【怪物記 第十一話】


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 カレンダーが六月を示すようになってから三週間ほど経過して、梅雨の真っ只中のある日のこと。
私は藤乃君から「緊急の要件があります」というタイトルのメールを受け取った(久留間君、藤乃君、ラニ君、伊緒君のメールアドレスと携帯番号は聞いている)。
 メールには時間と場所が記されており、ここに来てくださいとメッセージも添えられている。
 藤乃君からの連絡ということは久留間戦隊絡みと思われるが、疑問もある。
「たしか今日は久留間君が八雲の家庭教師をしている日だが……」
 久留間君は定期的に八雲の家庭教師をしてくれている。今も図書館で八雲に外見年齢相応の勉強を教えてくれているはずだ。(ちなみに先日の幽霊事件からこの家に住んでいるらしい幽霊のシズク君もついていったらしい。らしい、と繰り返すのは彼女が異能力者ならぬ私には見えないからだ。……気づけば住人はかつての倍になっているのに人間は一人も増えてない)
 さて、久留間戦隊絡みで急用が入ったのならば、几帳面な彼女のことだから八雲の勉強を中断する旨の連絡が私に来ているはず。私へのメールも彼女が出しているはずだろう。それがないということは、久留間君が関わっていないということだ。
 つまり、藤乃君は久留間戦隊絡みの用件でありながら久留間君抜きで話をしたい、ということになる。
 私は疑問に思いながらもメールに記載された場所へと向かうことにした。

 ・・・・・・

 指定された場所はよくあるファミリーレストランだった。双葉区沿岸にあると噂のヒーロー御用達の喫茶店でもなければ、学園生徒がよく通う中華料理店でもない。極々普通の、料理を頼めば工場で生産した料理を温めたものが出てきそうな普通のファミリーレストランだ。
 家を出る前から頭に張り付いていた疑問符がさらに大きくなるのを感じながら、私は店の自動ドアをくぐった。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「待ち合わせで。草壁という人はもう中に?」
「はい、ご案内します」
 ウェイトレスに案内されたのは店の中でも奥まった場所、店の外からは窺えない席だった。
 そこには藤乃君をはじめ、ラニ君、伊緒君もいた。久留間君を除いたメンバーが勢揃いしている。
「御呼び立てしてすみません」
「いや、構わないが……三人が揃っているということはやはり久留間戦隊の話かね?」
「はい」
 藤乃君は言いにくそうに言葉を切って、聴き慣れない言葉を口にした。
「実は……、“修羅”が戻って来ます」
 …………修羅?
 八部衆の阿修羅、それとも修羅道のことだろうか?
 まさか修羅場という意味でもないだろうし……ひょっとして私が知らないだけでそんな名前の秘密結社でもあるのか?
「藤乃さん、学者さんがさっぱりわからないって顔してます! きっと完璧に修羅さんのこと忘れてます!!」
「それだと霞が哀れです。多少訂正します。半分自業自得です」
 伊緒君とラニ君から少し非難めいた視線と言葉を向けられた。
 しかし修羅“さん”と言うからには人名なのだろう?
 私や姉さんほどではないにしてもひどい人名があったものだ。(思い返すと我々と比べて兄さんだけは『音色』と随分綺麗な名前を貰っていたものである)
「それでその、修羅というのは何者かな? 忘れているということは私が知っているはずの人物なのかね?」
「久留間戦隊《私達》のメンバーです」
「…………あぁ」
 忘れていた。
 そうだ、ここにいる三人と久留間君、それにもう一人で五人一組。それが久留間戦隊のフルメンバーだった。全く勢揃いではない。
 いくらなんでもこれは忘れていた私が悪い。
「すまない」
「いえ、彼女――霞修羅は長く作戦に参加していませんでしたし、元々あなたとの接点も少なかったので仕方ないでしょう」
「えーっと! 家の事件のときはまだ参加してましたよね!?」
「情報を追加します。【角兎】狩りのピクニックには不参加です」
「あのときは補習で欠席でしたね。加えてその直後から旅に出てしまいましたから……」
 私も当時の記憶を思い返す。
 たしか初めの【死出蛍】のときにはちゃんと五人いた。その後の【火燎鬼】の任務や、【七色件】で助力を頼んだときも五人いた。そして【家袋】の一件でもたしかにいた気がする。しかしその後の【角兎】はたしか四人だった。それから先の何度かの事件や調査でもその五人目、修羅君を見た覚えはない。
「旅に出た、とは?」
「……どこから話せばいいのか。彼女の事情について話すことは身内の恥を曝すことにもなってしまいますし」
 珍しく藤乃君が疲れたような、精神的なストレスが感じられる声と表情をしている。
「無理に聞こうとは思わないが、話せるところだけ話してくれないか?」
「彼女はレズです」
 …………話せるところかそれ?
 第一投から身内の恥を全力で曝したのは気のせいだろうか?
「彼女は走子を愛しています」
 二発目である。
 見事なワンツー、仲間から性癖と思慕の相手を第三者にバラされている彼女に同情する。
「だからあなたを襲撃するつもりです」
 フィニッシュブローである。
 見事なアッパーカットで私の理解力にトドメを刺した。
「待て、ちょっと、待て。何がどう飛躍してその結論に至ったのか理解できない」
「修羅さんは隊長が大好きなんです! だから学者さん抹殺を企てています!」
「それは藤乃君が言ったことと同じだ。しかも剣呑さだけ増している」
 私が知りたいのは「だから」の部分だ。
「彼女はその、少しばかりかなりの馬鹿で」
 普段は丁寧な言葉遣いの藤乃君が、なぜか修羅君に対してだけ文法がおかしくなるほど辛口だ。
「『離れていれば走子が私を恋しがって愛が深まるかもしれない! 帰ってきたら再会のキスとかもらえるんじゃないか! こうしちゃいられない!』などと言い出し、思いつきのままに学園の短期留学プログラムに参加してしまいまして……」
「…………」
 私はいくらか指摘したいあれこれを飲み込んで藤乃君の話の続きを促した。
「明後日、帰国する予定ですが……どうやら最近のあなたと走子のことを知ってしまったらしく、激怒しているのです」
「というと?」
「一緒に仲良くピクニックに行ったとか! 何度も家に連れ込んでるとか! 隊長が学者さんにメロメロだとかです!」
「補足します。それらの情報を霞に教えたのは小槌です」
「ばらしたのばらされた!?」
「……ふむ」
 ピクニックには行った。ただし八雲やここにいるメンバーも一緒だ。
 家にも招待した。ただし八雲の家庭教師やその流れでの夕食などだ。
 そしてメロメロというのは伊緒君の主観だろうから誤りだ。
「やっと理解できた。つまり修羅君は久留間君が私に恋愛感情を抱いていると勘違いし、恋敵だと思い込んだ私を殺そうとしているのか」
「「「…………」」」
 私の言葉に藤乃君は疲れを深め、ラニ君は目のハイライトが消えるほど無表情で、伊緒君はとてつもなく驚いた顔をしている。
 彼女らの間に流れている空気を言葉にすると『それはひょっとしてギャグで言っているのか?』だろうか。なぜ彼女達がそんな空気になっているかがさっぱりわからない。
「……そう受け取られるならそれでも構いません。どちらにせよ、彼女は誤解とは思っていないので私達は貴方の身を守る必要があります。戦隊から犯罪者を出すわけにもいきませんし、走子も悲しみますから」
 身体強化異能力者に襲撃されれば無事ではすまないだろう。熊に襲われるよりひどいことになるかもしれない。そういう意味で守ってくれる、というのはありがたくもあるがやはり疑問もある。
「久留間君と言えば、この件に彼女が関わっていないのはなぜだ?」
「ターゲットの貴方は別として、事の原因である走子が加わると余計に話がこじれそうですから。それに走子“も”奇跡的な鈍さで修羅の恋慕に気づいていないもので」
 なるほど。
「兎に角、事情は説明したとおりです。彼女が帰ってくる明後日からは彼女を捕獲するまで私達が貴方の護衛につきます。一人が護衛に、あとの二人が捕縛に当たる形ですね。他にも何人かに協力を仰いでバックアップをお願いしています」
 ……大仰な。
「それと、身を守るにあたって彼女の異能を予めお教えしておきます。彼女も私や伊緒と同じで特化型の身体強化系ですが、その特化対象は速度です」
「と言うと醒徒会の…………庶務君と同じか」
 すまない庶務君、名前が出てこなかった。
「超能力と身体強化なので原理は違います。修羅の速度は純粋な身体能力の代物ですから。そして私の耐久力や伊緒の膂力がそうであるように、彼女の機動力は久留間戦隊随一。直線ならば音速も超えます。ですから明後日以降は障害物のない場所は歩かないようにしてください」
「通りも歩けないな」
「でも今日みたいな日は大丈夫です! 雨降ってますから!」
 雨?
 ああ、なるほど。
「修羅は上手くすれば帰国してすぐに捕縛できるでしょう。その後はこちらで説得します」
「…………」
 正直なところ、まだ状況に乗り切れていない部分もある。彼女達が大袈裟に考えている可能性のほうが大きい。
 しかし、万が一もありうる。彼女達が万全の体制で守ってくれると言うならそれに応じるのが最善だろう。
「宜しく頼む」

 結論から言うと、彼女達は全く大袈裟に考えていなかった。
 単に確実なこととして、修羅くんに対応しようとしていたのだ。
 私がそれを理解したのは翌朝。
『娘は預かった! 返して欲しければ誰にも知らせず一人で第三地下演習場に来い!』と独特な字体で書かれた脅迫状を発見してからだった。
 ああ、犯罪を起こす前になんて話じゃなくなって、これはもう……。
「完全に【誘拐事件】じゃないか」


 怪物記 第十一話 【霞 修羅】

 ・・・・・・

 地下演習場と呼ばれる施設は学園都市には幾つもあるが、その全てが有効活用されているわけではない。
 以前、【幽霊】事件の舞台となった旧教育施設のように、学園都市設立の時期に幾つも建てられはしたが色々な事情で使われなくなったのだ。
 そんな施設が複数建てられた理由は二つある。一つ目は、当時は結界による都市外部からの視認妨害がどれだけ正確か把握できておらず、『確実に外部からは見えない』地下の演習場を重宝したということ。二つ目は、それらの事情で地下施設を作るにしても、人工島である双葉区では後から増やすのはあまりにもコストが掛かりすぎること。そのため「必要“かもしれない”」と思われる数だけ演習場を最初に作ってしまったのだ。しかし、結界が正常機能したこともあり大分余ってしまったという。(これらの、『作ったはいいが実際にはあまり使われない施設』には地下鉄などもある。この都市の黎明期はそんな施設ばかりだ)
 そんな余った演習場は申請をすれば割合自由に使用できる。異能の訓練などで使われることも多いらしい。

 だからきっと、彼女も訓練という名目でここを借りたのだろう。

『ハーッハッハッハ!! よく来たな間男!』
 私が指定された演習場へと入った途端、演習場のスピーカーから大音量でハスキーな声が響く。
 見れば、丁度演習場の中心に二人の人物の姿がある。一人は見知った八雲。もう一人、かすかに見覚えはあるボーイッシュな出で立ちの女生徒が、噂の霞修羅だろう。
 彼女はイヤホンマイクを耳につけ、それを通してわざわざスピーカーから話しているらしい。
『貴様が来るのを、首を赤くして待っていたぞ!!』
 ……扁桃炎か?
「あかく、じゃなくて、ながく、です」
 横から八雲が訂正する。
『いやいや赤く、で正しいぞ! お嬢ちゃん』
「そうなの?」
「違う。うちの子に間違った知識を身につけさせないでくれ」
 首を赤くして待つとはどういう意味だ。待ちすぎて風邪でもひいたのか……文の意味あまり変わってないな。
「まぁ何だっていいが、とりあえず八雲を返してくれ」
『フフフ、それは出来ない相談だ! なぜならこのお嬢ちゃんは人質なのだから!』
「ひとじちです」
 ……ん?
『貴様が私の要求を呑めば無事に帰すことを約束しよう! ついでに海外土産のお菓子もわんさかお持たせする!!』
「わーい」
「八雲、知らない人にお菓子をあげると言われてもついて行ったら駄目だぞ」
「しってるひとだよ?」
 そういえばそうだった。
「それで、要求というのは?」
『貴様に決闘を申し込む!!』
 修羅君はそう言ってポケットから手袋を取り出し、手にはめて、外して、私に向けて放り投げた。
 が、いくら身体強化系とは言っても広げた手袋を何十メートルも飛ばすことは容易ではなく、途中でぺたりと床に落ちた。
『……、貴様に決闘を申し込む!!』
 リトライ。もう片方の手袋を取り出し、同じようにはめた彼女は、同じように手袋を投げて、同じように床に落とした。
『…………、貴様に』
「もういい」
 何回繰り返す気だ。そもそも外して投げつける段取りならせめて最初から手にはめておけ。
「大体、手袋はもうないだろう。一体何を投げつける気だ」
『…………パンツ?』
「投げつけられた方の気持ちにもなってくれ」
『大歓喜だな!!』
「違う」
『私は女の子にパンツ投げられたら大歓喜だぞ? あ、しまった、お前を喜ばせてもしょうがないもんな! 今のなし!!』
「…………」
 藤乃くん。よくわかった。君は何も間違ってないし大袈裟でもなかった。
 修羅君は筋金入りのバカだ。
 この子が学力1でなかったら誰が学力1なんだってくらいバカだ。
 よく留学できたな。
「ぱんつなげたらよろこぶの? やる?」
「やらなくていい」
 八雲に悪い影響が凄まじい勢いで出ている。
『まあいい! とにかく私と決闘しろ』
「決闘と言うが、何をする気だ?」
『殴り合い』
「嫌だ」
 死んでしまう。
 久留間君や伊緒君が素手で家屋や建築物を破砕していた光景が思い出してしまう。
『なぜだ! 武器も知略も関係ない極めて公平な決闘法だぞ!』
「ちょっとは自分が何なのか思い出してくれないかね」
 身体強化異能力者と殴り合い、公平さは欠片もないぞ。
『私が……? ハッ! そうか、私が女だから手を上げられない、と! おのれ間男のくせに紳士とは油断ならない奴だ!』
 お願いだからニュアンスは正確に読み取ってください。
『だが、たしかにそれで貴様の拳が鈍っては不公平だな! ならば他の勝負方法だ!』
「そもそもなぜ私と決闘などしようと?」
 たしか、藤乃君の話では襲撃のはずだが、なぜこんなにも段取りを踏もうとしているのか。
『知れたこと! どちらがより走子に相応しい人間か! 公平で正々堂々な勝負で明らかにするためだ!! 負けた方は走子を諦め、勝った方が走子と付き合う!』
久留間君自身の意思を完全無視している。
「……いやいや、そもそも私は別に久留間君と交際するつもりはないのだが」
『ハーッハッハ! 知っているぞ! それはいわゆるツンデレだな! 照れ隠しで本心は走子を愛してるんだろう!! 隠さなくてもいいんだぞ!』
 助けてください言葉が通じません。
 ラルヴァの【踊杯】や【ナイトヘッド】でも、もう少し話が通じていた……。
『ん? ああ、はい、え? あ、それはいい!』
 ……と、不意に彼女は私ではない何かと話しているような言葉を発する。まさかシズク君のように私には見えない幽霊が、という訳でもないだろう。
 恐らくは彼女のつけているイヤホンマイク、あれで誰かと連絡をとったのか。ならばそれは……誰と?
『ならば間男! お前との勝負はこれでいこう!』
「それでいこうと言われても……」
 今の通信、私には聞こえてないんだが。
『わからないのか!』
 わからねーよ。
『ふっふっふ、ならばもう一度言ってやろう!』
 一度も言ってねーよ。
『クイズシャトルランだ!』
 クイズシャトルラン?
「聞きなれない競技だがルールは?」
『この演習場の端から端まで走る。壁にタッチするとクイズの出題権を得られる。それをどちらかが間違うまで繰り返すのだ!』
「……ふむ」
 なるほど、彼女の走力と私の知力、双方がそれぞれ有利な勝負というわけか。
「二つ質問がある」
『言ってみろ!』
「その一、クイズの出題範囲は? 絶対に答えられない問題を出してもしょうがないだろう」
 この娘、最悪「昨日の私の晩御飯はなーんだ!」くらいは言いかねん。
『そうだな……、文学全般だ』
 ……意外なジャンル選択だな。
「その二、相手が出題中の移動は?」
『ハンデで出題中は走っていい。ただし、問題を言い終えたら回答するまで動いてはならない』
 ハンデ、か。
「……わかった、それでやろう」

 さて、この演習場は円形だが、半径はおよそ150メートル。直径で300メートル前後だ。私が全力疾走しておそらく1分前後。しかしクイズも含むこの勝負の形式や、床が鋼鉄製というこの演習場独特のコンディションも加えるとそれよりずっと遅くなるだろう。
 私と修羅君の二人は同じ側の壁に並び、八雲がスタートの号令をかけるのを待っている。当たり前だが、クイズ対決なので修羅君のつけていたイヤホンマイクは外させた。
 しかしこうして並んでみて分かったが、彼女はあまり背が高くはなかった。私や久留間君よりも背は低いだろうし、傍目にはそれほど筋肉が付いているようには見えない。
「む! エロい視線を感じる! 視姦か! 視姦中なのか間男!! ド変態!!」
 付け加えよう。知性も付いているようには見えない。
「いちについて」
 っと、八雲の号令が始まっている。
「よーい」
 恐らく速度では遥かに劣るだろうが、クイズではこちらが有利だ。答え続け、自分の手番で確実に誤答させれば勝てる。
「どん」
 そう考えて私が一歩踏み出した瞬間、
「第一問!」
 彼女は反対側に到達し、大声で問題を出し始めていた。
「!?」
 速い、などというものではない。こちらが一歩動く間にあちらは到達しているのだ。こんなもの、スピードの単位と次元が違う。
「くっ!」
 しかし、まだ出題している間は動ける。今のうちに少しでも……
「『若いからこそ真実を守っております』、この台詞はシェイクスピアのどの作品の、誰の台詞か?」
「……『リア王』のコーデリア」
「正解! 第二問!」
 そう、言い終えたときにはもう私を通り過ぎて、スタート地点だった壁際へと舞い戻っている。こちらは彼女があまりに真っ当な文学問題を出した事に、驚く暇すらもなかった。
「芥川龍之介の蜘蛛の糸において、カンダタはどこにいたか」
「地獄の血の池」
「正解第三問」
 こちらはろくに動いていないのに、あちらは既に三問目。
 この状況はまずい。今は正答を続けているが、こうも間断なく連続して出題されては自分が出題する前にいずれ間違う。あちらは最初からその走力による数の暴力でこちらを獲る算段だったのだ。
 なるほど、たしかに最速。久留間君達と同じ尺度で考えていたこちらが甘かった。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生年は?」
「1805年」
「正解第四問」

「第二十問! たけくらべの作者は?」
 そうして二十問目を出題されたころ、こちらはようやく50メートル進んだかどうかというところだった。
 あと単純計算で百問前後、不正解で通す自信はない。
 そうなると、少々ずるい手を打たなければならないか……。
「樋口一葉。待て」
 私は答えると同時に、また駆け出そうとしたであろう彼女を声で制止させた。
「何だ間男! 勝負中だぞ!」
「少し喉が渇いた。勝負中だが休憩としないか?」
 一先ず、方策を考える時間が欲しかった。
「む? 別に構わないが休憩中にそこから動いたら反則負けだぞ!」
「ああ。……八雲、すまないが外の自動販売機で飲み物を買ってきてくれないか。水でいい」
 ここは訓練施設なので、休憩時のための自動販売機は設置されていたはずだ。
「あ! 私も頼む! 飲み物は日本茶なら何でもいい」
「わかったー」
 八雲はテクテクと演習場の外の通路へと向かっていった。
「それにしても、なぜそこまで文学に詳しい」
 あんなにバカなのに。
 首を長くすると首を赤くするを間違えていたのに。
「読んでいて面白いからに決まっているだろう。教科書は駄目だ。九九を見た瞬間に眠くなる」
 好きこそものの上手なれということか……待て、九九でアウトなのか。
「それと、走るのも速い。久留間君たちと比べても桁違いだ」
「ハッハッハ! それが私の取り柄だからな。持って生まれたこの健脚に加えて私独自の走りを研鑽した結果だ」
「独自の走り、ねぇ」
 独力でよくもまぁ、あんな“物理法則を踏み倒す”走りを編み出したものだ。
「かってきたー」
 丁度良く帰ってきた八雲が、彼女にお茶を、私に水を手渡した。自分はオレンジジュースを買ってきて飲んでいる。
 主に精神的に疲れている体に水分が染み渡る。
「ふふふ、間男。このままいけば私の勝ちだな」
「……かもしれないな」
「私は! 必ずこの勝負に勝って走子をモノにして……抱く!」
「ゴフッ」
 飲んでいた水が思い切り気管に入った!? むせる! むせる!
 むせた拍子に床の上に水をこぼして……あ。
「負け犬の間男は大人しく這い蹲って私と走子の愛を見るがいい!」
……………………ふむ。
 まぁ、なんだ。
 そのイラッとする未来予想図は、彼女が勝たないとやってこないわけで。
 とりあえず勝ちの目を思いついたので実践することにする。
 やっていいかはわからないが、最悪事故ということにしよう。
「さぁ、休憩は終わりだ! ここからの連続出題でケリをつけるぞ!」
「そうか」
 出来たらいいな。連続出題。
「いちについて、よーい」
 そしてまた八雲の号令がかかり、
「どん」
 彼女は再び私の隣を一瞬で通り過ぎて、

――そのまま反対側の壁に激突した

 まるでギャグ漫画のように壁面にめり込んでいたが、少しして落ちた。
 壁から剥がれるように落下した彼女は床の上に倒れ伏し、ピクリともしない。
 さて、無論のこと、今の現象は私の仕業だ。どうやら仕掛けた罠が上手く機能したらしい。
 仕掛けの種は何てことないただの水。先ほどまで私が飲んでいたものだ。 
 それを先ほどこぼした分に更に足して、床にたらしておいただけ。
 あとは彼女が勝手に“吹っ飛んだ”という次第だ。
 なぜそんなことが起きたのか、簡単に言えば彼女が速すぎたことが原因だ。
 彼女は一瞬で――ここでは1秒としよう――300メートルの距離を移動した。秒速300メートル、分速18キロメートル、そして時速にして1080キロメートルというところか。凄まじい速度だ。人間の出せるスピードか怪しい。
 そして出していいスピードではない。
 なぜなら、そんなスピードを発揮するには人の体はあまりに軽く、両足はあまりに小さかった。
 摩擦力とは主に接地面積で決まる。人間の足程度の接地面積で、時速1000キロを超えるのは常識的に考えて無謀なのだ。例外は庶務君のように超能力で加速している場合だろう。
 それでも彼女は『独自の走り』とやらでカバーしていたのだろうが、それも乾いた路面でこそ出来る話だ。
 濡れた路面、それもこの演習場の床のような金属の上では、超高速走行時の摩擦力などないに等しい。

――でも今日みたいな日は大丈夫です! 雨降ってますから!

 あの言葉も要はそういうことだ。
 彼女は速すぎるがゆえに摩擦を失った路面で走ることは出来ない。
 走ってしまえば彼女の両足は摩擦を失って転倒し、あとは慣性のままに時速1000キロで吹っ飛ぶだけなのだ。

「修羅君」
 反対側の壁にようやく辿りついた私は倒れたままの彼女に声をかける。
 ようやく出題権を得た私だがそれも先に壁に“着いていた”彼女の出題に正答すればの話だ。
「……第二十一問」
 時速1000キロで激突したというのに、気を失っていただけで外傷もなさそうだった。意識もはっきりしているらしい。
「ヴィクトル・ユーゴーの小説レ・ミゼラブルを、日本で黒岩涙香が翻訳したときのタイトルは?」
「『噫、無情』」
「……正解。お前の手番だ、間男」
 彼女は私のほうを睨みつける。どんな問題を出されても答えてみせる、という風だ。
 そんな彼女に私は
「最終問題。ウィリアム・シェイクスピア、リヒャルト・ワーグナー、ハンス・クリスチャン・アンデルセン、芥川龍之介、太宰治……」
 ひたすら意地悪な問題を出すことにした。

「この五人の生年を掛け合わせるといくつになる?」

「な!?」
 彼女の顔が驚愕に固まる。まぁそれはそうだろう。言っといてなんだが文学問題か怪しい。
 しかし、作者の生年を問う問題は彼女自身が既に出している。私の問題はそれに少し付け足した、もとい掛けただけなのだから、許容範囲のはずだ。
「く、ぅ」
 文学に詳しい彼女ならもちろん生年くらい把握しているだろう。
 しかし、それを暗算で掛け算するとなると彼女にとっては大きな障害である。
 なにせ彼女、
「10000万!」
 バカなのだ。
「不正解」
 こうして私と彼女の勝負は決着した。

 それにしても、4桁の掛け算を5つ重ねるのだからどう考えてもその桁じゃないだろう。

 ・・・・・・

 勝敗がついた後、私と八雲は無事解放された。(八雲はお土産のおかしとやらを持たされていた)
 賭けの内容については保留しておくことにした。勝った方が云々、というのもそうだが下手に負けた側のペナルティを行使させて恨まれてはかなわない。
 ただし、電話で藤乃君達を呼び、後は彼女達に任せることにした。出来るだけこっぴどく叱っておいてほしい。
 そうこうして家に帰り着くと、そこではソファに寝転んだ助手が待っていた。
「おかえりデスね~」
「ただいまー」
「…………」
「お。八雲ちゃんそれはそれは?」
「おみやげのおかし」
「お、いいデスねー。ちゃんと手を洗ってから食べるんデスよー」
「はーい」
 そうして八雲が洗面所に向ったタイミングで私は切り出した。
「お前だろ」
「何がデス?」
 とぼける気のないニマニマとした表情で助手が答えた。
「修羅君の共犯だ」
「修羅君? なんのことデスかー?」
「とぼけても無駄だ。状況証拠は揃ってる」
 そう、考えてみればおかしな点はいくつもあったのだ。
「第一に、この家から八雲が攫われた時点でおかしい。外で遊んでいるときならともかく、家の中に侵入されて誘拐されるというケースはない。八雲だってそこまで警戒心が薄くはない。それに今日の朝は全く物音がしなかったからな」
 修羅君が乗り込んで攫うのならば、そんな物静かに事は運ばない。
「それ以前に、彼女本人が自宅にまで来ていたらその場で私を叩き起こして決闘だなんだと騒いだだろうさ」
「それでそれで?」
「お前は朝のうちに八雲を家から連れ出して、こっそり修羅君に引き渡した。お前のことだから自分の姿は見せずにな。同時に八雲の方もいくらか言いくるめておいたんだろう」
考えてみれば八雲が落ち着きすぎだった。いくら相手が顔見知りとはいえな。
「そのタイミングで修羅君の脅迫状を受け取り、家に置いていったんだろう。同時に彼女には通信用のイヤホンマイクを渡したわけだ」
「まだ足りないんじゃないデスかー」
「第二に、修羅君の帰国が明日ではなく今日だったことだ。大方、昨日の私と藤乃君達の会話を盗み聞きしてそれを修羅君にリークしたんだろう。お前なら彼女達のアドレス帳も容易に盗み見て修羅君の連絡先は分かったはずだ」
 推測だが盗み見られたのは一番隙だらけの伊緒君だろう。
 あるいは、
「いえ、それは違いマス。あの子は元々メル友デス」
 そっちの線だったか。修羅君が妙にイヤホンマイクの通話のアドバイスを聞いていたから、昨日今日の関係にしては違和感があると思っていた。
 どちらにしても今の発言は自供だが。
「……以上二点から、お前が共犯者というわけだ」
「動機は?」
 不意に、助手――リリエラは少し真顔になって問いかけてきた。
 その表情に、私は少し気圧されてしまう。
「……それがわからん。大方、私を使って暇つぶしをしたかった、くらいに見ているが?」
「フフフー、正解デース」
 そう言った彼女の表情は、いつもの面白半分と言うにやけた笑みに戻っていた。
「兎に角、こういうことは金輪際勘弁してくれ。今回は相手のせいもあって精神的に疲れすぎた」
「はいはーい。……ねぇ、センセ」
「何だ?」
「どうして勝負に乗ったんですか?」
「?」
「別にソウコちゃんと恋人になる権利なんて要らなかったんデスよね? それにあっちが勝ってもソウコちゃん自身で何とかできるのもわかりきってるデショウ?」
「それもそうだな、あのときはそのまま受けてしまったが……まぁ、修羅君の空気に当てられたんだろう」
「……自覚無しデスか」
「何がだ?」
「いえいえー、先は長いなーと思っただけデス」
「?」
 何を言ってるのかさっぱりわからん。
「て、あらってきたー」
「はいはーい、それじゃおかし食べマショ―。センセも食べるならちゃんと手を洗ってきてくださいネー」
「ん、ああ……」
 そうして助手の言動に疑問が残ったまま、今回の誘拐事件は幕を閉じた。

 追記。
 修羅君は藤乃君からのお説教の後に久留間戦隊へと復帰した。
 しかしその翌日に再度私を襲撃したため反省室行きになったようだ。
 ……今後、彼女には苦労させられそうだ。

 怪物記 第十一話
 了
ツールボックス

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