【danger zone3】


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  danger zone3 ~星の少女~

 鉄の城

 暗く、湿った、分厚い鈍色の鉄板で覆われた、人がやっとすれ違える程度の通路、壁には縦横にパイプが走っている。 
 屋根も壁も床も、分厚い鉄でできた通路を満たす、塩辛く生臭い汚水に膝まで浸かりながら、一人の少女が逃げていた。
 白い薄絹の肌、蜂蜜の髪、通路の壁で金網に囲まれている赤い非常灯の光を受け、少女の蒼い瞳が紫色に輝く。

       カン    カン    カン      カン

 遠くから不規則ながら連続性のある音が、トンネル状に音が響く鉄の通路を伝わって、逃げる少女の耳に届いた。
 少女はただ一枚身に付けていた、ネーヴィーブルーのワンピースを、汚水と油、そして血で汚しながら、鉄の城の中を逃げていた。

 カン カン  カン カン

 音が徐々に近づいてくることを、少女は敏感に察した、底がヌルヌルする水の中で、重く不自由な足を、必死に動かした。
 走ろうにも自由に歩くことすらままならないまま、怖いモノから逃げる、少女は時折見る悪夢を思い出した。
 夢から覚めた後にある暖かいベッドと、優しいママは ここには無いということを、少女は全身の痛みと、鉄の音で知った。

 カン カンカン カンカンカン カンカン

 金属製の鋭く、澄んだ高周波音、音はドラムロールのリズムで、幾何学的な道筋を逃げる少女との距離を詰める。
水浸しの路を、重い足取りで速歩きしていた少女は、通路の中途にある鉄壁、人がやっと通れる楕円形の穴が開いた壁を跨ぎ越えるとき、
壁の縁に足を引っ掛けた、頭部の重い幼児期特有の、体が飛んで頭から落ちる転び方で、壁穴の向こうへとつんのめった。
 汚水の床に叩きつけられ、頭の先まで、粘性の沈殿物で汚れた少女は、そこから起き上がることができなかった。

 カンカン カカカンカンカカカン カンカンカカカン カン

 鉄のドラムロールが聞こえてくる、少女は汚水に半ば体を浸し、両耳を塞ぎながら、胎児の格好のまま動かない。

 母からの教えで、泣くまい、と固く決めていた少女の蒼い瞳に、涙が滲んでくる、嗚咽の形に歪んだ口は、微かな声を発した。
……Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are……
《きらめく、きらめく、小さな星よ あなたは一体何者なの?》

 カカカッカンンカカンカラカカッカカンカンカカンカラカカカン

 音は鉄の通路全体に反響する、マリンバが奏でる狂想曲、少女は自分の耳元に、鉄琴の悪魔が迫ってくることを感じた。
 今にも消え入りそうな歌声によって、辛うじて心の崩壊を堰き止めていた少女の蒼い瞳に、鉄の音をたてるモノが映った。
 ビーストラルヴァ
 "パン"

 中米音楽に用いられる、鉄の石油缶を叩き伸ばし、ハンマーによる入念な調律で作られたスチールドラムの愛称。
 鉄を鉄で叩く、独特の澄んだ高音は、カリビアンミュージックを象徴するもののひとつとして、多くの人間を魅了している。

 そのラルヴァは、ドラムスティックほどの径と長さを持つ、砲鉄色の胴に、細く折れ曲がった3対の足を有す、昆虫形状の生物。
 様々な径の針金を組み合わせ、昆虫のカマドウマかコオロギを模して作ったような生物、後ろ足は長く太い。
 身体組織は、純粋なる鉄で出来ていた、胴部の先端には、蚊のそれに似たスパイク状の口吻が、注射器のように長く伸びている。
 筋肉無きまま発達した、鋼線の後肢で跳ねながら移動する時に発する、独特の金属音から、"パン"と名づけられたラルヴァ。

 "パン"は汚水で浸った通路を跳ねながら、逃げ続けていた少女に接近しつつあった、スチールドラムの速弾きが通路に反響した。

 鋼で構成されたパンの体、しかし、その摂食構造は、鉄の塊を食い荒らし、自らの体を構築するほど強力ではない。
 液体の栄養分しか摂取できないパンは、Feを多く含み、不純物の除去が容易な、自然界に存在する液体から鉄を摂取していた。

 この昆虫に似た金属性ラルヴァは、哺乳類の血液を吸収することで、赤血球に含まれる鉄分を、自らの糧としていた。

 パンはついさっき摂取した血液から、赤い鉄分を吸収し、余りとなった黄色い液体を、腹部にある気門から噴霧排出しながら跳躍した。
 鋼のドラムスティック、体幹の先端にある口吻から伸びる、鋭いスパイク状の摂取口が、通路の僅かな灯りを反射する。

 少女はパンの体から発する液体の臭気と、スパイクに付着する赤い滴に、つい数分前の陰惨な映像を思い出した。

 数分前まで少女の護衛をしていた、異能のナイフを使う伍長は、このスパイクに体中を刺されて死んだ。
 鉄の通路の奥まで探検に出て、道に迷った少女を探しに来てくれた、口下手だが歌の好きな大男だった。
「……Princess if you hard…Sing……」
《お姫さま、辛い時は、歌うんだ》
 少女の護衛、よく歌を教えてくれた伍長が、時折呟いていた言葉は、少女を守って死んだ異能の男の、最期の言葉だった。

 血漿を撒き散らしながら迫り来る、鋼の吸血ラルヴァが発する音の前に、少女の正気を保っていた歌は途絶えようとしていた。

    カンカンカラカカララカンカララカカッカンカンカカンカンカンカンカラカカカララカラララカカン

 情熱的なカリプソのリズムを伴って跳躍してくる、冷たい鉄のラルヴァ、跳びはねる一団の中に、ひときわ大きいのが居た。
 大きな塊は、他のラルヴァと共に金属音を発てながら跳躍し、汚水の通路に倒れた少女の元に一番乗りした。
 少女の体を刺し貫く間合いまで、体を接した大きな塊は、倒れた少女に覆いかぶさる、そして塊は少女の前で反転した。
 光
 その塊のどこかで、流れ星のように澄んだ銀色が、キラキラ輝いたと思った刹那、その塊が宿した流星は、閃光を発した。
 轟音
 少女が泣くことを忘れるほどの、凄まじい音と臭気、耳を塞ぐ少女の頭上に来た塊から、続けざまの轟音が発せられる。
 鉄の通路に反響する、耐え難い音圧、分厚い鉄は震え、汚水に幾重もの波紋が生まれた、音が脈動となって少女を通過する。
 ゴゴン!ゴゴン!という、二拍子の轟音が響き渡ると共に、少女に迫っていたパンの一群が、次々と吹っ飛んだ。
 音に同調するように、跳躍の中途で弾かれ、火花を発して叩き落とされ、汚水の中に沈んだまま動かなくなる鋼のラルヴァ。
 流れ星を宿した塊は、人の形をしていた、汚水の底に沈殿するヘドロを捏ねて作ったような、全身から水を滴らせるヒトガタ。

 最後のパンが居た、少女を追ってきたパンの中でも、群れの他の個体より一回り大きく、常にしんがりの位置に居たラルヴァ。 
 群れの他の個体を盾にして、巧みに一撃の機会を伺っていた鋼の虫が、流星を放ちパンを墜とした塊に向かって、体当たりをした。
 成人男子の肘から指先ほどの全長、2cmに満たない胴径、その大きさからは想像のつかない比重を持つ、鉄のラルヴァ。
 人型の塊は、胸にパンの一撃を食らう、そのままパンと縺れ合って、人型は少女の膝下ほどもある汚水に転がった。
 水面に重量物が落ちるバシャっという音に、ボムっという篭った爆発音が混じる、汚水は破裂性の衝撃を、少女まで伝達させる。
 群れを壊滅させた人型を、重い体当たりで汚水に沈めた最後のパンは、人型の胸の上に鋼の足を這わせ、馬乗りの姿勢となった。

 ついさっきまで少女の護衛をしていた伍長もまた、パンからの体当たりを受け、通路に倒れた所で数体のパンに乗られた。
 伍長はパンの口吻から伸張させた、鋭いパイプ状のスパイクを体中に突き立てられ、血液を吸い尽くされて死んだ。
 鉄の通路に溜まる汚水で全身を濡らせた少女の体には、伍長の体から噴出した血が、まだ固まらずこびりついていた。
 最後のパンは、口吻のスパイクを伸ばし、倒れた人型の首筋、血液の大河がある頚動脈を、鋭利な針で刺し破る寸前だった。

 汚水の通路に仰向けで倒れたまま動かなかった人型の塊が、唐突に立ち上がった、首の流れ星が涼やかな音をたてる。
 人型の胸の前には、鈍色の虫、流れ星の人型を汚水の中に倒した、最後のパンが、半ばブラ下がるように貼り付いていた。
 パンの口吻から生えた、注射針状のスパイクは、その人型が首に巻いていた流れ星、銀色のチェーンに絡め取られていた。
 いつのまにか腹に小さな穴を穿たれていたパンは既に絶命していて、人型が掌で払うとあっさり汚水の中に落ち、動かなくなった。

 人型の塊が、その手にある銀色の流れ星から発した轟音の、幾重にも連なる残響が去った後、鉄の城に静寂が戻った。
 耳の痛みを感じなから、少女は、自分に覆いかぶさった塊、流れ星を操る、人間の形をしたものを見上げた。
 人型は少女に手を差し伸べる、その顔は非常灯の逆光でよく見えないが、長い金髪をポニーテイルにしているらしい。
 少女の着ているコットンのワンピースと同じ色の、手足の窄まったツナギの服、靴下のように薄い、黒革の編み上げブーツ。
 全身から汚水の滴る難燃繊維のツナギは肌にまとわりつき、その人型の、少年を思わせる体型を露にしていた。

 少女を守りつつ、ラルヴァを全滅させた人型の塊は、銀色の拳銃を持った、人間だった。

 小柄な人間は少女に顔を向け、口を開く、女の声、少女とさして変わらぬ、幼さの残った声。
「Are You Okay Honey?」
《大丈夫?カワイコちゃん》
 少女は、自分と同じ言葉を話すらしき女の人を前に、恐怖で固まっていた口を必死に動かす。
「Y……Ye……s……」
《……は……はい……》
 まだ自由に動かなかった口が、自発的に言葉を発すると同時に機能を取り戻す、少女の、抑えていた感情の堰が崩れた。
 少女は目の前の、自分の護衛で、友達だった伍長を殺し、自分を追い詰めた鉄のラルヴァについて、早口で話した。
 その女のひとは、まくしたてる少女に少し首を傾げると、少し困った声色で、英語未習得者の決まり文句を発した。
「Pardon me.」
《もう一回言って》

 鉄の通路が、明るい光で包まれた。
 突然の白光と共に、多数の人間が、通路の中に入ってきた、皆、戦闘服に身を包み、油断ない相互支援をしながら近づいて来る。
 150万カンデラのサーベルライトが、少女と女の人に注がれる、女の人は、右手に銃を持ったまま、両手を上げて叫んだ。
「The disaster victim has saved.! Gunnery Emmy Derringer.」
《…要救助者確保!エミー・デリンジャー海兵隊軍曹》
 光と共に現れた多数の兵士達の中から、人をかき分け、汚水を跳ねさせながら、長身の女性が駆け寄ってくる。
 漆黒の肌、海軍士官の勤務服姿、中尉の徽章、武装した下士官達は、彼女に押しのけられながら敬礼をする。
「Jacky!」
「Mam!」
 アフロ・アメリカン系の女性中尉は、鉄の城の中、ラルヴァに追われていた、蜂蜜の髪の少女と固く抱き合い、共に声を上げて泣いた。


 東京湾に浮かぶ、日本政府直属の異能者学府、双葉学園の風紀委員長、山口・デリンジャー・慧海こと、
アメリカ海兵隊異能者養成スクール"NintyNiner's"所属部隊付軍曹、エミー・デリンジャーは、
制服軍人の最高機関、統合軍参謀本部より急遽、依頼された、幼成体ラルヴァ身柄確保の仕事を終えた。


 太平洋 ハワイ沖。
 5年後に退役を控えながら、未だ米海軍空母群最大の原子力空母として、太平洋に君臨する、空母エンタープライズ。
 慧海は、エンタープライズ内にある、来艦士官室で、アフロ・アメリカンの中尉と向かい合わせのソファに座っていた。
 彼女が"パン"を撃退し救出した、デミヒューマン・タイプの幼生体ラルヴァ「ジャクリーヌ」は艦内病院に収容された。
 現代医学が有するラルヴァへの生理学的知識の範囲では、重篤な負傷はしていないとの事で、今は病室で安静にしている。
 空母の艦底部で昆虫ラルヴァ"パン"と単独交戦した慧海も、検査と負傷の応急処置、そして着替えを薦められたが。
 熱いコーヒーが先よ、と衛生兵を追い返し、汚水に濡れた飛行服のまま、艦長室より快適なお客様部屋に陣取った。

 慧海は、普段はツインテールにしている長い金髪を、後ろでひとつに束ねていた。
 服装はいつもと異なる、米海軍飛行士のアヴィエータースーツに、薄い革で作られた、編み上げのパイロットブーツ。
 ウェスタンスタイルの普段着よりも、若干の窮屈さを感じるが、速乾性を誇るスーツは既に乾きつつあった。
 アヴィエーター・スーツの首にはいつも通り、デリンジャー拳銃を吊るための、プラチナの鎖とクイックレリーズ・キー。
 慧海は向かい合わせの中尉に視線を向け、会話をしながら、首から外したデリンジャーを見ることなく簡易分解し、
ニトロ・ソルヴェントの銃器洗浄液とシリコンクロスで、汚水に漬かったデリンジャーを入念に分解洗浄していた

 寝巻きの海兵隊パジャマのままF-35plus複座戦闘機に放り込まれ、マッハ2.9で飛びながら歯を磨き、髪を梳かした慧海。
 機内の携帯食から豆のトマト煮だけを抜き取って食いながら、機載無線では埒が明かないので、私物の携帯電話で受けた状況説明。
 太平洋上の旅客機航路をジャンボジェットの4倍の速度で飛行しながら、半分眠っていた頭はようやく事態を飲み込んだ。
 慧海はハワイ沖の原子力空母に着艦しながら髪を結ったが、3Gの着陸衝撃の中で、2つの結び目を作る時間は無かった。
 その後、手近にあった動きやすそうな服、慧海をここまで運んできた海軍飛行士の飛行服とブーツをぶん取って、
パジャマの上に着ながら現況の報告を受けた慧海は、着艦後7分で空母エンタープライズの艦底部ハッチに跳びこんだ

 慧海に遅れること30分、ペンタゴンから飛んできた海軍中尉、蜂蜜色の髪のラルヴァ少女から「ママ」と呼ばれた、
アフロ・アメリカンの女性は、来艦士官室備え付けのコーヒーメーカーから、熱いモカをマグカップに注いだ。
 自分の分には砂糖とコーヒーメイトを入れ、もう一つは何も聞かずブラックのまま、慧海の足が乗っているテーブルに置く。
 海兵隊の一等軍曹《ガニー》は、海軍中尉の淹れたコーヒーを、淹れた本人が口をつけるのも待たず、一口飲み下した。

「エミー、あなたが横須賀に居てくれて本当に助かりました…あの娘を失ったら、わたしは生きていけない所でした」
「ヨコスカ アザラシ共、来てる、聞いた、ちょっとバンバン、遊んでやった、最終日に、これ、最低」
 語彙はそこそこあるが、単語を並べるだけのブロークンな英語、相変わらずな海兵隊のライバルに、海軍中尉は苦笑した。
 中尉は目の前のテーブルに足を乗せ、上官が淹れたコーヒーを啜る少女の口から「sir」という単語を聞いた記憶が無い。

 山口・デリンジャー・慧海は、双葉学園から無断で抜け出し、愛車のキャディラックで、横須賀の在日米海軍基地に来ていた。
 その時、イージス艦の寄港で基地内に滞在していたのは、アメリカ海軍に所属する異能者養成スクールの、ラルヴァ対策部隊。
 "Class"《学級》というふざけた部隊名は、Counter.Larvae.Atziluth.Spetial.students.の頭文字を取ったらしい。
 海軍の最精鋭部隊、アザラシ《シール》の通称で呼ばれるNAVY SEALsの一部隊として位置づけられる異能者スクールの兵士。
 他の異能者部隊同様に、'99年以後生まれの、十代中盤の男女、SEALsの入隊年齢下限は、イラク戦でとっくに消滅している。
 通常時はノーフォークの海軍基地に常駐している"class"の異能者少年と少女達は、洋上演習の一環として、横須賀を訪れていたが、
海兵隊異能者部隊"99er'"sのエースだった慧海が単身乗り込み、横須賀で訓練に励んでいたClass隊員にケンカを売った。

 慧海の目的は、自身の弱点である、防御能力の鍛え直し。

「防御なんていらない、と言っていた、海兵隊のファイア・ドラゴンが防御力強化なんて、どういった心境の変化かしら?」
 ツナギ服の上半身を脱いだ慧海は、下に着ていた海兵隊パジャマの右肩、炎を吐く竜のタトゥーを掻きながら答えた。
「今、私、新しい仕事、ジャパンの学生、一緒の奴、イヤな女、カタナで斬る、斬られたくない、防御、必要」
 ハワイ沖の慧海には、今も東京湾の双葉学園で風紀委員の仕事をしているであろう逢洲が、クシャミをしたのが見えた気がした。

 慧海が横須賀基地を訪れた日より、正式に始まった海軍、海兵隊共同の異能者訓練、慧海とClass隊員との、異能を競う模擬戦闘。
 1999年以後に生まれた男女で構成され、自分と同年代の海軍異能者達と交わす模擬戦と集団生活は、慧海にとって刺激的だった。
 海兵隊同様に、海軍の異能者もまた、日本の双葉学園よりずっと女性率が高く、慧海の贔屓目では、双葉学園より精強だ。
 そして国家方針の違いかもしれないが、米軍所属のラルヴァ対策部隊は、ラルヴァの殺害に対しては及び腰で、
ラルヴァは原則的に発見次第駆除殺害する日本と違い、警告、誰何の後に連邦法に準じた逮捕活動という形を取る。
 その分、異能者同士による模擬戦が盛んで、全米から寡兵勧誘《リクルート》された異能者が、始終異能戦の技を競っている。
 アメリカの軍に属する異能者学校は、異能を用いた犯罪を摘発する司法機関に向けた人材を育成する場でもあるという。

 一応、国連加盟国のほとんどがラルヴァ対策のため、99年以後に生まれた異能の少年少女を養っていて、多くは軍の内部にある。
 慧海は、マレーシア、フィンランド、カナダ、ブルガリア、ケニヤの異能者スクールに隊員や指導者として参加したことがあるが、
その他の国々にもあるという異能者の組織については、よく知らない、同じ米軍の陸軍、空軍やFBIの異能者部隊も、伝え聞きだけ。
 一度、フランスの、外人異能者学校《リージョネール》から、士官待遇での参加を打診されたこともあったが、英語以上に仏語が苦手なため、断っている。

 横須賀での海軍、海兵隊共同演習の最終日、1人対7人の模擬戦で、海軍のアザラシ共を存分に叩きのめした慧海が、
心地よい疲れの中、明朝には双葉学園に帰る事を決め、軍隊ベッドでの最後の夜を名残り惜しんでいたら、
ペンタゴンの統合参謀本部より、ホットラインによる、緊急指令《コール》が下った、ぐっすり寝ている慧海への名指し。
 2分後、横須賀の在日米海軍司令部前庭に、垂直離着陸攻撃機F-35が、横須賀市民の眠りを覚ます轟音と共に着陸し、
5分後、給油を受け、一人のスペシャリストを載せたF-35は超法規的な垂直離陸の後、東京湾からハワイ沖へと飛び立った。

 指令の発信者は、慧海もよく知っている女、20才になったばかりの、異能者として脂がのった時期でありながら、
ラルヴァとの実戦を退き、今はペンタゴン内にある統合軍参謀本部で、ラルヴァ対策事務次官を務める女性中尉。

 以前、慧海が海兵隊に居た頃、今回の慧海と同じように殴りこみにきた、海軍異能者部隊"Class"の准尉をやっていて、 
スプリングフィールド小銃に装着した、長い銃剣を使う異能の業で、慧海との一対一の模擬戦を5回引き分けた相手。
 慧海は、一週間の模擬戦では煮詰め不足の、防御力強化訓練の仕上げだと思って、仇敵の頼みを引き受けた

 統合参謀本部のエリザベス・ジャクソン中尉は、向かいに座る慧海が、窓の外の海を見ながらデリンジャーを分解洗浄し、
見ることもしないまま組み立てたデリンジャーを、首の鎖に戻す様を眺めていた、どうやら海兵隊の友人は、変わらないらしい。

「SEALsの到着を待って、部隊突入をさせるべきとの意見が出ましたが、あなたの単独投入を強行してよかった」
喋る英語はブロークンだが、ヒアリングした言葉は概ね理解できるらしい、褒められた時の無関心な表情でわかる。
「アザラシ共、たくさん、足音、たくさん、パン、足音の方向、見る、カワイコちゃんの場所、バレる」

 SEALsの異能者スクールは、アメリカが擁するラルヴァ対策の最先鋭部隊のひとつで、地球上のいかなる場所でも24時間以内に部隊を展開できると言われている。
 慧海が横須賀の海軍宿舎のベッドから、地球を四分の一周した先にあるエンタープライズで作戦開始するまでの時間は、70分。

 昆虫の外見を有し、視力のほとんど無い"パン"は、鋼の体を音叉のように共鳴させる聴覚と、高い知能を有していた。
 集団での狩りを得意とするパンは、群れからはぐれた羊や牛、あるいは人間の進む方角、歩行の方向や歩くリズムの情報を総合し、
行く先を先読み、先回りして襲ったり、その個体が帰ろうとしていた群れを、先行して襲ったりした例がいくつもあった。
 パンの一団を通常の異能者が相手にするなら、個体数の三倍の実戦経験者が必要だと言われている。

 太平洋上を蚊柱のように群れていたパンの集団に、突然侵入された空母にも、海軍所属の異能者小隊が常駐していて、
彼らはF35で突然やってきた慧海に、相互支援を原則とするラルヴァ対策の教科書に則った、共同での突入を提案したが、
参謀本部より異能者隊の臨時指揮権を与えられた慧海は、彼らに艦底部に通じるハッチの封鎖だけを指示し、単独で飛び込んだ。
 ハッチの前で立ちんぼをする異能者の軍人は、異能の名門デリンジャー・ファミリーの娘が、ただの無鉄砲なガキと知り、
あと一時間と経たずに必要になるであろう、死体袋《ボディ・バッグ》の数を勘定していた。
 図らずも、慧海の突入から10分ほどの後、異能者と、通常武装小隊の集合を命令するメールが、艦の最深部から届いた。

「海軍の曲芸アシカ共、今すぐ、海兵隊軍曹《ガニー》様のケツを舐めに来い」

 空母の艦底部に突入した慧海は、まず自分の足音と呼吸音を消しながら、暗い艦内を下へ下へと降りていった。
 少女とパンの居場所を示す、ゴーグル型の携帯GPSは、現状での位置を確認した後で投げ捨てた、微かな作動音すら、慧海には邪魔。
 あとは追われる人間の心理を読み、ラルヴァ少女の逃げ道を読む、パンの位置を確認するのは、GPSより耳のほうが早い。
 音を殺しつつ、パンに近づいた慧海は、ラルヴァの少女を追うパンに同調するように、跳んで移動した。
 デリンジャーで通路を叩き、パンが跳ねる金属音と同一の音をたてながら、ただひらすらパンに従って跳んだ。
 生物固有の生命音を聞き分けて、獲物の位置を知覚するパンは、一緒に跳ぶ慧海を、自分の仲間のうちの一匹と認識した。
 音紋より音源の移動から多彩な情報を得る、パンの高い知能は、聴覚のみ肥大した感覚と同様に、歪な発達をしていた。

 エンタープライズに常駐していた6人の異能者は、慧海の目から見ても優秀で、対ラルヴァ戦闘の実績もあったが、
空母に着艦し、敵となるラルヴァが"パン"だと聞いた慧海は即座に単独での突入を決定し、参謀本部への電話一本で許可をもぎとった。
 この精強な異能者達は、ラルヴァを倒すために、ラルヴァになることは出来ない、泥の中を虫と一緒に跳ねられない。
 ラルヴァの呼吸をし、ラルヴァの脈拍を作り、ラルヴァの生命音を発し、ラルヴァのように考える、
ラルヴァになる、というラルヴァ・ハンターの最も高度な技術は慧海にとって、人間を知ることよりもずっと簡単だった。

 一体のワンオフ・ラルヴァと化した慧海は、追うパンの群れに加わりつつ、逃げる幼成体ラルヴァの動きを読んだ。
 ラルヴァになりきり、パンになりきって飛び跳ねた慧海は、幼生体ラルヴァ少女の推測現在位置に近づいてきた辺りで、
飛行士服の左肩にテープで留めた、双葉学園から支給された携帯電話のキーを打ち、メールで艦上の部隊に突入を指示した。
 推測通りだった少女の位置に達した慧海は反転し、壁を叩いていたデリンジャーを一瞬で握り替え、発砲した。
 共に跳んで狩りを行う仲間から、一転してこちらを狩る者となった慧海に、パンの一群は全滅させられた。
 少女の、そして自分自身の状態によっては即座に救援を受ける必要がある、それを見越して早めにメールしたお陰で、
異能者と通常武装の小隊、そしてレスキュー隊の衛生兵達は、慧海がパンへの銃撃を終えて少女を確保した直後、
絶妙のタイミングで慧海の下に到着した、慧海はウスノロだと思ってた海軍野郎への認識を少し改めた。

 ナイフ使いの伍長を刺し貫き、血液を吸い尽くした鉄のラルヴァを、異能の銃撃で全滅させたのは、
慧海の発射した防弾チョッキ貫通用のAP弾、鋼より硬いタングステン・カーバイトの芯が入った弾丸だったが、
強力なラルヴァとの交戦を制したのは、幼成体ラルヴァの少女を護衛していた、異能ナイフ使いの伍長が、
パンの群れの母体となっていた大型種と、それを取り巻く、身体能力の高いパンの一群を、自らの巻き添えにしたためだった。
 そして伍長の行動は、慧海が少女の元に駆けつけるまでの貴重な時間を稼ぎ、慧海は残存のパンに止めを刺した。

 最後の一匹は、仲間が撃たれる様から慧海の"音"を観察した、二連発拳銃での攻撃に生まれる間隙を巧みに衝き、
慧海への体当たりを敢行したパンは、重い体を利しての接近距離の肉弾戦で拳銃射撃を封じ、慧海を仕留めようとしたが、
パンを抱え込むようにして倒れた慧海は、あえて首筋をガラ開きにさせ、そこを狙ってきたパンの鋭いスパイクを、
デリンジャーを吊っているプラチナの鎖で絡め取った、口吻をロックされたパンが一瞬、動きを止める、慧海にはそれで充分。
 スパイクを固められたパンの細い胴を掴み、パンの鋼の体に銃を叩きつけるようにしてハンマーを起こした慧海は、
鋼板を穿つ41口径アーマー・ピアッシング弾の接射で、最後のパンの体に、着弾の火花と共にピアス孔を開けてやった。


 慧海とジャクソン中尉が向かい合ってコーヒーを啜る、外来士官の滞在船室、艦艇特有の水密性ドアがノックされる。
 スティッチの前掛けをした、保育士兼業の軍医が、ペンタゴンから急来した中尉のために用意された士官室を訪れた。
「診た限り、ジャッキーちゃんは怪我もしていないし、何より今は、ママの傍のほうがいいでしょう」
 軍医は慧海が救出した幼成体ラルヴァ、ジャッキーの愛称で呼んでいる少女をひとしきりからかい、ふざけ合うと、母親に任せて退去した。
 慧海はエジプトの姫君のような漆黒の美貌を宿した中尉と、蜂蜜色の髪をした白い肌の幼成体ラルヴァを見比べ、ニヤニヤ笑う。
「へ~、母親、リズ、お前、ラルヴァの、ママ?」
 エリザベス・ジャクソン中尉は、幼成体ラルヴァ"ジャクリーヌ"の蜂蜜色の髪を撫でながら、歌って聞かせるように話した。
「私が殺めたデミヒューマンが、最期に産み落とした娘、軍人として殺生を生業とする私が、道を踏み外さぬための存在」

 慧海も知っていた、まだ海兵隊に居た頃に聞いた、海軍異能者部隊によって行われた、ラルヴァ系シンジケートの一斉摘発。
 逮捕に抵抗し、三人の異能者を殺した後、異能者ジャクソン少尉の銃剣で刺し貫かれたデミ・ヒューマンラルヴァが、
 海軍病院内で、死の直前に子供を産み落としたこと、実験体にされる寸前だった赤子を、ジャクソン少尉が身を挺して庇ったこと。

 日本なら内々に降格、処分させられる事態だが、ラルヴァとの戦いつつの共存を長く経験しているアメリカは幾分柔軟で、
当局は彼女の、ラルヴァへの職務を超えた人道的配慮を評価し、階級に星ひとつを足すと同時に、参謀本部のスタッフに抜擢した。
 以後、ペンタゴン勤務のジャクソン中尉と、安全上の処置で原子力空母内に保護された幼生体ラルヴァは引き離されたが、
エリザベス・ジャクソンは週末だけの母と娘の触れ合いを、ラルヴァ対策事務次官の重職よりもずっと大事にしていた。
「……ジャクリーヌはわたしの、宝石です……」
 普段ならお昼寝の時間、眠そうな目をこすり始めた幼成体ラルヴァを、慧海は指先でつつきながら、ブロークンな英語で話しかけた。
「お前、海軍、つまらない、将来、海兵隊《マリーン》、来る、海兵隊、制服、カワイイ」
 慧海にちょっかいを出されて少しむずかっていた少女は、慧海の指先をくすぐったがりながら「Marine…?」と聞き返す。
 突然、リズ・ジャクソン中尉は、ジャクリーヌを慧海から庇うように胸に抱くと、金切り声を上げた。
「このコは海軍士官にするんです!・・・何よ!海兵隊なんて行ったら、一生独身に決まってるわ!」
 海軍異能者部隊のトップエース、同じ異能者からは、銃剣突撃の鬼と言われた腕利きのラルヴァ・ハンターは、
鬼より怖い、ママになった。


 翌日、空母の船底部から、少女の護衛で、友達だった異能ナイフの使い手である伍長の、遺体が発見された。
 ラルヴァの少女ジャッキーは、見ないほうがいいという教育的配慮で、いつも通り空母内保育所に通わされた。

 髪も肌の色も様々な同年代の少年や少女に混じって歌をうたう、幼成体ラルヴァの少女、ジャクリーヌ。
 少女が歌っていたのは、アイルランド人の伍長がよく口ずさんでいた、英国の伝承歌Nursery Rhymes

 慧海とジャクソン中尉は、エンタープライズの兵士達と共に、艦底の汚水に浸かりながら、伍長を捜索した。
 遺体収容まで学園の無断休日を延長した慧海は、引き揚げられた伍長の亡骸に海兵隊式の敬礼をした後、
SEALsの連中への別れの言葉も無く、ハワイ沖の空母エンタープライズから東京湾の双葉学園に帰った。

 9日ぶりに出た学園の醒徒会で、慧海は、就任したての風紀委員長の、無断での欠席と外出について色々言うやつらに、
防御力強化訓練やパンとの交戦のことは何も言わず、ただ、「お子様と一緒に船遊びしてたのよ」と答えるだけだったが、
生徒課長の都治倉 喜久子は、執務室にコーヒーをたかりに来た慧海に、「ごくろうさまでした」とだけ言った。
 喜久子のデスクには、海軍に居る旧友の娘である幼成体ラルヴァへの贈り物、
ナイフ使いの伍長が好きだった、Nursery Rhymesの絵本が、包装紙とリボンに包まれ、ハワイ沖への空輸を待っていた。

 艦底からの救出後、軍医によって行われた記憶操作カウンセリングにより、友達だった伍長を失い、死の危機に瀕した記憶。
 人間でいえば4歳に相当する、幼生体ラルヴァにとっては過酷な経験は、少しづつ記憶から薄れつつあった。

 幼成体ラルヴァである彼女が国防総省の保護下で平穏な幼児期を過ごし、鋼のラルヴァは一匹残らず撃ち殺される。
 将来この少女は、その矛盾と戦うことになる、「人を傷つけるか否か」という分別の欺瞞を、知ることになる。

 少女の記憶には、歌だけが残った、それは人と何ら変わらぬ少女の脳が、手放すことを拒んだ、友達の記憶。
 お友達とは少し違う自分、ママとも違う自分、それも皆、星の一部だということを、無口な伍長は歌で教えてくれた。

 喜久子はプレゼント包装された絵本の上にそっと手を置き、窓から見える海を眺めると、誰にともなく呟いた。

 「いいんですよ、忘れなくても」

 幼成体ラルヴァの少女は、今日も空母エンタープライズの保育園で、Nursery Rhymesの歌を口ずさんでいる。


Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky.
Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!

 danger zone3 ~星の少女~   (終)









(*)登場ラルヴァ

・パン
種別:ビースト
全身が鉄でできた、全長60cmの昆虫型ラルヴァ、高い知能と鋭い聴覚を持つ。
跳躍による移動で哺乳類を狩猟し、その血液から鉄を吸収する体構造を持つ、集団での狩りを得意とする。
名前の由来は、跳躍の時の独特の金属音が、カリブ楽器"パン"に似ていることから。

・ジャクリーヌ・ジャクソン(愛称、ジャッキー)
種別;デミヒューマン
米海軍異能者部隊と交戦、逮捕された殺人犯ラルヴァが、海軍病院内で死の直前に産み落とした金髪碧眼のラルヴァ。
後に異能者部隊の副官、エリザベス・ジャクソン少尉と養子縁組、米青少年更正センターで人間としての経歴を与えられる。
現在は統合参謀本部のトップダウンによる指令で海軍に保護され、空母エンタープライズにある艦内保育園に通園している。
才媛士官の娘として、将来は海軍士官学校への進学を期待されているが、最近、宇宙飛行士《アストロノート》になりたいと言い出し、ママを困らせているらしい。
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