【Fireworks 後編】


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 縁日の喧騒から外れた海岸の消波ブロックに腰掛け、先ほど拍手からサービスしてもらった山盛りの焼きソバを頬張っている。と、言っても突いているのは召屋だけで、加奈は何事か考えているのか、ぼーっと海を見ていた。
「どうした、お前も食えよ?」
「あのさあ……」
「なんだ?」
「お兄ちゃんはここへ来て本当に幸せ?」
 それまでにない真剣な表情で、加奈は召屋の目をしっかりと見つめる。
 召屋は口に運んだ大量の焼きソバを何とか喉の奥へと飲み込むと、ぼんやりとすっかり暗くなった空を見つめながら黙り込む。
「お兄ちゃん?」
「あ? ああ、幸せってのとはちょっと違うかなあ」
「それじゃあ――」
「でもな、ここに来れて良かったとは思う。それは幸せとか不幸せとは違う。良《・》か《・》っ《・》た《・》んだ。ちょっと分かりづらいかもしれないけどな。俺は口下手だから、それが何なのか上手く言い表せないけど。何より、あの時の約束を俺は守らないといけない」
「あの時?」
「約束というか恩返しだな。昔、俺を助けてくれた人がいてな、その人の妹……というかありゃ一応弟か―――そう言えば、あの頃の記憶って凄く曖昧なんだ。所々が抜け落ちてるというか雲がかかっているというか。なあ加奈、俺の……」
「お兄ちゃん!」
 場にそぐわない大きな声で会話を断ち切り、加奈は自分の方に振り向いた召屋の瞳をじっと見つめる。
 一瞬、両者の空気が固まる。そして――
「……あれ? 俺は何を話してたんだっけ?」
「もう、その歳でボケちゃったの? この島に来てどうだったかって話よ」
「あー、そうだったな。全く俺は駄目なあ。なんにせよ、上手くは言えないけど良かったと思うよ」
 加奈はそれ以上話が膨らまないように言葉を遮るように相槌を打つ。
「そう。それなら私も安心だよ」
 わざとらしく召屋の手にある焼きソバをつつき、口にに命一杯頬張る。
「おいおい、そんなに一気に食うと喉に詰まらすぞ」
「だひじょうぶ……この焼ひそばおいひいね!」
「だろ? あいつの腕は一流の料理人も真っ青だからな」
「ちょっと多いけどね!」
「まあな!」
 二人は楽しそうに焼きソバを食べる。先ほどの不可解な出来事も忘れたように。


「じゃあ、そろそろ行くか?」
 腕時計を見た召屋はゆっくりと立ち上がる。
「どこに? もうすぐ花火大会だよ」
 空と召屋の顔を交互に見ながら、加奈は慌てふためき、召屋を座らせようとTシャツの裾を引っ張る。
 だが、それを無視し、召屋は自慢げにこう言い放った。
「だからだ。とっておきの観覧席にご招待してやるぞ」


 召屋には見覚えのある階段の前で、彼は妹に本日三度目の説教を受け、しょんぼりとしていた。
「だからって、何で私がこんな長い階段を登らないといけないのよっ!」
「いや、そうは言うがな。この上の境内の裏が絶好のビューポイントなんだ」
「いーや、私は登らない。何があっても登らないわ。どこまで続くかも分からない階段なんて登るのなんて絶っっっ対嫌っ!」
 真っ暗で終わりの見えない階段の先を指差しながら鼻息も荒く断言するが、何事が思いついたのか悪魔のような微笑を一瞬見せ、こう言葉を続ける。
「ま、まあ登ってもいいけど……どうしても登るっていうなら、私をおんぶして!」
「いや、さすがにそれは重いし……」
 ブチリというこめかみの血管が切れる音がその場にこだまする。
「ななな、何で女の子に向かってそういうこと言うのよ! 少しは考えなさいよ!!」
「あ、いや、ゴメン、そういう意味じゃなくてさ。というかね、重いっていうのはー……」
 自分の失言に気づき冷や汗をかきながら慌てふためき取り繕おうと躍起になる。ただ、これ以上何を言っても傷口を広げるだけだろう。
「そーいう意味じゃなかったらどーいう意味よ! 今すぐ教えてよ、お兄ちゃん!!」
「いや、あの、それは……分かったよ乗れ」
 召屋は加奈に背中を見せて、片膝を付き屈み込む。
「やっほー!」
 彼女はそう言って勢いよく召屋の背中に抱きつく。こうして重荷を背負って階段を登るという召屋の苦行が暫く続くことになるのだった。


 顔面を蒼白にしながらも召屋はなんとか境内にまで到着する。ある事件以降、自分の運動不足を恥、それなりにトレーニングしただけの効果はあったようだった。
「なっさけないなー、お兄ちゃんは?」
「お、お前が…背中にいなけ……れば、ハアハア…普通に…ハア登れた」
「何言ってんのよ! こんな可愛い妹を長時間おんぶ出来たんだから、感謝しなさいよね」
「その割りには背中に当るぼりゅーむが……」
 言葉が終わる前に、顔面に美しい弧を描く左回し蹴りがこめかみにヒットした。
 そんな妹の腰の入った重みのある一撃食らい、軽い眩暈で召屋がふらついていると、どこからか少女の声が聞こえてくる。
「わーい! めっしー、待ってたよー」
 そんな嬉しそうな声と共に薄暗闇から現れた黒い影は、まるで飼い主を見つけた子犬のように召屋に駆け寄り抱きつく。外灯の下であらわになったその姿は浴衣姿の可愛らしい少女だった。
「○×▲□◎っ!?」
 それを傍で見ていた加奈は何が起きたのかを理解できず、声にならない奇声を上げる。
 彼女の混乱が収まる前に、少女が現れた方向と同じ闇の中から別の女性の声がする。
「ちょっと千乃~、走るの速いわよ~………って何やってんのよアンタは――――っ!?」
 恐らく、召屋に抱きついた少女を後ろから追いかけていたであろう。その黒い影の双眸が輝き、それをきっかけとするように非常識なスピードで一気に距離を詰めると、召屋の眼前に肌色の何かが現れる。
 紙一重でそれを交わすことに成功した召屋だったが、頬がジリジリと熱い。わずかに掠めていたのであろう。
「お前は沢村忠かよ」
「いいから離れなさいっ。離れないともう一度真空跳び膝蹴りを食らわすわよ」
「向こうから抱きついてきたんじゃねえか!」
 召屋は自分に張り付いた少女を無理矢理引き剥がすと微妙に距離を取り臨戦態勢に入る。このままでは確実に殺られると思ったのだろう。
『言い訳無用よ! このど変態』
 二つの方向から同じ言葉が召屋に浴びせられる。その声の主はその偶然に驚き思わず顔を見合わせてしまう。
 声の主とは、一人は加奈であり、もう一人は先ほど膝蹴りを決めようとした人物。召屋ほどではないにせよ身長の高い浴衣姿の女性だった。
「アンタ、何か気が合うわね?」
「ど、どうも……」
 なんとも微妙な空気がその場に漂う。双方ともどう相手を扱ってよいのか分からない、友達の友達と二人きりにされたようなアレである。そんな空気を打ち消したのは、先ほど召屋に抱きついた少女だった。
「もー、春ちゃん。今日は浴衣なんだから跳び蹴りなんかしちゃ駄目だよ。せめてパンチにしないと」
「そういう問題じゃないから……」
 召屋の突っ込みを完全に無視し、少女は加奈の方へ歩いていき、彼女の前で止まると小さく会釈をする。
「始めまして。私は有葉千乃《あるはちの》。もしかして、めっしーの妹さん?」
「め、めっしぃい?」
「うん、めっしー。召屋だからめっしーなんだよ」
 そう言われた加奈は、困惑顔で自分の兄の顔を見る。彼はやれやれという表情でただ頷くだけだった。
「そして、こっちが春ちゃんだよ」
 手招きして、有葉は加奈の前に先ほどの暴力少女を呼び寄せる。
「え、えーと春部《はるべ》よ」
 彼女の目の前に呼び寄せれたその少女は、ばつが悪そうに挨拶しながらにこりと笑う。先ほどまでの召屋に接していたような刺々しい印象はない。浴衣の上からでも分かる肉感的な柔らかなボディライン、大きなアーモンドのような瞳や八重歯が見え隠れする奔放そうな笑顔、そのどれもが猫を想起させるもので、加奈が想像する大人のお姉さんそのものだった。
 その一方で、不思議にも思う。何故、女性の知り合いが二人もここにいるのだろうと。
「あのー、春部さんと有葉ちゃんは(兄と)どういう関係なんですか?」
「パートナーかな?」
「そうねえ、恋人同士? かしら」
 ノー天気に答える有葉と恥じらいを交えつつも自慢げに答える春部。
「え? あの? その(お兄ちゃんと)…… パートナー? 恋人? それって、どどどどどどいう……」
「どうって、その言葉の通りよ」
 不思議な顔で春部は動揺している加奈の顔を覗き込む。
「でも、さっきはキックを……」
「ああ、あれは寄ってくる毒虫に威嚇の意味を込めて制裁を加えただけよ」
「そんなー、いくら恋敵といってもそれはさすがに酷いじゃないですか」
「そーだよ、酷いよー! 危なくめっしーに当るところだったよー」
「ゴメンネ千乃。悪気は無かったのよ」
(ど、どーいう関係なの……。殴り合いをしてまでお兄ちゃんを奪い合う二人って? でも、その割には妙に仲がいいわよね。やっぱりこれが恋敵のあるべき姿なのかしら……。恋愛は奥が深いわ)などと彼女の妄想は暴走し明後日の方向へと向かっていく。
「じゃ、じゃあ、(お兄ちゃんの)どんなところに惚れたんですか?」
「そりゃもう、髪の毛一本から足の小指の爪の先まで全部よ!」
「うーん、難しいなあ。でもやっぱり黒くて大きいところかな。あれはスゴイってみんな言ってたよ! でも、私が見たことあるのは小さくて可愛らしいのだけなんだけど」
「お、お、お、おおおおおおおお兄ちゃん? 私が見てないからって、なんてふしだらな生活を送っているのっ? こんなキレイなお姉さんだけじゃなく、小さい千乃ちゃんにまで手を出して……しかも何? 見せた? こんな幼女に? ど変態じゃないっっ!!」
 大地を強く踏みしめながら、般若のオーラを纏い、加奈はゆっくりと召屋の方へと近づいていく。
「ちょっとまて! お前ら主語を抜いて話すから完全におかしな方向に会話が成立してるじゃねーか! おい、加奈? 落ち着け。な、ちゃんと説明しよう……」
 その後、召屋が誤解を解くのに約五分ほどの時間と切れの良いジャーマンスープレックスを二度ほど食らう必要があった。


「そーなんですかあ! 私はてっきりお二人がお兄ちゃんを奪い合ってるものだと!」
「馬鹿ねー、そんなワケ無いじゃない!」
「ですよねー。そんな甲斐性あるわけないですよねー」
「だよねー」
『あはははははははははは!』
 一人を除いて大団円である。そんなアットホームな姦しい三人から遠く離れたところで、男一人殺伐とした空気でつっ立っていた。
「ところで皆さん、そろそろ始まるんだけどさ」
 召屋が声を掛けるのと前後して花火の打ち上がる音が聞こえてくる。
「みんな行こう! 加奈ちゃんも!」
「うん」
 有葉の言葉と共に境内の裏手へと四人は走っていく。そこはそれまでこの丘を囲うように茂っていた木々もなく、まるで、夜空が木々を切り取ったようだ。眼下には島の一部と東京湾が広がっており、上昇気流に乗って肌に伝わる海風も心地よい。
 四人は手すりに腰掛けながら、目の前で繰り広げられている光景をただ眺める。
「すごく……きれい…」
 彼女は目の前に広がる様々な色カタチの花火に圧倒されいた。意図せず思わず出てしまった彼女の言葉はあまりにもシンプルでありきたりだったが、それは真意なのだろう。
 そんな彼女の表情を見て、召屋は満足そうに頷く。
「だろ? お前にもこれを見せたくてな。なにより、ここは人は少ないけど最高のポイントなんだ。ここまで登るのも最高に疲れるけどな」
「うん!!」
「そりゃよかった」
 召屋は加奈の肩を軽く叩き、そのまま手を置く。彼女はそれに気が付く様子もなく、極彩色の炎のアトラクションに見蕩れていた。
「なーに、実の妹といい雰囲気作ってんのよ。気っっ持ち悪い」
 わずかに離れた場所にいた春部がわざと二人に聞こえる声で茶々を入れ、それに気が付いた加奈が顔を真っ赤にしながら肩に添えられていた召屋の腕を払い、彼から離れる。
「駄目だよ春ちゃん。愛の形は人それぞれなんだから」
 その横にいた有葉が春部の浴衣の袖を引っ張りながら、彼女の行為と軽く窘める。
「でもね、千乃? あの人たちは兄妹よ? どう見ても特殊な……」
「だから、駄目だよー。せっかくキレイな花火が台無しだよ」
「そうね、せっかくのキレイな光景に水をさす必要はなかったわね」
 その瞬間だった。これまでとは違う方向から花火が打ち上がり、一際大きい美しい炎の花を天空に描く。そして――。


「あそこが絶好の場所なんだ!」
 十歳前後の少年が崖の上にある古びた洋館を指差してそう言った。
「でも、でも……。お兄ちゃん、あんなところまではいけないよ。他の人のおうちだし」
 少年よりも数歳年下であろう幼い少女は戸惑うようにそれを否定する。
「大丈夫! だって、ボクにはクロがいるからね」
 自慢そうに鼻の下を指でこすると少年の横には、いつの間にか現れたのか、漆黒の毛皮を纏った獅子ような生き物がのんきにあくびをしていた。
「それって……」
「こういうことだよ。さあ、加奈」
 少年はそういって獣に跨り、笑いながら戸惑う彼女に手を差し出す。
「でも……」
「さあ!」
 少女が差し出された手を恐る恐る握り締めると、少年はその小さく細い手をグイとひっぱり上げ、黒い獅子の背中に跨らせる。
 二人が背中に乗り、前に跨る少年が自分の鬣をしっかりと握ったことを確認すると、クロと呼ばれた生き物は崖を跳ねるように登り始める。もちろん、背に乗った二人がそこから転げ落ちないように優しく。いや、後ろに乗った少女にとっては優しくはなかったようで、目をつぶり、少年の身体をぎゅっと握り締めていた。
 程なく、高台の洋館の庭にたどり着いた彼らは、目の前に広がる花火を気持ちよさそうに眺める。
「ほら! 見てみろよ加奈! スゴイだろ。こんなに良く見える場所はないだろ?」
「うん!!」
 ビルなどの視界を遮るものは遥か下に遠ざかり、目の前には美しい星空が広がり次々と打ち上げられる花火がそれを更に艶やかに彩る。
 二人だけの壮大なパノラマに興奮し、少女は破顔する。その横にいる少年と獣は彼女の笑った顔を見るのが嬉しそうで、つられて笑っていた。
(そう、そうだ。あれがお兄ちゃんと始めてみた花火……ずっと私を守ってくれた人)
 彼女は再び、召屋の方へと頭を預けるようにそっと寄り添う。この楽しい時間が少しでも長く続くようにと祈りながら。


 花火の打ち上げ会場からわずかに離れた海岸で、青年が二人何事か口論している。
「部長、本当に許可得てるんですよねこれ。というか、いいんですかこんなことして?」
「もちろんだよ。伊藤《いとう》君。今打ち上げた花火は過去知の能力を封入《エンチャント》したものだ。恐らく、これを見た人たちは過去の美しい思い出をそれはそれはいとおしいく思い返すだろうよ。それって良いことじゃないか?」
「はぁ……それ本当に良いことですか?」
「ロマンチックだろ?」
 そんな時だ。
『そこーっ! 君たちは許可を得てここにいるのかー!?』
 警官らしき人たちが全力で彼らに走りよってくる。
「よし、逃げるぞ、伊藤君!」
「かしこまりました部長。というか、やっぱり非合法なんですね!!」
 ろくでもないことだけで学園にそれなりに名の知れた第四科学部の部長である松戸科学《まつどしながく》と副部長である伊藤は、全身全霊全力を持ってその場から逃走することにした。


「結局みんな来なかったなあ……」
 花火大会を堪能した召屋が背伸びをしながらキョロキョロと周りを見る。
「あら? 来てるわよ召屋君」
 振り返ると、そこには笹島を始め、先ほど縁日で加奈が出会った人たちの内、数名が立っていた。
「ちょっと遅くなったけど……。なんか四人に悪いと思って……」
「なるほど、ここからの景色は良いものでした」
 などと口々に話しかけていく。
 そして、花火や取るに足らないことで盛り上がる中、空気も読めない、いや読まなない女、笹島が急にまじめな口調でその雑談に口を挟み始めた。
「ところで召屋君」
「なんだ?」
「加奈ちゃんはどこに泊まるの? もうこの時間だから島から出るって言っても無理だし」
 腕時計を指差しながら、笹島が質問する。
「そりゃ俺の部屋に……」
「駄っっ目に決まってんでしょうがっ! いくら兄弟と言っても年頃よ。同じ部屋で寝るなんて許しません!!」
「あんたおれの母ちゃんかよ?」
「いいえ、委員長よ」
 目の前にいる洒落も融通も利かない堅物をここに呼んだことを召屋は酷く後悔する。
「でも、今から宿取るって言っても……」
「じゃあ、ウチで一緒にお泊まりしようよ!」
 加奈の手を握りながら、有葉が彼女に微笑み掛ける。
「そうだね、千乃ちゃん」
 先ほどの誤解を経てすっかり仲良くなっていた二人だった。
「そ、それはどうかと……」
「もっと駄目な気がする……」
 各々が神妙な顔をしながら柔らかに否定する。召屋や笹島も同じだった。
「駄目……だろ」
「うーん、それって? ちょっと知恵熱が出そうだわ」
「いやだー! 千乃ちゃんと一緒に泊まるのー!」
 彼女の意思は固いらしく、どうにもそれを曲げることはできないようだった。
「じゃあ、私も泊まるからいいでしょ」
 困っている加奈と有葉の姿を見て、彼女たちの後ろに立っていた春部が助け舟を出す。
「ま、まあ貴方が一緒なら大丈夫……?」
「全然大丈夫だよー!」
 屈託のない有葉の声が、花火大会も終わり静かになった境内に鳴り響いた。


 翌朝、有葉の住むマンションまで妹を向かいにきていた召屋は、建物から出てきた加奈の姿に驚く。目の下に隈を作り、頬はこけ、ゲッソリとしている。表情も魂が抜けているようで、心ここにあらずといった状態だ。
「おい?」
「あ、お兄ちゃん……」
 今にも事切れそうな弱々しい声で、召屋に振り返る。
「どうした?」
「ここは怖いところだわ……。双葉島、いや双葉学園は恐ろしいところよ。私より年下だと思ってた子が年上で……いや、まあそれは大丈夫、なんとか理解したわ。ありがちなネタだもの。衝撃も少ない。でも、でもね、お兄ちゃん、千乃ちゃんを誘って一緒にお風呂に入ろうとしたときにね、彼女はね、いや、彼かしら? 最初はにかんだのよ。最初はね大人なのに成長してない身体を見せるのが恥ずかしいと思ったのよ。ほら、私よりも年上なのに幼いから。でもね、その、あの、股間に……股間に……こかかかかかかかk。知ってる? お兄ちゃん。アフリカゾウは気性が荒いんですって。ええ、だからサーカスなんかではアジアゾウを使うの。そうだ、あれは一体どっちかしら……」
 目の焦点が定まらないままブツブツと何事かをうなされたように唱えだす。
「落ち着け! 加奈」
 召屋は加奈の腕を掴み、天界に召されそうな魂を呼び戻そうとする。それに気が付いたのか、いまだブレている瞳を召屋に向けると、精一杯に笑う。だが、それはひきつり、とてもではないが笑顔になっていなかった。
「だ、大丈夫よお兄ちゃん。私は十分落ち着いているわ。だから、このことはお母さんには言わない。というか言えるわけない。言えるわけねーつーのっ! つーか、オカシイだろアイツらっ? ワケわかンねーよ! なんだかもう…… ホントにあの人たちは一体全体、なんなのよーっ!?」

 召屋加奈十二歳、知ってはいけない大人の階段を登ってしまった一夜だった。








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