【時計仕掛けのメフィストフェレス 第三話】


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 敷神楽鶴祁と、米良綾乃が行方不明になったのは、つい先日の事だった。
 ラルヴァ事件と思われる怪異の解決、よくある仕事だ。
 そのよくある仕事のチームリーダーを任された鶴祁――と、それを聞きつけて強引に割り込んだ綾乃――が、その関東S県の小さな町に赴き、連絡が途絶えた。
 案件の仔細は、

『街が霧に覆われて消えた』

 というものであった。
 事件自体が、街と外部との断絶である。
 故に、時坂祥吾は希望を捨てていない。
 連絡が取れなくなった、ただそれだけのことが諦める理由にはならない。
 だから、祥吾はその街へと赴いた。
 仲間を助けるために。
 深い深い、霧の中へと――

 そして、
 時坂祥吾は行方不明になった。



 当然のことながら、そこには霧が立ち込めていた。
『有毒性は無い見たいですね』
 内的世界、「発条仕掛けの森」よりメフィストの声が響く。
<そうか。んじゃあ、この霧を吸ってどうにかなったわけじゃない?>
『だと思います。有毒性がないだけで霧に別の効果があるのか、それとも霧の他に何かの要因があるのか……
 とにかく、私も外に出ますね』
<ああ>
 祥吾の隣に、空中から歯車や発条や螺子、金属フレームが浮かび上がる。
 それらは一瞬にして組みあがり、少女の姿をとる。
「ふう。あらやだ、湿気ますね、ここ」
<そりゃ霧が出てるからな>
「……祥吾さん。霧にとりあえずの毒性はないようですから、「それ」とったらどうでしょうか。
 ぶっちゃけキモいです、というか怖い」
<そうか?>
 時坂祥吾は、ガスマスクで顔面を覆っていた。
「ふう。あー、蒸れた」
 ガスマスクを取る祥吾。
「やっぱりそっちの方がいいですね」
「まあ視界がなあ。戦闘になったら確かにめんどかったかも」
 調達したガスマスクは口を覆うだけのものではなく、目もゴーグルで覆うタイプのものだった。
 コンビニや銀行に入ると確実に通報されるタイプの。
「しっかし……人気がないな」
「ですね。閉じこもっている……というわけでもないようです。
 ここら一帯の民家に、人の気配が全くありませんね」
「ゴーストタウン……ってやつか。もっと奥までいかないとわからない、か」
 言いながら、祥吾は黄金懐中時計を展開させ、剣へと変える。
「ですね。街を包み込む霧の中心部分……でしようか、妥当に行けば」
「しっ」
 祥吾は手でメフィストを制する。
「どうしました」
「誰かいる」
 祥吾は眼前のコンビニを見る。
 少しして、コンビニの自動ドアが開き……
「ふんふんふ~ん、ふふ~ん」
 鼻歌を歌いながら、女の子が出てきた。
「……!?」
 祥吾とメフィストは目を疑う。
 その女の子は、着物を着ていた。黒く長い髪の一部をポニーテールにしていた。
 その顔立ちも、二人が知っているものだった。
 そう、敷神楽鶴祁であった。

 七歳ぐらいなのを除けば、だが。


「な……鶴祁先輩……!?」
「妹さん……でしょうか?」
「いや、そんな話聞いて……」
 二人が話していると、その女の子が気づく。
「おにいちゃん、おねるえちゃん、つるぎを呼んだ? 何かごようじですか?」
「!!」
 その言葉に仰天する二人。
(ちょちょっと、これってどういうことだ!?)
(というか一人称が自分の名前です! やばいです、これなんというかズギュンと来ます!)
(そういう事言ってる場合じゃないだろっ!?)
(祥吾さんだって「おにいちゃん」と呼ばれて鼻血出てますよっ!?)
(え!? うそ!?)
(うそです。でもマヌケは見つかりましたよこのシスコン、実妹だけじゃなかったんですねストライクゾーンは!
 まさかシスコンじゃなくてロリコンだったんですか!? ならコーラルさんを助けたのにも納得が……)
(違げぇよ! つか気が動転して話題が変な方向に言ってるだろ!)
「あの、どうかしたんですか?」
 ひそひそ話をする二人に、鶴祁(?)が不思議そうに話しかける。
「あ、いや何でもないよ。ええと、お嬢ちゃん、名前は?」
「しきかぐらつるぎ!」
 元気に即答だった。
「へ、へえ、そうなんだ」
 祥吾は声が裏返っていた。
「なまえ言えるよ、えらいでしょ!」
「えらいですね」
 メフィストが言いながら。鶴祁の頭をなでる。
「えへへ。あ、ごめんね、おかしみんなにもっていかないと。おつかいできるんだよ、えらいでしょ!」
 鶴祁はコンビニの袋を誇らしげに掲げる。
 そこには、おかしがたくさん詰まっていた。
「じゃあ、いくね。ばいばい、お兄ちゃんお姉ちゃん!」
 そう言って、鶴祁は霧の中にとてとてと消えていった。
「……」
「……」
 しばらく呆然としている二人であった。理解が追いついていない、といった感じだ。
「えーと。間違い、無いのか……?」
「ちっちゃくなっちゃってますね……」
「それだけならいい、いやよくないけど。
 でもおかしい、俺たちのことまるで知らない様子で、完璧に子供に戻ってる……?」

「それは仕方が無いね。
 子供に戻るという事は記憶も逆行するという事だ。
 だから彼女にとって、君たちとの出会いは「経験していない」事象となる。
 未来の出来事を覚えている人間なんていないという事さ」

 霧の中から、二人に声がかかった。少年の声である。
「!?」
 あわてて二人は構える。
「いや、そんなに警戒しないでくれたまえ。
 私はおそらくは君たちの味方だよ。君たちがこの案件を解決するためにやってきたならば、だが。
 そして推測するにそれは正しいと思うけど」
 霧の中から出てきたのは、十歳くらいの少年だった。
 ブラウンのロングコートを羽織ったその少年は、外見の幼さとは裏腹に、その目つき、表情には知的なものを伺わせている。
「お前は……?」
「私かい? 私はただの研究者だよ。語来灰児、と言う。
 もっとも、この時点ではまだ研究者になっていないはず、だろうけどね。あ、いや、どっちなのかな。
 本来の私は研究者なのだろう、という推測に基づいた自己紹介というべきか。
 私が自分の現状を認識するためのIDやメモ、それらが偽造されたものであるならその論拠は瓦解するけどね。
 でもそうするメリットもないしね、子供の目からは偽造か本物かを確かめるすべはないが、ここまでする理由も見当たらない。だから研究者と名乗っても問題ないだろう」
「……? 言ってる意味が、よくわからない」
「そうだね。結論から言うと、私はこの事件を解決するためにこの街にやってきた、と思われる。
 そしてこの霧によって、子供になってしまった」
「思われる……?」
「確証は無いからね。それは先も言ったとおり、記憶も逆行する。
 すなわち、この私は「双葉学園より依頼を受けた」という記憶を持ち合わせていないのだよ。
 だから、あくまでも推論でしかないのさ」
「なぜ、そう推論できるのですか?」
「私が記録していた手帳や荷物から、だよ。
 この霧の中ではモバイルPCなどの電子機器は使用できないが、手帳の記録は確認できる。
 いやはや、ちゃんと記録を行う几帳面な自分に感謝しないといけないね。
 で、それらから推測したと言うわけだ。
 私が双葉学園から依頼を受けて、能力者たちと動向したと」
「……筋は、いちおう通ってますね」
「でも、なんつーか十歳に戻ってその考え方とか、すげーヤなガキだな……」
「祥吾さんより確実に頭いいですね」
 語来少年は肩をすくめる。
「まあ、信用できないのは仕方ないかもしれないけどね。
 でも事実だ。私は君たちに情報を提供できる。君たちはそれを元に事件を解決する。
 簡単な話だろう?」
「いや、信用してない訳じゃないよ。なんつーかびっくりしただけだ」
「そうか。それならいい。
 では、こちらからもひとつ質問いいかな?」
「な、何?」

「君は――どうして、子供になっていないのだろうね?」




 霧の街を三人で歩く。
「なるほど、そういう経歴か、興味深い」
 祥吾は、自分たちの経験した事件を語来少年に話していた。
「つまり、君の「時間」は止まっている――故に、子供に戻ることも無い、という事か。
 それが可能性の一番高い推論だろうな。
 まあそれでも幾つかの疑問は残るけれども。死へと向かう直前で命の時間を静止している、というその話を信じるなら、肉体の時間は動いているという事だったな。
 確かに新陳代謝が行われているという事は肉体、つまり生命としての活動は行われている、すなわち時間は動いている。だがそれならばなぜ肉体が子供にならないか。
 これはあくまで仮定だが物質としての時間、生命としての時間は切り離せないものではないだろうか。つまり片方が止まっているなら、片方を無理に巻き戻すことは出来ない――という事だ。
 だがそれならばまた疑問が残る。すなわち、命の時間が止まっているのになぜそれに引きずられて肉体の時間も止まってしまわないのか、という事だが――時間というのは科学でも疑問点が多くそれはもはやサイエンスフィクションの領域に足を踏み込んでいる。
 時間のパラドクスというものは学者や創作者が常に頭を痛めてきた問題ではあり、時は不可逆性があるのか無いのか、そも観測できるものなのか。まあそれは今ここで論ずるべきことではないな。
 だが、だとすると君はこの事件に一番愛称が言いという事になる。
 ラルヴァとの戦いは単純な能力の強さよりも、相性が一番大切だということは周知の事実だから――」
「すまん、話が長い」
 祥吾の頭ではついていけない話であった。
 というか頭痛がしてきた。
「というか、結局……これは何なんだ? 何というラルヴァの仕業なんだ」
「ああ、それを説明していなかったね」
 語来少年はメモ帳を開く。
「この街を覆う霧と、その中にいる人間が子供になるというこの事件――
 正しくは、ラルヴァの「仕業」じゃない」
「は? どういうことだよ、ラルヴァの事件なんだろう?」
「そうだ。これは、この事件――「現象そのもの」がラルヴァなんだよ」
「え……?」
「非常に珍しいタイプでね。
 固体としての存在を持たない。エレメントのように実体をもたない、訳ではない。
 存在そのものが、無いんだ。このラルヴァはあくまでも現象」
「現象……?」
「そう。自然現象の災害のようなもの、だ。
 これには明確な意思も自我もない。だが、悪意ならある。むしろ悪意しかない、といった方が正しいのかな。
 この現象体ラルヴァは、人の願いを歪んだ形でかなえるものだ。
 それも興味深いことに、童話や古典文学、都市伝説に噂話といった、人間の心象を投影する形でね。
 その特性から、「カテゴリーグリム」と我々は呼んでいる」
「カテゴリーグリム……」
「まさしく童話、という事ですか」
「そうだ。パターンにもよるが、広範囲にわたりその狂った法則で現実を歪ませる。
 今回の場合は、「みんなが子供になる」というようにね。
 しかも今回は、異能者ですら子供にされてしまう有様だ。かなり強力なラルヴァだよ」
「倒す方法は? 実体がないのなら……」
「当然存在する。台風を倒す方法だってあるだろう? 要はその規模を超える破壊で吹き飛ばす。
 まあ無論、その方法は現実的ではない。犠牲が多すぎるしね」
「まあ、そりゃそうだ」
「現実的な解決方法はおもに二つ。
 さて、そもそも先程言ったとおり、このラルヴァは人の心象を投影し、物語を再現するラルヴァだ。
 そして、人の願いを歪んだ形でかなえる」
「いや、話が回りくどい」
「……せっかちだな君は。
 では結論から言おう。このラルヴァが叶えようとする願い、その原因たる人間がどこかにいる。中心が多いけどね。
 その人間を、倒すか、あるいは――このラルヴァから引き離すか」
「引き離す?」
「願いそのものを叶えてあげる。あるいは必要なくする、といった事だな。
 その願いが何なのかは、本人に相対してみないとなんともいえないが――現象を観察することで大体は推理できる」
「それは?」
 その質問に語来少年は答えず、指を指す。
「……見えたよ。ここが霧の中心だ」
 それは、巨大な遊園地だった。
 子供たちが楽しそうに遊んでいる、子供の――子供だけの世界。
「これ、は――」


「そう、ネバーランド。……ピーターパン、さ」




「私、遊園地はじめて来ました」
「いやそーじゃないだろ」
 祥吾がメフィストに突っ込みを入れる。
「前々から思ってたんですけど、祥吾さんには遊び心が足りないと思います」
「薄々思ってたが、お前本当にキャラ変わったな」
「そうですか? でも見てください、みんな楽しそうですよ」
 確かに、この遊園地にいる子供たちはみんな楽しそうに遊んでいた。
「まあ、確かにな。でも……」
 祥吾は子供たちを見て、つぶやく。
「楽しいからって、それがいいとは限らないだろ」
「そうだね」
 語来少年が同意する。
「だけど、それでもこの世界はそれを是とする。
 言って見ればここは壮大な現実逃避の世界という事だね。
 大人になりたくない。子供のころに帰りたい。
 そうやって、「楽な時間」を求めた結果、生まれた世界さ」
「……ほっといたら、どうなるんだ?」
「カテゴリーグリムには、四段階あると推測されている。
 まず、レベルアッシャー。活動段階、とも呼ばれる。
 強い願望を持つ人間と結びつき、周囲にその効果を及ぼす」
「子供に戻す、という奴か」
「今回の「ピーターパン」の場合は、そうなるね。
 そして次、第二段階、レベルイェツィラー。形成段階。
 その効果を形として作り出す。この街に本来は無かったはずの、この遊園地。
 これが、形成によって作り出された世界だ」
「じゃあ、いまこの街は、その形成って奴か?」
「そうなるな。
 第三段階、レベルブリアー。創造段階。
 完璧な異世界として、その範囲を完全に地上から隔絶する。
 この段階まで現象が進むと、通常の手段で入り込むどころか……
 外から確認することも出来なくなる」
「確認できなくなるって……霧で?」
「いや、違うな。そこに最初からなにも存在してはいなかったかのように、なくなってしまうのさ。
 そしてそこは、いわゆる妖精郷やマヨヒガといった、異界と化す、らしい。
 そして最終段階、レベルアツィルト。流出段階。
 幸いながらこの段階はあくまでも、カテゴリーグリムの最終段階がこうだろう、という予測に過ぎないがね。
 ここに到達すると……」
「到達すると?」
「その異界が、現実を侵食する」
「? どういう……事だ?」
「その異界の、ラルヴァのルールが現実のルールに置き換わるという事だよ。
 カテゴリーグリムをまた台風に置き換えてみよう。
 それが最終段階に到達したなら……
 この世界は、毎日が暴風雨の世界になってしまう、ということさ。
 そして今回のこのラルヴァが最終段階に到達したなら、世界中のすべての人間が子供になってしまうだろう」
「……なんというか……最悪だな、それ」
「最悪だね、ぞっとするよ。
 それがカテゴリーグリム、まさに性質の悪い狂った御伽噺さ」
「止めなきゃな、絶対に」
「そうだな。ああ、あと言い忘れたが……」
「ん?」
「形成段階に到達したカテゴリーグリムは、その世界の内部で免疫機構を精製するという話だ。
 この世界において、なお子供にならず、そしてこの世界を破壊しようとする君に対してその免疫が働くのは至極当然だな。
 注意したほうがいい」
 そう語来少年の言葉が終わるやいなや……
「マァージック!」
 そう奇声を上げて、ピエロが斧を振り上げて襲ってきた。
「んなっ!?」
 剣で受け止める祥吾。火花がギャリギャリと散る。そのピエロは不気味な笑顔を張り付かせ、ぎりぎりと力を強めてくる。
「ラルヴァかっ!?」
「ああ、それはこのカテゴリーグリムが作り出した免疫機構、いわば白血球のようなものだ」
 建物の後ろに隠れて説明する語来少年。
「思ったとおりだ。君を排除しようとやってきている。
 君に対してのみ、危険度4と言ったところかな。カテゴリーとしては……ううむ、ピエロはともかく、ネズミやクマの着ぐるみはビーストかデミヒューマンか迷うな」
「落ち着いてるなてめぇっ!」
「らんらんるぅぅぅぅ!!」
 奇声を上げながら襲い掛かるピエロや着ぐるみ、アトラクションショーのヒーロー達を必死にさばく祥吾。
 なるほど、確かにそれらの免疫体ラルヴァは祥吾のみを確実に狙っている。
「くっ!」
 ヒーローの持つチェーンソーを受け止め、蹴り上げる。バランスを崩したヒーローはイカのぬいぐるみの足を踏んで倒れる。
 だがそれを踏み越えて、子ども用の百円カーに乗ったパンダが爆走してくる。
 血飛沫を上げるヒーロー。パンダはかまわずに巧みなハンドル捌きで祥吾に向かって走る。
「それ子どもがトラウマんなるから! つーか俺もトラウマるぞその絵ッ!」
 叫びながらよけるものの、Uターンして追ってくる爆走パンダ。
「んなくそっ!」
 再び迫る百円カー。剣をつきたて、そしてその車体に乗りかかる。
「安全運転っ!」
 叫び、祥吾はパンダを車から蹴り落とす。
 そしてさらに次々と襲ってくる、遊園地のマスコットたち。
 量が多すぎる。一体一体は確かにそこまで強くないが、一人では相手に出来ない。
 まさに多勢に無勢である。
 くわえて、それらは単一のラルヴァではない。
 このカテゴリーグリム「ピーターパン」の免疫体ラルヴァである。
 次から次へと、この現象の続く限り無限に沸いてくる白血球。
 侵入者である祥吾を滅ぼさんと増殖する狂気の免疫機構に対し、一人ではなす術も無い。


 だがしかし。


 時坂祥吾は、一人ではない。今は。


 祥吾は手に取った剣を、元に戻す。
 時計が変じた剣。それをあるがままの本来の姿に。
 それは懐中時計。古き錬金術にて造られた、時を刻む黄金の彫刻。

 そして、「彼女」の宿る――黄金懐中時計。

「らぁぁぁんるんっるぅぅぅっ!!」
 怪物が叫ぶ。
 その魂を砕くかのような咆哮すらも、祥吾には届かない。
 聞こえるのは、ただのひとつの音。心臓の鼓動を刻むかのような、針の音。
 それが今まさに、神像の鼓動を刻む。


「メフィ、いけるか?」
「はい。前回の戦いでの、念土竜での「時間」はストックされてます。問題ありません。
 時は、満ちてます!」


 祥吾は立ち上がり、口にする。
 それは呪文。それは聖約。それは禁忌。
 そう、黄金懐中時計に封印された時計仕掛けの悪魔の機構を開放するキーワード。



   Es kann die Spur
 ――我が地上の日々の追憶は


   von meinen Erdetagen
   永劫へと滅ぶ事無し


   Im Vorgefuehl von solchem hohen Glueck
   その福音をこの身に受け


   ich jetzt den hoechsten Augenblick. Geniess
   今此処に来たれ 至高なる瞬間よ


 黄金の懐中時計が解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。
 それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
 それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
 そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――


   Verweile doch! Du bist so schon
   時よ止まれ、お前は――美しい!



 力が、爆現する。
 全長3メートルの巨体。
 チクタクチクタクと刻まれる黒きクロームの巨躯。
 黒く染まる闇色の中、黄金のラインが赤く脈打つ。
 各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。
 背中からは巨大な尻尾。
 頭部にせり出す二本の角、全体の鋭角的なシルエットからはまさしく竜を連想させる。
 それはモデルとなった悪魔――地獄の大公の姿ゆえか。


 これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、時計仕掛けの悪魔(クロックワーク・ディアボロス)――


「永劫機(アイオーン)……メフィストフェレス!」


 時が止まる。
 愛すべからず光の存在は、周囲の時を止めてしまう。まるで、時から拒絶されたかのように。
 制止した時の中、それすらも引き裂くかのように時計仕掛けのクロームが吼える。
 祥吾の頭の中に、浮かんでくる何か。
 それは明確な言葉ではない。文字でも映像でもない。
 だがそれでも、判る。
 自分に何が出来るか。この悪魔に何が出来るか。
 そして――何をすべきか。

 ……特にすることはない、とも理解してしまったわけだが。

『……止まっちゃいましたね』
「……ああ」

 免疫体ラルヴァ。
 カテゴリービースト/デミヒューマン、知能B~A。危険度、1。
 強さ……下級。

 そう、永劫機メフイストフェレスの時空堰止結界クォ・ヴァディスは……
 異能者と、中級以上のラルヴァ以外の時間を止める。
 つまり、下級であるこの連中は、永劫機を呼んだ時点で勝利確定というわけであった。

「……すごく損した気分がすげぇんだけど」
『私もです。なんというか……これ、どうしましょう』
「……絵ヅラ的にすげぇあれだけど。まあ、その、やっとく……か?」
『……そうですね』

 とりあえず虐殺しておいた。

「いや、なんというか悪役みたいだね。むしろ君たちがラルヴァ?」
 ちなみに、この結界は任意の味方に効果を及ぼさない、ということも可能なので語来少年も動ける。
「一緒にしないでくれ」
「まあそれはおいといて、だ。これからどうするかだが」
「決まってる。元凶をどうにかする、しかないだろ。ほっといたらここはそのうち……」
「元の世界と隔絶されて異界となる。そしてさらには、元の世界を侵食する」
「だったら止めるしかない。この世界の中心は……」
「あそこ、だろうな」
 語来が指差す。
 その先には、霧に包まれた、巨大なお城だった。
「おそらくは、あそこにこの世界の中心たる誰かがいる。
 カテゴリーグリムに囚われたお姫様、という所かね? もっとも、自分の意思で、だろうけど。
 その人物を倒すか、それとも……」
「当然、説得なり何なりで引き剥がすよ。言ったよな、「願いを歪んだ形で叶える」って。
 つまり、結果を知りながら、これを望んで引き起こしてるってわけじゃないんだろ?」
「まあ、そうなるな」
「だったら、助けるさ」
 言って、メフィストフェレスを飛竜の姿に組み替える。
「あんたは安全なんだろ? だったらここで待っててくれ、俺はあそこに行って、ケリ付けてくる」
「ああ。がんばってくれたまえ」
 祥吾はメフィストフェレスの背に乗り、城まで一気に飛翔する。
 語来少年は、その姿を見送りながら、
「助ける、か。簡単に言うね、本当に。
 それを悪いとは私は言うつもりも無いよ。頑張る青少年は実に微笑ましいが――
 君はわかっているのかな、本当に。
 相手は、ラルヴァではなく人間だという事を――」
 そう、誰ともなしに呟いた。




 霧を切り裂き、黒いクロームの飛竜が飛ぶ。
 城の周りを舞いながら、潜入できる場所をメフィストフェレスは探していた。
「あそこはどうだ?」
 祥吾が大きな窓を指す。
『いけますね』
 メフィストフェレスが急降下し、窓に突撃した。
 ガラスが砕け散る音が響き、キラキラとガラス片が舞う。
 石造りの床に降り立った祥吾は、その部屋を見回す。
「まるで牢だな……」
『ラプンツェルの塔、みたいなかんじですね』
 メフィストフェレスの中、発条仕掛けの森からメフイストもまた感想を言う。
「ラプ……何?」
『童話にある、幽閉されたお姫様ですよ』
「なるほど。知らないな」
 そう祥吾は話しながら周囲を注意深く見回す。

「……だれ?」

 奥のほうから、声が聞こえた。

「誰かいるのか」
『祥吾さん。おそらく、その人が……』
(ああ、このラルヴァの原因……か)
 ゆっくりと声の方向に進む。
 そこには……

「お兄さん、だれ……?」

 6歳ぐらいの、女の子がベッドの上にいた。

(この子が、この世界を作った原因……元凶?)
 大きなめがねをかけた、気弱そうな女の子だった。
 どう見ても、悪意があるようには見えない。
「だれ……?」
 もう一度女の子はたずねてくる。
「あ、ああ。ごめん。俺は時坂祥吾、って言うんだ」
『君を助けに来た王子様さ、ぐらい言えないんですか?』
 メフィストの言葉はとりあえず黙殺する。
「ときさかしょうご……?」
「うん。きみは?」
「……きりはら、しずく……」
 霧原静久と名乗った女の子は、怯えた目で祥吾を見る。
「あー、その、困ったな……」
 どうすればいいかわからず、ポケットに手を突っ込む。するとそこに固い感触があった。
 見てみると、そこには飴玉が入っていた。
「……食べる? あ、いや、知らない人にモノもらっちゃだめ、か」
『……何自己完結してんですか。というか怪しい人って自覚あったんですね、ロリコンでシスコンだって』
(ちげぇよ!)
 さすがに黙殺はできなかった。
 というかどんどん扱いが悪くなっている気がする時坂祥吾であった。
 そしてたぶんそれは気のせいではないだろう。
「……」
 静久は、そんな祥吾を見て、
「……あの、めいわくじゃなかったら……くだ、さい」
 そう言ってきた。
「……ああ、うん。はい、どうぞ」
「あり、がとう……」
 飴玉を手にとって、うれしそうに小さく笑う静久。その笑顔は本当に小さかったが、それでも祥吾はくすぐったいようなそんな喜びを感じた。
『……ロリコン』
 メフィストの呟きを努めてスルーする。
「なあ、静久ちゃん。こんな所、いても寂しいだろ。外に出て遊ばないか?」
『誘拐犯のせりふですよ? それ』
 気合を入れてスルーする。
 というか、言われなくても傍から聞いてたらそう見えるだろうということは、祥吾は十分理解している。
 理解しているからこそ言われたくないものである。
「……ううん」
 静久は、頭を横に振る。
「おそと、でたくない……」
「何で?」
「こわい」
 シーツをぎゅっ、と握り締めて静久は言う。
「こわいの……」
「そうか。じゃあお兄ちゃんがついててあげるから、一緒に……」
 祥吾がそう言って手を差し伸べると、

「騙されちゃいけないよ、僕のウェンディ」

 窓から少年の声が響いた。

「!?」

 祥吾はその方向に向かって身構える。
 そこに立っていたのは、十歳ぐらいの少年だった。
 緑色の狩人のような服装。
 それは童話に出てくるピーターパンそのものだった。

「お前は……!」
 祥吾の動きに連動し、メフィストフェレスが構える。
 それを涼しげに眺めながら、ピーターパンは言う。
「騙されちゃいけない。大人は嘘つきだ。
 そいつは君をこのネバーランドから連れ出そうとしている、悪い悪い大人なのさ」
「そう……なの?」
「いや、違う。そうじゃない」
「違わないだろう? その為に下で僕の仲間たちをお前は殺した」
 ピーターパンはそういって指を指す。
「お前……ラルヴァか」
「そう、君たちはそう言うね。
 僕はピーターパン。この世界の住人にして免疫機構。
 悪い悪い大人を排除するために生まれた、正義の味方だよ、フック船長」
「俺はフック船長じゃない」
「ハっ、黙れよ。僕らが大人のいう事を信用するはず無いだろ。
 大人は子どもを騙す、怒る、いじめる、裏切る。 
 汚いんだよお前らは。でもここは違う、子どもだけの永遠の国さ」
「そんなの、永遠じゃない。ただ停滞してるだけだ」
「ああうるさいな、難しい言葉つかうなよ! これだから大人はぁ!!」
 祥吾の言葉にいきなり激昂するピーターパン。
 帽子を脱ぎ捨て地面に叩き付け、何度も踏みつける。
(なんだ、こいつ……)
『子ども、ですね。子どもの癇癪性、短絡性をストレートに現しています』
 息を荒げるピーターパンは、祥吾をにらみつけ、笑う。

「そういう訳だからさ……大人は、死ねよ」

 そう言った瞬間、床を突き破り巨大な影が出現した。

 チクタク、タクタク。
    チクタク、チクタク。

 時計の音が響く。
 時計仕掛けの悪魔、永劫機メフィストフェレスとは別の時計の響き。

「な、なんだあれ――!」
 そこに現れたのは巨大な鰐。
 ただひとつ、普通の鰐と違うのは――

 目玉が無い。顔が無い。
 顔面にただ大きく、時計の盤面が貼り付けてあり、それがせわしなくチクタクチクタクと音を鳴らす。

「時計ワニ!? つーか原作歪めてるだろコレ! すげぇキモい!」
 時計ワニが吼え、メフィストフェレスに襲い掛かる。
「っ!」
 直立して殴りかかる時計ワニの腕を受け止める。
 掴み合い、力比べの体勢になる。
『っ、力が……強いっ!』
 ジリジリと力負けするメフィストフェレス。
 時計ワニの大きな顎が開く。涎を滴らせ、巨大な牙がメフィストフェレスを飲み込もうと襲い掛かる。
『っ……!』
 メフィストフェレスは、時計ワニの胴体に蹴りを叩き込む。
 それで体勢が崩れる。ばちん、と虚空をかみ締める時計ワニの大顎。
『はあっ!』
 メフィストフェレスは、その大顎を下から時計の針の剣で串刺しにする。
 だが、それは致命傷には至ってない。時計ワニは体をひねり、鰐特有の巨大な尾でメフィストフェレスを横薙ぎに殴りつける。
 その反動で、顎を串刺しにしていた剣が抜ける。
 再び大きく開かれる牙。
『閉ざすのが無理なら――』
 迫りくる大口を、
「そう、こじ開ける!」
 両手で掴む。
 そのまま、脚を振り上げ、時計ワニの下顎にかける。
 両腕は上顎に。
「ずぁああああああっ!!」
 そしてそのまま、メフィストフェレスは時計ワニを引き裂いた。

 音を立て倒れる巨体。
 だがピーターパンは笑っている。
「時計ワニが一体だと、誰か言ったっけ、ねぇフック船長?」


 チクタク、タクタク。          チクタク、タクタク。
    チクタク、チクタク。
                 チクタク、タクタク。
      チクタク、タクタク。
         チクタク、チクタク。

チクタク、タクタク。
            チクタク、タクタク。

 床から、天井から、壁から。
 大小さまざまな時計ワニが、次々と現れる。
『――っ、数が多すぎます。
 祥吾さん、あなたは早く彼女を!』
「わかった!」
 メフィストフェレスの操作をメフィストに任せ、祥吾は静久の元へと駆け寄る。
「静久ちゃん、ここを出よう! 見ただろう、あんな化け物が――」
「いや!」
 静久は身を縮め、首を振る。
「静久ちゃん?」
「いや……いや、です……わたし、そとに、でたくないっ」
「何で……」
 戸惑う祥吾に、ピーターパンは嘲笑する。
「大人にはわからないよ。
 彼女はね、大人になりたくない。ずっと子どもでいたい。
 そう思ってる。だから僕たちはここにいる。
 そうだろ、僕のウェンディ」
「……そういう、ことか」
 大人になりたくない、子どもでいたい。
 それがこの世界のルールを作り出した、彼女の願い。
 永遠のこどもの国で、ずっと、ずっと。
「そう、永遠に僕たちはこの世界で遊び続けるんだ。
 それはとてもとてもすばらしい事だよ。そうだよね?
 ねえフック船長、思い出せよ。お前にも子どもの頃はあっただろう?
 あの時の楽しさを思い出すんだ。
 一日は今よりもずっと長くて。
 大人たちのうざい小言をすり抜けて、子どもたちだけの秘密基地で遊んだあの日を」
「……ああ、そうだな」
 祥吾は頷く。確かに、そんな記憶は祥吾にもある。
 誰もが持つ、幼い日々の記憶。
「それを永遠に繰り返すんだ! さあ、君も子どもに戻ろう、僕たちみんなで手を取り合って、永遠に!」
 ピーターパンは手を差し伸べる。
「ずっと、一緒に」
 その手を、
「……黙れ、クソガキ」
 時坂祥吾は、振り払う。
「……っ!?」
「何が永遠だ。繰り返す子どもの日々? ふざけるなよ。
 お前は知らないんだろうな、永遠の子どもであるお前は」
「な、何をだよ! 僕は知ってる、子どもの日々はとても楽しくて――」
「ああ、楽しかったよ。ワクワクしてた。
 何にワクワクしてたかって? 今日はとても楽しかった、明日はどんな日になるだろうか、だ」
「あし、た――?」
 ピーターパンは一歩後ずさる。何だそれは。そんなもの、知らない。
 永遠に続く今日、終わらない子どもの日々。それがすべてだ。他にはいらない。
「明日は何して遊ぼうか、明日は誰と遊ぼうか。明日の給食は何だろう、明日は――
 そうやってワクワクしてた。子どもにあるのは、未来だ。
 どんな大人になるだろう、将来は何してるだろう。
 そんな希望を――否定してる世界だよ、お前の言う永遠は!
 そんなの、ちっとも欲しくない。つまんない世界だろう」
 そう、ただ終わらない今日。そこには未来が無い。
 子どもは、大人になっていく。青春を送り、成長し、大きくなっていく。
 だが、ピーターパンの――このラルヴァのいう世界は、それを否定するものだ。
 それだけは、認めてはいけないと祥吾は確信する。
「お前はただ、明日が怖くて今に縋り付いてるだけだ。
 それはただの逃避にすぎない。そんな世界は――確かに楽かもしれない、だけど、楽しくなんてない」
「な……黙れ黙れ黙れよおっ! そんなの――大人の身勝手な理屈だろおっ!!」
 ピーターパンは叫ぶ。
「未来は輝いてる!? ハッ! なにをバカな、そんなの――恵まれた奴の言葉だっ!
 言ってやれよウェンディ、未来に希望なんかないって!」
 その言葉に、推移を見守っていた静久が口を開く。
「……みらい? そんなの……私は、知らない」
 悲しそうに、悔しそうに、大粒の涙を流しながら。
「大人になりたくないの! 外は怖い、大人は汚い、みんないじめてくる、私には友達も居ない、なにもない、こわい!
 そんなの、お兄さんにはわからないよっ!!」
 静久は叫ぶ。
 自分はいじめられていた、と。友達もいない、大人も信用できない、なにもかもが敵だと。
 ――ああ、そうか、と。祥吾は思う。
 違和感は感じていた。
 この世界が、子どもの遊ぶ永遠の国なら。
 その中心にいる、この女の子は何故、外の遊園地で楽しく遊んでいなかったのか。
 このラルヴァは、人の心象を具現化すると、語来少年は説明した。
 つまり――永遠の孤独。
 メフィストが言った、ラプンツェルの塔というのは的を得ているのかもしれない。
 子どもの世界。それをただ見るだけしかない、孤独の塔のお姫様。

 ――正直、腹が立つ。

「そうさ、それを大人が身勝手に踏みにじる権利はどこにも無い!
 大人なら子どもの――」
「――黙れっつってんだろ!」
「ひっ!?」
 ピーターパンのどうてもいい叫びを、一喝して黙らせる。
 祥吾は、静久に向き直り、静かに言う。
「――わかる。わかるさ。
 俺は、小学校の頃いじめられてました!
 きっかけはなんでもない、同級生が万引きしてたのを間が悪く目撃して、それが最初。
 あとはお決まりのパターンだったよ。
 ときさか菌、とか言われたり。グループわけで一人余って、クソババアの教師は「気持はわかるけどかわいそうだから班にいれてあげなさーい」と来たもんだ。ありゃあ子供心に殺意抱いたね。
 そうさ、ムカつくことなんてたくさんある。
 大人になるのは怖いさ。外に出るとつらいこともたくさんある。
 だけど俺は知ってる」
 祥吾は、一歩、また一歩、ゆっくりと静久にむかって歩く。
「未来には希望があって、外には楽しいことがたくさんある。
 それを俺は教えてもらった。手を引いてもらった。
 どんなに怖くても、嫌でも、前に足を踏み出すことの大切さを」
 思い出すように、大きく深呼吸。
 そして、祥吾は笑顔で、手を差し伸べる。
「――こわくていいんだよ。こわくない奴なんていないさ。
 そんなときは、誰かに手を引いてもらえばいい。背中を押してもらえばいい」
「でも、わたしにはそんなひとなんて……」
 静久は、目をそらし怯えながら言う。
 それは、祥吾に怯えているのではない。それは祥吾にもわかる。
 怖いのだ、一歩踏み出す、そのことが怖い。
 それは当然だ。男の自分だって、怖かったことを祥吾は覚えている。
 だったら。
「だったら俺が手を引いてやる。背中を押してやる。
 色々と教えてやる、この世界にはつらいことだけじゃなくて、楽しいことがたくさんあるって。
 だから……この牢屋から、出よう。一緒に」
 笑顔で差し伸べたその手を、静久は――
「やめろぉおおおっ!!!」
 そっと取り、そして祥吾の胸に飛び込む。

 その瞬間。

 ピーターパンは、そして時計ワニ達は、霧散消滅した。

 まさしく、霧が晴れるかのように。





「――やれやれ、無事に終わったようだね」
 大人の姿に戻った語来が、自分の手を握り、久々の大人の肉体の感触を確かめる。
「それにしても、なんというか、恥ずかしいねぇ。
 これが若さかな」
 語来灰児は、先程の会話をちゃんと聞いていた。というか、記録していた。
 霧が晴れたことにより、遊園地も城も消失していた。
 今この場は、巨大な城ではなく、霧原静久の家、彼女の部屋である。
 彼は部屋の前で、壁を背にしている状態だ。
「十年後にでも彼に届けてあげるのもまた一興かな」
 そう呟いていると、どたどたと足音が聞こえた。
「――語来さん、すみませんでしたっ」
「あーもー、なんたる不覚っ!?」
 鶴祁と綾乃である。
 二人も元に戻り、そして記憶もまた戻っていた。
「やあ、君たち」
「事件は――」
「終わったよ」
 灰児は、そう言って部屋を指差す。
「な――」
 敷神楽鶴祁と、米良綾乃は絶句した。



「――え?」
 霧は晴れた。
 そしてあの妙な城は女の子の部屋に変わった。
 それはいい。世界を捻じ曲げた現象であるところのラルヴァは、彼女の心の霧が晴れたことにより消失したのだろう。
 だが問題は、だ。
(なんかあたってる……というかでかっ!?)
 祥吾の胸に飛び込んできた、六歳の女の子。
 ――だがこのサイズは、どう考えても六歳児のものでは、モノではなかった。
 背丈もそうだが、なんか当たってるでかいふたつのふくらみが。

「つまり」
 壁の向こうで、灰児が呟く。
「大人になりたい、子どもに戻りたい――そう願った引きこもりの少女。
 それが、その本人が子どもに戻ってないと、誰も言ってない訳だ」

 そう。
 霧原静久、17歳、引き篭もり。
 それが今回の事件の原因であった。

「同年代の女の子に言うせりふじゃ、なかったなあ」
 灰児がそう呟く横で――

「な、なななななななななななななな、何をやっているんだ君わっ!?」
「ぬぐぁ、先輩はやっぱりなんというかとことんまで痴漢メンでしたかっ!?」
 声を上げる二人。
「ぬぉっ!? いや、違う、違うよこれは――」

「――あの、色々と……教えてくれるんですよね……」

「はい?」

 静久の言葉に、空気が音を立てて凍る。

「大人に……その、してください……」

 さらに空気が、音を立てて軋んだ。

 ――そう。
 時坂祥吾は、間が悪いのだ。




「ふ、ふふふふふふふふふふ」
 鶴祁が笑う。表情は見えない。


 ――天地は万物の逆旅にして、

   光陰は百代の過客なり。


「ちょちょっと、何呟いてんの先輩!? つかそれ、ちょ、待っ!?」



 これから起きる事柄について、語来灰児は思案する。
 面白そうだからここで眺めるか、それとも巻き添えを懸念し、離れるか。
「――まあ、危ないし、な」
 結論。
 君子危うきに近寄らず。

 灰児が背を向けて立ち去る中、
 とてもイイ音が、霧の晴れた街に響き渡った。



 ―了―

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