【澱んだ水底のための練習曲 後】


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結局、俺が佐竹とゆっくり話す機会を得たのは、その日の放課後であった。俺は佐竹と学食のカフェテリアの一角に陣取った。テーブルの上には、ドリンクサーバーで注いできたコーヒーと緑茶が、プラスチック容器の中で静かにたたずんでいる。
俺はまず、牧野と二人でグレイもどきを倒したときのことを話し、オカルト好きなら一度は聞いたことのあるグレイ=河童説を紹介した。そして、なぜ、グレイもどきをカッパと命名したのかについて佐竹に尋ね、その反応を待った。

「根本さん、私は河童の正体がグレイなのかどうかは分かりません。しかし、あれは河童です。何度も見たことがあるんです」
「あれに襲われたのか?」
「いえいえ……根本さん、知ってるかもしれませんが、私の異能について軽くお話しますね」
「ああ~……根本とか、ねも、ねもっちとかでもいいぜ? さん付けは……あとその敬語、敬語じゃなくていいよ」
「あ、そうですか? しかし、私もこの口調、わざとやってるのではなく、癖みたいなものなんですよ。とりあえず、今日は話を先に進めましょう」

そこまで言って、佐竹はプラスチック容器から緑茶を少しすすった。佐竹は、どうもお茶をすすっているときが一番幸せそうな表情を浮かべているように見える。

「確か、あの世が見えるんだっけ?」
「一応、この世と共にあるこの世ならざる世を見る……と言ってるんですが、長すぎるのか、言い回しが面倒なのか、誰もその名称を使ってくれない……」
「幽霊とか見えるのか?」

佐竹はそのクマで縁取られた目で、俺の上の方をじっと見ていた。

「はい、守護霊とか地縛霊とか見えます。根本さん、あなたの守護霊はあなたの曾爺さんみたいですね。戦時中のパイロットみたいな服装を着た人が見えますよ」
「マジか!?」

俺はちょっとびっくりした。
父方の祖父の家に飾ってあった、曽祖父の写真がそういう服装で写っていたものだったからだ。

「佐竹の守護霊は誰なんだ?」
「何人かいるんでよ。今は……江戸時代半ば頃のご先祖さまですね」

ずっと曽祖父が見てるのだろうか……そうだとすると、いろいろ困るのだが……
俺は今までの人生を振り返り、ふと気がついた。ひょっとして、もう一人でゆっくり****はできないのではないか? それとも、誰かが見てるかどうかとか、そんなことが関係なく思える日が来るのだろうか?
どうやら、一つ、知らなくても良かったことを知ってしまったのかもしれない……
俺は気を取り直して本題に入ることにした。

「話を戻すけど、佐竹の能力だと、あれが河童だと分かるのか?」

佐竹は秘密を話そうとする子供のように、にっと笑った。クマと相まって、正直不気味な笑みだった。

「私は幽霊だけじゃなく、向こうの世界の存在が見えるんです。神様とか、妖怪とか。彼らは結構、そこら辺にいるもんなんですよ? 通常は我々の世界に干渉できないだけで」

この世と共にあるなんとやらではなく、「向こうの世界」なのか?

ちょっと佐竹の表現に納得のいかないものがあったが、俺は黙ってコーヒーをすすった。

「どんな風に見えるんだ? 神様とか妖怪ってのは?」
「妖怪は、日本昔話とかで出てくる絵、そのまんまのイメージのものが多いですよ。神様は人型とは限りません。強烈な光を放つ光球だったり、巨大な白蛇だったりします。もちろん、人間の形をした神様もいらっしゃいますよ」

美少女で狐みたいな神様がいると俺得だな。そう思った。

「で、河童は?」
「あのラルヴァそのまんまの姿です。根本さんが言うにはグレイでしたっけ? 私が見た通りの姿でしたので、河童じゃないか、と醒徒会に報告しました。ああ、別の用件で醒徒会に呼び出し食らってて、ラルヴァの話をしてたところだったんです」

佐竹はお茶を一口すすり、話を再開した。

「彼ら、河童は水辺や沿岸などでよく見かけますが、陸上でも活動できるようです。確証があるわけではありませんが、乾燥には弱いみたいです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「何ですか?」
「佐竹、お前が見ているのは、この世でないもの、俺たち一般ピープルには見えないものなんだろう? なんで、あいつはいたんだ? 俺と牧野はなんであいつを見ることが出来た? そして、戦った? なんでだ?」

佐竹の異能は、俺たち常人には見えないご先祖さまの霊や妖怪を見ることが出来るというものらしい。そして、河童もそのような世界の住人らしい。
だとしたら、なぜ、この世、俺たちが普段見ている世界にいないはずの河童を俺たちは見ることが出来たのか。そして、なぜ俺たちを襲ってきたのか?

「神様や霊のいる世界のことを私は裏の世界、と呼んでいます。妖怪もそこに住んでいます。そこは我々の世界と重なり合いながらも別の世界です。根本さんが言うように、彼らは普通の人間には見えません。もちろん、触れません」

佐竹はそこで一呼吸置いてから続きを話し出した。

「でも、彼らは時折、こちらの世界に来ることができるみたいなんです。この表の世界、人間の住む世界、物質世界に姿を顕現させることができるみたいなんです」

なんだかわけが分からなくなってきた。まだ、UFOはナチスドイツが作ったっていう話の方が理解しやすい気がする。

「けんげんってなんだ?」
「顕現は……神様仏様みたいに、普段見えない存在が、人間の前にその姿を現すことです」
「なんて言えばいいんだろう……お化けが時々肉体を持って人の前に現れるって感じ?」
「そんな感じです」
「なんで? なんでそんなことができるの? 妖怪はラルヴァなのか? そして、どうしてそんなことをするんだ?」

俺はふと、あのグレイもどき、カッパに公園で囲まれたときのことを思い出した。あのアーモンド型の不気味なくらい無機質な目……

「まさか、あいつら俺たちのことを食おうってのか?」

佐竹は微妙な表情をした。眉毛が困ったような形になっている。

「ここから先は私の異能だけでは分からないことですので、推測が入りますが……前置きがあります」
「なんだ?」
「私の兄は脳の研究者、父は宗教・民俗学者です。ラルヴァに関する研究も扱っているようです。ここから先の話は父と兄の話を失敬したものですので、悪しからず。何が言いたいかと言うと、私が考えた話ではありません。受け売りです。私はただ、変なものが見えるだけの高校生ですからね」

私は、別にそんな前置きいらないのに、と思ったが、黙って佐竹に話を続けるよう促した。

「結論から言うと、妖怪の中には、人間を食べるために、あるいはその生命力のようなものを吸い取るためにこちらの世界に顕現するものがいる、そう思います……柳田国男や河童駒引考とか読んだことありますか?」
「空想なんたら読本とか書いてるやつなら読んだことがある。後は知らん……」

佐竹は一瞬がっかりしたようだが、ノリノリで話を続けていた。だんだん話が分からなくなっていく……

「河童や妖怪は零落した神様、という説があります。河童の場合は、水神の成れの果てでしょう。河童が馬を水中に引きずり込もうとする民話が各地に伝わっていますが、馬は日本の伝承、民話において洪水との関連性の高い生き物です。また、水神への供物とも考えられ、河童の特長と相まってここから……」

しばらく佐竹の河童と水神との話が続いた。俺は途中までは頑張って聞いていたのだが、その後は佐竹の後方に見える雲の数を数えていた。
だが、話は終わりそうにない……いや、区切りがつきそうにない。どうやら佐竹は好きなことの話になると脱線しまくって出口が見えなくなるタイプらしい。

「とても興味深い話なんだが、河童がなんで俺を襲ったのか、そこをまず教えてくれないか?」

痺れを切らした俺は単刀直入に訪ねた。

「え、あ……はい、そうですね……神様とか妖怪ってどうやって生まれたんだと思います?」

俺は少し、このクマ男にいらっとした。わがままかもしれんが、俺は俺の分かるところだけ、分かるように答えて欲しいのだ。
佐竹はこちらの感情を察知したのか、諦めたかのように話を始めた。

「人間の感情や考えってのは、こちらの世界では見ることも触ることもできませんが、裏の世界には蓄積することがあるんですよ。生霊とか地縛霊とか。私は私が見ているこの裏の世界を、知性を持つ生命体が共有している無意識の世界だと思っているんです。パソコン一台一台が、知的生命体一個体だとしたら、無意識の世界はインターネットの世界みたいなものです。我々の脳の7割は使われていないとされていますが、ここへアクセスするために使われているのではないか、そう思うのです」
「……それで?」

相変わらず話が見えないが、俺はもう少しだけ我慢することにした。

「生き物は生きるために食べるものが必要です。神様や妖怪ってのは、存在を保つために人間の感情や祈りを食べるようなのです。そして、それらを得られないものは餓死、即ち消滅するしかありません。これが河童が人を襲った理由だと思います」
「河童はおなかがすいてたと?」
「はい、河童は本来は水神です。人間からの信仰が彼らの食糧みたいなものでした。しかし、零落し、今では妖怪として、伝承の中だけの存在になり、誰も河童に祈りを捧げるものはいません。裏の世界で食糧を失った彼らは、こちらの世界に食糧を求めたのではないでしょうか? こちら、無意識ではなく、肉体の世界の食糧を」
「向こうの世界の存在はこっちだと、こっちの食い物が必要ってことか?」
「そんな感じです」

どうやら、あのラルヴァは、佐竹の言う「裏の世界」では腹を満たすことができなくなったので、こちらに来たらしい、ということだけは理解できそうだった。だが、そうだとしても疑問が残る。

「二つ、分からないことがあるんだが……まず、なんでここに出てきた? そして、結界をどうやってくぐり抜けた?」

「河童が人や家畜を襲うという話は、江戸時代から急速に増えています。きっと信仰を次第に失っていく中で、今までにも細々と同じような事件があったのではないでしょうか?」
「双葉以外の場所でも奴らは出て来ていたと……?」
「はい、そう思います。ラルヴァとしては認識されていなかったでしょうが……」

プラスチックコップを掴む。しかし、コーヒーはもう残っていなかった。

「結界についてはどう思う?」

本来、この双葉島には結界が張られており、ラルヴァの侵入を阻んでいるはずだった。もっとも、まだラルヴァの性質が詳しく調査されていない頃に張られた古い結界であるためか、既にラルヴァの侵入を許すこと数え切れず、その機能には疑問が呈されている。

「正直、私は結界については分かりません。ただ、零落したとは言え、かつて神であったものに、神の力を借りて貼った結界が効くのかどうか……もっとも、ここの結界がどういうものなのか、私は知りませんけど」
「じゃあ、ラルヴァに結界は効いてないのか?」
「ラルヴァによると思います。神や妖怪=ラルヴァではありません。そもそもラルヴァとは、現状では雑多な不可思議物体のるつぼでしかないのかもしれませんよ。伝説の世界から来ているものもいれば、根本さんが言っていたように、宇宙から来ているのもいるかもしれません」

要するに分からないことだらけのようだ。ただ、俺は、神の零落した姿にしては、カッパは大したことなかったな、と思った。

「根本さんは、どうしてカッパについて詳しく知ろうとしたんです? 何かあるんですか?」
「いや、まあ、自分で初めて倒した相手だからな……」

多分、俺は自分が倒した相手のことを知ることで、いかに自分が凄いか、特別かということを確認したかったのじゃないだろうか……
せっかく異能が開花したのだ。俺だって、華やかに活躍したい。その他大勢から抜け出して、狭い範囲でもいいから学園生活の中心で踊ってみたいのだ。

「さて、神や妖怪が人間の感情や思念を食べる、と私は言いました。では、彼らはどうやって裏の世界に誕生したのか、という疑問が湧きます。これは私がとある神様と話して思ったことなのですが、そもそも神様とか妖怪とかいった存在は人間が……」

いかん、また何か俺の分からない話を電撃戦で展開しようとしている。どうやら、退き時が来たようだ。

「ありがとう佐竹! 今日は参考になったよ! 悪いが、そろそろ友達と約束の時間なんだ! また何かあったら話聞かせてくれよな!」
「え? あ、ああ?」

俺は言いたいことだけまくし立てると、風のように撤収した。そろそろ帰らないと、のんびりゲームをする時間がなくなってしまう。
はるか後方で佐竹がスイーツを注文した声は、俺の耳には届かなかった。

「……すいません、チョコレートパフェとレアチーズケーキ、スイスロールとシュークリームいただけますか? 生クリームはましましで」



双葉区内で、内臓と血液が全て抜き取られた死体が発見されたのは、その翌日のことだった。
そして、同様の事件は連続して発生した。

事例1、被害者は商店街で働く40代男性。森林公園の奥、人目につかない場所で死体となって発見される。首筋に何かに刺された跡あり。肛門が破壊され、内臓と血液をほとんど抜き取られていた。内臓は、食道から下が全てなくなっていた。
事例2、被害者は5歳の女児。潮干狩りをするため家族と海浜公園にでかけた際、親が少しの間目を離した隙に行方不明となる。死体は翌日、数キロ離れた海岸で発見され、皮と骨しか残っていなかった。脳すらなくなっていた。
事例3、被害者は20代の夫婦とその愛犬。林道からすこしずれた森林内で、死体となって発見される。早朝、海岸付近の林道に散歩に行くのが日課であったという。夫婦と犬の肛門は破壊され、やはり食道から下がなくなっており、少し離れた場所に小腸の一部が発見された。女性の首筋に何かを刺したような跡あり。
事例4、被害者は30代警察官。深夜、自転車で市街をまわっていたところ、カッパに襲われ、転倒時に後頭部を怪我する。拳銃で反撃し、三発発射中ニ発が命中。カッパを射殺した。

これを受け、島内には夜間外出禁止令と、人通りの少ない場所への外出を控えるよう通達が行われた。朝8時のことである。
また、警察も厳戒な警備体制を敷き、対ラルヴァチームも常時待機を命じられた。双葉学園でも、急遽職員会議が収集され、その中に2-Qの担任佐久間の姿もあった。会議後にはすぐに下校の措置が取られ、学生寮を中心に主だった異能者が交代で守備につくことになるだろう。
急いで感知系の異能者が集められ、神那岐観古都(かんなぎみこと)らを中心に学園内ならびに周辺に早期警戒網が敷かれる。また、醒徒会やラルヴァとの戦闘経験豊富な学生とも連絡を取り合い、彼らは要所要所に配備されることになった。

「既に醒徒会の面々には動いてもらっています。ラルヴァへの対抗手段を持たない先生方は危険ですので、基本的にこのフロアから出ないでください。まもなく何人か異能者が来るはずですので、先生方は彼らの護衛の下、各教室、フロアにいる学生を、先程お知らせしたルートに沿って学生寮へと避難させてください。学生寮には既に一時的な多重結界を張ってあります」

会議の司会をしている教師が今後の対応を口早に説明していく。場所が場所なので、ほとんどの教師は銃器の扱いは訓練されているものの、多くの異能者を学生として抱えるこの学園では、非常時には守られる側になることの方が多かった。その事実は、時折佐久間をいら立たせたが、だからと言って自分の無力さが変化するわけでもなく、ただ杖を握り締める以上のことはできなかった。

「ここは警察に任せて、生徒たちは安全が確認されるまで寮内から出さないほうがいいのではないでしょうか? 討伐チームに参加したことがあるからと言っても、やはり……」

私は異能者とは言え生徒たちを危険に曝すのは本意ではない。だから発言した。だが、私の意見は却下された。事態はそんなのんびりしたものではない、とのことだった。分かっていたことだった。
会議は進む。
現時点で、既に登校している学生は教室内に、まだ寮内にいる学生はそのまま自室待機が命じられる。早期警戒網と学園主要施設の守備態勢が構築された後、学生たちは教室から学生寮へと避難するという段取りだった。
さらに、視界の開けた場所にも人を配置し、目視による警戒を行わせる。これは、カッパが感知系異能者には感知されにくいラルヴァであるとの情報があったためである(警察の対ラルヴァチームの担当者によれば、反応がもやもやしてる上に途切れ途切れで、ノイズと区別しづらい、とのことであった)。さらに要所には、遠距離攻撃、射撃系の異能を持つ生徒を配置してあった。

「今回のラルヴァ、カッパでしたか? あれがどのように発生したのか、どこから来たのかは調査中だそうです。少なくとも外出禁止令が解かれるか、行政より指示があるまで、生徒たちには寮で待機を続けてもらうことになります」
「学生達を寮に収容した後は、非常時マニュアルの通りに?」
「行政や警察と連絡を取り合い、対応を決定することになります。とりあえずは、マニュアル通り、要所要所を交代で異能者に守ってもらい、先生方にはそのサポートを」

ラルヴァが出るといつもこうなのだ。我々教師の大部分は待っているだけ。だが、仕方ない、仕方がないのだ。自分が出て行っても、何の役にも立たないのだから。

「警察の対ラルヴァチームによれば、今回の相手は戦闘能力こそ通常の人間と大差ないものの、感知系の異能者でも感知しにくいラルヴァだそうです。そのため、万が一、カッパが校舎内に侵入した際は、生徒の安全を第一に考え……」
「ちょっと待ってくれ。どうして事態がここまで進行するまで誰も気がつかなかった? 結界はなんのためにあるんだ!?」
「感知しにくい……からじゃないんですか? そもそも結界は万能ではありません! とりあえず、今、我々がなすべきことは結界やラルヴァの出現の謎を解き明かすことではありません」

教師の間から、そんな声が聞こえてくる。

過去の日本において、大規模な都市計画に、強靭な結界は不可欠だった。平安京では、大内裏から鬼門の方向に王城鎮護の役割を担う比叡山延暦寺が、裏鬼門には国家の守護神的性格を持つ、八幡神の石清水八幡宮が置かれた。また、江戸では江戸城から鬼門の方向に寛永寺が、裏鬼門の方向に増上寺が置かれた。一説には、徳川家康の腹心、天海僧正によって、神田明神や筑波山、日光東照宮までもが、江戸の都を守るための結界に含まれたという。
本来、結界とは聖地を結び、聖地に寺社仏閣を建て、聖地の破邪の力を強化することによって形成するものである。しかし、人工島である双葉区には古来からの聖地などあるわけもなく、必然的に、結界は個々の強力な呪法の連結に頼らざるを得なかった。
つまるところ、双葉島の結界は、結界としては強力なものなのだが、広い範囲を悪鬼妖魔から守るにはいささか心もとないものと言うことが出来るのだ。

そのとき、学生の一人が会議室にドタバタを慌しく入り込んできた。制服から見るに中等部の子のようだ。

「神那岐さんから言伝です! ラルヴァの件ですが……」
「早いな! まだ始めて3分経っていないだろう?」

会議室に緊張が走る。言伝が来たということは近くにラルヴァがいるということなのだろう。教師の中でもラルヴァと戦う術を持っているものはそそくさと荷物をまとめ始めている。

「既にいると」
「どこだ、どこにいるって言っていた?」
「中に、学園の中に! 校舎の中に!」

既に侵入している!
私は杖を取り、教室に向かおうとした。小さい頃、親戚から杖術を仕込まれた私には、この杖は私に扱える最強の武器なのだ。他の教師も何人かが武器を取り、何人かは、醒徒会に連絡を取ろうとしていた。

「あっ!」

不意に、言伝に来た学生が顔を強張らせる。

「あ……ああ……」
「どうした君?」
「ああ! 窓に! 窓に!」

教師たちが一斉に窓の方を振り返る。


指が四本しかない、粘液にまみれた、手


大きな目、アーモンドのような形をした、無機質な目


体に対して不釣合いに大きな頭

窓から覗いていたのは、およそ人間なら誰もが嫌悪と恐怖を抱くであろう、不気味な姿をしたラルヴァだった。

「去ねっ!」

次の瞬間、女の声と共に、レーザーのような水流が一直線の迸る。
窓から会議室を覗き見していたカッパは、そのレーザーにガラスごと頭部を貫かれ、その場に崩れ落ちた。窓には粘液と手形だけが残っていた。

「先生方、大丈夫ですか? 護衛に来ました」

それは醒徒会副会長、水分理緒(みまくりりお)であった。その手には半分ほど空になったペットボトルが握られている。
私はその横をすり抜けるようにして、部屋を飛び出して行った。



高等部第2学年の教室があるフロアは、醒徒会、今回は遊撃戦力であるラルヴァ討伐チームとして抽出された異能者を除いた面々によって守られていた。各クラスはそれぞれのクラスの委員長を中心に、実戦経験のある異能者が周囲に目を光らせている。
もっとも、実戦経験を持つ異能者たちは落ち着き払っていた。今回の相手は、俺が初見で倒し、通常武器も十分に効果的なラルヴァである。区内で死者が出ているとは言え、経験豊富な異能者たちにしてみれば、欠伸が出る相手なのかもしれない。
C組には、2匹のカッパが窓から侵入したらしいが、あっという間に蜂の巣にされて昇天されたとのことだった。連続的な射撃音が聞こえてきたから、六谷がファランクスで迎撃したのだろう。
問題は我らが無能組であった。リーゼントを失った牧野は当然のことながら、今は普通のなんちゃって不良であり、一般人と何ら変わらない。
となると、次に頼られるべきは、一応討伐チームに参加した経験もある、委員長の塩谷である。しかし、彼女の異能はトラップ系であり、予め円を描いておき、そこへ敵をおびき寄せることで敵を拘束するという類のものである。だが、その能力上、こちらから仕掛けることはできない。塩谷はベランダに円を描きまくった後は何もすることがなく、人の少ない教室の隅で怯えていた。本当は階段やら廊下にも円を描こうとしたのだが、いざという時の攻撃の邪魔になるとして、他クラスの生徒にやめさせられたのだ。
また、森野の姿は教室内に見えないため、恐らく、登校する前に自室待機を聞かされ、寮で待機しているのだろう。
いや、この状況下において、本来力を振るうべきは俺なんだろう。しかし、あの公園でのカッパとの遭遇戦以降、俺があの「蜂」を呼べたことは一度もなかった。
あのときは自然に出現したのだ。今となっては、念じようとも、怪しい呪文を唱えようとも、テンションあげあげしようとも、出てくる気配は全くなかった。
所詮、俺は一般人に毛が生えた程度の異能者でしかない、ということなのだろう。

「おい! 外で始まったぞ!」

生徒たちが廊下の窓側へと殺到する。そこからは校庭が見える。そして、そこでは風紀委員長の逢洲等華(あいすなどか)が自慢の長刀を陽光に煌かせ、5匹のカッパと対峙しているところだった。逢洲の足元には、既に1匹のカッパが、右肩から腹部にかけてを大きく切り裂かれて倒れている。
逢洲の後方には数名の生徒(風紀委員だろうか?)の姿があったが、助太刀する必要性を感じないのか、遠巻きに眺めているだけだった。
ふと、生臭い臭いが漂ってきた。それは、公園でカッパと対峙したときに嗅いだ、あの澱んだ水底のような臭いだった。逢洲と対峙しているカッパの臭いがここまで届いているのだろうか。

「いったぞ!」

そうこうしている間にも瞬く間に2匹が臓物をぶちまけながら死体に追加され、そしてその2匹とは別角度から襲い掛かったカッパも一刀両断のもとに切り捨てられる。見事という他ない剣技だった。

「逃げた!?」

敵わぬと見たのか、最後の1匹が逃亡を試みる。しかし、逢洲も、後方に控えている生徒たちもそれを追おうとはしなかった。まもなくして、カッパはぐらつき、その場に倒れこんだ。恐らく、どこかからスナイパーが射殺したのだろう。
窓からその様子を眺めていた生徒たちから歓声が上がる。とても非常時とは思えない光景だった……いや、ラルヴァと対峙してきた連中にとっては、これくらい非常時には入らないのだろう。俺がそういう風に思えるようになるのは、一体いつだろうか?
そのとき、つん、とあの生臭い臭いが強くなった。
俺は思わず顔をしかめ、辺りを見回す。

「ねもぉっ!」

牧野の声が聞こえた。
振り返るとそこにあった。
大きな頭と大きなアーモンド形の目が。

「うわああああああああああああああああっ!」

隣のクラスの窓ガラスを割って、一斉に入ってきたらしい。廊下に複数のカッパが現れ、あちこちで悲鳴が上がっていた。

「!」

俺が声にならない悲鳴をあげると同時に、カッパの手が俺の首を掴む。凄い力だった。
その後ろで、牧野がモップを持って、カッパに殴りかかろうとするのが目に入った。しかし、もう1匹、天井からカッパが現れ、俺と牧野の間に立ちふさがる。やつらは天井や壁にひっつくことができたのだ。

「!」

俺は首を絞められ、悲鳴すら出せなかった。カッパの口が開き、腐った汚水のような臭いと共に、あの忌々しい器官が、鋭い舌が現れる。

これで俺の血を吸うのか!?

俺は咄嗟に器官の機能を理解し、必死にカッパの手から逃れようとした。しかし、とても敵わない。おまけにカッパの表皮はぬるぬると手が滑り、引き離そうにも、うまくその体を掴むことすら困難だった。
カッパの舌の先端が俺の首筋に触れる。
助けを求めたい。
ヒヤリとした金属のような感触が伝わる。

誰か助けてくれ!

だが、カッパが複数で出現したため、皆、俺のことなど見ていない。

ああ、畜生、やっぱり俺は最期まで、所詮、その他大勢として……!

そのときだった。横合いから何かが飛び出し、鈍い殴打音と共に、カッパは弾け飛ぶように床に叩きつけられる。

「大丈夫か!?」

佐久間先生だった。また高級そうな黒のスーツに赤いネクタイ、そしてその手に握っているのは、いつものあの杖だった。

「根本、早く逃げろ!」

俺の手が、脚が、声が震えていた。本当に怖かった。

「でも……先生……」
「こっちの階段は安全だ! 早く行け!」

先生の杖がラルヴァを殴打し、牧野を助け出す。先生は俺と牧野を庇う様に陣取り、一発、一発と、カッパが動かなくなるまで、杖をカッパに打ち下ろした。

怖かった。いや、今でも怖い。怖すぎる。
でも逃げたくなかった。せっかく異能を得たのに、このまま逃げるなんて、俺の何かがそれを許さなかった。先程の死の恐怖は次第に復讐心へと、闘争心へと変わっていった。

「俺も戦う!」
「黙れ!」

言葉とは裏腹に先生は笑っていた。それはおそらく、俺が初めて見る佐久間先生の笑顔だった。

「子供は大人しく、大人の後ろで文句言ったり、馬鹿やったり、そんなことをしていればいいのだよ……」

俺はこんな非常事態にも関わらず、佐久間先生の言葉にカチンと来た。

「な……」

俺が言葉を出そうとしたそのとき、どこからかカッパが飛んできて廊下に叩きつけられた。その体には幾つかの穴が開き、痙攣する体から赤黒い体液が溢れてきている。俺と同じ2年生の異能者が戦っているのだ。

「すぐに援軍も来る! 早く逃げろ、Q組のみんなを非難させろ! 高校職員室前に行け!」

佐久間先生は杖の先端をくるくるといじると、何かを取り外した。
それは杖の先端だった。そして、先端があった場所には鋭く輝く金属の刃があった。
なんで先生がそんなものを所持しているのかは分からない。しかし、それは仕込み杖だったのだ。先生は、その切っ先を、先程殴り続けたカッパの首と胸部に突き立てる。
そのとき、1匹のカッパが物陰から先生に飛び掛かった。しかし、先生は杖で小突くようにしてカッパを撃墜すると、その首に背中側から押し込むようにして、杖の先端の刃を突き刺した。

「分かりました……」

俺は意を決した。今、できることをやらなければならない。

「おい! みんなこっちだ! 逃げるぞ! 牧野! 早くこっちへ!」

乱戦状態で戦う異能者たちの間を縫うようにして、一般の生徒たちを階段側へと誘導していく。

「ひああああああああああっ!」

恐慌状態に陥った塩谷が全力で廊下を駆け抜け、階段を降りて行った。

「落ち着いて、みんなこっちだ! こっちへ来い!」

必死に他のクラスの生徒たちも誘導しようとする。
そのときだった。

「うぎっ! ひぃぃぃっ! た、助けてぇぇぇ!」

佐竹の悲鳴だった。佐竹は自分よりも体の小さいカッパによって、窓から外へと連れ出されようとしていた。

「この野郎っ!」

牧野が飛び掛り、カッパを廊下に引きずり倒す。

「うがああっ!?」

だが、その背後からもう1匹のカッパが牧野に飛び掛った。

「牧野ぉぉぉぉぉぉっ!」

俺は自分の異能が、今このとき、もう一度開花するよう全力で祈った。

「蜂ぃぃぃっ! 出ろ! 出てくれぇっ!」

しかし、何も現れない。
カッパによって、牧野の頭部は壁へと叩きつけられる。

「畜生っ! 畜生っ! ふざけんなっ!」

もう異能とかどうでもいい!

俺は廊下にあった消火器を持ち走った。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

俺は牧野に当たらないように、その消火器を全力でカッパの頭に振り落とした。
メキッという胸が悪くなるような音と共に、カッパは転がり、頭を抱え込む。

「死ねっ! 死ねぇぇぇっ!」

俺はすかさず、その頭部にもう一度、二度と消火器を振り下ろした。

「!?」

そのとき、何者かが俺の襟を引っ張り、床へと叩きつける。さっき、佐竹に襲い掛かっていたカッパだった。その口からは、あの鋭い舌が丸々とした姿を見せていた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

俺は必死で腕を振り回した。右腕がカッパの舌の先端にあたり、そこから血が滲む。

「根本っ!」

佐久間先生が杖の切っ先で、殴るようにしてカッパの頭部を切り上げる。
カッパは右頬の辺りから血を撒き散らしながら床に放り出された。
体勢を立て直した佐久間先生と俺は同時に倒れこんだカッパに襲いかかった。

「うあああああああっ!」

佐久間先生が仕込み杖の刃をラルヴァの腹部に突き刺し、俺はほぼ空になった消火器で何度も何度もカッパの頭部を殴りつけた。骨がぐしゃぐしゃになっていく感覚が手に伝わる。
カッパが動かなくなったことを確認すると、俺と先生は、それぞれ杖と消火器を構え、次の敵に備える。

だが、もう終わっていた。

目の前にいたのは、2-Aの醒徒会副会長水分と、宮城という名前だっただろうか? R組の男子生徒が竹刀にこびりついた粘液を不快そうにぬぐっていた。

「皆さん、もう大丈夫です。速やかに避難してください。怪我している人はいますか? 少しでも怪我をした人は必ず保健委員に見てもらってください」

何人かが手を挙げる。白衣を着た保健委員の面々が現れ、手当てをしていく。辺りには消毒液の臭いが広がっていった。

「根本、よくやったね」

佐久間先生は、俺をそう労うと、右腕の傷を治療してもらうよう促した。俺は消火器を置き、手を挙げると、へたりとその場に座り込んだ。



結局、学校に侵入していたカッパは数時間で殲滅され、その死体はサンプルとしてしかるべきところに送られたとのことだった。
俺は、カッパから受けた傷のために病院で検査を受け、しばらくは病室で待機を命じられるはめになった。未知の病原生物がいた場合、危険と判断されたらしく、病棟には、他にも双葉学園の生徒が散見された。
また、カッパは、島の北東部の湿原地帯(雨水がたまって偶然できた湿原地帯である)に巣を作っていたらしく、国から専門の部隊が派遣され、殲滅されたとのことだった。
なぜ、結界や感知系の異能が効きにくかったのか、その理由が解明されるのはいつだろうか?

数日後、俺を含めて、双葉学園の生徒は全員、退院の許可を得て、久しぶりに双葉学園に登校した。
教室へと向かう途中、佐竹と会う。相変わらず、目の下のクマが凄まじかった。

「あ、根本さん、退院したんですか?」
「おはようっす、ああ、昨晩な。この前は大変だったな」

しばらく、この前のカッパの騒動のことで佐竹と話をする。あの一件で、高等部2年の異能者たちの武勇伝が増えたようだ。

「そういや、なんで、あいつら学校なんて襲撃したんだ? ほかにも人が集まるところならあるだろう?」

ふと、頭に湧いた疑問を佐竹に尋ねてみた。

「さすがにそれは、カッパに聞いてみないと分からないですね。でも、若い血が欲しかったのかもしれません。生贄にわざわざ老人を選んだ、なんて話、聞かないでしょう?」

Q組の教室に入り、それぞれの席に着席する。

「待ってください! 私はあの人とはそのような不純異性的なあああああああっ!」

なにやら、隣が騒がしい。また森野の嫉妬が発動したのだろうか?

「よ、ねも、お帰り!」

俺の席では牧野が待っていた。牧野も後頭部を怪我したため、入院させられていたのだが、カッパの舌を刺し込まれた俺らと違い、単なるタンコブであったためにさっさと退院していたのだ。

「お前、最近、佐竹と仲いいんだな」
「ん? ああ、カッパのこと、あいつ詳しかったから、いろいろ教えてもらってたんだよ」

俺は鞄を下ろし、自分の椅子に着席する。

「お前……ひょっとして、俺よりも佐竹の方がいいのか……」

俺は椅子ごと後ろに転倒した。

「冗談でもやめろよなああああっ! きもい!まじきもい! 有り得ないっ!死ね! 百万回死ね!」

カッパを倒したからと言って、何かが変わったわけでもなかった。ちょっと変な学園で、所詮一般人な俺のごく普通な生活が再開される、ただ、それだけのことだった。

「ほら、席についてくれたまえ!」

チャイムの音とほぼ同時に担任の佐久間先生が入ってくる。今日もまた、いつもの学園生活が始まる。



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