【あの日に帰ろう】


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 梅雨明けから続く晴天、山間《やまあい》から覗く巨大な入道雲。肌を突き刺さんばかりに照り続けてくる日差しは陽炎《かげろう》となってアスファルトを揺らし、さらに蝉の鳴き声がけたたましく脳に響く。
 今年で二年目とはいえこの盆地の夏の暑さはというものはあまりに凄まじく、高校卒業までの十八年間ずっと海沿いの町で暮らしてきた自分にとって、むせ返るほどの熱気が身を包み込むこの環境はまさに地獄そのものだ。
 それでも、あの実家を出るために出来る限り遠く離れた(その上で自分の学力でなんとか入学出来る程度の)この大学へ通うことにしたと考えれば、例えどれほどの苦痛であっても今の僕なら甘んじて受け入れられるだろう。


 ――この時期になるといつも、僕はあの年のことを夢に見るようになる。
 僕の家族が崩壊した三年前の夏を――





【あの日に帰ろう】






 そう、それは三年前の夏のことだった。

 まもなく訪れる大学進学を視野に入れ始めていた高二の僕と、地元の中学へと進学したばかりの四つ歳の離れた妹。そして綺麗で優しい母と、厳格だけど誰よりも僕たちのことを愛してくれていた父。
 地方中都市のベッドタウン、決して大きくはない閑静な住宅地に一軒家を構える程度のどこみでもありふれたようなごく普通の家族。それでも僕たち四人はその年まではずっと幸せに過ごしてきた。

 父をはじめ親族や近隣住人そしてまた僕も含め、妹は母の若い頃によく似ていると口を揃えて褒め、そして皆心から彼女を可愛がっていた。
 整った顔立ち、長く伸ばした黒いさらさらのロングヘア。容姿はまだ子供のそれだが、あと数年もしたら母のように美しい女性へとなっていくだろう。
 勉強も運動も人並み以上にこなし、たくさんの友達に囲まれ、また人を労《いたわ》り思いやることのできる彼女は、何の取り柄もない僕にとって自慢の妹だった。





 全ての始まりは、鬱陶しいほどに降り続く梅雨の頃。妹の通う中学から実家へと入れられた一本の電話からだった。
 彼女の担任教師から「中学進学当初は模範ともいえるほどに優秀な生徒だと見ていたのに、最近になって急に居眠りをするようになったり、それを教師が無理矢理起こすと意味不明な言葉を残し勝手に席を立って教室を出て行ってしまったりと、授業をまじめに受けないようになってしまった」と伝えられた。
 ゴールデンウィーク明けに行われた中間テストではそれなりの好成績をとっていたことを考えても、そしてまた妹の小学生時代の様子を思い返してみても、その連絡は我が一家にとってあまりに信じられないものだった。
 父は激怒し妹に厳しく問いつめた。しかし妹はただただ「ごめんなさい」と涙を流し首を振り続けるばかり。母はそんな父をなんとかなだめすかし、いつもの優しい笑顔で妹から詳しい話を聞きこうとした――が。
 妹は「自分でも何だかよくわからない、自分が自分でないような、現実の自分自身がまったく思うように動いてくれない」としか答えなかった。
 父はそんな妹の言葉を、怠けを正当化しようとする言い訳だと聞き入れようとせず、次にまたこのようなことがあるのならただでは済まさないと言い放った。

 それから数日間は辛うじて頑張っていたようなのだが、それもそう長くは保たなかったようで一週間と経たないうちに妹はまた授業中において教師の顔色すら気にせずうつらうつらと船を漕ぐようになってしまったらしい。
 夜遅くまで起きて遊んでいたりするのではないか、などと家庭での事情や生活習慣について担任教師に問われたりもしたが、実際のところ最近の妹は夕食もそこそこにさっさと風呂を済ますと、何をするわけでもなくすぐに自室のベッドで横になってしまっていることがほとんどだった。
 あまりの授業態度の酷さに学校側も手を焼き、また仲の良かった友達やクラスメイトからも距離を取られるようになったりもしたが、それでも妹は朝はちゃんと自分で目覚めしっかりと朝食をとり、休むことなく毎日学校へと通い続けていた。

 しかしこの決して広くはない町内において、近所から「あの家の娘さんが……」と噂が立ち始めるのも時間の問題だった。
 父はそれまで溺愛していた妹を「我が家の恥晒し」と煙たがるようになり、僕もまた表面上はいつも通りを装いながらも、変わってしまった妹とどう接したらいいのかわからずにいた。
 母はそれでも何とか家族の仲を取り持ちながら幾度となく妹と向き合いいろいろと話し合っていたが、結局本人から詳しい事情を聞き出せることなく何の解決策も見いだせないまま。
 また母は妹を連れ様々な病院へと出向いたりもしていた。だが、どこの病院でも「日常生活に支障をきたすような心の病気に侵された者」と、ありふれた精神病患者の一人という扱いをされるしかなかった。


 そんな日々が約一ヶ月ほど続いた。
 梅雨明けと同時に行われた期末テストを、妹は本意か不本意かほとんどの科目を白紙で提出していた。当然ながらあまりにも酷い結果だったのだが、そんな妹に対して父はもう何も言おうともしなかった。
 仲の良かった幸せな家族の姿はもうどこにもなく、|そ《・》の《・》日《・》が《・》訪《・》れ《・》る《・》ま《・》で《・》僕たち一家はただ機械的に一日一日を静かに潰していった。



 ………………。


 その日、僕は妹のあげる絶叫で跳び起きた。



 妹は「お母さん起きて! お母さん目を覚まして!!」と泣き叫び、それでも一向に目を覚まさず眠ったままの母の肩を強く揺らし続けていた。僕は、そして父もまた、そんな狂気めいた妹の姿に怖気《おぞけ》立った。
 母は救急車で病院へと運ばれ、それでも目覚めぬ原因が判明されないまま緊急入院することとなった。

 しかしそれ以降、母は二度と目を覚ますことなく、医師の懸命な治療も、父や自分そしていつまでも泣き止まない妹による看病や励ましの言葉も届かないまま急激に衰弱していき、そして数日後――


 ――母は鬼籍の人となった。




 父が妹の奇行による世間体を気にしたからか、母の葬儀は親族だけで手短に行われた。
「自分のせいだ、自分が母を食い殺したからだ」と妹は人目もはばからず一人嘆き叫んでいた。しかし一切の外傷のなかった母の遺体を前に、繰り返される妹の意味不明な言葉にもう誰も耳を貸すことはなかった。



 夏休みに入ると妹は自室に引きこもり、その生活のほとんどをベッドで横になって過ごすようになっていった。
 父は「あいつはもううちの人間なんかじゃない、放っておけ」と言い捨てた。
 僕には母の代わりは出来なかった。
 暑い、息苦しいほどに暑い夏の日々は、静かに、重苦しいほどに静かに過ぎ去っていった。

 お盆が明け夏休みも残り十日ほどとなった頃、東京湾上の埋め立て地に建設された「双葉学園」から、妹宛に編入手続きの案内が届いた。
 以前、生前の母が連れ添って通っていた病院の一つから紹介されたらしい。妹の心的病状の治療やそのリハビリも含め、双葉島及び双葉学園での療養生活を行うべきである、というものだった。
 父はまるで厄介者を押し付けるかのようにその編入届を書き殴ると、妹へ「まっとうに生活できるようになるまで戻ってくるな」と言い放ち、家を追い出した。
 妹は何も言わず父の言葉に従い、二学期から双葉学園へと転校していった。

 母を亡くし、妹を追い出し、我が家は僕と父の二人きりとなった。
 何も出来ないでいた僕は「家」にいることが辛《つら》くなり、いつしか帰宅もせず遊び歩くことが多くなっていった。そして、僕は家から通うことが出来ないほど遠く離れたこの盆地にある地方の大学へと進学し、逃げ出すように一人暮らしを始めた。



 ………………。


 母が亡くなったあの日から約三年、僕が大学に進学してから一年と数ヶ月、残された僕たち三人家族は一度として顔を合わせていない。

 その日、講義で課せられた宿題や実験課目のレポート作成、そのほかにもテレビやマンガやゲームやインターネット、やりたいことややらなければならないことはたくさん抱えていたのだが、連日見続けるあの日の夢に辟易していた僕は、日付を跨いでまもなく自分としては少し早い時間ではあるが翌朝一限目の授業のことも考え、早めに床へ付くことにした。



 ………………。



 それがまたこの時期に見続けるいつもの「三年前のその日の夢」であると気づくのにさほど時間を必要とはしなかった。
 初夏の明け方の時間、実家の自室のベッドで横になっている自分。「三年前のその日の夢」のとおりに程なくして階下から妹の絶叫が届き、僕はベッドを飛び出すと母の寝室へと駆け込んだ。
 そこにはいつもの夢のとおりに繰り広げられている目覚めぬ母の肩を揺らし続ける妹と、傍らで佇んだままの父の姿。
 そして僕もまたいつも通りにその狂気めいた光景に怖気《おぞけ》立っ――――

 瞬間、轟音と共に強い揺れが家を襲い、突如一頭の巨大な|赤《・》黒《・》い《・》化《・》け《・》物《・》が天井を喰い破って姿をあらわした。
「なっ……!?」
 それはいつも見続けている「三年前のその日の夢」では起こりえない事態だった。

 崩れた天井の破片は母の傍らにいた父と妹を押しつぶし、同時に下敷きとなった二人を巻き込み黒いもやとなって霧散する。象と熊と虎を足して割ったような、長い鼻と大きな牙をもったその化け物は大きく息を吸って発生したそのもやを飲み込んでいった。
 その化け物は「三年前のその日の夢」のとおりに布団で横になったままの母と化け物の登場と黒いもやとなって消えた二人のことで腰を抜かしている僕を見回すと、力強く床を蹴って天井といわず壁といわずその鋭い爪と長い牙をもって次々と引き裂き咬み砕き、その破片と発生する黒いもやをいともたやすく飲み込んでいった。
 そして我が家を原型を留めないほどに喰い潰すと、化け物は床に腰を着け見上げたままの僕に視線を送り、次に何のためらいもなくその牙を次に僕の母へと向けて駆けだした。
「やっ……やめろぉぉお!!」
 僕は慌てて叫び、母を庇い前へと立ち塞がり両手を広げ化け物と対峙する。
 僕の行動に驚いたのか、それともそれすら見透かされていたのか、化け物は急ブレーキをかけるかのように速度を落とし僕の眼前で立ち止まった。

 怖い。
 自分よりもはるかに大きい、軽く数メートルはあるだろう巨躯の化け物が眼前にいる。長い鼻の下にある牙を生やすたその口は、大きく開けば恐らく僕たちなど一飲みにしてしまうだろう。
 いつもとは異なるとはいえこれがあの夢であるということは理解しているはずなのに、手足の震えが止まらない。
 しばらくの間互いに動かず、おそらく十秒と経っていないだろうがそれは僕にとってとても長い時間に感じられた。
 化け物はそのつぶらな瞳をふっと悲しそうに逸らすと、後ろ足で立ち上がり――――僕はその光景に目を見張った。
「……えっ!?」
 立ち上がると同時に化け物の巨大な体が徐々に萎《しぼ》んでいったのだ。
 長い鼻も鋭い爪も姿を消し、力強く生えた牙は少し尖った八重歯へ。全身を覆っていた赤茶けた体毛は主に頭髪だけを残してそのほとんどが抜け落ち、その下からは透き通るほどに白い、人間の女性特有の柔らかな曲線を描く美しい素肌が姿を現した。
 程なくして巨躯の化け物は赤黒く長い巻き毛の髪にだけその特徴を残し、華奢な体型に豊満な乳房を携えた少し背の高めな全裸の女性へと変わり――――
「そんな……お前は、|離夢《りむ》なのか……?」
 彼女が双葉学園へと転校していって約三年、雰囲気の違いこそあれ僕の記憶に色濃く残る母に似た美しい大人の女性へと成長した|妹《・》の姿がそこにあった。
 僕は反射的に肌を晒したままの彼女から目線を逸らした。
「お兄ちゃんどいて、そいつ殺せない」
 彼女が鋭く言い放つ。っていうか僕のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのは記憶にある限り妹だけのはずなのだが、まさか本当に離夢だというのか。
 妹(の姿のように見える人物)は僕の後ろで眠ったままの母を見下ろしたまま、幼少の頃の関係のようにその裸体を隠そうとすらせず一歩また一歩と僕へと近づいてくる。
「そんな物騒なことを……いつもは、っていうかあの時は『お母さん目を覚まして!』なんて言ってたじゃないか」
 僕の言葉に離夢は歩みを止め、ゆっくりと目線を僕へと向けると首を横に振った。
 ……その振動で彼女の見るからに柔らかそうな胸がふるふると揺れ、僕は目のやり場に困惑してしまった。
「あの日のそれは本当のこと、だよ。でも今のそのお母さんも、それにさっきのお父さんも私もこの家も、ううん、お兄ちゃんが今見てるこの夢自体が、化け物《ラルヴァ》なんだから」
「ラルヴァ……?」
「うん、この世の人外《ばけもの》の総称、だよ」
「そんなこと言ったら今の離夢だってあんなでっかい象みたいな熊みたいな化け物から変身してみせたじゃないか。っていうか、お前のほうが離夢の姿をした化け物じゃないのか……?」
 と、言ってから後悔した。彼女がふっと悲しそうな目で視線を落としたからだ。
 そして彼女はしゃがみ込むと足下に転がっていた家の破片を拾い上げ、その手にグッと力を込めた。すると、家の破片だったそれは彼女の手の中で溶けるように黒いもやへと変わっていった。
「これは……こいつらは今、お兄ちゃんの夢に巣喰うラルヴァ『悪夢《ナイトメア》』。私はお母さんを救えなかったあの日からずっと、いろんな人の夢を渡り歩きながらこいつを消し続けてるんだ。もう二度とお母さんの時のような不幸が起こさないために、ね」
 言って、両膝を抱えその大きな胸を押しつぶす姿勢のまま、彼女は手の中の黒いもやを啜り取った。
「ナイトメア……悪夢?」
 妹はゴクリとそれを飲み込むと再び立ち上がり、
「あの頃はまだ私もその知識はなかったんだけど、お母さんもそうだった。それに今のお兄ちゃんもそう、お父さんもそう。お父さんは|夢見《ナイトメア》|せ《・》|悪夢《デザイア》に、お兄ちゃんは|追想《ナイトメア》|の《・》|悪夢《クレイドル》に、この時期になると毎年取り付かれてる」
 なにがなんだかもうさっぱりわけがわからない。僕は彼女の言葉に首を傾げていると、
「うーんと、本人の欲望をそのまま夢に具現可するのがお父さんのよく見てた|夢見せ悪夢《デザイア》。お兄ちゃんのこれは、過去の記憶の……中でも特に嫌な思い出を繰り返し見せつける|追想の悪夢《クレイドル》」
 彼女の言葉を借りるなら、僕が初夏にはいるとあの日の夢を見続けるようになるのは、そのラルヴァという化け物がそうしむけているから、なのだそうだ。
 彼女はまた僕の後ろの母を鋭い眼光で見つめた。
「お兄ちゃんももう気づいてるんでしょ?」
 彼女の目線を追い、僕はちらりと振り返った。いつもの夢の通りに布団へと横になったままの母。先ほど黒いもやとなって消えた父や妹と同様に、この母もまた……?
「そう、これは夢。しかも悪夢《ナイトメア》が見せる悪夢《あくむ》なんだから。ここにはお父さんもお母さんもいない、全部が悪夢《ナイトメア》なんだから」
 彼女は再び僕の方へと歩み寄ると、ぴたりと触れ合えるくらいの距離にまで近づいた。
「だから、そこをどいて。お兄ちゃん」

 僕は意を決して彼女の両肩を掴み、互いに目線を合わせる。
「――お前が本当に僕の知る離夢なのだとするなら、約束してくれないか」
「……ん」
「今はもう僕たちこんなんだけど、お母さんはもう帰ってこないけど。僕たち家族三人、いつかまた一緒に暮らせるような日が来るよな?」
 真っ直ぐ、僕は真面目に離夢へと尋ねた。離夢はふっと顔をほころばせると、
「……やっぱり親子だよね。お父さんも私に同じこと言ったんだ」
 少し悲しそうに微笑んだ。
「まっとうになれるかどうかはわからないけど、私は私なりに双葉学園生として頑張ってる、と思う。結果は残せないだろうけどたぶんこのまま一般生として高等部を卒業するから――――ん、私の成績で卒業、できるのかなぁ――――卒業できたら一般生として地元に戻りたいんだ。だから……」
「うん」
 僕は彼女の言葉に頷いた。途中に挟まれた小声の呟きが微妙に気になったが。
 離夢が僕に向けて小指を差し指す。
「三人でまた一緒になれますように、って約束」
 そして彼女は再び微笑んだ。
 僕は離夢に応え自分の小指を彼女のそれへと絡ませると、一歩横へと身を引いた。

 離夢が両親へと触れると二人は一瞬にして黒いもやへと姿を変え、そしてそれは彼女の腹の中へと飲み込まれていった。手慣れた作業、というほどにそれは一瞬で済まされた。
「うん、今日はこれでおしまい、かな」
 離夢は裸のお腹をさすりながら言った。
「たぶん後二回、来年と再来年。そしたらその次は本当のうちに、一緒に帰ろう?」
 そして離夢は先ほど僕と絡ませていた小指をたてて微笑んで見せた。
 ふと視界が霞んだような気がした。

「それじゃ、またね。お兄ちゃん」



 ………………。



 盆地の気候は昼夜の差が激しく地獄の釜の暑さは夜になるとうって変わり、明け方はむしろ気をつけていないと冷え込むことさえある。
 僕は目を覚ますと布団に横になったまま天井を見上げていた。
「変な夢を見た……ような気がするなぁ」
 それがどんな夢だったのか「変な夢を見た」と口にした瞬間に忘却してしまったような感じがするが、ただそんな記憶だけがうっすらと残っていた。

 枕元の充電器にさしておいた携帯電話が鳴った。目覚まし用アラームではなく着信のメロディだった。
「誰だこんな朝っぱらから……」
 こぼしながら手を伸ばし携帯電話と取る。

 それは、大学に進学してから約一年半、初めて鳴る実家からの着信だった。





 【あの日に帰ろう】終






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