【俺の弟が気持ち悪すぎてしぬ 前】


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  楽しいね、お兄ちゃん!
  ぼんやり突っ立っていた僕に、金髪の少女が抱きついてくる。いきなりのことだったけど、自分でも驚くぐらい優しい笑顔をして、頭を撫でてあげる。
  ふんわりと、洗い立てのタオルを思わせる柔らかさ。優しく撫で回して、赤ちゃんみたいな丸い頭の形を確かめる。彼女はコバルトブルーの瞳で、僕の顔をじっと見上げてきた。
  あっち行ってみましょ、お兄ちゃん!
  うん、競争だ!
  二人で駆け出してみると、次第に僕たちがどこにいるのかがわかってきた。
  まずここは川原だ。クリアに聞えてくる、冷たそうなせせらぎに僕らは包まれている。そして緑の深い山々が迫っている。きっと山奥だろう。そう理解すると次々と、川魚を釣って楽しんでいる他の家族連れや、俺と同じように兄弟姉妹で遊んでいる子供たちが出現してきた。季節はやはり夏だと思う。
  温かい視線も感じる。それは父さんと母さんだった。二人並んで僕らに手を振ってくれた。母さんの青い瞳は、離れた場所からでもよく目立つ。
  二人は確か、ワンボックスカーの真横でバーベキューの準備をしていたはずだった。その間、僕はこの小さな八歳の妹・ツグミと共に川原に出たのである。
「お兄ちゃん」
「ん、どうした」
  水しぶきが顔に当たった。氷粒を浴びたような冷たさに僕は顔をゆがめる。
「ウフフ、お兄ちゃんたら、変な顔です」
  ツグミときたらいつも、僕がまぬけなところを見せるとこうして笑ってくる。見下しているというか、とてもバカにしているというか。そう、まるでツグミが僕のお姉さんであるかのような大人びた雰囲気を、僕は妖しげな笑顔のうちに見る。
「てめー」
  そんなツグミの笑顔をぶち壊してやりたくて、手のひらいっぱいに透明な水をすくい、お返しとばかりにかける。彼女が声を上げて悲鳴交じりに笑い出したときには、いつもの子供らしいツグミに戻っていた。
「お兄ちゃん」
  ツグミが僕を呼ぶ。果物みたいな丸いほっぺを赤くして、柔らかそうな唇を突き出していた。
  それにどきっとしてしまった僕は、きっと悪いお兄ちゃんなのだろう。吸い寄せられるように僕は顔を近づけ、鼻先にかかる髪をそっとどけてやる。
  ツグミとするキスが、頭の中がぐちゃぐちゃになるぐらい好きだった。特に母さんに隠れて物陰でするのは、お兄ちゃんとしての理性がぶち壊されてしまうぐらいだった。
  ツグミ。それは僕の大事な大事な妹。


 俺の弟が気持ち悪すぎてしぬ 前


 ものすごい悪寒が突然して、俺は夢から目を覚ます。危機を回避してくれる本能そのものに、今日ほど感謝したことはない。
 すぐ目の前に唇が接近しつつあった。だがそれは女の子のものではなく、我が弟による気持ち悪いそれである。
「何しやがる!」
 俺はその顔を横に払いのけた。思い切りビンタを食らった弟は、
「痛い! お兄ちゃんったら乱暴すぎ!」
 と、青い両目に涙を浮かべて抗議してきた。両足をそろえて床に投げ出し、上目遣いで訴えるその様子は、単刀直入に言ってキモい。
「なんで男同士でそんなこと」
「僕お兄ちゃんのこと好きだもん」
 さも当然であるようにこいつは言ってのけた。ぞわぞわと全身に蔓延していくのは蕁麻疹である。
 この弟は事あるごとに俺にキスしようとしてくる、とんでもない男だ。夜もおちおち眠れないので地味に深刻な悩み事となっているのだが、これまで友人にもクラスメートにも担任にも明かしたことがない。学園中の笑いものにされたくないので。
 枕元に潜ませてあった、護身用のトンカチを手に取ろうとしたときである。俺はある重大ことに気づき、バカ弟にかまうのをやめた。
いつもの朝にしては太陽が昇りすぎていて、妙に明るい。まさかと思って携帯電話を掴み取り、時計を見る。
 八時十分。
 起床時間を一時間十分オーバーしていた。
 どう目をこすっても、どう注意してよく見てみても、時刻は八時十分である。たった今十一分に進んだ。
「あわわわ、遅刻じゃねぇか」
 布団を吹っ飛ばして起き上がり、慌てて寝巻きを上下共に脱ぎ捨てる。パンツ一丁になった俺をじっと見つめてくる奴がいた。俺はその熱い視線に強い不快感を覚える。
「何見てんだよ」
「脱がしてあげようかなって」
「やめろよ! 出てってくれ!」
「またそんなこと言う。朝ごはんできてるから食べてね?」
「食ってる暇ねぇって」
 そう言い放つと、この前髪が細長くて女みたいな顔をしている弟は、しゅんと視線を落としてスンスン泣き出した。わざと袖の余ったクリーム色のセーターを着ていて、袖の先からちょこんと出ている小さな両手が可愛いわけがない。
 これが我が弟・前田ツグミだ。双葉学園の中等部一年生である。日本人なのに金髪で瞳が青いのは、母さんの家の血筋だと教えられた。俺とツグミも異能者なので、五年前に兄弟だけで双葉島に移住してきたのである。
「いつもごはん作ってあげてるのにぃ」
 ツグミの女々しい発言はかたくなに聞き流し、タンスに手をかける。ところが、俺の探しているものが一枚たりとも存在していない。
「パンツがない」
 寝汗をかいたので交換したかったが、おかしいことにどこにも無いのだ。間違えて別のところにしまったのかと、引き出しをあちこち開いては中をかき混ぜた。
「お兄ちゃんのパンツ、昨日のうちに洗っといたんだ」
 見ると、洗濯籠に俺のパンツがどっちゃり詰まっているではないか。俺は半裸のまま言葉を失う。
「何でそんなことをした・・・・・・?」
「うん、ちょっとネ」
 顔を赤らめて意味深に言葉を濁す我が愚弟。そうしているうちにツグミは、水色のトランクスを取り出して匂いを嗅ぎだす。
「うん、もう臭くない!」
「出て行け!」
 パンツの山だけをひったくり、俺はツグミを部屋から蹴っ飛ばした。


「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
 精神的ショックが引いていかない最悪なコンディションの中、俺は必死に自転車を漕いで学園に直行していた。
 兄弟だけで移住してきてから、家事はほとんどツグミに任せきりでいた。料理も洗濯も好き勝手やらせていたが、先ほどの奇行を目の当たりにしてしまっては考え直さないわけにはいかない。
「そろそろ考えモンか」
 最初のころこそは、小さいながらも頑張って背伸びをして洗濯機を回している様子は見ていて微笑ましいものがあったのだ。でもそうさせているうちに、ツグミはいつのまにか家事や炊事が上手くなってしまい、もう後戻りのできないところまで来ていた。
 小さかったツグミも初等部六年生の時には急激に身長が伸び、みじめなことに今や俺よりも七センチ背が高い。女の子みたいな甘ったれた微笑は昔から変わらないが、俺なんかよりも数倍体つきがたくましくて、いい男であるように見える。悲しいので絶対に並んで歩かない。
「待ってよぉ、お兄ちゃーん」
 ゲッと俺は後ろを振り向いた。我が弟がにっこり笑顔で、自分の自転車で猛追してきたのである。「マジかよ」と俺は生理的な恐怖に戦く。
 いくら男らしくなろうが、いつまで経っても中身は変わってくれない。長身の野郎に猫撫で声で「お兄ちゃん」と呼ばれる、気持ちの悪さときたらない。俺は前だけを向き、踏み込む足の力をさらに強くした。ガシャガシャ必死こいてペダルを踏み込んだ。
「何で逃げるのー? 一緒に行こうよー」
「うるせぇ! 別々でいいだろ!」
「お兄ちゃんと一緒がいいー!」
 そんなことを大声で言うもんだから、周囲の人たちが一斉にこちらを振り向いた。双葉学園の制服も数人いたので、恥ずかしくてたまらない。
 つい後ろを振り向くと、ツグミの笑顔がもうすぐそこにまで迫っている。俺よりも長い脚を駆使してペダルを回しているのを見ると、とてつもなく悲しい。
「いい加減俺から離れてくれぇー!」
 変態に追いかけられている俺は、泣き喚きながら俺は双葉学園の敷地に突っ込んだ。怖い大人から逃げてきて、こども110番の家に駆け込んできた子供の心境である。
 中等部の駐輪場に滑り込んでスタンドを下ろした瞬間、双葉学園の全学年・全学部共通の鐘が荘厳に鳴り響いた。いわゆる遅刻確定・有罪判決の鐘。俺は絶望する。
「そ、そんなぁ」
 真っ先に頭の中に登場してきたのは、愛想の無い顔をした隣の席の女子。
 そいつはいつも不機嫌そうな顔をしていて、高慢ちきでかんしゃくもちな、言ってしまえばかわいくないタイプの子だ。きっと小言を言われることだろう。


「派手に遅れてきましたのね。気が緩んでませんこと?」
「うるせー」
 席に着いたら早速小言が飛んできた。前述の「かわいくない子」とはこいつのことで、名前を那由多由良といった。本当に可愛くないったらありゃしない。
 そんなことを呟いたら、机にあった消しゴムがふっと視界から消えた。隣の高慢ちきに吸い寄せられたかと思うと、今度はこちらに飛んできて右のこめかみに命中する。「いちいち口に出さなくても結構ですわよ」と怒られた。
「痛えなぁ、お前の仕業か。レンコン喫茶だのタスケテケスタだの」
「わかりやすく説明して差し上げますわよ?」
「おう、頼む」
 那由多が左手の人差し指を立てると、俺の消しゴムが指先に吸い寄せられていった。
「これが『引力』」
「うんうん」
「そしてこれが『斥力』」
 人差し指から消しゴムが反発力によって弾き飛ばされ、俺の鼻にバッチンと激突する。俺は余りの痛さにうめき声も上げられず、涙を浮かべて鼻を押さえていた。
「これが『レコンキスタ』ですわっ! レンコンでも変態五歳児でもありませんわっ!」
「ぼ、暴力女・・・・・・!」
 那由多は「ふんっ」と前を向き、もう相手をしてくれなかった。


 昼休み、俺は購買部に向けて猛然と走っていた。今日は、あの醒徒会副会長・水分理緒さんが監修したプレミアムスイーツが発売される。
 その名も「数量限定・みくまりぷるぷる牛乳プリン」。
 俺は初等部のころ、高学年のお姉さんだった水分さんに一目ぼれをした。
 せめて姿だけでも追い求めているうちに、彼女は醒徒会の一員になってしまい、俺ごときじゃ手の届かないところにまで行ってしまった。俺は号泣しながら自問自答したものだった。「彼女こそがかぐや姫の生まれ変わりではなかったか?」
 そんな憧れの水分さんが、珍しいことにオフィシャルグッズらしきものをプロデュースしたのである。そうと聞いてはこの俺が黙っていられない。ころしてでもうばいとる。
「お先に!」
 全力疾走という必死ぶりで中等部の廊下を走っていたら、真横を赤いマフラーが追い越していった。誰だっけ? と一瞬思ってしまう。
 思い出した、C組の早瀬である。何をどう間違ったか、俺たちの代からあの男が醒徒会庶務として当選したのだった。学年でもかなり陰の薄い人物だったので、いつの間にか立候補していていつのまにか当選していて、そこでやっと名が知れたという印象がある。
「水分さんのおっぱいプリンはもらった!」
 ところがそれを耳にした瞬間カチンとなる。
 俺は早瀬にずっと嫉妬してきた。醒徒会に入って俺の水分さんに近づいている早瀬が、死ぬほどうらやましかった。どす黒い感情が俺を凶行に駆り立てる。
「させるかぁ!」
 長いマフラーをムンズと掴み、その場で強烈な急ブレーキをかけてやる。早瀬は加速途中のさなか首を吊ってバランスを崩し、勢い余ってごろごろ転倒し、廊下の脇にて激しくクラッシュした。
 強敵は潰した。俺は中等部の校舎を飛び出し、購買部のある建物に突入する。すでに高等部からあふれ出てきた、歴戦の猛者たちが集合しつつあった。彼らもまた購買で昼飯を調達しに駆け込んできている。定番の焼きそばパンなど、人気商品の過酷な取り合いが始まるのである。
 銃弾や異能や生徒そのものが縦横無尽に飛び交うなか、俺は何とかカウンターまでたどり着くことができた。はやる気持ちを抑えて俺はおばちゃんに商品を頼む。
「水分ちゃんのプリン? もう売り切れちゃった」
 ごめんねぇ、とおばちゃんは言った。三時間目の終わる鐘が鳴るころには、もうすでに並んでいた高等部の輩によって、発売後二分という速さで完売したそうである。
 とぼとぼと血の涙を流しながら下を向いて歩いていたら、誰かと真正面からぶつかってしまった。顔面が柔らかくてあったかい何かに包まれる。
「これが欲しかったのね?」
 顔を上げると、俺は女神の登場に言葉を失った。
 何と、かぐや姫こと水分理緒さんが俺に微笑みかけているのだ。彼女は手に「みくまりぷるぷる牛乳プリン」を一つ持っている。
 端麗な顔立ちがつくる微笑を直視できず、俺はあちこちに視線をちらつかせる。早まる動悸を悟られぬよう俺は自問する。「この女性ではなかったか? 五百年も前にダ・ヴィンチが描いた印象的な微笑をする黒髪の女性は?」
 そうして悶々と妄想にふけっていたら、双葉学園のモナ・リザは俺にこう囁いた。
「これは試供品です。あげますよ」
「え」
 自分でも女々しいと思うぐらい、切ない目をして水分さんを見つめていたと思う。しかし幸福なひと時というのは本当に短いもので、彼女は麗しい黒髪をひらりと翻した。醒徒会の仕事があるそうだ。
「前田健介くん」
「は、はいっ」
「ツグミちゃんのお兄さん、だったよね?」
 こちらに背中を向けたまま、確認を取るようそうきいてくる。俺が肯定の返事をすると、水分さんはにっこり横顔を見せてから去っていった。
 しばらく夢見心地の気分に浸ったまま、その場に突っ立っていた。水分さんの美しき笑顔は、この先忘れることはないだろう。おっぱいの柔らかさも、彼女から立ち込めてくる、酔ってしまいそうな匂いも。
 何よりも、俺の名前を知っていたことが嬉しくてたまらない。何で水分さんともあろうお方が俺のことを知っているのか、少し考えただけではわからなかった。
「もしかして俺に気があるのか?」
 鼻血が飛び出る。幸せすぎて怖かった。
「死ぬにはいい日だ・・・・・・」
 すっかりふわふわ浮ついた気持ちになってしまい、俺はだらしのない顔をしたまま、プリン片手に中等部の校舎へ戻ろうとした。
 ふと、背後が気になったので後ろを振り向く。
 誰かに見られていないかと思ったのだ。


 夕方の通学路を、俺はツグミと並んで歩いていた。
 こいつと並んで帰るのは自殺したいぐらい嫌だが、拒否すると下校ラッシュの昇降口でぐすぐす泣かれるので仕方がない。
 でも今日はツグミの様子がおかしい。うつむき気味で、ぶつぶつと何かを呟いている。ほっといて、とっとと前を歩いていくことにした。
 小さな川をまたぐ橋を渡っていたときだった。自転車を押しているツグミが立ち止まる。
 俺も自転車のブレーキをかけて、停止した。
「どうした、ツグミ?」
「お兄ちゃん、お昼休みどこ行ってたの」
「えっと、購買にパン買いに行ってたなぁ」
「嘘だ!」
 いきなり大声を出されて、俺は自転車ごとひっくり返る。
 自転車は横倒しにされて俺のあぐらに乗り、前輪がカタカタと空回りをしていた。そんな状況のなかツグミは口をへの字に結んで、しりもちをついた俺を睨み下ろしている。
「水分さんといい感じになってたじゃない! 抱き合っちゃって!」
「抱き合ってはねーよ!」
 やっぱりな、と心の中で呟いた。
 水分さんからプリンをいただいて教室に帰る途中、何か嫌な視線を感じたのだ。ごく日常的に感じられるあの不快感がしたので、まさかとは思っていた。
「ひどいよ。せっかくお弁当持って教室に来てたのに」
 それを聞いてアゴが外れそうなぐらい口を開けた。唖然としてしまった。中学に進んでから、こんな恥ずかしい弟の存在は意地でも隠し通さなければならなかったのに!
 どうりで昼休みが終わってから、クラスメートが変だった。こぞって俺を好奇の目で見てきたのである。ある友人はくすくす笑って詳細を話さないし、那由多に至っては「仲が宜しいご様子で」と済まし顔で笑われた。
 きっと教室のみんなに、俺たちの私生活とか俺の秘密とか、あるいはお兄ちゃんスキスキとかべらべらしゃべっていたのだろう。考えただけで殺したくなってきた。
「教室に来るなってあれほど」
「お昼どうするつもりだったの? まさか水分さんと」
「別に、ただ水分さんの限定プリンが欲しかっただけだ」
「いつまでもポッケに入れてないでよ!」
「あ、てめぇ」
 制服のポケットに大事にしまっていたプリンを、ツグミが手を突っ込んで無理やり取り出してしまう。
 ツグミは水分さんのイラストが描かれたフィルムを凝視し、うるっと涙目になった。そして。
「こんなもの、こうしてやるぅ!」
 涙粒をその場に弾き飛ばし、長い左腕をしなやかに振って、プリンを投げ飛ばしてしまったのだ。プリンは親水公園の人口河川にぽちゃんと落下し、流れていく。
「あー! 俺のプリンが――!」
 欄干に寄りかかり、俺は絶叫する。
 家に帰ったらまず母さんの仏壇に捧げることで水分理緒さんという素晴らしい女性を紹介し、ゆっくり湯に浸かって身を清め、宿題も終えてからじっくり食そうと思っていたみくまりぷるぷる牛乳プリンが、ちょろちょろ流れてやがて消えてしまった。俺と水分さんとの甘い思い出が海へ向けて旅立っていったのだ。あまりのショックに俺はかがみこんでしまう。
 がっくり両膝を地に着けて頭を抱え、大量の涙を流していたときだ。ツグミがこう言った。
「お兄ちゃん、どうしてこの頃冷たいの」
「お前がそんなんだからだろ!」
 俺は心の底から怒鳴ってやった。人のパンツを喜んで洗ったり、一緒に登校しようとしたり、挙句の果てに教室に来て恥ずかしいことをしゃべったり、水分さんのおっぱいミルクプリンを捨てたり! とうとう、変態男に対する俺の怒りが爆発してしまう。
「いい歳してベタベタすんじゃねえ!」
 反論する隙も与えず、一方的に言葉をぶつけてやる。これまで積み重ねてきた鬱憤をぶちまけてやる。でも、これでツグミが黙るかと思ったら大間違いだったのだ。
「だって、お兄ちゃん好きなんだもん!」
 ツグミが女の子みたいな口調でそう吼えたのだ。
 逆に俺が黙らされた。島内のバスがエンジンを唸らせて脇を通る。小川の流れる音も聞えてくる。そしてその問題発言は、たまたま通りがかった同じ学年の人たちにばっちり聞かれていた。
 当の本人は自転車をその場に放り出し、涙を後ろに流しながらどこかへ走っていった。とんでもない大恥をかかされた俺は、もう動き出す気力も沸かずに途方に暮れてしまう。
「あなた、やっぱり弟さんとそんな関係にありましたのね」
 聞き慣れた女子の声。その子はやけに長い武器を手にしている。
 話を聞けば「超軽量日本刀型チタンブレード」とかいう、物騒極まりない鈍器を持ち歩く女子。そんな暴力女と言えば奴しかいない。たまたま通りがかった下校中の那由多由良が、漫画みたいなジト目をして俺のことを見ていたのである。
「コロシテ」
 俺は泣きながら那由多に言った。その「国綱」という刀や「レコンキスタ」という力で、俺を苦しませることなく撲殺してほしかった。


 アパートに着いたときには、辺りは暗くなっていた。
 ひいこら必死こいて二台の自転車を運んできた。何でこんなことしなくちゃいけないんだと何度も心が折れかけたが、ツグミが明日困ってしまうのだ。そこはちゃんと面倒を見てやらないといけない。
 自転車をアパートの駐輪場に止めて、疲れきった表情で面を起こす。するとおかしなことに気がついた。
「電気が点いてねぇ」
 ということは、ツグミがまだ帰宅していないということだ。
 てっきり、先に部屋に戻っているものかと思っていた。俺ははっと思い出したようにポケットの中をまさぐる。中身がからっぽであることを理解すると今度は、学生鞄を地面に置いて中に手を突っ込む。
「鍵がない」
 当然のことである。いつもツグミが部屋の施錠をしていたので、俺は自分の鍵を持ち歩かないという悪い習慣がついていた。でも手元に鍵が無ければ部屋に入りようがない。俺はため息をつき、町に戻って、どこかで油を売っているツグミを捜すことに決める。
 携帯電話も開いて見てみるが、ツグミからのメールや着信は無かった。
「どっかで拗ねてんのか?」
 そう頭を抱えながら駐輪場に戻っていった。どうも今日は厄介なことばかり起きる。制服の胸ポケットに入れてある、自転車の小型の鍵をつまんだときだ。
「ダメですよう? 弟さんいじめちゃ」
 屋根つき駐輪場の暗がりの中から、女性の声が聞えてきたのだ。そこはさっきまで誰もいなかった。俺は驚愕して立ち止まる。
「誰だ」
「私ですよ」
 まるでスポットライトを浴びて登場してきた役者のように、その人は街灯の明かりによって浮かび上がる。俺はさらにびっくりしてしまった。
「水分さん!」
 醒徒会副会長・水分理緒さんが、何と俺の暮らしている地域にやってきていたのだ。
「お話があります、健介くん」
 お、お話――?
 水分さんと俺が、二人きりでお話――?
 もう俺の心はツグミどころじゃなくなった。俺のような何の変哲のない一人の男子中学生が、まさか水分さんと二人で話せるなんて夢にも思わない。
 平成のかぐや姫は、昼間に見せてくれたあの艶やかな笑みを俺に向けていた。いったい何を胸の内に秘めているかもわからない、モナ・リザのミステリアスな微笑み。
 俺みたいな中坊のクソガキは、その微笑からつまらない予想しかできなかったわけである。憧れの水分さんを前にしてすっかり心は上の空、お祭り気分になっていた。


 まさか、これからあんな展開になっていくなんて。


ツールボックス

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