【恋愛の者語 第一話「恋と愛」】


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恋愛の者語 第一話「恋と愛」


 某県中部の山間部、その青々と生い茂る森。
 樹海というほどには木々の間隔は狭くは無く、かといって見渡しが良いというほどではない。
 周りからは枝に止まった鳥たちの鳴く声が絶え間なく続く。
 もしここがきっちりと道として作られていた山道であればハイキングの名所として取り上げられていただろう。
 真夏の気温は木が日光を遮っているとはいえ高く、その生命謳歌を活発に楽しんでいる木々のせいで肌に纏わりつくような湿度を保っている。
 そんな山の中を、人影が目の前を遮る枝を払いながら山の奥へと進んでいた。
 まったく周囲に溶け込もうともしないその服装は白を基調としたもので、各所には僅かながら装甲が配置されている。
 左上腕の装甲には「ALICE」と刻まれていた。
 双葉学園にある対ラルヴァ迎撃機関の名称だ。
 それに身を包むのは少年から青年になろうとしているような年齢の男性。
 身長は平均よりも多少高いくらい、装甲の無い部分の服を締まった筋肉が押し上げていた。
 そして右手に持つこれも同じく装甲がつけられた長い棒状のもの、先端部には鋭い刃状の装甲がついている。
 青年の得意とする武器、槍だ。
 それを使い先ほどから枝を除けて進んでいた。
「……暑いな」
 流れる汗を武器持つ手とは逆の左手で拭う。
 山に入って一時間ほどだが、道なき道を行った結果その顎からは汗が珠となって落ちていた。
 ちょっとした広場へ出たところで足を止め、腰につけられた服備え付けのパックから生徒手帳を取り出す。
 慣れた手つきで確認するのは現在位置と指令で向かうようにと言われた地点。
 もうそれほど離れてはいないのか、画面に映る二つのポイントは間近になっていた。
 生徒手帳をパックへと直し、再度進もうとしたところで胸元の無線機が受信を知らせる甲高い音を立てる。
 それに驚いた鳥たちが鳴くのを止めて周囲から飛び立っていく。
「……」
 手に持った武器を握りなおし、周囲が静かになるのをじっと待つ。
 まだ離れているとはいえ、指令で向かうように言われた地点はそう遠くは無いのだ。
 静かになった森の中、電子音だけが響くようになるのを待ってから青年はようやく受信ボタンを押した。
「おっそーい! どれだけ待たせんのよ!?」
 途端に耳元のインカムから耳をつんざく様な受信音にも負けないほどの女性特有の甲高い声が青年の脳みそを直撃した。
 思わず寄ってしまった眉間の皺を左手で抑える青年。
「あんた今何やってんのか分かってんの!? 時間無いって言ってるでしょうが!」
 揉み解す暇もなく、矢継ぎ早に続く声に青年はうんざりとした表情を浮かべた。
 ゆっくりと左手を首筋へと伸ばし、そのまま装甲に仕込まれたボタンを操作して音量を下げる。
 丁度良い音量になったところで、ため息を一つ吐いた。
「マナ! 聞こえてるよ!」
「こっちもだ鐘、もう少し音量落とせ」
 言ってから、青年の顔がしまったというふうに歪んだ。
 インカムの向こうにいる青年に鐘と呼ばれた女性はとにかく口うるさいことで有名なのを忘れていたのだ。
 チームの一員である以上、普段から気をつけているというのに暑さで少し気が立っていたらしい。
 案の定、更にトーンが上がった声に再度の音量調整を加えるはめとなった。
「あーもー! 予定到着時刻まで残り少ないんだからさっさと移動しなさいよね!」
「問題ない、間に合うように行動している」
 事実、指令で出された地点には青年の行進速度を考えれば十二分に時間の余裕はあった。
 今回青年に出されたのは、
「ラルヴァ事件予知チームが予測したのは、マナが向かう地点に人類に対する敵性ラルヴァが生まれるというもの。
 例外を除いて基本的に生まれた直後ってのはどんなものでも弱いからね。
 マナみたいなランクの低い隊員でも退治出来るはずよ」
「出発するときにも言ったが出来なかったらどうするんだ」
「出発するときにも言ったけどあんたの能力使えばいいでしょう?」
 もう一度ため息をつき、青年が返す。
「そんなに安売りする能力じゃない、なんで俺なんだ」
 鐘が言ったとおり青年のALICE内での能力ランクは高くは無い。
 むしろ、他の能力者と見比べれば見劣りすることがほとんどだ。
 そんな青年一人に任せられる任務、危険性の予知も行われているため本部では本作戦の認可が下りたのだが。
「そりゃ、マナの地元だからでしょ」
「……金にならん仕事だ」
「黙れ守銭奴、たまには働け。あんたこのままじゃ除隊処分くらうわよ?」
 鐘の口調に真剣さが混じった。
「問題ない、俺は自分から志願して入隊したわけじゃない」
「問題あるわよバカ! 良いからとっとと行きなさい! 生まれる前に叩ければ一番なんだから」
 乱暴に叩きつけられたのだろう、ブチっという耳障りな音を立てて通信が途絶えた。
 周囲に再び静寂が戻る。
 遠くで鳥の鳴く声が響いた。
「誰のせいで余計な時間を食ったと……時は金なりという至言を知らないのか」
 やや疲れた表情で青年は最後にもう一つため息をついた。





 無線のやりとりから20分ほど森の中を行くと、急に視界が開けた。
 先ほどまでは木々が奏でるさざめき音と鳥たちの鳴き声だけだったが、それに加えて静かな音が混じる。
 川だ。清流と言ってもいい。
 澄んだ水が流れる小さくとも綺麗な音が、目に映る光景と相まって青年に涼を与えた。
「ふむ」
 少し上流を見渡すと小さいながらも滝がある。
 開けた視界が防衛上良くは無いが、長い時間山中を歩いた身にはこの涼はありがたかった。
 周囲を警戒しつつ、滝へと近づいていく。
 その間に再び生徒手帳を取り出して、先ほど鐘が言っていた指令内容に目を通す。
 出立前に何度も見て覚えてはいるが、念のための確認だった。
 要約すれば鐘が言っていたとおりだ。
『青年の出身地に敵性ラルヴァ発生の恐れあり、下級ではあるが将来性が危険と思われるため早期殲滅を要する』
 あくまで予知チームは”予知”であって未来を完全に読むものではない。
 下級ラルヴァは程度の差はあれ、訓練された一般人でも殲滅が可能であり能力者なら尚のこと問題も無いだろう。
 出身者である青年が過去に予測現場の近くに住んでいた為に候補に上がり、こうして真夏のハイキングと洒落こむ羽目になったのだ。
 生徒手帳の対ラルヴァ索敵感度を最高に指定し、青年は川の水に手を入れた。
「冷たいな」
 指先からは火照った体に心地いい冷たさが感じられる。
 日陰に入れば尚良いだろうが、生憎と開けた滝付近には日陰は無かった。
 武器をすぐに取り上げられる位置へと置き、川の水を掬い口に含む。
「ふぅ」
 冷たい水が食道から胃へと流れていくのが分かる。
 久方ぶりの水分補給に体の隅々まで染み渡っていくようだ。
 手を振り水を切って、武器を手に取る。
 ここからは気を緩ませることは出来ない。
 ラルヴァ発生箇所はこの滝周辺。
 今はまだ周囲を見渡してもラルヴァと思わしき化け物の姿は無かった。

「よお」

 化け物の姿、は無かった。
 いつの間にか滝の上、大きくせり出した岩の上に一人の少女が腰掛け足を遊ばせていた。
 年のころは幼女と言っても差し支えないだろう。
 大きなハンチング帽、女性用なのでキャスケットか。
 それで耳を隠すほどに深く被り、ワンポイントの入った白いTシャツに丈余りを折り返したダボダボのズボンを履いていた。
 ブラブラと遊ばせている足には山登り用のシューズ。
 ハイキングの格好といえば通るかもしれないが。
「よお」
 とりあえず青年も返す。
「こんな所で一人か」
「こんな所で一人だ」
 少女の物言いに青年の眉が僅かに歪む。
 膝の上に肘を置き、上へと向けた手のひらに顎を乗せて少女が笑う。
「気に障ったなら謝ろう、どうにも話をするのは慣れていない」
「ラルヴァか?」
 青年が武器の先を少女へと向けた。
 腰に入れた生徒手帳からの警告音は無い。
「うん? 之<<これ>>のことか」
「之……ああ、一人称か変わったものを使う」
 目線は少女から離さずに腰のパックから生徒手帳を取り出す。
 精度に疑問点が残るが対ラルヴァ警戒装置は正常に動いてはいるようだった。
「よっ」
「あ、おい」
 軽い声と共に少女が岩から前へと飛び降りる。
 当然、その下は滝壺だ。
 小さいとはいえ、少女を飲み込むには十二分な大きさがあった。
 着水、そして上がる水飛沫……青年はそう予想したが。
「驚いたか人間?」
 水面の僅か上、自然では到底考えられぬような位置に少女は浮いていた。
 クスクスと笑いながらゆっくりと、本当にゆっくりとした速度で青年へと近づいていく少女。
「やはりラルヴァか」
 青年と少女の距離が数mまで近づいた時点でようやく生徒手帳が警告音を上げた。
 向けられた槍の切っ先を全く気にせず、青年の左手を指差す。
「うるさいぞ、それ」
「……」
 ラルヴァ少女の言い分を無視して青年は微動だにしない。
 指定された場所に指定された時刻、そして目の前には少女の姿とはいえラルヴァ。
 今回の任務は敵性ラルヴァの殲滅。
 自ら志願したわけでは無いとはいえ訓練を受けたALICE隊員として敵を前に気を抜く気など毛頭なかった。
「うるさいぞ」
「……」
「だーかーらー、うるさいぞ!」
 浮いていることを良いことに両手足を振り回し、頬を膨らませて少女が暴れる。
「むぅ」
 気を抜く気は無いのだが、何とも毒気を抜かれてしまう。
 若干負けたような気持ちになるが、青年はとりあえず手探りで学生手帳の警戒機能をオフにした。
 途端に暴れるのを止めたラルヴァ少女が笑顔を見せる。
「それでいい、その音は無粋だ」
 頷き言う。
 確かに、と青年も思う。
 思いはするが、
「人と敵対するラルヴァでは無いのか?」
「之か、之は別に敵対などはしないぞ」
 ふわふわと浮きながら滝つぼの近くへと離れていくラルヴァ少女。
 流れ落ちる滝へと手を延ばし、楽しそうに周りへと水を撒く。
 夏の日を反射して撒かれた水が輝きながら水面へと落ちていった。
 青年など居ないかのように振舞う。
 それを見て、青年はなんとなく話しかけてみたい気になった。
「おまえ、名前は?」
「こい」
「恋?」
「そうだ、之の名は恋」
 滝を背に少女が振り返る。
 やはり向けられた武器には一切の興味も抱いていない。
 先ほどのラルヴァ警戒装置の感知の遅さから、少女はラルヴァとしては下級も下級の能力しか有していないのだろう。
 仕組みは忘れたが魂源力の多さに反応する機能もあった筈だ。
 浮いている以外はおそらくは見た目どおり少女なのかもしれない。
 だとすれば鍛えられた青年が攻撃すればひとたまりもない。
「ふぅ」
 青年は向けていた槍を下げた。
 指令は間違っていたのだろう、少女が離れているのを確認してから再度生徒手帳の警戒装置を今度は感知制度を下げてオンにする。
 弱すぎる少女にはこれで反応はしない。
「之は、恋を知りたい」
「ん?」
 唐突に少女が言う。
「之の名は恋、之は……恋が知りたい。その意味を知りたい」
 再びゆっくりと青年に近づく少女。
「教えてくれ人間、恋とは何だ? どうすれば手に入れることが出来る?」
 青年と少女の距離は僅かに縮まっていく、下げられているとはいえ既に槍の間合いに入っていた。
 一瞬躊躇した青年だったが、結局槍の切っ先を上げることなく少女の顔を見る。
「之は之の名の意味を知らない」
「恋か」
「そう、之は恋を知らない」
「名付けた者は?」
「知らない、之はずっとここに一人でいた。ずっとここで滝を見ていた」
 言う少女の背後には悠然と流れ落ちる滝。
 小規模ながらその動きは止まることを知らず、音は止まず、姿を変え続ける。
「恋か」
 青年がもう一度呟いた。
「うむ」
「愛なら金で買えるそうだが」
「愛ではなく恋だ」
 少女の顔は真剣そのもの。
「俺は知らないが、その手の情報ならよく知っているヤツがいるな」
 インカムをつつきながら青年が言う。
 口やかましいナビゲーターの鐘がチームの女性陣と連日恋話に花を咲かせていたのを知っていたからだ。
 青年には恋についての知識などほとんど無い、しかしあの連中なら良いアドバイスや知識を与えてくれるだろう。
「待て、今呼び出す」
「呼び出す……? さっきみたいなのはダメだぞ」
「さっきみたいなのって、警戒音のことか。呼び出すときに鳴るぞ」
「ではダメだ、ここであの音は無粋だ」
 拘りは譲らない少女だった。
「なら……俺と一緒に来るか?」
 青年の口から、思わず一言が漏れた。
 言ってから内心でしまったと後悔する。
 後先考えずに喋るなど青年にとっては愚の骨頂だ。
 商売人としてやってはいけない一番の行為。
「良いのか!?」
 輝くような少女の笑顔。
「も、問題ない」
 撤回など出来そうに無かった。
 嬉しそうに水面の上を跳ね回る少女を眺めながら青年が頬を掻く。
 指令を無視して目標を殲滅せずに連れ帰るとは、下手すれば除隊ものだろうか。
 チームの連中は何人か双葉学園で同じクラスなのだし、鐘もいる。
 多分、問題はない。
 そう納得をつけるしかないだろう。
 学園には何人か友好的なラルヴァもいる、この少女も上手く話を通せば良い。
 問題があるとすれば、余計な金がかかるということだが。
「そうだ、人間!」
「何だ」
 少女が動きを止めてこちらに正対する。
「改めて言おう、之は恋。恋を求める!」
「うん?」
 何故改める、と思い。
「ああ、そうか」
 何かを期待するような目でこちらを見る少女。
 それで青年はやっと気がついた。
「俺は立由<<たつよし>>愛人<<まなと>>、愛する人と書いて愛人<<まなと>>だ」
 自己紹介だったのだ。





 恋愛の者語(ものがたり) 一話「恋と愛」





「愛なんかいらない、俺は金を求める」
 ……色々と台無しだった。
「金が有ればそれで良い」
 胸を張って愛人が言う。
「愛は買えるのだろう、でも恋は金では買えないのだろう?」
「問題ない、買えなければ求めなければ良い」
「買えないということは、愛人は恋を知っているのか?」
「知らないとさっき言っただろう」
 さっきよりも恋が愛人に近づく。
 お互いの体があたりそうな程の距離で、恋は愛人を見上げた。
「なら、之も知らない。お揃いだ、一緒に知っていこう」
「意味分かってないだろう、お前」
 笑顔を向ける恋を見下ろしながら、愛人は頭を掻く。
 多分恋は愛人がさっき教えてくれると言った人(鐘の事だ)に一緒に習うとでも思っているのだろう。
 実際、恋は少し首を傾げていた。
 愛人は一歩後ろに下がり、
「お?」
 なんとなく、恋の頭を帽子の上から撫でた。
 外見と同じく、中身も少女そのままなのかもしれない。
「ん~」
 人懐っこくてまるで犬だな、愛人は思う。
 目を細めて撫でられるままにいる恋を見ながら、趣味じゃない、そうも思った。
 級友や知り合いに何人かその手の趣味のやつがいるのは知っている。
 だが、愛人自身には幼女嗜好は無い。
「とりあえず一度帰還するか」 
 一頻り撫でた後、手をどけて恋に促そうとしたその時だった。
 腰のパック内にある生徒手帳がけたたましい警戒音を鳴らし始めた。
「何!?」
「この音はダメー!」
 一瞬で警戒態勢に入る愛人、同じく警戒音に一瞬にして不愉快顔で滝壺に向かって離れていく恋。
 愛人が慣れた手つきでパックから生徒手帳を取り出し位置を確認する。
 画面上にポイントされた標的は一つ。
 恋には反応しないレベルまで落としてある以上、反応したのは別のラルヴァ。
 すっかりと勘違いしていたが、恋以外にもラルヴァがいる可能性があったのだ。
「位置は……滝か!」
 把握して目を向けると同時、悠然と流れ落ちていた滝の裏側から黒い何かが這い出ようとしていた。
 黒い甲殻が光を弾いて鈍く輝く。
 背には薄い羽、そして赤く光る複眼。
 傍目にはでかい羽蟻にしかみえないそれは、大型犬程もある体を捩りながら滝からこちらへと出ようとする。
「マズイな、小さいが巨大母蟻<<マザーアント>>か」
 放っておけば卵を産み、増える。
 一体一体では子も脅威ではないが数を力とする種の長だ。
 そして自身も子を生むたびに大きく強く硬くなるという非常に厄介な代物だった。
 孵化した直後だからなのだろうか、まだ飛ぶことは出来ないようで触角と口をしきりに動かしている。
『マナみたいなランクの低い隊員でも退治できるはずよ』
 鐘に言われたことを思い出す。
 確かに早めに発見出来て良かった。
 今の段階で仕留める事が出来れば今後に起きる被害を最小限度に食い止めることが出来るだろう。
 愛人の武器を握る手に力が篭った。
 位置関係は水際に愛人、滝に巨大母蟻、その中間地点に恋が浮いている。
 羽ばたけない以上、巨大母蟻が恋に危害を加えることは無いだろうが戦闘に巻き込まれかねない。
「危ないから離れていろ」
「ならその音止めー!」
 まるで癇癪を起こしたガキだな、愛人が言われるままに今日何度目かの操作をする。
 周囲に聞こえるのは静かな水の流れる音、木々のざわめき、そして巨大母蟻の蠢く不快な声。
 硬い甲殻が動くたびに軋み、擦れ、耳障りな音を出していた。
「よしよし、それで良い」
 あっさりと上機嫌に戻り、腕組みをして恋が頷いた。
「良いから早くこっちに来い、そいつを倒すのが俺の目的だ」
 槍の先を滝から出ようとしている巨大母蟻に向け愛人が言う。
 言われるままにこちらへと近づいてくる恋を視界にいれながら愛人は思考を巡らせる。
 倒す、そうは言ったものの位置が悪すぎるのだ。
 愛人には飛行能力など無い。
 武器は手に持っている長物だが、別に遠距離攻撃が可能という訳でもない。
 基本的には魂源力を渡らせて直接殴りつけるか、鋭い装甲が取り付けられた先端部で貫くしかない。
 投擲することは可能だが、万が一仕留め損なえば武器がなくなってしまう。
「チッ、滝っていうのが厄介だな」
 川ならば足場が有る程度あったりもするが、岩壁から顔を覗かせている巨大母蟻の周囲には足場になりそうな場所など全く無い。
 滝の上へと登り、飛び降りて一撃を狙うか。
 それとも他の手段が何か無いか、愛人は考える。
「あー! 之の大事な滝が! 滝がー!」
「やかましい」
 愛人の傍まで移動してきていた恋が今頃になって滝を見たのか、悲鳴を上げていた。
「なんて無粋な、万死に値する!」
「問題ない、俺が仕留める」
 涙目になって手を振り回す恋を横目に入れながら愛人が水際を滝壁の近くへと移動する。
 岩壁の上に登るのではなく、身体能力を活かして壁を横に向かって走りぬけそのまま一撃を入れて向こう岸へと離脱。
 未だ出ようともがく巨大母蟻が完全に姿を現すまでそれほど時間は無い。
 プランを決めた以上、拙速を尊ぶのが愛人の信条だった。
 機会を逃せば商談は成り立たない、それと同じだ。
「時は金なり、だ」
 いくぞ、そう心に思い踏み足へと力を篭めた。
 一歩、倒れるように体を前へと向かわせる。
 二歩、更に力を篭め加速。
 三歩、自身の持つ最高速度を出して壁へと向かう。
 四歩、壁に足をつき飛ぶように上へ。
 五歩、足裏を壁に叩きつけながら壁を走る。
 巨大母蟻が槍の間合いに入るまで後三歩。
 もがきながら赤い複眼がこちらを捉える。
 生まれた直後で自分の軍隊を持たない巨大母蟻は下級ラルヴァと大差はない。
 一撃で屠る、愛人は思い。
「もらった!」
 次の一歩で槍を振りかぶった、そして。
「ぐっ!?」
 横から不意に何かの体当たりを受けて愛人は吹き飛ばされた。
 衝撃に肺から空気が搾り出されてヒュッという音が喉を鳴らす。
 水面を一度撥ね、着水。
 衝撃に一瞬意識が遠のくが、すぐさま水中から体を起こす。
 水深は愛人の膝程度。
 かなりの距離を弾き飛ばされたことになる。
「既に産んでいたのか?」
 巨大母蟻とは別に、岩壁を突き破り黒い複眼が顔を出していた。
 子蟻、とはいえ大きさは母蟻と同じ程度の兵隊蟻だ。
 巨大母蟻とは違いすぐさまその身を岩壁から抜き出して滝壺へと着水する。
「いや違うな、巨大母蟻の世話をしていたやつか」
 卵の孵化を世話させるために今産まれた巨大母蟻の先代が残していったのだろう。
 それほど脅威では無い。
 ALICEから配給された装備の防御力で先程の体当たりはほとんどダメージは受けていない。
 愛人でも一対一で簡単に勝てる相手だ。だが、
「時間稼ぎか」
 巨大母蟻が岩壁から抜け出し飛び立てば飛行能力と遠距離攻撃能力の無い愛人には追撃は出来ない。
 兵隊蟻に構っていられる余裕はほとんど無かった。
 自身の命よりも群れの頭を第一とする種族だ。
 今水底に沈んでいる兵隊蟻はその身を賭してこちらの邪魔をしてくるだろう。
 一対一でも余裕な相手とはいえ、体を水中にいれたままの戦闘は危険も残る。
 そして、兵隊蟻もそれを理解していた。
 透明度の高い水を掻き分け、愛人に向かい水底を疾走して兵隊蟻が迫る。
「マズい」
 直接攻撃を主たる攻撃手段としている愛人にとって相手が水中にいるのは非常に厄介な状況だ。
 水は威力を多分に軽減してしまう。
 咄嗟に水底へ槍を突き立て、棒高跳びの要領で後方へと離脱する。
 水滴をたらしながら着地。
 愛人が槍を構えなおすのと共に兵隊蟻がその身を水上へと持ち上げた。
 水中からの跳躍だ。
 大型犬ほどの大きさの兵隊蟻が圧し掛かるようにして愛人に襲い掛かる。
「くっ!?」
 愛人は構えた槍を胸元に引き寄せ、衝突の瞬間に強引に横へと敵を弾く。
 鈍い音を立て砂利を盛大に撒き散らしながら兵隊蟻が河原に転がった。
 すぐさま一瞬空を掴むように六本の足がもがき、反動で身を起こす。
 砂利を抉るように六本足を地面へと突きたて、顎を動かし黒い複眼で愛人を睨みつけながら兵隊蟻が対峙する。
 お互いの距離は僅かに数m。
 愛人は踏み込み槍を薙げば届き、兵隊蟻は飛び掛れば届く間合い。
「強くは無い、むしろ弱い」
 槍を構えて愛人が言う。
「だが、時間が無いな」
 視界の端で巨大母蟻が動いていた。
 先程までよりも動きが大きくなっている。
 岩壁から抜け出すのももう間もなくだろう。
「行くぞ!」
 愛人が踏み込み兵隊蟻が跳ぶ。
 愛人の槍が空を裂き、兵隊蟻の顎が愛人の首を狙う。
 交差は一瞬。
 お互いが砂利を踏み抜き、制動をかけた時には勝負は着いていた。
「まぁ、これくらいはな」
 兵隊蟻の弛緩した肉体が音を立てて河原に崩れ落ちる。
 その身は中央で真っ二つとなり既に事切れていた。
 それを確認する暇も無く愛人は巨大母蟻へと眼を向ける。
「しまった!」
 結果を言うと、兵隊蟻は己の本分を達したのだ。
 巨大母蟻は既にその身を岩壁より脱し、飛び立つために羽を開いていた。
 陽光を受けて薄透明の羽が怪しく輝く。
 飛び立ってしまえばその被害はいかほどだろうか。
 愛人は槍を持つその右腕を振りかぶった。
 ギチリ、と筋肉が軋む。
「間に合え!」
 全力で投擲した。
 空を切る音を立て、白い残像を残しながら装甲槍が飛ぶ。
 その向かう先は当然今まさに飛び立たんとしている巨大母蟻。
 愛人のありったけの魂源力が篭められた槍は、
「しくじったか!」
 岩を切り裂き、その身を岩壁に突き立たせていた。
 狙うべき獲物はほんの数瞬早く飛び立ち、拙いながらも空へと浮かんでいる。
 赤い複眼が動かぬ兵隊蟻の骸を見据え、次いで投擲したままの姿勢を保っている愛人を見た。
 表情を浮かべぬ黒い甲殻が少しだけ迷いを見せ、それを振り払うように一度身をゆすってからゆっくりと高度を上げていく。
 既に愛人には離脱しようとしている巨大母蟻を追撃する手段は残っていなかった。
 自然の奏でる音の中に巨大な羽音だけが異常に響く。
 そして、それを引き裂くように甲高い声が上がった。
「人間! こっちへ来い!」
 滝壺の浅瀬、踝のあたりまでを靴が濡れるのを気にせぬようにして恋が愛人を呼ぶ。
 その眼は自身が大切にしていた風景を壊された怒りに燃え、原因である巨大母蟻を睨みつけていた。
「早くせよ!」
 再度声が上がる。
 それに従い、愛人が走りよっていく。
「何か方法でもあるのか」
「手をこちらに」
 傷や染み、日焼けなど一つも無い柔らかそうな手のひらが愛人に向けて伸ばされた。
 一瞬の躊躇を見せる愛人。
「あれを倒したいのならば早くせよ!」
 一度だけ強く手を握る。
 友好的であるとはいえラルヴァ。
 だが、巨大母蟻を倒したいという思いは同じだった。 
「問題ない、頼んだ」
「任された!」
 少女と青年、二つの手のひらが重なる。
 薄い光がその握り合った手に灯った。
「痛っ!?」
 少しの痛みと共に愛人の右手の甲に小さく火傷のような痕が生まれる。
 そして恋にも変化があった。
 足が、手が、髪が伸びる。
 身体年齢にして2,3歳ほどだろうか少女の域を脱しないとはいえ急激な成長が起きていた。
 伸びていく髪の毛に流されるようにして深く被られた帽子が軽い音と共に水面に落ちる。
 そして露わになったその耳元、人と同じ形をした耳の後ろには薄桃色の水晶で出来た小さな角があった。
 その角も成長に合わせて少しだけだが確かに伸びていく。
「少し、進んだ」
 目を瞑り、恋が言う。
 大きく深呼吸をして、
「こぉーっ!」
 恋の目と口が大きく開かれ、叫びにも似た声が上がった。
 薄桃色の水晶角は声の大きさにつれて輝きを増し、口の先には輝く球体が出来上がっていく。
 ここに至り、巨大母蟻も自分が安全地帯にいるのではないと認識をしたのか背を向け羽を動かす速度を上げる。
 早い、愛人の顔に焦りが浮かぶ。
 思っていたよりも巨大母蟻はその能力を掌握しつつあった。
「おい!」
 愛人が繋がる手の主、恋の顔を見る。
 笑っていた。
 まるで何の心配もいらないとでも言うように。
 白い歯をその口から覗かせて、小さな口を可能な限り開いたその先には恋が集めているのであろう光球が紫電を纏わせながら密度を、力を強めていく。
 かなりの力が篭められたであろうそれは、しかし愛人には何の熱さも感じさせず、
「がー!」
 少し気の抜ける声と共に輝いた球体の外側、巨大母蟻の方を向いている面が割れ光が溢れ出す。
 溢れ出た光は、青く澄んだ空に一本の直線を描き。
「無粋は許さん」
 自由を求めて逃げ出した巨大母蟻を光の中に飲み込み、塵すら残しはしなかった。
「竜、か?」
 光の残滓を振り払いながら笑う恋を見て愛人が問う。
「そう之は竜。竜人と呼ばれるものだ」
 恋が握られていた手を離し、少し伸びた腕を広げ空を抱いた。
 少し破壊されてしまった自然に黙祷を捧げるように瞳を閉じる。
「……」
 その意味を愛人は理解出来はしなかったが、恋がその行為をやめるまで口を開きはしなかった。
 ひとしきり黙祷を捧げ終わった恋が愛人に顔を向け笑う。
「これからよろしく頼むぞ、金を愛する人間」
 愛人は少し驚いたような顔をして、
「了解だ。その金を愛するってのは気に入った。恋に恋するモノよ」
 そう、応えた。





 第一話 了


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