【時計仕掛けのメフィストフェレス二話 後編】

 鶴祁の体が動く。剣舞を舞う。
 その動きを精密正確にトレースし、永劫機アールマティが刀を振るう。
「くっ!」
 その刃を、腕の秒針で受け止める。
 鋼と鋼のぶつかり合う火花が激しく散る。
「はああああっ!」
 二度、三度と激しく振るわれる剣。
 それをメフィストフェレスは受け止める。
「どうした、君の力はその程度か!? それでよくも先生を倒せたものだ!」
 熾烈にして苛烈な斬撃を、アールマティは、鶴祁は次々と繰り出してくる。
 上段、中段、下段。小手、胴。逆胴。突き。
 右から、下から、斜めから。
 メフィストフェレスはその連撃を受け止めるだけで精一杯だった。
 その衝撃が次々と祥吾に伝わり、肉を、骨を、臓を打ちのめす。
 だが何よりも祥吾を打ちのめすのは、心だった。
 一撃が重い。物理的な破壊力を超えた何かが、祥吾の体に響く。
「がっ……!」
 たまらず姿勢を崩す。だが、倒れるわけにはいかない。何故かわからないが、そう確信する。
 倒れても起き上がればいい、転げまわって逃げてでも立てばいいだけだと心の隅で自分が叫ぶ。
 だが、それは今回に限っては許されない。
 何故だ? 自問自答するが答えは出ない。答えも出ないまま、崩れた姿勢を無理やり立たせる。
 体のどこかで鈍い音がして、体の何かが千切れる。
 だがそれでも、祥吾は立っている。まだ。

 神速、いやそれすらも超えた真速の斬撃。
 刹と那の間を刻み、瞬と間の垣根を越えて放たれるその剣筋は防ぎようがない。
 だがそれを、メフィストフェレスは耐えている。
(何故だ)
 刀を閃かせながら、鶴祁は叫ぶ。
(何故だ!)
 時間稼ぎか? なら何を待っている。アールマティの力が切れるのを? それとも増援?
 腑に落ちない。鶴祁には理解できない。
(――何故だ!)
 叫ぶ。その叫びは一層烈しい剣戟となり、メフィストフェレスを襲う。


 鋼と鋼がぶつかり合い、火花が烈しく散る。
 圧倒的に一方的なそれは、果たして戦いと呼べたのだろうか。

 いいや、呼べはしないだろう。
 それは、もはや戦いの意味を成さないものだった。
 一方的な攻撃だから、ではない。
 そもそも。
 そう、そもそも。
 お互いに、相手を打ち倒す意図など――――最初から、無かったのだから。
 それに本人達が、気づいていなかったとしても。


「何故だ!」
 鶴祁が叫ぶ。
『何故です!? もう、あのラルヴァを斃した「時間」は永劫機への力へと変換されています。
 今なら、もう――』
 メフィストも叫ぶ。だが、祥吾はただ耐えている。
 何故なら。
 そう、何故ならば。
「何故! 戦わない!」
 その鶴祁の叫びに、祥吾は答える。
「だって」
 まっすぐに、鶴祁の目を見て。
「先輩の剣には、殺気がない」
 そう、言った。
「!?」
 アールマティの剣が一瞬鈍る。
 それは、予想していない答えだったからか、それとも、自分でも気づいていなかった事実だからか。
「――自分で気づいていないのかもしれないけど。
 とても激しくて、速くて、強くて、重いけど。
 でも、殺気がないんだ。……そして、それは……わかる気が、する」
「ふざけるなあっ!!」
 より早く、アールマティの一撃がメフィストフェレスを襲う。
 弾き飛ばされても、それでも倒れずに踏みとどまる。
「何がわかる。君に、何がわかるっ!!」
 剣を振りかぶる。
 それを、メフィストフェレスは初めて――動きに出る。
 左腕を突き出す。アールマティの剣が、その掌を貫く。それを握り絞める。
 祥吾の左掌から、血が吹き出る。
「言わなきゃ……わかんねぇだろぉがあぁっ!!」
 右手を握り、拳をアールマティの腹に叩き込む。
「く……ぁぁっ!」
 アールマティの体を殴り飛ばし、
「ぐっ……!」
 反動で刀が抜け、さらに鮮血がほとばしる。
 鈍重な鋼が倒れ、地響きが鳴る。
 立っていたのは、メフィストフェレスだった。


 だが、敷神楽鶴祁は立ち上がる。
 そう、倒れるわけにはいかない。倒れてしまったら、負けてしまったら、自分は何のために。
「何故だ……」
 その唇から、音が漏れる。
 怨嗟の声とは程遠い、憎しみの耳朶でもない、その声は……
「……何故だ!」
 そう、祥吾にはわかる。
 その理由も、想いも、わからなくても。それだけはわかってしまう。
 わかってしまう。何故なら、同じだから。

 それは、後悔の念。
 何処にぶつけていいかもわからない、後悔の響きだった。



「何故だ! 何故君なんだ! 私が……私がやらなければいけなかったんだ!!!」 



 鶴祁は走る。祥吾の下に走りより、拳を握り殴りつける。
 それは、いつもの凛とした立ち姿とは程遠い、まるで子供のような暴力。
 祥吾はただそれを受け、そして倒れる。
 今までのどの攻撃よりも、それは痛かった。
 鶴祁は祥吾を押し倒す形で馬乗りになり、殴りつける。
「私は! あの人の生徒だった、弟子だった!!」
 殴る。
「知っていた! あの人が苦しみ、道を間違えようとしていたことを!!」
 殴りつける。
「知っていたんだ、私は!」
 殴る。
「師が道を違えた時、それを正すのは、弟子の役目なんだ!!」
 ただ、殴る。
「私がやらなければいけないことだった! なのに! 何故! 何故君なんだ!!」
 叫びながら、殴る。
「何故!! 私は間に合わなかった!! 何故、どうして!!」
 天を仰ぎ、鶴祁は叫ぶ。
「私は……私はぁああああっ!!!!」
 その、破れて血が滲む拳を、祥吾は手のひらでそっと受け止める。
 すでに、鶴祁の拳に力は入ってなかった。
「……わかるよ、先輩。
 俺も……ずっと、間に合わなかった。後悔してきた。し続けてきたんだ。
 きっと、やっぱり、これからも後悔し続ける……
 なんで、先生を助けられなかったんだろう、とか……
 なんで、もっと他の、たったひとつの冴えたやり方が、あったはずなのにって……」
「時坂……く、ん……」
「わかるよ、俺。
 間に合わないって、本当はもっと何か出来たはずなのにって……
 すげぇ、つらくてさ……悲しくてさ……
 無力だよな、俺たち。
 こんな力を手に入れても、それでも……無敵じゃない。
 出来ないことが、多すぎる……子供だよ、俺たち……」

 そう、会長の言ったとおり、自分たちは子供だ。
 時間は残酷で、現実は重すぎて。どれだけ力を手に入れて、ヒーローぶったところで……出来ない事が多すぎる。
 あの石巨人を一撃で屠り、メフィストフェレスを圧倒した敷神楽鶴祁もまた……
 こうして、悩んで、迷って、間違って。
 その憤りと後悔をぶつけるしかなくて。
 それは、傍からみたなら、彼女の行いは――愚かに過ぎ、彼女の普段を知るものならば、乱心したとしか思えないだろう。
 だがそれでも、祥吾は彼女を責める気にはなれなかった。
 彼女の悲しみの責の一端は自分にある。そしてなによりも、その後悔の念は――理解できてしまうから。
 祥吾はまだいい。それでも、妹達を助けられた。
 だが、その代わりに、鶴祁はまさに「なにも出来なかった」のだ。
 何が正しいとか間違ってるとか、責めるとか慰めるとか、そんなのはもうわからない。
 頭の中はドロドロのグチャグチャで、感情があふれ出して、訳がわからない。
 だから、今はただ。

「泣いていいんだよ、先輩。
 大事な人がいなくなると……悲しいから。
 俺だって、ゴローが死んだときも、爺ちゃんが死んだときも、妹が死んだって思ったときも……
 だから、泣いてもいいんだ、先輩。
 つか、俺、もう意識、いい加減起きるのつらいし、だから……」
 祥吾の意識はもはや落ちる寸前だ。
 最後に、祥吾は言った。

「もう、殴んないで」

 その言葉を最後に気絶した祥吾の顔を見る。
 ひどい有様だ。
「……ひどい顔だな、君は」
 その顔を見て、鶴祁は笑う。
「先生も、前に同じことを言った」
 つらいときは泣いてもいい、と言った。自分は見ないから、と。
 そして。
 修行で手加減を間違えて、顔面に木刀が見事に直撃したときに。
 笑いながら、もう殴んないでくれ、と……
 言ったのだ。先生は。
「馬鹿か、君は。私は、君を八つ当たりで、こんな目にあわせたのに……」
 ぽとり、と、祥吾の頬にしずくが落ちる。
「情けないな、かっこ悪いな、私は……本当に馬鹿だ。本当に、私は子供じゃないか……」
 ぽろぽろと、涙が落ちる。
「う……うわ、うわぁああああああああああああああああああ!!!!!!」
 堰を切ったように、涙が次から次へと流れ出る。
 恩師を失った悲しみか、自身の無力さへの嘆きか、この暴走への羞恥か、それとも……
 自分でもわからない。
 ただただ、涙が止まらず、嗚咽が止まらなかった。





「お姉さまが……先輩を押し倒して泣いてる……!? なんじゃあこのシチュ!?」
 離れたところで一人、気絶から目覚めた米良綾乃が展開から取り残されていた。




          ◇          ◇



 時坂祥吾は、一週間に二度入院するという貴重な体験を満喫していた。
 今度は、全身打撲や靭帯損傷など。特に顔面が凄かった。
 骨が折れてないのは奇跡だと医者は言った。どうせ奇跡なら無傷だったってオチがほしいと祥吾は痛切に思う。
「前も思いましたけど。祥吾さん、馬鹿ですよね」
 梨を剥きながら、メフィストは言う。
「なんで」
「自分より他人を優先するなんて、馬鹿です。自己犠牲が美談なのは、おはなしのなかだけですよ」
「お話の登場人物が、よく言うわ」
「私は、登場人物をモデルにしただけです。そのものじゃありません」
 頬を膨らませてメフィストは言う。
「どうでもいいよ、かわんねー。それに俺は自己犠牲のつもりはないけど」
「そうですか?」
「ああ。コーラルは可哀想だから助けたいと思ったし、一観はどうしても助けたいと思った。
 命を天秤にかけて、自己犠牲がどうとか、そういうの考えたわけじゃない。今思うと確かにぞっとするけど、それでもなんとかなつてるし。
 先輩の事だって、別に、なあ」
「……つまり考えなし、ですね。
 はぁ。自己犠牲のほうがマシかも。祥吾さん、考え無しの馬鹿なだけですか」
「……お前、本当にオブラート包まなくなったよな。この毒舌悪魔」
「嫁いだら女は変わるものですから」
「俺は悪魔を嫁にもらった覚えはねぇよ! いたたたたた」
「ほら、無理するから」
 その時、病室にノックの音が響く。
「面会ですね、じゃ、私消えてますから」
 言うが速いか、メフィストの体は解れ、バラバラの歯車や発条になって宙に溶け込むように消える。
 それと入れ違いで、敷神楽鶴祁が入ってきた。
「む? なにやら先客がいたようだが……ああそうか、君の永劫機の化身か」
「ああ、先輩はわかってたんだっけ」
「当然だ。永劫機についても君よりも先輩だぞ、私は」
 そう言いながら、持ってきた花束を鶴祁は花瓶に入れる。
「――君にはすまない事をした、悪いと思っている」
「よしてくださいよ。俺だって……」
「いや、君は私に出来ないことをしてくれた。見方を変えれば、私の責を君に押し付けた形になる。
 非は全て、私にある。すまなかった、このとおりだ。許してもらえるとは思わないが……」
 深々と、頭を下げる。
「だからよそうって。お互いさ、罪のかぶり合いになって終わりそうにないし。
 会長が言ってたんだ、後悔するな、未来を向けって。
 あれ、感動したけどさ。すっげー難しいって、痛感しましたよ」
「会長らしいな。確かにあの少女は傑物だ。大きくなれば大物になる。今でも大物だが」
「違いないです。勝てる気しねー。
 ……でも、本当に難しいけど、頑張らないと。
 吾妻先生も、きっとそれを望んでる。あの人も、道を違えたけど、それでも前向きに、ひたすらに……だったから」
「そうか」
 吾妻の名前を出したとき、少し表情に翳りが見えたのを、祥吾は見て取った。
「……ごめんなさい。気遣い足りなくて」
「いや、謝らなくていい。むしろ、私はそれを聞きに来たのだ。
 教えてくれないか、時坂祥吾くん。私が知らなかった、あの人の……先生の最後を」
「……はい」

 そして祥吾は語った。
 自分の見聞きした全て、そしてメフィストから伝えられた伝聞の全てを。

「……そうか」
 話を聞き終わり、鶴祁は目尻に浮かんだ涙を指で拭く。
「先生は確かに道を違えた。誤った。だが……最後に、自らの道を取り戻されたのだな。
 重ねて礼を言う、時坂くん。君は私だけでなく、先生も救ってくれた」
「い、いやそういうの買いかぶりすぎ! というか先輩、もしかして泣き上戸?」
「む、失礼だな。人を酔っ払いのように言うな! そ、それは確かに涙腺が弱いかもしれないが、それは人体の構造上仕方ないことでだな、決して本を読んでみだりに涙したりなど……」
「するんだ」
「し、しない!」
 顔を赤くして立ち上がる鶴祁。
 その姿が妙にかわいくて、祥吾はくっくっくと忍び笑いをもらす。
「わ、笑うな! 不愉快だ、君という人間は! まったく、調子を崩す……」
「ごめんなさい、先輩」
「まったく……む、時坂くん。顔の包帯がずれているぞ」
「え? そうですか」
「ああ。ちょっと貸したまえ、私が正してやろう」
 そう言って、鶴祁は祥吾の頭の後ろに手を回す。だがその体勢は……
「ちょ、ちょっと先輩、顔が近い! 近いって!!」
「何がだ。包帯はこう……後ろに、と」
 顔面を近づけて手を回す鶴祁。
 鼻息がくすぐったい。
「ああ、もうすこしで……」



「お兄ちゃんっ、今度はどうしたのっ!?」
「やっほー先輩っ、かわいい後輩がお見舞いに来ましたよ、尿瓶でいじめてさしあげようとっ」
 ドアが開くと同時に元気な声、ふたつ。
 そして、病室のドアからみた角度では……

「ぎにゃあああああ!!? 先輩とお姉さまがキキキキキ、キスしてるぅうう!!!??」
「な……っ!? お兄ちゃん、え、また病室に女の人連れ込んでるっ!? しかも新しいっ!?」
「ごめんなさい、空気読めなくて……すぐに帰ります」

 三者三様の声が響く。
「ん? どうしたんだ君たち」
「どーしたもこーしたもねーですお姉さまっ! この私がありながらなんつーはれんちっ!
 というか病室でそーういことするんならナース服でしょうがっ!!」
「お兄ちゃん、これどういうことっ!? ていうか島田さんに聞いたらそんな呼び出ししてないとかっ!
 まさか、最初からこの女の人とデデデデ、デートとかでっ!?」
「ちょっと待て、病室だからここっ! マナー守ろうよ人としてっ!?」
「三股四股かけてるほうが人としてどうかと思うわおにいちゃんっ!」
「かけてねーよ! つーか話飛躍しすぎだろお前っ!?」
「な、君はそんな不埒な破廉恥漢だったのか!?」
「なんとやっぱり!? そういえば最初に出会った時、センパイの目が私の体を嬲るように見て……」
「人の話聞けよっ!?」

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てる女の子たちに囲まれて、時坂祥吾は自身の間の悪さを痛感していた。
 自分が頑張ればなんとかなるという次元ではないのがまた、なんというか。
 なんでよりによっていつもいつもこういうタイミングかね、畜生。
 時坂祥吾は、やっぱり間が悪かった。






 ―了―





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最終更新:2010年08月10日 16:27
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