【続 虹の架け橋 本編03】

 翌朝、登校した太陽は、とんでもない危機的状況に陥っていた。
「そっち行ったわ!」
「囲め、ウチは一階から回るから!」
「何としてでも捕まえるわよ、女の敵!」
 太陽は必死こいて初等部校舎の廊下を走り回る。振り向くと、六年B組の女子たちが猛追しているのが見えた。
「無駄な抵抗はよしなさい、朝倉ァ!」
「あでっ」
 後頭部を何かが直撃する。ソフトボールだ。スポーツ少女の師走ナオが、ボールを抱えられるだけ抱えて、彼目がけて投げつけてくる。
「うぜえ!」
 太陽もバウンドしてきたボールを右手でキャッチ、すかさず遊撃手のような素早いステップを踏み、サイドスローで投げ返す。
「きゃあ、何すんの!」
「みんな、朝倉が暴力振ってきたわよ!」
「サイテー、女の子に何てこと!」
 理不尽極まりない憎しみをたくさん背中に抱え、渡り廊下を通過し、別の校舎へと突入していった。
 登校してきて教室に入ったとたん、いきなり女子たちの総攻撃に見舞われた。太陽が虹子に酷いことをしたという噂が行渡っていた。
 小学生異能者の怖いところは、自由気ままに能力を使ってしまうことだ。目の前に立ちはだかる小さな影。行く手を阻まれた太陽は、両足に急ブレーキをかけて停止する。
「だめですよー、森田さんをいじめちゃー」
 のんびりした性格の文芸女子、茅野ありさ。でも目が曇っている。
 幼稚園のとき教室が一緒だったので、幸い太陽はありさの異能を知っている。記憶が正しければ、彼女の異能は何て事の無い、ぬいぐるみサイズの可愛らしい召還獣召還であった。
「朝倉くんはお仕置きですー、ぷーたん、サモンっ」
 すると彼の前で、ぬいぐるみサイズの召還獣がみるみるうちに膨張していって、
「って、DEKEEEE!」
 クマの召還獣は巨大化し、頭を天井に激突させ、立ちふさがった。
「さあ、朝倉くんを懲らしめるですぷーたん。……ぷーたん? どうしたのぷーたん」
 ぷーたんはわたわたと小さな腕を振っている。頭が天井にめり込み、突っかかってしまって、動くことができない。
 そんなお間抜けなありさは放っておいて、太陽はきびすを返し、逃亡を続ける。
「こりゃあマズい」
 逃げ場が無い。図書室や音楽室といった特別教室に逃げ込み、やり過ごすしかない。
「朝倉、こっちだ!」
 すると理科室の扉が開き、中から男子の声が聞えてきた。少年野球チームの盟友・村田である。
「サンキュ、助かった!」
 太陽は村田に誘導され、真っ暗な理科室に飛び込んだ。扉を閉めて厳重に鍵をかける。悪友にかくまってもらえばもう平気だろうと、一息つこうとしたときだった。
 突然、ばちんと電気が点いた。
 目の前にB組の女子が並んでいるではないか。
「あれ」
 それはあたかも指名手配者・朝倉太陽の身柄引き渡しのような光景だった。彼は顔の筋肉をひくつかせ、親友たちを見る。すると彼らは申し訳なさそうに下を向いた。
「ごめん。給食のデザートもらえると聞いて」と、石川。
「宿題を全部写させてくれると聞いて」と、村田。
「茅野さんの好きな子を教えてもらえると聞いて」と、金城。
 つまり彼らは女子らに買収されていたのだ。太陽の頬を涙が伝う。友人に裏切られるのはあまりにも信じられないことで、生まれて初めての経験だったから。
「覚悟することね、朝倉?」
 六年B組女子のボス的存在、播磨りむるが勝ち誇った笑みを見せた。
 どすん、ばきんと、何かを破壊しつつ進行する物音。
 やがて理科室の扉が吹っ飛ぶ。廊下からたくさんの明かり入ってきたのと同時に、恐怖のぷーたんが廊下にたたずんでいるのを太陽は見た。


 と、そのようなことがあり、B組の一時間目は、担任にしこたま怒られるだけの、実に残念な学級会となってしまった。女子たちが言い訳として太陽の失態をクラス全員に明かしたとき、彼は「何の刑罰か」と号泣したくてたまらなかった。
 結局、元気の有り余った女子が悪いという結論に落ち着いたが、依然として彼女らの太陽に対する不信感は強い。虹子の名前は伏せられたものの、太陽一人が悪者として祭り上げられてしまい、とても散々な思いをした。
 ぷーたんにたっぷり可愛がられた太陽は、全身あちこちキズだらけで授業に臨んでいる。別に暴力行為を受けたわけではなく、愛情たっぷりのハグをされただけだ。
 授業中、時折ちらっと虹子のほうを見てみるが、
「ぷいっ」
 とあさっての方向を向かれてしまう。わかっていたこととはいえ、それは彼の心に深い傷をえぐった。
 本当にこれで終わってしまったのだろうか。
 虹子の横顔はとても可愛くて、じっと見てみれば見てみるほど、魅力がたっぷり伝わってくる。それが今では、あまりにも切ない。
 二時間目が終わって給食の時間になる。昨日に引き続いて給食当番の太陽は、虹子が重たい食缶を持とうとしていたので、すかさず彼女のところに駆けつけた。
「おい、虹子」
「なぁに、朝倉くん」
 もういつ涙が零れ落ちてもおかしくない心境だ。だが太陽は食い下がる。
「手伝うよ、食缶重いだろ?」
「別にいいです」
「でも二人で持ったほうが安全かと」
「吉村くんが持ってくれるから、別にいいです」
 見るとクラスのデブ・吉村が目を細め、実に嬉しそうなドヤ顔を向けてきた。心底悔しくてたまらない太陽は、割れんばかりに歯をきしませてサラダの食缶を取りに行った。
 スピーカーから退屈な「お昼の放送」が流れている。クラスメートみんなが給食中の会話を楽しんでいるなか、太陽は一言もつぶやこうともせず、ちまちまとけんちん汁の具を口に運んでいた。全く食が進んでいない。
「気にすんなよ朝倉、森田より可愛い子はいくらでもふごっ、もごっ!」
「デザートだけじゃ物足りねえだろ石川? コッペパンもやるから食って喉詰まらせて死んでしまえっ」
 と、デザート一つで太陽を売った石川に制裁を加える。
「やめるんだ朝倉くん」金城が制止する。「そもそも悪いのは君だ」
「そりゃそうだけどよ」
 太陽はむくれる。虹子との一件は、親友の耳にも入っているらしかった。
「虹子なんて好きでもなんでもない」。
 そんなとんでもない発言を、よりにもよって本人の前でしてしまった太陽に、全ての責任はある。まして虹子は彼にべったりだったのだから、それこそ死んでしまいたいぐらいショックだったことだろう。
 それぐらいの想像力は太陽にもあった。彼は頭を抱え、力なく、親友にきいてみる。
「俺、どうすりゃいいんだ?」
「素直になることだ」
 金城は眼鏡を一度だけ動かすと、真面目に続ける。
「許してもらえる・もらえないはともかく、君は本当のことをハッキリさせないといけない。ちゃんと言ってあげなきゃダメだ」
 金城にそう叱られ、太陽は心から反省した。あのような大嘘をついたのは、ただ単に恥ずかしかっただけのことだ。
 それだけのことだった。
 その気になれば、面と向かって言い返してやることだってできたのだ。
(ちゃんと虹子の前で言ってやればよかったんだ!)
 当然あの発言は彼の本心ではなく、しかも、それによって虹子は傷ついた。誤解をきちんと解消しておかなければ、虹子も太陽も嫌な気持ちのまま、別れ別れになってしまうことだろう。そんなことは、もちろん嫌だった。
「俺、昼休みに虹子と話をするわ」
「ああ。本当のことを言ってくるんだ」
 金城は微笑んで太陽を鼓舞する。このとき太陽は「友達っていいもんだな」と思い、彼に感謝した。
「にしても、金城は大人だな」
「ふごふごふご(素直になるとか、俺には無理)」
 村田と石川が口々に言う。すると、金城はふっと安らかな笑みを浮かべてから、
「僕ね、さっき、茅野さんに好きだって言ったんだ」
 と、クラスの優等生らしからぬ衝撃的な発言をした。
「嘘!」
 太陽まで目を丸くしている。するとすぐに彼は金城が茅野ありさの想い人について、女子に買収されていた件を思い出した。
「見事にフラれてきたよ」
「金城……!」
 よく見ると金城の瞳は輝きを失っていた。


 太陽らが、戦死した金城を囲んで涙を流していたとき。
「にしても、昔から全然変わらない校舎ね」
 茶色みを帯びた髪に、ピンクのリボンを両サイドに着けた少女が、学園に来ていた。
 あかりは双葉学園の校舎を見上げていた。口調は強気なものの、内心は不安でいっぱいである。
「太陽のヤツ、ちゃんとやれるのかしら」
 不意に自分の指先を見つめ、念じる。
 魂源力を集めて、自分の眠れる異能を呼び出そうとした。
 きれいで、大きくて、素晴らしい光景をイメージし、指先を雨雲に向ける。
 でも、何も起こらない。
 何度挑んでも結果は変わらなかった。
 あかりは深いため息をついた。


 昼休み。少年は、覚悟を決めて校舎の屋上に出る。
 重い扉を開けると、強い横殴りの湿った風が吹きつけてきた。天気は悪かった。
 今こそ金城のように、虹子に本当の気持ちを言うときだ。不用意な発言で傷つけてしまったからには、もうそうするしか太陽に責任を取る方法は残されていない。
「何、朝倉くん。お話って」
 ふくれっ面の虹子が待っていた。太陽は気まずくなる。
 いつも何気なく会話のできた女の子が、いま最も話しづらい、目の合わせづらい相手となっている。この場所に呼び出そうとするだけでも、メールを打って送信ボタンを押すだけなのに、相当な勇気と気力を費やした。
 空は灰色の雲に覆われており、今にも雨が降り出しそう。あまり良いロケーションとは言えない。
 物陰では、太陽の親友三人と、クラスの女子三人が様子を見守っていた。
「大丈夫かなー」と石川。
「朝倉くん、僕のぶんも頑張ってくれっ」と金城。
「おい、くっつくなよ気持ち悪い!」と村田。
「くっついてんのはあんたでしょ? マジキモいんだけどー!」と播磨りむる。
「アンタらも素直じゃないわねえ」と、楽しそうな師走ナオ。
「朝倉くん、昔はあんなに遊んだのに。悲しいですー……」と、最後に、瞳に輝きの見られない茅野ありさ。
 B組のクラスメートが一つの箇所に密集していたそのよそで、もう一人、彼らと同じぐらいの歳の女の子が状況を見守っていた。
「頼んだわよ、太陽」
 何もできないあかりは、歯がゆい気持ちを抑えつけながら、彼の背中を見つめていた。「大丈夫、あの人ならやれる」。そう、彼を一生懸命信じた。
 二人の関係にヒビを入れたのは彼女だ。でも、そこでたとえあかりが介入しても、二人の関係が修復されるわけではない。どうしようもなかった。
 あかりはひどく焦っていた。もしも二人がこのまま破局してしまったら――。
(そんなの、絶対ダメ!)
 ぶんぶんと首を振る。それだけは絶対にいけない。
 生暖かい風がごうごうと嫌な音を立てる。そんな不快な手が太陽の頭を撫でたとき、ついに覚悟を決めて虹子と話を始めた。
「虹子、昨日はごめん!」
「……」
「あんなこと言って。その、好きじゃない……とかさ……?」
 とりあえず謝罪の言葉は言えた。起こった表情をしつつも、涙を少しだけ浮かべ、視線を横に逸らしている虹子。しばらく、沈黙が続いた。
 そして、虹子もそれ以上冷たい態度を取りたくないのか、彼にこうきいてきた。
「太陽くんは、本当は、どう思ってるの?」
 来たか、と緊張が走る。
 胸の鼓動が早くなる。ごく普通の友達としてごく普通に遊んできた虹子。しかし目の前のいるのはもはやただの友達ではなく、ちゃんとした一人の女の子だ。
 二人の関係がどうなってしまうのか、もう太陽本人にもわからない。でも、勇気を出して踏み込まなければならなかった。
「俺は虹子が!」
 ごくり。唾を飲み込み、クラスメートは黙って告白のときと待つ。
「虹子が!」
 あかりも物陰の壁を握り、緊張していた。
「その、本当は」
 不安になってきた虹子が太陽を見る。
「す、」
 太陽はというと大汗をいっぱい全身に流し、意識が飛ぶ寸前まで体温が上がっていた。ぐらぐらぐつぐつと、脳みそがシチューに化けて煮えているのを感じていた。
「す……っ!」
 虹子が「す?」と上目遣いで覗きこんできた瞬間。
「すいぶんさんは今日もお綺麗でいいですねッ!」
 太陽の口からそんな言葉が飛び出した。あんまりな流れに物陰のクラスメート、あかり、虹子、誰もかもが例外なくずっこける。
「何やってんのよ!」
 見ていられなくなったあかりが乱入し、太陽のスポーツ刈りをひっぱたく。
「だってほら、向こうの屋上ですいぶんさんが花の水遣りをしていたからっ」
 確かに遠くを見やると、高等部の屋上にて、元・醒徒会副会長こと水分理緒が、花壇の花に水を与えていた。それは生命に恵みの雨を降らせる慈母のようにも見えなくはない。
「今はそんなんどうでもいいでしょうが、いくじなし!」
「んだと? 元はと言えば、てめえがあんなことすっからいけねえんだろ!」
「いつもの負けん気はどこいったのよ!」
「それはそれ、これはこれ! こんなん無理だって!」
「何よこの弱虫、給料泥棒、がっかりクローザー!」
「野球は関係ねーだろ!」
「いい加減にしてよ!」
 太陽とあかりがつかみ合いのケンカをし出したとき、ついに虹子が怒りを爆発させた。彼がおったまげる中、彼女は小さな肩をわなわな震わせる。
「またそうやって仲のいいとこ、見せ付けようとして……」
「違うんだ虹子、こいつとはそういうのじゃないんだ!」
「もう知らない!」
 虹子はアツィルトを指先に集め、本館の屋上に向かって思い切り投げつける。
 彼女の足元から、一瞬にして巨大な「虹」が飛び出す。美しいアーチを描き、本館のほうにまで到達した。
 校舎をと校舎をまたぐ、壮大な「虹の架け橋」。十二歳になり、異能は完成の域にまで達していた。だがその創造主は、傷ついた心で、ぼろぼろ涙の雨を降らせながら橋を駆けていく。
 あかりはぼうっと、虹子の出した異能を眺めていた。
「これが、虹子のレインボーロード……」
「見ほれてる場合じゃねえだろ、あかり!」
 彼も虹の急坂を駆け上がり、虹子を追いかけていく。彼女はアーチの頂点に差し掛かっていた。
 ところが、そのとき事故は起こった。
 虹の橋に透けている部分があり、そこに足を取られてしまったのだ。
「きゃあ!」
 虹子本人にとっても、全く予想外の出来事だった。天気は曇りで太陽光に恵まれず、レインボーロードの完成度が足りなかったのだ。
 とっさに構築済みの箇所に手をかける。虹子は虹の橋から宙ぶらりんになってしまった。
「虹子ぉ!」
 血相を変えて太陽が叫び、彼女のところへ飛んでいく。だが先に虹子の体力が限界に達し、手が離れてしまった。
 あかりは絶叫した。虹子がここで死んでしまうとは、誰が想像したことか。




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最終更新:2012年06月25日 01:46
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