【ジュエル魚日和】


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 極楽島《ごくらくじま》武郎《たけお》はある日一目惚れをした。
 相手の女性は可愛らしい笑顔で接客をしていて、とっても優しそうな人柄が伝わってくる。子供たちに優しくするその姿を見て、武郎の心は彼女に囚われたのだ。
 たくさんのお菓子に囲まれる姿はさながらどこかの国の王妃様のようで、武郎にとって彼女以上に美しい女性はいないのではないかと思われた。
 そして彼女への想いを決定づけたのは、店のレジに置いてあった絵本である。それは武郎が描いた『耳なしウサギ』という絵本だ。
 武郎は父親の遺産を使って、ラルヴァを題材にした絵本の自費出版をライフワークとして行っている。そんな自分の絵本を彼女が読んでいてくれたのかもしれない、という事実に武郎は有頂天になっていた。
 しかし三十にもなって女性と話すたびに緊張してしまうほどの奥手である武郎は、なかなか彼女に声をかけることができずにいた。彼にできることはただ彼女が働いている店へと毎日のように通い詰めるだけである。


※ ※ ※


「ねえ、店員さん。このお金で足りるかしら」
 シルヴィアは白くてちっちゃな手いっぱいに握り締めた小銭をレジの店員に見せて、選び抜いたたくさんのお菓子をカウンターに置いた。
 ここは双葉区の商店街にあるお菓子屋『ワンダーランド』だ。安くておいしいお菓子がたくさん置いてあり、子供たちに人気があった。ぬいぐるみや風船などのファンシーなインテリアに囲まれた店の中に並ぶ、目もくらむような色とりどりの飴や綿菓子やゼリービーンズなどは、まるで宝石箱をひっくり返したようである。
 双葉区に住む金髪碧眼の女の子、シルヴィアもまたこの店の常連であった。
 商店街は家から目と鼻の先で、たった六歳にもかかわらずパパやママがいないときにも一人で買い物にやってくるのである。わずかばかりのお小遣いをやり繰りしてなんとか目当てのお菓子を買いこむのだ。
「これだけだとちょっと足りないかな。ほら、シルヴィアちゃん、いくつか置いて来れば買うことはできるわよ」
 お菓子屋の店員である鏡野《かがみの》有栖《ありす》は、勘定の不得意なシルヴィアのために優しくそう言った。シルヴィアは言われるままに値段の張るお菓子を元の場所に戻していく。
「うん。それならこれで足りるわよ。いつもお買い物ありがとうねシルヴィアちゃん。スタンプ押してあげるからね」
「わー。今日はいくつ押してもらえるのかしら」
 お菓子屋のポイントカードに押してもらえるウサギのスタンプがシルヴィアは大好きである。そして、それ以上にこの店員の有栖のことをシルヴィアは気に入っていた。
 有栖はまだ花盛りの女子大生で、幼いシルヴィアの目から見ても非の打ちどころのない美人に見える。くりくりとした大きな目と、亜麻色のショートボブからはシャンプーのいい匂いがした。
 シルヴィアは有栖のことを優しい美人の店員さんとして慕っているようだ。
 有栖はお菓子をピンクの紙袋に詰めてやり、背伸びをしてカウンターに顎を乗せているシルヴィアに手渡した。
「はいお待たせシルヴィアちゃん」
「ありがとう店員さん。わたしちゃんと虫歯にならないように気を付けて食べるの」
「そう、偉いわね」
 有栖の温かい手がシルヴィアの頭を撫でる。それがシルヴィアにはとっても嬉しかった。
「有栖ちゃん。この商品はどこに並べればいいのかしら」
 店の奥から段ボールを抱えて、シルヴィアの母親より年上であろう(おそらくは四十歳ぐらいの)女性が出てきた。名札にはパート店員、九院《くいん》鳩子《はとこ》と書かれている。鳩子はインテリを気取るような、チェーンのついたメガネを着用しているこの店員が少し苦手であった。体は細く、ちょっときつい感じのする鋭い目が絵本に出てくる恐ろしい魔女を連想させるのだ。
「ああ、それはまだ出しませんから、レジ後ろのガラスケースに並べておいてください。お願いします九院さん」
「わかりましたわ。あら、いつものお嬢ちゃんじゃない。こんにちは」
 神経質そうな顔を緩めて鳩子は挨拶をしてきた。びっくりしたが、シルヴィアも「ハロー」と手を振りかえす。
 この店員は子供と話す時だけ鋼鉄のような表情を崩すが、きっとそれは子供たちを油断させて食べてしまおうという魂胆なんだわ、と子供特有の空想を膨らませてシルヴィアは身構えているようであった。
 小皺が目立ち、凹凸の無い平坦な鳩子の体つきは、横に並ぶ有栖のスタイルの良さを際立たせている。エプロンを盛り上げている大きな胸に、控えめなヒップ。まるでテレビの中のアイドルのようだ。自分も大きくなったらこんな風になりたいと、シルヴィアは羨望の眼差しを有栖に向けていた。
「それじゃあ店員さん。わたしこれからお家に帰るわ。今日は午後にはママが帰ってくるからそれまでいい子にしてなきゃいけないの」
「うん。じゃあねシルヴィアちゃん」
 有栖に別れを告げて店を出ようとすると、扉が開いて別の客が店にやってきた。 その客はやけにノッポな男である。
 映画俳優のような高い鼻にセルフレームの眼鏡が乗っていて、とろんとした大きな黒目が特徴的だ。木の枝のように細長い手足と、マフラーに外套、そしてツバの大きな帽子といった牧羊的な風貌はどこかライ麦畑の案山子を思わせる。
「あっ! 武郎おじさんだ!」
 シルヴィアはその案山子男の顔に見覚えがあった。彼女の新しい母親の従弟であり、そしてシルヴィアが好いている直哉《なおや》おじ様の兄でもある極楽島武郎であった。
「ああシルヴィアちゃん。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「おじさんもお菓子を買いに来たの? 大人なのに変だわ」
「大人でも甘い物を食べたくなる時もあるのさ。特に仕事で疲れたあとはね」
 ぽんぽんっとシルヴィアの頭を叩いた後、武郎は腰を屈めてお菓子をいくつかカゴの中に突っ込んでレジの方へと向かっていった。ふと、シルヴィアはその時の武郎の動きがギクシャクと、まるで緊張しているように不自然だったことに気が付いた。
「こ、これ下さい」
 有栖がいるレジにカゴをもっていき、武郎は目を泳がせながら、心なしか顔を赤らめてそう言った。
「いらっしゃいませ。最近よく来ますね」
「え、ええ。まあ好きですから……ああ、いや、あの、お菓子の話ですよ。お菓子が大好きなんですよ。ええ、勿論。神に誓って、僕はお菓子が好きなんです」
 突然有栖に話しかけられ、武郎はしどろもどろそう答える。どもりを誤魔化すようにいそいそと震える手で財布から千円札を出して、彼は有栖の笑顔から目を逸らしてどこか別の場所を見ているようである。
 ピコーン。という音がシルヴィアの頭の中で鳴り響く。
 たった六歳でもシルヴィアは女の子だ。恋愛ごとには愚鈍な男たちよりも敏感で、同年代よりも人一倍興味を持ったおませさんである。それゆえにぴんと来るものが彼女にはあった。
「ありがとうございましたー」
 お菓子の入った紙袋を手に店を出た武郎の後を追い、シルヴィアは上の空でぼんやり歩いている彼の袖を引っ張った。
「武郎おじさんはあの店員さんのことが好きなのね。とってもわかるわ!」
 あの一連の挙動を見ていれば六歳児でもわかる。武郎は有栖のことが大好きなんだろう、間違いないとシルヴィアは思った。有栖は美人で、子供たちにも優しく接する。あの可憐な笑顔を見れば男ならば見惚れてしまう。
「なななな、ななにを言い出すんだシルヴィアちゃん。大人をからかうもんじゃないよ」
「ああ! また『大人をからかうんじゃない』だわ! いつも大人の人はわたしにそう言うのよ、いやんなっちゃう。でもおじさんはあの店員さんのことが好きなんでしょう? わたしにはわかるの。きっとそうよ」
「いや、ははは。何をバカな。僕と彼女では十歳も歳が離れているんだよ。そんなことあるわけないじゃないか」
 武郎は動揺したようにずれ落ちるメガネをくいっと上げていた。確か有栖は女子大生で、今二十歳だという。確かに一般的に見れば歳は大きく離れているだろう。
「恋に歳の差なんて関係ないのよ。この間読んだ漫画にはそう書いてあったもの。十歳ぐらいの差なんてなによ、わたしと直哉おじ様だって二十は離れているわ」
 シルヴィアは目を伏せ、すまし顔でそう言った。
「シルヴィアちゃんは直哉のことが好きなのかい?」
「ええ大好きよ。パパとママと子豚のナポレオンとキャンディと綿あめとチョコバナナと十二色のクレヨンの次ぐらいには大好きよ」
「そりゃあ、まあ、随分と羨ましいな」
 武郎はなんとも言えない微笑を浮かべて肩をすくめる。
「本当はパパと結婚したいのだけれど、パパにはママがいるもの。あの二人ほどお似合いの夫婦はきっといないわ。だからね、直哉おじ様がわたしに土下座して足の裏にキスしてくれたらわたしはおじ様と結婚してあげるの。だっておじ様はわたしがいなかったらジャムの蓋も開けられないのよ」
 お喋りが大好きなシルヴィアは、ここぞとばかりに舌を回していたが、自分のことを話している場合ではないと思い至り、自分のブロンドの髪を指でくるくると巻きながら考え込んだ。
「そうだ武郎おじさん。わたしが恋のキューピッドになってあげるわ。まかせて、きっと店員さんとおじさんが上手くいくようにするわ!」
「あのねシルヴィアちゃん。頼むから放っておいてくれないか」
「そう。残念だわ。武郎おじさんの恋が実る方法をわたしは知っているのに……」
 シルヴィアがふくれっ面でそう言うと、武郎はくるっと彼女の方を向き、手袋にすっぽりと収まった手を取った。その顔は真剣そのものである。
「なんだいそれは。ちょっと教えてくれないか」
「武郎おじさん。わたしなんだかジュースが飲みたい気分になってきたわ」
 青い瞳で武郎の目をまっすぐに見つめ、生意気にもそう言うシルヴィアに負けて、武郎はオレンジジュースを買い与えてやった。それから話をするために双葉公園の敷地内へと入っていき、近くのベンチに腰を下ろした。
「そ、それで。恋が実る方法っていったいなんなんだい」
「プレゼントよ。女の子はいつだって男の子からのプレゼントを待っているのよ」
 ふふんと鼻をならし、物知り顔な表情でシルヴィアはそう言う。彼女はジュースを飲んで寒くなってしまい、ダッフルコートのフードを深く被った。スカートから伸びている黒いストッキングに包まれた細い足は地面に届かず、宙ぶらりんになっている。
「プレゼント――ねえ。何をあげたらいいかさっぱりわからないよ。僕は彼女とプライベートのことは話したことないからね」
 武郎は考え込むように顎に手を乗せる。シルヴィアはまるで自分は世界の真理を知っているとでも言うような表情でこう言った。
「レディのプレゼントに一番効果的なのは、やっぱり宝石だわ」
「宝石だって?」
 そう、とシルヴィアは強く頷く。
「ダイアモンドにルビィにサファイヤ。綺麗な宝石をもらって嬉しくない人なんていないもの」
「それはそうかもしれないが、宝石を買う持ち合わせが僕にあると思うかい? 神に誓って言うけれどね、僕はけっして裕福じゃないんだよ。絵本だって全然売れなくてほとんど赤字なんだからね」
 武郎は慢性頭痛持ちであるかのように頭を抱えた。シルヴィアも武郎が絵本作家であることは知っているが、彼の絵本を面白いと思ったことは一度もなかった。絵は下手で、内容もよくわからない。
 しかし、シルヴィアはとっておきの情報があるらしく、背中に背負っているタマゴを模したリュックからあるものを取り出した。
「これ、直哉おじ様のお部屋からちょっとお借りしたの。いつもおじ様が何を調べてるか気になったんだけど難しい言葉が多くてわからないのよ」
 それはプリントアウトされたラルヴァ研究のレポートである。これは極楽島家の三男坊である直哉が作成したものだ。元ラルヴァ遺伝子研究者であった直哉は、父親の遺産である研究設備のある別宅に引きこもって独自に研究を続けている。
 それをどうやらシルヴィアは無断で拝借してきたようだ。自宅でラルヴァ遺伝子学を研究している直哉は、今頃大慌てで部屋の中をひっくり返していることだろう。シルヴィアはそのレポートを武郎に手渡した。
「ほら、ここ。これだけは読めるわ。ほ・う・せ・きと読むんでしょ? きっと武郎おじさんの役に立つわ」
「ああ宝石って漢字が読めるのかい。随分と賢いじゃないか。末恐ろしいね。びっくりだよ。何々『“|宝石魚《ジュエルフィッシュ》”の生態と遺伝子情報の研究レポート』だって? 宝石――か」
 そこに書かれていることを噛み砕いて書くと、こうだ。
『ジュエルフィッシュは宝石の鱗を持つ空飛ぶ魚である。それぞれダイヤモンドフィッシュ、ルビィフィッシュ、サファイヤフィッシュと種類がいて、とても希少なラルヴァらしい。どうやって重たい鱗を持っているのに空中を泳いでいるのかは不明。恐らくはシンプルなサイコキネシスで自分の体を浮かせていると考えられる』
 読み終わると武郎はシルヴィアに弟の研究レポートを返した。
「なるほど、このジュエルフィッシュを捕まえれば宝石も一緒に手に入るということになるわけだね。お手柄だよシルヴィアちゃん」
「そうでしょう。わたしが役に立たなかったことなんてないわ」
「ああそうだね。でも、このジュエルフィッシュがどこにいるかわかるのかい? この島の外だったらお手上げだよ」
「大丈夫よ、お魚に詳しい人を知っているもの。あの人はどんな魚でも知っているのよ」
「本当かい?」
「ええ本当よ。さあ一緒にいきましょ!」
 シルヴィアはベンチからぴょんっと降りて、武郎に手を引っ張って公園のほうへと向かっていった。





「やあお嬢ちゃん。今日は素敵なボーイフレンドをおつれですにゃあ」
 双葉公園の藪の中を突き進むと、風船のように真ん丸に太ったブチ模様の猫が二人を出迎えた。いっちょまえに人間の言葉を喋るこの猫は、どうやらシルヴィアと顔見知りのようである。
「シルヴィアちゃん……この人――いやこの猫はどなた?」
 藪の中で長身の身体を縮こませて、困惑の顔を浮かべながら武郎は尋ねた。
「この人はお魚博士のブチさんよ。とっても賢いの。わたしってばここによく遊びに来るんだけれど、ブチさんはいつもここの池でお魚をとっているのよ」
 シルヴィアが武郎に彼を紹介すると、猫は長い髭をぴんっと肉球のついた手で伸ばし、えへんっと背を逸らした。
「やーやー。吾輩は猫である。名前は学園猫大学魚研究部の教授のブチですにゃあ。何か魚の話でお困りのことがあったなら、なんでもお答えしますよ」
 ゴロゴロと喉を鳴らして緑色の目を向けて名乗る猫を胡散臭く思いながらも、ラルヴァ専門絵本作家として、武郎は臆することなく友好の証として握手を求めて本題に入った。
「実はですねブチ教授。僕はこのジュエルフィッシュという魚を探しているのですが、ご存知ですか?」
「ふんふん。ジュエルフィッシュ。宝石魚ですな。知っています。御存じです。とってもよく知っていますにゃあ」
「本当ですか? それはどこに生息しているのですか?」
「いやはや、それはですね、えっとですね、うーんとですね、人間に教えるわけにはいかないんですが。組合の約束事であまり猫界隈の情報を横流しすることは許されないんだにゃあ」
 猫は困った困ったと呟いて爪で顎を掻いていた。そんな猫の元へとシルヴィアは近づいていき、手に持っていたお菓子屋の袋をひっくり返して地面にぶちまけた。
「にゃあ、それは!」
「わたしからもお願いするわ。もし宝石の魚さんのことを教えてくれたら、これ全部あげるから。本当よ、約束するわ」
 たくさんのお菓子を見て顔の色を変えた猫は、ゴホンっと咳払いをして黙ったまま後ろの藪の奥にある、洞穴を指差した。
「いいのかいシルヴィアちゃん。あのお菓子をあげちゃって」
「いいのよ。もし店員さんと武郎おじさんが結婚したらお菓子食べ放題だわ」
「……結婚って。いやいや、確かにうまくいけばそうしたいけれど」
 武郎が恥ずかしそうにしていると、猫はお菓子に納得したようで、舌なめずりをしてニタニタと笑っていた。
「あそこではジュエルフィッシュの養殖がされているんです。このお菓子は代金としてもらっていきます、さあでは案内するにゃあ」
「ありがとうブチさん、大好きよ!」
 シルヴィアが猫の額にキスをすると、猫は満足そうにしまりのない顔をして、二人を引率していく。
 猫が先頭で進んでいった洞穴は猫用のため随分狭く、シルヴィアは余裕であったが武郎は腰を屈めて、半ば這うように進んでいかなければならなかった。お気に入りのコートが汚れ、腰が痛くなってきているのか、苦痛の顔に顔を歪めている。
 しかし、そんな苦労も洞穴を抜けた先の光景を見てすっとんだ。

「すごい」

 目的さえも忘れて、武郎は感嘆の言葉を漏らした。
 洞穴を抜けた先は木の枝や植物のツルなどの自然物で出来ているドーム状の広い部屋になっていて、ドームの空中を何匹もの魚がすいすいと泳いでいたのだ。
「いや、泳いでいるというよりは、飛んでいると表現すべきか」
「すっごくきれいだわ、これがジュエルフィッシュなのね!」
 シルヴィアは目を輝かせて空を飛んでいる魚たちを目で追った。その魚たちは一見鯉に近い見た目をしているが、直哉のレポートの通り、その鱗は宝石で出来ているようだった。  
 ダイヤモンドフィッシュはドーム内のわずかな隙間から差している木漏れ日を受けて光を乱反射して万華鏡のような七色の輝き鱗に宿している。
 ルビィフィッシュはその爛々とした紅い光を軌道として残し、サファイヤフィッシュは吸い込まれそうなほどに深く、繊細な光を放っていた。
「こ、この魚たちをもらっていっていいのかい?」
 あまりに美しい光景のため、人間が手を出していい物かと思い悩んで武郎は猫にそう尋ねた。
「構わないですよ。養殖に成功したから一匹ぐらいなら。吾輩たち猫は食べられない魚にそれほど価値を感じないのです。むしろ吾輩たちからすればこんなキラキラ光っているだけの石ころをなんで欲しがるのかわからない。人間は不思議だにゃあ」
「ああ、ありがたい。では、捕まえさせてもらうよ」
「どうぞどうぞ。もっとも、捕まえられたら、の話だけどにゃあ」
 猫の意味深な言葉に首を傾げながらも、武郎は猫から借りた柄のついた網とケージを手に持って魚たちのほうへと向かっていった。
「さあ捕まえるぞ!」
 と、はりきって網を振り回してみるものの、捕まえられるわけがなかった。
 なぜならジュエルフィッシュたちは空を飛んでいるからだ。しかも武郎を警戒して網の届かない天井近くを漂っている。
「ううむ。降りてきなさい!」
 武郎が威嚇するように叫ぶと、興奮した魚は猛スピードで飛び始めて、武郎に向かって突っ込んできた。鉱物で出来た鱗を持つ魚の突進の威力は凄まじく、武郎はゴロゴロと吹っ飛んでいく。
「おじさん!」
 痛そうに地面を転がって悶絶する武郎を見て、シルヴィアは心配そうに声を上げた。どうやらジュエルフィッシュを捕まえるのは容易ではなさそうだ。
「大丈夫だよシルヴィアちゃん。僕は諦めない。彼女の心を射止めるためにも、このぐらいの逆境なんて、どうってことないさ」
 再び網を構え、武郎はジュエルフィッシュに立ち向かった。




 それから二時間後。
 武郎はボロボロの姿になってシルヴィアの元へと這いずるようにして戻ってきた。
「ダメだ……これ以上やったら死んでしまう……」
 何度も何度もジュエルフィッシュの体当たりをまともに食らって、彼の肉体は限界に近づいていた。もともと肉体労働に向いていない武郎は、この傷の痛みだけではなく、きっと数日後に酷い筋肉痛に見舞われることだろう。
「武郎おじさん。もうやめたほうがいいわ」
「そうだね、僕には魚を捕まえることはできないよ。神に誓って言うけれどね、僕は釣りとか漁とかこの三十年生きてて一度もやったことがないんだよ」
 疲れ切ったようで、武郎はその場に腰を下ろし、壁にもたれかかってため息をついた。シルヴィアも残念そうにふくれっ面をしている。
「そうだ、せっかくこんな綺麗なラルヴァを見つけたんだ。スケッチぐらい取っておこうかな。シルヴィアちゃん、悪いけれど僕のカバンからスケッチブックと鉛筆をとってくれないか」
 魚を捕まえることは諦めたが、絵本作家としての性なのか、武郎はせめて絵にでも残しておこうとした。シルヴィアは脇に置いてある彼のカバンから仕事道具を取り出して手渡す。
 おじさんは絵が下手だから描いても意味ないのに、とシルヴィアは思った。彼の絵本はどれも子供の落書きのような絵柄だ。
 しかし、スケッチブックと鉛筆を構えた武郎の横顔は真剣そのもので、シルヴィアは目を引かれた。
 そして凄まじいスピードでジュエルフィッシュをデッサンしていく。鉛筆と紙がこすれる音がシュシュッと響き、目にも止まらぬ素早さで描きあがっていく。
 スケッチブックに描きだされた絵は、シルヴィアが知る武郎の落書きのような絵ではなく、写実的な、それこそ本物のように正確な写生であった。
「武郎おじさんって本当は絵がうまいのね! びっくりだわ! どうして絵本はあんなにへんな絵なの!」
「ん? いや、いい絵ってのはデッサンができなければ描けないんだよ。こんなの基本的なことさ。絵本は子供たちのために崩しているがね」
 なんでもないことのように武郎は言っていたが、シルヴィアにはそれが魔法のように感じられた。武郎の意外な才能に、子供ながらに感心している様子である。
 そして武郎がデッサンを描き終えると同時に、奇妙なことが起きた。
 あまりに武郎の絵にリアリティがあったのか、ジュエルフィッシュは自分たちの仲間か、それとも餌だと思ったのかわからないが、ゆっくりとスケッチブックに近づくようにこっちへと向かってきたのだ。
「いまだ!」と思ったシルヴィアは咄嗟の判断で落ちていた網を手に取り、一番近くにいたルビィフィッシュを見事に捕まえた。
「おじさん! ケージ! ケージ!」
「ナイスだシルヴィアちゃん!」
 二人はなんとか鮮やかな赤色をした鱗を持つルビィフィッシュをケージの中に突っ込んで、鍵をかけて閉じ込めた。驚いたルビィフィッシュはケージの中で暴れたが、やがて諦めたように大人しくなっていく。
「……ふうっ」
 ケージの中で静かにしているルビィフィッシュを見て、二人は同時に安堵の息を漏らしたのであった。
「まさか僕の絵で魚が釣れるとはね」
「よかったじゃないおじさま。これで堂々と告白にいけるわよ」
「ああ。シルヴィアちゃん。きみのおかげだ。ありがとう」
 武郎はふんわりとした金髪のシルヴィアの頭を撫で、白く柔らかな頬をつっついた。純粋に人に礼を言われる経験の少ないシルヴィアは照れてしまい、顔をにやけさせながらグネグネと体を揺らす。
 でも本当に良かった、これで武郎は有栖に告白することがでるだろうと、シルヴィアは自分のことのように嬉しくなった。
 それからシルヴィアたちは猫にも礼を言い、洞穴から出て行ったのであった。







 公園を抜けて、シルヴィアたちは再び商店街を歩いていた。当然、目指す場所はお菓子屋『ワンダーランド』である。
「さあおじさま、勇気を出していきましょう」
「あ、ああ。き、きき緊張なんてしていないよ。僕はもう大人だからね。神に誓って言うけれども、緊張してなんて、いないさ」
 シルヴィアの目から見ても明らかに武郎は緊張していた。それも仕方がない。今から一世一代の大告白を行おうというのだから。
「じゃあ、開けるわよ」
 お菓子屋の扉の前にやってきたシルヴィアは、武郎の返事も待たずその扉を両手で力いっぱい押した。
 カラン、コロロロロン。という鐘の音が鳴る。
「いらっしゃいませー」
 シルヴィアが店の奥へと目を向けると、いつも通りに有栖が笑顔で出迎えた。相変わらず美人である。大きな赤いリボンがとても似合っている。
「さあ、武郎おじさん!」
「あ、ああ!」
 武郎はケージにの中でゆったりと浮いているルビィフィッシュを両手で抱えて、ツカツカツカという靴の音を響かせながら真っ直ぐ歩いていく。
 そしてそのまま有栖の目の前に――行くことはなかった。
「え?」
 武郎はしゅばっと直角に右に曲がり、品出しをしていたパート店員である鳩子の傍に立ったのである。
「く、九院女史!」
 裏声になりながらも武郎は彼女の名を呼んだ。すると、鳩子は「何かしら?」と彼の方へと振り返る。眼鏡のチェーンがちゃらりと揺れた。
「あ、あの! これ、僕の気持ちを込めたプレゼントです。受け取ってください!」
 さっと武郎はルビィフィッシュを差し出した。キラキラと、武郎の気持ちを表しているかのように情熱的な紅色を輝かせているその鱗は、鳩子の鋭い目にも反射していた。
「一目見た時から貴女のことが好きでした。どうか僕とお付き合いしてくれませんか」
 そして武郎は告白した。有栖ではなく、鳩子に、だ。シルヴィアはあんぐりと口を開けて言葉を失った。
 武郎に告白された鳩子は顔を赤くし、照れ隠しをするかのように鷲鼻の上に乗った眼鏡の縁を何度も押さえ、もじもじとしている。まるで女学生のようだ。
「お、お気持ちはとってもありがたいのですけど。私とあなたでは十も歳が離れているじゃありませんか。あなたのようなお若い方なら、私のようなおばさんじゃなくて、もっといい人がいるんじゃないかしら」
 できるだけつっけんどんな言い方を務めているかのように鳩子は言った。しかし、それでも引くことはなく、武郎はずいっと顔を彼女に近づける。二人の距離はゼロに近くなった。
「歳の差なんて関係ありません。僕は貴女のことが好きになってしまったのです。子供たちに優しく接するその笑顔、とっても美しい」
「まあ、嬉しいわ……」
「神に誓って、僕はあなたを必ず幸せにします」
 鳩子はさらにぼっと頬を紅潮させて、武郎の素直な気持ちを受け取るかのように彼の目を見つめた。
「ありがとう。もう恋愛なんてできないと思っていたわ。このお魚、いいお魚ね」と鳩子は武郎からのプレゼントを受け取る。その拍子に二人の手が触れあった。
「私魚料理得意なの、あとで私の家でそれを調理しましょう。私は調理師の資格を持っていますのよ。きっと満足させられますわ」
「え? 調理? これは宝石――いや、うん。いいですね。食べましょう、ぜひ一緒に、この魚を」
 バラ色の雰囲気を醸し出している二人を見て、シルヴィアはただただ置いてけぼりを食らっていたのであった。
「ど、どうして?」
 どうして美人の有栖じゃなくてあの恐ろしい魔女みたいなおばさんに? シルヴィアは混乱で何が起きているのかさっぱりわからなかった。
「よかったわねあの二人。なかなか二人の関係が進まなくて私もじれったかったわ。九院さんもあのおじさんのこと気にかけてたし。きっと上手くいくわよ」
 くすりと笑いながら有栖は、ぽかんとしているシルヴィアに話しかけてきた。
「店員さんはおじさんがあのおばさんのことが好きだったこと知ってたの?」
「そりゃあ毎日お店に来て、九院さんに熱い視線を飛ばしていたんだもの。誰でも気づくわ。まあ、シルヴィアちゃんも大人になれば身に着くわ、恋愛ごとに関する女の勘ってやつがね」
 幸せそうな二人を見て有栖もまた幸せを感じているようだ。頬杖を尽きながら慈しむような視線を向けている。
 自分が思っていた結末とは大分異なっているが、見つめ合っている武郎と鳩子の初々しい姿を見て、シルヴィアの顔も自然とほころんだ。
 そして素直な心で武郎と鳩子の恋を祝福したのであった。


 おわり



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