【獅子心嬢と氷の皇子 後半】


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 そして仕合当日――
 自然物、人工物の入り交じる演習場の一角が、春出仁の名義で占有されていた。宣伝するよ
うな真似はしていないので、野次馬はきていない。この島には独自の妙に鋭いアンテナを持ち
合わせている住民が多いのだが、春出仁の情報統制能力は相当に高いようだ。
 直は自分の異能をほぼ完璧に操ることができるので、模擬戦であればそれに合った、非致傷
制圧型の戦いができる。しかし宗一郎の異能は手加減しにくい性質の上に、まだ彼自身のコン
トロールも未熟であった。そのため、万一に備えて春出仁は治癒係の異能者を手配していた。
 星崎《ほしざき》美沙《みさ》が、さして興味深そうでもない表情をして待機所のベンチに
腰かけている。純粋な治癒能力者というのは意外なまでに数がすくないもので、致命傷でも確
実に救命できるレベルとなると、本当に限られていた。前回に宗一郎のやりすぎをフォローし
てくれた遠藤《えんどう》雅《まさ》は、今日は時間の都合がつかなかったらしい。
 もっとも、直は相方の宮子に治療できる範囲以上のダメージを受けるつもりはないようだが。
 これは、自信過剰というわけではなく、「ワールウィンドほどの強力な異能者は、もっと効
率の良い治癒能力者と組んで、より高度な任務に対応できるようになるべきだ」と主張する学
園上層の一部幹部を直が本気で嫌っているからで、いい加減そういう連中を黙らせたいと思っ
ているのである。春出仁の個人的采配で行われるとはいえ、この模擬戦もモニタされているこ
とはまちがいなく、そのデータは学園執行部の手元にも送られるだろう。
 宮子のほうはといえば、やや落ち着きのない様子で直のほうを見つめている。
 相互に目視できない地点からのスタート、フィールド内の環境は多様――という状況設定は、
過日に宗一郎が菅誠司と対戦した際と大差ない。ただし、あのときは能力者ではない誠司のた
めのハンデであったが、今回は逆だ。常人の目では追えぬほどのフットワークをほこり、風圧
で砂埃を巻きあげることも朝飯前の直にとって、近接戦闘での宗一郎はほとんどカモに等しい。
宗一郎の異能は「視線で相手を捉えること」ではじめて威力を発揮するのだ。
 前回の戦い以降、自分の能力の長所と短所を感得した宗一郎も、今回設えられた環境の意味
はわかっているだろう。
 それぞれのスタートポイントに向かうために待機所を出たところで、直は思い出したように
宗一郎に話しかけた。
「菅さん、強かったでしょ」
「……ええ。人間の強さは異能の強さではない、僕はそれを菅先輩から教わったつもりです」
 急に前回の敗北のことをいわれ、宗一郎はやや怪訝げな表情になっていた。ワールウィンド
は場外で精神攻撃をしてくるような人ではない、とわかってはいるが、なぜいまになってこん
なことを口にするのだろう。
「うん、それをわかってくれてるなら、本当は私ごときがもう一度確認を取る必要なんてない
んだけどね。まあ、せっかくだからすこし運動しようかって程度だから、気楽にいこう」
「あなたほどの人がご自分を『ごとき』だなんて」
「いや。私は菅さんに勝てない。春出仁先生は、きみにいきなり最強の刺客をぶつけてたんだ。
かなり性格悪いと思うよ、あの人」
「まさか。菅先輩はたしかに強いと思いますが、さすがに皆槻先輩以上だとは」
 信じられないとかぶりを振る宗一郎だが、直は真剣な表情で続けた。
「戦車みたいに頑丈な一部の身体強化はべつとして、異能者といってもしょせんは人間、制圧
するには人力で充分こと足りる。道具を使えばもっと簡単だよ。菅さんは非能力者だけど、だ
からこそ異能者を相手にするときは銃でもなんでも持ってくるし、場合によっては本当に撃て
る。私にはそこまでできない。だから私は、彼女とシリアスな意味でやり合うようなことがあ
れば敵わない、そういうこと」
「だから僕が勝てなかったのはあたり前だ、ということですか」
「いや、私は菅さんよりは弱いから、勝つつもりでやってごらん、ってこと。異能っていうの
は、人間どうしで振るうには過剰なパワーだと思うよ、基本的には。だから、物理的に相手を
打ち倒せるだけの力があれば、それ以上は余分なだけで、計算に入れる必要はないんだ」
 宗一郎はひとまずうなずいた。オーバーキルであっても高威力の異能は有効な場合もあると
思うが、勝ちさえすればいいとばかりに周囲を巻き込むような戦いかたは、直の美学に反する
ということだろう。
「無様なところは見せたくないと思って、できるだけの準備はしてきましたが、狙ってやって
みます」
「その意気で頼むよ。私も手は抜かない」
 清爽な笑みをひらめかせて、直は丁字路を右に曲がって指定されたスタートポイントへと向
かっていく。ワールウィンドに手抜きはなしといわれるとは、名誉かもしれないが荷が重いな
と、宗一郎は分かれ道でしばし立ち尽くしていた。


 開始の合図とともに、直は無造作に歩きはじめた。秋津宗一郎の異能力は、視線で捉えた目
標から熱を奪い取る、というものだ。真冬の北海道でもないのに、彼が異能を使えばダイアモ
ンドダストを見ることができるという。直はその場面を目の当たりにしたことはない。
 が、直は身を隠すことに固執はせず、記憶をたよりに敷地内の武道場を目指していた。宗一
郎の異能はたしかに強烈なものだが、同時に彼が超視覚を具えているわけではない。向こうが
直を狙って異能を発動するときは、こちらからも視線がとおっていて、かつ見ることのできる
距離にいるということだ。演習場内は障害物が多い上、ここ一週間は雨が降っておらず、直が
その気になればいつでも砂埃を巻き起こすことができる。遠くまでひらけている空間のみ注意
していればいい。もしまったく予想していない方向から宗一郎が視線を定めてきたときは、直
は素直に相手の上手を認めるつもりだった。一方的に目視を許したなら、たとえ敵が異能者で
なくとも狙撃で一手詰みだ。
 砂埃を立てることのできない屋内で待ち構えるのが、宗一郎にとっては一番有利な条件にな
る――それが、直の導き出した結論だった。

 宗一郎のほうは、許されたわずかな時間でワールウィンドについて研究していた。彼女の戦
いを記録した資料は、その赫々たる武勲からすればすくないが、春出仁が提供してくれた分に
は目をとおしていた。
 軽やかなフットワークで飛び道具を持った対手を翻弄し、一挙にインファイトに持ち込んで
打ち倒す。剛力でなんでも粉砕してしまう怪物を、ヒット・アンド・アウェイで攪乱し、岩の
ような体力を削ぎ切ってついに地面へ頽れさす。
 映像の中の皆槻先輩は、活き活きと、追尾するカメラを振り切る勢いで動き回っていた。戦
闘中の彼女はフレームに収まっていない時間のほうが長い。
 およそ、自分の敵う対手だとは思えなかった。
 最低でも眼球運動のみで動きを追えるだけの距離を保っていないと、異能を使わせてももら
えないだろう。近距離では一瞬で視線を切られて、死角から攻撃を叩き込まれてしまう。かと
いって間合が遠すぎれば、視線を遮るものの存在する可能性がどんどん高くなる。見渡す限り
の大平原など、国内にはほとんどない。
 遠すぎず近すぎない、絶妙の距離でないと、宗一郎はまともに戦えそうになかった。しかし
それは、対手が皆槻先輩のような熟練者である場合に限った話ではない。要するに宗一郎の異
能は、戦闘用としてはそんなに便利なわけではないのだ。
 チームの仲間に援護をしてもらう、あるいは、自分で自分のフォローをする――今後生き残
っていくためには、そうした心がけが必要になると、宗一郎は理解できるようになっていた。
 宗一郎は自分のスタートポイントに、いくらかの装備品を持ち込んであった。携行できる範
囲の量であること、銃弾と刃物は模擬弾、模造刀であること、この二点以外には特に制限はな
かったので、とりあえず目についたものはなんでも放り込んである。使えそうなものを手早く
選び出し、大型のバックパックからナップザックに移していく。
 ザックを背負って、宗一郎は携帯端末に演習場のマップを表示させた。目的地を確認し、端
末をしまう。
 宗一郎も、一歩を踏み出した。

 武道場の建物が見えてきたところで、直はふと右へ振り向いた。木立の切れ目の先には、グ
ラウンドがあって、そのさらに向こうに池がある。違和感の理由を考える前に、直は手近な樹
の陰に身を隠していた。
 二秒と待つ必要はなく、けっこうな速度で飛んできた氷塊が、さっきまで直の立っていたあ
たりを通過した。しばらく待ったが、二射目はこない。
 進路を変え、直は氷塊が飛んできた方向へと足を向けた。正面から、再び氷塊が飛んでくる。
が、狙いは正確ではなかった。直を見て射ってきてはいるのだろうが、当たることを期待した
攻撃というわけではなさそうだ。そもそも宗一郎の異能は氷を飛ばすものではない。補助的な
手段を用いての余技だろう。
「こっちにおいで、か」
 まっすぐ進む直に対し、氷塊はもう飛んでこなかった。

 皆槻先輩がこちらに向かってくることを確認して、宗一郎は担いでいた筒をおろしてアタッ
チメントを外した。三脚と望遠鏡もたたんで、邪魔にならない場所に置く。借り物なので、で
きるだけ無傷で返したかった。
 バズーカ様の筒は、ワールウィンドの巻き起こす砂埃をどうすればよいかと、装備開発局で
相談してみたところ、「水でも撒けば」という言葉とともに差し出された携帯型散水器だ。水
撃銃にもなるため、今回はそちらの用途で使ってみた。望遠鏡で皆槻先輩の姿を確認してから
発射し、飛んでいく水を自前の異能で凍らせる、というなんとも単純な用法だったが、凍って
空力的に安定した氷塊は、思った以上によく飛んだ。
 音もなく低反動、水撃銃としては使い道があるかもしれない、と返却時にレポートを添える
ことにして、筒を片づけた宗一郎は事前準備の仕上げに取りかかった。


 直は行く手の異様さに気づいていた。時刻は正午に近く、陽は強く照っていたが、それにし
ても眩しすぎる。
 木立を抜けるあたりにさしかかって、直は眩しさの原因を確認した。
 八レーンの四〇〇メートルトラックは収めることのできるグラウンドの先、同じ程度の、や
はりそれなりの広さの池が、完全に氷結しているのだ。
 宗一郎が異能を使ってやったことにまちがいない。
 池の中央にたたずむ少年の驚異的な潜在力に内心で感歎の吐息をつきながら、直はグラウン
ドと池を隔てるフェンスを飛び越えた。
 なにも遮るもののないところに出てきた直へ、宗一郎が鋭い声をかける。
「皆槻先輩!」
「もちろん、遠慮は無用だよ」
 口の端に笑みを浮かべ、直は凍った水面の上を宗一郎のほうへ歩み寄る。氷原には、当然な
がら煙幕を巻き起こすようなものはなにもない。
 一瞬ためらったようだが、直に立ち止まる気配がないのを見て、宗一郎の眼に光が奔った。
かすかにゆらめく、極低温の空間が、大気を凍てつかせながら直へ襲いかかる。
 だが、直のゆったりとした歩みは止まらない。宗一郎の〈蛟〉は、直へ食らいつこうとして
いるが果たせずにいるようだった。
「……!?」
 少年が異能を停止させたことに気づいて、直も足をとどめた。よもや、真っ正面から異能を
ぶつけて、一切通用しないとは思わなかったのだろう。宗一郎の表情は、説明をもとめている。
 このくらいの解説は先輩としての務めの一部かなと、直は立ち止まったまま口を開いた。
「空気っていうのは、かなり断熱性が高い代物なんだ。たとえば、エタノールに手を浸してか
ら熱湯にくぐらせても、すこしの間なら火傷はしない。蒸発したエタノールが気化熱を奪うと
同時に壁になって、高温が伝わるのを防いでくれる。ほとんど同じ原理で、液体窒素をかぶっ
ても人間はいきなり凍ったりしない。体温で、身体に触れた面の窒素は一瞬で気化しちゃうか
らね。量が相当多ければべつだけど。液体窒素を取り扱っている現場では、凍傷より酸欠のほ
うが警戒されてる」
「あなたは、異能で空気のバリアを作った……?」
「理解が早いね。きみの異能は媒質なしで直接冷却しているようなものだから、まともに受け
れば人体でもあっという間に凍ってしまう。それでも、空気の層が一枚あれば、強力な冷凍庫
の中という程度までは緩和できる。もっとも、やってみたはいいけどかなり疲れるね。防御で
手一杯だよ」
 驚愕の表情になった宗一郎に対し、直は偽らざる実感を述べた。無尽蔵に近い効率で分子か
ら活力を奪い取る宗一郎の異能だが、極低温領域の発生こそ超常的であれ、それが物体を凍結
させるプロセスは熱力学に乗っ取っているはずだ――という直の予測は当たっていたものの、
全身をくまなく覆う空気の層を維持するのはかなり骨の折れる仕事だった。
 むろん単なるエアカーテンで宗一郎の〈蛟〉を防げるわけはない。魂源力《アツイルト》を
こめた直のワールウィンドだからこそ可能な芸当だ。
 宗一郎の攻撃を撥ねのけながらゆっくり歩いていたのは、余裕の現れではなく、ただ単に自
身の異能の制御に手こずっていたからなのだ。圧縮空気を噴出させていてもなお、冷気は肌を
刺す。たえずワールウィンドの力を放出していないと、守りは維持できそうになかった。
 直の説明を受けて、宗一郎は乾いた笑いを浮かべた。
「……まいっちゃうな。僕は先輩ととことん相性が悪いわけだ」
「そういうわりには、まだ策のありそうな顔をしてるようだけど」
 と、直は水を向ける。宗一郎は表情を引き締めなおして、挑戦的な視線を据えてきた。
「これだけ自分に有利な細工をしておいて、その上、乗ってもらったのにいいところなしで完
敗というのは、さすがに情けないですからね」
 そういいながら、宗一郎はベルトにとおして背中に差していたらしい棒を取り出した。伸縮
式の警棒かな、と直が見当をつけた瞬間に、その両端が二段階ずつ展開される。
 おおよそ一五〇センチメートル。身長一六〇センチ弱の宗一郎にとっては、かなり長い得物
になった。
「棒術は、菅さんに習ったのかな?」
「はい。ほんの付焼き刃ですが。装備も、菅先輩の紹介で借りてきたものです。……続き、い
いでしょうか?」
「オーケー。タイム解除ってことで」
 言葉と同時に、直は自らを覆う空気の幕を再展開させた。宗一郎は視線で〈蛟〉を誘導しな
がら、棒を構えて間合をつめてくる。
 宗一郎が真っ向から打ち降ろしてきたところで、直は左に体を開いて躱した。続いてのすく
いあげるような横薙ぎに、バックステップを合わせる。が、足場が悪い。両脚で跳んで、両脚
で着地。
 冷気で縮小しているのだろう、宗一郎の棒はチリチリとかすかな音を立てていた。異能の発
現を維持しながら格闘戦をこなすその集中力に、直は舌を巻く。ワールウィンドはすべて防御
に回しており、その補助なしで間合の長い武器を躱していくのは、なかなか面倒だった。宗一
郎はスパイクを履いており、足下をしっかりと固めていた。直も足回りに気を遣っているほう
ではあるが、さすがにスパイクつきの靴ではない。あらためて見れば宗一郎はきちんと手袋も
していた。自分の異能の圏内に入って棒が冷えきってしまうことは見越していたに相違ない。
持ち手を自在に替えることで、棒術ははじめて威力を発揮する。
 少年の準備のよさに直が感心しているうちに、宗一郎は間合を維持しながら棒を繰り出して
いく。
 突き出されてくる棒を躱すまではどうにでもなるが、足下が滑りやすく異能を移動に使えな
い状況では、反撃ができない。宗一郎に偉そうなことをいったが、まさに「しょせんは人間」
なのは自分だったな、と、直は軽く自嘲を覚えていた。
 宗一郎のほうは、はっきりと焦りを感じていた。強烈な冷気で瞬間凍結させ、スケートリン
ク並みのすべらかさになっている氷の表面を、直は運動場であるかのように飛び跳ねる。もち
ろん、普段はこんなものではないのだろう。屋内や、水を撒いただけのグラウンドで待ち構え
ていたら、とても勝負にならなかった。まさか異能がまったく効かないとは思わなかったが、
ワールウィンドを推進力に使われないのなら、冷静に考えれば悪い取引ではない。しかし、想
定内と望外の幸運、このふたつの要素を重ねてもなお、状況は互角にもなっていなかった。凍
らせた水面を準備するのは必然だったとはいえ、戦闘に先立って異能を使いすぎた宗一郎は限
界が近づいていた。意を決して、宗一郎は前へ出る。
 踏み込みはさっきまでより半歩深いが、振りあげの速度は同じ――宗一郎が左肩目がけて斜
めに打ち降してくると予測して、直は反撃の糸口を見いだした。が、直が体重をつま先側へか
けようとしたところで、宗一郎は自分の身体を軸に時計回りで棒を大旋回させる。打ち込むた
めに棒を振りあげたのではなく、反動をつけるためだったのだ。
 直は宗一郎より三〇センチほども背が高い。首をすくめてやりすごすには、振るわれてくる
棒の軌道は低すぎる。かといって単なるジャンプで跳び越すには高すぎた。
 一転しながら棒を振り回す宗一郎の視線が外れた瞬間に、つまりは極寒の影が消えると同時
に、直はワールウィンドの出力を集束し、氷面を蹴る。棒と〈蛟〉の残した冷たい空気から逃
れて、宗一郎の右手に着地した。さらにワールウィンドの推力を変換し、宗一郎へ突進する。
踏ん張りが利かないので、脚力はあてにならない。宗一郎が向き直ったときには、すでに直は
前方へ滑り出している。
 万全の状態に比べれば「ハエが止まる」ようなストレートだったが、それでも直はヒットを
確信した。仮に宗一郎がここで異能を使えば腕は半分くらい凍ってしまうかもしれないが、衝
突自体は免れえない。
 しかし宗一郎は己の視力を、対手の動きを見るという、本来の用途にのみ集中させた。腰を
落とし、肩幅で開いた左右の腕を突き出す。両手でしっかりと支持された棒の中央部分が、直
の右拳を受けた。装備開発局謹製のカーボンファイバー製特殊警棒は、低温下でも弾性を失っ
ておらず、よくしなりながら直のストレートの威力を吸収した。
 しなった棒の復元力を利用して、宗一郎は間合を外す。その反動は直にも伝わってくる。滑
りかける足下をワールウィンドの微調整で制動し、直は追撃しようとしたが、宗一郎は跳び退
がりながら〈蛟〉を再び放っていた。やむなく、機動に使うつもりだったパワーを、脚から全
身に分散させる。
 今度こそ、直は心底からの感歎の声をあげた。
「さすがにいまのは決まると思ったのに」
「僕も驚きました。まさか自分にこんなことができるなんて」
 軽く息を乱しながらも、宗一郎の青白い顔はわずかに上気していた。反射的に動いていたが、
あ《ヽ》の《ヽ》ワールウィンドのパンチをしのげるとは思っていなかったのだろう。
「師匠が良いと弟子も遣うね」
 いよいよ面白くなってきた、と、直の表情は精彩を増す。その楽しげな様子に、宗一郎は心
中で諸手を挙げていた。
 なんという戦いの申し子だろうか。とても自分のおよぶところではない……。
 個人的にはもう降参しても悔いはないのだが、皆槻先輩はそれでは勘弁してくれそうにもな
かった。


 頭上から降り注ぐ陽光は強く、今日の双葉区の最高気温は三十度を超えると予想されていた。
宗一郎が凍結させた池の周囲は鳥肌が立つほどの冷気に包まれていたが、それでも氷の表面は
溶けはじめていた。足下の滑りやすさに拍車がかかる。
 棒を構え、〈蛟〉で直を牽制しながら、宗一郎はじりじりと左へ横歩きしていった。圧縮空
気の放出で冷気の浸食を防ぎながら、直も宗一郎に合わせて、平行に動く。
 直の足取りには隙がなく、ワールウィンドの生み出す守りも一切崩れる気配はない。宗一郎
の額に浮かんだ玉の汗が、眉を乗り越えて、右目に流れ込んだ。宗一郎はたまらず片目を強く
瞑り、集中を失った〈蛟〉が薄らぐ。
 直がそれを見逃すはずはなく、すかさず大ジャンプ、宗一郎の頭上を取った。宗一郎は視線
で直を追うことはせず、むしろ下を向いて脱兎のごとく駆け出した。見あげれば、太陽で目が
眩む。凍った水面に落ちる直の影を見ながら、走る。直は圧縮空気を放出しながら着地位置を
調整し、宗一郎を追った。
 汗が目に入ったのは不可抗力だったが、それを奇貨に、宗一郎は勝負に出ることにした。は
たして足が届くかどうか。失敗すれば、直に背中をどつかれて、カエルのように無様に氷上へ
突っ伏すことになる。
 走りながら宗一郎はカーボンファイバー製の長棒を放り出し、ベルトのホルダーからエアピ
ストルを抜いた。身を投げ出しながら、下へ向け発射。小型のアンカーボルトが撃ち出され、
氷面に突き刺さる。少量だが填《つ》めてあった炸薬が爆発し、氷に大きなヒビが入った。宗
一郎は、池の全面をくまなく分厚い氷で覆ったわけではなかったのだ。労力の節約とトラップ
をかねて、池の周辺部は薄く凍らせるのみにとどめていたのである。最初に水撃銃で直を誘導
したのも、しっかりと氷を張っているグラウンド方面から池に侵入してきてもらうためだった。
ほかの方面からこられたら、氷が薄い部分のほうが多いことに気づかれてしまう。
 落下してきた直は、身を投げ打った宗一郎の背を捉え損ない、氷のヒビを蹴り抜いて水中に
没した。
 即座に起きあがって、宗一郎は氷の穴へ視線を走らせた。本人に直接は効かなくとも、周囲
の水を凍らせて氷漬けにしてしまえば、さしものワールウィンドもなすところがないだろう。
しかし、水面近辺に直の姿はなかった。落下以上の勢いで、水中に、氷の下へと潜っていって
しまったらしい。
 瞬間、宗一郎は己の詰めの甘さを悟った。ブレーキをかけようと思えばかけられたにもかか
わらず、直はむしろアクセル全開でヒビの入った部分へ突っ込んでいたのだ。
 氷結した池の上というこの環境で、最大の遮蔽物といえば、凍った水面そのもの。視覚は一
般人と同様のものしかもっていない宗一郎が、陽光で表面が鏡のようにきらめいている氷を透
過してその下へ異能の作用をおよばせることは難しい。彼の異能はことにコントロールがシビ
アなのだ。
「そういうことですか、先輩……!」
 水底に辿りついた直は、両手から一挙に圧縮空気を噴射。水面へ向けて、猛烈な勢いで飛び
あがった。こちらは、対手の正確な位置を視線で捉えている必要はない。大まかな影さえ見え
ていればいいのだ。宗一郎は身を翻したが、ロケットのように上昇してくる直と比べると、そ
の動きはあまりに緩慢だった。
 蹴り砕かれた氷の破片とともに、宗一郎の身体も宙を舞った。
 氷上へ躍りあがった直は、さらにワールウィンドの力で方向転換し、スライディングしなが
ら、降ってきた宗一郎が氷に激突する前にすくいあげていた。アイスダンスのペア演技である
かのように、直は宗一郎を抱えて滑走する。天地不明の前後不覚になっていた宗一郎だが、上
下感覚が回復し、自分が完全に捕獲されていることを知った。
「まいりました。完敗です」
 空を見あげたまま、清々しいまでの表情で宗一郎は降伏した。そこで、自分が皆槻先輩の膝
の上に寝ていることに気づいてあわてて起きあがる。さらに、濡れた髪が頬に絡みつき、服も
すっかり水がとおって身体に張りついてしまっている彼女の姿に、正座をして背中を向けた。
「す、すみません……」
「いや、この陽気だし、こんな季節に寒中水泳とか、なかなか貴重な体験ができたよ。まあ、
この池の上はちょっと寒いけどね」
 自身のあられもない姿に気づいていないのか、はたまた気にしていないのか、直はいくぶん
ズレた応えを返してから立ちあがった。
 インカムを通じて、春出仁の声が聞こえてくる。
『ふたりとも、おつかれさま。近来まれに見る好仕合だったよ。秋津くんは、備品をきちんと
当該部局まで返却すること。皆槻くんは、シャワーを浴びて着替えてから撤収してくれたまえ。
風邪をひいては大変だし、そのままの恰好でキャンパスに戻られたら、私が風紀委員から吊る
しあげられてしまう』
「ミヤが――結城宮子が私の荷物を持っているはずです。着替えまで準備しているかはわかり
ませんが」
 そういった直へ、
『結城くんなら、いまさっき待機所を飛び出していったよ』
 と、春出仁は含み笑いを返した。顔が見えないときの春出仁の声は、実に表情豊かに聞こえ
る。直は怪訝そうな表情になった。
「どうして笑っているのですか、先生?」
『いや、よいパートナーだなとうらやんでいるだけさ』
 会話をはたから聞いていた宗一郎は、春出仁が「世話女房」といいかけていたことに気づい
ていた。
 それは自分の錯覚だということにして、これからの課題のひとつを口にする。
「皆槻先輩のようなエースになるには、僕も頼りになるパートナーなりチームメイトを見つけ
ないといけないようですね」
『候補は何人か見繕ってあるが――とにかく、まずはクラスへ戻ることだ』
「週明けから出席します。いろいろとお世話をかけました、春出仁先生」
 観測カメラを目敏く見つけ、そちらへ深々と一礼した宗一郎の貌は、すべてのわだかまりの
解けた晴れやかなものになっていた。


 満足げに通信を終えた春出仁へ話しかけたのは、ひとり拱手して輪の外にたたずんでいた美
沙であった。
「私の役目は、名勝負を特等席で観覧して終了、ですか?」
「致死的能力を持った生徒を実戦形式の演習に参加させるには、きみのような救命能力の高い
異能者の待機が内規で義務づけられているのだよ。ローテーションのようなものだ、悪く思わ
ないでほしい」
「べつに怒ってはいないですよ。見応えはありましたから」
 淡々とした口調で応じ、美沙は携帯を取り出していた。あらかじめ春出仁が申し渡していた
時間よりは早く終わったので、予定を繰りあげるのだろう。彼女も公私ともに忙しい身だ。
 春出仁はやはりいつもの無表情で、しかし万感の思いを込めてこういった。
「この若人たちが敵でないことを、私は神に感謝したい」


 かくして、ひとりの少年が異能者として真の覚醒を遂げた。
 彼はふたりの先輩を師と仰ぎ、多くの仲間に恵まれることとなる――
 が、それはべつの物語であり、わが拙筆のおよぶところではない。

 ありがとうございました。


ツールボックス

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