【Es schmeckt gut! (9)】


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 千日手のように見え、その実、体力的に圧倒的に不利であった澄斗と【三等犬】との攻防は、闖入者の登場によって呆気ない幕切れを迎えた。
 澄斗の【不可視の弾殻】を避けつつ、突撃を敢行しようとしていた【三等犬】。その横腹に灰黒の獣が突如として襲いかかり、もつれ合うようにして地面を転がったのだ。
襲いかかられた【三等犬】は混乱した。奇襲を受けたことにではなく、その襲撃者の正体が自分とまるで瓜二つだったことに衝撃を受けたのだった。目に見える違いと言えば、そう、襲いかかってきた【三等犬】の首に黄と黒が織りなす斑のリードが繋がれていることか。
 澄斗と殺し合っていた【三等犬】は組み伏せられ、その身体に牙を突き立てられる。
「おいおい……」
 澄斗は唖然と見守るしかない。
 恐るべきラルヴァ二頭が目の前で共食いを始めたという現実は、俄かには受け入れ難かった。当然、片方の首に巻かれたコーンロープの意味を理解してはいたが。
 苦しみもがく【三等犬】とそれを喰らう【三等犬】。
 苦悶の獣声と生々しい咀嚼音。その狭間に、悲哀の音色が混ざっているように思えたのは、澄斗の聴き違いだろうか。
「金刃くん。よく持ち堪えましたね」
 それとは別に聞こえたのは、些かの感心が籠められた労いの言葉。
 【三等犬】の首に巻き付いたロープを追えば、スーツの所々を切り裂かれ、その頬に爪痕をつけた金髪の上司がいる。
「いやあ、助かった。あのまま続けてたら死んでましたよ、俺」
 地面にどさりと尻を落とす澄斗。袖で汗を拭うと、赤髪を後ろで束ねていたゴムを外す。レミントンを手放して髪の毛を掻き混ぜると、全身の疲労が一気に噴き出した気がした。
 歩み寄って来る織姫の向こう側に【三等犬】の姿が見える。その数、一頭。
 先程まで澄斗が相手をしていた【三等犬】は既に喰われてしまったらしかった。
「車に戻りましょう」
 二人が林から抜ける最中、織姫は携帯を取り出して何処かにかけていた。
 話の内容から察するに、ラルヴァを回収する為の警察の専用車両を要請したらしい。どこを歩くにせよ、こんな物騒な生物をペットのようには連れて歩けないのは確かであった。
 セダンのボンネットに寝そべった澄斗が一つの疑問を口にする。
「あいつら、自分たちで喰いあう分には再生しないんですか?」
 丸呑みしたのならまだしも、そうでないなら、喰われた部分から再生してもおかしくはない。しかし実際は、三頭いたものが一頭になっている。
「ええ。彼らは【三等犬】。私の異能を三頭の内の一頭に行使した時、他の二頭に影響が出なかったことを考えれば、彼らはそれぞれ別の意識を持っていることが確定的です。ですが、これだけ似通った外見に、連携の完成度の高さ。関連性が皆無だとは思えない」
「そりゃまあ……、確かに」
「私は資料を見た時、とある仮説を立てました。【三等犬】という名前は三頭のラルヴァがあまりにも似通っているが為につけられた名ですが、其処には別の意味が隠されているのではないかと考えたのです」
「というと?」
 いちいち思考の足跡まで語るのは織姫の悪いところだと澄斗は思っていたが、そんな文句をつけられるはずも無いので黙って相槌を打つ。彼が興味を持つのは要点だけだった。
「つまり、三等分した、という意味があるのではないかと考えたのです。元より三つ等しいものがあるのではなく、一つのものを三等分したのではないかと」
「一つの生命に三つの意識」
「そう。殺すのならば、三頭同時に殺す必要があるのではないかと考えました」
 胴を断たれても、首を落とされても再生するラルヴァ。その生命は個体で完結することがなく、三頭で共有することによって致命傷を避ける。三頭の中に核となる生命など無く、無限に用意される三つのビーカーと、そこに注がれる巨大な一つの生命だけがある。
 それを殺そうとするならば、とりあえず二つのやり方が考えられる。
 一つは、新たなビーカーが用意される前に三つのビーカー全てを破壊してしまうという方法。人間が肉体を失うのと同様に、生命の受け皿を破壊されることは死を意味する。
 しかしそれは、二人の戦力では実現不可能な方法であった。
 もう一つは、三つのビーカーを一つに重ねてしまうという方法。元々一つの生物だったのならば、一つに戻してしまえば良い。そうすれば、どれだけその一頭が強大であったところで、織姫の異能を行使すれば良い。そういうことであった。
「どうやら推測が当たっていたようですね。【三等犬】は共食いのダメージは回復、再生出来ない。元々一頭だった姿に戻ろうとするだけです」
 見れば確かに、最後まで残った【三等犬】はその姿を変えている。
 体躯は二回りほど大きくなり、貧相だったその身体つきは太さと強靭さを感じさせる。薄かった体毛は今や暑苦しいほどであり、獰猛な面構えも更に磨きがかかっている。
 その首に【斑の拘束】が巻き付いていることを感謝しながら、澄斗は呟く。
「しかし、何でコイツは三等分されてたんでしょうかね……?」
 自然現象でないことは確かであろう。
「さて。私としては、どうやって、という部分に興味がありますね」
 一つの生命をわざわざ三つに分ける。どこかで聞いたような話だな。
 そんなことを考えながら呆けた表情を見せる澄斗に向かって、織姫は言う。
「【三等犬】を回収班に任せたら、迎えに行きましょうか」
「は?誰を?」
 澄斗は虚を衝かれたような反応をしたが、織姫は微笑と共に答える。
「私の同級生を、ですよ。会ったことはありませんが、心細い思いをしているかも知れません」


                    *


 目が覚め、身体を起こす。
 潮の薫りに風の音、そして砂利の感触。
 素肌と制服についた砂利を払いながら立ち上がり、四つ辻にいることに気付く。
 周囲には年季の入った木造建築物。人の気配はまるで無い。
 いつか見た露店とその店主たちの姿も、狂いながら駆ける男の姿も見えない。
 そう思うと、急に心細くなった。確かめてもいない癖に、この場にいるのは私一人だと言う確信が心を苛む。自分以外の人が誰もいないなんてどういうことだろう。
 いや、誰もいないことが問題なのではない。
 あの人がいないことだけが問題なのだ。
 嗚呼、探しに行かなければ。
 微風がポニーテールを揺らした。
 おぼろげな記憶を頼りに、南へ通じる道を歩き出す。
 しかし、一分も歩かない内にその気配に気付いた。
 背後に強烈な圧迫感。生存本能という名の守護霊が、振り向くな、と書かれた看板を私の前に掲げて見せたけれども、そこで自制できるようなら、そもそもこんな状況には陥っていないのではないかと思う。
 結局振り向き、ソレを見る。
 全長五メートル。そのシルエットは人間に近い。流動しているかのような体表面、黒の素地に赤のストライプ。四肢に備えられた合計十二本の指は、その全てが鉤爪の如く鋭い。顔面らしい部位に埋め込まれているのは碧に輝く巨大な単眼と犬歯をはみ出させている口。背中に展開されているのは三本、四本、左右非対称に生える蜻蛉の羽根。
 そんな生物が、そこには立っていた。
 必死でその奇怪な生物の名を思い出す。
「であ、といふる、みっと、でん、じーべん、ふりゅーげるん」
 【Der Teufel mit den sieben Flügeln】。そう。確か日本語では【七枚羽】。
 二〇〇八年。ドイツのハルツ山地上空に出現。周囲の州に大きな被害を与えた後、ルフトヴァッフェ(Luftwaffe:ドイツ空軍)と『ブロッケンの魔女たち(Brockenhexen)』との共同作戦によって撃墜されたはずの上級ラルヴァ。そして、その容貌の奇怪さ故に、私が初めて担当した記事で取り上げたラルヴァ。
 その怪物が、目の前にいた。
 何故、という疑問は浮かんでこない。そんな余裕は無い。
 私は走り出した。あんなものに襲われたら死んでしまう。
 私のいた地面に黒い槍が突き刺さる。飛翔した【七枚羽】が私を串刺しにしようと投げつけているのだ。続けて一本、更に一本、もう一本。
 私を掠めるように、黒い槍が地面へと突き立つ。
 私の運動能力が優れているわけでも、【七枚羽】の照準が甘いわけでもない。
 ただ、遊んでいるのだ。獲物を追い詰め、痛ぶっているのだ。
 全身に裂傷、擦過傷を負いながら、私はあの井戸へと辿り着く。梯子の途中から滑り落ちたせいで足首が折れたが、そんなことを気にしている場合ではない。
 這いずりながら小階段を降り、例の殺風景な小部屋に辿り着くと、部屋の中央に穴が空いている。あの人の鍵が無ければ開かないはずの入口が空いている。
 私は見苦しい様で其処へ飛び込み、内側から鍵を閉める。閂のような単純なものであったが、それが何よりも頼もしかった。あはは、これで安心。
 部屋を見れば、中央に鎮座する黒い立方体。
 【内奥探視】の視線すら通さないその匣に近付き、触れたその瞬間。
 天を割るような音が私の鼓膜を破壊し、同時に降り注いだ光源パネルの破片が身体中に突き刺さった。蹲るようにして転がり、奥の壁へ向かって這いつくばる。
 漸く背後を振り返った私の痛みと衝撃は、それを超える恐怖によって駆逐された。
 天井を破って現れ出でたるは上級ラルヴァ【七枚羽】。五メートルもの巨体を人間大にまで圧縮し、地上からここまで強引にブチ抜いてきたのだろう。その右手には黒々と光る槍が握られ、その穂先を私へと向けた。
 私など狙って何が楽しいのか。
 そう考え、私は血塗れになった自分の身体を顧みる。すると、腰の辺りに違和感を覚えた。不審に思って腕を伸ばすと、【七枚羽】の体表面と同じ雰囲気を持つ、長いゴムチューブのような物体に手が触れる。自分の尻の上辺りから生えているらしいソレを正面にまで持ってくると、 その二メートルほどの長さを持つチューブ状の物体の先端が目に入った。まるでトランプのスペードのような形をしている。
 つまり私の腰から生えているのは、典型的な悪魔の尻尾。
 そういえば、と資料を漁っていた時に見た写真には立派な尻尾がぶら下がっていたことを思い出す。つまりはこの悪魔の尻尾、本来【七枚羽】のものであるらしい。
「取り戻したいのね……」
 壁に凭れかかりながら、私は【七枚羽】の目的を理解した。
 声を出したせいで、体内からせり上がって来る紅の血潮が喉を焼く。
「でも、あげない。これはあの人からの贈り物だもの……」
 呟く私を見据えながら、【七枚羽】は己と獲物との間に居座る黒い立方体を鬱陶しそうに蹴飛ばすが、動かない。まるで床に根を張っているかのようにビクともしなかった。
 苛立った【七枚羽】は右手に持った黒槍を立方体に向かって突き刺した。何度も何度も突き刺すその度に、罅割れた個所からは人間のものではない悲鳴と黒い液体が吹き上がり、その中に生物がいたことを伝える。
 【七枚羽】は数本の槍を突き刺したままの立方体を放置すると、軽やかな足取りで私の元へと近付いてくる。その途中、新たに形成された黒槍がその手に収まっていた。
 正直、死ぬのは怖くなかった。
 あの人のいない世界などに生きていても仕方がない。そんな世界に価値は無い。
 ただ、あの人の贈り物を汚らわしいラルヴァに毟り取られるかと思うと、どうしようもない怒りが込み上げてくる。私が死んだ後、あの人はそれを許してくれるだろうか。
 【七枚羽】がその槍を振りかぶり、襤褸屑のような私に向けて殺意を向ける。
 槍の穂先は悪意に塗れ、墓標としての機能をも具えていた。【七枚羽】は口が裂けてしまうのではないかというほどの笑みを見せ、その視線は既に私の心臓を射抜いている。
 しかし、それらの恐ろしい全てを私はまるで見ていなかった。
 興味が無かった、というよりも、別のものに意識を囚われていたと言うべきであろう。
 ソレは、【七枚羽】の背後に存在した。
「――!」
 振り向く【七枚羽】に覆い被さる何か。
 黒い立方体から抜け出した何か。悪魔の槍であれほど突き刺されても死なない何か。
 その何かが、【七枚羽】を拘束している。
 肉が焼けるような音がする。【七枚羽】の身体を融かそうとしているのかも知れない。
 私は痛みを堪えて立ち上がり、苦しみ悶える【七枚羽】を見据えた。
 この好機を逃せば、決してこの悪魔を打倒出来ない。
 前のめりになりながら、その身体を悪魔へと近づける。
 【内奥探視】は攻撃に利用できる異能じゃない。
 上級ラルヴァに通用するような武器も無い。
 それでも。

「この贈り物ならば、貴方を殺せる」

 そう言って、本来の持ち主の額へと、悪魔の尻尾を突き刺した。
 驚愕の表情を浮かべながら、【七枚羽】の身体は硝子のように砕け散る。
 同時に、世界までもが硝子と化し、私の意識をも砕け散った。


                    *


 唐草模様の布団の中で、祈は再び意識を取り戻した。
 デジャビューを感じながら、その視界に彼女の求めるものを探す。
「必ず目を覚ましてくれると信じていました」
 その声が祈の耳に届くのと、彼女が背後から抱き締められるのとはほぼ同時であった。
 求め続けたその感触に祈は安堵を覚え、力を抜いて体重を預ける。応えるように腹に回された男の手には、自分の手を重ねた。二人の体温が混じり合い、お互いにとって心地良い感触が全身へと巡った。
「古城さん。貴方の目指すものが少しだけ理解できたような気がします」
「そうですか」
 古城の声には微かな憂いが滲んだ。
 腰から生えた悪魔の尻尾を古城の身体に巻きつけながら、祈は続ける。
「人間を辞めるのではなく、ラルヴァになるでもなく。その二つを超克した何かを目指してる。そういうことなんですね……」
 あの権力者たちのように、食事などという卑劣で一方的な方法などではない。自分にラルヴァの組織片を統合することによって、ラルヴァを本当の意味で屈服させる。その組織片に残されたラルヴァの魂とでも言うべき意識と対決し、勝利し続ける。そうでもしなければ、ラルヴァの力を己の血肉として組み込めない。
 負けたらどうなるのかなど、考えるまでもない。
「私には、もうこの道しかないのです。最高の器、最高の生命を自らの身体を以てしてこの世に具現化しない限り、私の人生は報われないのです」
 小児的な頑なさと絶望的な救えなさが混じった声だった。
 古城弥七という人間が当初自分が抱いていた幻想ほどに完成された人間ではないことに、祈は気付き始めていた。むしろ、憐みを催すほどに先鋭化された生き方しか出来ない人間なのだろうとさえ考え始めている。
 しかし、その印象の転換がもたらしたのは更なる愛情だけであった。
「大丈夫ですよ」
 応える祈は、喧嘩に負けた弟を慰める姉のような口調であった。
「これからはずっと、私が隣を歩いてあげます」
「ありがとう」
「ええ。大丈夫ですよ」
 祈はそう言いながら、悪魔の尻尾を器用に使い、古城を布団の上に押し倒した。



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