簿には、教え子たちとの思い出がたくさん詰まっていた。

佐久間は紅茶を口に含み、残りの仕事量を見るために、積み重なった答案用紙をぱらぱらとめくる。
幾つか、気になる珍回答を見つけてしまったが、後でゆっくり見ることにして、紅茶のお代わりをカップへと注いだ。

佐久間はこの学園をいい学園だと思っていた。
生徒たちは生き生きと、それぞれのやり方で人生を苦しみ、楽しみ、そして切り開いていた。なにより、その目が爛々と輝いている生徒が多い。
だが、そんな学園でも、佐久間には気に入らないことがあった。それは、この学園最大の特徴、即ち異能のことであり、ラルヴァのことであった。

大人が子供に守られるなど、あってはいけないことなのだ。
子供が大人の世界の命運を握るなど、あってはいけないことなのだ。
子供の役目は、本来、たくさん馬鹿をやって、たくさん勉強して、たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさんの思い出をバネに、糧にしてより広い世界へと飛び出すことなのだ。
この現代に、命をかけて、子供たちが何かを守るなど、本来あってはならないこと、大人たちが子供たちに期待してはいけないことのはずなのだ。
もちろん、随分長く、現代がある種の非常事態、いや非常識的な事態に陥っていることは百も承知である。

要するに、この学園が誕生しなければならない背景そのものが嫌いだったのだ。もし、百年、いや数十年早く生まれていれば、子供たちは子供らしい青春を経て、社会へと出て行くことが出来たかもしれない。

そして、佐久間の思考はいつもの場所へと着水した。

こんなこと言ったら、卒業生に、生徒たちに怒られてしまうな。
みんな自分の大切なものを守るために、自分の役目を全うするために命をかけているのだから。
そして、他の時代に生まれた子供たちが、今より無条件で幸福だったわけでもないのだから。

「ローエングリン」の音楽は、いつの間にか、勇壮な「ハインリッヒ王万歳」の場面へと変わっていた。金管楽器が高らかとファンファーレを羽ばたかせる。

ローエングリン、名前を、正体を尋ねてはいけない聖なる騎士……
主人公エルザは旅の騎士に窮地を救われ、結婚するが、名前を聞いてはいけないと言われる。
言いつけをちゃんと守っていたエルザだが、その騎士を敵視する者の言葉により疑心暗鬼に陥り、ついに騎士に名前を尋ねてしまう。
ローエングリンは聖杯を守る騎士である自らの正体を明かすものの、その高貴な正体に一度は感激するエルザ。
しかし、約束を破られたローエングリンはエルザのもとを去らなければならず、エルザは絶望して死ぬ。

それが「ローエングリン」の粗筋だ。孤独でなければならない人間の悲劇を歌ったオペラとも言われ、狂王ルートヴィッヒやアドルフ・ヒトラーも愛好した作品だという。
世の中には知らない方が良いこと、知らなくて良いことがたくさんある。それらは普通の人間が知ったところで何一つ得しないことなのだ。きっと自分はただの一教師として、ラルヴァや異能者に必要以上に深入りせず、生物学を教えていくのが一番幸せなのだろう。
佐久間はティーカップを置き、採点作業に戻ることにした。そして、いつもの疑問が頭の中にやって来る。

なんでこの学校には、怪奇小説に出てきそうな「素敵な」名前の生徒が多いのだろう。世代の違いなのだろうか? それともこれも、知らない方が良いことなのだろうか?



登校時間

それは、眠っていた学園が、生徒達の喧騒に包まれていく序曲にあたる時間帯である。

友人とのおしゃべりに興ずるもの
登校途中で買ってきた雑誌を見ながら席にもたれかかるもの
黙々と自習に励むもの
席についた途端、机に突っ伏し、朝のホームルームの時間まで惰眠をむさぼるもの

どの学年、どのクラスでも細かな違いはあれども、全体としての様相に大差はなかった。
強いて言うならば、受験を年度内に控えた3年生のクラスでは、せっせと勉学に励むものの姿が多いくらいであろう。
それに比べれば、1年生、2年生はのんきなものである。

そんなのんきな朝の空気が漂う2年生のクラス、その一つが通称無能組、普通科連隊などと呼ばれる2年Q組である。
どういうことかというと、他のクラスと比べて極端に異能者が少ないのである。
双葉学園においては、クラス分けに際して、学力だけでなく、異能も均一になるよう生徒が配置される(学校側からの評価であるため、生徒側の印象は異なる場合も多いが)。そして、それはここ高等部第2学年でも同じである。
しかし、Q組は、異能の才ありとされていても、その才能が開花していない者、発動が不安定である者が多く、華々しい能力を持つ者や「強い」と見なされている生徒が他と比べて小数であるため、無能組などと冗談半分、場合によっては嘲りたっぷりで呼ばれているのである。
例えば、A組なら醒徒会副会長水分を筆頭に義手の鳶島、「奇跡の剣士」戒堂、B組なら試験前にノート目当ての行列ができる舞華、近接格闘の雄である三浦、C組なら変態ホイホイ召屋、「ファランクス」六谷……
2年ともなると、どこのクラスにも有名どころ(いろんな意味で)と確たる実績を有する実力者がいるものである。
一方、我らがQ組では交友関係なしに他クラスで話題に上ることのある異能者や生徒は皆無に近い。

一応、学校や醒徒会が組織する正式なラルヴァ討伐チームに召集されたことのある戦闘向きの異能者は二人ほど在籍している。
一人は、例の幼馴染、牧野透(まきのとおる)、その能力はリーゼント・キャノン。
髪型がリーゼントでないと使用できない上、毎朝1~2時間かけてリーゼントをセットしないといけないなど、扱い難い能力ではあるが、威力はそれなりであり、時間をかけてチャージすることで、車一つ破壊することも可能と言われている。
ラルヴァ討伐チームでも、アタッカーを後方から援護する役割で活躍したが、先々週、頭皮に皮膚炎を患ってしまい、現在は治療のため短髪と化し、リーゼント・キャノンは使用不能となっている。
もう一人、塩谷泉(しおのやいずみ)は、指先に魂源力を集中して基質上に円を描くことで、その円に触れた生物やラルヴァを拘束することができる、という異能を有している。
拘束効果の有無や、トラップの有効時間、拘束時間についてはまだ未知数な部分が多いが、トラップ系の異能者として注目され、一度、ラルヴァ討伐チームに編入されたこともあった。
しかし、性格が極めて臆病なため、ラルヴァの姿を見る前に恐怖に駆られて敵前逃亡、チームのアタッカーを務めていたお隣P組の火野から一喝されて以来、討伐チームにお呼びがかかることはなくなった。
ほかに、嫉妬と共に凄まじい力を発揮して局地的な超新星爆発を展開する、森野あさひがQ組に在籍しているが、こちらは知る人ぞ知るといった感じの有名人であった。

Q組が目立たないのは異能者だけではない。成績では、クラストップの生徒でも学年で100位以下、容姿端麗と言えるほどの男子女子も少なく、何かと影の薄い学級であり、全校集会で前期学級委員長が任命された際にも、Q組が呼ばれずに飛ばされたのもそれ故とされている。

そんな平和(?)なクラスに、今日も俺は憂鬱になる授業とそれなりに楽しい学園生活をこなすために登校してきた。

「おはよーっすっ!」
「うぃーっすっ!」

クラスメイトに適当に挨拶をし、自分の席へと着席する。クラスの中では、間近に控えたクラスマッチの話題が生い茂っていた。

「よう、ねも」

声をかけて来たのは牧野である。リーゼントは見る影もなくなり、短髪を軽くワックスで立たせていた。正直、リーゼントよりもこっちの方がかっこいいと思わないこともない。

「あれってまだ何も言ってこないのか……?」

あれ、とは2ヶ月ほど前に倒したラルヴァのことであった。俺が「蜂」でグレイもどきを倒した数分後には、俺らの異能使用を察知した醒徒会傘下の討伐チームが到着し、ラルヴァの死体3体を引き取っていった。
その後、俺と牧野は教師から事情の説明を求められ、さらに俺は自分の異能についても報告をしなければならなかった。それは報告というよりも尋問だった。
一通りの質疑応答が終わった後、俺たちに質問を浴びせかけた教師は、倒したラルヴァについては、後で詳しいことが分かったら教えてあげると言ったのだ。だが、今まで、醒徒会からも、教師からも、例のグレイもどきについては何も教えてもらっていなかったのだ。

「何にもないよ。あ~、所詮、俺らみたいな一般生徒が知る必要のないこと、ってやつなんじゃねーの?」
「いや、俺ら実際に戦ったわけじゃん、どういうやつなのか、俺らだけじゃなく、ここの生徒には教えた方がいいと思うぜ。学校は何考えてんだろーな……」
「待て、まだアレのことを隠してると決まったわけじゃないだろ。どっちにしても俺らが考えてもしょーがない……」

そのとき、8:30を告げるチャイムが鳴り、俺たちの耳には馴染みの深いカツンカツンという甲高い足音と共に一人の教師が教室に入って来る。その手には、黄色い冊子が山のように抱えられていた。

「席に着きたまえ、HRだ」

我らが担任、生物学教師、佐久間盛寛(さくまもりひろ)。年齢は確か44とか48とかそんな感じだったと思う。

広いおでこに、後退し始めた白髪交じりの頭髪と、高そうなスーツ、そして、教官室にて、これまた高そうなティーカップで紅茶を飲んでいることから、「でこ子爵」と一部では呼ばれていた。
子爵というのも、あだ名にしては中途半端な爵位だが、名付け親曰く、「男爵というには老けてる。伯爵というには貧相な面だ」ということであった。
ある意味勝手なイメージであるが、陰でこっそり呼ぶためのあだ名など、そんなものである。また、足が悪いようには見えないにもかかわらず、常に杖を携行していることも「でこ子爵」というあだ名を定着させることに一役買っていた。
学級委員長の塩谷が号令をかけ、おはようございますの挨拶の後、みなが一斉に席につく。

「双葉区におけるラルヴァの目撃、討伐事例、今月の分が届いている。各自目を通して、危険な場所、怪しいものには安易に近寄らないように。そういうことだ」

佐久間先生の手から、巡り巡って、各生徒のもとに先ほどの黄色い冊子がまわってきた。これが「双葉区におけるラルヴァの目撃、討伐事例」と銘打たれた生徒向けの報告書、通称「黄色い本」である。
ここには、かつて双葉地区で目撃・討伐されたラルヴァがほとんど網羅されている(一部、ここに掲載されていない特殊な事例もあると噂されている)。
俺は微かな期待と共に、いつもは適当に読み流している冊子をぱらぱらとめくって行った。そして、あるページが目に留まる。

『カッパ  カテゴリー:デミヒューマン、下級 B-2~3』

そこにあったのは、かつて牧野と二人で戦ったあのグレイもどきの写真と簡単な紹介であった。まだ、情報というほどのものは集まっていないらしい。
カテゴリーと写真の下には、目撃場所として、俺と牧野がいた公園、双葉島北方の海岸、そして、本土でも数件それらしき目撃例があることが紹介されていた。そして、その次に一言、『探知系の異能者に察知されなかったケースがある。何らかの能力や性質によって、探知をかいくぐっている可能性もあるため、注意すべし。』とあった。

しかし、カッパとは……なんで、カッパなんだ……ひょっとしてグレイ=カッパ説ってマジなのか?

俺は牧野の方をちらりと見たが、牧野はぼーっと教壇の方を見ていた。佐久間先生は、吹奏楽部が区の予選を勝ち進んだこと、中間試験において、とあるクラスで不正行為があり、生徒が厳重注意を受けたことなどを話していたが、俺は佐久間先生の話を聞いていなかった。

カッパのことは詳しくない。妖怪ということと、きゅうり好きということしか知らない。
だが、俺はUMAとかUFOなら詳しい。今更説明は不要だと思うが、グレイとは、UFOに乗っている宇宙人、あるいは地球の両生類が進化した姿、もしくは未来人とも言われている小人のことである。幼稚園生か小学生だった頃、宇宙人解剖の動画がTVで流れ、俺はその大きな目に心の底から恐怖したものだった。
グレイ=カッパ説とは、そのグレイとカッパは同じものではないか、グレイを見た過去の人々がカッパと名づけたのではないか、という説のことだ。ヨーロッパのドーバーデーモン、アメリカのカエル男もその目撃情報から、カッパとの類似性を指摘する声もある。
もちろん、グレイの存在は公式には認められていない、というか単なるオカルトの一キャラクターでしかないのかもしれない。だが、俺には学者がどう考えているかなんて分からない、ただ、俺の中ではグレイやUMAの存在を、いるわけないよ、と否定しながらも、いたらいいな、いたら怖いな、などと複雑な感情によって作られたカクテルがあり、そこから「おもしろい」という感情がフレーバーとなって湧き上がって来るのだ。
閑話休題、要するに俺と牧野が倒したのは、グレイ=カッパなのだろうか? それとも……

「根本! 起立! き・り・つ・だぞ!」

俺はそこで、学級委員長の塩谷が俺を呼んでいることに気がついた。いつの間にか、HRの後の1時限目、生物(担任の佐久間先生の授業である)の時間になっていたのだ。
俺は起立、気をつけ、礼、を済ませると、慌てて机の上にノートと教科書を広げた。

「中間テストを返却する。呼ばれた生徒は取りに来なさい」

教室がざわめく。不意打ちだった。佐久間先生はほかの教師に比べてテストの返却が遅いことで知られ(記述式の問題を多用するためとも言われている)、いつものペースならば、テストの返却は来週になるだろうと皆、踏んでいたのだ。

「9割とったどおおおおおおっ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
「こら、名前が聞こえないから静かにしたまえ!」

佐久間先生の注意もどこへやら、教室では歓喜と絶望、そしてなにやら微妙なうめき声と得意げな鼻息が鬱陶しい協奏曲を奏でていた。



3時限目、HRの時間、今日はクラスマッチ参加種目を決めなければならない。俺たちは、希望種目ごとに集められ、人数が余分なところから足りないところにまわす形でメンバーを決めさせられていった。
委員長の塩谷はクラスマッチの勝利へ向けてなにやらアジ演説を展開している。

「諸君、私はQ組が大好きだ!」
「Q組の諸君! 嵐となれ!」
「2年Q組はぁぁぁっ! 地上最強ぉぉぉぉっ!」

あの女……元気なものである。

俺と牧野はさっさとサッカーに出場することを決めてきた。本当は野球の方がまだマシなのだが、サッカーができないわけではない。
そして、出場する種目さえ決めてしまえば、この時間は実質自由時間だ。早速、牧野とカッパのことで話し込む。

「牧野、あれ、読んだか? カッパだったんだな」
「ああ……? 皿なかったじゃん、頭の皿……」

牧野は自分の戦った相手にあまり興味がないようだった。

「俺、あいつを見て宇宙人そっくりだな、って思ったんだ。でも、あの黄色い本によれば、カッパだとよ」
「おう?」
「果たして、あれが妖怪の河童なのか、宇宙人グレイなのか、それらに似たラルヴァなのか、それとも河童=グレイ=ラルヴァなのか、気にならないか?」
「ん~、そうなの? 俺、宇宙人とか知らないからよ、河童は辛うじて知ってるけど。てか、お前なんで、そんなにカッパかグレイかにこだわるの? 何かあんのか?」

どうやら、全然興味がないようだ。勝手な感情ではあるおのの、俺はがっかりした。俺がおもしろい、と思ったものをおもしろいと思って欲しかった、そういう相手が欲しかったのだが……

「いや、俺が単に、個人的におもしろそうだな、と思っただけさ。一体、どうやってカッパって命名されたのか、それも不思議というか、なんでだろうと思ってな」
「見た目じゃねーの? まあ、似てない気もするけど。醒徒会か先生にでも聞いてみたら?」
「う~ん、そうしたいとこだけど、ラルヴァの特定とか命名とか、そういう情報って俺らが教えてもらえるようなことなのか?」
「おいおい、気になってるのは、お前だろう? 面倒臭いならほっとけ、それより彼女でも作ってスクールライフをエンジョイしようぜ?」
「悪かったな、もてなくて!」
「あと、最近手に入れたいいお姉ちゃんものの……」
「いや、いらないから。俺、そういう趣味ないから!」
「ちっ! むっつりめ……」

俺は面倒ごとが嫌いなわけではないが、自分で積極的に動くのは得意ではなかった。これは自分の欠点だとは思っているのだが、いざそのときになると欠点を克服するのは後回しにしてしまうのである。
醒徒会なんて、うちら無能組と身分違うような人たちの集まりを、自分の疑問を解消するために訪ねるなんて、とてもする気にはなれなかった。
しかし、先生に聞くなら、それよりもずっと気楽なはずである。俺はそう思った。



俺が担任の佐久間先生にカッパについて訪ねに行ったのは昼休みだった。

「ん? あの黄色い本のことですか?」
「はい、ここに、カッパという名前のラルヴァがのっているんですが、これについて詳しく聞いてみたくて……お食事中すいません」
「いやいや……」

佐久間先生は、ティッシュで口元をぬぐうと、う~んと腕を組んだ。先生のお弁当はのり弁だった。

「それは醒徒会に聞いた方がいい。早い話、我々みたいな普通学科を担当している教師は、ラルヴァの危険性とか、非常時の対応といった情報はまわって来ても、その生態や行動、分類といったことは基本的に、こちらに来ない。そういうのは、醒徒会の方が良く知っているし、資料もよく保管されているそうだ」

俺は思い切って、同じ2年の醒徒会副会長、水分に聞いてみることにした。

「あれをカッパではないかと指摘されたのは、貴方のクラスの佐竹くんです。彼にお聞きになってください」

なんだか役人のたらい回しみたいだ。
結局のところ、俺が話さないといけない相手はクラス内、俺の席のちょっと前の方にいた。
Q組で比較的有名な異能者、佐竹義冬(さたけよしふゆ)である。
2年生なら一度は聞いたことがあるだろうが、彼の能力は「この世と共にあるこの世ならざる世を見る」こと。
なんとも表現し辛いのだが、この世と共にあるが、普通は見ることの出来ない世界、幽霊や妖魔、神々の存在や別世界との接続点を見ることができるとされている。

「よう、ちょっといいかい?」

佐竹は読んでいた本に栞を挟みこむと、こちらの顔を見上げてくる。
相変わらず、不健康そうな顔のやつだった。佐竹の目の下には特濃のクマができており、疲れた目がその上できょろきょろと動いている。それなりの資産家の息子らしく、どこか貴族的な顔立ちをしているのだが、そのクマと疲れた目が容貌を1、2ランク下に落としていた。

「えっと……根本くん? でしたっけ? ……一体私になんでしょう?」

俺は黄色い本を取り出して、カッパのページを佐竹に見せた。

「佐竹がこのラルヴァをカッパって名づけたの?」

佐竹が本のページに目をやったのはほんの一瞬のことだった。

「はい、そうですが……?」
「こいつさ、俺と牧野で倒したんだよ。こいつがどんなやつなのか、なんでカッパなのか教えて欲しいんだけど?」
「……」

佐竹はちらっと俺の目を見た。何を考えてるのか、分からない、そんな目をしていた。それとも、佐竹の異能で、俺に何かが見えてるのだろうか?

「いいですよ。何からお話すればいいですか?」
「こいつなんだが、まずなんでカッパなんだ? さっき、醒徒会の副会長にあったんだが、佐竹が名前をつけたって言ってたぜ?」
「カッパというのはですね……」

だが、そこでチャイムが鳴ってしまった。

「おや、次は移動教室だから、放課後なり、明日なり、時間があるときにでも話しかけてください。私はいつでもいいですよ」
「おう! サンクス! じゃあ、後で!」

残念だったが、授業では仕方がない。俺は鞄の中から、必要な教科書とノートを取り出した。チャイムが鳴ってから教室に入ると先生がうるさい、急がないと。
そこで、俺はとあることに気がついた。

しまった! 俺はまだ昼飯を食ってない!

腹がくぐもった警鐘を打ち鳴らす。カッパのことを追うのに夢中で、学食に行くのをすっかり忘れていたのだ。
結局、俺はなんとか腹をなだめながら、五時限目を耐えるはめになった。



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