【エヴァンジェル・グローリア -Evangel Gloria- 後編】


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     四

 那由多由良はラルヴァである白い塊――ウサギ紳士の先導で、校舎の背後に段々に伸びる山林のなかを走っていた。
 首無し馬の体を乗っ取った弟切草は、寄生主である首無し馬の持つ不可視能力を使い、あっという間に姿をくらましてしまった。由良たちは今、それを追って獣道を突き進んでいる。
 杉の植林地なのか、低木の手入れが行き届いており夜でも山中の見通しは良い。地面に生い繁る青葉に付いた雨露に濡れる不快感さえなければ、追跡に手こずることはない。
 頭上に目をやると、水に浸《ひた》したような厚いちぎれ雲が風に流され、蒼黒い空が顔をのぞかせる。
「二度も助けられてはもういけません。天地神明に誓って、協力させていただくのでございます!」
 開口一番、ウサギ紳士はロッカーから出てきてそう申し出た。願ってもない提案だった。そのとき由良は、ウサギ紳士が自分を学園の班から引き離し、罠へ誘き出すかもかもしれないという疑念が頭の中をかすめたが、
(今は二の次。その時はその時ですわ)
 そうでなくても、ウサギ紳士からの提案がなければ、耳をふん捕まえてでも連れていくつもりの由良であった。現状でウサギ紳士の人間を軽く超える特異な聴覚を抜きに、由良には不可視の能力を手にした弟切草を追う術はない。
「ナユタ様、お急ぎくださいませ」
 切り株にのぼり、振り向いたウサギ紳士が呼びかけた。
「わかっ、て……ます、わッ!」その遥か後方で、息を切らせた由良が追いすがる。
 由良は異能者であって、アスリートではない。異能の扱いこそ慣れているけども、身体がそれに順応してこないのが難点だった。加えて続けざまに戦闘を行っているために、見えない疲労が確実に足枷になっていた。
「あの、ワタシだけでも先に追いかけましょうか?」
 ウサギ紳士は弟切草の走り去る方角と由良を交互に見やりながら言う。
「あなた一匹が」
「一羽でございます」ウサギ紳士は良い反応で口を挟んだ。
「……あなた一羽が、私《わたくし》抜きに追いついたところで、また取り込まれるのが関の山ですわ」
 勝手に笑い出しそうな膝を両手で押さえて、由良は続けた。
「無駄口はいいですから、早く、案内なさい」
「どうしてそこまでする必要があるのでございますか。お仲間の応援が駆けつけるを待ってからでも遅くはないはずです」
 ウサギ紳士の言ったとおり、校舎を飛び出すときには一応報告はしてある。学園からの応援が来れば、逃げた弟切草の発見も時間の問題だろう。だが、何か起こる前に見つけられる保証はどこにもない。
 由良の報告を受け取ったのはオペレーターのリーネだった。どうやら転移の準備に取りかかっている最中、女性教師に彼女の食い散らかした菓子の包みや食べ滓《かす》のことで、大目玉を食らっていたらしい。それで電話のコールも遅れたようだ。
『でもリーネのお菓子なんだから春奈せんせーは関係ないのにー』
 ぶええーと、電話口で半泣き声になりながら抗弁していたが、果たしてこちらの報告がきちんと伝わっていたか少しだけ不安な由良だった。
 呼吸に落ち着きが戻り、最後に息をゆっくり吐いて由良が答えた。
「この山林に引かれている県境を越えた先に街がありますわ。それなりの人口で、都市圏に近い住宅密集地ですから、もしも弟切草がそこで暴れれば、何が起こるかは明白」
 膝から手を離し、体を起こすとはっきりとした口調で言った。
「今、私たちが|アレ《ヽヽ》を止めなければ誰かが確実に不利益を被《こうむ》ります。それも、異能やラルヴァとは無縁の人たちに」
 どういう不利益かは、あえて口にしなかった。
「ですがそれは、ナユタ様だけのお役目ではないでしょう?」
 そうですわね、と由良は前へ進み始めた。「私の代わりはいくらでもいますし、それに私より有能な上級生はごまんといるでしょう。……でもこれは、私から関った事柄ですもの。手前《てめえ》で始末をつけなければ寝覚めが悪いですわ」
 切り株の上に立ってもなお小さいウサギのラルヴァを見下ろして、由良は先導をうながした。
 再び林の中を走り始めたウサギ紳士は、今度は由良ペースを見ながら、その二メートルくらい前を先行している。
 弟切草は首無し馬との融合がまだ完全じゃないようで、全力で走っているわけではないようだ。かなりの距離を隔てていても、そう断言できるほどにウサギ紳士の耳はしっかりと足音を捉えていた。
「人間は他者を顧《かえり》みることはせず、利己的な者たちばかりだと耳に聞いておりました。しかし今となっては、認識を改めなければなりませんな」
「あら、半分以上は正解じゃありませんの」勢いを落とさず、早口に由良が答えた。
「あは、はは。そういうことにしておきましょう」
 ウサギ紳士は首を反らせて愉快そうに笑った。
「仕えるべき主《あるじ》を失い、千の昼と万の夜を生き延び、幾つもの土地を旅して周ってきた紳士のワタシでございますが、ナユタ様のように可笑《おか》しな人間と出会うのは初めてございます」
「いるところには大勢いますわ。特に学園《うち》には」
「ナユタ様を見ていると、そう信じてみたくなりますなぁ」そう言って、はっとした顔になり、「ふむ、信じる……」
 するとウサギ紳士は急に立ち止まった。つんのめるようにして、追い越した由良が怪訝そうに振り返った。
「なんですの?」
 ウサギ紳士は前足で腕組みをし、目の前の人間の少女を一度、頭のてっぺんから爪先までしげしげと眺めた。
「うむ、うむ」
 ひとしきり頷いたあと、ウサギ紳士は帽子代わりの灰皿を持ち上げた。
「ナユタ様、ワタシも腹を据《す》えるのでございますよ」 

     五

 弟切草は薄もやの立ちこめる山林を悠々と駆け抜けていた。
 後ろに追っ手のかかる気配は感じられない。当然だ。今の彼(?)には何者も振り切ることのできる脚と、不可視の力が備わっている。蹄《ひづめ》を鳴らし、これまで同列にあった草花を踏み潰す感触が、彼をさらに高揚させ優越感を弾ませる。
 深い山奥で学校の児童たちの衣服に紛れ、そのまま鉢の雑草として居ついていた彼は、街がどんなものかは実際には知らない。ただ、彼が弟切草として、ラルヴァとしての意識が芽生えた瞬間から、そこに何が在《あ》るのか分かっていた。
 ――目指す先に楽園がある。激しい憎悪、底なしの怨恨と、腐肉の滴る血の楽園が。
 我知らず抑えきれなくなった昂奮《こうふん》に自ら駆り立てられ、嘶《いなな》きが山中にこだまする。
 首無し馬と融合したことで、動物的な本能を剥き出しにした獰猛さが、彼に根ざしてあった職部的な狡猾さを呑み込み、自らの本能的な欲求を強く引き出していた。
 やはり自分の求める楽園はこの向こうに確かにある。|あの女が約束した《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》|楽園など《ヽヽヽヽ》、虚飾の口弁でしかない。
 樹木の馬と化している弟切草が、遥か前方に佇《たたず》む人影を認めたのはその時だった。
 杉の木立がまばらで少し開けた場所にその人影は立ちはだかり、不動の姿勢でまっすぐに弟切草を見据えていた。
「――、」
 弟切草は嘲笑するように、馬の声で短く鳴いた。
 そして、砂漠に盛り上がった土が風によって均《なら》されていくように、すうっとその体を闇に溶かしていく。
 馬体に張り巡らされた蔓《つる》が蹄に伸び、柔らかな新芽がその表面を押し包む。子供の手を重ねるようにその上へさらに芽吹き、それが幾重にも重なる頃には、地を蹴る蹄の固い音がほとんど聞こえなくなっていた。
 姿を消し、足音を隠し、待ち構える影の迎撃の瞬間を見誤らせ、堅固な蹄でその身を粉砕し、蹂躙する。
 人の影は微動だにしない。
 弟切草は言葉通り音もなく凶悪な前脚を振り上げた。脚一本でも充分過ぎるほど小さな人の頭に向かって、蹄二つ一緒に揃え上げた。
 その瞬間、真っ暗なシルエットに光が灯《とも》った。
 二つの白い光点は尾を曳《ひ》いて流れ、前身を起こした弟切草の頭上にふわりと舞い上がる。残光は一拍の間を置いて静止した。
 蹄が空を切って大地を激しく隆起させるのを感じながら、弟切草は目を形作っている窪《くぼ》みから魅入られたように、それを見上げていた。|南天の実のように紅い《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|二つの瞳を《ヽヽヽヽヽ》。
 直後に、閃光が疾《はし》った。

     六

 那由多《なゆた》由良《ゆら》は振り返り、頭の先から半分に切り割られたラルヴァが闇に崩れ、完全に消滅するのを待ってから、大太刀・国綱を鞘に納めた。
『終わりましたかな?』
 由良の耳に、あの芝居がかった口調が遠くに聞こえてきた。
「ええ、上出来ですわ」周囲を見回しながら、しかしそれが無駄であると理解すると、顔をあげて遠くに向かって答えた。
『それはそれは。なにぶんワタシも初めての呪《まじな》いでしたもので、少し不安だったのでございますよ。体の具合のほうは?』
「かなり身軽になっている気がします」由良は靴裏を見るように足踏みした。「具体的に言えば、脚力と聴覚の機能が異常に発達しているように感じられますわね。あなたの声が聞こえるのも、そういうことでしょう?」
『我らウサギの持つ標準的な特性を憑依《ひょうい》させたのです。概《おおむ》ねの予想通りに事が運んだようで、ようございました』
 実際のところ、自分でも驚くほどに身体が動いた。弟切草が全速力で逃げていなかったのもあるが、それを先回りし、異能力もなしにあれほど跳躍するのは、今思うと不可能としか言えなかった。
『一般的に我らウサギの長所とイメージされる「聞き耳」と「跳び足」に、ワタシと同じ化け兎――ラルヴァである角兎《つのうさぎ》の肉の持つ“三日三晩を走り続けるだけの持久力”という意味に則《のっと》った「健やかな脚」を対応させたのでございます』
 聞き慣れない単語がいくつか耳を掠《かす》めたが、今はあまり問いだたす気にはなれなかった。
「あの一太刀で最後だったようですわね」
 自分で思っていた以上に、魂源力《アツイルト》を消耗していた。何気なく由良はその場に目を落とし、適当な枯れ枝を手に引き寄せようと力を使ってみた。しかし枝の先が少しこちらに傾くだけで、それ以上は何も動かなかった。由良は苦笑交じりにため息を吐いた。
「それにしても、狐憑《きつねつ》きならともかく、兎憑きというのは初耳ですわ」
『紳士仲間に化け狐がおりまして、それが縁で手習いしたのですよ』
「ロクな紳士ではありませんわね」
『ナユタ様、呪《まじな》いは社交界における紳士淑女の嗜みでございますよ』
「そういう講釈は結構ですわ。それで、これからどうしますの?」
 足音と気配のするほうへ由良は視線を投げた。
「そうですなぁ」ウサギ紳士は茂みから姿を現すと、二本足で歩いて出てきた。「ワタシは流れ者ゆえ、旅から旅、風の向くまま気の向くまま、今は紳士仲間の家々を渡り歩いてるのでございます」
 気楽なものだ、と嘆息して訊いた。「ちなみに、どこか目指すアテでも?」
「楽園でございます」
 ウサギ紳士はその質問を待ちわびていたかのように、真っ赤な眼をぐっと見開いた。「そこは人間に干渉されず、その領分を侵さず、多種多様なラルヴァが住み暮らし、全ての生命が平等に安らぎを享受できる素晴らしい理想郷! ワタシは永い間、その地を探し求めているのでございます」
 由良はしばらく黙っていたが、
「そんな夢物語のような場所」
 ありえませんわ、とばっさりと断言した由良に怯まず、ウサギ紳士は眼を輝かせて続ける。
「これがあったのでございますよ!」
 つい最近、知り合いのコウモリ紳士が噂を聞いたのだという。それを確かめようと、慌てて飛び出したまでは良かったが、何の支度もせずに長旅となってしまい、あの小学校で行き倒れかけたところ、弟切草にその隙をつかれたらしい。
「ですが、おかげさまで無事に済んだのでございますし、結果オーライでございますな」
「また面倒をかけないのなら見逃しますから、あなたの好きになさい」
「ではワタシはそろそろお暇《いとま》させていただくのでございます。それに憑依の恩恵も薄れてくる時間ですな。その充血したような赤い眼も、すぐ元に戻るでしょう」
「眼?」
 由良は反射的に目元に手を触れたが、女の子らしい手鏡など持っていないので確かめる方法はなかった。思い出したように国綱の太刀を抜きはらい、刀身の側面を鏡の代わりにして見ると、ぼんやりと鏡像でもはっきり分かる真っ赤な眼が由良を見つめていた。
「今宵《こよい》はナユタ様の根元にある力が弱っておりましたから、ワタシの力がその器の中身の多くを占め、馴染ませることができたのでしょう」
「そういうのはやる前に説明してほしかったですわ……」
 だらりと脱力した太刀の切っ先が意図せずウサギ紳士の前に落ち、素《す》っ頓狂《とんきょう》な声をあげた。
「ま、まあワタシも悪意を込めて呪いをしたワケではないのでございますから!! 力の供給が途絶えれば元に戻るハズですし、大事にならないことは保証するのですよ」
 ちょっとショックな気分になっている由良へ、ウサギ紳士は慌てた表情で両手をぶんぶん振って宥《なだ》めた。
 と、機械的な振動が由良の腰に伝わってきた。太刀を帯びているのと反対側に提げているポーチにしまってあった携帯端末だ。由良は気だるそうに通話ボタンを押す。
『もぁー……んぐ、やっと繋がった』
 相変わらず相手の配慮の欠片もない食いながら電話で、リーネが出てきた。
「残業は終わりましたわ」
 由良は用件だけ伝えた。教師に怒られても治らないのなら自分が言っても無駄だと思った。
『グラウンドのほうのチームも、さっき報告が来ましたよ。迷彩能力のラルヴァだったから、取り逃がしたのに気付くのが遅れたみたいです。リーダーの方が申し訳なさそーに言ってました』
「今から位置情報を送りますから、いちばん近い公衆電話の場所をお願いしますわ」
『合点承知ですー』
 何気なくウサギ紳士のほうへ視線を下げると、すでにその姿はなかった。代わりに未だ鋭敏な由良の聴覚へ、獣道を駆け巡る白兎の足音だけが、かすかに届いていた。
『それではナユタ様、これにておさらばでござます!』
 その言葉を最後に、ウサギ紳士の声も、草をかき分ける葉擦れの音も途切れた。憑依の力が解け、由良の聴覚が人並みに戻ったのたのだろう。
 同時にボフン!! とふざけた効果音と共に由良の頭上を煙が噴き出した。
「……は?」
 由良は携帯を耳にあてて視線を宙《そら》に固定したまま、空いた手で髪の表面に触れた。
 いつも感じている髪の質感とは違う、いっそうキメの細かいふわふわした触感があった。その手ざわりが気持ちよくて、何気なくふにふにと握ったりしながら、縦に伸びているそれのてっぺんを掴んだ。
 見えるように目の前に引っ張りだすと、
「んな――」
『GPSで位置かくにーん。へえ、地図見ると結構山奥まで来てますね。ついでに衛星画像を拡大拡大拡大っと。那由多さんみーっけ! わ、ウサミミ!! ……なんでウサミミ?』
「な、なっ、これ」
 何ですのこれは、と言おうとして由良が口をパクパクさせていところを、ポン!! と今度はポップコーンが弾けるような音がそれを遮った。
 背中、具体的に言えばお尻から少し高い位置に、拳《こぶし》ほどの膨らみが由良のスカートを内側から押し上げている。
 今、由良の頭のなかでは一つのイメージが浮かんでいた。俗っぽいクイズ番組や、外国のカジノで女性が着ているアレだ。
 自分のあるべき姿とかけ離れたファンシーな状態を想像すると、由良は眩暈《めまい》がしてきて、傍にあった杉の木に手をついた。
――力の供給が途絶えれば元に戻るハズですし、大事にならないことは保証するのですよ。
 ウサギ紳士は嘘は言っていない、と由良は思う。おそらくこれは一時的なものなのだろうが、しかし、しかしこれは、
『那由多さんストーップ!! そこ国有林ですから!! そんないっぱいメキメキへし折ったらダメですー! こわっ!! 何か眼が真っ赤すぎてこわっ!! ていうか衛星画像なのにこっちカメラ目線でガン見してるのはどうしてー?!』
 もはや怒りでそうなっているのか元に戻っていないのか分からないまま、血走ったような眼に鋭い光をたたえながら周囲を睨み回す由良だったが、ウサギのラルヴァはいるはずもなく、
「あんの兎ィィィいいいいいイイイイイイイイイイッ!!」
 兎耳少女――那由多由良は、それから呪いの反動が消えるまでの三日ほど、保健室登校を余儀なくされた。

     -了-


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