【彷徨える血塗れ仔猫】

 ラノを使いたくて書いたもの
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 関川泰利と落合瑠子は、学校帰りの児童公園でよく会った。
 いつも放課後の訓練で遅れる泰利を、一般人である瑠子はベンチに腰掛けて待っていた。そこは人目をはばからずに会話ができる、二人にとっていちばん居心地の良い空間であった。
 双葉学園・高等部に通うこの二人は、同じクラスになったことで出会った。
 異能者の泰利は、自分に対して真っ直ぐな好意を向けてくれる瑠子が好きになった。
 変わり者である自分について深く理解し、力に興味を持ってくれた彼女のような子を、絶対にこの手で幸せにしていきたいと思っていた。自分の異能は、そのためにあるのだとさえ泰利は思っていた。
 夏の熱い夕暮れの陽が落ちていくなか、ついに泰利は瑠子を自分の部屋に呼んだ。彼らは互いに互いを強く求め、一本の線として交わることを求めあった。
 心地のよい色合いの宵闇が降りてきた頃、瑠子は泰利の部屋を出た。自分だけに向けられた、生まれ変わったような新しい笑顔を泰利は忘れない。
 その後、事件は起こった。


 泰利は頑なに信じなかった。きちんと学校の詰襟を着込み、ポケットにはハンカチも詰めてきたのに、いざ瑠子の家に着くと、この残酷な結末が嘘のようにしか思えなかった。単なる悪い夢であってほしいと願っていた。
 そんな切実な思いも瑠子の死に顔と対面したとたん、悲しく霧散する。あれだけ貪るように抱きしめた小さな体が、棺に納められているせいで余計に小さく見えてしまう。もう二度と、この瑠子は目を覚ますことはないのか? その瞳を自分に向けることはないのか?
「瑠子・・・・・・瑠子ぉ・・・・・・うがあああ・・・・・・」
 青白い肌の亡骸を前にして、泰利は薄緑の畳にいくつもの涙粒を乗せた。
 彼が瑠子を部屋に呼んだ次の日から、突如、彼女は学校に姿を見せなくなった。
 誰もが心配に思うそのよそで、泰利は別の種の不安を感じていた。若々しい衝動に流されるまま及んだ行為と、何か関係があるのだろうか。お互い体と体を重ねることで納得した夕暮れ時の出来事に、何か原因があるのだろうか。泰利と瑠子の交際を知る者はいなかった。
 だから、ある朝、担任が一筋の涙を零してから言ったその台詞が、ほとんど悪い冗談のようにしか聞えなかった。
 落合瑠子が・・・・・・死んだ。死にました。
 それは彼の青春と、学生としての平穏な暮らしが終わった瞬間でもあった。
 この事件は泰利やクラスメートだけでなく、学園関係者や、島の人間にも多大なる衝撃を与えた。
 ラルヴァに、一般人が犠牲になった。
 この事実がとにかく重く圧し掛かった。ラルヴァに対抗できるのは、異能力の備わった人間に限られる。だからこそ、無力な一般人を守り、みんなで平和に暮らしていくことが住人にとって共通の願いであった。
 それが、ひどく無残な形で踏みにじられた。
 落合瑠子は帰途につき、夜道を急いでいたところを、ラルヴァと思われる異形に襲われた。心臓を一突きだった。泰利に抱かれて全身を駆け巡った熱い血潮は、こうして一滴残らず路上に搾り出され、蹂躙された。
 どうしてこの子を守ってやれなかったのだろう。それは異能力を持っている人間ならば誰もが思ったことだろうし、泰利も当然その例外ではない。
 俺は瑠子を家まで送ってやることができた。
 俺は瑠子を自分の力で守ってやることができた。
 ごめんよ、瑠子・・・・・・。
 あらゆる罪悪と悔恨の念がこの青年を打ちのめした。


 島には最近、実は密かにある怪事件が頻発していた。
 それは、鞭を持った女の子が夜な夜な島を徘徊し、獲物を探し回っているというのだ。
 命からがら戦闘から離脱できた異能者たちは、誰もかもが強い恐怖からまともに体験談を口にすることができず、もはや精神的に再起ができなくなっていた。
 そんな彼らから、学園の関係者が何とかして断片的に摘み上げた情報から総合してみると、あることがわかってきた。
 まず、鞭を持った女の子は、何もかもが黒ずくめであった。装束は黒一色のドレスで、アクセントも飾りも、よく目を凝らさなければわからなかったそうだ。
 強いて言うなら、彼女のアクセントは「赤」であった。それは、対象を突き刺すように向けてくる赤の瞳であり、また、己の体から吹き出たもので血塗られた赤だった。黒のドレスはどんどん、自分の鮮血で濡れていったと精神病棟の異能者は狂乱しながら語った。
 次に、彼女の特徴として注目されたのが頭に「猫の耳」が付いていた点であった。
 黒猫の耳が頭の上にあり、一部の情報によると尻尾もあったという。伸縮自在な鞭を振るい、傷を抉り、背中の皮を剥ぎ、手首を締めてへし折り、落合瑠子の胸を貫いた。
 やがて、異形は通俗的に「血塗れ仔猫」と呼ばれることになる。彼女はあまりにも強すぎた。ラルヴァに一通り対抗できる異能者たちも、逃亡するほかなすすべがなかった。
 精神を病んだ異能者たちは、今もなお、自分があの赤の視線によって監視されているような気がして、とにかく恐ろしいのだという。
 血塗れ仔猫による犠牲者は、落合瑠子が最初であった。これまで血塗れ仔猫と遭遇したのは異能者のみであり、調査が始まったばかりの頃に起こってしまった、やりきれない事件であった。


 瑠子の葬儀が終わった数日後、泰利は深夜に一人で島を歩いていた。
 彼は血塗れ仔猫を捜していた。彼の闇に向ける眼差しは修羅のそれであった。何としてでも見つけ出し、瑠子の仇を血祭りにあげるつもりでいた。それが異能者である彼のできる、瑠子への償いであり、殺人鬼に対する報いであった。
 日付が変わったころだった。虫の音がぱっと止み、曇り空の切れ目から満月がのぞいた。
 瑠子とよく立ち寄った児童公園で、ついに泰利は血塗れ仔猫と相対する。
 噂に聞いていた通りの黒い姿を認めたとたん、彼は地面を蹴って駆け出していた。もう、覚悟は決まっている。愛する瑠子を殺した謎の異形を、絶対に撃破するつもりでいた。
 接近していくたび、彼女の全貌が明らかになる。黒いドレスはゴシック・ファッションを思わせる病的なものであり、肩まである黒髪は外に強く跳ねていた。やはり、その右手には黒い鞭が握られている。
 こんな子どもの面白半分で、瑠子はあんなにもあっけなく命を奪われたとでもいうのか? 
 泰利はますます激情に燃える。小さな顔面めがけて殴りかかったとき、血塗れ仔猫の瞳が赤に輝いた。
 鞭で左肘を掴まれると、泰利は宙に放り出されてしまった。強大な力で何度も振り回され、縄を遠くに投げる要領で投げられてしまう。
 公衆便所の建物に頭から突っ込み、それは倒壊してしまう。顔を起こしたとたん、鞭に繋がれたままの左腕がブチンとちぎられたのを見た。まるで細長く丸めた硬い粘土を、両指で引っ張ってちぎったかのような手ごたえだった。スポイトからまっすぐ飛び出る水滴のように、血液は定期的に間を置きながら吹き出てきた。
 それでも泰利はひるまない。血塗れ仔猫を狙い、瓦礫の中から飛び出した。
 絶対に生かしておかない。たとえ女だろうが、その耳をちぎって頭をかちわってやる!
 血液が後方に向かって伸びやかに流れてゆく。泰利は接近しながら、自分の異能を行使した。
 直後、血塗れ仔猫の目が少し丸くなる。泰利の姿が闇夜に消えたからだ。
 弾けそうなぐらいに明るく輝く満月を背に、泰利は東京湾上空にて静止していた。
 彼の能力は跳躍だった。本気を出した彼は、島全体を俯瞰できるぐらいに高く飛び上がっていた。瑠子を抱え、喜ばせ楽しませてあげたその素敵な力を、今は瑠子の復讐のために使っている。
 家から持ち出してきた包丁をしっかり右手に握り、泰利は落下を始めた。体はどんどん加速し、やがて夜の広大な島に呑み込まれる。公園の敷地が見えてくる。そして、憎きあの猫耳が視界に入ってきた。
 しかし、あとほんの数メートルほどで標的に到達しようとしたときであった。
 しゅるしゅると、あの鞭が泰利めがけて飛んできたのだ。鞭は泰利の腰まわりをしっかり繋ぎとめ、捕獲すると・・・・・・。
 落下する勢いよりも速く、強く、激しく、地面に彼を叩きつけてしまった。大きく陥没した地面から、砂煙が空高く舞い上がる。
 泰利は穿たれた穴の中で、まったく動くことができない。血反吐を垂らしながら呆然として、彼女の圧倒的な強さをその心身に刻んでいた。
 ぽっかりと空いた穴から覗く夏の星を背景に、二つの赤い点が泰利を見下ろしていた。
 彼はそのとき、直感した。処刑の時間はやってきたのだ。
 それから、まったく動くことの出来ない理由も理解する。彼は、鞭によって全身のいたる箇所を雁字搦めにされていた。
 鞭は泰利を締め上げだした。みちみちと筋肉に食い込み、骨は折れる。大腿が鬱血して曲がり、眼窩から、鼻から、耳から、血が大量に流れ出ていた。
 ばちんと、鞭は泰利を粉々にしてしまった。噴射した生暖かい血液を顔に浴び、血塗れ仔猫は恍惚とした艶のある笑みを見せる。
 あたかもお椀いっぱいに注がれた汁物のごとく、穴の中では大量の肉塊が血液に浸されていた。


 次の日、児童公園は学園関係者の捜査によって立ち入り禁止となっていた。
 とうとう異能者が一人、犠牲となった。それも、双葉学園の生徒が、である。
 この事件を契機として、もはや血塗れ仔猫はこの島において、無視できない存在となった。
 怖がって夜に出歩くのをやめた学生。興味本位で捜してみる学生。我先にと、これまでにない強敵を撃破しようと意気込む学生。彼らは様々な反応を見せた。
 そんな彼らの反応とはよそに。
 今日も無差別に人を殺め、その身を綺麗な赤に浸すため。
 血塗れ仔猫は夜の島を徘徊する・・・・・・。



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最終更新:2009年08月02日 18:55
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