【だから俺は穴を掘る】


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「ああ、穴があったら入りたい……」
 忠郎《ただお》は今日の失態を思い出すたびに悶えたくなるような気分になった。今朝隣で寝ている妻が目覚まし時計を寝相の悪さからけったくって壊してしまい、朝寝坊をしてしまったのだ。
 学園の事務所で働いているため遅刻するわけにも行かず、忠郎は慌てて支度を済ませて家を飛び出した。
 その時に間違ってスーツの上着を裏表逆に着てしまい、その上ズボンのチャックも全開だった。髪もぼさぼさのままだったしきっと学園に着くまでの間街ゆく人たちに笑われっぱなしだったに違いない。なんて恥ずかしいんだろう。これも全部妻のせいだと忠郎は思った。
 仕事を終えた忠郎は、今朝のことを恥じながら帰路についていた。残業のせいですっかり辺りは真っ暗で、灯りはわずかな外灯と家々の窓から漏れる光だけだ。
「ちょっとそこの辛気臭い顔したおじ様」
 そんな暗闇の中で、若い女の声が聞こえてきた。
 声の下方向に目を向けると、外灯の灯りの下に奇抜な格好をした女が立っていた。黒いドレスに黒いとんがり帽子という出で立ちだ。まさに見たままの“魔女”と言った感じがする。コスプレかと思ったが、魑魅魍魎や変身ヒーローが跋扈するこの双葉区において魔女なんて珍しくはない。だがその魔女はトランクを広げ、何やら怪しげな物を並べている。子供の頃に街で見た露天商のようだと忠郎は感じた。
 この通りには自分とその魔女以外の人間はいないから「おじ様」とは忠郎のことだろう。やれやれ、まだ自分は三十になったばかりなのにと腹が立ったが、無視するのも気が引け、忠郎は魔女の傍に寄った。
「なんだか悩みがありそうな顔だわ。ちょっとあたしの商品を見ていきなさいよ」
「悩みってほどのことじゃないけどね……きみはここで何を売ってるんだい」
「とあるルートで仕入れたマジックアイテムよ。きっとあなたの役に立つわ」
 そう言って魔女は自慢げに商品を紹介してきた。
「これは火蜥蜴《サラマンダー》の尻尾、ライター代わりにちょうどいいわ。もっとも火力を間違えると自分が黒焦げだけど。それにこれはインド秘術の水晶で、人間の死期が見えるの。それでこれは猿の手……のレプリカ」
 魔女は次々とトランクから胡散臭い商品を取り出すが、正直興味をひかれるものはない。こんなくだらない物を買うぐらいなら雑誌の広告のパワーストーンでも買った方がいくらかましだろう。
「ん? なんだこれ」
 だが忠郎は一つだけ気になるものを見つける。トランクの傍らに置かれた一本のシャベル。それだけがオカルティックな商品の中で浮いていた。
「ああ、それは大したものじゃないわ。異能者の異能を魔術付与《エンチャント》しただけの物よ」
「ふうん。どんな効果があるんだ」
 忠郎はシャベルを手に取った。ずっしりとした重量で、ひんやりとした鉄の感触がする。一見普通のシャベルにしか見えない。
「嫌なことを忘れさせてくれる魔法のシャベルよ。それで掘った穴に記憶と関連する物を入れて埋めると、その嫌な記憶を忘れることができるの」
 それを聞いて忠郎はピンと来た。これだ。これが自分に必要なものだ。
「それは素晴らしい。いくらだ」
「十万よ」
「じゅ……買えるか!」
「なんて、ここで会ったのも何かの縁、特別に一万円にしてあげるわ」
「そりゃ安い。買った!」
 妻にお小遣い制限されている忠郎にはそれでも痛い出費だが、これ一本あればこれから嫌なことがあってもストレスとおさらばできることだろう。しばらく煙草を買うのを控えることになるだろうが。
「それではお買い上げありがとうございました」
 魔女は不気味にも黒のルージュが引かれた唇をニヤリと歪ませ、溶け込むように闇の中へと消えていった。





「ただいまー」
 すっかり帰りが遅くなってしまったが、忠郎は妻に無理矢理ローンを組まされて買った一軒家――愛しいマイホームにようやく帰宅できた。だが玄関を開けようと思ったら鍵がかかっており、扉を叩いても反応がないため忠郎は仕方なく持っていた合鍵で開ける。
 家に入っても電気はついていない。リビングに行くとテーブルの上にはラップにくるまれている夕飯(ほとんどスーパーの惣菜もの)が置いてあった。「チンしてください」というメモが貼られている。
「はあ……」
 忠郎は寂しさを込めて肩を落とした。
 どうやら妻は先に寝てしまったらしい。しかも晩飯もこれだけとは。一体夫をなんだと思っているんだ。結婚して数年はあんなにラブラブだったのに、と忠郎は幸せな新婚生活を思い出し、今の現実とのギャップに溜息をつく。
「だけど今日はその方が都合いいな」
 魔女から買った魔法のシャベルを持って忠郎は庭の窓を開けた。特に手入れをしているわけではないので、ここを掘っても妻は何も言わないだろう。
 忠郎はシャベルの先を庭の地面に向けて突き刺す。ここは堅い土のはずだが、まるでカステラでも切るように簡単に掘り進めていける。これも魔法のシャベルの力だろうか。
 妻を起こさないようになるべく音を抑えて忠郎は穴を掘っていく。それなりの穴を掘った忠郎は、そこに今朝妻が壊した目覚まし時計を放り込んだ。その後土をかけ直して埋め終わると、すうっと気分がよくなっていく感じがする。
「あれ。俺は何を埋めたんだっけ」
 すっかり目覚まし時計のことを忘れていた。それどころか、それに関する忘れたい記憶、寝坊して慌てて支度を失敗したことも忘却の彼方である。もうあの恥ずかしい記憶を思い出すことは無いだろう。
「何を忘れたのかすら思い出せないけど、どうやらこれは本物のようだな」
 正直眉唾だったが効果は抜群だ。こいつはいいものを買った。忠郎は良い気分で今日は眠れるだろうと、妻が用意した夕飯を食べ始めた。




 それからというもの忠郎は、何か嫌なことや恥ずかしい失敗をした時はこのシャベルでその思い出ごと穴へと埋めていった。
 上司に怒られた時はミスして捨てることになった書類を穴の中へ埋めた。
 通りすがりの女子高生にあのネクタイキモイとか言われたときはネクタイを穴の中へ埋めた。
 エロマンガを買ったのを知り合いの女性に見られた時は泣く泣くエロマンガを穴に埋めた。
 子供の頃の黒歴史ノートもおしみなく穴の中へと埋めていった。
「なんだかきみ最近調子いいね」
 などと同僚にも言われるぐらい、忠郎はストレス知らずで快適な毎日を送っていた。
 いや、ただ一つだけ、大きなストレスの要因が存在する。
「あらあなたお帰りなさい。わたし今からドラマ見るからお風呂沸かしておいてね」
「…………」
 忠郎は文句も言うこともできずに、妻の言う通りに風呂を沸かした。
「はあ。仕事で疲れてるんだから風呂ぐらい沸かしてくれてればいいのに。ドラマ見てちゃ飯も当分後だな」
 出会った頃はあんなに可愛いかったのに。今じゃこうして自分をこき使うだけだ。
 最近妻は外出も多くて自分より遅く帰ってくることがある。一体どこで何をしているのかなんて話もしないし、聞いたら文句を言われそうだから忠郎は問いただすこともしない。
 浮気でもしてるんじゃないだろうか、そんな懸念が忠郎の頭によぎった。
「まさかね」
 そう呟きながら忠郎はスポンジで風呂桶をゴシゴシと磨いていく。妻はあんな性格ではあるが、見た目は美人だ。そんな妻に忠郎は一目惚れをした。今でも美容管理を怠ることはない。そういう点で言えば理想の妻とも言える。だがそれだけに心配事も多い。
 それからも妻は遅く帰ってくることが多く、ますます忠郎は不審に思い始める。そして妻は相変わらず忠郎をこき使った。
「あなた。ゴミ出しておいて」
「うん」
「あなた。晩御飯の材料買うの忘れたから買ってきて」
「うん」
「あなた。肩揉んで」
「うん」
「あなた。狭くて眠れないからもっと隅寄って」
「うん」
 なんで自分がこんな思いをしなくちゃいけないんだ。忠郎は妻の言うことに逆らえないままだったが、妻への不信感から、いつも以上のストレスを負い始めていた。
「疲れた……もうこんな生活は嫌だ」
 ある晩家に帰ってきた忠郎は、くたびれたようにソファに座り込んだ。仕事では上司にこき使われ、家では妻にこき使われる。仕事でのストレスは穴に埋めて忘れてしまうことができていたが、忠郎は妻のことに関しては今まで穴に埋めてこなかった。
 でも限界だ。もうなにもかも忘れてしまいたい。
 今日も帰ってきたら妻がいなかった。それどころかいつもは適当でも用意されていた夕飯すらない。
 本当に浮気でもしているんじゃないだろうか。自分は妻の奴隷として夫をしているわけじゃないんだ。その上他の男に気を持っているとなったら……疲れ切った忠郎の心の中で、何か黒い感情が湧いてくる。
 気が付けば、忠郎は手にあの魔法のシャベルを握りしめていた。
 妻のことを忘れてしまえば、自分は楽になることができるだろうか。だけどどれだけストレスを埋めて忘れてしまっても、妻とは毎日顔を合わせ、毎日こき使われる。
 ならどうすればいい。いったい何を埋めてしまえば妻のことをすっかり忘れることができるのだろうか。
「…………」
 忠郎はぼんやりと、シャベルを見つめていた。
 すると、がちゃりと玄関が開く音が聞こえてくる。妻だ。またこんな遅くに帰ってきたのだ。忠郎は虚ろな目で、ズルズルと重たいシャベルを引きずりながら玄関の方へ行き、妻を出迎えた。
「ただいま。あら、何よそのシャベル。庭の手入れでもするつもり?」
 妻は悪気無さそうな顔でそう言った。それが余計に忠郎の癇に障り、自然とシャベルの柄を握る手に力が入る。忠郎の怒りと我慢は限界だった。
「お前……今何時だと――」
 忘れてしまおう。何かも。
 妻のことも、全部。
 しかし、忠郎がシャベルを強く握り締めた瞬間、
「あなた。誕生日、おめでとう! はいこれ、誕生日プレゼントよ」
「――え?」
 妻は忠郎にプレゼント用の包装がなされた箱を差し出した。
「……誕生日? 誰の、俺の?」
「やだあなた。自分の誕生日が今日だって忘れてたの? これ、いつもお仕事がんばってるあなたのお礼もかねて、新しいネクタイを買ってきたの。ほら、前の趣味の悪いネクタイ無くなっちゃったでしょ」
 そう言って妻は忠郎にネクタイの入った箱を忠郎に差し出した。忠郎はただ茫然として、しばらく何も考えられなくなる。
「わたし最近あなたが帰ってくるまで出かけてたじゃない。実はあなたに内緒でコンビニの短期バイトをしてたの。プレゼントなんだし、わたし自身で稼いだお金でプレゼントが買いたかったもの。それに驚かせたかったから黙ってたの。ごめんね、いつも遅く帰ってきて。今日でバイトも終わったから、明日からちゃんと家にいるわ」
 妻は新婚の時のような、愛らしい笑顔で忠郎にそう言った。
 カラーンっと、忠郎の手から離れたシャベルが床に転がる。代わりにネクタイの箱を握り締め、忠郎の目からは涙が溢れ出る。
「ごめんよ、ごめん……」
 気が付いたら忠郎は妻を抱きしめていた。強く、熱い抱擁だ。
 そうだ。妻は確かに気が強く、自分を尻に敷くような女だ。ズボラだし、見た目ばかり気にしているが掃除だってろくにやらない。
 だけど、それでも自分は妻が時折見せる優しさに惹かれて結婚したのだ。
 それを自分は忘れていた。
 忠郎は子供の様に泣きじゃくりながら、しばらく甘えるように妻を抱きしめていた。妻はあっけに取られていたが、優しく彼の頭を撫でる。
「もう、そんなに感動しなくてもいいじゃない。遅くなっちゃったけど夕飯の支度しなくちゃ。今日はあなたの好きなハンバーグを作ってあげるわ。誕生日ケーキも買ってあるわよ、コンビニのやつだけどね」
「ありがとう。ありがとう」
 それから二人は楽しく食事をした。
 忠郎が久しく忘れていた、幸せな食卓であった。





 翌朝、忠郎はシャベルを手に持って庭に立つ。
「何をするのよあなた。こんな朝早くに」
 眠たい目をこすりながらも妻は忠郎の行動を見守っている。忠郎はシャベルを使って今まで埋めてきた忘れたい思い出の物を総べて掘り返していく。
「もう俺にはこんなもの必要ない」
 そうして空っぽになったその穴に、忠郎はシャベルを投げ込んだ。
 その上に土をかけると、忠郎はすっかり魔法のシャベルのことを忘れてしまった。


(了)



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