【Temporary Peace】


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    Temporary Peace

 うららかな春の陽射しの中、双葉学園初等部第七棟の屋上で、石動茉莉《いするぎまつり》は伸びをした。
「……平和ね」
「そうだな。先日までの騒ぎが嘘のようだ」
 まさか応じる声があるとは思っていなかった茉莉だが、そこまで驚きはしなかった。いや、ある意味では驚いたのだが。
 聞き覚えのある声の主の方へ振り向く。
「由慧《ゆえ》じゃない。そっちの仕事は忙しいんじゃないの」
「おかげさまでようやくひと息つけたよ。ついでだから、茉莉の顔でも見て帰ろうかと思って、初等部の職員室を回ってみたら見つからなくってさ。どこに居そうか訊いてきたんだ」
「あ、ごめんごめん。でもサボりじゃないからね。これでも仕事中なんだから」
 といって、茉莉は眼下の校庭で走り回る初等部の児童たちへ目を戻した。由慧もフェンス際までやってきて茉莉の隣に並ぶ。
 石動茉莉と阿良規《あらき》由慧は高校時代からの同級生だった。大学も同じだったが、茉莉は教師になる道を選び、由慧は国家公務員I種試験を突破して官僚になった。
 平凡な人生を望んで教師になった茉莉だったが、めぐりめぐって、今年の春からここ双葉学園で教鞭を執ることになり、半歩ばかり志望の人生からははみ出した。由慧のほうは、文科省の特異技研課参事官としてときおり双葉島までやってくるのが仕事になっていたので、もう交差することはないだろうと思っていた二人の道が、大学卒業から十年ほどの時を経て再び重なるタイミングの生じるようになったのだった。
「ほんと、平和が一番」
 緊急通報装置のスイッチにも、対ラルヴァ用ライアット・ガンにも触れずにすむ日々が送れることに、心底からの安堵を覚えて茉莉は繰り返した。子供たちのために身を呈することにためらいはないが、しかし茉莉の志望はキンダーマン・コップではなかったのだ。
 こうして見る限りは完全にごくごく普通の児童たちの姿を横目に、由慧は半ば独り言のように口を開いた。
「全世界的にラルヴァ活動の退潮が認められている。異能犯罪組織も、大きなところが二つばかり事実上壊滅したというのが公安の見解だ。このまま落ち着いてくれれば一番だが」
「それって、お上がやることやってくれた成果なのかしら?」
「封じ込め作戦は確かに展開したよ。ただ、こんなに即時に、はっきりと目で見えるほどの効果を期待されてはいなかったし、予想もされていなかった」
「素直には喜べない、と」
 高校のころから、なぜか由慧の話の聞き役は茉莉だった。学校の成績も、地頭の回りの良さも、二周りは茉莉より由慧のほうが上だったのだが、由慧は精神的に茉莉を頼ることが少なくなかった。十年ぶりに再開した時も、まるで十日ぶりだったかのように、二人の波長は一夜で噛み合った。お互いの職場の中間地点にあたる新橋――まあ、駅数はともかく物理的距離ではずいぶん由慧に有利だったが――で、中年オヤジよろしく終電まで呑んでしまったくらいだ。
 茉莉のあいづちに意を得たか、由慧は抑揚のないいつもの棒読み口調で話し始めた。
「今日は予算の削減について話をするためにきてたんだ。事態がこのまま静穏化するなら、来年度の学園予算は今期の八割。三年かけて半減させるのが文科省が財務省にせっつかれて組んだ短期計画案」
「学園予算って、結構な割合が島のインフラ整備や対ラルヴァ防衛装備に使われてるんでしょ。島の設備はけっこう充実してきたし、対ラルヴァ防衛網に至っちゃほんとに役に立ってるのか疑わしいレベルだったし、学園本体の教育予算さえ削られないですむなら別に問題なさそうだけど」
「学園予算は二十一世紀唯一の聖域だったんだ。浮く見込みのある莫大なカネを巡って綱引きが始まってる。もちろん文科省も今日まで握ってきた既得権を手放す気はない」
「よくわかんないわね。短期計画案はちゃんと財務省の要求どおりに組んだんでしょ?」
「縄張りの杭をさっさと打ち込んだんだ。特例措置が終わるなら、文科省が島をまるごと背負う義理はないと、ね」
 由慧の言いたいことが、茉莉にもほんのちょっぴりだけ見えてきた。例えば道路を造るのは普通なら国土交通省の仕事だ。しかしこれまでの双葉島では、文科省が全ての仕事を一元的に引き受けてきた。それだけの予算をもらっていたのだ。予算を減らすなら、この先は「学園」の世話しかしないと文科省は主張している。一見正論のようだし、ついさっきまでは茉莉も学園本体の予算さえ減らないならべつにいいんじゃないのかと思っていた。しかしそれでは、島には校舎と教員と生徒だけしか残らない。双葉島は特殊で、つまりずいぶんいびつなのだ。
「島『全体』に振り向けられる公的予算って、来年からはどうなるのかしら」
「はっきりいって、来年度からいきなり半分以下になる。異能関連予算はフォロー範囲が広いから、これまでも双葉島内だけで使われてたわけじゃない。国交省にはどう見ても余裕がない。老朽化した全国のライフラインをつぎはぎするだけで精一杯だ。今世紀製の新《ヽ》品《ヽ》なんて、五十年はほったらかされるな」
「造るより維持のほうがお金かかるのよね……。来年いきなりガタがくるって話じゃないといっても」
 十年後、二十年後はわからない。いや、けっきょくのところ、メンテナンスの手抜きが正当化されるのは実際に「壊れる」までであって、逆説的には「壊れな」ければメンテナンスの存在そのものが完全には正当化されない。無事ですんでいたものが「無事」でいられる理由と言うのは、メンテナンスをしていたおかげなのか、それとも放っておいても大丈夫だったのか、それはわからない、悪魔の証明だ。
「半減した予算でやりくりするには、学園『本体』分を削って島の維持費に充てるか、民間資金を積極導入するしかない。しかし学園としての予算を減らせば抱えられる人員も、世話をできる生徒も減ることになる。民間解放するには『異能』解放も前提になる」
「というか、異能者を島へ収容し切れなくなったら、否応なしに公表せざるを得なくなるんじゃないの。異能者完全保護を放棄すれば学園予算を削れる上に民間資金も入れられる」
 首をかしげた茉莉に対し、始めて由慧の表情がゆるんだ。といっても、力ない笑いだ。
「わたしたちが行き詰まってるのはそこなんだ。ラルヴァ対策はなぜうまくいったのかもわからないうちに成功を収めつつある。だから予算を削減する大義名分はあるわけだ。だが異能は相変わらず腫れ物扱い。平和だと、世は事もなしだと、予算がつかないんだ。だけど世界を維持しているのは予算なのさ」
「だからアメリカやイスラエルは異能の軍事転用に熱心なわけ?」
「いやなこと考えさせないでくれ。人間同士で異能戦争をするくらいならラルヴァ相手のほうがマシだ。……といっても、ラルヴァもモンスターばかりってわけじゃないが」
「異能ベルト説って知ってる?」
 急に話を変えられて、由慧は目をしばたたかせた。
「ベルト?」
「フォトン・ベルト説の親戚みたいな、トンデモだけど。でも確か、魂源子って発見されたんじゃなかったっけ。その、魂源粒子で満たされてる空間を地球が通り抜けちゃえば、ラルヴァは消えてなくなるし異能も消滅する――かもしれない」
「期待に基づいて予算執行はできないよ。……厚労省のアホどもは出生率が増え続けるなんて期待に基づいて年金制度を破綻させてくれたが、まあそれはこのさい別の話で」
「まあ私も、ラルヴァや異能が消えるかどうかは怪しいと思うけど。でも、どんなものにも意味はある、私はそう思うんだ。変なたとえ話だけどさ、人間にとって盲腸はもう役目を終えた消化器で、消えつつあるけどまだ名残があるでしょ。で、たまに痛み出すことはあるけど普段はことさら邪魔でもない。きっと、地球にとってのラルヴァも、人類にとっての異能も、日本にとっての双葉島も、そんな風になる日がくるよ」
 十年以上前の、少女のような顔になって、茉莉はそういった。この顔と声が好きで、由慧は彼女にあれこれと愚痴にもなっていない話を聞いてもらうのだ。議論が変な煮詰まりかたをしたりあらぬ方向に話が飛んでいったりしても、最後は茉莉がこの顔と声で締めてくれる。そうすると、もうひと頑張りだけしてみよう、と言う気になれるのだ。
「官僚の仕事っていうのは、明日人類がきれいさっぱり滅んでくれるんじゃないかって期待して、あるいは、明日神が降臨して全てを救ってくれるんじゃないかって期待して、破綻を一日ずつ先延ばしにすることなんだ。……今までも薄々そう思ってたけど、茉莉のおかげで確信が持てた。予算なんて、財政赤字なんて、人類にとっちゃ盲腸みたいなものになる日がくるまで、もうひと踏ん張りしてみるよ。茉莉、今日はありがと」
「いやいやいや、そこはもうちょっと責任もとうよ、由慧」
「そいつは半世紀ばかり手遅れさ。茉莉、今から超科学の研究でもして、タイムマシン作ってよ。それで過去の世界に飛んで、官僚と政治屋を一人残らずぶん殴ってくるんだ」
「それに必要なのは、予算だね」

    ――了




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