【Es schmeckt gut! (7)】


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 午前零時。
 隠善祈は寝つけずにいた。
 常ならば容赦なく襲いかかって来るはずの睡魔はその影すら見せず、時間が経てば経つほど目が冴える。風が空気を切り裂く音。自分の心臓が鼓動を刻む音。天井のシミ。その他自分を取り巻く全てを敏感に感じ取れる感覚。これも『対会和』の効果だろうか。今まで生きてきた内で最も鋭敏になっている。
 一方で、それが薬のせいだけではないことは祈も自覚している。
 古城に就寝の挨拶をして布団に入ってからこの方、鋭敏になった意識を最も向けているのは彼の寝ている部屋へと通じる襖であり、そしてその向こう側であった。
 我慢できず、祈は【内奥探視(インサイド・シーカー)】を発動させる。
作用対象は勿論隣の部屋。視神経を通じて意識に投影されていた光景が急速に溶け、瞬く間に再構成される。しかし再構成された視界には、祈と古城を隔てていた襖は存在しない。襖はまるで元から其処に存在しなかったかの如く消え失せ、代わりに文机に向かって帳面を書きつけている古城の姿と隣の部屋の光景が映っている。
 これが隠善祈の異能、【内奥探視】の力である。
 あらゆる障害を突破して『中身』を覗く能力。障子の向こう側を覗き、箪笥の中にある文箱を覗き、文箱の中にある帳面を覗く。距離制限があるが、ピント次第で様々な『中身』を覗くことが出来る。高度な応用をすれば、人間の本質を色で映し出すことも出来る。
 祈がこれまで恋愛ひいては人間関係に慎重だったのは、この異能が原因の大部分を占めていた。出会った人間を理解しようと力を行使すれば、その人間の内奥を表す色が覗ける。テレパスのように思考や感情を読み取ったり、サイコメトリーのように過去を見たりすることは出来ないが、曖昧な精神の『中身』、つまり本質が斑の絵図となって見える。
 しかし、極稀に【内奥探視】が通じない人間がいたりもする。そういった人物は心の隙を決して見せまいと常日頃心がけている人間か、自分の殻に引きこもっている病人だったりする。【内奥探視】が古城に通じない理由は間違いなく前者であった。
 祈は古城を見つめる。当然、向こうからはこちらが見えない。
 一種の恐怖と一種の期待。不埒な妄想と連れ添って心の水面に浮きあがって来るその感情を抑える方法など知らない。正直、そんな自分に幻滅したくもなった。
 出会って半日の男の家に泊る。出会って半日の少女を家に泊める。
 つまり『その目』が無いわけじゃない。
 結局はそこなのだ。
 そして重要なのは、自分がそれを望んでいるのかということ。
 しかし、その答えは既に出ている。
 彼が気付くことを願って視線を送り、視線だけでなく気持ちまでをも理解してくれるように求めていた。ただ、言葉に出していないだけ。
 積極的であることと淫蕩であること。貞淑であることと臆病であること。その境界がわからない。その程度がわからない。その定義がわからない。自分がどうあればいいのか。その時に至って、どうすれば古城の望むような女の子でいられるのか。それがわからない。
 それこそが最も知りたい情報だというのに。
 それこそが万金を引き換えにしてでも得られない情報だというのだろうか。
 こんなことならば、恋愛小説の一つや二つでも読んでおけば良かった。
 そう後悔しても、もう遅い。
 他人の『中身』を色として捉えていた私はどうしても恋愛というものに馴染めなかった。本質を押し殺した行動をする同級生たちを見て、白々しいとすら思っていたのだ。
 でも、自分がその立場に立って初めて理解した。人間の本質を色で判断したところで、何の意味も無いことを。本質に逆らって他人を慕うことがどれだけ辛く、尊いことかを。
 本質など、感情と思考が手を取り合えば無視できる。理性と常識が力を合わせれば抑え込める。そして何より、相手との関係性が重要なのだ。
 今ならわかる。恋の病を患った人間の本質が陽気であろうが陰惨であろうが関係ない。相手に嫌われたくない、好いて欲しいという気持ちがあるだけ。
 そして最も恐ろしいのは、こんな風に舞い上がっている自分の気持ちが全て無為なものであった時。古城に些かの興味すら持たれていなかった場合。
 それが最も恐ろしい。
 布団の中で横になりながら古城を見つめ、祈は掛け布団の裾を握り締めた。
 彼女が込み上げてくる涙を必死で堪えていると、帳面を閉じた古城が立ち上がる。
 それを見て、祈は息が止まりそうなほどに緊張した。
 古城が襖の方に向かってくるか、それとも祈のことなどまるで忘れて寝支度を始めるのか。これで古城の祈への気持ちがわかる。少しでも気になっている女の子を隣の部屋に寝かせて意識しない男などいない。
 祈は自分を見て欲しかった。たとえ襖を開けずとも、その向こう側に居る自分のことを見つめ返して欲しかった。たとえ自分が古城を思っている程に彼が自分を思ってくれていなくても、何らかの感情を抱いて欲しかった。
 しかし、古城は思わぬ行動に出た。部屋の隅に設えられている裏戸を音を立てぬように開けると、そのまま外に出ていってしまったのである。
「え……?」
 祈は慌てた。家の外には【内奥探視】が使えない。自分が家の中にいるのに、その外側を『中身』と認識できないからである。どうにも我慢出来ない祈は【内奥探視】の発動をやめ、襖を開けて隣の部屋へ行き、裏戸へと近づいた。
 その隙間から覗けば、家の裏側と思われる風景と其処を歩く古城の姿が見えた。といっても、街灯すらない外の光景はほとんど真っ暗で判別がつかない。開けた空間でも使える赤外線スコープのような異能も持ってたら良いのにと思ったが、無いものねだりである。
 古城は沿岸に向かって少し歩き、何か黒いものの前で足を止めた。何やらそれに跨るような動きを見せると、地面の下へとその姿を沈めていく。
「そ、そんな……」
 古城が自分の視界から消えてしまったことが祈にはショックだった。
 無意識の内に身体が裏戸から外へと出る。強風が音を立てながら木造建築物を軋ませ、足下に生える雑草までもが悲鳴を上げていた。暗闇がまさしく全てを覆い尽くしていて、一メートル先すらわからない状態である。
 裸足のまま、祈は砂利と雑草で敷き詰められた地面を歩く。細かい砂利の刺激と冬の夜の冷気に切り刻まれそうな痛みを感じたが、柔な両足は止まらない。古城が沈んでしまった場所へと辿り着くために、両の足を交互に動かす。
 裏戸の隙間からは黒い物体に見えたそれは、古い井戸であった。石で出来た井筒は直径三メートル弱くらいであろうか。かなり大きい。釣瓶も滑車もポンプもない。これほど風が強いのに蓋も閉められていない。ただ年月を感じさせる古井戸。
 中を覗くと、そこには凝った漆黒だけがある。祈は空恐ろしくなった。
「ふ、ふるき……さん……」
 中に向かって呼びかけてみても返事は無い。それどころか、弱弱しい祈の声は底に辿り着く前に闇と強風の音とに掻き消されてしまっているのかもしれない。
 ふと、井筒に梯子が掛けられていることに気が付いた。底まで続いているらしいその縄梯子は、パイプ状の足掛けと重量感のある鎖で構成されていた。古城が跨ったかのように見えたのはこの梯子のせいだと、祈は気付いた。
 更に強まっていく風が痛みと恐怖に拍車をかけたが、祈はそれを振り払う。
 井筒を跨ぎ、梯子に手足を掛ける。地面が与えてくれていた安定感が失われ、全身にかかる重力が強まったように錯覚する。降りるにつれて風の音が遠くなり、鎖の生み出す金属的な音が井戸の中で反響する。途中、枯井戸かどうかも確かめずに降り始めてしまったことに気付いたが、今更どうしようもなかった。
 遠近感に自信が無い為に地上からの距離はわからないが、結局水に浸かることなく底に辿り着いた。梯子から降りると、土踏まずに冷やりとした感覚が伝わり、そこで違和感を覚えた。両足に伝わってきた感覚は、土の冷たさではなく、金属の冷たさだったのだ。
 暗闇の中、這いつくばって探してみれば、金属の把手がある。
 祈は臆病さ故に、開ける前に【内奥探視】を発動させた。ピントは手前三メートルに設定する。この下に何も無いのなら【内奥探視】は機能しないはずだ。
 果たしてすぐに視界が崩れ、再構成された。
 そこは、金属で出来た小部屋のようだった。視界はほとんど零に近い。『中身』を覗く、という【内奥探視】の特性が無ければ内部の判別は厳しかっただろう。
 恐らくこの井戸の底に直結している短い階段があり、部屋には更に別の部屋へと続いているらしい扉がある。しかし、古城の姿は無い。かといって危険な要素も無いらしい。
 恐怖を押し殺し、祈は金属の把手を持ち上げ、続く階段を降りた。
「地下にこんな場所が……」
 呟き、見渡す。視界はほとんど零だが、無風状態のその部屋は大した広さを持っていないらしかった。【内奥探視】では部屋の広さを測ることは出来ないが、声の反響具合からそれが知れた。
 祈は階段以外で唯一この部屋に存在する扉の前に立った。
 金属製の把手に手をかけ、臓腑から恐怖がせり上がって来るのを感じる。
 扉全体から放たれる不吉な威圧感が、祈の好奇心と古城を想う心に冷水をかけた。
 彼女の中にも厳として存在する生物としての本能が全神経にストップをかけ、予測されうる危機から逃れようとしていた。それは第六感とでも言うべき予感。【内奥探視】を行使する気も起きない。何故ならこの先には、この先の空間の『中身』は間違い無くおぞましいものだと、彼女の中の何かが警告している。
 覗くな、覗くな、覗くな、覗くな、覗くな、覗くな。
 しかし、少女の恋慕と好奇心はそれを上回る。
 意を決し、把手に手をかけ、体重をかけて扉を押そうとしたところで、
「誰だね、君は?」
 あまりにも唐突なその声に、祈は反応すらできなかった。
 強い光が闇に慣れていた視界を灼き尽くし、意識までをも白く染め上げる。無意識の内に扉から離れて尻餅をついた。慌てて手を突いたのが災いしたのか、左手首に痛みが走った。堪らずに呻き声を上げる。
「うぁっ……」
 しかし、痛みなどに構っていられる暇は無かった。
「何だ?双葉学園の制服か?どうしてこんなところに居る!」
 視界は灼かれたままでも、粗野でいがらっぽい声が近づいてくるのがわかる。
 怒気と苛立たしさを含んだその口調は、あまりにも現実的な恐怖となって祈に迫り来る。
 そしてそれは、徐に左腕を握られた瞬間に臨界へと達した。
「いやああああああああああああ!」
 祈の叫び声に反応して正体不明の腕の力が更に強まり、身体ごと引っ張り上げられそうになったその時、
「何をしているんです!」
 祈が最も聴きたいと願っていた声が聞こえた。
「ああ、古城クンか。いや、この小娘がな……」
 不快な声が応える。
「後藤先生、彼女を離して下さい」
「うん?こいつは君の――」
「――離して下さい」
 他者を威圧するような口調だった。
 祈を引っ張っていた力が失せ、彼女は再び尻餅をつく。
「彼女は私のお客様です。手荒な真似は控えて頂きたい」
 慇懃ながらも強制力を含んだその言葉に、不快な声の持ち主がたじろぐのがわかった。
「皆さん待ち侘びておられます。後藤先生も部屋へとどうぞ」
「あ、ああ……。そうさせてもらおう。君も、す、すまなかったな」
 そこに混じる怯えを隠さぬまま、不快な声は遠ざかって行く。祈が開けようとしていた扉が開く音がして、逃げるような足音が吸い込まれるようにして消えていった。
 一瞬の静寂が戻る。
 そして、ようやく祈の二つの眼球はその機能を回復させた。天井としての機能も果たしている光源パネルによって金属製の部屋は光で照らしだされている。祈の視界の中心には、彼女が追っていた男の姿があった。
「申し訳ありませんでした、隠善さん」
 古城は伏目がちに、祈の前に跪く。
「私がもっと――」
 古城が言葉の続きを紡ぐ前に、祈は彼の首筋にむしゃぶりついた。
 両腕を首筋へと回し、身体の震えを止めてくれることを願いながら身体を押しつける。涙に濡れたその顔を古城の頬へと寄せ、その匂いを嗅いだ。自分の背中に彼の両腕が回されるのを感じ、歓びと安堵が迸る。恐怖と不安が押し流され、震えは失われ、全身に熱さがこみ上げた。
「う……うぅっ……」
 しゃくりあげるように泣く祈の身体を古城は強く抱き締める。祈は古城をまた困らせていると思ったが、こうしていられるのなら、ずっと涙を流したままでも良いと思った。
「ふ、るき、さん……」
「はい」
「ずっと……、そばにいてください……!」
 震える自分の声がその言葉を正確に伝えられたかどうか、祈にはわからない。
 それでも、そこには何の戸惑いも無く、不安も無く、同時に確信も無かった。
 古城はその言葉をそのままの意味で受け取ると、祈を更に抱き寄せ、耳元で囁く。
「私も、貴女が好きです」
 その言葉に、祈は大した価値を認めなかった。あれほど不安に思っていたことが、言われてみれば、既にその結果を知っていたかのような気分になる。
 重要なのは言葉ではなく、今、自分を包み込むこの温かさだと思った。
「こんな状況で、こんな風に告白するのは卑怯なのかもしれない。いや、事実そうなんでしょうね。それでも、貴女が私を想ってくれているのなら、それに応えないのは卑劣でさえあるように思える」
 古城は一端言葉を切る。
「私には多くの秘密がある。決して他人には言えない秘密がたくさんある。そのせいで他人との間に築かれる理解は浅く、薄いものでした。そして、秘密と同じ数だけ後悔があります。決して取り戻せない過去の失敗です」
「隠善さん。いや、祈さん。私は貴女との出会いを後悔の種にしたくはない。その為に秘密を打ち明け、貴女を巻き込んでしまおうとしている。駄目だ、精確に言いましょう。私は貴女を巻き込みたいのです。それが貴女を不幸にしてしまうかもしれなくても」
 全身に伝わる古城の感触が、祈の意識を甘美に犯す。
「貴女には私と同じ道を歩んで貰いたい」
 その願いに、祈は頷く。
 身を寄せ合ったまま古城は立ち上がり、祈の身体を支えた。祈は自らの体重を確認するようにして両脚に力を込め、古城を見つめた。涙は既に止まっている。
 二人はもつれ合うようにして扉の向こう側へと足を踏み入れ、その光景を目にする。
 祭殿。部屋の入口で立ち止まり、祈はそう感じた。
 その部屋の十メートル四方の床には黒く乾いた土が敷き詰められ、四方の壁は煉瓦のように積まれた黒っぽい怪しげな石材で構成されている。部屋の四隅には何とも表現し難いオブジェが一つずつ置かれ、そのオブジェの上端には松明のように炎がくべられている。その炎が妙に中途半端な具合であるせいか、部屋の明度は低く、おぼろげな雰囲気である。
 そして中央、そこには祭壇がある。手術台とほとんど大きさは同じだろうか、壁面と同じ石材で造られた長方形の台座がある。石材の表面には意味不明の文字の羅列が並び、四隅の炎の造り出す陰影を揺らめかせていた。
 その祭壇を取り囲むのは六人の人間。全員が全員、葬儀の際に着るような黒い礼服を着込み、それぞれが顔の上半分を覆い隠すような仮面を付けていた。はっきりと判別することは出来ないが、男も女もいるようだ。
 取り囲む彼らの隙間から祭壇の上に置かれた物体が見える。白い布で覆われたそれが何なのか、入口に立つ祈にはわからない。しかし大きさだけで見れば、まるで人間一人分と同じくらいに思われた。
 不吉な予感に、祈は古城に抱きつく力を強めた。
すると、力強い抱擁が返答として示され、再び恐怖が薄れる。
「皆様、お待たせしました」
 古城の言葉に仮面の六人が反応し、その身体を向けた。彼らの視線から庇うように、古城は祈の前に進み出た。祈へと振り向いてその肩に手を置くと、動かないようにとアイコンタクトを交わす。彼女が頷いたのを確認し、そのまま祭壇の前へと進み出ると、祭壇に掛けられた白布に手を掛ける。
「昨日に収穫した素材です。丸々三人喰らっています」
 古城のその言葉に、仮面の六人は興奮と感嘆の呻き声を漏らした。
 一気に白布が取り払われ、そこに現れたるは黒き異形。右脚と頭部を失った人型のラルヴァの遺骸であった。右腕部分が鋭い刃と化しており、炎の灯りを反射している。
 その姿が晒されたことで、部屋の空気がやにわに騒がしくなる。
「欠けてはいますが、何しろ三人喰っています。御満足頂けるかと」
 その口調に阿るような色彩は無く、あくまで淡々としている。
 仮面の一人が喉を鳴らし、別の一人は唾を飲み込む。残る四人も似たり寄ったりの反応を見せる。焦れているのだ。
 古城が確認をとるように彼らを見回し、一つ頷く。
「それでは、お召し上がりください」

 始まったのは、魔宴。

 筋繊維を引き千切る音、吹き上がる体液、臓物を咀嚼する度に吐き出される息遣い、狂気の宿る瞳、吊り上がった頬、糸を引く唾液、喜悦の笑み、意味を成さない唸り声。
 祈は声を出すことすら忘れ、その光景に釘付けとなった。
 現世と呼ぶには露骨に過ぎ、幽世と呼ぶには幻想が不足しているその光景。
 ラルヴァの遺骸は腹部を中心に大きく切り開かれている。仮面を被った人間たちがそれぞれ持ったトングに似た金属鋏は遺骸の体内へと深く侵入し、粘性のある光沢をその表面に充溢させた臓物を引き摺りだした。時折血飛沫が吹き上がるが、金属鋏に電気メスのような機能が備えられているのだろう、白い湯気と肉が焼ける音が発せられると同時に噴水は止まる。
 人間が、ラルヴァを、喰っている。嬉しそうに、楽しそうに。
 祈には理解できない。しかし、理解出来ないことが幸福だと思った。
 古城は今や屠殺場以上の惨状を呈している祭壇を離れ、祈の側へと戻って来る。
「あ、……あ、あ……、これは……」
 震える声で、祈は赤子のように彼にしがみつく。
「祈さん、貴女は権力者がこの店に通う理由を求めていましたね?」
「……は、い」
「これがその本当の理由です。『対会和』も確かにウチの店の魅力の一つではありますが、『古城調正房』の持つ最大の特徴は『ラルヴァを喰うことが出来る』という一点なのです」
 それは、仮面を被った彼ら、強大な権力を誇る人間たちが世にある贅の大半を経験し尽くした後に求めたのは長寿や健康などではなく、『尋常ならざる征服』であるということ。
 人間の宿敵足り得るラルヴァという存在。高みに生きる権力者たちはその宿敵の情報を手に入れる。そして彼らはこう考えた。思い知らせてやる、と。人間こそがこの地球上における最高の種であることを理解させてやる、と。
 弱肉強食。その言葉が示すのは、征服、打倒、淘汰、支配、それら全ての意志と欲求の行動化における、最も原始的且つ直截的な表現方式。
 捕食という動物的な行為を通じて、人間の脅威足るラルヴァは人間の家畜へと成り下がる。そして、捕食者が得るのは被捕食者に対する優越。そこに生まれる快感。例えば、一人で非友好的なラルヴァに相対した時、彼らの誰一人としてラルヴァに勝利することはないだろう。しかし、今、この瞬間、彼らはラルヴァを喰っているのだ。自らの遺骸を切り開かれ、別種の生物の食料にされる。これに勝る屈辱がこの世にどれほど存在するであろうか。この屈辱を与えることの出来る機会がどれだけ存在するであろうか。
「だから……、その為にあの人たちは……」
「そうです。彼らはやめられないんですよ。やめてしまえば、優越の快感が失われるだけでなく、ラルヴァという未知への恐怖がぶり返す」
 その言葉に祈は唾を飲み込んだ。それは、恐怖と緊張がもたらした喉の渇きに対するごく自然な反応であったはずだ。なのに、祈は酷く嫌な気分になった。
 まるで、自分がラルヴァの遺骸に対して食欲を催したかのような――。
「祈さん」
 その声に引き戻される。
「一緒に来てください」
 あの祭壇の魔宴に参加することになるのかと考え、祈は身を固くした。しかし、古城は部屋の中で行われている宴に対して未練をまるで感じさせない所作で、身体ごと視線を背後へと向ける。祭殿の部屋を出て、扉を閉じればそこは当然鋼色の小部屋。井戸からの小階段がある部屋だった。
 古城は部屋の中央付近で跪くと、目を凝らさなければ気付くことすら敵わないほどの小さい窪みへと指を掛けた。彼の腕の動きに従って薄い金属板が持ち上がり、其処から顔を出したのは小さな鍵穴だった。
 祈は無意識の内に【内奥探視】を発動させると、床の下に今いる部屋と同程度の大きさを持つ空間があることがわかった。
「凄い……。まだ、下にもこんな部屋があるんですね……」
「ん?ああ、それが貴女の異能ですか?そうです。双葉島は埋立地ですから、これほどの深さに地下空間を拵えるのは結構な骨らしいのですが。友人が何とかしてくれたのです」
 そう言って古城は鍵を差し込み、廻した。
 重厚な機械音と共に、部屋の中心部に現れ出でたるは更に下へと続く口。そして其処から伸びる短めの螺旋階段。
 その部屋は、酷く殺伐としていた。
 部屋の造り自体は上の小部屋と変わらないが、雰囲気はまるで違う。靄のかかった光を降らせる光源パネルの下、其処には黒い立方体が置かれている。何の装飾も無く、光沢も無い、全辺一メートルくらいの立方体。隙間も無ければ、鍵穴もない。触れたところで材質すらわからない。外からの干渉を拒む黒い塊。
 その塊には、何故か【内奥探視】の視線が通らない。
「祈さん」
 唐突に背後から抱き締められ、祈は呼吸を停めた。黒い塊への注意も途絶える。
「貴女には私と同じ道を歩んで欲しい。その願いに、貴女は頷いてくれました」
「……は、い」
 耳元に囁かれるその声、吐きかけられる吐息、肌に伝わる体温、同調する鼓動。
 それら全てが祈を恍惚へと誘う。
「ならば、貴女には試練を突破して貰いたい」
 互いの身体は更に密着し、腰の辺りに固く長いものが押しつけられるのを感じた。
「この試練を突破した時、貴女は新生する。単なる人間から、私と同じ道を往く存在へとシフトする」
 言い終わると同時に、古城は自らの異能を発現させる。
 痛みが走り、祈は声を上げた。
 自らの腹部にズルズルと何かが侵入してくるその感触に、彼女は絶頂に近い感覚を覚える。官能に犯された意識は痛みをも快楽へと変じ、全身を弛緩させる。
「祈さん、――じて――すよ――」
 そんな言葉を聞きながら、隠善祈の肉体は彼女の精神を手放した。



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