【Es schmeckt gut! (3)】


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 空を見上げる。時折垣間見える月には靄がかかり、星々の光は分厚い雲に遮られている。もう少し晴れていれば東京の空にも星の光は宿るが、今日はどうにも空の機嫌が悪いようである。しかし、人々の頭上に自然光が降り注いだとして、一体どれだけの人間がそれを尊ぶだろうか。一体どれだけの人間がそこに夢を重ねるだろうか。星の光に三行半を突き付けるかの如く、地上には造り物の光が氾濫している。
 伏目がちに瞳を潤ませながら、白い息を吐いて俺は嘆く。
「嗚呼、人の世はかくも荒みけり」
 その言葉の余韻が中空へと溶け込み、暗闇の静寂が再び全てを塗り潰そうとして、

「集中なさい」

 と頬を張られた。
「痛ぇっ!緩んでたとこに喰らったから倍痛ぇ!それに寒いから更に倍だ!」
 ビンタの跡を冷気がチクチクと突きまわる。恐らくは赤いモミジがはっきりと残ってしまっているであろう。そう確信できるほどに遠慮の無い平手打ちであった。
「静かになさい。今、何時だと思っているのですか?」
「そ、そうだな……。って、いきなりビンタかます奴があるかよ!」
「任務に集中していないアナタが悪いのでしょう」
 そう冷やかに言われてしまえば、反省する他は無い。何しろ、俺と彼女の間には極めて強固な上下関係が成立してしまっているのだ。容易には覆せない優劣の立場の差がある。
「へえへえ、スイマセンデシタネ。上級監理官殿」
「その呼び方も改めろと言ったはずですが?」
「申し訳ございませんでした。以後キヲツケマース」
 これ以上反抗的な態度を見せるのは拙い。
 そう判断して、俺は任務へと集中することにした。街路樹の陰、ゴミ箱の裏側、路地裏の向こう側、老朽化したビルの窓、あるいは監視カメラの死角。目を凝らし、耳を澄ますべきポイントはいくらでもあるのだ。ありすぎる、と言っても過言ではない。
 金刃澄斗(かねと すみと)は本来課せられた任務に注意を振り分け、獣のような緊張感に身を包んだ。
 暗闇を猫背で歩く澄斗は、もし風紀委員に出会えば身分証明を求められるような容貌をしていた。長身の身体に長い両手足。安物の染髪料で染め上げられた髪は下品なまでに赤味がかっており、無闇に敵を呼び寄せそうな三白眼は決して良い印象を与えない。上下を明るい黄土色の作業服で固め、その左胸に縫い付けられている朝日影のワッペンは明らかにアンバランスだ。両足のスニーカーは運動性に定評のある割高な逸品。表情を見れば血色は悪くなさそうだが、陽気からは程遠い。オールバックにして後頭部で纏めた赤髪を解けば、更に鬱陶しさが増すであろう。
 ボクサー崩れのやくざ者みたいだ、とは友誼を結んだ牢仲間の評。
 無論、その評は実際の金刃澄斗について全く的外れである。
 澄斗は今までボクシングなど経験したことはないし、その筋の方々と関わったことはない。何しろ澄斗はまだ十六歳なのだ。経験済みのことよりも未経験のことの方が圧倒的に多い年頃である。しかし、他人が経験しないであろう珍しい経験を既に多少積んでいることは否定しえないであろう。例えそれが、犯罪の経験、異能行使の経験、収監の経験といったものであるとしても。
「金刃くん、ちょっと其処に立ってみて下さい」
 彼に先行していた金髪の少女の命令に、澄斗は大人しく従う。従わざるを得ない。
 それなりにボリュームのある胸の前で起動状態のモバイルPCを抱え、次から次へと澄斗に命令を飛ばす少女。百五十センチ弱のバランスの良い体型。肩にかかる長い金髪の先端にはウェーブがかけられ、後ろ暗い者たちを威圧するような鋭い瞳には隙の無い眼光が宿っている。上下を白のスーツで固めているのは彼女の趣味ではなく、夜間警邏において目立つことが出来るとの考えからである。シンプルなデザインの白いコンフォートシューズも実用性を追求したオーダーメイド。あらゆる所作に緊張が感じられ、悪く言えば余裕の無い彼女は、澄斗の一歳年上でしかない。
 少女の名は越智織姫(おち おりひめ)。十七歳という年齢にそぐわないその肩書きは、上級監理官。
「じゃあ最後に、ダッシュで横切ってみてください」
 その命令にも澄斗は不平を言うこともなく従った。
 一方、織姫は彼のいる方向を見ようともしない。抱えたモバイルPCのディスプレイに目を釘付けにし、満足気に頷くと、軽いタッチでキーボードを鳴らした。
「先輩、こいつも問題無しですかい?」
 訊きながら、澄斗は親指でそれを指す。
 その指が指すのは汚れた街灯の頂上部よりも更に上。普通に見上げただけでは、暗闇と直下の光源のせいでその正体が判別出来ないが、そこには確かに監視カメラがあった。澄斗がその存在に気付くことが出来たのは、織姫のせいで習慣づけられてしまった警邏前の防犯地図確認と彼女の指示のおかげである。
「ええ。問題無いみたいですね」
 織姫が安堵と不審の溜め息を一つ。
 再び二人は事前に決定されたルートに沿って歩き出した。
 深夜一時。双葉島南東部に存在する低級居住区を歩く彼らには、当然確たる目的がある。
 警察から彼らに任されているこの地区には、防犯の為に設置されている無数の監視カメラが存在する。それらは人権問題を刺激しない規模のものだが、ラルヴァによる事件とその被害に備えたそのシステムは十分に意義を有していた。その防犯システムの動作確認を定期的に行うのが今の彼らの任務である。
「しっかし越智先輩、実際、監視カメラ群に不備なんて無いんじゃないんですか?つうか、先月の頭に総点検したらしいじゃないスか」
「無いならそれに越したことはありませんよ。でも、散発的に起きるラルヴァ事件に我々が対応し切れていないのは事実。特に夜間の被害は顕著です。節々で我が身を振り返ることには価値がありますよ」
「でも、俺たちじゃなくて専門家がやれば……」
「ラルヴァの脅威が高まる夜中、技術者たちに仕事をさせるのは出来る限り避けたいところです。大勢の護衛をつけて夜道を徘徊するのも問題があります。双葉学園の風紀委員会に頼めば相応の異能者を貸し出してくれるでしょうが、公的な治安維持機関が学生に夜間警邏の護衛を頼むのではその存在意義を問われます」
「俺も先輩も学生だと思うんですがね」
「いいえ。私は学生であり上級監理官。アナタは学生ではなく刑徒。少なくとも、刑期を終えるまでは。そのことを忘れて欲しくはありませんね」
 上級監理官と刑徒。
 織姫の口から出たその言葉は、この二人の関係を表すのに全く正しい表現であった。
 こんな風に夜な夜な街を出歩くのも、澄斗にとっては刑務所の中で強いられる労務とほとんど変わらないものであるし、織姫にとっては、例外的とはいえ双葉区を担当する警察機関に、ひいては国家公安委員会に承認された治安維持活動である。
 そんな根拠で、こんな二人が連れ立って警邏活動に臨んでいる理由を説明するには、六年前から国内の一部で試験的実施が始まった『二○一三特別更生プログラム』について知らなければならない。
 一九九九年、前世紀末から確認され始めた異能者とラルヴァの急増は、世界中の政治中枢と一部の人間に大きな衝撃を与えた。日本国内において、その存在は可能な限り隠匿すべしという方針が固められたが、現実にラルヴァと異能者が引き起こす問題は決して知らんぷりをしていれば済むというものではなかった。各省庁、公共機関には特別委員会が設けられ、迅速な対処が求められた。皮肉なことに、当時不安定だった政治状況はこの問題に対処する為に、急速に安定へと向かった。
 とりわけ焦眉の問題として取り上げられたものは、『異能者犯罪』並びに『ラルヴァ犯罪』であった。この二つは今なお国家の根底を揺るがせにする大きな問題である。
 全国的に増加の一途を辿る異能者、ラルヴァ事件の現場対応については自衛隊、警察機関の権限拡大、そして双葉学園の設立によって一定の方向性が見出された。
 一方、遅々として進まなかったのが、異能者、ラルヴァ事件の関係者に適用する法体制の整備であった。根本的なところではラルヴァの持つ権利についての議論、異能者の能力行使は生存に必要なものであるという主張(所謂、異能者に異能の使用禁止を強制するのは一般人の五感の一つを封じるのと同じではないか)、異能を制限することは人権の侵害に当たるという主張、異能者に対する教育環境の責任はどれほどかという議論、収監する場所についての議論、その他重要なものは枚挙に暇が無い。
 そして、異能者に関わる全ての問題を微妙なものにしていたのは『異能者の多くが未成年の少年少女である』という事実であった。
 そこで当然考慮されるのは、異能犯罪者たちの社会復帰の可能性。
 人格的に未熟なまま罪を犯した青少年たちの未来を壊すことなく、貴重な才能を社会的に有用するような案がいくつか出され、その中の一つが、『二〇一三特別更生プログラム』である。
 その目的は、十分な実力を持った上級監理官の下、受刑者を社会奉仕活動に従事させ、自己の価値の再発見と社会の一員としての自覚を持たせること、とされる。
 ちなみに上級監理官は、対異能者、対ラルヴァ戦闘能力が一定基準を満たしており、多岐に渡る学識を問われる試験に合格した人間のみが任ぜられる。受験生がどれほどいるのかは公開されていないが、合格者は年間で十数名のみとの噂。
 その狭き門を十七歳でくぐった越智織姫が、優秀と分類される人間であるのは間違いない。何せ彼女は、女子高生でありながら、法務省に連なる国家公務員であるのだから。
 そんな彼女のキャリアは、今月の頭に金刃澄斗を最初の監理対象として任せられ、便宜上、双葉学園に編入されることによって新たなスタートを踏み出したのだ。
「さあ、次へ行きますよ」
「りょーかい」
 つまり、彼らの夜間警邏は地域警察と連携した治安維持活動であり、金刃澄斗の贖罪としての社会奉仕活動でもある、ということになる。ちなみに今現在、双葉島内で彼らと同じ境遇にあるものは九組とされていた。
「つうか、寒いッスね」
「ええ、今夜は雲も無いですしね。アナタも体調を崩さないように気をつけなさい」
 風邪でもこじらせられたら、私の職務にも響きますからね。
 という言外の意味を含めた織姫の労りに、澄斗は無感動に頷いた。
 しかし、今夜は本当に冷える。斜め後ろを歩く織姫が抱えるモバイルPCの熱を羨みながら、澄斗は自らのポケットに突っ込まれたカイロを握り締める。
 畜生。支給されたこの服が意外と良いもんだとはいえ、寒いもんは寒いな。
 そんな風に心の中で愚痴を零しつつ、次の居住ブロックへと足を踏み入れた時、品の悪い澄斗の双眸にそれが映りこんだ。
 前方約五十メートルに人型の陰影。挙動は胡乱で、何やら困惑しているようにも見える。
「越智先輩、アレ」
「はい?」
 後に続く織姫にそれを伝えながら、澄斗は詳細な確認の為、それへと接近する。
 一糸纏わぬ黒い全身に肉食獣のそれを想起させる鋭い牙。
 何より、全体的なバランスを著しく損なっている右腕と一体化した大きな刃。
「ラルヴァ発見。カテゴリーデミヒューマン。危険部位露出状態と判断。上級監理官越智織姫の権限において、金刃澄斗の異能使用を許可。パターンBで接近、拘束を試みます」
 警察機関への連絡を終えた時、織姫は既にラルヴァから二十メートルのところまで接近していた。女性らしさを損わない限界まで鍛え上げられた彼女の身体は、余分な動作が全て削ぎ落とされたかのような疾走を行う。身体強化系の異能など無くとも、上級監理官資格保有者の運動能力は瞠目すべきものである。
 当然、澄斗も駆け出している。身体能力の違いから、すぐに織姫に追い抜かれるが、それで構わない。パターンBで接近。彼女はそう言った。それの意味するところは、澄斗の援護を受けつつ織姫が対象の拘束を試みる、というものだ。
 澄斗は作業服のジッパーを胸元まで降ろすと、懐を探る。
 淀みない動作で引き抜かれた彼の右手には、一挺のモーゼル。
 緊急事態に備えてポケットの中でカイロを握っていたため、寒さによる影響はほとんど無い。モーゼルのブルームハンドルは吸いつくように右手に収まり、澄斗は疾走する織姫に射線が重ならないように人型ラルヴァへと銃口を向ける。
 しかし、そこにはある一つの問題があった。
 その銃には弾丸が装填されていない、という問題。
 彼の握るモーゼルは完璧に整備され、実用に何ら不足のないものであったが、だからと言って撃ち出す弾丸がなければそれは単なる骨董品に過ぎない。ラルヴァに対するものとしては、ハッタリにもならない。知能レベルの低いラルヴァであれば、銃についての知識や理解を持ち合わせていないであろうし、高度な精神活動を行えるラルヴァならば、人間よりも優れた感覚器官とそれに相応しい洞察を用いてハッタリを看破する可能性があるからであった。
 本来ならば.45ACP弾を吐き出すはずの中国産モーゼルを構え、澄斗は引き金を引いた。
 モーゼルが生み出すはずの銃声とは異なった破裂音が二つ。しかし当然、その銃口から鉛の塊が飛び出すことは無い。あまりにも空しいその行為。小児が水の切れた水鉄砲を向けながら、自分の妄想に浸るかのごとき無意味な行動。
 しかし、先行する織姫が人型ラルヴァまで五メートルというところまで肉薄した時、彼女の接近に気付いて右腕を振り上げていたラルヴァの両肩が衝撃と共に吹き飛んだ。
「GHIihihhhhh!」
 血飛沫が上がると同時にその身に突き刺さった衝撃はラルヴァを数歩よろめかせ、その精神には肉体に受けたもの以上の衝撃を与えた。
 並の人間よりも優れた五感を持つ彼は、突如突進してきた金髪の少女とその後方で銃を構える赤毛の少年の存在に当然気付いていた。しかし気付いていただけで、それが何なのか、何故自分に敵意が向けられているのかはわからなかった。そのために、ラルヴァに備わる動物的な防衛本能の発露として右腕を利用した迎撃行動に移ったのだが、それは不可視の衝撃によって阻止された。
 よろめいたままの姿勢と混乱した精神を回復する前に、ラルヴァは次なる攻撃を受ける。
 ロープ。そうとしか表現出来ない。
 ありふれた工事現場で使われるような、黄色と黒の紐を縒り合わせて一体となったコーンロープ。その先端には鋭い鏃が結ばれ、不健康な街灯の光を反射している。
 そのロープが風切り音を唸らせながら、態勢を崩したままのラルヴァの首に巻き付かんと迫り来る。無理に態勢を立て直そうとすれば、避け難く発生するであろう一瞬の隙。その瞬間にロープが身体に巻きつくか、先端の鏃が突き刺さるかする可能性はかなり高い。唯一にして最大の武器である右手の刃を振うだけの余裕も無い。
 ならば。銃撃による衝撃を利用して自ら後方へと吹き飛び、逃走行為への投資とした方が利益は大きい。
 一瞬の内にそう結論付けたのは、筋道だった思考ではなく、剥き出しの本能。
 人間の性能を遥かに超えた両脚を活用し、一瞬にして八メートル強の距離を稼ぎだす。その結果として態勢は更に崩れ、倒れ込んだ身体を後転によって立ち上がらせた。
 そして、ラルヴァは戦慄する。
 その視界に躍るのは、銀色の牙を煌めかせる大蛇。絡みあう黄色と黒の螺旋が白銀の尖刃を伴い、有機的な躍動を以て己に喰らいつかんとする光景。
 その戦慄が、回避行動を一手遅らせる。
 予想以上の射程と精確さを具えていたらしいそのロープは、更に跳躍せんとするラルヴァの右脚に絡み付き、重力を上回る力でその身体を地上へと拘束した。
「もう逃げられませんよ」
 その声の主は疾走して来た金髪の少女。既に三メートルの距離まで来ている。
「GHiIh!」
 余りにも不用意なその接近はラルヴァにとっての好機となった。
 拘束された右脚など意に介さず、右手の刃を振う。切り離された両足と白いパンツスーツが少女の血液によって彩られることを彼は確信し、直後に裏切られる。
 視界が急転回。一瞬の無重力状態を味わう。
 刹那遅れて、巧みなロープ術によって空中に放り上げられたと知ったラルヴァは、右肘、刃腕部の付け根辺りに三発の銃撃が浴びせられるのを感じながら、再びアスファルトの地面へと叩きつけられた。

「大丈夫ですか、先輩」
「ええ。随分と無駄な足掻きをしてくれました」
 ようやく追い付いた澄斗の呼びかけに、地面でのびているラルヴァから目を離さぬままに応える織姫。いつもの鉄面皮に変化は無いが、内心では大きな安堵を感じていた。
 私たちの初陣。上手く行って良かった。
 パターンB。織姫が選んだ、お互いの得意分野を活かすに最も適した戦闘行動パターン。その成果は最も理想的な形で現れた。後方からの精密射撃による援護を受けながら、近距離において敵の隙を衝いて拘束する。
 金刃澄斗の【不可視の弾殻(インヴィジヴル・シェル)】。
 越智織姫の【斑の拘束(マーヴル・ジェイル)】。
 この二つの異能を活かせる上に二人の戦闘における特性に合致した、オーソドックスでありながら極めて効果的な戦闘行動。
「うーん。カテゴリーデミヒューマン。強さは下級、知能はB、危険度は三か四といったところッスかね?」
「詳細の評価は専門の者たちに任せましょう。とりあえずは上手くいって良かった」
 油断無く地面のラルヴァへと銃口を据える澄斗は、この社会奉仕活動に就いてから初めて狩った獲物の強さを一刻も早く知りたがったが、応える織姫は素気無い。
 彼女の頭の中には、上級監理官の必須知識として多種多様なラルヴァのスペックデータが詰め込まれていたから、そこから比較検討すれば足下に転がるラルヴァについて一応の評価を下すことはできる。だが、それは彼女にとっての意味を成さない。どれだけのスペックを持つラルヴァ相手だろうが、重要なのは拘束出来たか出来なかったかという結果であり、一般的な対ラルヴァ戦における立ち回りの要諦は速攻であるからだ。
 相手に全力を発揮させる前に全て済ませる。
 人間以上の身体能力や特殊能力を持つ多くのラルヴァに対して、単体戦闘能力で劣る人間が採る当然の選択肢といえる。というより、ラルヴァ云々を無しにしても、闘争において相手に全力を出させるような手順は基本的に下策とされる。
 それに、ラルヴァの強さは単純な数値だけで表わされるものではない。意識的に間髪入れず戦闘状態へと突入できるラルヴァもいれば、スロースターターなラルヴァもいる。加えて、彼らは人間以上に周囲の環境に左右される生き物だという説もある。
「ああ~、どうせなら中級以上のラルヴァをふん捕まえたかったんだけどなぁ……」
「ラルヴァの等級にこだわる必要はありませんよ」
 穏やかな口調で澄斗を窘める。
 雄としての性質というべきか、一種のロマンチシズムから来ているのであろう澄斗の気分は、表には出さないだけで織姫にも良く理解できる。竹内流から分派した、とある武門の家に生まれ、天与の資を用いて捕手術や小具足術を一通り修めた織姫は武を生業の一部とする者に共通の欲求、つまり強者を倒さんとする願望にも不足は無かったからである。
「二、三分もすれば警察の応援が……」
 織姫が言いさして緊張を強める。次いで澄斗も身を固くした。
 ムクリ、とのびていたラルヴァの頭が持ち上がったのだ。
 抵抗、又は反撃行動に移った時の対処は両者共に承知している。今月頭、この社会奉仕活動を始めるにあたって、織姫は警邏中に発生しうる様々な状況に対応した行動について、時間的な制約から完全とは言えないまでも極めて熱心な教育を澄斗に施していたからだ。
「Ahhhhhhhhhhhhhh!」
 唐突に、ラルヴァは夜の静寂を根底から破壊するような大声を上げる。
 その叫びは狂気の色彩を帯び、聞く者たちに、理性と感情の双方を投げ捨てた後で地獄の業火によって焼かれている怪物の姿を想起させる。怒りの激しさもなく、断末魔の虚しさもない。ただ、懇々と湧き出る狂気を吐き出しているだけ。
「っづ……!五月蠅ぇッ!」
「気をしっかり持ちなさい!流されないで!」
 ラルヴァの叫びに顔を顰め、蒼褪めている澄斗を織姫は叱咤する。
 このラルヴァの吐き出す大音声は人の心を危険なまでに乱すように思われた。
「許可します!喉元へ三発!」
 亡者の叫びに負けないように、織姫は大声を張り上げる。
 捕えた対象の意識に干渉を行う織姫の異能【斑の拘束】。囚われたラルヴァに積極的な行動は不可能であるはずだったが、この叫び声は拘束の対象外と判定されているらしい。  
 周辺への影響を考えると、この不吉な叫びは手荒な手段を採ってでも止める必要があると織姫は判断した。
「了っッ解ィ!」
 命じられた澄斗も渾身の叫びでもって応える。
 人間であればとうに顎部の可動域を超えているであろう、異常な顔相から大音声を発し続けるラルヴァの喉元に狙いをつけ、引鉄に力を込めるその瞬間。
「離れなさい!」
 聞き慣れたその声に従い、噴き上がった血飛沫の壁を前にして澄斗は後方へと跳んだ。
「なッ……!」
 彼の視界に一瞬遅れて映ったのは、寸前まで彼と織姫がいた空間を横薙ぎに切り裂くラルヴァの刃腕。空間だけでなく、そこに噴き上がった血飛沫の華をも切り裂いている。
 誰の血だ?
 前を見据えたまま自分の状態を確認してみる。俺じゃあない。ならば先輩か?
 そう思って自分と同じように後ろへと跳んだ彼女を見やる。恐らく彼と同じ思考の結末に辿り着いた彼女と視線を交わすこととなった。白いスーツには点々と血の斑点が付いてはいるが、表情から察するに、その全身には傷一つないようだ。
 ならば、噴き上がった血飛沫の源泉となったのは……。
 見れば、ラルヴァはもはやデミヒューマンとしての活動姿勢を捨てていた。
 バランスの悪い両腕を獣の前肢としてアスファルトの地面へと噛ませ、左脚は関節を畳むようにして全体として低くなった姿勢に対応させようとしている。そして残る右脚は織姫の【斑の拘束】に捕われていたはずであったが、もはや膝から先が失われていた。
 発見時にデミヒューマンタイプと目されたラルヴァは、今や三つ肢で四肢動物の姿勢をとろうと苦吟する、表現し難い状態となっていた。
「こいつッ……、自分で脚をぶった切って……」
「私の異能から逃れたというのですか!」
 衝撃に打たれる二人をよそに、右脚を失ったラルヴァの行動は速かった。三本の肢を器用に使い、人間以上の身体能力を駆使して最も近くにあった狭い路地へと駆け込む。
 遅れて澄斗は引鉄を引くが、集団住宅の角に弾かれただけ。
「追いますよ!」
 自分の異能が破られたショックから脱した織姫が叫ぶ。
 澄斗は行動をもって返答に代える。
 あの路地は幅一メートル強ほどしかない。人一人通るのがやっとの広さだ。すると後方からの援護は出来ないだろう。精密射撃が可能とはいえ、とりうる射線の限界は環境に依存される部分が大きい。ならば、回り込むか?いや、それも出来ない。
 この双葉島に来てまだ半月と少しとはいえ、夜な夜な歩き回っているおかげで本来の担当範囲ならば澄斗は自分の庭の如く動き回ることが出来る。しかし、今夜に限っては勝手が違う。数日間かけて行う予定となっている年末の監視カメラの動作点検は、自分たちの担当範囲よりも遥かに広い範囲で行わなければならなかった。
 上級監理官である越智織姫にはそれなりに大きな権限が与えられているとは言え、本来、織姫と澄斗のような『SB(Strange brothers:二〇一三特別更生プログラムに組み込まれた上級監理官と服役囚のコンビを指す符丁)』は通常シフトにおいては警察官の目の届かないブロックを警邏し、事件発生時には名目上警察の指揮下に入るという警察の補助的な役割を担っている。言い方を変えれば、警察の穴埋め的な任務を主としているということである。監視カメラの件については、そちらへ警邏要員を割くわけにはいかない警察が、オールマイティな補助要員であるSBに依頼したということになる。
 つまり、今夜からの点検作業は二人の通常のシフトから外れたものであり、如何に澄斗が地図情報の詰め込みを事前に行っていようと、本来はしがないチンピラに相応しい性能を具える彼の頭脳は点検予定の監視カメラの位置を覚えるだけで精一杯だったのだ。
 ならば結局は織姫についていくしかない。彼女の後退余地を残しておきながら、見失わないように距離を保つ。路地の向こう側に第三者がいることも考慮しなければならない。
 ここは我慢だ。澄斗は戒めるように自分に言い聞かせる。
 一方、織姫は澄斗に先行してラルヴァの逃げ込んだ裏路地に飛び込み、その視界に捉えたのは、地面ではなく左右の壁に三本の肢を突っ張りながら逃走するラルヴァともう一つ。

 音も無く、おぞましき異形に落ちる黒い稲妻。

 怪物の頭部は手品のように消え失せ、血風が舞う。
 ラルヴァは自分に降り注いだ漆黒の稲妻に、終ぞ気付かなかったに違いない。ラルヴァの表情など正確に読み取れるはずもないが、胴体から離れて地面を転がり、虚空を見つめるその醜い顔には驚愕も死相らしきものも無い。
 少なくとも織姫にはそう見えた。
 無意識の内に、足が止まっていた。何しろ捕えるべき対象は自分の目の前で絶命を強いられたのだ。一瞬にして、恐らく苦痛も無く。
 地に落ちた黒い稲妻が起き上がる。その正体は人間か。身長は織姫よりも高い。百八十センチ弱といったところだろうか。しかし、全身をフード付きの黒いマントで覆っている上に、フードをあまりにも目深に被っているせいで表情すら読めない。
 路地裏には街灯の光が届かず、僅かな光源は雲間から覗く不健康な月光のみ。その中で、その人間の気配はあまりにも薄く、不吉に感じられる。暗闇に浮かぶ陰影のようであったラルヴァとは対照的に、こちらは浮かび上がってすら来ない。背景に深く沈み、人の無意識領域に溶け込むような不気味さ。それでいて、感覚の優れたラルヴァを何の反応もさせぬままに殺すことの出来る力。そして、錯覚だろうか。黒マントの隙間から一瞬だけ、ラルヴァのように不気味な腕が覗いたような気がした。
 とはいえ、越智織姫は怯懦を友とすることはない。
 武芸と経験で培った勇気と実力に裏打ちされた自負は堂々たる姿勢を彼女に要求する。それに、目の前で獲物を奪われているのだ。腹の内では面白いはずがない。
「御協力ありがとうございました。怪我はありませんか?」
 飛び入りの民間協力者として対応をすることにした。というより、それ以外の扱い方を思いつかなかったのだ。
「ああ、大丈夫だ」
 張りのある、若い男の声である。
 不審を抱いていた織姫は黒衣の中にいるのが本当に人間で、人語を解してくれたことに織姫は一先ず安心した。が、それも束の間。彼は再びしゃがみこみ、支えるべき頭部を失ったラルヴァの頸部、出血部に向かって何やらスプレーを吹き付け始めたのだ。
「お、おい!あんた!」
 いつの間にやら追い付いていた澄斗が困惑の声をあげる。
 黒マントの男の行為がラルヴァの死体を傷つけることを目的としているのならば、その罪を問うのは難しい。研究材料としての価値は低下するが、一般人に対してそれを咎めるような法は存在しない。それに、死体損壊罪もラルヴァには適用されない。どのような状態であろうと、活動を停止したラルヴァの検体は警察あるいは双葉学園の風紀委員会に引き渡され、然るべき研究機関等に送られるといった手順が一般的である。だが、そこには一般的な手順があるというだけだ。
 しかし、黒マントの行動が他の、例えば営利活動に備えた行動であるならば、それは間違いなく違法となる。そもそもラルヴァという存在が極めて高い機密性を伴わなければならないものであるし、ラルヴァ研究は全世界の政府にとって重要な問題であるから、その権益が海外やテロ組織に流出するような事態は絶対に避けなければならない。とりあえず、ラルヴァの組織片ですら許認可無しに双葉島外に持ち出すことは禁止されている。
 それら諸々のことを、織姫は奇妙な協力者に告げようとして、
「おや、応援の方たちが来たようですね」
 そんな男の言葉に導かれ、男の視線の先、自分たちの背後へと視線を向けた。
 瞬間。逆方向からの閃光。
「しまった!」
「ぐぉっ!」
 気付いた時にはもう遅い。
 間抜けにも古典的な誘導に引っ掛かった織姫と澄斗は、強力な閃光弾の光に遮られて、黒マントの男の方へ振り向けない状況に陥った。焦慮の心が一秒を万秒にも引き延ばす。
 閃光が消え、果たして黒マントの姿はそこにはない。
 残るのは、虚空を見つめるラルヴァの頭部。
 誕生してまだ半月と少しの若いSBによる、第一回目となる対ラルヴァ行動の結果は獲物を釣り上げておいて、見知らぬ他人にまんまと掻っ攫われるというあまりにも屈辱的で、不名誉なものとなった。
 織姫は奥歯を噛み締めながら、必死で鉄面皮を装って澄斗に命じた。
「とりあえず警察の方々をここへ誘導してください。説明の一切は私がします」
「りょ、了解……」
「何ですか、その返事は?」
「いや、何でも……」
「ならば、無駄無く動きなさい」
「了解」
 装いきれてないッスよ。
 そう言わないだけの賢さは、澄斗にもあった。
 澄斗は、ラルヴァの生首を見つめて怒りに煮え滾る金髪の少女を残し、少々乱れた赤髪を撫でつけながら裏路地を出て、通りへと復帰した。
 こちらへ駆けてくる警察官が見え、澄斗は手を振って応える。
「ふぅ……」
 何にせよ、俺と越智先輩の初陣は無様な結果で終わったわけだ。
 澄斗としては一本取られたという感が強く、笑って済ませたい気分である。
 だが、彼女の方はどうであろうか。どれだけ優秀であっても一歳年上なだけの女の子であることには変わりが無い。加えてエリートとされる人間は、路傍の小石で躓いて予想以上の傷を受けることが多いと聞く。現実を従容として受け入れ、次へのエネルギーへと転化させることの出来る人間。彼女にはそうあって欲しいと心から願った。
 何せ彼女は、金刃澄斗が心からの尊敬を向ける数少ない人間の一人なのだから。



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