【コンビニ・オブ・ザ・デッド】


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※暴力表現やグロテスクな表現があります




 灰原《はいばら》忠夫《ただお》は退屈していた。
 彼の住む猫鳴村《ねこなきむら》はN県の田舎にある山に囲まれている小さな村だ。国道近くにある村で唯一のコンビニエンストアで忠夫は深夜のバイトをしていた。時給は安いものの、滅多に客が来ることは無く仕事は楽だった。
 ちらりと腕時計を見るともう深夜二時過ぎだ。あと四時間はこうして夜のコンビニで過ごさなくてはならない。普段ならば休憩室でダラダラとしているだけなのだが、今日に限っては客が数名いた。
(ったく。早く帰ってくれよ。俺もおでんで夜食にしたいんだから)
 店には三人の客がいた。
 そのうちの二人はカップルのようで、一人は作業着を着た体格のいい青年とTシャツにホットパンツという巨乳の女の子だった。たゆんっと胸が揺れるたびに悲しいかな、忠夫の視線がそっちに剥いてしまう。
 二人は雑誌コーナーで立ち読みをしながらキャピキャピといちゃついている。見せつけられるのはたまらない。忠夫はイライラしながらも、精神衛生のためにカップルから目を逸らした。
(くそ、俺だって金溜めて車でも買えばいくらでも女なんて)
 しかし忠夫は生まれて十九年間、恋人が出来たためしがなかった。
 涙目になりながらも忠夫はもう一人の客に目を移す。もう一人は三十代ぐらいの背広の男だった。メガネをかけていて、髪型は七三分けだ。絵にかいたようなサラリーマンで、忠夫はこういう大人にはなりたくないなと思った。
(俺にはビッグな夢があるんだ。いつかきっと大物になってやる)
 明確な未来のビジョンも無いが、忠夫は若者特有の無根拠な自信に溢れていた。こんな深夜のバイトは自分に似合わない。早く金だけ溜めて辞めてやろうと考えていた。
 そのためにも今日という日を乗り越えなければならない。
 まったく退屈で死んでしまいそうだ。何か面白いことでも起きれば時間が過ぎるのが早く感じるだろうに。
 欠伸をしながらぼんやりとしていると、突然ワーキャーという叫び声が外から聞こえてきた。
 何だろうかと忠夫がレジから体を覗かせて入口に目を向けると、二人の若い男女が駆けこむようにコンビニの中に入ってきていた。
「おい店員! 今すぐシャッターを下ろせ! 店を封鎖しろ!」
 そう言ってレジカウンターを叩いて忠夫に怒鳴ったのは、忠夫より何歳も年下の少年だった。
 しかしその少年は異常にガラが悪い。適当に染められた金髪に、右耳には三つのピアス。悪趣味な龍の刺繍が入ったスカジャンを着ていた。怪我でもしているのか首には包帯が巻かれている。
(なんだこのチンピラ)
 村には不良なんてほとんどいない。そもそも若者自体が少ないのだ。
 おそらくは余所者だろう。不良と相対する経験の無い忠夫はたじろいでしまった。
「聞いてんのかよてめえ!」
「いや、あのですね。そんなことを言われましても……」
 責任者がいないため勝手な判断はできない。どうやってこの客を追い返そうか迷っていると、
「そこの店員さん。あたしたちの言うことを聞いておいた方がいいわよ」
 不良少年と一緒にやってきた若い女がアンニュイな声調で言った。
 魔女。
 それが忠夫の抱いた女の第一印象だった。
 女はレースやリボンが過剰についている真っ黒なドレス――ゴスロリと言うらしいことを忠夫はテレビで見ていたのを思い出した――を身に纏い、同じく真っ黒で、大きなとんがり帽子を被っている。何かのアニメのコスプレだろうか。二人揃って派手な格好で、田舎のこの村ではとても浮くだろうと忠夫は思った。
「いや、ですから。なんと言われまして。だいたいどうして店を閉めなくちゃいけないんですか?」
「いいから俺の言うことを聞け! 急げ!」
 不良少年は混乱しているのか、さっきから要領を得ない。魔女のほうは三つ編みにしている黒い髪をいじっているだけで会話に入ってこない。忠夫が困っていると、見かねたのかカップルの作業着の男が少年の肩をむんずと掴んだ。
「おいガキ。さっきからうるせえぞ。何をわめいてやがるんだ。店の迷惑も考えろ」
「ああ? てめえ誰に向かって、んな口聞いてんだよ。殺すぞ」
 屈強そうな男にすごまれても、不良少年は臆することなく逆に男を睨みつけた。その目はナイフのように鋭く、人を人と思っていないような冷たいものだった。
「あのなぁ。バカかお前。会話のキャッチボールぐらいしろよ。一体なんだってそんなに焦ってるんだよ」
 呆れ返った男は諭すように不良少年に言った。だが少年は落ちつくことなく、こう叫んだ。
「バカはてめえらだ! |アレ《、、》が目に入らねーのかよ!」
 少年は窓の外を指差した。
 コンビニの外には、たくさんの人が集まっていた。
 こんな夜中に人……? 忠夫は不審に思いながらコンビニに向かってゆっくりと、ノッソノッソと歩いてくる集団に視線を向けた。
(こんなにたくさん客が来ても俺一人じゃ対応しきれねえよ)
 苦笑いしながらその何十人もの人々の群れを凝視する。だが、彼らの姿には妙な違和感があった。こっちに向かってくる人々の目は虚ろで、顔は青白く口は半開きだ。半ば意識のないように足をズルズルと引きずりながらゆっくりと歩いてきていた。
「なんだぁあいつらは」
「ねえ、変だよあの人たち」
 カップルが言うように、その集団はまともじゃなかった。集団は老若男女問わず、中には子供交っている。だが一様に全員に共通しているものがある。
 それは、強烈な赤。
 服や体にペンキのようについている真っ赤な色。
「やだ、あれ血じゃない……?」
 バカップルの片割れの巨乳が言う通り、明らかにそれは血だった。コンビニの街灯に照らされてようやくそれがわかった。そしてその人々の身体は何か野生動物にでも噛まれたように、怪我や噛み痕があり、肉体の一部が欠損していた。
 忠夫の頭に嫌な予感がよぎる。
 そう、彼らの姿は忠夫がよく映画で見る|アレ《、、》にそっくりだった。
「な、なんの冗談だよ。村おこしにコスプレ大会でもするのか?」
 しかし忠夫はまだそれがアレとは信じられなかった。また村長が妙な祭りごとでも始めたんだろうとしか思っていないようだ。いや、思いこもうとしているのだ。
「けっ。いつからこの村はお化け屋敷になったんだよ。くだらねえ」
「だから言ったじゃん。早く結婚してこの村から出ようって」
「わかってるっての」
 カップルも外の非現実的で滑稽な状況を見て和んでいた。だが忠夫は、少年が只ならぬ形相でアレを睨んでいるの見て、少しだけ驚いた。
「まったく。クソガキ、お前あんなのがこえーのか? ただの村人の仮装だろうがよ。待ってろ。俺が余所者を虐めるなって言い聞かせてやるよ」
 男はハハハハと少年をバカにしたように笑い、自動ドアを抜けて外へ出た。
 巨乳は「がんばれーやっつけちゃえー」などとケラケラと笑いながらそれを見送る。忠夫もぼーっとそれを見ていた。
 アレの一人が既にドアの付近に近付いており、男はその一人――頭巾を被った顔が食いちぎられている農業の老人――に話しかけた。
「おい爺さん。もう寝ろって。こんな時間にそんなハッスルした格好してちゃ早死にするぜ。他の奴らにも言い聞かせてうおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 男の言葉の途中で惨劇は起きた。
 老人は男の腕に噛みついていた。男は絶叫を上げながらも老人を殴りつけ、引きはがそうとするが老人はびくともしなかった。男が動けないでいると、周りを囲っていた人々が一斉に男に襲いかかってきた。彼らはまるで餌に群がる飢えた野犬のように男に次々と噛みついていく。まさに野生動物の食事のようだった。
「マ、マサキィ!」
 巨乳はコンビニの傘を咄嗟に手に取り外へ出た。そして傘の先で彼らを突いていく。だが彼らは怯みもしなかった。
「きゃあ!」
 彼らの一人が巨乳の腕に噛みつく。なんとかそれを振りほどくが、他の連中も巨乳に標的を移そうとしていた。それを見た男は必死に叫ぶ。
「梓ぁ! お前は中に戻れ! こいつら狂ってる! お前だけでも……!」
「そんな、マサキも一緒に!」
 巨乳は泣きながら男にすがろうとしたが、それを忠夫が後ろから止めた。その拍子に胸が手に当たるが、喜んでいる場合じゃない。忠夫は心を鬼にして巨乳を男から引き離し、店の中に戻した。その間に自動ドアの隙間から、彼らの一人が入ってこようと体を侵入させてきたが、不良少年がその頭を蹴り飛ばして追い払った。
「いやあ離して! マサキが!」
「ダメだって、あんたも死ぬぞ!」
 忠夫は駄々をこねて暴れる巨乳を、茫然と見ていたサラリーマンに押し付けて店内の奥に入っていった。そして自動ドアの電源を切り、シャッターを下ろすボタンを押す。
 するとガラガラと音を立てながらシャッターは閉まった。臆病な性格の店長のおかげで、店の防災設備だけは充実していたようである。
「クソ。なんだってんだよあれは!」
 忠夫はありえない非常事態に混乱するしかなかった。サラリーマンは相変わらず声も発さず立ち尽くしていて、巨乳は半狂乱になりながら泣きじゃくっている。
 忠夫は不良少年と、魔女の格好をした女を睨む。
「なんだよアレ。あいつら一体なんなんだよ!」
「アレはアレだよ。あんたが頭に思い浮かべているアレさ。死者が起き上がって歩いたりするアレだ」
 シャッターが下り、安全を確保したからか、少年は安堵の表情を浮かべて煙草に火をつけ始めた。
「まったく。龍之介《りゅうのすけ》、お前がバイクのガソリンを入れ忘れなければ今頃逃げ切れていたというのに。やはり弟というものは役に立たないわね」
 魔女に至っては一切の危機感もなく、手鏡を見ながら髪型を整えている。魔女は綺麗な顔をしているが、眼の下の大きな隈のせいで不気味な印象を受けた。
「何言ってんだよ。だいたい全部ユキ姉ちゃんのせいだろ。何が『死者復活の呪文が流れるカセットテープ』だよ! あんなもん再生したおかげで村の墓から死人共が起き上がっちゃったじゃねえか!」
「仕方ないでしょ。あたしだってあれが本物だと思わなかったし、村が土葬の習慣だってのも知らなかったわ。猫鳴村には死者を蘇らせるカセットテープがあるって噂を確かめられたんだしいいじゃない」
「ったく。ユキ姉ちゃんのオカルト趣味に付き合わされる身にもなってくれよ」
「だってあたし魔女だもの。ママの後はあたしが継ぐのよ。それにその首を縫い合わせてあげたのは誰だったかしら?」
「ちぇっ。それを言われると言い返せねえ」
 二人はギャーギャーとわめきながら雑談を始めている。忠夫には彼らの言っていることがよくわからなかったが、会話から察するに二人は姉弟のようだった。よく見ると二人ともよく似た顔をしている。
「なあ。あいつらがアレだとしたら、村はどうなってるんだよ」
「ああ? 決まってんだろ。もう全滅さ。ネズミ算で連中は増えてくからな。村はお仕舞いだよ。みーんな死体になって夜の村をお散歩してるぜ」
 きししと嫌な笑い方をして少年はレジのカウンターの上に腰を下ろした。
「そんな……」
「まあいいじゃない。こうしていれば安全よ。朝にでもなれば『カセット』の効果も切れて歩く死体もただの死体に戻るわ」
「そゆこと。夜明けまであと数時間の辛抱だ。それまで仲良くしようぜ」
「まじかよ……」
 忠夫は眩暈を感じて頭を押さえた。さっきまで退屈なだけの夜が、一瞬にして地獄に変わってしまった。ドッキリか何かと信じたかったが、目の前で人が死者に喰われたのを見てしまったら信じるしかない。
 家族も数少ない友達もみんな同じように歩きまわる屍となり、生者を食べているのだと想像すると、悲しみよりも涙すら流れない深い絶望に襲われた。
(いや、朝になればアレは戻ると言っていたな。みんな逃げてくれているといいんだけど……)
 わずかな希望に賭け、忠夫はまず自分が生き残ることを考えた。
「う、嘘だ。こ、こんなの夢だ……」
 だがぽつりと、今まで黙っていたサラリーマンが呟いた。
「ああ?」
「僕は夢を見てるんだ! 全部悪い夢なんだああああ!」
 サラリーマンは七三の髪をグシャグシャにかき乱し、発狂したように叫び始めた。
「あり得ない! 死んだ人間が歩くなんて! 人を喰うなんて、そんなの学校で習わなかった! エリートの僕に知らないことなんてないはずなのに!」
「そうかい。でも俺の通う学校じゃ死者が復活するなんて日常茶飯事だぜ。俺もアレとは違う方法で一度生き返ったことがあるからな」
 本気か冗談かわからないことを言い、少年は煙草を投げ捨て、スニーカーの靴底で火を消した。
「嘘だぁ。せ、世界の終わりなんだ……。僕たちもみんな死んでアレになっちゃうんだ。まだエッチだってしたことないのに! 死にたくない!」
「うっせえなぁ。朝には戻るって言ってんだろボケ」
 サラリーマンはもはや少年の言葉も聞こえてないようで、コンビニの隅に膝を抱えて座り込んでいた巨乳の腕を引っ張った。そして放心状態で無抵抗の彼女を押し倒し、Tシャツを破こうと手をかけた。
「な、何してんだよあんた!」
「どうせ死ぬんならやりたいことやってやる! 好き放題胸を揉んでやる!」
 サラリーマンは涎を垂らしながら叫んだ。忠夫は彼を止めようと身を乗り出すが、「ちっ」という舌打ちが少年から聞こえてきた。
「みんな死ぬんだ! 殺されるんだよあの動く死体、つまりゾ――」
 パァン。
 と、突然激しく破裂するような音がコンビニ内に響き渡った。その音は大きく、忠夫酷い耳鳴りが忠夫の耳を襲う。
「―――――!」
 耳鳴りのせいでサラリーマンの絶叫も聞こえない。
 だが何が起きたのか忠夫はすぐに理解した。サラリーマンは太ももから血を流し、その傷口を押さえながら激痛に悶えるように床をゴロゴロと転がっていた。
 恐る恐る少年のほうを向くと、彼の手にはあり得ないものが握られていた。
 テレビや映画でよく見るそれは、少年が持っているだけで異形の物体のように思えた。
「げはははははは! にゅ~~~~~~なんぶの威力すっげええ! 見ろよあのオッサン。火であぶられてる芋虫みてえだ!」
 聴覚が戻って初めに聞いたのは少年の狂気じみた笑い声だった。少年の手に握られ、煙を吹いているそれは間違いなく拳銃だ。リボルバー式のピストルで、サイズは小さいが、人の命を奪うのには十分過ぎるものである。
「あら龍之介。そんな便利な物いつの間に持ってたのよ。まさか双葉区から持ってきたのかしら?」
「さすがに外に出る時に武器の持ち運びは無理だってのユキ姉ちゃん。アレになってたおまわりから拝借したんだよ。もっとも、弾は五発しかないから慎重に使いたかったんだけどなぁ。まさか一発を人間に使うとは思ってなかったぜ」
 そう言いながら少年は太ももを撃ち抜かれて悶絶しているサラリーマンの腹を思い切り蹴った。それも何度も蹴り上げ、顔面を思い切り踏みつけた。
「あああ……あああがあ……」
「痛いか? その痛みは貴重だからじっくり記憶しろよ。次勝手な行動したら今度は頭を撃ち抜くからな。大人しくしてろバーカ。だいたいおっぱいは俺様のもんなんだよ。モテねえ男が触ってんじゃねえ」
 その時の少年の笑みはサディズムに溢れ、人を傷つけることを心から楽しんでいるように忠夫には思えた。最後にはサラリーマンに唾を吐きかけ、少年は巨乳の女の手を引っ張り無理矢理立たせた。
「ひっ……!」
 さっきの発砲音で放心状態から正常に戻ったのか、巨乳は怯えた様子で少年から目を逸らす。度重なる恐怖のせいで、彼女の涙は枯れ果て、真っ赤に充血していた。
「お、おい。怖がってるだろ」
「けっ。せっかく助けたのによ。わかったよ、なんにもしませんよー」
 おどけた調子で手を上げ、少年は店の中を歩きだした。
「あー。腹減ってきたな。おい店員さんよー。ここの商品貰ってくぜー。金はねーからツケで頼むわー」
 拳銃をちらつかせながら店の棚の弁当やお菓子を勝手に開封し始め、おいしそうに食べ始めた。それどころか未成年にもかかわらず、お酒コーナーの品も飲み始めている。強盗よりも性質が悪い。
 この姉弟は狂っている。逆らわないほうが自分のためだと言い聞かせ、忠夫は朝までの我慢だと怒りを押さえた。
(それにしても、あんな人が喰われる場面を見てよく食欲なんて湧くな)
 忠夫は吐き気を我慢するのに精いっぱいだった。何人もの死者に食べられていく男の姿が瞼から離れない。おそらく自分は一生引きずることになるトラウマになるだろうと忠夫は思った。
「あらいいわね。あたしも一度コンビニのデザートコーナーを端から順に全部食べてみたかったのよ。特にこの季節限定のプリンなんて高すぎよねぇ」
 そう言って魔女のほうもティラミスやプリンなどを開けて食べ始めた。甘いものばかりで見ているだけで胸焼けしそうだった。
「はは、キミも何か食べる? 今ならなんでも食べ放題だよ」
「食べられるわけないでしょ」
「……ごめん」
 忠夫は気を紛らわせようと巨乳に話しかけたが、目の前で恋人を失ったばかりの彼女にかけるべき言葉は無いようだ。無神経なことしか言えない自分を忠夫は恥じた。
(日の出まで三時間ぐらいか……)
 少年らの言葉通りに朝になればすべてが終わるのだ。死んだ人間は再び死体に戻ると言うのなら、すべてが元通りになるわけではないが、それでも今の状況よりましだ。
 ふと、隣の巨乳に目を向けると、恐怖か悲しみか、体を震わせていた。
「……ん?」
 違う。
 震えではない。それは痙攣だった。巨乳の子の顔を見ると、口から泡を吹き、眼は白目をむいていた。
「おい! 大丈夫か!」
 忠夫は呼びかけるが返事は無い。忠夫は彼女の腕に、アレの噛み痕がついていることに気付いた。小さくわずかなものだったため、今まで気付かなかった。
「おい金髪くん。アレが増える条件ってなんだ……?」
「何を今さら。|決まってる《、、、、、》だろ。アレに噛まれた奴がアレになるんだ」
 忠夫は少年の言葉に絶望する。
 もう目の前の巨乳の子は、人間ではなくなっていた。一瞬にして小麦色の肌は生気の無い土色へと変化し、ゴキゴキと関節を鳴らして奇妙な動きをしている。
 アレになった巨乳は声にならぬ雄叫びを上げて忠夫に襲いかかってきた。そこにはもう理性もなく、仲間を増やすための食欲だけで動いている怪物がいるだけであった。
「ったく。逃げろよてめえは。世話かけるなよ」
 だが少年は迷わず巨乳の頭に向かって発砲した。腐ったスイカを割ったように鮮血が辺りに飛び散る。吹き飛んだ彼女の脳みそと肉片はレジに置いてあるジャンクフードケースにひっついた。
 忠夫は噛みつかれる寸前で、少年が撃たなければ彼もアレになっていただろう。彼女の返り血が忠夫に降り注ぎ、目の前で巨乳は動かなくなってしまった。
「うう、ああ……」
 べったりとした血を必死にぬぐい、頭の半分が吹き飛んだ巨乳を見つめ、今までこらえてきたものを忠夫は全部吐き出した。床が血と吐瀉物で汚れ、嫌な臭いが密閉された空間に充満していく。
「よかったな。感謝しろよ俺に」
「かはっ……なんでだよ……朝になれば戻るんだろ! 殺す必要なかったじゃないか!」
 忠夫は無意識のうち叫んでいた。体に死ぬほどの欠損がなければ、例えアレになっても朝になれば戻れるんじゃないのかと忠夫は考えた。
「ダメよ。アレになった瞬間に、肉体の構造は変化して、心も死ぬ。例え朝になっても戻ることはないのよ坊や。人生、そんなに甘くないわ」
 ニヤリと薄笑いを浮かべる魔女の顔は、激しい嫌悪感を覚えるほどに歪んでいた。
 ダメだ。姉弟はこの状況を楽しんでる。人の不幸が楽しくて仕方がないんだ。忠夫は激しい怒りを抱くが、何もできない無力な自分を呪った。
「ぎひょああああうおああぬあぁあああああ!」
 突然の奇声に忠夫ははっと顔を上げる。あのサラリーマンが撃たれた足を押さえながらも立ちあがっていた。彼の眼はもう正常さを失っていた。完全に恐怖と焦燥と屈辱で、発狂しているようだった。
 サラリーマンの手にはコンビニの文房具コーナーから取り出されたカッターナイフが握られている。
「大人しくしてろって言ったろうが! 次から次へと騒ぎやがって!」
「うるしゃああい! こんなところにいられるか! 僕は外に逃げるんだぁああ!」
 サラリーマンはカッターナイフを少年に投擲した。そのせいで拳銃の狙いがズレ、弾丸はサラリーマンの後ろのおにぎりコーナーを破壊する。
 彼は足の怪我の痛みを無視し、レジカウンターを乗り越えて店内の奥へ侵入した。忠夫は彼が何をしたいのかわからなかった。だが少年は慌てたように叫んだ。
「おい店員! あのバカ押さえろ! シャッターを開くつもりだ!」
「な、なんだって!」
 そんなことしてどうするつもりなんだ。だが狂人の真意を探るのは無意味だ。忠夫は急いで店内の奥へ駆け込むが、時はすでに遅かった。サラリーマンはもうシャッターを上げるスイッチを上げていた。
「いひ、いひひひひ。ここにいても死ぬだけだぁ。あいつらに殺されるだけなんだぁ。僕は外に逃げるんだ……」
「バカ野郎! 外はアレがたくさん……」
 ガシャンっとシャッターが上がっていく音が響いた。
「おいそのスイッチをすぐに戻せ!」
「殺す! 殺される前に殺してやる!」
 もはや会話にならず、サラリーマンはまだ隠し持っていたカッターナイフを振りかざし、忠夫に切りかかってきた。なんとか手でふさごうとし、忠夫の手には痛々しい切り傷が増えて流血していく。あまりに鋭い痛みのせいで、近づくことができなかった。
「どけ! そのアホをぶっ殺してやる!」
 その場に少年が乱入してきた。忠夫は咄嗟に体を屈める。少年はサラリーマンに向かって発砲した。忠夫が下を向いている時に聞こえた発砲音は二回。その後は引き金を何度も引く音だけが聞こえてきた。どうやら弾切れ、もう五発すべて使い終わってしまったようだ。少年は「クソッ」と言いながら拳銃を投げ捨てた。
 むせかえるような火薬の臭いに鼻を押さえながらも、忠夫は顔を上げる。サラリーマンの男は血塗れで倒れていた。頭と胸を撃たれ確認するまでも無くこと切れている。
 忠夫は死体から目を背け、スイッチを見た。だが状況は変わらず絶望的なままだった。
「どうした。早くシャッターを戻せよ」
「ダメだ。壊されてて動かない。戻せない!」
 スイッチは男によって破壊された後だった。何度押しても反応は無い。
「龍之介! こっちにきなさい!」
 魔女の声が聞こえ、少年は慌てて店の方へ戻った。忠夫も壊れたスイッチを諦め、少年に続いた。
「う、うわああああああ!」
 忠夫は店の窓を見て絶叫を上げた。少年も脂汗をかいている。
 シャッターが上がった窓の外には、百人近くの死者が店の中を覗くように張り付いていたのだ。百人もの死者が窓を押しているため、窓にヒビが入り始めている。
 窓はピシピシと音を立て、やがて決壊した。
 窓ガラスはすべて一斉に割れ、細かい破片が店の中に流れ込んでくる。それと同時に大量の死者が店の中に侵入してきた。彼らは飢えた様子でわずかに残っている生者、彼ら三人を喰らい尽くそうとゆっくりと近寄ってきた。
「ど、どうするんだよ!」
「どーもこーも」
「ゲームオーバー……ね」
 魔女は何がおかしいのかケタケタと笑っていた。
(何笑ってんだよ……もとはと言えばこいつらが……)
 あまりに不条理な現実に、拳を握り締めながらも忠夫は考えた。
 どうすればここを乗り切れるか。逃げ道は他にないのか、ここを突破する方法はないものか……。
(そうだ、裏口だ!)
 混乱のあまりに忘れていたが、店の奥には裏へと続くドアがある。だがもう死者たちは目の前に迫ってきている。店奥へ逃げる前に奴らに捕まってしまうかもしれない。
「クソったれ! やってやらああ!」
 二人の背後にいた忠夫は、思い切り少年の背中を蹴り押した。人に対して暴力を振るう、ということを忠夫は初めて行った。まさか忠夫がこういう行動に出るとは考えてもいなかった少年は、その勢いのまま前方へと転がっていく。
「龍之介!」
 驚く魔女の背中にも体当たりをし、忠夫は店の奥へと移動を始める。
(やってやった。やってやった!)
 忠夫は二人を囮にしたのだ。予想通り死者の大半は二人に群がり、こっちに向かってくる残りの連中に対しては、忠夫は必死に商品棚の物を投げつけて怯ませていた。 
 店の奥に入っていき、忠夫は裏口の鍵を開き、扉を放つ。
 夜の冷たい空気が流れ込んでくる。数時間ぶりの外の空気が懐かしい。だが深呼吸をしている暇もなく、裏口付近にもいたアレたちを振り切るために忠夫は全速力で駆けだした。
 忠夫は走る。
 途中何度もアレに出会い、襲われそうになるがひたすら駆け抜ける。村の死者のほとんどはあのコンビニに集中しているようで、村を歩く残りの死者はわずかしかいなかった。
 息が切れ、足の筋肉が悲鳴を上げても忠夫は止まらずに夜の道を走り続けていく。
 やがて空が明るくなっていくのが見えた。
 遠くに見える山頂から、金色の太陽が顔を覗かせている。
 忠夫は安堵の表情を浮かべて呟いた。
 ――夜明けだ。



(了)





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