【Mission XXX Mission-01】

【Mission XXX Mission-01】


Mission XXX Mission-01
吹けよ、旋風  ―連続道路陥没事件―




 一人の少年が、まるで何かに追われているかのような必死な形相で街中を駆けている。
(なんでこうなんだろう…)
 頭の中ではその言葉が群れをなしてぐるぐると渦巻いていた。
 今、少年は通っている小学校でイジメを受けている。
 よくある話、ではある(当事者にとってはたまったものではないが)。
 だが、唯一つ違うところがある。それはこの場所、それゆえの特異性によるものだった。
 東京都特区双葉区。双葉学園を中心とする学園都市島であるこの場所は、一般人の目には隠されているが超ド級の規模を誇る異能力者養成施設でもある。
 その目的はラルヴァという人外の化け物に対抗するための戦力を作り出すため。
 極端に乱暴な例え方になるが、未成年に銃を渡して戦闘訓練を施すのと大して変わりはしない、と言えなくもない。
 精神的に未成熟なものに過大な力を与えるとどうなるか――教育側の精力的な努力にも関わらず残念ながら発生してしまったその答、それこそが少年を今駆り立てているものだった。
『日が暮れる前に家から金持って来いよ』
『当然自分の足以外使うの禁止だからな』
『家の兄貴スーパーハッカーだからズルしてもすぐばれるかんな』
 上級生たちが少年を冷たい目で見下ろしながら告げた。その命令を果たせなければどうなるか、それを教えてやろうとばかりにグループのボスが異能で作り上げた土人形が後ろからゆっくりと前に一歩を踏み出す。
 少年もまた異能力者ではあったが、大人の頭大の大きさの物体をゆっくり動かせる程度の力しか持っていない。
 体格の差よりもなお激しい、異能の差。それを自覚している上級生たちが怯える少年を見る表情はいつしか嗜虐的なニヤニヤ笑いに変わり、それがまた少年を萎縮させる。
「なんでこうなんだろう」
 理不尽な要求にうつむいたまま「はい」としか言えなかった自分。それが情けなくて、それでもどうしようもなくて。
 そんな惨めな現状を覆い隠すように、少年は頭の中に地図を呼び出した。
 もとより無理難題な要求である。普通のルートでは絶対に間に合わない。
(でも、ここを通れば…)
 途中の宅地開発地域を抜ければずいぶんショートカットできるはず。それ以上考えることをやめ、ひたすら走ることに専念する。
 そして道を曲がり宅地開発地域に入ったその瞬間。
「ねえ」
 後ろから女性に呼び止められた。
 大人でもそうはいなさそうな長身。ライオンの鬣のようなショートカットの髪型と鋭い切れ長の目。ずいぶん暖かくなってきたとはいえそれでもちょっと露出が激しいと言わざるを得ない手足には薄い傷跡がちらほら。
 反射的に振り向いた少年の目に映ったのはそんな女性だった。
(…不良だ)
 きっとこの人も僕のことを虐めたりお金を持っていこうとするんだ。少年は急いでその場から走り去った。
 なんでだろう?なんでこんなに辛いことばかりなのだろう?増殖していく疑問に押しつぶされそうになるのを必死にこらえながら走る少年。その瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。



「ナ~オ~」
 市民の憩いの場、緑地公園。学園都市内に幾つも建設されたその一つの中で、探し人を呼ぶ少女の声が響く。
 柔らかなショートボブの黒髪に落ち着いた色彩の服装。程ほどの主張性の好例ともいえる雰囲気をまとった少女の名は結城宮子(ゆうきみやこ)。双葉学園高等部一年に所属する生徒である。
「今行くよー」
 そんな宮子の呼びかけに対する応えの声は、はるか頭上から降り注いできた。
 声の方角に顔を向けた少女の視線の先にある大きな木、その梢のほうからガサゴソという音が聞こえてくる。
 その音は気まぐれに右に揺れたり左に揺れたりしながら素早く下降し、
「はい、お待たせ」
 一人の女性となって枝の間から降ってきた。
 長身の女性であった。なにしろ宮子に比べて明らかに一回り以上大きいのだ。確かに彼女は宮子の一年上の先輩とはいえ、それが些細なことに思えるほどの差である。
「気楽なものよねえ」
「ははは、つい気持ちよくてウトウトしてたしね、それについては言い訳できないなあ」
 一人のんびりしていた彼女に皮肉をぶつけるが、あっさりと素で流される。経験則上ごく普通に予想できた結果だったので宮子は肩をすくめるだけにとどめ、早速本題に移ることにした。
「これが今回のミッションの内容よ」
 データを携帯端末に転送し一緒に読み合わせる。すぐに長身の女性が「ほう」と目を見開いた。
「今回のターゲット、地中のラルヴァ?流石に初耳だね」
 ――宅地開発地域にて連続して地面が陥没する事件が起きている。そしてそれと同時に人間が何人か巻き込まれて失踪している。対象を視認した情報がないものの、現在の情報から対象ラルヴァはトロルドと推定される――
 要約すると以上のような情報だった。トロルドという名前をクリックし、ラルヴァの情報ページへ移る。

【名称】   :トロルド
【カテゴリー】:デミヒューマン
【ランク】  :中級A-4
【備考】   :体長3~5m、両腕に一対の巨大なピッケル状の掘指を有する。
       地中に長大なトンネルを掘り、そこから地面に掘り進むことで地面を陥没させ巻き込まれた犠牲者を殺害する。            慎重な性格で殺害を終えると即座に逃げ出す習性を持ち、その上固い岩盤でも簡単に掘り進むことが可能な特殊能力を有し
       不要となったトンネルは即座に埋め戻すため捕捉するのは困難。

「これ風紀あたりが音頭をとって組織力で押していったほうがいいんじゃないのかな?」
「もうやったって。でも、」
 地図を開いて、と続け宮子は自らもファイルを開く。
「ほら、地形上連携がとりにくいとかで人海戦術があまり効果がなかったらしいの。無理な動員が限界に達したとかで現在風紀は事実上この件から一時撤退なんだって」      
「じゃあひょっとして、だから私たちなのかい?」
「らしいよ。前の失敗の反省から小回りの聞く少数精鋭のチームを送り込むんだって」
 はあ、と長身の女性は首を傾げてため息をついた。
「なんとまあ、極端から極端に走ることで。大体私たちだって来るもの拒まず、好きで少数精鋭やってるわけじゃないのに」
 ねえ、ミヤ?困ったような表情で同意を求める彼女にそうだね、と返しながら宮子は思った。
(来るもの拒まずって言っても誰も来るはずないよねえ…)
 皆槻直(みなつきなお)。双葉学園高等部2年生。彼女の名前は割と知れ渡っているほうである。
 いや、知れ渡っているのは彼女を語る噂話に必ず付いて回る代名詞、「バトルジャンキー」の方かもしれない。
 ほとんどの人間が戦う必要なく生きていける国、日本。そこから集められた生徒たちがラルヴァとの戦いを嫌い、できるだけ避けようと(最低でも一度は)模索するのは当然のことだった。
 そんな彼らからすればラルヴァと戦うために自ら学園の門を叩き、好んで強大なラルヴァとの戦いに身を投じる彼女は理解の埒外にある存在なのだろう。
 無論、チームの結成には教師が適正を考慮して選抜するという手段もある。
 だが、彼女とチームを組まされた生徒が出撃したくない一心で醤油をがぶ飲みして入院する事件が起こってからは暗黙の了解として彼女は教師のチーム選抜からは外されることとなった。
 そんなある種の特別扱いが許されたのは既に宮子がパートナーとしてうまくいっていたからというのもあるのだろう。
(私みたいな変わり者がそう何人もいるとは思えないしね)
 さて、と。気合を入れなおすような声と共に宮子は立ち上がった。
「ナオ、早速現場に行こっか」
「うーん、少しそこらをぶらついてから行くよ。先に行っててくれないかな?」
「はあ、…そこそこで切り上げてよ」
これも、経験則上ごく普通に予想できた結果だった。


「ナオ、なんかさっきここ来た時浮かない顔してたけど何かあった?」
 現場である宅地開発地域の中の完成直前のマンションの屋上で直と監視を続けて1時間、少々だれてきた宮子はこんな時のためにとっておいた質問をぶつけてみた。
「いやね、ここのエリアに着いたときに小学生ぐらいの子が入ろうとしたから危ないよって教えようとしたんだけどね」
「うんうん、それでそれで?」
「言う間もなく逃げられたよ」
 珍しく憮然とした表情を見せる直の姿に宮子は思わず吹きだしていた。
「それは仕方ないよ、うん、仕方ない」
 無言のままぷい、とそっぽを向き双眼鏡を覗く作業に戻る直。
(あ、本気で堪えてる)
 気まぐれで他人を振り回してばかりの直にしては珍しいことではある。
 巷に流れる噂がかなりバイアスがかかったものだと宮子は十分理解していたものの、
(えーと…『ギャップ萌え』?)
 そう思うとつい吹きだしてしまう。恨みがましい視線が一瞬向けられ、宮子は慌てて双眼鏡の先の景色に意識を集中させた。
 これまでと同じ、特に異常なし。
 本来する必要のない作業である。というより双眼鏡2つでこの地域全部をカバーしきれるはずもない。
 風紀委員会が設置し今も稼動している監視カメラ、そしてその情報を集約するモニタールーム。そこから情報が来ればその場所に出撃する、そういう段取りである。
 極論それまではクーラーの効いた部屋で駄弁っていてもかまわない。そのはずである。
 それをこうしているのは宮子自身の発案ではあるのだが、思い起こしてみれば直も素直に賛同したのが少し気にかかる。
(ひょっとしてその子を探したいってわけじゃ……いや、あるかも)
 それから再び空気がだれてきたところで宮子はもう一度直をからかい、なだめすかして機嫌を直してもらい、そしてそうこうしている内に影が長く長く引き伸ばされていく時間帯になった。
 夜間は監視が困難になること、そもそも開発地域のため人がいなくなることから日没と共にその日の任務は終了ということになっている。
「事件の間隔から見て今日中に来ると思ったんだけどなあ」
「こちらは相手の都合に合わせる身だからね、仕方ないさ」
 その言葉と共にどちらともなく帰り支度を始めたその矢先。
 鋭い金属音が緩んだ空気を切り裂いた。
 モニタールームからの通話を示す着信音だった。


 少年の目に最初に映ったのは闇だった。
 その光景が脳に届き、それに対する最初の反応はただ純粋な疑問だった。
(あれ、確か今日)
 右足から走る鋭い痛みが意識をまどろみから覚醒へと蹴り上げる。
「いた…い」
(そうだ。家から引き返す途中突然地面に吸い込まれて…)
 意識を失う前の最後の記憶を手繰り寄せる。頭を振って上を見上げる。あった。小さく、頼りない光。落ちてきた穴だ。
「いたいよ…」
 足の痛みがひどく、とてもじゃないが立てそうにない。
「なんで…いつもこうなんだろう」
 痛みは一向に治まる気配がない。そしてもう、どう考えても期限には間に合いそうにない。
「…明日なんて、来なきゃいいのに」
 不意に何もかもが嫌になり、少年はかみ締めるように呟いた。
 オオオ………
 突如、闇の向こうから地鳴りのような音が響いてきた。
「え、え?」
 重い足音が地響きと共に近づいてくる。そして、闇が蠢いて形を成すかのように巨体が姿を現した。
「ラルヴァ!?」
 巨大なトンネルに合わせて自由に体を動かせるギリギリのサイズに調整したかのような巨大なラルヴァ。
 それはまだ幼い少年にとっては小さな山のように思えた。
「逃げないと!」
 右足は無慈悲にも痛みを発し続けている。少年は残り3本の手足で光に向け這って進み出した。
 だが、その歩みは急く気持ちに比べ絶望的なまでに遅い。
 その差を埋めようとする焦りが手足を空転させ、使い尽くした酸素を補おうと大きく開けた口は酸素ではなく湿った土埃を吸い込んでしまう。
 肺の中身を掻き出すかのように咳き込む少年を巨大なラルヴァは黙って見下ろしていた。
 つい振り向いた少年の視線がラルヴァのそれと一瞬交錯する。
 なぜか、初めて見たはずのラルヴァの表情が上級生の嗜虐的な表情と重なる。
(そっか)
 もう、いいや。
 たとえ助かってもまた虐められる生活に戻るだけだ。
 よく考えればあのラルヴァは何もかも嫌になった瞬間に現れたんじゃなかったのか?
 きっとこれが僕の望みだったんだ。
「もう、いいや」
 その言葉と共に少年の生き残るための動きは止まった。命の終わりを表すかのように頭上の光が掻き消え――
 光を一瞬かき消したそれは光を背にした人影となり少年とラルヴァの間に立ちふさがるように舞い降りた。


「何とか間に合った、か」
 トンネルに降り立った直はすばやく周囲の状況を確認する。
 目の前には長く伸びた掘指を持つ大きなラルヴァ。トロルドだ。状況を図りかねているような表情をしている。
 周囲は一直線のトンネル。身を隠せそうなものはない。幸い、現在のところ犠牲者はいないようだ。
「男の子が一人いる。命に別状はないみたい」
 後方を確認していた宮子が口早に告げた。
 前方に集中しながらちらりと視線を向ける。見覚えのある姿だった。
「あ、あの時のふりょ」
 呆然とこちらを見上げていた少年もどうやら彼女のこと思い出したようだ。
 何かを言いかけて飲み込んだ様子だったが、それには構わず直は声をかけた。
「こんな怖いのがいるからここは危ないよ、って言おうとしたんだけどね。まあ間に合ってよかった、もう大丈夫」
「もういいよ」
 少年は心底疲れたような口調で遮って言った。
「今まで嫌なことばっかりだった。ここで助かってもまた明日から嫌なことばっかりなんだ。もう嫌だよ!」
「風向きなんてのは、案外あっさりと変わってしまうものだよ」
「え?」
 押し出しの強い外見とは違い、ひどく穏やかな声だった。
「人生早々悪いことばかりじゃないってこと。だけど、そうやってうつむいてたらせっかく風が変わってもそれを受け止めることはできないよ」
「口だけなら何とでも言えるよ!大体どうやって風向きなんか変えるのさ!あんな大きなラルヴァ、醒徒会の人じゃないと倒せっこないよ!」
「ナオ!」
 予想外の闖入者を図りかねていたトロルドだったが、どうやらこの二人も追加の餌だと判断したらしい。無造作に間合いを詰め、掘指を大きく振りかぶる。
「じゃあ、見せてあげるよ」
 背を向けたままの直に向け掘指が振り下ろされる。
「今、この場所で風が変わるその瞬間をね」
 掘指が直を貫かんとするその刹那、無造作に振り上げた裏拳が掘指を弾き飛ばした。
 風が少年を包み込み、闇に薄い土色をつけるかのように漂っていた土埃を残らず巻き込んで吹き抜けていく。
 強い風。しかし、不快ではない。どこか柔らかい風だった。
 ひょっとして僕はもう死んでるのかな?倍ほどの大きさのラルヴァの一撃をはじき返すという非現実的な現象にふとそんなことを思ってしまう。
 そんなことをぼんやり考えている間にも直とトロルドはお互い正対し、拳と掘指を振りかぶっていた。
 鈍色のブラスナックルと硬質の組織でできた掘指が衝突する重い金属音が響き渡った。
「こんなにウェイト差があるのは初めてだからね、いい経験になるよ」
 反対側からの一撃をアッパーで打ち落とし、軽く手首を振りながら楽しげに言う直。
 そんなものは気にも留めないと言わんばかりに間合いの差を生かした防御を考えない連続攻撃が襲い掛かる。
 右の一撃をギリギリで回避、左の一撃は両腕で払いのけ、強引に隙間をこじ開ける。
「これでどうかな?」
 薙ぎ払うような蹴り。しかし長身の彼女の脚でもまだ届かない。後ろに跳躍する直が直前までいた場所を両の掘指が交錯するように通過した。
 攻撃した後無事に避退するためには今の距離まで近づくのが限界だった。つまり、現状では敵の中枢を直接殴ることはリスクが高すぎるということである。
「やっぱり届かない、か。地道にいかないといけないようだね」
 そう肩をすくめる彼女の左頬からじわりと血が流れ出す。ギリギリで回避したつもりだったが逆にギリギリ掠めていたのだ。
 口角の辺りまで流れ落ちてきた血を直は無意識のうちに舌で舐めとる。
「とことんまで付き合わせてもらうよ」
 その顔に浮かぶ笑みは更に不敵の度を増していた。


「足、怪我しているみたいね」
 いつの間にか短い黒髪の女性が少年の元に近づいていた。
「…非常時だから、文句は受け付けないからね」
 ほんの僅かの間思案しているようだったが、少女はそういって一つ頷くとゆっくりと少年の右足に触れた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!…………え?」
 少女の手が触れた瞬間激しい痛みが襲い掛かってきた。だが、その痛みが通り過ぎると同時に今までの右足の痛みも嘘のように消えうせていた。それどころかまだぎこちないが普通に動かすこともできる。少年はびっくりして少女のほうを見上げた。
「これが私の異能、自然治癒力を増幅する〈ペインブースト〉。もっともあなたが今体験したとおり増幅率に比例して痛みをうけるんだけどね。さっき言ったけど他に方法がなかったし文句は言わないで」
「いえ、ありがとうございます、…えーと、お姉さん」
 ああ、自己紹介もまだだったね、と少女は笑い
「私の名は結城宮子。あっちが」
 とラルヴァと一歩も引かない殴り合いを演じている女性を指差し、
「皆槻直。噂ぐらいは聞いたことあるんじゃない?」
 そういえば記憶の隅っこにそんな名前があったような気がする。確かもっとこう血に飢えた乱暴者みたいな扱いだったけど…
「わりとそういう顔する人多いのよね。でも強さは噂の通りよ。醒徒会の人程じゃないけど、相当強いわ」
 苦笑いを浮かべながら宮子は語る。それは多分事実なのだろう、と少年は思った。何しろあんな巨大なラルヴァと完全に互角なのだ。
(互角ね。でも、それじゃちょっとまずい)
 少年を不安がらせないよう表情には出さないようにしつつ、宮子は思考を進めていた。
 直の異能、〈ワールウィンド〉は自身の体に一種のゲートのようなものを開きそこから内部の亜空間に空気を吸入したり逆に排出したりする能力である。ゲートの場所も任意なら吸入・排出圧も任意(さすがに限界値はあるが)とかなり融通の利く能力だ。
 倍以上の体格のトロルドと互角に打ち合えるのは高圧空気の排出により拳速を強制的に加速しているからであり、それはつまりこんな真似がいつまで続けられるのかは亜空間に蓄積された空気の残量に依存するということだ。
(ここまで体組織が堅牢だとはちょっと予想外だったわね)
 掘指が邪魔で有効なダメージが与えられる至近距離まで踏み込めなさそうなので先に掘指を破壊してしまおう、そういう事前の基本戦術にのっとった足を止めての殴り合いだったが、
(戦法を変えたほうがいい)
「ナオ!攻め手を変えるわよ!」
 そう判断すると同時に声をかけていた。直のほうも既に宮子と同じ結論に達していたのだろう、その声と共に足を使い出し、細かな移動でトロルドを翻弄しながら右の掘指に攻撃を集中する戦法に移行した。 
 ヒットアンドアウェイを続ける直。しかしその動きが一瞬途切れてしまう。壁に突き当たってしまったのだ。
「危ない!」
「…いえ」
 これは誘いの一手だった。振り下ろされる掘指。しかし僅かに早く直がジャンプし掘指に取り付く。そのまま体重と高圧空気で軌道を下ではなく横――土壁に向け深々と突き立てさせる。
 いったん地面に降り立った直だったが跳ね返るように再びジャンプ。突き出された左の掘指を跳び箱を飛ぶのにも似たような動きでいなし、そのままの勢いで空中で一回転。
「これで!」
 異能の力で更に加速され、大鎌のように振り下ろされた空中踵下ろしが右の掘指に突き刺さり、
 グォゴォォォォォ!
 トロルドの叫びと共に度重なる攻撃で疲労限界に達していた掘指は真っ二つに断ち割れた。
「やった!」
 直の奮闘に感情移入したのか、最初の反発はどこへやら素直に喜ぶ少年。
 だがもう少し広く戦場を見ていた宮子はある異変を捉えていた。
「!」
 掘指という楔に直の強力な一撃が加わったことで土壁に大きなひびが入り、瞬く間に枝分かれして膨れ上がっていった。
 直のほうも異変に気づき大きく跳躍する。一瞬遅れてさっきまで直がいた辺りが崩れ落ちた土壁に飲み込まれた。
 トロルドから見て左側、次の切り返しを考えトロルド本来の間合いよりやや内側に着地する直。
 ――それはほんの僅かな油断だった。掘指の「切る」と「突く」の面のみを見もう一つのもっと原始的な用法を見逃していたこと。
 その一瞬の隙にトロルドの攻撃が偶然にもぴったりとはまり込む。
 原始的な「殴る」用法、横への振り回しの攻撃が直を捕らえ、直は反対側の壁まで吹き飛ばされた。


「ナオ!!」
 宮子が声を限りに呼びかける。壁に半ばめり込んだ直は死んではいないようだったが、頭でも打ったのかその動きは鈍い。
 グウォォ…
 僅かに逡巡していたトロルドだったが、最大の脅威である直を先に排除しようという結論に達したらしく、宮子たちのほうを警戒しつつゆっくりと直のほうに向き直った。
 緊張した面持ちで前に踏み出そうとする宮子。少年は思わず宮子の腕にしがみついていた。
「ダメだよ、かないっこないよ」
「そうかも。でも、あの人は私にとって絶対に譲れないものだから」
 少年の腕からするりと抜け出し、宮子は走り出した。途中で石を拾い、トロルドの目をめがけて投げる。
「ゆずれないもの…」
 噛み締めるようにつぶやく少年。
 僕にはそんなものがあるのだろうか?わからない。ひょっとしたらあるのかもしれない。
 少なくとも、「譲れないもの」をもっているあの人たちはとても格好良くて価値のある人たちだと思う。
 そんな人たちが「譲れないもの」を持っているのか持っていないのかすらわからない僕なんかのために死ぬなんておかしい。
 だから…
「ああもう!」
 必死に牽制していた宮子だったが、ついにまともな攻撃力がないことを見切られてしまった。トロルドは宮子を無視して再び直のほうに向かっていく。
「これ、使ってください!」
 と、そこに少年の声が響いた。声の方に振り向く宮子。少年がどこかを指差している。視線を向けると、先程壁が崩落した辺りから頭ほどの大きさの岩が空中に浮いておりゆっくりとトロルドのほうに向かっていた。
 少年の異能だと理解した宮子は岩のほうへ走り寄る。異能の力で浮いている岩は触れるとまるで重さが存在しないかのように反対のほうに緩やかに流れていく。
「後5秒、いえ、3秒でいいわ、このまま浮かせられる?」
「はい、頑張ります!」
 宮子はその言葉に大きく頷くと岩を両手ではっしと掴むと全速でトロルドのほうへ走り出した。
「ナオ!いい加減目を覚ましなさい!」
 その言葉と共に宮子は思いっきり振りかぶり岩を直の方に投げた。同時に瓦礫の中から長い脚がするりと顔を出す。
「…まったく、ミヤの声はどんな目覚ましよりもよく効くよ」
 いったん後ろに退いた脚が勢いよく岩をトロルドのほうに蹴り飛ばす。加速された岩に反応するには距離が近づきすぎていた。狙い過たず膝頭に命中した岩は当たり所がよかったのかトロルドを跪かせることに成功した。
 その隙に瓦礫から抜け出し距離をとることに成功した直だったが、頭に傷を負っておりまだ血が止まっていないようだった。それでも額の血を腕で拭いながら、直は少年にばつが悪そうな笑みを見せ、
「あんな大見得切ったくせに結局助けられたね。ありがとう」
 と全く変わらぬ調子で語りかけた。
「ああでも、結果的にはこれで良かったのかもしれない」
「え?」
 思わず聞き返す少年に、
「最初に会った時より、随分といい顔になったよ」
 そうなのだろうか?自分ではわからない。でも、この人が言うなら多分そうなのだろう。
「あ、ありがとう…ございます」
「うん、今度こそちゃんと終わらせるよ」
 そういい残し少年に背を向ける直。少年にはその背中が、そこに漲る何かが巨大で分厚い壁に見えた。
 それは拒絶する壁ではない。守るという意思がこもった壁だった。


「少し休ませてもらったけど、もう大丈夫だから続きといこうか」
 最初の時と同じ、間合いの一歩外で向かい合う直とトロルド。違うのは直のすぐ真後ろに宮子がついていること。
 一歩。前に何も存在しないかのような大胆さで間合いに踏み込んだのは直のほうだった。
 すかさず振り下ろされる掘指。だがそれを見切っていたのか、直は最小限の動きでかわし、更に一歩踏み込む。
「危ない!」
 少年は思わず叫んでいた。直が踏み出したその先には既に半ばで折られた右の掘指が突き出されていた。
 もう間に合わない。とっさに構えた左腕がへし折れ、その先の肋骨も大きく軋む。
 だが後ろから宮子に支えられた直は退かない。
「…え?」
 逆に悲痛な叫び声と共にぐらり、と揺らいだのは動かぬ小山のようにも見えたトロルドのほうだった。
 揺らいだために少年の視界に入ったトロルドの腹部には不自然な凹みがあった。そう、トロルドの攻撃を受けると同時に直のほうもカウンターで正拳を叩き込んでいたのだ。
 再び構えられた直の右拳。半歩踏み込み撃ち込む。トロルドはたたらを踏むように僅かに退いた。
 更に構える直。子供がいやいやをするように掘指が振り回される。直は折れたはずの左腕でそれを払いのけると、上半身の振りも利用して打ち上げるような一撃を叩きつける。倍以上の体格を持つトロルドが一瞬浮き上がったかのように見えるほどの強力な一撃だった。
 ふらふらと数歩後退するトロルド。
「左は完治したわけじゃないから無茶はしないで」
「わかってるよ」
 と離れる宮子を残してすばやく間合いを詰め、今度は横薙ぎの一撃。先程より大きな歩幅で数歩後ろに追いやられるトロルド。
 下がる速度とほぼ等速で追いながら更に追撃。今度はトロルドは後退しなかった。下がるだけの余地がなかったのだ。
 ァォォォォァァ…
 壁に追いやられ身動きが取れなくなったトロルドは抵抗をやめ、か細い叫びと共に小さく首を横に振るのみとなった。
「…それは命乞いなのかい?」
 一瞬、その場を沈黙が支配した。
「駄目だよ。その願いは聞くわけにはいかない」
 ゆっくりと、弓を引き絞るかのように拳に力が満ちていく。
「その力で弱き者を踏みにじってきたのだろう?だったら自らもより強きものに踏みにじられることを受け入れるべきだよ」
 そして、轟風と共に拳は放たれる。
 必殺の一撃。体そのものが叩き折られたかのようにトロルドの上半身がぐにゃり、と落ちる。
 そしてそれを待ち構えていたかのように放たれた左のアッパーがトロルドの顎を打ち抜いた。
 全てが終わった、それは誰の目にも明白といえた。踵を返す直を背に、トロルドはゆっくりと崩れ落ち塵に還っていった。


「梃子摺ったけど無事に済んでよかった。さて、そろそろ救助隊が来てくれてもいいところなのだけれど」
 救助。無意識的にか考えなかった言葉。それが来てしまえば、また元の日常に戻ってしまう。
「一つ、聞いていいですか?」
 焦りにも似た感情に突き動かされた少年は思わず口を開いていた。
「ん、何?」
「…どうして、そんなになるまで戦えるんですか?あんな怖い相手と戦って、骨も折れたり色々痛い目にあって…辛くないんですか?」
「うーん、そうだね…」
 最適な言葉を探すかのように考え込む直。間を埋めるかのように宮子が口を開いた。
「あー、それはね。…まあこのおねーさん痛いの大好きなドMだか」
「ミヤ?」
 恐る恐る振り向く宮子。いや、振り向かずとも彼女にはわかる。
(…本気でキレてる…)
「いやいやちょっとした場を和ませるためのジョークだしね、ね、ほら、それに絶対左腕骨に皹入ってるからもう一回ちゃんと治しとかないと、ね?」
 顔を引きつらせながら弁解する宮子。直はにっこり笑いながら、
「ありがとう、ミヤ。でも別にそんなに心配してもらわなくても大丈夫だよ?」
「…」
「不埒で名誉毀損な噂を流す誰かさんに制裁を下すのは右腕一本で十分すぎるから、ね」
「ねえちょっと落ち着いて、ね…いやーーーーっっ!!!」
 宮子の叫びが洞窟内に響き渡り、ちょうど現場に到着したばかりの救助隊に緊張が走った。



 翌日。
 少年は上級生たちに呼び出されていた。
「シカトするなんていい度胸じゃん」
「罰として昨日の3倍の金持って来い」
「ぐずぐずすんな、ほら今すぐ走れ」
「……」
 少年はあれからずっと考え続けていた。
『…過去のことを思い出す時、その過去を後悔の色で染めたくないんだ』
 地上に戻った後、直は少年にそう告げた。
 自分に与えられた力を未来の自分が誇りを持って思い出せるように、精一杯自分が正しいと信じることのために使っていきたい。だからその為ならたとえその身を削っても戦っていけるのだ、と続けて語った。
 「譲れないもの」。
 「未来の自分に誇れる生き方」。
 その二つの言葉と向き合い、自分の中から答えを浮き上がらせる。
「おい聞いてんのか?!」
 既に答えは出ていた。
「い・や・だ」
 上級生たちはその反抗を鼻で笑い飛ばした。
「上級生としてちょっと教育しなおしてやらんとなあ」
 土人形がゆっくりと歩き出し、少年の前に立ちふさがって威嚇するように両手を上げる。
 …あれ?少年は違和感に目を瞬かせた。
(これ、こんなのだったっけ?)
 あの、昨日のラルヴァに比べれば笑えるほどに小さい。かといってそのラルヴァと殴りあえるあの先輩のような凄みもない。大事な友人のために自分の力が及ばない相手に挑んでいったあの先輩のような心の強さはもっと見当たらない。
 そう、ただの空っぽな土くれだ。
 多分、これが本当の姿だったのだ。自分の弱さがそれをとても大きく見せていただけで…
「今なら土下座すれば許してやるよ」
「ああ、反抗罪で金は4倍な」
 ふざけるな。
 父を早くに亡くした少年は母に女手一つで育てられていた。異能の力に目覚め、ここに転入して奨学金を得てからも他の人の金に頼っていることに引け目を感じているのか毎月必死に働いて仕送りを送ってくれている。
 それをそんな軽い気持ちで奪い去ろうとするなんて絶対に許せない。
 「譲れないもの」。
 「未来の自分に誇れる生き方」。
 既に答えは出ていた。
「い・や・だ!」
「どうやら痛い目見ないとわからんみたいだな」
 土人形がゆっくりと少年に襲い掛かる。
 いくら空っぽの土くれでも、今の少年には手に余る相手だ。でも、それでも…
 突如、少年の胸の内を熱風が吹きぬけた。
(な、なに…これ)
 少年には何が起こっているのかわからなかった。そして、すぐに知ることになる。
 少年の心の成長によって異能もまたそれにふさわしい形に成長したのだ。
『風向きなんてのは、案外あっさりと変わってしまうものだよ』
 ふとそんな言葉が脳裏をよぎる。そう、そしたら後はその風をしっかり受け止めるだけ。
 新たな力をどう振るえばいいのか、それはもう十分に理解していた。










次回予告


「そして、こやつには醒徒会は手を出せぬ」

「あいも変わらずですね、この国は」

「実に滑稽だよ」

「そういう所も鬼役にぴったりだね、まったく」

「もう一発殴っていい?」

Next Mission  触れ得ぬ男







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  • 結城宮子

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最終更新:2009年08月17日 02:59
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