【外法童女めぐる】


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 狗神《いぬがみ》という、犬の霊を作り出す外法がある。
 犬の頭だけを出して土に生き埋めにし、極限の飢餓状態になるまで待つ。そしてその犬の目の前に餌を置いておく。
 犬が執念を持ってその餌に食らいつこうとする瞬間を、一刀の下に切り落とす。そして腐り白骨化するのを待ち、その頭蓋骨を祀り加地祈祷する。そうして生まれた狗神は、未来永劫、術者とその血族に憑くことになる。




「その狗神様を“式《しき》”として使役するのが、明治時代から続く呪《まじな》い屋、おいらたち暗闇坂《くらやみざか》一族なんでさあ」
 自分のことを“おいら”と呼ぶ変わった童女――暗闇坂めぐるは、双葉学園の応接室のソファの上で正座をしている。丸々とした瞳と癖の強い猫毛が印象的だ。
 呪い屋として闇の世界を生きてきた彼女は、機関に目をつけられて双葉学園に編入することが決まった。その手続きのため今日は双葉学園の説明を受けに来たのだ。正式な登校は数日後になるだろう。
「そういうわけで。この暗闇坂めぐる、誉れ高き双葉学園のお世話になりやす」
「なるほど。まだ八歳なのに随分と立派に挨拶できるね。それじゃあ今度きみは双葉学園初等部、二年のクラスに入ってもらうよ」
 めぐるの担任になる初老の教師は、にこやかに学園の説明をしていく。めぐるには付き添いの保護者がいないため、説明をすべて自分で聞いていた。
「そうだ。制服の採寸がまだだったね。今日ついでにやってしまおうか」
「あいや、それはちょいと遠慮願うぜ先生。おいらはこの格好のまま登校をさせてもらいます。上の許可も得てまさあ」
「へえ。なんでまた。可愛いのに。ここの制服」
 教師はきょとんとしていた。もっとも、この学園の服装に対する規則は緩く、中には前の学校の制服のまま卒業していく変わった者もいる。
「おいらたち式神使い――中でも外道《げどう》を使役する人間は、自己のスタイルを簡単に変えちゃいけないことになっていましてね。大きく服装を変えたりすると式神の使役にブレが生じるんですよ。おいらの場合、狗神を会得した時と同じ服をずっと着ていなきゃいけないんでね、もっともちゃんと同じ服を何着も持っているから臭ったりしませんぜ。安心してくだせえ」
 きししっと歯を見せてめぐるは笑った。
 めぐるの服装は昭和を思わせるような物だ。頭には黄色い帽子。白のブラウスとサスペンダーで繋がっている赤のスカート。そして古ぼけた赤いランドセルを背負っている。
「そういう理由なら仕方ないね。じゃあこれ一応パンフレットね。よく読んでおいてちょうだいよ」
 教師は『双葉学園の過ごし方』と可愛いイラストが描かれたパンフレットを、めぐるに渡した。広い学園の敷地も、これがあれば迷うことはないだろう。
「今日のところはこれで手続きも説明も終わりかな。じゃあめぐるちゃん。寮に一人で帰れる?」
「心配ありがとうございます。おいらは大丈夫ですぜ。でも帰る前に、少しだけ学園内を回ってみたいんですが、よかですか? お手をかけさせてはいけないので、付き添いはいりませんぜ」
「構わないよ。迷子になったり困ったことがあったらちゃんと近くの生徒か先生に頼るんだよ」
「わかりました。それでは、失礼します」
 ぺこりとお辞儀をして、めぐるは応接室を後にした。
「えへっへっへ。あはははははは!」
 廊下に出ためぐるは、さっきまでの礼儀正しさはどこに行ったのか、普通の子供のようにげらげらと笑い出す。
「さあて。今日からおいらの野望が始まるんだ。気を引き締めていくぜ相棒」
 めぐるは背負っているランドセルに目を向けて、誰かに話しかけるようにそう言った。めぐるにはここに来た目的がある。
 呪い屋としての暗闇坂一族は既に没落している。
 それというのも、戦後からはオカルトの類が信じられなくなってきて、呪い屋に頼ってくる客は減ってしまった。その後の大異変によってラルヴァと呼ばれる魑魅魍魎、異能者たちの倍増に伴って呪い屋の信頼が回復するものと思っていたが、むしろ今度は増えだした異能者たちに埋もれてしまい、異能の術を使うものも珍しくなくなり、カビの生えたようなしきたりを持つ呪い屋は用済みとなってしまった。
 代々呪い屋の暗闇坂家も、今では客一人やって来ない。
(だけど、ここで名を上げれば暗闇坂の名もまた闇の世界に轟くに違いねえや)
 めぐるは廊下をとてとてと歩きながらニヤリと笑った。
(そのためにもまずは学園の実情を掌握しなくちゃいけねえ)
 そういうわけで今日はこの双葉学園の敷地をひたすら歩き回ってみようとめぐるは思った。
 だが歩いても歩いても、終わりが無い。
「こ、この学校はどんだけ広いんだよぉ~~~~!」
 歩き疲れてしまっためぐるは、その場にしゃがみ込んでしまった。スカートを気にしていないのか、その中の白い物が見えそうになる。
「こんなバカでかい物を海に立てるなんて、ほんとお偉いさんの考えることはおいらにゃわかんねーよ……」
 広大な学園の敷地、校舎内は迷路のようだし、外に出ても校門までどのぐらいの距離があるんだかわからない。地元の学校にいるときには見たこともないような数の生徒たちがこの学園で生活をしている。
(うんにゃ、こんなことで挫けてちゃダメだ。おいらはいずれこの生徒たちの頂点に立たなきゃいけないんだから)
 パンパンと自分の顔を叩いて喝を入れめぐるは立ち上がる。
 めぐるにはある目標があった。
 それは当然暗闇坂家の復興、という偉大な最終目標もそうだが、そのためにまずこの学園で成せばならぬことがある。
 それはこの双葉学園の頂点、醒徒会長になること。
 たとえ今はまだ無理でも、いずれはこの双葉学園を牛耳るのだ。それこそが暗闇坂家の威厳を取り戻す近道に違いない。未来ある異能者たちをこの手で束ね、あらゆる権限を手にする。政府にも繋がりを持ち、莫大な資金だって自由に動かせるかもしれない。
 それに醒徒会長ともなれば将来は約束されたも当然。めぐるは闇の世界で培った、子供らしからぬ熱い野心を胸にここへやってきたのだった。
 でも少し疲れたので、めぐるは敷地内のベンチによいしょっと腰を下ろす。同年代の子供の中でもさらに小柄なめぐるは、足が地面につかないのでブラブラと揺らしていた。
「はぁ。早く御鈴《みすず》様とお会いしたいぜぇ」
 めぐるはぽっと頬を紅潮させて想い人の名を口にする。そもそもめぐるがこの学園の入学を決意し、醒徒会長を目指そうと思ったきっかけはその人物にあるのだ。
 噂で聞いた話では現醒徒会長はあの陰陽術の大家、藤神門《ふじみかど》財閥の令嬢と聞く。同じ式神使いとして、めぐるは顔も知らぬ醒徒会長に憧れを抱いていた。
 自分たち暗闇坂一族と異なり、藤神門一族は没落することなく財を築き続け、この双葉学園の理事も務めているという。
 その財閥の跡取りであり、現醒徒会長の藤神門御鈴は式神の最高位である十二天将の一柱を使役しているらしい。狗神という低俗な呪詛を操る自分たちとでは天と地の差もある。本来なら同じ土地の空気を吸うことすらありえない格差だ。だがこの双葉学園ならば彼女と接点をもつことも夢ではない。
「おいらも御鈴様のような醒徒会長を目指すんだ! そして御鈴様に並ぶ最強の式神使いになって、暗闇坂の名を世に知らしめてやる」
 めぐるは決意を込めて拳を突き上げる。
 それにしてもその現醒徒会長の御鈴は一体どういう人物なのだろうかと、めぐるは空想にひたる。名を知っていても実際に見たことは未だない。
 財閥の令嬢なのだから、きっと清楚で艶やかな絶世の美人なのだろう。人望に恵まれるほどの人格者で、背も高く気品が漂う大人の女性……。そして術者として最強の力を誇っているに違いない。
「ああ、会いたいな御鈴様。一目でいいから生で見てみたいぜぇ。生徒総会があるまで顔も見れないのかなぁ」
 なんて願っても相手は今の自分にとって雲の上の存在。そうそう好機はないかもしれないが、もしかしたらと考えてしまう。めぐるの中で御鈴の妄想が頭で膨らんでくる。これからの学園生活にも期待し、たまらなくわくわくしてきた。
「さて、いつまでものんびりしちゃいられない。そろそろ探索を再開するとするかぁ」
 そうしてめぐるがベンチから飛び降り再び庭を歩いていると、さっと足元を虎模様の白猫が通り過ぎた。なんで学園に猫が、と思っていると、
「わあ~~! どくのだ、どくのだ~~~~~~~!!」
 という声が後ろから聞こえてきた。
「へ?」
 と振り返った時にはすでに遅く、激しい衝撃と共にめぐるの視界は暗転した。地面に突っ伏したかと思うと、めぐるの上に誰かが重なるように倒れ込んできた。苦しい。
「いててて……ったく。誰だよー、おいらにぶつかってきたのは」
 めぐるが自分に伸し掛かっている人物を睨みつけると、のそのそとどき始める。
「うう、痛いのだ……。まったくどこを見て歩いているのだ」
「それはこっちのセリフだ!」
 ぶつかってきたのは随分と幼い印象を受ける学園の女生徒だった。まだ頭がくらくらするのか、うーんっと頭を押さえている。そんな彼女にさっきの白猫がにゃあにゃあと鳴き声を上げてまとわりついている。
「仕方ないであろう。こいつが走り出したせいなのだ」
 ひょいっと少女は白猫を抱き上げた。
「ペットのせいにするんじゃないぜ。まったく、これだからガキは」
 はんっとめぐるはじとりと女生徒をねめつける。一体いくつなんだろうかこいつは、背丈から自分よりは年上かもしれないがまだ子供だろう。闇の世界で生きてきた自分の方が人生経験は上に違いないと、めぐるは思った。
「私はガキじゃないのだ。お前のがよっぽど子供なのだ! ほれ、私は大人なのだ」
 そう言って少女はスカートをたくしあげた。なんと彼女は大人っぽい黒のパンツをはいていたのだ。めぐるは「ぐう。負けた」っと気圧される。めぐるはずっとバックプリントの入った女児パンツのままだった。とても見せられない。
「うう。ちんちくりんの癖に。パ、パンツぐらいなんだよ。おいらのがよっぽどセックシーだぜ。おいらの胸の方が絶対大きいもんね」
 まったいらな胸を張ってめぐるはそう言ったが、どう見てもどっこいどっこいである。
「まだ私はこれから成長するのだ。超巨乳になるのだ!」
「そんなのおいらだってそうさ。絶対にボインボインになるんだ!」
 めぐるは少女と火花を散らして睨み合った後、ふうっと肩を落とした。何をしてるんだ自分は。こんな子供といがみ合っている暇なんて無い。
(そうだ。御鈴様を探してみよう)
 あてもなく歩くよりも、目的を決めた方がいいだろう。寮の門限まで今日は学園の探索に費やそうとめぐるは考えた。顔すらわからないのにどうやって探すのか、なんて考えはめぐるの頭にはなかった。めぐるは自分が思っている以上にバカだった。実は掛け算の九九ですら全部言えない。
 だがそうして歩いていると、後ろから足音が聞こえる。
「なんでついてくるんだよ!」
「べ、別になんでもないのだ。暇だったからついていこうと思っただけなのだ」
「ふん。勝手にしろい。おいらに迷惑かけるなよ」
 子供のお遊びに付き合っているほど暇じゃない。めぐるはできるだけ早歩きで敷地内を進んでいく。
 すると庭園の真ん中に、一台のワゴン車が止まっていた。
 どうやら移動売店らしい。こんな物もこの学校にはあるのかとめぐるは呆れた。だがそのワゴン車から食欲をそそるような香ばしい臭いが漂ってきて、そんな疑問も頭から消し飛んでしまう。
「たこ焼きだ!」
 めぐるはだらだらと涎を垂らしてワゴン車に近づいた。ワゴン車の中では頭に手ぬぐいを巻いたおじさんが手早くたこ焼きをひっくり返している。
「旨そう……おじさん。一パックくださいな」
「はいらっしゃい。おいしいよー。食べてってね!」
 活気良くそう言ったおじさんはパパッとかつおぶしをかけ、ソースと特製のマヨネーズをかけた。むわっとした熱気が漂ってきておいしそうな臭いが鼻孔を刺激する。めぐるはスカートのポケットからがま口の財布を取り出した。中には小銭しか入っていないが、ぎりぎり値段は足りた。
「いただきまーす」
 買ったたこ焼きにつまようじを突き刺し、めぐるは一口で食べてしまう。焼き立てのせいでめちゃくちゃ熱く、はふはふと言いながらも柔らかな粉の味と、堅く焼きあがった皮、そして大きなタコの風味を味わった。
「ん~~~~おいち~~~~~~~~~」
 こんなおいしいたこ焼きは地元には無かった。ほっぺたがとろけそうな思いでめぐるは幸福に浸る。
「ん?」
 めぐるは自分をじっと見つめる視線に気づく。さっきの少女が猫を抱いたままこっちを羨ましそうに見つめていたのだ。そこでようやくめぐるは理解する。
「なんだよぉ。欲しいならそう言えばいいだろー。わかったよ、ほら、一個だけなら食べていいぞ」
 勿体ないけどここでケチなことをしたら暗闇坂の名がすたる。たこ焼きも買えない貧乏な子供に恵んでやるのだ、と同じ子供でありながらめぐるはそんな恩着せがましい思いで、たこ焼きを差し出した。
「ありがとうなのだ!」
 だが少女は素直に笑顔で受け取った。その顔はたまらなく天真爛漫で、めぐるもいい気分になってしまう。
(誰かにありがとうなんて言われるの、初めてかもしんない)
 少しだけめぐるは照れた。今まで呪い屋の世界で生きてきためぐるは友達が一人もできなかった。地元の学校には一応通っていたものの、誰も彼も彼女を憑き物筋として気味悪がっていただけだ。
(こういうのも悪くないかも)
 この双葉学園は自分と同じ異能を持った人間や、人外の存在も普通に通っている。自分が特別扱いされることはない。奇異の目で見られることもないのだ。
「おーいドロボー! 俺のワゴンを返せ―!」
 めぐると少女がほのぼのとたこ焼きをつついていると、遠くから必死な男の声が聞こえてきた。
(ドロボー?)
 何を騒いでいるのだろうかとその声の主を見て、めぐるは唖然とした。
 その叫んでいる男はたこ焼き屋のおじさんだった。
 いや一体何を言っているのかめぐるにも分からない。だが現実にわけのわからないことが起きていた。
「はっ!」
 っとめぐるはたこ焼き屋のワゴンに目を向ける。やっぱりそこにもおじさんはいる。また前に目を向けてもおじさんがいる。
 おじさんが二人いた。
「ど、どういうことだよ」
 ワゴンの中のおじさんは「らっしゃいらっしゃい」と愛想よくたこ焼きを焼き続けている。だがもう一人のおじさんは怒りの形相でこっちに走って来る。
「俺のワゴンを返せ! 偽物め!」
 おじさんはワゴンの中にいるおじさんにそう訴えた。だがワゴンの中のおじさんは、おじさんの言葉を気にせずたこ焼きをパックしていく。
「おい! そのたこ焼きの焼き方はなんだ! 真似だけしたって俺の味は再現できねえぞ。さあ姿を現せこの偽物――」
 そうしておじさんがワゴンのおじさんに掴みかかった瞬間、おじさんの身体は宙を舞った。
「あっ」
 凄まじい力で吹き飛ばされたおじさんは、弧を描きながら後ろのベンチにぶつかった。気を失ってしまったのか、苦しそうに呻き声を上げながらがっくりと首が垂れる。
「な、なんなんだよこれは……」
 いったい全体何が起きたんだと、めぐるはワゴンの方へと目を向ける。
 そこにいるもう一人のおじさんの腕が、まるで触手のように伸びていて、その腕でおじさんを吹き飛ばしたのだった。
「いらっしゃいいらっしゃい。おいしいたこ焼きだよ」
 まるで何事もなかったかのようにニコニコとそう言い、おじさんは腕をさらに細分化させ、スパゲティのような細い形に変化させていく。
「こいつ、人間じゃ、ない!」
 めぐるが震える声でそう呟くと、おじさんの身体は一瞬にして真っ黒なシルエットになり、立体的な影の存在に変身する。
 この化物にめぐるは見覚えがあった。実家にいる時に呪い屋としての教養で読んだ『日本妖物絵巻』に乗っている妖怪――いや、ラルヴァだ。
「こいつ影男だな……」
 影男――人間の物真似をして近づき、人を喰らうラルヴァだ。ドッペルゲンガーとほぼ同系種のラルヴァだが、知識を吸収するドッペルゲンガーと違うのは彼らが人間の言動パターンを模倣するところにある。
 限りなく人間に近い言動を行い、ラルヴァだと気づかれないように接してくる。
 ここに来る前から今まで座学でラルヴァについて学んで来たが、実際に式神ではない本物の怪物と相対するのはこれが初めてだ。
 ましてや実戦なんて経験が無い。
(けどよー。これってチャンスじゃねえか)
 今ここで、自分一人でラルヴァを倒してしまえば名を上げられる。転校生としては最高のシチュエーションだ。
 だが体は正直なのか、スカートから伸びる細い足はガクガクと震え、喉が一気にカラカラになっていくのが自分でもわかる。ダメだ、恐怖に飲まれるな。精神の均衡を保つことが式神使いには必要なのだ。
「おい。お前早く逃げろ! 怪我しても知らねえぞ!」
 めぐるは少女にそう言った。少女はこくりと頷いて、たたたと隅に寄る。彼女が抱いていた白猫は驚いてどこかへ走り去ってしまう。
 恐怖で頭が回らないのかもしれないが、人ぐらい呼んで来たらどうなんだとも思ったが、別にかまわないと放っておく。
「むしろ人なんか呼ばれちゃたまらねえ。おいらの初陣なんだぜ。手柄を誰かに横取りなんかさせねえ」
 自分を奮い立たせるためにめぐるはそう言った。
 これは試練だ。ここを乗り越えなければ暗闇坂家を復興するなんてとてもできはしない。そう思っためぐるは覚悟を決め、戦闘態勢に入る。
「いくぜい影男。おいらの、暗闇坂の力を見せてやる」
 めぐるは背負っていたランドセルを肩から下し、がちゃりと鍵を開けてランドセルを開いた。
「さあ。おいでください狗神様。現世に縛られし呪われた魂よ、今こそ血の契約により力を示せ!」
 八重歯で親指を噛んだめぐるは、そこから滴り落ちた一粒の血をランドセルの中にぽとりと落とす。
 その直後、ランドセルの中から雄々しい犬の咆哮が鳴り響いてきた。
 そして開かれたランドセルの中から、黒い鼻が見え、少しずつ巨大な犬の頭がランドセルから出現する。その大きさは目の前のワゴン車に匹敵し、本来ならとてもランドセルに収まるものではない。
 逆立った真っ白な毛並に、地獄の底からやってきたような禍々しい瞳。犬よりも裂けに裂けた大きな口にはナイフのような鋭い歯が並んでいる。そして首から下は存在せず、痛々しい切断面が未だに赤黒くてかっている。
 浮遊する巨大な犬の生首。
 これが百年間以上、暗闇坂家に仕えてきた凶暴なる式――狗神の姿だ。
「さあ行け!」
 同じくランドセルから取り出した柳の葉を指揮棒代わりにして、めぐるは狗神を影男へと誘導する。狗神は首だけで滑空し、猛スピードでワゴンの影男へと突進していく。
 影男はワゴン車から飛び出し、その触手でワゴン車を持ち上げて、思い切り狗神に投げ飛ばした。
「いらっしゃいいらっしゃい。おいしいたこ焼きだよ~」
 相変わらず言葉はおじさんのそれだったが、ワゴン車で作られていたたこ焼きはすべて空に散らばり、そのままワゴン車は狗神の顔面にぶつかった。
「そんなことでやられるもんか」
 めぐるの言葉の通り、狗神は巨大な口を全開にし、ワゴン車を思い切り噛み砕く。尋常じゃない顎と歯の力によりワゴン車は一瞬でぺしゃんこになった。
 だが、それは影男の作戦だった。口を封じられた狗神に影男は攻撃を仕掛ける。何本もの触手を伸ばし、狗神の頭を縛り上げていく。
「ああ狗神様!」
 影男はぎりぎりと触手を締め、狗神を苦しませる。狗神はなんとか逃れようと暴れるが、影男も負けじと踏ん張っていた。
「狗神様、そのワゴン車をぶつけるんだ!」
 めぐるがそう指揮すると狗神は口に噛んだままだったワゴン車を、首の動きだけで影男に投げつける。さっきの光景の再現だ。触手をすべて狗神に使用していた影男は、ワゴン車を止めることもできずに直撃を受けて地面を転がっていった。
「そのまま追い打ちだ!」
 さっと柳の葉を振り下ろすと、触手から解放された狗神は牙を剥き、影男に思い切り喰らいついた。
「~~~~~~~~~~!」
 影男は人間とは違う叫び声を上げて、抵抗もできないまま狗神に食べられていく。いったい胃袋すら存在しない頭だけの狗神に食べられてどうなるのかはわからないが、影男は現世から完全に消滅してしまった。
「ははっ、なんだ思ったよりも弱かったぜ。いや、おいらの狗神様が強すぎたんだな。おい、見たかお前――」
 ガッツポーズを取ってめぐるは少女の方へと振り向いた。だがその瞬間、鋭い痛みがめぐるの肩に走る。
 そうだ。忘れていた。
 影男は雌雄で行動を起こすラルヴァだ。
 影男のすぐそばには必ず――影女がいる。
「あははは。たこ焼きおいしいのだー。ははははは。なのだなのだー!」
 天真爛漫な笑顔のまま少女の腕は黒い触手へと変化していた。その細く鋭利な触手はめぐるの肩を貫いている。
 さっきまでの自然な会話も、この笑顔も、全部人間の言動パターンを上辺だけ模倣しただけだ。そこに人格は無い。この少女こそ影女だった。
「ちくしょう……おいらは化け物相手にたこ焼きをあげちゃったのか……」
 まんまと罠にかかったってわけだ。めぐるは自分の未熟さに嫌気が差した。狗神の力に依存し、自らの注意力を研ぎ澄ますことを怠っていたのだ。
(こんなんじゃ暗闇坂家復興なんてただのたわ言だ……)
 影女の存在と、肩の痛みのせいでめぐるの心は完全に折れていた。そしてそれが最悪の事態を招くことになる。
 式である狗神はめぐるの精神によって制御されている。だが元々術者によって残酷な仕打ちから生まれた呪われた存在であるため、一度制御が乱れれば狗神の牙は術者本人に向けられることになる。人を呪わらば穴二つ。呪いはすべて自分に返るのだ。
(うう。自分の式神に殺されることになるなんて……おいらは暗闇坂家の恥だ……)
 血を失っためぐるは、消えゆく意識の中で狗神が自分に襲いかかってくるのを見た。制御を失った狂犬の牙が今にもめぐるの小さな体に食い付く所だった。

「ゆくのだ、びゃっこ!」

 だがどこからかそんな声が聞こえ、突然めぐると狗神の間に小さな影が飛び込んできた。
「うなー!」
 小さな影の正体は猫――ではない。虎だ。小さな白色の虎。めぐるはそれを知っている。これは十二天将にして四神の一柱、白虎《びゃっこ》であった。
 白虎は鋭い爪を伸ばし、自分の何倍も巨大な狗神に飛びかかる。
「うなーうなー!」
 白虎に引っかかれた狗神は、悲痛な鳴き声を上げながら自らランドセルの中へと戻ってしまう。好戦的で獰猛なはずの狗神が、式神としての格の違いのあまり戦うことを拒否したのだ。
「なんでこんなところに白虎が……」
 小さな姿をしているが、この気配は間違いなく強大な式神のそれだ。
「まったく、あまりいい気分ではないのだ。自分にそっくりな相手と向き合うというのは」
 痛みのあまり俯いていためぐるの視界に誰かの足が目に入った。めぐるは自分の傍に立った人物を見上げる。
 そこに影女と同じ姿の少女が立っていた。
 顔も胸も全部一緒であるが、ただ一つだけ違う部分がある。彼女の腕の腕章には『醒徒会長』の文字があったのだ。
「さあ行くぞびゃっこ。偽物退治なのだ!」
 双葉学園醒徒会、会長――藤神門御鈴がそこにいた。
「み、御鈴……様?」
 めぐるがそう呟くと同時に、襲撃された時に地面に落ちたパンフレットが風に吹かれてめぐれあがる。偶然開かれたページは『醒徒会メンバーの紹介』だった。そこにはやはり醒徒会長として目の前の少女の顔が写っている。
 まさかこのちんちくりんな子供が醒徒会長? 最強の式神使い? そんな疑問がめぐるの頭に浮かぶが、御鈴の眼差しを見てその疑問は吹き飛ぶ。
 彼女の偽物、阿呆のような笑い顔しかできなかった影女には無い、力強い目の光が本物にはあった。
 間違いなくそれは人の上に立つ存在の目。誰も真似できない王者の瞳だ。
「おいそこの小さいの。大丈夫か? 今抜いてやるのだ」
 御鈴はめぐるの肩に突き刺さっている触手に触れた。だが触手からは小さな棘がいくつも生えている。御鈴の白い手が痛々しくも赤くなる。
「だ、ダメです御鈴様! 手が!」
「こんなもの大したことじゃないのだ。生徒を守るのが、醒徒会長の務めなのだ」
 脂汗を流しながらも、御鈴は勢いよく触手を引き抜いた。その直後激しく出血したが、白虎がその傷口を舐めると、少しだけ血の流れは止まる。
 影女は御鈴の強い目力に気圧されているのか、触手を戻し、姿を影男同様黒いシルエットへと変化させた。
「この私の真似をしたのが運の尽きなのだ。ご丁寧に白猫まで用意したみたいだが、白虎の代わりにはならないのだ」
 御鈴はゆっくりと影女との距離を詰めていく。
 影女は触手を刃のように変化させて御鈴を切り刻むために駆け出した。だが御鈴は臆することなく人差し指を前に向け、白虎に命令を下す。
「びゃっこビ―――――――――――――ム!」
 白虎から放たれた眩い光と共に、めぐるの視界は真っ白になった。光が薄れ、目が見えるようになった時には、影女は跡形もなく消滅していたのだった。
「ふふん。どんなものなのだ」
 えっへんと御鈴は両手を腰に当てて無い胸を張る。こうして見るとさっきの影女同様ただの子供にしか見えないが、彼女こそが醒徒会長なのだ。妄想していた姿とは違うが、めぐるは憧れの御鈴に助けられて心から感激した。
「あ、ありがとうごぜえます御鈴様~~~~~~!」
 肩の痛みも忘れ、ボロボロと涙を流しながらめぐるは御鈴に抱きついた。
「わあ。何を泣いているのだ。傷は浅いのだ、しっかりするのだ!」
 めぐるはわんわんと普通の子供のように泣きじゃくる。こんな風に泣いたのはいつ以来だろう。どうしてだろうか、御鈴の胸に抱かれるととても安心してしまう。これが頂点に立つ人間の包容力なのかもしれない。
「会長~~~。ダメじゃないですかおやつをつまみ食いなんて!」
 またも別の生徒が駆けてきた。青いリボンと黒の長髪が特徴的な、高校生とは思えないほど大人っぽい女子生徒だ。
「はう、理緒《りお》! 違うのだ。あれは全部偽物の仕業で、私はそれを追ってだな……」
「そんなこと言って誤魔化されませんよ……ってその子どうしたんですか。怪我してるじゃないですか。大変。早く医療チームに連絡しなくちゃ」
 黒髪の女子生徒は慌てて携帯電話を取り出している。狗神を使役した疲れからか、はたまた出血のせいか、あるいは御鈴に助けられた安堵のせいだろうか。めぐるはそのままゆっくりと眠りに落ちていった。



      ☆ ☆ ☆



 医療チームの治癒能力者のおかげで、めぐるの傷はすぐに完治し、予定通り数日後に初等部二年に正式に編入できた。
「暗闇坂めぐるです。みなさんよろしくおねがいします」
 拍手で出迎えるクラスメイトたちに挨拶をしためぐるは、一時限目の算数の授業が始まるので自分の席についた。教科書を取り出しながらこれからのことを考える。
 醒徒会長と実際に出会って、そこまでの道がどれだけ遠いのか実感した。あれだけの能力やカリスマ性を自分は持っていない。
 まだまだ自分は未熟だ。低俗なラルヴァにすら下手を打ち、式神に反逆されてしまうのではとても一人前とは言えない。醒徒会長も暗闇坂家の復興も夢のまた夢だ。
 だがめぐるにはまだまだ未来がある。人生先は長いのだ。
(絶対に醒徒会長になるんだ。おいらは諦めないぞ!)
 決意を新たにめぐるは醒徒会長への野望を再び燃やす。ちょっとやそっとの挫折程度では挫けない。必ず自分は夢を達成するのだ。
「うう、でも……」
 その前に目の前の掛け算の問題を解かなくてならないと、めぐるは頭を抱えた。


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