双葉学園高等部2年1組の菅 誠司はレスキュー部の部長で、変人である。
このような認識から、同級生たちは彼女が予算編成時期を前にして双葉学園生徒会…醒徒会に呼び出しを受けたことを、あまり意外と感じていないようだった。どうせ何か問題を起こしたのだろう、と。
このあたりは当の本人も同様で、いつかこうして呼び出されることもあるだろうと考えてはいた。が、
「……醒徒会は暇なのかしらね」
醒徒会室前の廊下。壁に貼られた掲示物を興味なさげに眺めながら誠司は呟く。醒徒会からの呼び出しは放課の30分後を指定してあった。他に用事もないため、まだ時間がある。
前世紀末から今日まで続く、正体不明の怪物…ラルヴァと、異能力者の戦い。双葉学園と学園醒徒会は、その最前線に立つ集団のひとつだ。
そんな醒徒会が、今から在籍部員わずかに2名の部に対し、わざわざ時間を割いて査問を行うという。誠司には、そんなことをするだけの価値がこの部にあるとは思えないのだった。
自分が創立した部に対する評価としてはあまりに後ろ向きであるが、彼女は至極真っ当な評価だと考えていた。
彼女が部長を務めるレスキュー部はその名の通り、主に双葉学園が関わる事案に際して起きる災害への対処活動を目的として創立された。
ラルヴァ絡みで火事などが起きた場合の避難誘導や、逃げ遅れた人や負傷した戦闘部隊員を力業で救出したりといったことが主な活動内容である。
レスキューといえばもう少し組織的に行われるべきだ、と本人たちも考えてはいる。
しかし双葉学園では対ラルヴァ戦闘での負傷者救助なども戦闘部隊で行っており、専門部署を編成するには至っていないのが現状だ。
学園は実質、災害活動は既存の専門家に任せておけばいい、という立場であるとも言える。これは所属する生徒も似たようなもので、カリキュラム的にも、そしてレスキュー部の予算的にも示されていた。
レスキュー部の部員は現在、部長を含めても2名。しかもノウハウも経験も全くない。顧問は部活動にほぼノータッチの、形だけのものだ。
そうして普段やっていることと言えば、現場に勝手について行き、現場で独自に判断して、可能な限りのことをするという、個人プレイに毛の生えたものだった。
平時であるせいか、醒徒会室前は人通りもまばらだった。グラウンドから運動系の部活の掛け声が遠く聞こえてくる。
平和であれば、少々変なことも教えている只の学校でしかない。確か結構偏差値も高かったな、などと誠司は入試前の記憶まで掘り起こした。そして、実際にはその数値にあまり意味はないのだろうな、とまで想像した。
彼ら生徒が武器を取り戦いに赴くとき、特別差し止められるような場合を除いて、レスキュー部はそれに同行することにしている。
そこに学園の要請であるとか、戦闘部隊の同意というものはない。上位指揮系統もない。
つまり彼女たちは、ラルヴァの出現区域での避難誘導や救出活動をほぼ独断で行っていた。
だが誠司は、細心の注意を払って活動しているつもりである。避難誘導は火事や事故を理由にしているし、自分たちの所属を示しかねない情報は隠蔽。戦闘部隊の邪魔をする気はないし、事実そうならないように努めていた。
正直なところ彼女は、問題になったら部が存続できないと考えている。
ラルヴァの情報は秘匿すべし。この大原則を破っていたら、そもそも学園に在籍することも難しいのだから。
そもそも2人でできることは高が知れていた。
数も可能性も想定しにくいという点から、戦闘区域に迷い込む民間人の方がまだ懸案事項だろう。醒徒会が我々を構う意味は薄い。
……もっとも独断専行していることは事実だ。だからその点について(言いがかりや悪意ある捏造を含め)苦情が挙がっている可能性は否定できない。往々にして人の恨みというのは、受け手にとって不条理なものだから。
ますます自己に没入し、誠司の目は壁の掲示物を上滑りしていた。同様に思考も絡まり、情報の無さも手伝って無意味な憶測が増えていく。情報が足りていないのだ。
その内これ以上は無意味と思い至ったか、誠司は短くよし、と気合を入れ、思索を断ち切る。
今までのように、どうにかなるだろう。そう考えているのか、表情はいつも通りだ。
瞼に少し力がないため覇気に欠ける。しかし諦念を知るかのように、そこに迷いは見えない。
彼女はそうして静かに、醒徒会室の扉をノックした。
結果として、彼女の予想は半分当たっていたと言えるだろう。
査問は醒徒会長、藤神門御鈴が上座に座り、会計監査、エヌR・ルール、そして書記の加賀杜紫穏が左右に陣取って質問を行う形となった。
加えて言えば、藤神門御鈴は興味なさげに髪を弄んでおり、実質ルールのみが口を開いた。
わざわざ呼び付けたにしては醒徒会側のやる気がない。誠司はそう感じ、やはり渋々時間を割くことになったのでは、と考えた。
だがルールの質問は的確だ。
「この先月の戦闘区域における活動、如何なる根拠で行っていいと判断したのか?」
「行為の根拠でしょうか。それとも出動そのものの根拠でしょうか」
「後者だ。ぼくが言いたいことが分かるか」
誠司は答えなかった。答えてやるのは、有利な行動ではないと考えてのことだろう。
「…我々はラルヴァに対する作戦行動の指揮を任せられている。君たちの行動は我々によって制限されるべきだっただろう」
「醒徒会はラルヴァに対する戦闘部隊の編成、作戦立案と実施を担当する。あくまで戦闘行為に関する指揮権能力だと認識していましたが」
誠司は詭弁を述べることが苦手ではない。
「我々は部の活動の一環として救助活動を行い、それは我が部が有する顧問によって担保されるものと解します」
そして、いざという時に権威をかさに着ることを厭うこともない。
ルールの対面で記録を付けていた加賀杜紫穏が、誠司の言に棘を感じてか顔を上げる。が、何も言わずに再び書面に目を落とした。
ルールはサングラスの下でわずかに瞑目したのち、上座の藤神門へと視線を向ける。
その時誠司はようやく、幼き醒徒会長からの視線に気付いた。先刻までの雰囲気とは違う、何かを洞察するかのような眼。
……誠司からは死角だったが、膝の上では猫の白虎が行儀良く丸まっていた。普段からは珍しいことに、鳴き声を上げることもない。
そのまま数秒。誠司にとっては、学生の頂点たる彼女を、こうしてまじまじと見る機会は初めてだった。
しかし藤神門御鈴は何も言うことはなく、ルールに目で返事をする。そして、再び興味を失ったように髪を弄り始めてしまった。
「……まあいい。菅くん、きみの意見についてはこちらでも吟味することにしよう。次にレスキュー部が副部長を置いていない件についてだが――」
追及はなかった。査問はうって変わって、当たり障りのない内容へと移っていく。
それを語る必要はない。『ルール』の名に違わぬ内容だった、とだけ示しておこう。長いから。
そうして結局、殆ど何も結論せぬままに、査問はお開きとなった。
「…それで会長。帰してしまって構わなかったのですか」
誠司が退出してしばらく。ルールは終始一言も発することがなかった会長へと言葉をかけた。加賀杜紫穏はまだ記録を終えていないらしい。時折内容を思い出すようなしぐさをしながら、書き物を続けていた。
実のところルールは、藤神門のアイコンタクトの意味を計りかねていた。
……というのも、今日になって『会長たる者がゆうべんでは、言葉が軽んじられるのだ』と会長が言い出したのが、そもそもの始まりだった。
沈黙は金と確かに言う。そうは言っても査問は円滑に進めなければならない。結果的に、こうしてルールだけが喋る形になってしまった。
「かまわん」
今日一日は同じ方針で行くのか、藤神門はそれだけ言って再び口を噤む。にわかに沈黙が降りた。
「…あ、ええーと、随分とズケズケ言う人だったね!」
加賀杜がなんとか間を持たせるために口を開く。
自分で言い出した手前がんばってはいるが、本来藤神門御鈴にとって、黙っているのは暇で仕方がないのだろう。
威厳を出そうとするのはいいが、暇つぶしに髪を弄くっているようでは本末転倒だ。
退屈を紛らわす会話を続けることが、加賀杜に出来るせめてものフォローだった。
「そうだな。だがルールを犯す人間ではないようだ」
エヌR・ルールはサングラスを押し上げながらそう答える。彼は加賀杜ほど気を使っているわけではないが、いつものもったいぶった話し方が話題をわずかばかり引き伸ばす結果になった。
「そりゃまたどうして?」
「菅くんは決められたルールを利用した。もしぼくがノーを突きつけていれば、彼女は表向き従っただろう」
彼女はあくまで合法的に活動することを望んでいるし、その利点を理解している。
……ある意味では、レスキュー部は醒徒会の下につくことも良し、としていたのかもしれない。
ルールは彼女の態度をそう分析した。醒徒会という後ろ盾は、彼女たちにとって悪いことではないからだ。
だからこそ、あれだけ強気だったのではないか。それほどに無頓着で思い切りのいい答弁ではあった。
「うーん、よくわかんないな。校則って、都合のいいときにだけ利用したりしない?」
「……。まあ、彼女に問題はないだろう。
それで会長、例の件ですが―」
加賀杜との話を切り上げて、ルールは本題の裁可を仰ぐべく上座へと目を向ける。が、
「にゃー?」
「にゃー」
……耐え切れなかったのか。会長は、遊んでいた。
<蛟の話>
「というわけで菅くん、よろしく頼む」
「もう少しマシな冗談でないと笑えませんよ。平たく言うとお断りです」
「あなたが…すいません、名前で男の方だとばかり」
「女性とは思えないほど愛想がないから気にすることはないさ、秋津くん。正しい認識だ」
「大丈夫、この名前で女性だと思う方がむしろ異常だから。あと、他の人はまだしも先生にだけは言われたくありません」
「この通り優しい先輩だから何でも尋ねるといい。それじゃ、頑張りなさい」
「ですから嫌です。拒否します」
「特待は正式な決定なんだ。それに醒徒会の方からも、是非とお願いされている。まあ、前例がないわけではないし。君自身にも悪い話ではないよ」
「……」
「秋津 宗一郎です。…よろしくお願いします」
醒徒会の呼び出しから、大体一週間後の昼休みのこと。
以上のようなやりとりの末、私はこの特待生とやらの世話をすることになっていた。非常に納得いかない。
「…あの、ご迷惑だったですか?」
職員室を出てからしばらくの後。
午後の授業へと向かう途中で、後ろからついて来ていた秋津くんがそう尋ねてきた。授業前の廊下はがやがやと騒がしかったが、そこでも彼の声はよく通る。
彼は3つ下で、背も私の目線までしかない。ただどこか粛然とし、大人びても見える。着物が似合いそうだ、などとくだらないことを思う。
「…私にとっては実のある話かもしれないそうだから。だから、気にすることじゃない」
私は苦笑しながらそう誤魔化した。あのやり取りなら気にしても変ではない。自分の存在が迷惑をかけているのではないか、と。
……本当は、今すぐにでもはっきりと言ってやるべきなのだろう。
私が、誰かの指導ができるような、ご大層な生徒ではないのだということを。
「そうですか」
だがその僅かに安心したような微笑みと、またすぐに表れる張り詰めた顔が、私に言葉を躊躇わせていた。
……彼、秋津 宗一郎は今年から中等部2年に転入した生徒で、成績優秀であるから特待生として高等部実技授業への一部参加を認められた。ついては指導相談役として君を指名する。というわけで頑張って。
春出仁先生の話を総合するとこんなところだ。
特待生制度があったこと自体初耳で、色々と突っ込みたい部分は多い。が、この際些細なことだ。
一番納得できないのは、よりによって異能力なしの人間に預けることである。正直人選ミスか、書類の手違いだとしか思えない。
私はからかわれているのだろうか。とんでもない難物の管理を押し付けられた可能性も否定できない、と思った。
結果としてその懸念は半分当たっていた。ただし、より厄介な方向で。
秋津くん初の参加となった午後の能力開発の授業は、別に私のような無能力者とされる生徒だけを対象にしているわけではない。
異能力はラルヴァ同様、その種類・様態・質は千差万別だ。そして異能力の殆どは本人の精神、意志によって制御されるものだとされている(少なくとも、無意識の状態で発動する異能力は稀であるそうだ)。
人が精神でコントロールするということは、機械のような安定した出力を得ることが困難なケースが多いということでもある。
異能力を利用可能なものとするためには、何よりも人類にとって制御可能な力であることが求められている。故に、異能力に関する授業は、そのコントロール能力を養うことを大目標のひとつとしていた。
ところがその研究といえば、ろくでもないものも多々混じっている。カリキュラムには、それこそ前時代的なPK・ESP養成訓練のようなものまであった。要するに裏返したトランプを当てるとか、そういう胡散臭い方法のことである。
もっとも確認された異能力者が研究に十分な数になったのは、ここ10年ほどのことだ。未だ研究途上、試行錯誤を続けている段階と思えば、仕方のないことかもしれない。
今回の授業も私にとっては今ひとつ合理性に疑問のあるやり方で、コップの水に対して何か能力で働きかける、という訓練だった。
一応、異能力者もコントロール能力を養うという形で参加している。大体は、各々に異能力を凝らしてコップを倒したり、壊したりするくらいだが。
そうして私は、彼の異能力を見ることになった。
幽霊を視ることの出来ない私に、冷気の残像を見せるほどの極低温。
それはおよそ有機生命が生きることの出来ないだろう、死の世界を作り出す力だ。
その力はうねり狂う龍の如き姿をしている。それが秋津 宗一郎の異能力。
「……」
室内が霧で煙り、周囲がにわかに浮き足立つ。教師まで呆気に取られているところを見ると、彼の能力について詳しいことは知らなかったようだ。そして私も、この結果を予想外のものとして見ていた。
コップの水には波紋さえできていない。
霧状の何かが通り過ぎたと見えた刹那、微動だにせず凍り付いてしまっていた。
懸念は半分外れていたようだ。
彼の素質は、私へのからかいなどという冗談で済まされるものでは断じてない。
「おい、見えたか今の」
「いや…」
「……蛇?」
私も大体そんなところだと思う。よほど『視力』が良くない限り、冷気の影で想像するしかないのだろう。
彼は大仰な身振り手振りもなく、コップに軽く視線を向けただけでそれを成していた。
もっとも彼の異能力は、実際にはコップのみならず周囲の大気や、コップの置かれたテーブルまでも凍てつかせてしまっている。
コントロールを養うという観点から言えば若干マイナス点だろう。だがそれ以上に、周りの人間からするとちょっとした恐怖だ。ともすれば自分をあっさり殺せるかもしれない異能力者が、コントロールを絞りきれていないのだから。
そして存分にその能力を見せ付けた秋津くん当人はというと、こんな授業は時間の無駄だとでも言いたげな顔をしていた。
幼いゆえの優越感でも感じていればまだ可愛げがあった。ほめてほめてという顔でもしていた方が、いくらかまともに見えただろうに。
やがて教師が何とか場を持ち直させ、秋津くんに形ばかりのアドバイスをして授業はおしまいになった。
私は、その様子に一抹の危うさを感じると同時に、少なくとも『難物』という予想は正しかったな、などと考えていた……。
最終更新:2009年08月03日 17:50