【魔剣領域BladeZone】

 【魔剣領域BladeZone】

「ダルい」
 大事なことなので最初に言っておく。
 俺は今、非常に面倒くさいと思っている。
 なぜかと言えば、上司に出張を命ぜられたからである。それも単独で。
 ああ、面倒くさい。
 俺は出張が嫌いだ。同行者がいればまだ車で運んでもらうなりできるのだが、一人では新幹線を乗り継いで遠出しなければならない。それが非常に面倒くさい。電車の運行時間を調べるのも面倒くさい。うちの社員にテレポーターがいないのが面倒くさい。
 ましてや、今回は国すら違う。飛行機に乗って日本へ行けと、この面倒くさがりに命令するのだから上司は酷い人だ。名前もひどいが。
 せめてもの救いは飛行機のチケットが用意済みで、空港までタクシーを手配してくれていたことだろう。そこまで自分でやれと言われたら死んでしまう。
「……ダルい」
 しかし救いはそれで終わりだった。日本の空港についた俺を待っていたのは地中海が天国に思える異様な蒸し暑さだった。嫌だここ、過ごし辛そう。湿度高い。
 早く仕事なんて終わらせて地中海に帰って家でゴロゴロしたい。そう思っていたのに上司からの指令書を読んで絶望した。
『業務内容。付属の資料に記載した少女を東京都双葉区の学園都市まで護衛し、双葉学園中等部への編入を見届けること。編入後、一年間彼女の護衛を続けること。
追記、これまで怠けた分だけ働け給料ドロボウ』
 ひどい。
 こんな蒸し暑くて空気の不快指数が高い国で一年過ごせって上司バカじゃないかしら。あの人くらい出鱈目だとこの国の気候が気にならないのだろうか。ああ、そういやあの人の出身地だっけこの国。
「…………ダルい」
 そもそも人物の護衛が仕事とか、そんなずっと気を張ってなきゃいけない仕事は俺向きじゃないよ。犬にでもやらせてればいいじゃない。
 第一、護衛対象探すのが面倒くさい。何? これからその子の家まで行ってご挨拶して送り届けて守り続けるの? 面倒くさい面倒くさい。やだやだやだやだ。
 とは本気で思うのだが、仕事は仕事なので資料に目を通す。
 少女の名前は白東院潤香……なんて読むんだこれ。あ、ローマ字表記あった。
 ハクトウイン・ウルカね。この国の名前に詳しくないけど変わった名前なのはわかる。上司ほどじゃないけど。
 年齢は13歳、出身キョート。異能の名家の血筋、白東院家当主の次女。妾腹の子。母は死別。異能発現の兆しが見られたため、学園側の要請で双葉学園に編入予定。
 写真も添付されている。和風の美少女だと思う。数年後は多分アジアンビューティー。俺イタリア人なので美人だとちょっと嬉しい。でもやっぱり面倒くさいの勝ち。シェスタしたい。
 と思いつつ資料を読み進めていると、どうやら飛行機の到着時刻に合わせて彼女の方から空港に来てくれるらしい。これは助かる。面倒くさいのが少し減って好感度アップ、残り900面倒くさい。
 でもそれならどこかにいるはずじゃないのと、資料をしまって周囲を見回してみると、普通に待合室にいた。待たせてしまったっぽい。
 …………ん? 何で彼女の一人なの?
 まぁ、とりあえずこれ以上待たせるのも悪いし、仕事を早く済ませれば済ませた秒数だけ早く地中海に帰れるからちょっと急ごう。面倒くさいから走らないけど。
「Buon giorno」
「え?」
 彼女に話しかけたのだが、なんだか不思議な顔をされた。
 ああ、イタリア語通じないのか面倒くさい。
 俺は首から提げた簡易マジックアイテム――翻訳呪を起動させた。
「こんにちーは。私、帝国強襲殲滅探偵社EADDから派遣されましたダルキー・アヴォガドロでーす」
 ……んー? うちの会社の訳ってこれでいいのん? 翻訳呪の調整狂ってない?
 おまけに翻訳呪って使用回数に期限があるから、一年も暮らすなら言葉覚えないとなんだろうな本気面倒くさい。
「白東院ウルカさんでよろし?」
「はい。私が白東院ウルカです。あの、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
 おや綺麗な声。
「なんですー?」
「あなたはどちらの方ですか?」
「んー、だからEADDのー」

「そうではなく、私を殺しに来た方か。守りに来た方か。どちらなのでしょう?」

「……殺しに来た方でーす、って言ったらどうしますかー?」
「どうぞ、私の首を差し上げますので、無用な騒動はお止め下さい」
「…………」
 うわ、面倒くさい。
 この護衛対象痛い子だ。
 他の人に被害が及ばない為に勇気を出して自分の命を差し出す、ってケースじゃないよねこれ。
 この何もかももう死んでるみたいな表情、『自分みたいなもののために、殺し屋含めて他の人を煩わせないように』って気持ちで言ってるよね?
 生きる気力がさっぱり見当たらない。護衛対象としては最悪に面倒くさい。
「言ってみたーだけでーす。我が社は護衛側でーす」
「そうですか。それはよろしゅうございました」
 ……本当にそう思ってる?
「とりあえーず、車でー、学園都市にー向かいまーす。ウルカ様の送迎車はー?」
「ございませんよ?」
「はい?」
「私はここまで一人で来ましたので、家の車は使っておりません。許可もありませんでしたので」
 …………やだやだやだやだ。
 これなに、なにこれ、すっごく嫌な裏事情見えてきそう。面倒くさい。
 そもそも最初から変なんだよね、これ。
 彼女が家のつけた護衛もなく一人でここにいるのも、今さら双葉学園に編入するのも。
 白東院は異能の名家なんだから、普通なら兆しが見える前から入ってるものじゃないの? 確実に異能の関係者ではあるんだから。
 ここから推測されるケースは、
「ウルカ様、聞きづらいこと聞いていいですかー」
「はい、構いませんよ。それと、様などと呼ばれても困ります」
「ウルカさーん、……冷遇とかされてました?」
「…………そのようなことは、ありません」
 確定。非常に面倒くさいケース。
 彼女、家中でずっと冷遇されてたっぽい。
 古い名家、それも妾腹&これまで異能の発現がなかったからってあたりが理由か。
 で、辛く当たっていたものの最近になって異能が発現し、なおかつ学園側がそれを察したので入学を要請。その要請を断れず家は彼女を学園に送る。けど妾腹&血統にしては遅い発現なので身内の恥だから出来れば送りたくない。この扱いの悪さはその意思表示。
 いーやーだーわー、黒くてきつくて面倒くさい。自分の察しの良さがもう面倒くさい。
 上司が一年間護衛しろって命令下したのもその辺が理由かしら。
 ……はて? 護衛が俺しかいないのも問題だけど、そもそもこっちの護衛依頼ってどなたが出したの?
 この分だと彼女の家じゃなさそうだし……。
「あの、ダルキー様?」
「あ、すみませーん。考えごとしてましーた。じゃあタクシーで、向いましょう」
「はい」
 私と彼女は空港のタクシー乗り場に向った。
 ……ところでこの翻訳呪、ちょっと発音変じゃない? やっぱり調律狂ってる?

 幸いにタクシーは空調がすごく利いていたので蒸し暑さがなかった。椅子も綺麗でふかふかしているのですごく眠くなる。面倒くささが減って眠気が増していく。でも護衛中だから眠るわけにもいかない。やっぱり面倒くさい。
 眠れないついでに資料の続きに目を通す。すると俺が推測したのと大体同じ内容が書かれている。ついでに依頼人のことも。
 なるほど、そういうことねと納得しつつ資料から彼女に視線を移す。
 彼女は背筋を伸ばし、綺麗だとは思うがまるで人形のように見える姿勢で窓の外を見ていた。
 冷遇していた割りに作法だけは叩き込んだのだろう、という結論に至り少し気分が悪くなる面倒くさい。
「何か見えまーすか?」
「海が見えます、それと海の上に大きな島が」
「あれが双葉区でーす。あの学園都市に、ウルカさんは通いまーす」
「そう、ダルキー様は学園のことをご存知ですか?」
「話に聞いただけでーす。でもあそこは私やあなたのような人が沢山いる街でーす」
 タクシーの運転手もいるので、異能のことをぼかして話した。
「私のような……ですか。それは……」
 彼女はそこで言葉を切った。
 何をいいたかったかは大体分かる。確実に暗い台詞だ。面倒くさい。
「まあまあ、行ってみればいい場所かもしれませんよー。住めば都いいます」
 さっき自分自身では全く正反対のことを考えていたけれど、それは面倒くさいから置いておこう。
 それに、新しい生活を向かえて不幸な人生が好転するというのは良くある。
 俺の仕事もそれのお手伝いみたいなものだし。
「ダルキー様も行かれるのですか?」
「はい、向こう一年、ウルカさんの護衛務めまーす」
「それは、大変ですね」
 申し訳なさそうに彼女は言う。
「私がすぐに死んでしまえば、貴方にお手数をかけることもないでしょうに……」
「それ、私が上司に殺されまーす」
 想像したら怖すぎて面倒くささが吹き飛びそうになる。

『じゃあ一石二鳥のいい案がある。二人纏めて此処で死ね』

 俺が彼女を抱えてタクシーから飛び出した瞬間、車両は進路を急変更して道路脇に激突した。
 どうやら、面倒くさいこと――俺の仕事が始まったらしい。
 ああ、面倒くさい。

 飛び出して道路を転がった後、すぐに道路脇の歩道に避けた。
交通事故を起こしたタクシーを見るが、高速道ではなかったためか凹んではいるが原形をとどめている。運転手も生きてはいるだろう。
 つまり殺す気だったのなら甘すぎる。
 次が来るかな。
「ダルい」
 言った直後に、今度は別の車がこちらに突っ込んでくる。
 ちらりと見えた運転手の顔は驚愕の表情、ついでにハンドルも切っていない。つまりこの相手の異能は人の洗脳などではなく、車そのものを操ったか車に何かをぶつけて無理やり動かしたかのどちらかなどと考察する間に避ける努力面倒くさい。
 幸い二度目も回避。
 ウルカさんの方も二回とも庇えたので傷も見当たらない。
「ダルキー様、これは」
「殺したい方が来たみたいですねー」
「そうですか」
 うわ、素だわ。
 全く狼狽する様子ないわ。襲われても守られてもどっちでもいいんだこの子。
 ここまで未来を諦めてる人は見ていて結構イライラ。
「兎に角此処だといくつ車が駄目になるか分からないので移動しまーす」
「はい」
 すぐに地下の歩行者用通路への入り口を見つけ、彼女の手を引いて階段を降りる。走るのが非常に面倒くさいが仕方ない。
 そうして地下道を50メートルほど進んだ後で、罠に嵌ったことを理解した。そもそも、地下通路の入り口がすぐ近くにある場所でタクシーを潰した理由を考えるべきだった。
 通路の先には拳銃を構えた男が五人。
 そして私達が下りてきた階段からは拳銃を構えた男がさらに四人。いずれも見事な悪人面で堅気には見えない。
「んー、袋小路」
 面倒くさい。
「そしてお前らは袋の鼠と言うわけだ」
 階段から、さらに一人の男が降りてくる。
 その男はさほど強面でもないが、悪人面の男達よりよほど危険そうだ。
 その証拠に階段側の男達がすぐに道を空けている。力関係が歴然だ。
「俺はアイアンボルトと呼ばれている。殺し屋さ」
 あ、こいつウルカさんと別の意味で痛々しい。
「聞いたことないですー」
「フン、いずれ外国にも名が届くようになる。もっともそのときには貴様は墓の下だがな、外人野郎」
 ……すごい、絵に描いたような負け役だ。
 でもこういうタイプやりやすくてめんどくない。
「ちょっとよろしいですかー?」
「何だ?」
「どうしてー、私が護衛に入る前にウルカさんを殺さなかったんですかー?」
 そう、彼女は一人で空港まで来ていたのだから殺すチャンスはいくらでもあったはずだ。
「フッ、それは貴様が護衛にいなかったからだ」
「は?」
「海外の異能力者がそこの小娘の護衛につくことはわかっていた。だから、護衛についた貴様を倒し、俺の名を上げる一助にしてやろうという算段さ!」
 ……バカでよかったと本気で思う。じゃなかったらウルカさん死んでた。
 あっちの依頼人ももうちょっとマシな人選すればよかったのにね。ああ、そうだ。
「もう一ついいですかー?」
「いいだろう」
「一体誰がウルカさんを殺そうとしているんですかー?」
 まぁ尋ねたものの流石に
「冥土の土産に教えてやろう。その小娘の姉だ」
 こいつ殺し屋やっちゃ駄目なレベルのバカだ。
 しかし、姉。やっぱり身内の依頼か面倒くさい。
「姉さんが……」
 ウルカさんがぼうっと呟く。
 流石に彼女も姉妹から命を狙われたとあってはショックを受けているのだろうか。
「仕方ありませんね」
 ……ねえ、それどういう意味?

「姉さんも、私などが同じ学校に通うとなれば迷惑なのでしょう。なら、その前に私が死ねば、姉さんにも貴方方にも迷惑を掛けずに済みます。ダルキー様、私、ここでこの方々に殺していただいた方がいいのではないでしょうか?」

 こ、の、む、す、め、は……!
 正直目の前の敵よりも護衛対象に怒りが沸いてきた。
 人が面倒くさい思いしてこの国に来たのを何だと思ってるんだってこと以前に!
 これまでどんな扱いを受けてきてそういう考えをするようになったか知らないが!
 自分が死ぬ意味ばかり考えて生きる意味をまったくわかっちゃいない!!
 ああ、もう、面倒くささも糞もない。
「ウルカさーん」
「はい、ッ!」
 俺は彼女の頬を平手で打った。
 彼女は少し呆然としたようにこちらを見上げていたが、すぐに何か納得したように喋り始める。
「ああ、怒らせてしまったのですね。申し訳ありません。ですが、これが姉にとっても皆様にとっても最良だと思うのです。ダルキー様も、私が死ねば国に帰れますでしょう?」
 ……まったく、もう、本当に。
「ウルカさん、私すごく面倒くさがりで怠惰な人間です」
「はい?」
「でも生きることを面倒だと思ったことありません。あなたその逆です」
「そうですね、私はもう生きるのに疲れてしまったのかも」
「そんな寝言をその年で吐くなバカ娘」
 ようやく調律が合い始めた翻訳呪が、俺の言いたいことを正確に翻訳してくれているのが感覚で分かる。
「阿呆か、生きるのに疲れた? 冷遇された? お前もうすぐ新しい生活始まるんじゃないか。仕切りなおし、人生の第二幕。ひょっとしたらお前がシンデレラでこれから舞踏会になるかもしれない場面じゃないか。そこでやめてどうする」
 彼女の肩に手を置き、自分は膝を着いて目線を合わせる。
「俺が生きるのを面倒くさいと思わないのは、俺が自分の未来を信じているからだ。生きていれば今までで一番楽しかったことよりも、もっと楽しく感動的なことがあるはずだと信じながら生きているからだ。だから今を面倒くさいとは思っても、面倒な仕事がある今だと思っても、人生そのものは楽しく素晴らしいものだと信じている。あんたの人生だってこれからそうなるかもしれないだろ」
「でも、私はそんな風には……」
「君を護衛するようにEADDに依頼したのが誰か、わかるか?」
「いいえ……学園の方ですか?」
「違う。君の母親だ」
「え……?」
 彼女が驚くのも無理はない。彼女の母親は数年前に病死している。資料にもそう書いてあった。だが、
「君の母親は、君があの家で辛い目に合うのは分かっていた。しかし、病に臥せっている自分では君を支え続けることは出来ないかもしれない。そうなれば君が独りきりになってしまう。だから、生前にEADDに依頼した」
「お母様が……」
「君がいつか、あの家を出て新しい生活を、新しい人生を始めるとき、君を支えてくれる人がいるように。過去の家でのしがらみに囚われ、不幸な目に遭わないように。君が独りで生きる気力を得られるまで、見守る誰かを、君に残したんだ」
 一年間と言うのは、そのときの彼女の母親が支払える全財産で依頼できる最長の期間だ。もっとも、上司のことだから……だいぶおまけしたのだろう。
「お母、様……」
 ウルカさんは両手で顔を覆い、膝を着いて泣き始めた。
 母親が亡くなってから数年、感じることのなかった愛情を感じて。
 彼女は再び生き始めた。

「フフフ、中々泣ける話じゃないか。しかしそれもここでお終いなのがより悲しいな」
「……ダルいな、全く」
 空気を読めといっても無理かもしれないが、せめてもう少し黙ってくれていればいいものを。
「ウルカさん、行こう。この地下道を出て、またタクシーを拾わないと。学園都市は歩いていくにはダルい距離だ」
 そっと彼女の肩を抱き、自分の足で立たせる。そのまま彼女を伴って階段とは反対側に歩いていく。
「なんだぁ!?」
「俺らをシカトしようってのかぁ!?」
 前方に立ち塞がる堅気ではない――かと言って散々見てきたマフィアより品も格も落ちそうな連中は銃を構えてこちらを威嚇する。
 バカが。構えたら撃てよ。いちいち口上言って威嚇して面倒くさくないのかお前ら。
 俺は懐から、彼らの拳銃と同じく武器、しかし格の違う代物を取り出した。
「なんだそりゃあ?」
 取り出したのは、傍から見れば柄だけのナイフ。
 そこから、植物が伸びるようにグニャグニャとした刀身が伸びる。
 フランベルジュに似ているが、それよりずっと細く小さい俺の武器。
 まぁ、この程度じゃこんなものだろう。
「はっはっは、そんな豆ナイフで俺らにぃ……」
 銃を構えた連中は次々に、腹を押さえて膝を着く。倒れたものもいる。
「な、何だ!?」
「毒ガスでも撒きやがったのか!」
 無事な階段側の連中が色々言っているが、間違い。こいつらは単に、
「は、腹が減ったよう……」
「さ、寒い……」
 ひもじいだけだ。
「は、腹が減った? 何言ってんだお前ら」
 あうあうと口を動かしながら倒れている仲間の言葉を聞いて、無事な連中は怪訝そうな顔をする。
「……お前の異能か、外人」
「俺の異能、と言うよりこいつの力だがな」
 俺は手の中の曲がりナイフを示す。まあ要するに俺の力と同義な訳だが。
 俺は連中に、銘だけは教えてやる。
「奇剣、あるいは飢剣ヒダルカミという。銘の由来はこの国だそうだ」

 ヒダルカミ。ヒダル神、ダラシ、ダリとも呼ばれる餓鬼の一種。
 道行く旅人に憑き、空腹・疲労により倒れさせ、そのまま取り殺すこともあるという。ある地方では古くから、避けるためのまじないが幾つも考えられるほど恐れられている。

「腹を空かさせる能力? なんだそりゃ糞みたいな異能じゃねえか」
「頭の悪い直接攻撃型はいつもそう言うよ」
「!!」
 俺の挑発に乗って、アイアンボルトと名乗った異能力者が己の異能を起動させる。
 懐からピンポン球ほどの鉄球を取り出し、それを――射出した。
 鉄球は次の瞬間には俺の腹に減り込んでいる。
「ごふッ」
「ダルキー様!?」
 ウルカさんが悲鳴を上げる。ああ、いい感じ。生きてるねぇ。良い傾向だよ。
「フッ、まだ減らず口が叩けるかな?」
「……鉄元素限定のテレキネシスか? 初撃で殺せないのは威力がなさ過ぎるな」
「は! 今のはもちろん手加減してやったんだ!」
「そうか? 今のお前にとってはそれで全力なんじゃないのか?」
「……あ?」
 俺の言葉に奴が訝しげな顔をする。
「今の球の速度、大体だがさっきの車の速度と似たようなものだったよ。思うにお前は、鉄を動かせるが、物体のサイズに関わらず最大速度が固定されているタイプだろう。だから今以上の威力を出すならもっとでかいものを用意しなければならない。しかしここではそんなに大きな鉄はない。違うか?」
「……よくわかったな」
 生憎と察しがいいもので。
 しかしそこで正解と答えてしまうのがまた甘い。
「だが、それならこっちを使えばいいだけだろうが!」
 そう言って奴は拳銃を構えた。
 他の奴もこちらに拳銃を向ける。
「じゃあこっちはこうする」
 そう言って俺はヒダルカミを振り、――周囲の灯りを消した。
 完全に暗闇と化した通路を、俺はウルカさんの手をとって駆け出した。
「う、撃て撃て!?」
「馬鹿野郎! 今撃ったら倒れてる連中に当たるぞ!?」
 混乱している連中を尻目に、俺達は通路の反対側から地上へ脱出した。

 通路の反対側の出口、そこは海辺に繋がっていた。どうやら海水浴客が道路の下を渡るための通路だったようだ。目の前にはあの学園都市を設立する時に水質浄化された東京湾が広がっている。しかしシーズンが違うので俺達以外に人の姿はない。
 好都合と言えば好都合。
「ウルカさん、無事?」
 俺は彼女の様子を窺った。見た限りは少し走り疲れているだけだ。俺も走るのは面倒くさかった。
「わ、私は大丈夫です……。それよりダルキー様は」
 先ほどあいつの攻撃を食らったことを言っているのだろう。これなら大丈夫、痣ができたくらいだ。
――威力も大分食ったしな。
「さて、どうやって学園までいくかな」
 あいつの能力が鉄元素操作だと分かった以上、車は棺桶だ。しかし距離は遠く、そのうち追いつかれる。となると、
「結局、迎え撃つしかないか。あ、ウルカさん。ちょっとの間だけあっちの方に隠れてくれる?」
 通路の入り口と反対側、海岸の岩場の方を指した。
「ダルキー様、ですが……」
「ああ、大丈夫。次は多分止まるから。君は安心して待ってればいい。そしたら一緒に学園に行こう」
「……はい!」
 そして彼女は駆けていき、入れ違いに連中が地下から出てきた。
 出てきたのはアイアンボルトと、取り巻き二名。他の奴は倒れた奴の介抱に回ったかな。やっぱり甘い。面倒が少なくていい。
 いや、そんな誤差は面倒でもないか。
「はん? 待っているたぁ殊勝だなぁ。それはそうとさっきの手品はどうやった?」
「教えるわけがないだろう」
「そうかよ!」
 そう言って連中は再び拳銃をこちらに構え、俺と、俺の背後で駆けていくウルカさんに放った。銃弾は先ほどの鉄球と比較にならない、目に見えない速度で俺達を撃ち抜く――わけがない。
 銃弾は全て減速し、終いには俺の足元に落ちて転がった。
「な!?」
「撃ち続けろ!」
 続けて何発も何発も撃ち続けるが、結果は全て同じ、いやもっとひどいか。次第に落ちる場所が俺から遠ざかっている。
「らぁ!!」
 アイアンボルトが鉄球を放つが、それもやはり落ちる。
 砂の上に転がった鉄球があいつの魂源力を受けて再び動き出そうとするが、浮かんでは落ちてを繰り返す。
「外人野郎! 何しやがった!」
「だから、教えるわけがないだろう」
 俺は右手に持ったままのヒダルカミを振る。
「ぇぅ……」
「ひも、じぃ……」
 すると、奴の取り巻き二人が倒れ伏す。症状としてはさっきの連中と同じだがより重度だ。ただ、奴本人はやはり魂源力のせいか効きが悪い。まだ立っている。
「てめえ、また……?」
 奴は何かに気づいたようにヒダルカミを注視する。
「おい、お前の得物、でかくなってねえか?」
 流石に気づいたか。
 今のヒダルカミは刀身1m弱、真っ当なフランベルジュと同じだけの長さにまで成長している。
 これはヒダルカミの特性の一つ、起動してから時間が経過するほどに効果と射程距離、効果範囲が増す。食っただけ成長するということだ。
 そしてもう一つ付け加えるなら、こいつの能力は人の腹を空かすこと……ではない。
 もっとも、それを目の前の敵に教える義理はないが。
「糞が、長期戦になればお前が有利ってことは理解できたぜ!」
「そうか遅かったな」
 この成長抜きにしても、ヒダルカミの効果を見ていれば速攻即殺が最良だとわかりそうなものだ。
「うるせえ! ここで一気にぶっ潰してやる! こいつを見ろ!!」
 奴はそう言って、海のほうへと右手を向ける。
 すると、海の中から巨大な、乗用車よりもなお巨大な鉄球が浮かび上がった。
「なるほど予め付近に自分の武器を隠しておいたのか。案外頭も使えるみたいだな」
「黙れ! お前がいくら鉄球を落とそうが、どうしようもないってことを教えてやるぜ!」
 そう言って奴は大鉄球を先ほどまでの鉄球と同じ速度で発射した。
 狙いは――俺の頭上。
「落とすところにお前がいりゃあ関係ねえんだ!」
 そのまま鉄球を垂直落下させる。
 俺が避けようとすれば、それに応じて大鉄球の軌道を微修正。
 なるほど、たしかにこれなら俺を潰せる。

 ヒダルカミの能力が、空腹や落下ならの話だけどな。

 俺はヒダルカミを構え、

『――食い漁れ ヒダルカミ』

 宣言と共に振り抜いた。

 そして、大鉄球は俺の頭上数センチで静止した。
「なん……だと?」
 そのまま俺が十歩ほど歩いて安全圏に逃れると、大鉄球は少しずつ落下し始め、より離れると砂の上に重く落下した。
 俺はそのままゆっくりとアイアンボルトへと歩く。走りはしない。走るのは面倒くさい。
 対してアイアンボルトは俺から遠ざかろうとするが次第に速度が鈍り、やがて完全に停止する。
「お、ま、え、な、に」
 口の動きすらも停止しかかっているが、何を言いたいかはわかる。
 しかし返答は決まっている。
「教えるわけがない」

 ヒダルカミの能力は空腹でも落下でもない。
 エネルギー貯蔵能力だ。
 最初は人体のカロリー……熱量を食って空腹にさせた。
 次に通路内の光エネルギーを食って灯りを消した。
 銃弾や鉄球は運動エネルギーや位置エネルギー、所謂力学的エネルギーを食って止めていた。
 最後の鉄球は宣言による最大駆動で位置エネルギーはそのままに落下運動のエネルギーだけを全て食わせた。
 しかしこの最大駆動が食わせ物で、使うには起動してから時間を掛けなければならない上に使うと周囲一帯対象無差別に指定したエネルギーを食い続ける。使い勝手が悪くて扱いが面倒くさい。
 ウルカさんを逃がしたのは巻き込まずにこれを使うためだった、という理由が大きい。
 さて、最大駆動のヒダルカミは現在進行形で運動エネルギーを食い続けている。依然成長も続いているのでこのまま影響範囲が広がれば向こうの道路の関係ない人達まで少々危ない。それは面倒くさい。
 だからある方法でこれを解除しなければならない。
「幸いにして今回は死者も出ていない」
 俺はそっとヒダルカミの刀身を、運動エネルギーを食われて停止したアイアンボルトに当てる。
「それに結果的にはウルカさんが生きる気力を得るきっかけにもなった」
 運動エネルギーを食っているヒダルカミだが、これの能力はエネルギー貯蔵なので、食ったエネルギーは刀身内部に溜め込んでいる。
 最大駆動を解除するにはこれを吐き出させればいい。
 要するに、
「だからこれで水に流そう。ついでに少し頭を冷やしてくればいい」
 溜め込んだ全エネルギーを某かに叩き込むのである。

「――暴食反転――」

 銃弾、鉄球、そして自分自身の全運動エネルギーの放出を一度に受けたアイアンボルトは、人間大砲のように水平線へと吹っ飛んでいった。




 アイアンボルトを海にぶっ飛ばし、面倒ながらも警察に通報して、まだ通路でひもじい思いをしてあうあう言っていた取り巻き連中を銃器不法所持でしょっぴいてもらって、ようやく俺とウルカさんは学園へと到着した。
その後はつつがなく編入手続きも終わり、今日が彼女の登校初日だ。
「…………」
 ウルカさんは、学園の門の前に立ったままもう二十分もそうしている。
 入ろうとしては躊躇いを繰り返している。
 来る時の一件で、生きることに少しだけ前向きになった彼女だが、それでも、だからこそ躊躇いや恐れがあるのだろう。
 それに、この学園には彼女の命を狙った姉もまた生徒として在籍している。だからこそ俺もここで彼女を見守っている。
 一歩を踏み出せば彼女は人生の新しいステージに立つ。しかしそのステージが、これまでよりも幸福であると信じることが、まだ出来ていない。
 そうして彼女は溜息をつき、踵を返そうとして……ちょうど後ろにいた少女とぶつかった。
「のわー!」
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
 その少女――白い帽子が特徴的で肩になぜか猫(トラ?)のぬいぐるみを付けている――は尻餅をついたが、ウルカさんの差し出した手を掴んで立ち上がった。
「うむ! 私はへーきなのだ!」
「本当にごめんなさい、私はこれで……」
「む? 待つのだ、これからホームルームだぞ?」
「でも、私は」
「クラスはどこなのだ?」
「1年の、L組ですが……」
「なんだ、私と一緒のクラスじゃないか! 見たことない顔だけど転入生か? こうしてぶつかったのも何かの縁である! 一緒に教室に行こうではないか!」
「で、ですが」
「私の名前は藤神門御鈴だ! 醒徒会長をしている! お前の名は?」
「は、白東院、潤香です」
「うむ! ウルカだな! 覚えたぞ! いい名前だ! よし、ではダッシュで教室に行ってみんなに紹介するのだ!」
「あ、あの……!」
 そうしてウルカさんは元気がいい少女に手を引かれて校門を潜り抜けていった。
「あの様子なら、大丈夫そうだな」
 始まりはあれでいい。誰かに引っ張られる形でも、ああして新しい日常に飛び込めたのなら、いずれは明るい明日を信じることも出来るだろう。
「さて、今のうちにこっちもやることをやらないとだ」
 これから一年、彼女を護衛するためにこの街に住居を構えないといけない。ずっとホテル暮らしというわけにも行かないし、上司は住居を用意してくれていなかった。だから面倒くさいが自分で不動産屋を回らなければならない。
 それでもまぁ、これも仕事なのだから、頑張ろう。

「ああ、ダルいなぁ」

 FIN


【魔剣データ】
【奇剣・飢剣ヒダルカミ】
 餓鬼霊の名を冠した魔剣。中世ヨーロッパで作成された魔剣だが、当時若干間違った形で日本のヒダルカミの伝承が伝わり、このようにネーミングされたと思われる。
 固有能力はエネルギー貯蔵。
 普段は柄のみだが、起動してからの時間経過及びエネルギーを貯蔵するごとにフランベルジュ状の刀身が成長していく。刀身の成長に比例して一度に貯蔵するエネルギー量・射程距離・貯蔵できるエネルギーの種類が増していく。なお、各項目の上限値は所有者によって異なる。成長という特徴から何らかの植物を素材にしていた可能性がある。
 ある程度刀身が成長すると「食い漁れ ヒダルカミ」の宣言と共に最大駆動と呼ばれる動作が可能となる。最大駆動では所有者を除いた周囲一帯から、宣言時に選択したエネルギーを無差別に貯蔵する。無差別であるゆえに敵味方関係なく、また一度発動させると特定の操作をしなければ停止しない。特定の操作とは刀身を何かに押し当て、暴食反転リバースの文言を唱えること。すると最大駆動中に溜め込んだエネルギーが押し当てている対象に全て吐き出される。リバース後は刀身が消えるため、刀身を成長させなければ再度の最大駆動は使えない。
 現在の所有者はEADD社員、ダルキー・アヴォガドロ。

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最終更新:2012年09月13日 21:13
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