【猫髭博士と怖い噂 三怪目「夏の怪」】


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 「夏の怪」


 今年は酷暑だな、と猫髭《ねこひげ》京一郎《きょういちろう》は大粒の汗を掻きながら太陽から目をそらした。彼は暑苦しい着物と袴姿で、山の道を歩いている。四方八方を見渡せば、周りは山と田んぼばかり、わずか数軒の民家がポツンポツンと見える。ここはN県のとある村だ。都会の喧騒とは隔絶された田舎の村である。
「本当に、暑いね京ちゃん」
 その猫髭の横には彼の妻である猫髭めぐみがぴったりと寄り添っていた。めぐみは猫髭とは不釣り合いな、若い女性である。少女と表現してもいいほどにあどけない顔立ちをしている。彼女は白いワンピースに麦わら帽子、そして白い日傘をさしていた。
「京ちゃんももう少し涼しい格好をすればいいのに」
「一応これでも夏物の着物なんだけどね。日差しが辛すぎるんだよ」
「本当に今年は暑いもんねぇ」
 猫髭は着物の袖で汗をぬぐった。
 ここは猫髭の故郷で、お盆のため妻のめぐみを連れて里帰りをしたのであった。夏休み中とは言え、学園には仕事がたくさんある。一晩泊ってすぐ帰ることになるだろう。それでも故郷の変わらぬ景色を見て、猫髭はノスタルジーに浸っていた。
「まあこの暑さも家に帰れば忘れるだろう。もうすぐつくはずだ。今回は近道を使ってるから、この先を抜ければもうすぐだ」
 猫髭はいつも帰省に使う道ではなく、子供のころによく通っていた道を使った。ここは虫が多く、刺されやすいので避けてきたが、この暑さではまともな道を歩いていたらすぐに日射病になってしまう。この道は木々が多く、太陽がほどよく隠れるのだ。
「あれ、ねえ京ちゃん。あれを見て」
 ふと何かに気づいたのか、めぐみは道の先を指差した。
 それにつられて猫髭もその方向に視線を向ける。その道のわきには、大きな木が立っていた。その木陰に着物姿の女の子が腰を下ろしていた。
 真っ赤な着物を着ているその少女は、おかっぱ姿で可愛らしい顔をしている。十六、七ぐらいだろうか。しかし俯き加減で、その表情は暗いものであった。
「あの子、地元の子かなぁ」
「いや、どうだろうか。私は見たことないのだが」
 年に二回、盆と正月程度しか帰省しないため、その間に新しい住人が増えたなら猫髭にはわからないだろう。この村の住人は少なく、ほとんどの村民を猫髭は覚えている。だがその女の子の知らない。ということは引っ越ししてきたのだろうか。
「まあいいか」
 地元の知らないことが増えても、仕方のないことだろう。時代は常に動いているのだ。
 そうして猫髭夫妻は道を歩き、その少女のわきを通ろうとした。
 しかしその時、その少女は急に顔を上げた。
「ん?」
 その少女は、陰鬱な顔から一転し、とてつもない笑顔を猫髭に向ける。
 そしてさっと立ち上がり、猫髭に駆け寄ってきた。
「ちょ――」
「ええ?」
 猫髭とめぐみは同時に声をあげる。
 そのおかっぱ頭の少女は、猫髭に突然抱きついたのだ。その少女の目には涙が浮かんでいる。しかし、その表情はなぜか嬉しそうであった。
「ちょっと京ちゃん。この女の子誰なの。まさか……」
 少女に抱きつかれている猫髭を見て、めぐみは何を勘違いしたのか一歩後ろに下がった。
「いやいや待ってくれめぐみ。違うんだ。私はこの娘のことなんて知らないし、第一まだこんな子供に手を出すわけがないだろう」
「でも京ちゃんがわたしと婚約したのはわたしが十六の時じゃない!」
「それとこれとはだな……」
 しどろもどろになりながら猫髭は弁明を続ける。
 すると、その少女はばっと顔を上げ、猫髭の顔をじっと見つめ、
「違う」
 と、ぽつりと呟いた。
 その直後、彼女はまた陰気な表情に変わり、涙を流しながらその場から離れ、またあの大きな木の下に行って座りこんでしまった。
「な、なんだったんだろうか一体」
「人違いだったみたいだね。よかった。京ちゃんがロリコンだったらどうしようかと思ったわ……」
 その後何度話しかけても少女は黙して語らず、肩をすくめながら猫髭夫妻は家への道を再び歩いていった。





「おかえり京一郎。それにめぐみちゃんも」
 家の玄関を開けると、割烹着姿の母親が二人を出迎えた。
 猫髭の実家は神社で、社の後ろに彼らの自宅はある。小さな木造の一軒家だ。
「ただいまお袋」
「お久しぶりです義母さん」
 二人は挨拶もそこそこに、畳の上に座り、扇風機で暑さをしのいでいた。
「そういえばお袋。京次郎《きょうじろう》はどうしたんだ?」
 京次郎とは猫髭の弟である。彼は家を継ぎ、長男に代わって神主を務めている。
「あの子は老人会のお手伝いに引っ張り出されてるよ。戻って来るのは夜だろうね。それまであんたらはゆっくり休みな。あの子が帰ってきたら大騒ぎだから」
「あいつももう三十路になるっていうのに。落ち付きがないからね」
 猫髭は子供のころから変わらずわんぱくな弟を思い出し、くすりと笑った。
「ほんとあの子も結婚してくれればねぇ。京一郎はよかったわね。こんな可愛い、出来たお嫁さんが来てくれて。もったいないぐらいだわ」
「いえいえ義母さん。わたしのほうこそ京ちゃん――京一郎さんのお世話になってますよ」
 そんな雑談もそこそこに、猫髭とめぐみは祖霊舎に手を合わせる。めぐみは最初、仏壇ではないことに驚いたが、ここが神社だということを考えると死者の祀り方も一般とは異なるのだと理解した。
「そう言えば、京ちゃんのおじいちゃんってどんな人なんですか?」
 祖霊舎は簡素なつくりのため、仏壇のように遺影は飾られていない。めぐみはふと興味を持って母と猫髭に聞いた。
「じいさんの写真自体ならあそこに飾ってあるよ」
 猫髭が指差したのは壁の上であった。そこには家族の写真が載っている。祖父の麗一郎《れいいちろう》はもじゃもじゃの白髪に、もざもさの髭を生やしていて、大往生した威厳のある人物であった。
 祖父の妻、つまり猫髭の祖母は結婚して数年で別れてしまい、祖母の墓はこっちには無い。
「そうだ。面白いものを見つけたから、あんたに見せてあげようと思ったのよ」
 母はそう言って、部屋から出て行き、すぐに戻ってきた。
「なんだいこれは」
 母が持ってきたのは金属の箱であった。その中には、白黒の色あせた写真が収まっている。
「これはね。あんたのおじいちゃんの若いころの写真よ。ほら、これなんか背広を着てて凛々しいわよ」
 そう言って見せられた一枚の写真に、猫髭とめぐみはぎょっとする。
「これは……」
 その写真に写っている背広姿の若い祖父は、猫髭にそっくりであった。
 当然ながら、猫髭と違い祖父の髪は短かかったが、顔が薄気味悪いほどにまったく一緒なのだ。
「驚いたでしょ。それおじいさんが二十歳のころの写真よ。あたしもあんたが段々おじいちゃんに似てきて、あんたの顔見るたびおじいちゃんの幽霊を見てる気分になるわ」
「お袋にまで幽霊扱いされるとは思わなかった……」
 猫髭はがくりと肩を落とす。めぐみは気にせずその箱の中の写真を楽しそうに見ていた。
 しかし、めぐみは「あれ?」と言ってある一枚の写真を取り出し、猫髭に見せた。
「京ちゃん。これって」
「これは……」
 それを見て、さっきの祖父の写真よりも猫髭は驚いた。
 その写真には着物姿でおかっぱ頭の少女が祖父と一緒に写っていたのだ。
 それは間違いなく先ほどの少女と同じ人物だ。だがそんなことはありえない。これはもう何十年も前の写真なのだ。
「ああ、その写真の子。可愛いでしょう。その子、おじいちゃんの婚約者だったらしいわよ」
「え?」 
 二人が混乱しているのを知らず、母は言葉を続ける。
「あたしもおじいちゃんから少しだけ聞いただけだけどね。なんでもこの村の子で、おじいちゃんと結婚の約束をしていたのよ。でも、おじいちゃんは野心家でね。都会で一旗上げるんだって言ってこの村を飛び出したのね。その時、女の子はおじいちゃんにこう言ったらしいわ。
『わたしはあなたが帰ってくるのを、この村でずっとお待ちしております』
 いじらしい話よね。
 でも、おじいちゃんが都会に出て数カ月の間に、その女の子は流行り病で亡くなったのよ。
 婚約者が死んだおじいちゃんは村に戻ろうとはしなかったわ。向こうで別人と結婚をして、あたしが生まれてからしばらくして離婚したわ。それからおじいちゃんはあたしをこの村にいる自分の両親に預け、それから一切村に帰ることなく都会の会社で往生したの。
 大変だったわよ、あたしがこの神社継いで、それをさらに京次郎に引き継がせるのは。
 ほんと、おじいちゃんには困ったものよね」
 最後には自身の苦労話になっていたが、母から祖父の意外な話を聞かされ、猫髭とめぐみは顔を見合わせ、その写真を見つめた。



 それから夜になり、帰宅した弟の京次郎と共に夜中まで騒いだ。
 それから数日間家に泊まり、お盆が終わったその朝に猫髭夫妻は双葉区へと戻ろうと家を後にした。
 来た時と同じ道を辿っていると、あの少女がいた大きな木をまた通り過ぎることになった。
 今度はそこにあの少女はいない。
「ねえ京ちゃん。あの女の子は、最初京ちゃんをおじいちゃんと間違えたのかな」
「そうだね。年に一度、先祖の魂が故郷に帰ってくるこのお盆に期待し、彼女はあそこで祖父が帰ってくるのを待っているのだろう」
 恋する者を待ちながら死んだ少女と、恋する者に先立たれた祖父を悼み、猫髭はふっと目を瞑る。そんな彼の手を、めぐみはぎゅっと握った。

 オワリ



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