【耳なしウサギの悲劇】


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 可愛らしくまるまるとしたおいしそうな白いウサギさんは、おっかない山猫にねらわれていました。
 山猫はウサギさんを食べてしまおうと、木の上から機会をうかがっています。「ああだめだ。このままじゃいずれ食べられちゃうよ」と涙を流しながらウサギさんは考えました。
「そうだ、山猫に食べられないようにすればいいんだ」
 そう思ったウサギさんは自分の体にしょっぱいしょっぱい塩をふりかけました。しょっぱい物が苦手なあの山猫のことだ、こうすればきっと自分を食べられないだろう。
「こいつはしょっぱい、食べられないにゃー」
 山猫はそう言いましたが、ウサギさんは耳に塩を塗るのを忘れていました。というよりもあまりに手が小さかったため、長い耳にまで手が届かなかったのです。
 そのせいで山猫に耳をかじられたウサギさんは、耳なしウサギさんになってしまいましたとさ。

 おわり





「耳なし芳一のパクリだこれ!」
『耳なしウサギさん』というクレヨンで書かれたような絵柄の絵本を読んでいた鏡野《かがみの》有栖《ありす》は、思わずそう突っ込んだ。
「はあ……しっかし、暇だなぁ」
 亜麻色のショートボブがよく似合う有栖は、双葉商店街の一角にあるお菓子屋『ワンダーランド』の店員である。父親が経営している店だが、大学の授業がないときはその手伝いをしているのだ。店内は狭いながらも子供たちが喜びそうなお菓子類がたくさん並び、ファンシーなぬいぐるみが無造作に置いてある。普通の駄菓子屋ではなく、カラフルな印象を受けるインテリアで店内は溢れていた。
 今の時刻はもう子供が来るような時間帯ではなく、閉店間際で、客なんてろくに来ない。そのせいで暇を持て余していた有栖は子供が忘れていった絵本を読んでいたのだ。
 著者名は極楽島《ごくらくじま》武郎《たけお》。双葉区に住んでいる絵本作家で、あとがきを読むと、自費出版らしく、双葉区限定でこの絵本を発行したらしい。
「へえ、この耳なしウサギって実在するラルヴァなんだ……」
 あとがきを読んでいると、これは実話を元にした作品だということが書かれていた。ラルヴァの逸話を絵本にするのが作者のライフワークなのだという。
 耳なしウサギというラルヴァがどういうものか想像してみたが、ただ耳の無いウサギが頭に浮かぶだけでどこかラルヴァなのか有栖にはわからなかった。
 絵本をぱたりと閉じて、もう客も来ないだろうし、早めに店じまいをしようと有栖が立ち上がると、カランコロンカランという鐘の音を響かせて店の扉が開かれた。
「あっ、いらっしゃいませー」
 こんな夜更けに客なんて珍しいなと、有栖はさっと営業スマイルを作って扉の方を見やる。そこにいた客は随分と珍妙な格好をしていた。
 まるで赤ちゃんのように小さな体をしているのに、大人が着るようなコートで全身を包んでいる。マフラーで顔半分を隠し、ニット帽を目深に被っていてさらに顔半分を隠している。見えているのは真っ赤な目だけだ。
 まるで小人みたいだなと有栖は思った。
「やあ可愛いお嬢さん。どうか僕を助けておくれ!」
 その珍妙な客は突然そんなことを言い、ぴょんっと跳ねてカウンターの上に乗り、有栖の手を取った。
「へ? どうしたんですか?」
「実は怖い猫に狙われているんです。どうか匿ってはくれないだろうか」
 そう言って客はマフラーを解き、帽子をぱさりと床へ落とす。するとそこから出てきた顔はとっても愛らしいものであった。
「ウ、ウサギ!」
 三角の口と、そこから伸びる二本の歯。白くてふわふわとした毛と真っ赤でまんまるの瞳は間違いなくウサギのそれである。
 しかし、人語を解するそのウサギには、一つだけウサギとしてなくてはならない特徴的な部分が無い。それこそが彼の存在がなんであるかを証明していた。
「申し遅れました。わたくし耳なしウサギと申します」
 ウサギは英国紳士のように礼儀正しくお辞儀をした。彼の頭には本来あるはずの二つの長い耳がすっかりなくなってしまっている。鋭い歯で齧り取られたかのような痛々しい傷がそこにあるだけだ。
 有栖はあまりに唐突なことに、ウサギとは対照的に目を白黒とさせていた。それも仕方ないだろう、まさか今読んでいた絵本の主人公が客としてやってくるとは夢にも思っていなかったのだから。
「ややや! これはわたくしがモデルになった絵本ではありませんか。まったくこの作者はわたくしにモデル料もろくに払わないんですよ、まったくもって憎々しい。信じられますか? この作者がわたくしに渡したのはニンジン三本だけなんですよ」
 ウサギはレジの脇に置かれている絵本を手に取り、憤慨しながら有栖に抗議したが、すぐに冷静さを取り戻して気まずそうに咳払いをした。
「ええ、ごほん。すいません。つい」
「別にいいんですけど……匿うと言っても私にできることなんてありませんよ。ここの防犯設備なんてコンビニ以下なんですから」
「そうですか。では山猫にここを見つけられるのも時間の問題ですねぇ」
 有栖は山猫と聞いて絵本に描かれていた巨大な化け猫を頭に浮かべる。闇に浮かぶ巨大な目は、吸い込まれるような不気味さで、ナイフのように鋭い歯に噛みつかれたらあっという間にズタズタになってしまうだろう。この山猫もまた、耳なしウサギと同じように実在するラルヴァのようだ。
 そんな怖いラルヴァに追われているなんて冗談じゃない。怖いことに巻き込まれるのは嫌だと有栖は思ったが、こんなに愛くるしい小ウサギを外に放り出す気にはなれずにどうしたものかと腕を組んだ。
「そうだお嬢さん。この店に塩はありますか?」
「塩?」
「そうです。山猫はこの店のお菓子のように甘いものが大好きな甘党なんですが、塩辛いものが大の苦手でしてね。それでわたくしは一度奴の脅威から身を守ったことがあります。もっとも、耳を失ったのは大きな代償ですが、命があるだけありがたいことです」
 ウサギは過去を想うようにふんふんと鼻を鳴らし、自分の失われた耳の根元を撫で回した。
「ああ、あの絵本の出来事は本当なんだ。うん、わかったわ。奥の休憩所のキッチンになら多分塩はあると思うから待ってて」


 それから数分して有栖は透明のパックに入った塩を持ってきた。
「見つかりましたよ。ずいぶん使ってなかったんで探すのに苦労しましたけど」
「ああ感謝します美人のお嬢さん! これでわたくしはあの恐ろしい山猫から身を守ることができるでしょう!」
 ウサギはコートを脱ぎ捨ててすっぽんぽんになり、体中にその塩をぱっぱっと降りかけ、丹念に体中に生えた白い体毛にこすりつけていく。
「今回はちゃんと塩のつけ忘れもないし、前回のように齧られるような耳もない。塩辛くて食べられないわたくしを見て、あの大きな山猫が悔しがって歯ぎしりをする様子が目に浮かぶようですな!」
 ふむむむん! と口と鼻を動かして得意げにウサギは手を上げて喜んでいる。その姿を見て有栖もほっと胸を撫で下ろす。これでウサギも食べられずに済むだろう。
「それではお嬢さん、大変お世話になりました。このご恩はいつか必ず返しましょう。それまで、さらば。ごきげんよう!」
 ウサギは脱ぎ散らかしたコートをそのままにして、素っ裸のまま店の外へと飛び出していった。もっとも、ウサギにとってあの姿が普通なのだろう。
「さて、これで一安心だわ。ようやく店じまいができる」
 時計を見るとちょうど閉店の時間だった。ウサギのせいで慌ただしく時間が過ぎた気がするが、ウサギはとっても可愛かったので有栖は少し得した気になっているようだ。
「今度発行するポイントカード用にウサギのスタンプでも作ろうかしら」
 そんなことを呟きながら片付けをしようとしていると、
「有栖ちゃん? ちょっといいかしらん」
 という声が裏から聞こえてきた。今の神経質そうな声はどうやら倉庫の整理をしていたパート店員のようだ。
「なんですか九院《くいん》さん? どうしたんですか」
 店の裏のキッチンに行くと、眼鏡姿がよく似合う四十歳の女史が立っていた。彼女は九院《くいん》鳩子《はとこ》と言って、やけに生真面目で語尾に「ザマス」とでもつけて喋るのではないかという印象を人に与えるだろう。最近小皺が目立ち始めたことに悩んでしょっちゅうため息をつくことがあるが、すこぶる優秀な店員である。
「明日のクッキーフェアに備えて手作りクッキーの仕込みをしようと思ったのですけれど。ちょっと困ったことがありますの」
 料理学校の講師を務めたこともあるという鳩子は、月に一度、既製品ではない手作りのお菓子を作って子供たちに出来立てのお菓子を売っている。客には好評で、有栖の父も彼女がいると大助かりだと評価していた。
「クッキーか、いいですね。私九院さんの作るお菓子大好きなんですよー」
「お世辞は結構です。それよりも有栖ちゃん。キッチンにあるはずの砂糖が見当たらないのだけれど、あなたどこにやったかご存知?」
 鳩子にそう言われて、有栖はさっとキッチンの棚を見渡した。すると、透明パックに入っている砂糖が目に入ったので、それを手に取った。
「なあんだ。ちゃんとここにあるじゃないですか。はい九院さん、どうぞ。明日もきっと子供たちやそのお母さんたちがクッキーを買いにいっぱい来ますよ」
「……有栖ちゃん。ここに置いてあるピンクの蓋のパックの中身は塩ですよ」
「へ?」
 有栖は慌ててパックの蓋を開け、指につけて舐めてみる。
 しょっぱい。確かに塩辛い。
 鳩子の言うとおり、この棚の上にあったのは砂糖ではなく塩である。
「じゃあ私が塩だと思ってウサギさんに渡した物って――」
 有栖がはっとすると同時に、遠くからウサギの悲鳴が聞こえた気がした。


 おわり





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