鶴祁の体が動く。剣舞を舞う。
その動きを精密正確にトレースし、永劫機アールマティが刀を振るう。
「くっ!」
その刃を、腕の秒針で受け止める。
鋼と鋼のぶつかり合う火花が激しく散る。
「はああああっ!」
二度、三度と激しく振るわれる剣。
それをメフィストフェレスは受け止める。
「どうした、君の力はその程度か!? それでよくも先生を倒せたものだ!」
熾烈にして苛烈な斬撃を、アールマティは、鶴祁は次々と繰り出してくる。
上段、中段、下段。小手、胴。逆胴。突き。
右から、下から、斜めから。
メフィストフェレスはその連撃を受け止めるだけで精一杯だった。
その衝撃が次々と祥吾に伝わり、肉を、骨を、臓を打ちのめす。
だが何よりも祥吾を打ちのめすのは、心だった。
一撃が重い。物理的な破壊力を超えた何かが、祥吾の体に響く。
「がっ……!」
たまらず姿勢を崩す。だが、倒れるわけにはいかない。何故かわからないが、そう確信する。
倒れても起き上がればいい、転げまわって逃げてでも立てばいいだけだと心の隅で自分が叫ぶ。
だが、それは今回に限っては許されない。
何故だ? 自問自答するが答えは出ない。答えも出ないまま、崩れた姿勢を無理やり立たせる。
体のどこかで鈍い音がして、体の何かが千切れる。
だがそれでも、祥吾は立っている。まだ。
神速、いやそれすらも超えた真速の斬撃。
刹と那の間を刻み、瞬と間の垣根を越えて放たれるその剣筋は防ぎようがない。
だがそれを、メフィストフェレスは耐えている。
(何故だ)
刀を閃かせながら、鶴祁は叫ぶ。
(何故だ!)
時間稼ぎか? なら何を待っている。アールマティの力が切れるのを? それとも増援?
腑に落ちない。鶴祁には理解できない。
(――何故だ!)
叫ぶ。その叫びは一層烈しい剣戟となり、メフィストフェレスを襲う。
鋼と鋼がぶつかり合い、火花が烈しく散る。
圧倒的に一方的なそれは、果たして戦いと呼べたのだろうか。
いいや、呼べはしないだろう。
それは、もはや戦いの意味を成さないものだった。
一方的な攻撃だから、ではない。
そもそも。
そう、そもそも。
お互いに、相手を打ち倒す意図など――――最初から、無かったのだから。
それに本人達が、気づいていなかったとしても。
「何故だ!」
鶴祁が叫ぶ。
『何故です!? もう、あのラルヴァを斃した「時間」は永劫機への力へと変換されています。
今なら、もう――』
メフィストも叫ぶ。だが、祥吾はただ耐えている。
何故なら。
そう、何故ならば。
「何故! 戦わない!」
その鶴祁の叫びに、祥吾は答える。
「だって」
まっすぐに、鶴祁の目を見て。
「先輩の剣には、殺気がない」
そう、言った。
「!?」
アールマティの剣が一瞬鈍る。
それは、予想していない答えだったからか、それとも、自分でも気づいていなかった事実だからか。
「――自分で気づいていないのかもしれないけど。
とても激しくて、速くて、強くて、重いけど。
でも、殺気がないんだ。……そして、それは……わかる気が、する」
「ふざけるなあっ!!」
より早く、アールマティの一撃がメフィストフェレスを襲う。
弾き飛ばされても、それでも倒れずに踏みとどまる。
「何がわかる。君に、何がわかるっ!!」
剣を振りかぶる。
それを、メフィストフェレスは初めて――動きに出る。
左腕を突き出す。アールマティの剣が、その掌を貫く。それを握り絞める。
祥吾の左掌から、血が吹き出る。
「言わなきゃ……わかんねぇだろぉがあぁっ!!」
右手を握り、拳をアールマティの腹に叩き込む。
「く……ぁぁっ!」
アールマティの体を殴り飛ばし、
「ぐっ……!」
反動で刀が抜け、さらに鮮血がほとばしる。
鈍重な鋼が倒れ、地響きが鳴る。
立っていたのは、メフィストフェレスだった。
だが、敷神楽鶴祁は立ち上がる。
そう、倒れるわけにはいかない。倒れてしまったら、負けてしまったら、自分は何のために。
「何故だ……」
その唇から、音が漏れる。
怨嗟の声とは程遠い、憎しみの耳朶でもない、その声は……
「……何故だ!」
そう、祥吾にはわかる。
その理由も、想いも、わからなくても。それだけはわかってしまう。
わかってしまう。何故なら、同じだから。
それは、後悔の念。
何処にぶつけていいかもわからない、後悔の響きだった。
「何故だ! 何故君なんだ! 私が……私がやらなければいけなかったんだ!!!」
鶴祁は走る。祥吾の下に走りより、拳を握り殴りつける。
それは、いつもの凛とした立ち姿とは程遠い、まるで子供のような暴力。
祥吾はただそれを受け、そして倒れる。
今までのどの攻撃よりも、それは痛かった。
鶴祁は祥吾を押し倒す形で馬乗りになり、殴りつける。
「私は! あの人の生徒だった、弟子だった!!」
殴る。
「知っていた! あの人が苦しみ、道を間違えようとしていたことを!!」
殴りつける。
「知っていたんだ、私は!」
殴る。
「師が道を違えた時、それを正すのは、弟子の役目なんだ!!」
ただ、殴る。
「私がやらなければいけないことだった! なのに! 何故! 何故君なんだ!!」
叫びながら、殴る。
「何故!! 私は間に合わなかった!! 何故、どうして!!」
天を仰ぎ、鶴祁は叫ぶ。
「私は……私はぁああああっ!!!!」
その、破れて血が滲む拳を、祥吾は手のひらでそっと受け止める。
すでに、鶴祁の拳に力は入ってなかった。
「……わかるよ、先輩。
俺も……ずっと、間に合わなかった。後悔してきた。し続けてきたんだ。
きっと、やっぱり、これからも後悔し続ける……
なんで、先生を助けられなかったんだろう、とか……
なんで、もっと他の、たったひとつの冴えたやり方が、あったはずなのにって……」
「時坂……く、ん……」
「わかるよ、俺。
間に合わないって、本当はもっと何か出来たはずなのにって……
すげぇ、つらくてさ……悲しくてさ……
無力だよな、俺たち。
こんな力を手に入れても、それでも……無敵じゃない。
出来ないことが、多すぎる……子供だよ、俺たち……」
そう、会長の言ったとおり、自分たちは子供だ。
時間は残酷で、現実は重すぎて。どれだけ力を手に入れて、ヒーローぶったところで……出来ない事が多すぎる。
あの石巨人を一撃で屠り、メフィストフェレスを圧倒した敷神楽鶴祁もまた……
こうして、悩んで、迷って、間違って。
その憤りと後悔をぶつけるしかなくて。
それは、傍からみたなら、彼女の行いは――愚かに過ぎ、彼女の普段を知るものならば、乱心したとしか思えないだろう。
だがそれでも、祥吾は彼女を責める気にはなれなかった。
彼女の悲しみの責の一端は自分にある。そしてなによりも、その後悔の念は――理解できてしまうから。
祥吾はまだいい。それでも、妹達を助けられた。
だが、その代わりに、鶴祁はまさに「なにも出来なかった」のだ。
何が正しいとか間違ってるとか、責めるとか慰めるとか、そんなのはもうわからない。
頭の中はドロドロのグチャグチャで、感情があふれ出して、訳がわからない。
だから、今はただ。
「泣いていいんだよ、先輩。
大事な人がいなくなると……悲しいから。
俺だって、ゴローが死んだときも、爺ちゃんが死んだときも、妹が死んだって思ったときも……
だから、泣いてもいいんだ、先輩。
つか、俺、もう意識、いい加減起きるのつらいし、だから……」
祥吾の意識はもはや落ちる寸前だ。
最後に、祥吾は言った。
「もう、殴んないで」
その言葉を最後に気絶した祥吾の顔を見る。
ひどい有様だ。
「……ひどい顔だな、君は」
その顔を見て、鶴祁は笑う。
「先生も、前に同じことを言った」
つらいときは泣いてもいい、と言った。自分は見ないから、と。
そして。
修行で手加減を間違えて、顔面に木刀が見事に直撃したときに。
笑いながら、もう殴んないでくれ、と……
言ったのだ。先生は。
「馬鹿か、君は。私は、君を八つ当たりで、こんな目にあわせたのに……」
ぽとり、と、祥吾の頬にしずくが落ちる。
「情けないな、かっこ悪いな、私は……本当に馬鹿だ。本当に、私は子供じゃないか……」
ぽろぽろと、涙が落ちる。
「う……うわ、うわぁああああああああああああああああああ!!!!!!」
堰を切ったように、涙が次から次へと流れ出る。
恩師を失った悲しみか、自身の無力さへの嘆きか、この暴走への羞恥か、それとも……
自分でもわからない。
ただただ、涙が止まらず、嗚咽が止まらなかった。
「お姉さまが……先輩を押し倒して泣いてる……!? なんじゃあこのシチュ!?」
離れたところで一人、気絶から目覚めた米良綾乃が展開から取り残されていた。
◇ ◇
時坂祥吾は、一週間に二度入院するという貴重な体験を満喫していた。
今度は、全身打撲や靭帯損傷など。特に顔面が凄かった。
骨が折れてないのは奇跡だと医者は言った。どうせ奇跡なら無傷だったってオチがほしいと祥吾は痛切に思う。
「前も思いましたけど。祥吾さん、馬鹿ですよね」
梨を剥きながら、メフィストは言う。
「なんで」
「自分より他人を優先するなんて、馬鹿です。自己犠牲が美談なのは、おはなしのなかだけですよ」
「お話の登場人物が、よく言うわ」
「私は、登場人物をモデルにしただけです。そのものじゃありません」
頬を膨らませてメフィストは言う。
「どうでもいいよ、かわんねー。それに俺は自己犠牲のつもりはないけど」
「そうですか?」
「ああ。コーラルは可哀想だから助けたいと思ったし、一観はどうしても助けたいと思った。
命を天秤にかけて、自己犠牲がどうとか、そういうの考えたわけじゃない。今思うと確かにぞっとするけど、それでもなんとかなつてるし。
先輩の事だって、別に、なあ」
「……つまり考えなし、ですね。
はぁ。自己犠牲のほうがマシかも。祥吾さん、考え無しの馬鹿なだけですか」
「……お前、本当にオブラート包まなくなったよな。この毒舌悪魔」
「嫁いだら女は変わるものですから」
「俺は悪魔を嫁にもらった覚えはねぇよ! いたたたたた」
「ほら、無理するから」
その時、病室にノックの音が響く。
「面会ですね、じゃ、私消えてますから」
言うが速いか、メフィストの体は解れ、バラバラの歯車や発条になって宙に溶け込むように消える。
それと入れ違いで、敷神楽鶴祁が入ってきた。
「む? なにやら先客がいたようだが……ああそうか、君の永劫機の化身か」
「ああ、先輩はわかってたんだっけ」
「当然だ。永劫機についても君よりも先輩だぞ、私は」
そう言いながら、持ってきた花束を鶴祁は花瓶に入れる。
「――君にはすまない事をした、悪いと思っている」
「よしてくださいよ。俺だって……」
「いや、君は私に出来ないことをしてくれた。見方を変えれば、私の責を君に押し付けた形になる。
非は全て、私にある。すまなかった、このとおりだ。許してもらえるとは思わないが……」
深々と、頭を下げる。
「だからよそうって。お互いさ、罪のかぶり合いになって終わりそうにないし。
会長が言ってたんだ、後悔するな、未来を向けって。
あれ、感動したけどさ。すっげー難しいって、痛感しましたよ」
「会長らしいな。確かにあの少女は傑物だ。大きくなれば大物になる。今でも大物だが」
「違いないです。勝てる気しねー。
……でも、本当に難しいけど、頑張らないと。
吾妻先生も、きっとそれを望んでる。あの人も、道を違えたけど、それでも前向きに、ひたすらに……だったから」
「そうか」
吾妻の名前を出したとき、少し表情に翳りが見えたのを、祥吾は見て取った。
「……ごめんなさい。気遣い足りなくて」
「いや、謝らなくていい。むしろ、私はそれを聞きに来たのだ。
教えてくれないか、時坂祥吾くん。私が知らなかった、あの人の……先生の最後を」
「……はい」
そして祥吾は語った。
自分の見聞きした全て、そしてメフィストから伝えられた伝聞の全てを。
「……そうか」
話を聞き終わり、鶴祁は目尻に浮かんだ涙を指で拭く。
「先生は確かに道を違えた。誤った。だが……最後に、自らの道を取り戻されたのだな。
重ねて礼を言う、時坂くん。君は私だけでなく、先生も救ってくれた」
「い、いやそういうの買いかぶりすぎ! というか先輩、もしかして泣き上戸?」
「む、失礼だな。人を酔っ払いのように言うな! そ、それは確かに涙腺が弱いかもしれないが、それは人体の構造上仕方ないことでだな、決して本を読んでみだりに涙したりなど……」
「するんだ」
「し、しない!」
顔を赤くして立ち上がる鶴祁。
その姿が妙にかわいくて、祥吾はくっくっくと忍び笑いをもらす。
「わ、笑うな! 不愉快だ、君という人間は! まったく、調子を崩す……」
「ごめんなさい、先輩」
「まったく……む、時坂くん。顔の包帯がずれているぞ」
「え? そうですか」
「ああ。ちょっと貸したまえ、私が正してやろう」
そう言って、鶴祁は祥吾の頭の後ろに手を回す。だがその体勢は……
「ちょ、ちょっと先輩、顔が近い! 近いって!!」
「何がだ。包帯はこう……後ろに、と」
顔面を近づけて手を回す鶴祁。
鼻息がくすぐったい。
「ああ、もうすこしで……」
「お兄ちゃんっ、今度はどうしたのっ!?」
「やっほー先輩っ、かわいい後輩がお見舞いに来ましたよ、尿瓶でいじめてさしあげようとっ」
ドアが開くと同時に元気な声、ふたつ。
そして、病室のドアからみた角度では……
「ぎにゃあああああ!!? 先輩とお姉さまがキキキキキ、キスしてるぅうう!!!??」
「な……っ!? お兄ちゃん、え、また病室に女の人連れ込んでるっ!? しかも新しいっ!?」
「ごめんなさい、空気読めなくて……すぐに帰ります」
三者三様の声が響く。
「ん? どうしたんだ君たち」
「どーしたもこーしたもねーですお姉さまっ! この私がありながらなんつーはれんちっ!
というか病室でそーういことするんならナース服でしょうがっ!!」
「お兄ちゃん、これどういうことっ!? ていうか島田さんに聞いたらそんな呼び出ししてないとかっ!
まさか、最初からこの女の人とデデデデ、デートとかでっ!?」
「ちょっと待て、病室だからここっ! マナー守ろうよ人としてっ!?」
「三股四股かけてるほうが人としてどうかと思うわおにいちゃんっ!」
「かけてねーよ! つーか話飛躍しすぎだろお前っ!?」
「な、君はそんな不埒な破廉恥漢だったのか!?」
「なんとやっぱり!? そういえば最初に出会った時、センパイの目が私の体を嬲るように見て……」
「人の話聞けよっ!?」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てる女の子たちに囲まれて、時坂祥吾は自身の間の悪さを痛感していた。
自分が頑張ればなんとかなるという次元ではないのがまた、なんというか。
なんでよりによっていつもいつもこういうタイミングかね、畜生。
時坂祥吾は、やっぱり間が悪かった。
―了―
最終更新:2010年08月10日 16:27